あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

國體明徴・天皇機關説問題 1 「 そもそも 」

2021年10月24日 10時13分03秒 | 國體明徴と天皇機關説

 美濃部達吉
(一)  美濃部博士の態度
・・・帝國憲法は其の起案綱領中に
一、聖上親ラ大臣以下文武之重臣ヲ採擇進退シ玉ヲ事付
内閣宰臣タル者ハ議員ノ内外ニ拘ラザルコト
内閣ノ組織ハ議院ノ左右スル所ニ任ゼラルベシ
とあり、
又 綱領に副へられた意見書にも
政黨政治、議院内閣制の國體に副はざる所以が強調されている通り、
起草当時既に國體上から政黨内閣を排斥していた事は極めて明瞭であつて、
「 憲法義解 にも
彼の或國に於て内閣を以て團結の一體となし
大臣は各個の資格を以て參政するに非ざる者とし
連帯責任の一點に偏傾するが如きは
其の弊 或は党援聯絡の力遂に以て 天皇の大權を左右するに至らむとす
此れ我が憲法の取る所に非ざるなり。
と 述べている。
往年憲法論爭の華かなりし頃、
恰も黨政治樹立を目指す運動の旺盛期であり、
資本主義の躍進的發展による自由主義思想の全面的横溢期であったが、
美濃部博士は當時の思潮に乗り、
自由主義的法律論の上に立つて自己の 所謂 「 天皇機關説 」 を唱導し、
自らの學説を通説たらしめると共に
民主主義的なその學説によつて政黨政治家掩護えんごの重要役割を演じ
彼等に學問的根拠を与へた爲、制定當時の憲法の精神は著しく歪曲された。
美濃部博士は自己の學説が支配的となつた後は、
恰も政黨政治家の御用学者たるの観を呈し、
ロンドン條約を繞めぐる統帥權干犯問題に國論沸騰した當時に於ても、
統帥權の獨立といふことは、
日本の憲法の明文の上には、何等の直接の根拠の無いことで、

單に憲法の規定からいへば、
第十一條に定められて居る陸海軍統帥の大權も、
第十二條に定められて居る陸海軍編制の大權も同じやうに、
天皇の大權として規定せられて居り、
しかして第五十五條によれば 天皇の一切の大權について、
國務大臣が輔弼の責に任ずべきものとせられて居るのであるから、
これだけの規定を見ると、
統帥大權も編制大權も等しく國務大臣の責任に属するものと
解釋すべきやうである。
しかし憲法の正しい解釋は・・・( 中略 )
・・・統帥大權は一般の國務については國務大臣が輔弼の責に任ずるに反して、
統帥大權については、國務大臣は其の責に任ぜず、
いはゆる 「 帷幄の大令 」 に属すものとされて居るのであつて、

憲法第五十五條の規定は統帥大權には適用せられないのである。
・・・( 中略 ) ・・・
帷幄上奏と編制大權との關係は如何が問題となるのであるが、
帷幄上奏は 大元帥陛下に對する上奏であり、
これが御裁可を得たとしても、それは軍の意思が決せられたに止り、
國家の意思が決せられたのではない。
それは軍事の専門の見地から見た軍自身の國防計劃であつて、
これを陸軍大臣又は海軍大臣に移牒するのは、
唯國家に対する軍の希望を表示するものに外ならぬ。
これを國家の意思として如何なる限度にまで採用すべきかは
なほ内外 外交財政經濟その他政治上の観察點から考慮せられねばならぬもので、
しかしこれを考察することは内閣の職責に属する。
・・・( 中略 )・・・
たとひそれが帷幄上奏によつて御裁可を得たものであるとしても
法律上からいへば
それはただ軍の希望であり 設計であつて
國家に対して重要なる參考案としての価値を有するだけである。
・・・( 中略 )・・・
内閣はこれと異なつた上奏をなし、勅裁を仰ぐことはもとよりなし得る所でなければならぬ。
( 「 東京朝日新聞 」 昭和五年五月二日乃至五月五日附朝刊所載 )
と 論じて、
時の浜口首相が海軍軍令部の意見を無視し、
内閣に於て妥協案支持を決定して回訓の電報を發したと稱せられ、
非難の的となつた政府の処置を、得意な憲法理論を以て法律上妥當な処置であると庇護し、
大に政府の弁護に努めた。
又 政黨政治に対して、國民が漸く疑惑の眼を以て眺めるに至つて後も、
『 議會政治の檢討 』 『 現代憲政評論 』 等の著述に於て、
政黨政治は唯 天皇統治の下に於て、大權輔弼の任に當る内閣の組織につき、
議會の多數を制する政當に重きを置くことを要望する趣旨に外ならず、
而も近代的の民主政治の思想は、能く我が國體と調和し得べきは勿論、
實に我が憲法に於ても主義としている所であると主張して、
政黨政治擁護の論議を爲している。
昭和九年七月の齋藤内閣を崩壊せしめた所謂帝人事件を繞る人権蹂躙問題に關しても、
美濃部博士は翌十年一月二十三日の貴族院本會議に於てその得意とする形式論法を以て、
當局攻撃の矢を放ち、
第一 檢事は違法に職權を濫用して被釋者を逮捕監禁したることなきや、
第二 檢事は被告人に対し不法の訊問を爲し
殊に被釋者に對し暴行凌虐りょうぎゃくを行ひたることなきやを詰問して
院内の自由主義分子の拍手喝采を浴びた。
併しながら斯る博士の態度は檢察の實情を無視し、徒に財閥官僚政黨政治家を擁護したるものとして、
一部有識者を初め日本主義者の反感を買ふに至つたものの如くであつた。
・・・美濃部學説が國體に關する國民的信念に背反する自由主義的民主主義的學説である限り、
國民的自覺が喚起された暁に於ては
早晩再び非難排撃の的となるべきは必然の運命であつたとも見られるのであるが、
博士自身が最近に於て所謂現状維持派の爲に盛んに法律論を以て思想的擁護を試みたことは、
自由主義思想撃攘の一大思想變革運動の序曲として血祭に擧げられるに至つた一原因と思われる。

