あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

佐々木二郎大尉の相澤中佐事件

2018年05月21日 09時25分48秒 | 佐々木二郎

 
犯人は某中佐

八月十二日、相沢中佐の永田軍務局長斬殺事件が突発した。
○○中佐と名前が紙上で伏せてあるので、私のように深い関係のない者は誰がやったのかわからなかった。
今その人を思い出せぬが佐官の人が 「 相沢中佐 」 だというのを聞いた。
数日後、将校集会所の黒板に斬殺現場の図面入りのものを張り付けた者がいた。
若い者は 「 やるなー 」 といったような口吻を洩らし、
左官級は ちょっと とまどった表情でこれを眺めていた。
 
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永田伏誅ノ眞相 
いろいろの文章が流れて来た。
永田が切られて隣室へ逃げようと把手をとるとき、向う側で把手を握っていた者がいたとか、
同室の憲兵大佐が一振りに振り飛ばされて気絶したとか、
事が終わって相沢中佐が階段を下りかかると、根本中佐が飛んで来たとか、
胸のすくような相沢中佐の斬撃振りと、周章狼狽の幕僚の行動を冷笑したものである。
この事件は、今まで権力の座にふんぞり返っていた幕僚に対する、
見方の眼の色を変えたようであった。
暗殺! 単身 白昼堂々と陸軍省の軍務局長室で局長を斬る、
ちょっと類のない珍しい暗殺だ。
用心とか、緻密な計算とか、およそ そんなもののない やり方、
しかも それで人心の虚をついている。
この人は 何かを掴んでいる信念の人だなと思った。
と ともに 軍の危機を感じた。

この事件と磯部はいかなる関連にあるのだろうか?
たぶん知らぬだろう。
知っておれば磯部自身がやるだろう。
この後、磯部はかき立てられる思いをするだろうが、
西田、大蔵、村中、安藤もおるから軽挙はないと判断した。
ただ、この事件を機に、その原因を徹底的に究明して、これを最後の直接行動にすべきだと思った。
「 相澤中佐の片影 」 が 送られて来た。
リンク
行動記 ・ 第一 「 ヨオシ俺が軍閥を倒してやる 」 
相澤中佐片影
興味を覚えた人物であったから、私と池田中尉とでガリ版で刷って配布した。
これが初めての行動である。
私は元来陸軍部内の派閥というものには関心はなかった。
荒木、柳川、小畑とか、宇垣、南、小磯、永田とか、
このような上層部の人々には一面識もなければ、彼らが何を考え何をなそうとしているのか知る由もない。
田舎の隊附将校とは およそ そんなものである。
ただ、怪文書 ( 双方から来る ) によるものや、上京した折の大蔵、村中たちの話で、
幕僚の権力欲、出世欲には嫌悪の念を抱き、
磯部ら ( 士官学校事件 ) に対する不公平の弾圧には憤慨していた。
この根底には隊附十年間の幕僚に対する認識が根を下ろしていたことは事実である。
秋、間島地方で大尉以上の現地戦術が行われた。
統裁官は連隊長である。
出発の朝、羅南駅にて乗車すると、ホームに柳下参謀長が来て、頭に包帯した連隊長と何か話していた。
昨夜、赤穂家での宴会で連隊長が転んで頭にちょっと怪我をした。
それを参謀長が突き倒したと思ったらしく、帰途合同面に立ち寄り チョンガー連中に、
将校団長が怪我させられたのに黙っておるかと、酔った勢いでいったらしく、
池田、鳥巣憲俊中尉らの血の気の多いのがさっそく立ち上がった。
参謀長を促えて連隊長官舎に行き謝らせた、という一幕があったので、
参謀長がわざわざ駅まで来て、おれは一切君に手を触れてないよと、酔いが醒めた早い時期に釈明して、
しこりを残さないようにしたのだったと車中で聞いた。

 
佐々木二郎 
佐々木二郎 著
一革新将校の半生と磯部浅一 から


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