あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

齋藤史の二・二六事件 1 「 ねこまた 」

2020年12月17日 06時42分08秒 | 後に殘りし者


栗原大佐の一家も退いて、同じ渋谷に住んでおり、
「 少年 」 の 彼はいつか陸軍の少尉になっていたのです。
「 少女 」 の わたくしは、
親の職業は裏がわかりすぎるのでいやだ・・などという女になっておりましたが、
親しさは別物で、ことに同年の友達というものはある時女が姉のような口をきき、
ある時は男の方が兄の顔をしたりするものでした。

栗原がまだ少尉の頃のはなしでございます。
或夜、母とわたくしとで雑談をしている時でした。
「 ねえ、おばさん。お召の丹前って、いくらくらいするもんですか 」
と 言い出すのです。
「 それは、何のはなしなの 」
母が聞き返しました。
「 鳥森の芸者がね、それをいきなり届けさせて来たんですよ。
もらっていいかどうかもわからないし、返した方がいいんですか?」
たぶん宴会か何かで知り合った・・というほどの相手らしいのです。
「 まあまあ、それはおやすくない
--」
と 母がからかうと、彼、てれました。
「 お返しをしなきゃ、わるいでしょう。弱ってんだ 」
「 突っ返すのもやぼだと思ったら、一応もらっといて、それからまた考えたら、どうなの 」
と わたくし。
「 写真もね、くれたんだ 」
「 わっ、そりゃ、いよいよ--」
「 持っているんでしょ。見せてごらん 」
と 母。
彼は名刺入れから御座敷者の写真を出してみせました。
「 ふうん。思ったほど美人じゃないね 」
と 母は遠慮しません。
「 そうかなあ。ちゃんと着物 着て出てくると、きれいに見えるんだがなあ 」
と、少し残念そうな声を出します。
わたくしが受取ってみると、ぽっちゃりとした・・つまり小またの切れ上った東京芸者とはいえない、
しろうとのような女ひとでした。
すこし男に惚れっぽいタイプ・・と 見たのは、わたくしの方がませていたのかも知れません。
それは言わず
「 やさしそうなひとじゃないの 」
と 取りなしました。
そして思ったのです。
・・自分の家では、きっと、こんなはなしは持ち出さないだろうに・・と。
ちょっと離れた者のほうが話しやすい・・そんな具合なのだな・・と。

また、わたくしが、
一応その頃の若い者のスタイルで 「 資本論 」 など持っているのを見つけまして、
「 これ、きみが読むの 」
と 念を押しましたが、そのあと、猛烈にそうした思想書を読み始める。
・・栗原の父が心配して瀏のところに相談にくるくらいでした。
でも、わたくしには解って居りました。
その頃、部下の中に先鋭な左翼の一人が兵隊として入って来たのです。
しかもこの先鋭分子が、三重県に居た頃の彼にもわたしにも同級生。
おなじように軍人の子であったのは皮肉ともいえました。

軍人以外のいろいろな世界を、彼は急速に学び取り、身につけて、
目ざましいはやさで成長してゆくのが感じられました。
部下を抱え、中尉になり、二十代のなかばを過ぎると、
いつも彼が兄の姿勢を取る場合が多くなり、
また、そのほうが、史公にもクリコにも具合がよかったのです。
たとえば、外に遊びに出たときは 「 妹です 」 と 言ってすましています。
打合わせたわけでもありませんが、
「 兄がお世話さまー」
調子を合わせてことが運びました。
そのうちにわたくしは、医者の卵である堯夫と結婚を致しました。
血は続きませんが親類(祖母てるの姪の子)でもあり、
子供の頃から知って居りましたのでございます。

ねこまた
日曜日、栗原はまるで自分の家へ帰ってくるような
「 ただいまー 」 という調子で玄関から入ってまいります。
「 堯夫さんいる?おじさんは?・・・」
ずうっと茶の間へ来るなり、
「 やあ、よかった。ひるめしに間にあった 」
自分のいつもの場所に坐って
「 おかずは?なあんだ、ねこまたかー 」
予備の軍人の家のこと、くらしはつましいもので、当時いちばん安かった塩鮭です。
猫もまたか、と またいで通る・・というくらいのもので、
「 おや、ねこまたでわるかったわねえ。いやならこっちへ御返しー 」
母がふざけてお皿を取り上げるふりをします。
「 おーっとっと。これを取られてなるものかー 」
大急ぎで引寄せて
「 史公、わらってないで、何とかしろよ。みんなの分あるのかい 」
「 あるのよ。ねこまたなら 」
「 まったく、ゆだんもすきも出来ないよ、このうちは。ねえ堯夫さん 」
茶の間の賑やかさに、呼びに行くのを待ち切れなくなった父が、自分の部屋から出て来ますと、
ちょっと形をあらためて
「 お暑うございます 」
そうしたところは、きちんとしているのでした。
「 やあ お暑う。・・なんだ、ねこまた問答かー」
「 あっ、聞えたか!」
そしてきれいに食べ終ると
「 ごちそうさま。ああうまかった 」
彼がやってくると、家内中が何となく陽気になって、笑い声でいっぱいになるのでした。
これがまた腕よりも、口マアジャン・・というほうで、勝ったり、勝たれたり、
いいよいいよ、勝たして上げますよ・・だったりです。
もちろん子供の遊びのような、
ただの点取りだけの他愛ないものなのですが、けっこう大さわぎなのでした。
彼がマアジャンを覚えたのはわたくしの家がはじめてだったのですが、
持ち前の気性でぐいぐい腕を上げました。
どこかのクラブの大会にとびこんで三等になり、
賞品もらったよ、などというので、びっくりしたものです。

お友達をさそって来ることもありました。
中橋基明
栗原と同じ佐賀県出身の、陸軍少将の次男で、のちの同志の一人ですが、
おとなしい人で、マアジャンはよく知らないからと、そばで見て居ながら、
わたくし達の口のやりとりに、笑うのでした。
しかし、そのうちに、彼の内部が、何かにとらわれてゆくのが感じられるようになったのです。
どんなに楽しそうにしていても、以前のように心から手放しにはなっていない。
むしろ、この家へ来た時だけは、自分を解放できる。
その場を求めるようでもあり、
もっとのちには、
強いてひととき何も彼も押しやって自分を休めようとする・・のを感じるようになりました。
それが解っていても、わたくしには、どうしようも無かったのでございます。

栗原の男の世界は、わたくしとは別のところに在り、
こちらも入っては行きませんでしたし、また女をさそう人でもなかったのでした。
ただ、こういうことはございました。
あるとき、突然、なにげなく、本当になにげなく、
わたくしの掌の上に小さい箱を渡そうとしました。
わたくしも何の気もなく受け取ろうとしますと、
「 ちょっと重いぞー 」
と 注意しました。
名刺の箱くらいの、それは、たしかに持ち重りがし、
蓋を開けると、びっしりとピストルの実弾が入っていたのです。
「 ----- 」
何も見なかったようにごく普通の顔でそれを彼にかえし、
彼もごく普通にそれを収めました。
それを、何処へ持っていったか、どこにあずけたか、わたくしは知りません。
聞くこともしなかったのでございます。

齋藤史著  遠景 近景 から
次頁  齋藤史の二・二六事件 2 「 二・二六事件 」   に 続く


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