(ニ)  國體擁護聯合會の活動
・・・( 中略 ) ・・・
 蓑田胸喜
國體擁護聯合會は蓑田胸喜の起草に係る左記
「 美濃部達吉博士、末弘嚴太郎博士の國憲紊乱思想に就いて 」
と題する長文の印刷物を作成して各方面に配布し
輿論の喚起に力め 積極的に美濃部博士排撃の運動を開始した。
右の文書は美濃部、末弘両博士の著述に對する攻撃文であつて、
美濃部博士に就いては其の著 『 憲法撮要 』 等に於ける國務大臣の責任、樞密院制度、
帝國議會の地位、司法權の獨立、統帥權の獨立等に關する記述を引用し
一讀して直に其の反國體的なることを解し得るが如く極めて巧妙に記述されている。
此の文書は要路の大官は素より陸海現役軍人、在郷軍人、學者、教育家、神道家、
日本主義愛國團體等各方面に配布されたのであつて、
其の影響効果は蓑田胸喜自身も豫想外とする程 大なるものがあつた。
左記
美濃部達吉博士、末弘嚴太郎博士等の國憲紊亂思想に就いて
天皇輔弼の各國務大臣に問ふ

大日本帝國憲法發布の上論に曰く
『 國家統治ノ大權ハ朕カ之カ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ 』
『 朕カ子孫及臣民ハ敢テ之カ紛更ヲ試ミルコトヲ得サルヘシ 』
と。
陸海軍軍人に下し給へる勅諭に曰く
『 夫 兵馬ノ大權ハ朕カ統フル所ナレバ 其 司々ヲコソ臣下ニハ任スナレ
夫 大綱ハ朕親之ヲ攬リ肯テ臣下ニ委ヌヘキモノニアラス
子子孫孫ニ至ルマデ篤ク斯旨ヲ伝へ 天子ハ文武ノ大權を掌握スルノ義ヲ存シテ
再中世以降ノ如キ失體ナカラム事ヲ望ムナリ 』
と。
かかる畏き 『 天皇親政 』 の聖詔の前に
美濃部博士は
『 天皇は親ら責に任じたまふものではないから 國務大臣の進言に基かずしては、
 單独に大權を行はせらるることは、憲法上不可能である 』
( 有斐閣發行、『 逐条憲法精義 』 512頁 )
『 國務大臣ニ特別ナル責任ハ唯議会ニ對スル政治上ノ責任アルノミ 』
( 同上、 『 憲法撮要 』 301頁 )
といふ。
天皇 『 輔弼 』 の國務大臣の責任とは果してかくの如きものなりや?

