あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

國體明徴・天皇機關説問題 6 「 岡田内閣の態度と軍部 」

2021年10月19日 09時52分07秒 | 國體明徴と天皇機關説

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岡田内閣

機關説問題に關し政府が極めて消極的態度を取つた爲、問題を一層紛糾せしめた・・・、
當初の政府の所見は美濃部學説は非難せらるるが如き
不逞思想を根底に持つた反國體的のものではなく、
從つて同博士の著書につき出版上の処置を爲す要あるを認めざるのみならず、
學説の當否は宜しく學者の論議に委ねるを相當とし 政府の關与すべき限りにあらずとの見解を持していた。
三十年の久しきに亙り大學の教壇に立ち、學界に寄与した功績少なからずとして勅選議員に選ばれ、
昭和七年の御講書始には御進講者として奏薦され、
次いで勲一等に叙せられた憲法學の重鎮美濃部博士の著書が、
出版法上の犯罪を構成するといふが如きは、當然一般的には殆ど想像し得なかつたに相違なく、
岡田首相が議員の質問に答へて
「 用語に穏やかならざるものあるも國體観念に誤なし 」
と 述べたのも 當初の情勢としては無理のない答弁であつたとも言へる。
當初の政府の所見を記載した資料には次の如く記述されている。

其の一
美濃部達吉博士著
『 逐條憲法精義 』 第百七十九頁に
憲法第七條に関し
「 帝國議会は國民の代表者として國の統治に參与するもので天皇の機關として
天皇から其の機能を与へられて居るものでなく 随つて原則として議會は
天皇に對して完全なる獨立の地位を有し 天皇の命令に服するものではない 」
との解説あり。
右引用文句は用語簡に失せる爲め
或は
「 帝國議会は 天皇に對立する機關なり 」
と 説明したるが如く速斷せらるる虞おそれなしとせざれども、
動著書の全般に亙りて通讀し、
殊に第五十五頁、第五十六頁に於ける憲法發布勅語の一節
『 又 其ノ翼賛ニ依リ 与ニ 俱ニ 國家ノ進運ヲ扶持セシムルコトヲ望ミ 』
の解説に於て
「 立憲君主政治は君主が國民の翼賛に依つて行はせるるところの政治に里ならぬ、
而して國民の翼賛を求むる手段として設けられたるものは 即 帝國議會であり、
議會が國民の代表として國民に代つて大權に翼賛するものである云々 」
と 説き、
又 第百二十八頁に於ける
「 我が憲法はイギリス又はアメリカの霊に倣はず 國家の一切の權利が 天皇の御一身に統一せられ、
天皇は總ての關係に於て御一身を以て國家は體現せらるるものとする主義を採つて居る、
『 統治權を總攬し 』 といふ語は此の意味を云ひ表はす云々 」、
第百二十九頁に於ける
「 立法權は議會の協賛を要するけれども、
協賛とは 唯君主が立法を爲し給ふ事に同意することであつて、
君主と議會とが共同に立法者たるのではなく
立法は國民に対しては専ら君主の行爲として發表せれるるのである 」、
第百三十頁に於ける
「 立法司法、行政の總てが 或は君主に依つて行はれ、或は君主に其の源泉を發しているのであつて、
君主が統治權を總攬するとは此の事を意味するのである 」
「 わが憲法の下に於ては立法權も行政權も等しく 天皇の行はせたまふところで、
唯立法には原則として議會の協賛を要するが行政權に附いては原則として要しないといふ區別があるだけである 」
の 説明等を綜合して判斷するには、
前記引用文句は
「 帝國議會の地位は 天皇の行はせ給ふ立法權に對し 國民の代表者として翼賛し奉る機關にして
天皇に直接隷属する行政官庁 及 裁判所とは別異の地位を有すること、
及び帝國議會の活動形態が一般行政廳の如くに直接天皇の命令を仰ぎ
若くは 天皇より委任を受けて職務の執行を爲すものとは異り
欽定憲法に基く權能を行使して行政權、司法權 等の制肘せいちゅうを受くることなく議決に從事するものなること 」
を 説明したるものと了解せらる。
従て出版法第二十六條の
「 皇室の尊厳を冒瀆し 政體を變壊し 國憲を紊亂せんとする文書 」
として處置する要なきものと思料す。

