歩一機関銃隊
中尉の部下だった人から直接きいた話であるが、
ある時演習があって、小休止の際、中尉の部下の一上等兵が、
一種のアルコール中毒で、耐えられずに居酒屋へ飛びこんでコップ酒をあおっていた。
そこへ通りかかった大隊長に詰問され、所属と姓名を名乗らされたが、
その晩帰営すると、大隊長は一言も講評を言わず、
全員の前で、その兵の名をあげて、いきなり重営倉三日を宣告した。
中尉は部下に、その兵の演習の汗に濡れたシャツを取り換えさせるよう、
営倉は寒いから温かい衣類を持って行かせるように命じた。
それからなお三日つづいた演習のあいだ、部下たちは中尉の顔色の悪いのを気づかった。
存分の働きはしていたが、いかにも顔色はすぐれなかった。
あとで従兵の口から真相がわかったが、上等兵の重営倉の三晩のあいだ、中尉は一睡もせず、
軍服のまま、香を焚いて、板の間に端座して、夜を徹していたのだそうである。
釈放後この話をきいた兵は、涙をながして、栗原中尉のためなら命をささげようと誓い、
事実、この兵は二・二六事件に欣然と参加したそうだ
三島由紀夫 著 蘭陵王 から
一等兵のとき、
栗原中尉の当番兵として、千葉の大演習に参加した。
長雨にたたられたつらい大演習であった。
このとき、ほかの将校たちは当番兵に、
肌着をとり変えれば肌着を、靴下をとり変えれば靴下と、その他全部洗濯させたが、
栗原中尉は
「 お前は自分の兵器を手入れすればよい 」
と いって、
靴下一足させたことはなかった。
・・・栗原中尉に心酔したる 篠田上等兵 談
これを聞いた瞬間、
私は自分の初年兵時代のことを思い出していた。
ある日私は、
内務叛で一番恐れられていた古年兵に呼び止められた。
初年兵でこの古年兵のビンタを受けなかったものは、ほとんどいなかった。
しかもその打擲の激しさは、
何かに対する恨みを、初年兵に向って爆発させるといった趣きがあった。
ついに私にもその順番がきたのかと、びくびくしながら古年兵の前にいった。
古年兵は意外に優しい声で、
「 東海林、お前、官舎女郎を知っているか 」
軍隊では、その種の女を官舎に入れているために
「 官舎女郎 」 と 呼ぶのではあるまいか、
と 思ったりもしたが、自信はなかった。
「 知らないであります 」
「 ほんとうに知らないのか 」
「 はい、ほんとうであります 」
「 そうか、教えてやろう 」
そういって、
高橋一等兵が語った 「 官舎女郎 」 とは、将校夫人たちのことであった。
将校の夫人たちは、
定められた仕事のほか、薪割りから風呂焚きはおろか、
家中の掃除、炊事、洗濯まで当番兵に全部させる。
その洗濯も将校のものならいざ知らず、
夫人の肌着、はては赤い腰巻、ズロースの類まで、全部洗わせるのだという。
つまり 将校の夫人たちは、
将校官舎に入り、一日の主婦の仕事は当番兵にさせて、
女郎のように、ただ男と寝るだけ、
それで 「 官舎女郎 」 と いうのだそうである。
おそらく 高橋一等兵は、将校当番の経験があって、
いやというほどその屈辱を味わったにちがいないのである。
地方や師団や聯隊の将校は、
ほとんど官舎に入っていたから、こんな言葉も生まれたものと思われる。
しかし、東京の将校の夫人たちだって、実態はこれと大差はあるまい。
当番兵を下男扱いすることによって、
自ら特権階級として、その虚栄を満足させていたにちがいないのである。
篠田が語った栗原と、
高橋一等兵が語った 「 官舎女郎 」 の 話を比べれば、
そこに栗原が兵士たちからえた信頼、人気といったものの動機がわかる。
だからこそ篠田は、栗原中尉の精神に触れたいと思い
教官の手文庫のなかから革新という表題のついた綴りこみを秘かに借り出して、
被服倉庫のなかで 「 コピー 」 ということにもなるのであろう。
だがこのことは、
一方で兵士たちが軍隊において、いかに非人間的なとり扱いを受けていたか、
その例証にもなる。
二・二六事件と下級兵士 東海林吉郎 著 から