あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

國體明徴・天皇機關説問題 5 「 排撃運動 二」

2021年10月20日 18時24分17秒 | 國體明徴と天皇機關説

前頁  国体明徴・天皇機関説問題 4 「 排撃運動 一 」 の 続き

(b
) 機關説及び天皇の大權に就いての解釋に對する批判
美濃部学説は個人主義、自由主義、形式主義的法理論を基調としたる結果、
世界萬邦に冠絶せる國體を閉脚するの誤謬ごびょうを犯し、
肇國の精神に悖り、國體に背き、甚しく國民の信念確信に反する學説なることが一致に鞏調せられ、
建國以來、天皇即ち國家、君臣一體の國柄として
統治權は 『 萬世一系ノ天皇 』 の大位に存することは炳乎たる國史の事實であり、
肇國の精神、我が國體の本義に基き
天皇は統治權の主體にあらせられることは寸毫の疑義なく
帝國憲法第一條は斯る日本國體を宣明し給うたものに外ならず、
而も現人神に存します。
天皇に在らせられては、『 御一身上の權利 』 と 『 國家統治の大權 』 とは本來惟神に不可分であり
天皇の大權は絶対無制限不可分である者が論ぜられ
主として穂積八束博士の天皇主體皇位主權説の立場より批判が爲されている。
・・・中略・・・
右の外 「 天皇を國家の機關なり 」 とする美濃部學説に就いての多數の論説は
天皇と國家とを分離せしめ、天皇即國家の伝統を蹂躙し
其の結果は忠君と愛国國とを分離せしめて 忠孝一體の理を破り、
又 其の所説は国國家を主とし、天皇を從として本末主從を顚倒せしめ、
國體を破壊し 天皇の御本質を無視せるものなりと痛烈に論難している。
尚 蓑田胸喜、鹿子木員信博士等は美濃部學説に從へば
統治權は永遠恆久の團體たる國家に属し 而も國家は 「 人類の團體 」 であるが故に、
統治權の主體は必然的に 「 人類の團體 」 たる 「 國民 」 であることに歸着し、
我が憲法を民主主義的に變革するものであると爲して攻撃している。
( 月刊 「 維新 」 四月号 「 美濃部学説検討座談会 」 )

(c
) 議會観に對する批判
美濃部博士の
「 議會は獨立機關にして獨自の機能を有し原則として天皇の命令に服するものではない 」 
との 天皇と議會とを對立的に見る議會観も痛烈に論難を加へられている。
此種議會観は西洋思想の個人主義自由主義に由來せる 誤謬ごびょうであり、
或は 西洋の主權在民思想に基づくものであり、
或は 君主の大權を剥奪 又は 制限せんとする
外國流の法理論を以て我が議會を論じたものであり、
從て そは大權を干犯する不逞思想に外ならずと論ぜられている。
例へば
澤田五郎は 「 核心 」 ( 四月号 ) の 「 天皇機關説の兇惡性 」 に於て
美濃部博士は議院提出の法律案の協賛等を例示して
議會は天皇の命令に服するものではないと言ふことを説明し
議會は又 天皇の御任命に係る官府ではないから 天皇の機關でなく、
天皇から權限を与へられた機關ではないと言つているのは、
どこ迄も諸外國の君主と之に對立するその國会との關係を
我が  萬世一系の天皇陛下 と
其の大御業を翼賛し奉らうとする帝國議会との關係とを完全に同一視し、
帝國議會をして  萬世一系の天皇 に 對立せしめんとするの理論を主張するもので、
其の不逞理論の浸潤に依り、帝國議會の本義が破壊せられ、
現在の如き、帝國議會の行動の堕落を招來した其の基本的責任者であることを
自白するものである。
と 論じているが如きである。

(d) 國務に關する詔勅非議自由説に對する批判
此の点に關しては代議士江藤源九郎に依り議會に於て攻撃せられ、
後に告發せられ檢事局に於ても出版上の 皇室の尊嚴を冒瀆せんとするものに該當するとして
犯罪性を認めたところである。

蓑田胸喜は
詔勅こそは法令國務に關するものにて國務大臣輔弼したるものなりとも、
聖斷を經、御名御璽を鈐けんし給ひたるものとして
至尊の玉體大御心の直接の發露表現 『 みことのり 』 であつて、
これに対する非難論難の不敬行爲は、精神的従つて本質的には
鳳賛等の器物に對する不敬行爲よりも重要性のものであることを熟考すべきである。
と 批判を加へている。

