あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

國體明徴・天皇機關説問題 2 「 一身上の弁明 」

2021年10月23日 19時55分07秒 | 國體明徴と天皇機關説

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貴族院本會議に於て 「 一身上の弁明 」
昭和十年二月二十五日


 菊池武夫
(三)  男爵菊池武夫等の帝國議會に於ける質問
越えて二月十八日
貴族院本會議の國務大臣の演説に對する質疑に於て
菊池議員は社會の木鐸を以て任ずべき帝國大學の教授の著述にして、
皇國の憲法の解釋に關して金甌無欠の國體を破壊するものありとして、
末弘厳太郎教授の著書及び美濃部博士の著書 『 憲法撮要 』 『 逐條憲法精義 』 等を列擧し、
美濃部教授は一木喜徳郎博士の獨逸憲法學説の亜流を汲み、
其の天皇機關説は國體に対する緩慢なる謀叛明なる反逆であつて、
同博士こそは獨逸直輸入の學問を売る学匪なりと痛罵し、
美濃部博士竝其の著書に對する政府の處置如何を質問し、
井上清純、三室戸敬光 兩議院も同様 政府の處信を質した。
之に対し岡田首相は
美濃部博士の著書は、全體を通読しますと國體の観念に於て誤ないと信じて居ります。
唯 用語に穏当ならざる處があるやうであります。
國體の観念に於ては我々と間違つて居ないと、斯う信じて居ります。
或は
私は先程から申上げて居る通り、是は用語が穏当ではありませぬ、
私は天皇機關説を支持して居る者ではありませぬけれども、
學説に對しては、是は私共が何とか申上げるよりは、
学者に委ねるより外仕方がないと思ひます。
と 述べ、
松田文相も亦、
天皇機關説には反對であるが天皇が統治權の主體なりや、
國家の機關なりやに附いては學者間に議論の存するところであるから
學者の論議に委し置くを相當とする旨 答弁し、
本問題に對する政府の態度は極めて消極的回避的なるものが見られた。
美濃部達吉
(四)  美濃部博士の所謂 「 一身上の弁明 」
併し當初 菊池議員の爲した質疑を見るに、
同議員の態度は極めて慎重であり、寧ろ積極性に欠けていたかの観さえ見へた。
即ち色々の學者の色々の著書には
國民思想上香しからぬものがある故政府は宜しく之が取締を爲せとの趣旨を述べたに過ぎなかつたが、
之に對し松田文相が著書と著書を指摘しなければ答弁出來ぬと逆襲した爲、
菊池議員は美濃部、末弘 兩博士の名を口にした程であつて、
若し文相がその時適當な政治的答弁を爲して置けば、
再質問もなく問題は起こらなかつたであらうとの説を爲すものさへあつた程で、
兎に角 問題は未だ急迫したものではなかつたが、
其の後 美濃部博士の態度に火に油を注ぐに等しいものがあつた為爲、
問題は急速度を以て展開されて行つた。
即ち美濃部博士は二月二十五日の貴族院本会議に於て約一時間に亙り
「 一身上の弁明 」 に籍口して
所謂機關説は我國體に背反するが如き不敬凶逆的思想に非ざる所以を釋明し、
自説の正當性を主張した。
其の観念的形式的法律論を以てする精緻せいちな論法には
流石に議場を魅了するものがあつたらしく、
博士は拍手に送られて降壇したのであつたが、
美濃部博士が貴族院に於て而も玉座の御前に於て機關説を論じた事は
却つて日本主義者を初め 國體に目醒めた國民を刺戟し憤起せしめる結果となり、
問題を一層重大化せしめるに至つた。
當時の議事速記録によれば 所謂 「 一身上の弁明 」 は左記の通りであつた。

去る二月十九日の本會議に於きまして、
菊池男爵其他の方から私の著書のことに附きまして御發言がありましたに附き、
玆に一言 一身上の弁明を試むるの已むを得ざるに至りました事は、
私の深く遺憾とする所であります。
菊池男爵は昨年 六十五議會に於きましても、私の著書の事を擧げられまして、