樞密院議長以下顧問官に問ふ
美濃部博士は云ふ、
『 要するに、わが憲法に於けるが如き樞密院制度が世界の何れの國に於ても
その類を見ないものであることは、此の如き制度の必要ならざることを證明するもので、
わが憲政の將來の發達は恐らくはその廢止に嚮ふべきものであらう 』
( 岩波書店発行、『 現代憲政評論 』 128頁 )
と。
かくの如き言論の内容を妥當なりと思考せらるるや?
殊にこの論理をそのまま 
『 世界の何れの國に於てもその類を見ない 』
現人神天皇統治せさせ給ふ日本國體に適用せるものが
美濃部博士の本狀に一端を指摘せる大權干犯國憲紊乱なることを銘記せられよ !

貴衆兩院議長以下議員に問ふ
美濃部博士はいふ、 
『 帝國議會は國民の代表として國の統治に參与するもので、
天皇の機關として天皇からその權能を与へられて居るものではなく、
随って原則としては議會は天皇に對して完全なる獨立の地位を有し、
天皇の命令に服するものではない。』
( 有斐閣発行、『 逐条憲法精義 』 179頁 )
『 而も議會の主たる勢力は衆議院にあり 』
( 東京朝日新聞昭和十年一月三日所載、現代政局の展望 )
と。
かくの如きが 天皇の 『 立法權 』 に 『 協賛 』 し奉る
帝國議会の憲法上の地位に對する正しき解釋なりや ? 

司法裁判所檢事局に問ふ
美濃部博士はいふ
『 裁判所は其の權限を行ふに就て 全く獨立であつて、勅命にも服しない者であるから
特に 「 天皇ノ名ニ於テ 」 と曰ひ云々 』
( 有斐閣発行、『 逐条憲法精義 』 571頁 )
と。
司法權を行使する裁判所の權能なるものは果して斯くの如きものなりや ?

猶 美濃部博士は 『 治安維持法は世にも希なる惡法で 』 『 憲法の精神に戻ることの甚しいもの云々 』
( 岩波書店発行、『 現代憲政評論 』 208頁 210頁 )
といひ
末弘博士は
『 法律は如何にそれが法治主義的に公平に適用されようとも、
被支配階級にとつては永遠に常に不正義であらねばならぬ 』
ものにして 『 法律 』 と 『 暴力 』 との關係は 『 力と力の闘爭であつて正と不正との闘爭ではない 』
( 日本評論社発行、『 
法窓漫筆 』、103頁 106頁 )
といひ、
『 小作人が何等かの手段により全く無償で土地の所有權を取得出來るならば、
彼等をしてこれを取得せしめんとする主張運動は正しい 』
( 改造社発行、『 法窓閑話 』 154--155頁 )
『 小作人が唯一最後の武器として暴力に赴かむとするは蓋し自然の趨勢すうせいなり 』
( 日本評論社発行、『 法窓雑話 』、98頁 )
といへり。
かくの如き言論と其著者等を放置しつつあることは
『 司法權威信 』 の根本的破壊にあらずや ?

陸海軍現役在郷軍人に問ふ
美濃部博士はいふ
『 統帥大權の獨立といふことは、日本の憲法の明文上には何等直接の根拠が無い 』
『 立憲政治の一般的条理から言へば 統帥権の獨立といふ様な原則は全く認むべきものではない 』
( 日本評論社発行、『 議会政治の検討 』 106頁127頁 )
と。
末弘博士はいふ、
『 軍隊は要するに・・・・一の厄介物、謂はば 「 已むを得ざる惡 」 の 一に外ならない 』
( 改造社発行、『 法窓閑話 』 399頁 )
と。
かくの如きは陸海軍軍人に給へる勅諭に
『 其大綱は朕親ら之を攬り肯て臣下に委ぬへきものにあらす 』
と詔らせ給ひたる統帥大權の憲法上の規定第十一條十二條及軍令を原則的に無視否認し
『 天地の公道人倫の常經 』 詔らせ給ひたると皇國軍隊精神に對する無比の冒瀆として
之を放任するは軍紀の紊亂にあらずや ?

學者教育家教化運動者に問ふ
美濃部博士はいふ
『 いはゆる思想善導策の如きは、何等の効果をも期待し得ないもので、
もしそのいはゆる思想善導が革命思想を絶滅しようとするにあるならば、
それは総ての教育を禁止して國民をして、全く無學文盲ならしむる外に全く道は無い 』
( 岩波書店発行、『 現代憲政評論 』 431頁 )
かくの如き言論を放置することはそれ自身學術と教育との權威を蹂躙するものにあらずや ?

神職神道家に問ふ
美濃部博士はいふ
『 宗教的神主國家の思想を注入して、これをもって國民の思想を善導し得たりとなすが如きは、
全然時代の要求に反するもので、それは却って徒らにその禍を大ならしむるに過ぎぬ 』
( 岩波書店発行、『 現代憲政評論 』 433頁 )
かくの如き言論を放置する事はそれ自身皇國國體の本源惟神道の冒瀆にあらずや ?

