栗原安秀中尉
陸士在学中より国家革新を抱き西田税に師事す。
«栗原中尉の為人»
池田俊彦
「 今の議会は支配階級の民衆搾取のための手段と化している。
そこからは新しい力は生まれない。
第一、土地改革などは、地主達の多い支配階級が承認するはずはないし、 真の根本的改革は出来ない。
我々は力を以てこれを倒さなければならない。
いかにも多数決で事を決し、国民の意志の上に国民の心を体して行っている政治のようであっても、
それは、結局権力者の徹底的利己主義となってしまっている。
起爆薬としての少数派による変革の先取りこそ、新しい歴史を創造することが出来るのだ。
このことは対話では為し遂げることは出来ない。
強力な武力的変革によってのみ為し得られるのだ。
我々はその尖兵である。
変革の運動は始まったばかりで、最初から一定の理想像を期待できるほど 世の中は甘く出来ていない。
新しい未来は闘争を通じてしか生まれない 」・・『 生きている二・二六 』
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斎藤史
ある日、史は栗原が 『 資本論 』 を 持っているのを見つけ
「 これ、きみが読むの 」 と 問い詰めたことがあった。
息子が思想書を読んでいるのを心配した栗原の父が、齋藤に相談に来ることがあったが、 史は知っていた。
彼の部下に先鋭な左翼の一人が入隊してきた。
その部下は、三重県にいた頃、栗原にとっても、史にとっても、同級生で、 同じ軍人の子であった。
栗原が嘗ての同級生を部下にして、それを黙って見過ごすことができなかった。
彼もその思想のことを知ろうとして 左翼関係の本を読み始めた。
折からの日本の政治の腐敗、貧因、農村の疲弊を目の前に見て、彼の思索は激しく揺れた。
それは、彼の真面目さがそうさせていったのだと史は思った。・・『 遠景 夜景 』
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斎藤瀏
「 自分の部下には農村出が多く、満洲事変で両手、両足を失い、辛くも命を保ち得た兵が、
生家に帰ってみたら、一家の没落を支えるため、最愛の妹が遊女になっており、
それに自分は何も出来ず、樽の中に据えられて、食べるのも着るのも人手によらねばならない。
なぜ 自分は生き残ったか、そしてこの眼で貧しい家の生活、両親の苦労を見ねばならぬのか、
なぜ死ななかったか、と 悔む在郷兵のことを涙ながらに語った 」・・『 二・二六 』
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和田日出吉
「 私は夜、週番士官として兵隊の寝室を回ることがあるが、
そのときなど、よく寝台で泣いている兵隊がいる。
事情を聞くと、自分は壮丁として兵隊に出たため、家では食べる米もなくて困っておる。
自分の妹まで今度は吉原の女郎に売られるそうである、
というふうな こういう状態で、兵に対して前線に行って戦えとは言えないし、私も全く同感である 」
と、苦渋の顔で語った・・『 語りつぐ昭和史 』
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辻井俊明 ( 栗原の部下 )
「 今 我々若い者が起って日本を救わなければ国家は亡びる、
ソ連の赤化攻撃の前に民族が亡びるか、欧米に侵略されて殖民地になるであろう。
昭和維新の捨て石となって、八千万の貧困の民を救うのだ 」
と 涙をたたえて兵を説いた・・『 西田税--二・二六への軌跡 』 ・ ・・・平澤是曠 著 叛徒 から
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篠田上等兵
「 一等卒のとき、栗原中尉の当番兵として、千葉の大演習に参加した。
長雨にたたられたつらい大演習であった。
このとき、他の将校たちは当番兵に、肌着を取替えれば肌着を、靴下を取替えれば靴下と、
その他全部洗濯させたが、栗原中尉は、
「 お前は自分の兵器を手入すればよい 」
と 言って、 靴下一足洗濯させたことはなかった。」・・東海林吉郎著 二・二六と下級兵士
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軍の首脳部が責任を負いきれなくなったため
奉勅命令をもって、我々に叛徒の汚名を着せたものであるから、
陸軍で責任を負いきれないというならば、我々は喜んでその処刑をうけるものである。 ・・栗原中尉・・公判陳述