斯の如き思想を懐いて居る者は文官高等試験委員から追拂ふが宜い
と云ふ様な激しい言葉を以て非難せられたのであります。
今議會に於きまして再び私の著書を擧げられまして、
明白な反逆思想であると云はれ、謀反人であると云はれました。
又 学匪賊であるとまで斷言されたのであります。
日本臣民に取りまして
反逆者であり謀反人であると言はれますのは侮辱此上もない事と存ずるのであります。
又 學問を専攻して居ります者に取つて、
学匪と云はれます事は等しく堪へ難い侮辱であると存ずるのであります。
私は斯の如き言論が貴族院に於て公の議場に於て公言せられまして、
それが議長から取消の御命令もなく看過せられますことが
果して貴族院の品位の爲め許される事であるかどうかを疑ふ者でありまするが、
それは兎も角と致しまして 貴族院に於て貴族院の此公の議場に於きまして
斯の如き侮辱を加へられました事に付ては
私と致しまして如何に致しても其ままには黙過し難いことと存ずるのであります。
本議場に於きまして斯の如き問題を論議する事は、所柄甚だ不適当であると存じまするし
又 貴重な時間を斯う云ふ事に費しまするのは、甚だ恐縮に存ずるのでありますし、
私と致しましては不愉快至極の事に存ずるのでありますするが
萬已むを得ざる事と御諒承を願ひたいのであります。
凡そ如何なる學問に致しましても、其の學問を専攻して居りまする者の學説を批判し
其の當否を論じまするには其批判者自身が其學問に附て相當の造詣を持つて居り、
相當の批判能力を備へて居なければならぬと存ずるのであります。
若し例へば私の如き法律學を専攻して居りまする者が 軍學に喙くちばしを容れまして
軍学者の専門の著述を批評すると云ふ様なことがあると致しますならばそれは、
唯物笑に終るであらうと存ずるのでありますが
菊池男爵の私の著に附て論ぜられて居りまする所を速記録に依つて拝見いたしますると
同男爵が果して私の著書を御通讀になつたであるか
仮りに御讀みになつたと致しましても、
それを御理解なされて居るのであるかと云ふ事を深く疑ふものであります。
恐らくは或他の人から斷片的に私の著書の中の或片言隻句を示されて、
其前後の聯絡も顧みず、
唯其或片言隻句だけを見て、
それをあらぬ意味に誤解されて
輕々と是は怪しからぬと感ぜられたのではなからうかと想像されるのであります。
若眞に私の著書の全體を精讀せられ 又 當にそれを理解せられて居りますならば
斯の如き批判を加へらるべき理由は斷じてないものと確信いたすのであります。
菊池男爵は私の著書を以て我國體を否認し君子主権を否定するものの如くに論ぜられて居りますが
それこそ實に同君が私の著書を讀まれて居りませぬか
又は讀んでもそれを理解せられて居られない 明白な證拠であります。
我が憲法上、國家統治の大權が 天皇に属すると云ふ事は
天下萬民一人として之を疑ふべき者のあるべき筈はないのであります。
憲法の上論には
「 國家統治ノ大權ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル處ナリ 」
と明言して居ります。
又 憲法第一條には
「 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス 」
とあります。
更に第四條には
「 天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條記ニ依リ之ヲ行フ 」
とあるのでありまして、
日月の如く明白であります。
若し之をして否定する者がありますならば、
それには反逆思想がある云はれても餘儀ない事でありませうが、
私の著書の如何な場所に於きましても之を否定して居る所は決してないばかりか、
却てそれが日本憲法の最も重要な基本原則であることを繰返し説明して居るのであります。