其のニ
美濃部達吉博士著
『 逐條憲法精義 』 の 第五百七十一頁に於て
憲法第五十七條の解説中
「 裁判所は之に反して其の權限を行ふに於て全く獨立であつて勅命にも服しないものであるから
特に 『 天皇の名に於て 』 と曰ひ 以てそれが裁判所の固有の權能ではなく
源を天皇に発し 天皇から委任せられたものであることを示しているのである 」
と 説明し、
又 同博士著
『 憲法撮要 』 第三百五十一頁に於て
帝國議會の説明に就き
「 議會は君主の下にある他の總ての國家機關と其の地位を異にす。
裁判所、行政裁判所、会計檢査院の如き其の權能の行使に附
君主の命に服せざるものと雖も尚 君主より其の權能を授けらるるものにして云々 」
と 説明す。
斯の如く 「 勅命に服しないもの 」 或は 「 君主の命に服せざるもの 」
なる語を以て司法權の獨立を説明するは措辭妥当を欠く嫌あり、
或は出版法第二十六條に触るるに非ずやとの疑問を生ずるも、
該著書全般の趣旨を吟味し、就中 『 逐條憲法精義 』 の第五百六十五頁に
「 而して司法權の獨立とは 或は實質的作用が行政機關の支配を受けずに獨立なる裁判所に依つて
行はるるを要することを意味するものである 」
と 明記しある点を解釋すれば、
前記引用に係る解説の内容は
伊藤公の 「 帝國憲法義解 」 に於て第五十七條の解説として、
「 君主は裁判官を任命し裁判所は君主の名義を以て裁判を宣告するに拘らず
君主自ら裁判を施行せず 不覊ふきの 裁判所をして 専ら法律に依遵威權の外に之を施行せしむ
是を 『 司法權の獨立とす 』 」
と 説明せると同趣旨に歸するものと理解せらるるを以て出版法第二十六條に違反する點なきものと思料す。

然し乍ら
院内外の情勢は政府の斯る態度を許さず、
一方軍部兩大臣は議員の質問に答へて相當鞏硬な意見を述べ、
爲に外部よりは閣内に意見の對立を來したかに見られ、
政府としても議員の猛烈な追及に如何ともすることが出來ず、
遂に岡田首相は機關説問題に就いては愼重考慮の上 善處するを明言せざるを得なくなつた。
機關説問題は事柄の性質上、軍の深く感心を有する所で陸海兩相は議會に於ける質問に答へて早くより
「 機關説といふが如き思想は、我が國體に反すると信ずる、
 軍統督の立場からも斯る思想の消滅を圖ることが必要だと思ふ 」
と 其の意志を明にした。
三月三十日には軍部の意見が機關の徹底排撃を希望する意嚮に一致し、
斯る軍部の要望は直に林陸相、大角海相より閣議に於て披瀝されたと報ぜられた。
( 東京朝日新聞三月三十日附夕刊 )