岡田首相、松田文部大臣、小原司法大臣、後藤内務大臣、林陸軍大臣、大角海軍大臣、
外 全閣僚に問ふ
東京帝国大學名誉教授、國家高等試験委員、貴族院勅選議員たる美濃部博士、
又 東京帝國大學法學部長たる末弘博士の思想に就いては指摘したが
同じく東京帝國大学教授、國家高等試験委員たる宮沢俊義氏は日本臣民として
『 終局的民主制 = 臣民主權主義 』 を信奉宣伝し ( 外交時報、昭和九年十月十五日号参照 ) 
横田喜三郎氏は 『 國際法上位説 』 を唱えて
『 國家固有の統治權、獨立權、自衛權 』 を否認しつつあり。
( 有斐閣発行、『 国際法 』 上巻 46-50頁 )
此等幾多の國憲國法紊亂思想家等を
輦轂下れんこくかの帝國大学法学部教授及國家高等試験委員の地位に放置して
その兇逆思想文献を官許公認しつつあるといふことは
國務大臣竝に各省大臣としての 『 輔弼 』 『 監督 』 の責に戻る所なきや ?

元老重臣に問ふ
前記の如き大権干犯國憲紊亂思想家たる美濃部博士、末弘博士等を
現地位に放置することによつて人臣至重の輔弼の責任を果たし得らるるや ?

全國日本主義愛國團體同志に訴ふ
本聯合会加盟團體は美濃部博士、末弘博士等は日本國體に叛逆し
天皇の統治 = 立法・行法・司法・統帥大權を無視否認せる
不忠兇逆 『 国憲紊亂 』 思想の抱懐宣伝者として、
末弘博士は先に告発提起を受け 時効関係にて不起訴となりたる実質上の刑余者なるが、
斯るものらが恬然てんぜんとして帝國大学教授の國家的重大地位にあり
何等の処置をも受けざる所にこそ現日本の萬惡の禍源ありと信じ、
屢次共産党事件は勿論、華府倫敦條約締結、満洲事變、五 ・一五事件激發の
思想的根本的責任者たる彼等に對する國法的社會的処置を訴願し
其の急速實現を期するものなり。
希くは本運動の對外國威宣揚不可避の先決予件たる國内反國體拝外奴隷思想撃滅--國際聯盟脱退、
華府條約廢棄の思想的徹底の内政改革に對して持つ総合的重大性を確認せられ、
この目的貫徹の爲めに擧つて參加強力せられんことを ?
昭和十年一月
東京市芝区田村町二丁目内田ビル
國體擁護聯合會

更に二月十五日 入江種矩 外十四名の代表者は
小石川区竹早町一二四番地美濃部邸に同博士を、
帝大法學部長室に末弘博士を夫々訪問して
一切の公職を辭し 恐懼謹慎すべき旨の決議文を手交し、
次いで十八日 代表者入江種矩、増田一税、薩摩雄次 三名は
文部大臣官邸、内務大臣私邸に松田文相、後藤内相、を訪問して
兩博士の著書の發禁處分、竝兩博士の罷免を要請する決議文を手交した。

一方
当時革新勢力が中心と頼んでいた平沼男の直系と目される
衆議院議員陸軍少将江藤源九郎は 國體擁護聯合會と呼應して
二月二十七日 衆議院予算委員第二分科會に於て
美濃部博士の 『 逐条憲法精義 』 の章句を引用し
「 原則として 議會は天皇に對し完全なる獨立の地位を有し 天皇の命令に服するものではない 」
 ( 同書 179頁 )
といふ博士の解釋は
天皇の大權を干犯する妄説であつて、
出版法第二十六條の国權紊亂の罪に該当するが故に
速に發禁處分に附すべきであるとして、後藤内相の所見を訊したが、
内相は憲法学上の論議の是非は遽にわかに判斷し得ずとて名答を避けた。

昭和十四年度思想研究員として玉川光三郎検事執筆のもの
「 思想研究資料特輯 」 第七十二号として昭和十五年一月、司法省刑事局で極秘刊行された。
所謂 「 天皇機関説 」 を契機とする国体明徴運動 より
第四章  国体明徴運動の第一期  第一節 所謂「 天皇機関説 」 問題の発生

現代史資料4  国家主義運動1  から

次頁 国体明徴・天皇機関説問題 2 「 一身上の弁明 」  に続く


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