例へば菊池男爵の擧げられました憲法精義十五頁から十六頁の所を御覧になりますれば、
日本の憲法の基本主義と題しまして其最も重要な基本主義は
日本の國體を基礎とした君主主權主義である。
之は西洋の文明から伝はつた立憲主義の要素を加へたのが日本の憲法の主要な原則である。
即ち君主主權主義に加ふるに立憲主義を以てしたのであると云ふ事を述べて居るのであります。
又それは萬世動かすべからざるもので日本開闢かいびゃく以來曾て變動のない、
又 將來永遠に亙つて動かすべからざるものであると云ふ事を言明して居るのであります。
他の著述でありまする憲法撮要にも同じ事を申して居るのであります。
菊池男爵は御擧げになりませんでありましたが
私の憲法に関する著述は其外にも明治三十九年には既に日本國法學を著して居りまするし、
大正十年には日本憲法第一巻を出版して居ります。
更に最近昭和九年には日本憲法の基本主義と題するものを出版いたして居りまするが、
是等のものを御覧になりましても
君主主權主義が日本の憲法の最も貴重な最も根本的な原則であると云ふ事は
何れに於きましても詳細に説明いたして居るのであります。
唯それに於きまして憲法上の法理論として問題になりまする点は、
凡そ二點を擧げる事が出來るのであります。
第一點は、
此天皇の統治の大權は、
天皇の御一身に属する權利として観念せらるべきものであるが、
又は 天皇が國の元首たる地位に於て總攬し給ふ權能であるかと云ふ問題であります。
一言で申しますならば、
天皇の統治の大權は法律上の観念に於て
權利と見るべきであるか
權能と見るべきであるか
と云ふ事に歸するのであります。
第二點は、
天皇の大權は
絶對に無制限な万能の權力であるか、
又は 憲法の條章に依つて行はせられまする制限ある權能であるか、
此の二點であります。
私の著書に於て述べて居りまする見解は、
第一には、天皇の統治の大權は法律上の観念としては權利と見るべきものではなくて、
權能であるとなすものでありまするし、
又 第二に萬能無制限の權力ではなく、
憲法の條紀によつて行はせられる權能であるとなすものであります、
此の二つの点が菊池男爵其他の方の御疑を解く事に努めたいと思ふのであります。
第一に
天皇の國家統治の大權は
法律上の観念として
天皇の御一身に属する權利と見るべきや 否や
と云ふ問題でありますが、
法律学の初歩を學んだ者の熟知する處でありますが
法律學に於て權利と申しまするのは利益と云ふ事を要素とする観念でありまして
自己の利益の爲に・・・・自己の目的の爲に存する法律上の力でなければ
權利と云ふ観念には該當しないのであります。
或人が或權利を持つと云ふ事は其力を其人自身の利益の爲に、
言換れば其人自身の目的の爲に認められて居ると云ふ事を意味するのであります。
即ち權利主體と云へば利益の主體目的の主體に外ならぬのであります。
從つて國家統治の大權が 天皇の御一身の權利であると解しますならば、
統治權が 天皇の御一身の利益の爲め、御一身の目的の爲め
に 存する力であるとするに歸するのであります。
さう云ふ見解が果して我が尊貴なる國體に適するでありませうか。
我が古來の歴史に於くまして如何なる時代に於ても天皇が御一身一家の爲に、
御一家の利益の爲に統治を行はせられるものであると云ふ様な
思想の現はれである事は出來ませぬ。
天皇は我國開闢以來天の下しろしめす大君と仰がれ給ふのでありますが、
天の下しろしめすのは決して御一身の爲ではなく、
全國家の爲であると云ふ事は古來常に意識せられて居た事でありまするし、
歴代の天皇の大詔の中にも、其の事を明示されて居るものが少なくないのであります。
日本書紀に見えて居りまする崇神天皇の詔には
「 惟フニ我ガ皇祖諸々ノ天皇ノ宸極ニ光臨シ給ヒシハ豈一身ノ爲ナラズヤ
蓋シ人神ヲ司牧シテ天下ヲ經倫スル所以ナリ 」
とありまするし、
