あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

ある日より 現神は人間となりたまひ

2020年12月19日 14時44分08秒 | 後に殘りし者

 

昭和二十一年の元旦
「 新日本建設に関する詔書 」 という記事が掲載されており、
読みにくい官報発表記事を幾度か読み返した。
・・・
ポツダム宣言受諾のラジオ放送を耳にしたあの暑い夏からわずかまだ四ヶ月だった。
いったい占領軍は何をしようとしているのか、
天皇の身の安全は保障されているのか、
田舎にいては皆目 見当もつかないところへもってきて、元旦からこの発表だ。
史 が目を通した天皇の詔書の前半は、
明治天皇が国是と決めた五箇条の御誓文を紹介し、
天皇自身が誓いも新たに新日本の建設を願う心構えが述べられていた。
驚かされたのはその後に続く文章だった。
「 然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ有リ、
常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。
朕 ト 爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、
終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、
単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。
天皇 ヲ以テ
現御神トシ、
且 日本国民を以テ
他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、
延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ス
トノ 架空ナル観念ニ基クモノニ非ズ 」
史 はさっそく池田町にいる父に手紙を認めた。
「 天皇は国民と共にあって、利害を同じくするのだそうです。
お互いは信頼と敬愛の絆で結ばれていて、
それは神話や伝説に基づくものではないと仰せられています。
天皇のことを神と考えたり、
日本民族が多民族より優秀だと考えて
世界を支配する運命を持っている
といったことは 架空の観念だとおっしゃっております
父上様、
陛下は現御神、つまり現人神、であられることさえも否定されたのです。
史 には到底理解が及びません。」
・・・
瀏は何も答えなかった。

白きうさぎ 雪の山より出て来て
           殺されたれば 眼を開き居り  
・・・齋藤 史 昭和二十三年

昭和二十四年春のこと
「 陛下の人間宣言を栗原たちが聞かないでよかったなあ 」
それが毎日の口癖のようになった。
史 にしても思いは変わらない。
戦地に行って死んだ兵隊さんも、青年将校も ああおっしゃられてはねえ、立つ瀬がないわよ、
と父に相槌を打つのだが、それさえもまたむなしさがこみ上げてくる。
したがって、みんな黙って口を利くのが億劫になる。
・・・・・・・・・・・・
「でもな、俺はあれでよかったと思う。
我々がやったことは確かに不合理なことだった。
陛下が二十七日に本庄におっしゃった有名な御言葉があっただろう。

朕ガ股肱ノ老臣ヲ殺戮ス、
此ノ如キ暴ノ将校等、
其精神ニ於テモ何ノ恕スベキモノアリヤ

お前も覚えておるだろう。
確かに陛下は股肱を殺されたとお考えあそばされた。
だがな、陛下からご覧になれば股肱でも、我々から見れば君側の奸だった。
陛下のお考えは極めて理にかなつたことだったと俺は思う。
だから、合理と不合理のぶつかり合いを起こしたのさ。
維新なんてものは、合理じゃ片付かんよ。
勝つことを計算しない、後の人事も見返りも考えないのだから不合理な行動さ。
だからよかったんだ」
こんどは 史 が何も答えられなかった。
縁側に座って遠い過去の不合理な行動を思い起こし、
うなずいている父の背中を 史 はながめていた。
そして、天皇に見捨てられた栗原たちを、
父だけは見捨てていないことを 
史 は誇らしく思っていた。

ある日より 現神は人間となりたまひ
        年号長く 長く続ける昭和 
・・・齋藤 史 昭和五十九年

昭和維新の朝(あした) 工藤美代子著 から


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