(e) 國體論に對する批判
美濃部博士が
「 國體は倫理的事實、歴史的事實にして憲法的制度にあらず 」
としている點も攻撃の主要点となつている。
斯くの如き所説は
國體の本義、肇国の精神に基き制定せられた帝国憲法の根本義を無視する
謬説であると非難している。
中谷武世は
「 美濃部博士が依つて以て自らの憲法學の特質なりとすることは
憲法解釋より國體を揆無せんとする點にあるを知らしめられるのである。
即ち憲法學に於ける國體容認に彼の誇りとする學説の特徴があるとして、
國體なるものは倫理的の観念にして現在の憲法的制度を示すものにあらず
と斷言するのである。
玆に吾等とは俱に天を戴かざる根本的對立が存するのである。
我等日本國民の信念に従へば、
憲法其の他の制度組織法律典章 悉く國體の發現ならざるは無く、
國體の註脚ならざるはないのである。
國體こそが一切の法、一切の制度組織法律典章が派生し發現する原理であり、
法源なのである。
當然の帰結として日本憲法学、日本國法学、日本國家學は常に國體学であらねばならぬ。
日本の國家諸學は等しく日本國家の特異性に關する組織を以て
その出發點とし 且つ 到達點とせねばならぬ。
此処にこそ眞の日本學があり 且つ 眞の學がある。
而して斯くの如きは ひとり我等の主観的信念たるのみならず
又 新しき 而して正しき國家諸學の態度である。」
( 月刊 「 維新 」 四月号 「 美濃部学説の思想的背景 」 )

(f) 法源論に就いての批判
美濃部博士は憲法の法源として制定法 及び 慣習法の外に理法なるものを揚げ

之が獨立に國法の淵源たる力を有するとしているが
此の所説につき蓑田胸喜は
「 憲法 『 制定法規 』 は
實に 『 歴史的の事實 』 と 『 
社會的の條理意識 』 そのものをも
併せて表現させ給へるものにして、
憲法は特にそれ以外の普通國法とは異り
『 不磨の大典 』 として その成立の根拠由來効力また改正手續きよりするも
『 制定法規の文字に絶對の価値にある 』 こといふまでもなく、
『 歴史的の事實 』 と 『 社會的の條理意識 』 なるものは憲法の條章のうちに包含せられ
内在せしめられ居るものにして、
斷じて成文憲法の 『 他に 』 『 別に 』 『 之と相竝んで等しき 』 価値を有するものとして
別個の法源となるものではない。」
( 美濃部博士の大権蹂躙 )

(g) 國務大臣責任論に就いての批判
美濃部博士が
國務大臣に特別な責任を 議會に對する政治上の責任に求めている事に關し
蓑田胸喜は

「 國務大臣の 天皇に對する責任を形式化し實質的に無視したるものであるが、
それは
『 天皇は・・・・國務大臣の進言に基かずしては、單獨に大權を行はせられることは、憲法上不可能である 』
といふに至つては、
天皇統治の實權は全く國務大臣の手中に歸し終るのであるが、
更にこの國務大臣の責任は唯
『 天皇に對して完全なる獨立の地位を有し、天皇の命令に服せざる 』
『 議會に對する政治上の責任あるのみ 』
といへるを
『 而も 議會の主たる勢力は衆議院に在り 』
といふ一文と結合する時、
美濃部博士の憲法論はここに一糸も纏ふなき 『 憲政常道論 』 の基く
『 主權在民 』 信奉宣伝の兇逆意志を赤裸々に露呈したのである。」
( 美濃部博士の大権蹂躙 )
と 非難している。

(h) 司法權の獨立に關する所説につき
尚 蓑田氏は
美濃部博士が
「 裁判所は・・・・其權限を行ふに於て全く獨立であつて、勅命にも服しない者であるから、
特に 『 天皇ノ名ニ於テ 』 と曰ひ、以てそれが裁判所の固有の機能ではなく、
源を 天皇に發し、天皇から委任せられたものであることを示している 」 ( 逐条憲法精義五七一頁 )
と 論じているのを、至尊の尊嚴を冒瀆するものとして左の如く批判している。
「 氏は司法權の獨立の機能をここに 天皇勅命にまで對立抗爭的に協調して忌憚なく
裁判所は 『 勅命にも服しない者である 』 といふが如き重大不敬言辭を吐いたが、
氏自身と裁判所の機能は
『 固有の機能ではなく源を 天皇に發し、天皇から委任せられたものである 』
ことを認めざるを得ないにも拘らず、その
『 裁判所が權限を行ふに於て全く獨立であつて、勅命にも服しない者である 』
といふのは裁判所をして 『 天皇ノ名ニ於テ 』
天皇に對してまでも反逆せしめんとする大不敬兇逆思想である。
これは勅命にも違憲違法または國利民福に背反する場合あり得べしと、
想像するだに不臣不忠の忌々しき大不敬である。
美濃部氏が忌憚なく かかる大不敬言辭を公表したといふことは、
免るべくもなく
『 指斥言議ノ外ニ 』 存じます 至尊の尊嚴神聖
を冒瀆し奉りたる 重大不敬罪である。」
( 美濃部博士の大権蹂躙 )