仁徳天皇の詔には
「 其レ天ノ君ヲ立ツルハ是レ百姓ノ爲ナリ 然ラハ則チ君ハ百姓ヲ以テ本トス 」
とあります。
西洋の古い思想には國王が國を支配する事を以て恰も國王の一家の財産の如くに考へて、
一個人が自分の權利として財産を所有して居りまする如くに、
國王は自分の一家の財産として國土國民を領有し 支配して、
之を子孫に伝へるものであるとして居る時代があるのであります。
普通に斯くの如き思想を家産國思想、「 パトリモニアル、セオリイ 」 家産説、
家の財産であります家産説と申して居ります。
國家を以て國王の一身一家に属する權利であると云ふ事に歸するのであります。
斯の如き西洋中世の思想は、日本古來の歴史に於て曾て現はれなかつた思想でありまして、
固より我國體の容認する所ではないのであります。
伊藤公の憲法義解の第一條の註には
「 統治は體位に居り大權を統へて國土及臣民を治むるなり 」
・・・中略・・・
「 蓋 祖宗 其の天職を重んじ、
君主の徳は八州臣民を統治するに在つて
一人一家に享奉するの私事にあらざる事を示されたり、
是れ即ち憲法の依て以て基礎をなす所以なり 」
とありますのも、
是も同じ趣旨を示して居るのでありまして
統治が決して 天皇の御一身の爲に存する力ではなく、
從て法律上の観念と致しまして
天皇の御一身上の私利として見るべきものではない事を示して居るのであります。
古事記には天照大神が出雲の大國主命に問はせられました言葉といたしまして
「 汝カ ウシハケル葦原ノ中ツ國ハ我カ御子ノシラサム國 」
云々とありまして 「 ウシハク 」 と云ふ言葉と書き別けしてあります。
或國学者の説に依りますと、
「 ウシハク 」 と云ふのは私領と云ふ意味で 「 シラス 」 は統治の意味で
即ち天下の爲に土地人民を統べ治める事を意味すると云ふ事を唱へて居る人があります。
此説が正しいかどうか私は能く承知しないのでありますが
若し仮りにそれが正當であると致しまするならば、
天皇の御一身の權利として統治權を保有し給ふものと解しまするのは即ち
天皇は國を 「 シラシ 」 給ふのではなくして 國を 「 ウシハク 」 ものにするに歸するのであります。
それが我が國體に適する所以でない事は明白であらうと思ひます。
統治權は、天皇の御一身の爲に存する力であつて
從つて 天皇の御一身に属する私の權利と見るべきものではないと致しますならば、
其權利の主體は法律上何であると見るべきでありませうか、
前にも申しまする通り權利の主體は即ち目的の主體でありますから、
統治の權利主體と申せば即ち統治の目的の主體と云ふ事に外ならぬのであります。
而して 天皇が天の下しろしまするのは、天下國家の爲であり、
其の目的に歸属する處は永遠恆久の團體たる國家であると観念いたしまして
天皇は國の元首として、言換えれば、
國の最高機關として此國家の一切の權利を總攬し給ひ、
國家の一切の活動は立法も司法も總て 天皇に其最高の源を發するものと観念するのであります。
所謂機關説と申しまするのは、
國家それ自身で一つの生命あり、
それ自身に目的を有する恆久的の團體、
即ち 法律学上の言葉を以てせば 一つの法人と観念いたしまして
天皇は此法人たる國家の元首たる地位に存しまし 國家を代表して國家の一切の權利を總攬し給ひ
天皇が憲法に從つて行はせられまする行爲が、
即ち國家の行爲たる効力を生ずると云ふことを傳ひ表はすものであります。
國家を法人と見ると云ふことは、勿論憲法の明文には掲げてないのでありまするが、
是は憲法が法律學の教科書ではないと云ふことから生ずる當然の事柄でありますが
併し憲法の條文の中には、國家を法人と見なければ説明することの出來ない規定
は 少なからず見えて居るのであります。
憲法は其の表題に於て既に大日本帝國憲法とありまして、
即ち國家の憲法であることを明示して居りますのみならず、