真崎恐懼総監
四月四日
眞崎教育總監は大義名分を正し、
機關説が國に反する旨を明にした左の如き訓示を部内に發した。
訓示
うやうやしく惟おもんみるに
神聖極を建て 銃を垂れ 列聖相承け 神國に君臨し給ふ 天祖の神勅炳あきらかとして
日月の如く 萬世一系の天皇 かしこくも現人神として國家統治の主體に存すこと 疑を容れず
是 実に建國の大義にして 我が國體の崇高無比嶄然萬邦に冠絶する所以のもの此に存す。
斯の建國の大義に發して我が軍隊は天皇親ら之を統率し給ふ
是を以て皇軍は大御心を心とし 上下一體脈絡一貫行蔵邁進止一に大命に出づ
是り即ち建軍の本義にして 又 皇軍威武の源泉たり。
さきに  明治天皇聖論を下して軍人の率由すべき大道を示し給ひ
爾來幾度か優渥なる聖勅を奉じて 國體、統帥の本義と共に洵に明徴なり
聖慮宏遠誰か無限の感激なからん。
夫れ聖論を奉體し寤寐の間尚孜ししとして軍人精神を砥礪しれいして已まざるは
我が軍隊教育の眞髄なり。
皇軍 外に出でて數々征戰の事に從ひ 内にありて常に平和確保の柱石となり
皇猷こうゆう扶翼の大義に殉じたるもの 正に軍人精神の發露にして
國體の尊嚴建國の本義 眞に不動の信念として
皇國軍人の骨髄に徹したるに由らずんばあらず。
然るに 世上民心の變遷に從ひ 時に國體に関する思念を謬あやまりしものなきにあらず。
会々最近時局の刺戟と皇軍威武の發揚とに依り 國體の精華弥々顯現し来れる時
國家は以て統治の主體となし  天皇を以て國家の機關となすの説 世上論議の的となる
而して此種所説の我が國體の大本に關して吾人の信念と根源において相容れざるものあるは
寔に遺憾に堪へざるところなり。
惟ふに皇軍將兵の牢乎たる信念は固より 右の如き異説に累せられて微動だもするものにあらず
然れども囂々ごうごうたる世論 或は我が軍隊教育に萬一の影響を及すなきやを憂ひ
之を黙過するに忍びざるものあり。
世上会々此論議あるの日、事軍隊教育に從ふ者須らく躬ら研鑽修養の功を積み
その信念を弥々堅確ならしむると共に 教育に方りては啓發訓導機宜きぎに敵ひ
國體の本義に關し釐毫りごうの疑念なからしめ
更に進んで此の信念を郷閭民心の同化に及し
依つて以て軍民一体體萬世に伝ふべき國體の精華を顯揚するの責に任ぜんことを玆に改めて要望す。
邦家曠古の難局に方り 皇軍の精鞏を要することいよいよ切實なる秋
本職國軍教育の責に膺あたり 日夜専心 その精到を祈念して已まず
此際敢て所信を明示し 以て相俱に匪躬の節を効さんことを期す。
眞崎甚三郎

  南次郎大将
次いで
四月十三日
南 関東軍司令官より
関東軍國體観念明徴に關し 左記の訓示が与へられた

最近我が國體観念に關し 美濃部學説云々等種々議論の行はるるものありて
我が崇高無比の國體に對しその明瞭を疑はしむるが如き言説の流布せられあること諸官既に熟知の如し。
大元帥を頭首と仰ぎ奉る我が皇軍就中閫外の重任を承け日夜軍人に賜りたる勅諭を奉體して
皇軍大業の成就に邁進しつつある我が関東軍にありては
かかる學説に基く誤れる國體観念の如き固より一顧だもするものなしと信ずると雖も
現下益々重大性を加へつつある内外一般の情勢に鑑み
諸官は本職屢次の訓示を體し 愈々部下に對する指導を適切にし 確乎不抜の國體観念、
皇軍意識を堅持せしめ 以て関東軍の重大使命の達成に聊いささかの遺憾なきを期すべし。
右訓示す。

又此と相前後して軍部の機關説批判及び排撃の理由を明にした
「 大日本帝國憲法の解釋に関する見解 」
と 題するパンフレットが
陸軍省軍事調査部長 山下奉文の名に依り 帝國在郷軍人會本部より發行された。

斯くの如く軍部は此の問題に關しては當初より相當鞏硬態度を示し
此の際 國體に關する疑惑を一掃せんとする意嚮を以て臨んでいたものと見られる。

昭和十四年度思想研究員として玉川光三郎検事執筆のもの
「 思想研究資料特輯 」 第七十二号として昭和十五年一月、司法省刑事局で極秘刊行された。
所謂 「 天皇機関説 」 を契機とする国体明徴運動  より
第四章  国体明徴運動の第一期  第三節  当初に於ける政府の態度

現代史資料4  国家主義運動1  から
 

国体明徴と天皇機関説 に 続く