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バイデン大統領がエルドアン大統領に感謝。F-16s 購入の件も

2022年06月29日 | 国際
6月30日 ジョー・バイデン大統領は、6月29日、エルドアン大統領に、フィンランドとスエーデンのNATO加盟反対を取り下げたことに感謝し、また、F-16戦闘機購入に関してもトルコの意向にそう姿勢をほのめかしました。

 Hurriyet

マドリードのNATOサミット中にエルドアン大統領と会談したバイデン大統領は、「とくにフィンランドとスエーデンのNATO加盟に関して、トルコが同調してくれたことに感謝したい」と語り、新しいF-16戦闘機を購入し、空軍を強化したいトルコの希望に賛意を表明しました。

「アメリカ国防省はトルコの近代化計画を強く支持している」と、セレステ・ワランダー国際安全保障担当国防次官補は記者団に語りました。「トルコはきわめて有望で、きわめて貴重な、NATOの戦略的同盟国であり、トルコの強力な防衛力は、NATOの強力な防衛力に貢献している」

フィンランドとスエーデンのNATO加盟に反対しつづけてきたトルコが、反対を取り下げてNATOメンバーたちを驚かせた翌日、バイデン大統領は、トルコのF-16購入に関して温かいことばを発しました。

トルコは戦略的に微妙な位置にあるNATOの重要なメンバーです。アメリカは、トルコがロシアのS-400対空ミサイル・システムを購入したため、アメリカの最先端のF-35ステルス機をトルコに売ることを拒否してきました。

水曜、エルドアン大統領との会談の初めの、記者たちが部屋を出る前の短いコメントでも、バイデン大統領はエルドアン大統領に、ウクライナの小麦を市場に送るためのトルコの努力について、「よくぞやった」と賞賛しました。

ウクライナの豊かな農地と海岸地帯を征服したロシアの侵略によって、ウクライナの穀物の国際的顧客への流れは途絶され、厳しい食料供給危機を引き起こしています。アメリカとその同盟国は、ロシアは食料不安を戦争の武器に使っている言い、ロシアはそれを否定しています。
 
エルドアン大統領はマドリード・サミットの結果に満足していると言いました。


ギョベクリテペ誕生の背後に、シベリアからの移民があった

トルコ南西部シャンルウルファ県にある12000年昔の新石器時代の遺跡ギョベクリテペについて、これを築いたのはシベリアから移住してきた人々で、彼らはここから世界各地にひろがっていったと言う専門家たちがいます。

Hurriyet

ドクズエイリュル大学の「コーカサス・中央アジア考古学研究センター」の元教授セミフ・ギュネリ氏と、彼の仲間エカテリネ・リアニナ教授は、6月11~13日、イスタンブルで行われた会議で、2人が研究している「シベリア=ギョベクリテペ仮説」を発表しました。

30,000年昔、シベリアから移民が始まり、彼らはアジア全土にひろがり、その後、東欧や北欧まで拡大していったと、ギュネリ氏は国際会議で語りました。「ギョベクリテペの高度な文明と、シベリアの小石刃の技術との関係性はもはや隠しようもない事実だ」と彼は言い、移民たちの最重要な集団が近東へ来たのだと力説しました。

「イラクのザクロス地方での遺伝子を分析した結果、シベリア/北部アジアの土着の人々の痕跡が認められました。これらの人々は、中央アジアの山岳部を通ってザクロスに到着し、北イラクを経て、ギョベクリテペの文化と出会ったのです」とギュネリ氏は付言しました。

石器技術は東から西へ、7000キロを運ばれたと、彼は言いました。「この技術が、長い道程、トルコ語を話す人々によってダイレクトに伝えられたのか、長い道程を、土地から土地へ伝えられていったのかはわかりません」

考古学上の記録によると、シベリアの人々がザクロス地方に到着したことはわかっていると、ギュネリ氏は言いました。「シベリアの狩猟採集種族と地元ザクロスの狩猟採集種族は関係があると思われます」と、彼は言いました。「遺伝子研究の結果は、シベリアの人々がザクロスに到着したことを示しています」

「トルコ族の南シベリアからヨーロッパへの移民には、3度の波がありました」と、エーゲ大学のオスマン・カラタイ教授は言いました。「BC2600~2400年の第3波では、集団の多くはゲルマン族と同化しました。この種族とトルコ人の間には遺伝子的血縁関係がありました」

教授はまた、「シベリアからギョベクリテペへ、技術とツールの移譲があった。伝えたのはトルコ人であったかどうかはわからないが」と言っています。

「12,000年昔には、今日、私たちが知っているトルコ人はいなかったでしょう。しかし、私たちが私たちの“共通の祖先”と呼べる種族はいたでしょう」と、彼は付言しました。

イスタンブル大学の研究者メフメト・オズドーアン氏によると、ギョべクリテペの人々はやがて農夫になりましたが、聖職者たちの圧力に耐えかねて、5つのルートによって移民しはじめました。「移民は最初は集団で行われました。移住のルートは、コーカサスへ、イランから中央アジアへ、地中海からスペインへ、トラキアへ、サカリアへの5つです」

ギョベクリテペの農夫たちは、移民するとすぐに、北部ギリシア、ブルガリア、トラキア地方に、300の居住地を築きました。

「ギョベクリテペに残った人々が、次の時代には、メソポタミア文明の引き金となりました。メソポタミアへ移住した人々は、シュメール人より前に、灌漑農業を始めています」とオズドーアン氏は言いました。


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