第五十五條及び第五十六條には 「 國務 」 といふ言葉が用いられて居りまして、
統治の總ての作用は國家の事務であると云ふことを示して居ります。
第六十二條第三項には 「 國債 」 及び 「 國庫 」 とありまするし、
第六十四條及び第七十二條には 「 國家ノ歳出歳入 」 といふ言葉が見えて居ります。
又 第六十六條には、國庫より皇室經費を支出すべき義務のあることを認めて居ります。
總て此等の字句は國家自身が公債を起し、歳出歳入を爲し、自己の財産を有し、
皇室經費を支出する主體であることを明示して居るものであります。
即ち國家それ自身が法人であると解しなければ、到底説明し得ない處であります。
其の他國税と云ひ、國有財産といひ、國際條約といふやうな言葉は、
法律上普く公認せられて居りますが、
それは國家それ自身の租税を課し、財産を有し、
條約を結ぶものであることを示しているものてあることは申す迄もないのであります。
即ち國家それ自身が一つの法人であり、權利主體であることが、
我が憲法及び法律の公認するところであると云はねばならないのであります。
併し法人と申しますると一つの團體であり、無形人でありますから、
其の權利を行ひまする爲には、必らず法人を代表するものがあり、
其の者の行爲が法律上法人の行爲たる効力を有する者でなければならぬのでありまして、
斯くの如き法人を代表して法人の權利を行ふものを、法律学上の観念として法人の機關と申すのであります。
率然として 天皇が國家の機關たる地位に在はしますといふやうなことを申しますると、
法律学上の知識のない者は、或は不穏の言を吐くものと感ずる者があるかも知れませぬが、
其の意味するところは 天皇の御一身一家の權利として、統治權を保有し給ふのではなく、
それは國家の公事であり 天皇は御一身を以て國家を體現し給ひ、
國家の總ての活動は 天皇に其の最高の源を發し 天皇の行爲が 天皇の御一身上の私の行爲としてではなく、
國家の行爲として、効力を生ずることを言ひ表はすものであります。
例へば 憲法は明治天皇の欽定に係るものでありますが、
明治天皇御一個御一人の著作物ではなく 其の名稱に依つても示されている通り
大日本帝國の憲法であり、國家の憲法として永久に効力を有するものであります。
條約は憲法第十三條に名言して居ります通り、天皇の締結し給ふところでありまするが、
併し それは國際条約即ち國家と國家との條約として効力を有するものであります。
若し所謂機關説を否定いたしまして、統治權は 天皇御一身に属する權利であるとしますならば、
その統治權に基いて賦課せられまする租税は國税ではなく、
天皇の御一身に属する収入とならなければなりませぬし、
天皇の締結し給ふ條約は國際條約ではなくして、
天皇御一身としての契約とならねばならぬのであります。
その外 國債といひ、國有財産といひ、國家の歳出歳入といひ、
若し統治權が國家に属する權利であることを否定しまするならば、
如何にしてこれを説明することが出來るのでありませうか。
勿論統治權が國家に属する權利であると申しましても
それは決して天皇が統治の大權を有せられることを否定する趣旨ではないことは申す迄もありません。
國家の一切の統治權は 天皇の總攬し給ふことは憲法の名言しているところであります。
私の主張しますところは只 天皇の大權は天皇の御一身に属する私の權利ではなく、
天皇が國家の元首として行はせらるる權能であり、
國家の統治權を活動せしむる力、
即ち統治の總べての權能が 天皇に最高の源を發するものであるといふに在るのであります。
それが我が國體に反するものではないことは勿論、
最も良く我が國體に適する所以であらうと固く信じて疑はないのであります。
第二點に我が憲法上、天皇の統治の大權は萬能無制限の權力であるや否や、
この点に就きましても我が國體を論じまするものは、