(3) 美濃部學説排撃の歴史的意義
美濃部学説排撃の叫びが擧げられるや
早くも右翼論壇に於ては此の運動が昭和の思想維持の遂行であり、
更に日本主義に基く新日本の建設の第一段階となるべきものであるとして其の歴史的意義が鞏調された。
中谷武世は
「 貴族院の壇上より美濃部貴族院議員によりて天皇機關説が鞏調せられたことは、
帝國大學に於て法博美濃部教授及びその學的黨与に依りて、
天皇機關説が講ぜられ來り講ぜられつつある事實とは不可分ではあるが、
また自ら別個の新しい意義を附加するものである。
・・・・この事實は、一面に於て、満洲事變以來著しく頽勢たいせいにあつた自由主義的思想勢力、
自由主義的社會 ・政治勢力が猛烈なる攻勢移轉に出でつつある事を意味するものである
と共に 一面に於ては、
我が國民大衆の伝統的國家観念が 如何なる程度に根深く根強いものであるかに關し
逆縁乍ら好箇の機會を供するものである。
・・・・自由主義思想勢力がその政治的支持勢力の掩護の下に
---貴族院に於ける岡田首相や松田文相の答弁の如きは
美濃部説の通俗的妥当化を保障するに充分である---
從來の地盤たる知識階級の圏外にも氾濫して國民思想の分野に壓倒的な支持を獲得するか、
それとも國民大衆の意識下に伏在する伝統的民族感情が自由主義の反撃攻勢を押し返して
之に最後的打撃を与へるかの、國民思想上の重大なる轉機を、
今回の美濃部學説問題は提供するものであると認めることが出來る。
天皇機關説問題の思想的意義は這の點に求められねばならぬ。
美濃部學説の批判なり排撃なりは、
斯の如き思想的背景に於て 且つ 之を包含しつつ行はなければならぬ。
即ち 問題の對象は單に美濃部博士個人に在のではない。
個人の思想學説に在るのではない。
美濃部博士の學説だけが問題なのではない。
約言すれば、天皇機關説、國家法人説は、明治以來の自由主義的思想體系、
個人主義的教養體系、唯物主義的文化體系の根茎に生えた醜草の一種である。
此の根茎に向つて、その 『 根芽つなぎて、』 の抜本的清算が必要なのである。
即ち この問題を逆縁として、
日本國民の思想的撥亂反正、思想維新、學説維新の契機たらしめねばならぬのである。」
( 月刊 「 維新 」 四月号 「 美濃部学説の思想的背景 」 )
と 論じて
其の思想革命たる意義を鞏調し、

近山与四雄は
「 我等國民は、天皇機關説 [ 思想 ] の徹底的剪せん滅に依る
皇道眞日本の建設に猛進進撃するものである。
然らば、岡田内閣も、政黨も、資本主義財閥も
そしてその金融資本の獨裁的移行を計畫しつつあるファッショ派も、
凡て我が國體の本義の前に××××せらるべきものであることを知るのである。
・・・・天皇機關説思想の剪滅とは只管ひたすらなる忠誠心の發露に基く
政黨、財閥、特權階級 等 現支配群に曲げられたる現状日本の革新、昭和維新の達成を云ふ・・・」
( 「 核心 」 四月号 「 機関説思想駁撃剪滅への政治的実践の態度に就いて 」 )
と 論じている。

斯の如く 革新的日本主義者は
美濃部博士が 「 一身上の弁明 」 に籍口して
機關説の正當性を主張 したことは、満洲事變以來 頓とみに頽勢たいせいに傾きかけた
自由主義的な思想勢力、社會勢力、政治的勢力が其の勢力を盛返へさんとして、
躍進しつつある日本主義陣営に向つて最後の挑戦を試みたものであると爲し、
從つて美濃部學説排撃運動は單なる一學説の問題に止らず、
その根底を爲す自由主義思想の一掃、

更にその思想勢力、社會的勢力政治的勢力の掃滅を意味するものであり、
斯くすることによつて我が國體に基く指導原理を確立し、
以て昭和思想維新を遂行し、更に日本主義に基く新日本の建設に迄
進展させるべきものであることが鞏調されたのである。

昭和十四年度思想研究員として玉川光三郎検事執筆のもの
「 思想研究資料特輯 」 第七十二号として昭和十五年一月、司法省刑事局で極秘刊行された。
所謂 「 天皇機関説 」 を契機とする国体明徴運動  より
第四章  国体明徴運動の第一期  第二節  愛国団体の運動状況

現代史資料4  国家主義運動1  から

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