昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

亡き戦友の声

2015年01月08日 10時26分43秒 | 9 昭和の聖代


歴日は思い出せないが
戦後はじめて宮中参賀が許されたので、千葉県のいなか町の野田からさっそく上京した。
久し振りに見る宮城前の広場、明朗会の壮烈な集団自決はあそこだった、
武装せる軍隊として最後のお別れの敬礼をしたのはこの附近だったなあと、
懐旧の情に浸りながら 多くの人々のなかに混じって二重橋を渡った。
記帳して広場の後ろの堤防に近いところで陛下のお出ましを待っていると、
近くでキャーキャーと嬌声をあげながら、白黒の米兵とふざけている二人の女性がいる。
見るに耐えなぬ状況に今まで数回会ったことだし、
こんな風景はいなかの街頭でもよく見かけることなんて
なんら異とするにたらないが、時と場所柄をわきまえぬかと苦々しく思った。
やがて陛下がお出ましになり 期せずして万才の声が起こった。
陛下は手を挙げてお答えになる。
「 あら、天ちゃんが手を振っている 」
複雑な感情をこめた声が聞こえた。
見るとすぐ近くに、先刻までふざけていた女が悲しいような、懐かしいような表情で、
目に涙をためてジッと陛下を見つめている。
ハッと閃くものを感じた----遺族だと。
私は戦死した人々の顔が浮び、声が聞こえるように思った。
「 陛下、何百万という多くの人が死にましたが、誰一人東条英機のために死んだのではありません。
その多くは、その日の糧にも困る名もなき民です。これをお忘れ下さいますな 」
と、私は心の中で叫んだ。
君が代が起こった。
私も唱い出した。
目は涙に曇って陛下のお姿は霞んで遥か彼方に拝する。
何かポツンと私一人でいるように覚えた。
万才の声でわれに返って横を見ると、二人の女が涙を流しながら何かつぶやいている。
「 大丈夫だ。日本はまだ大丈夫だ。必ず再興するよ 」
と、戦死せる人々に向って私は叫んだ。
この日に、日本は必ず復興するという自信を深めた。
昭和二十三年 ( 1948年1月8日) 戦後最初の一般参賀
佐々木二郎 著
一革新将校の半生と磯部浅一
から


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