動もすれば 絶對無制限なる萬能の權力が 天皇に属していることが我が國體に存する處なる
と云ふものがあるのでありますが、
私は之を以て我が國體の認識に於て大いなる誤りであると信じているものであります。
君主が万萬能の權力を有するといふやうなのは、これは純然たる西洋の思想である。
「 ローマ 」 法や十七、八世紀のフランスなどの思想でありまして、
我が歴史史上に於きましては如何なる時代に於ても、
天皇の無制限なる萬能の權力を以て臣民に命令し給ふといふやうなことは曾て無かつたことであります。
天の下しろしめすといふことは、
決して無限の權力を行はせられるといふ意味ではありませぬ。
憲法の上論の中には
「 朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ 」
云々と仰せられて居ります。
即ち歴代天皇の臣民に對する関係を 「 恵撫慈養  」 と云ふ言葉を以て御示しになつて居るのであります。
況や 憲法第四條には
「 天皇ハ國ノ
元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ 」
と明示されて居ります。
又 憲法の上論の中にも、
「 朕及朕カ子孫ハ將來此ノ憲法ノ條章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ 」  あやまらざるべし
と仰せられて居りまして
天皇の統治の大權が憲法の規定に従つて行はせられなければならないものであると云ふ事は明々白々
疑を容るべき餘地もないのであります。
天皇の帝國議會に對する關係に於きましても亦憲法の條規に從つて行はせらるべきことは
申す迄もありませぬ。
菊池男爵は恰も私の著書の中に、
議會が全然 天皇の命令に服從しないものであると述べて居るかの如く
に論ぜられまして、
若しさうとすれば解散の命があつても、それに拘らず會議を開くことが出來ることになる
と云ふやうな議論をせられて居るのでありまするが、
それも同君が曾つて私の著書を通讀せられないか、又は讀んでも之を理解せられない明白な證拠であります。
議會が 天皇の大命に依つて召集せられ、又 開会、閉会、停会 及 衆議院の解散を命ぜられることは、
憲法第七條に明に規定して居る所でありまして、
又 私の書物の中にも縷々説明して居る所であります。
私の申して居りまするのは唯是等憲法 又は法律に定つて居りまする事柄を除いて、
それ以外に於て即ち憲法の條規に基かないで、
天皇が議會に命令し給ふことはないと言つて居るのであります。
議會が原則として 天皇の命令に服するものでないと言つて居りまするのは其の意味でありまして
「 原則として 」 と申しますのは、
特定の定あるものを除いてと云ふ意味であることは言ふ迄もないのであります。
詳しく申せば 議會が立法又は豫算に協賛し緊急命令其の他を承諾し
又は上奏及建議を爲し、質問に依つて政府の弁明を求むるのは、
何れも議會の自己の獨立の意見に依つて爲すものであつて、
勅命を奉じて勅命に従つて之を爲すものではないと言ふのであります。
一例を立法の協賛に取りまするならば、
法律案は或は政府から提出され、或は議院から提出するものもありまするが、
議院提出案に附きましては固より君命を奉じて協賛するものでないことは言ふ迄もないことであります。
政府提出案に附きましても、
議會は自己の獨立の意見に依つて之を可決すると否決するとの自由を持つていることは、
誰も疑はない所であらうと思ひます。
若し議會が 陛下の命令を受けて、
其命令の儘 可決しなければならぬもので、
之を修正し 又は否決する自由がないと致しますれば、
それは協賛とは言はれ得ないものであり、
議会制度設置の目的は全く失はれてしまふ外はないのであります。
それであるからこそ憲法第六十六條には、
皇室經費に附きまして特に議會の協賛を要せずと明言せられて居るのであります。
それとも菊池男爵は議會に於て政府提出の法律案を否決し、其の協賛を拒んだ場合には、
議會は違勅の責を負はなければならぬものと考へておいでなのでありませうか。
上奏、建議、質問等に至りまして、君命に従つて之を爲すものでないことは固より言ふ迄もありませぬ。
菊池男爵は其御演説のなかに、
陛下の御親任に依つて大政輔弼の重責に當つて居られまする國務大臣に對して、
現内閣は儀表たるに足らない内閣であると判決を下すより外はないと言はれまするし、
又 陛下の至高顧問府たる樞密院議長に対しても、極端な惡言を放たれて居ります。
それは畏くも 陛下の御任命が其の人を得て居られないと云ふことに外ならないのであります。
若し議會の獨立性を否定いたしまして、
議會は一に勅命に従つて其の機能を行ふものとしまするならば、
陛下の御親任遊ばされて居ります是等の重臣に對し、如何にして斯の如き非難の言を吐くことが、
許され得るでありませうか。
それは議會の獨立性を前提としてのみ説明し得らるる所であります。
或は又
私が議會は國民代表の機關であつて、天皇から權限を与へられたものではない
と言つて居るのに對して甚しい非難を加へて居るものもあります。
併し 議會が 天皇の御任命に係る官府ではなく、
國民代表の機關として設けられて居ることは一般に疑はれない所であり、
それが議會が旧制度の元老院や今日の樞密院と法律上の地位を異にする所以であります。
元老院や樞密院は、天皇の官吏から成立つて居るもので、
元老院議官と云ひ、樞密院顧問官と云ふのでありまして
官と云ふ文字は、天皇の機關たることを示す文字であります。
天皇が之を御任命遊ばされまするのは、即ち其の權限を授与せらるる行爲であります。
帝国議會を構成しまするものは之に反して、議員と申し 議官とは申しませぬ。
それは 天皇の機關として設けられて居るものではない證拠であります。
再び憲法義解を引用いたしますると、
第三十三條の註には
「 貴族院は貴紳を集め 衆議院は庶民に選ぶ 兩院合同して
 一の帝國議會を成立し以て全國の公議を代表す 」
とありまして、
即ち全國の公議を代表する爲に設けられて居るものであることは
憲法義解に於ても明に認めて居る所であります。
それが元老院や樞密院のやうな、
天皇の機關と區別せられねばならぬことは明白であらうと思ひます。
以上述べましたことは憲法学に於て極めて平凡な眞理でありまして、
學者の普通に認めて居る所であり、
又 近頃に至つて初めて私の唱へ出したものではなく、
三十年來既に主張し來つたものであります。
今に至つて斯の如き非難が本議場に現はれると云ふやうなことは、
私の思も依らなかった所であります。
今日此席上に於て斯くの如き憲法の講釋めいたことを申しますのは甚だ恐縮でありますが、
是も萬止むを得ないものと御諒察を願ひます。
私の切に希望いたしまするのは、若し私の學説に付て批評せられまするならば
處々から拾ひ集めた斷片的な方言隻句を捉へて徒に讒誣中傷の言を放たれるのではなく、
眞に私の著書の全體を通讀して、前後の脈絡を明にし、眞の意味を理解して
然る後に批評せられたいことであります。
之を以て弁明の辞と致します。 ( 拍手 )

此演説は流石に議場を壓し、
排撃の議員間にすら これなら差支へないではないかとの私語が交わされたと
噂されている位である。

昭和十四年度思想研究員として玉川光三郎検事執筆のもの
「 思想研究資料特輯 」 第七十二号として昭和十五年一月、司法省刑事局で極秘刊行された。
所謂 「 天皇機関説 」 を契機とする国体明徴運動  より
第四章  国体明徴運動の第一期  第一節 所謂「 天皇機関説 」 問題の発生

現代史資料4  国家主義運動1  から

次頁 国体明徴・天皇機関説問題 3 「 機関説排撃 」 に 続く