あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

西田税 (憲聴取2) 『 萬感交々で私としては思ひ切って止めさせた方が良かったと思ひます 』

2020年03月15日 09時06分55秒 | 赤子の微衷 1 西田税と北一輝 (聽取書)


西田税
第二回聴取書

著述業 西田 税  当三十六年
右者、昭和十一年三月十七日、東京憲兵隊本部ニ於テ、
本職ニ對シ、任意左ノ陳述ヲ爲シタリ

私ト軍上層部トノ關係
眞崎大將關係
眞崎大將トハ、第一師團長當時三回オ目ニカカッタコトガアリマスガ、
夫レ以外ハ機會ニ恵マレマセンデシタ。
今度ノ事件デ、眞崎ト云ツテ居リマスノハ、荒木サンニ對シテハ、
青年將校ハ比較的氣持チガ疎クナッテ居リ、
眞崎サンデナケレバト云フ氣持チガ若イ人達ニアツタヨウデス。

然シ若イ人達ガ、特ニ事件前ニ會ツタ様ナ事ハ聞キマセン。
北一輝ガ眞崎サンガ良イト云フ様ナ事ヲ云ツタノハ、
二十七日ノ朝、北ガ御經ノ中デ眞崎ガ良イト感ジタノデ、
栗原ニ對シ、
「人無シ。勇將眞崎アリ。國家正義軍ノ爲號令シ、正義軍ニ速ヤカニ一任セヨ 」
ト指示シタノデス。

柳川中將關係
柳川閣下ハ、次官ノ折一度オ目ニカカッタノミデ、
今度ノ蹶起部隊ノ人々ガ柳川内閣ヲ主張シタノハ、
眞崎サンヨリハ柳川サンノ方ガ元氣ガアッテイイト云フヨウナ空氣ラシイデス。
然シ内閣問題ハ、私達カラ云フ事デ、若イ人達ニハ云ハシタクアリマセンデシタ。
今度ノ公判 ( 相澤 ) デ柳川サンガ指導シタト云フ話モアリマスガ、
之ハ柳川サンノ側近者ノ行爲デハナイカト思ヒマス。

秦中將關係
秦閣下トハ、憲兵司令官當時、二、三回會ツタ事ガアリマス。
然シ、北ト秦サントハ十年近クノ知リ合ヒラシイデス。
尚、中村義明ノ皇魂社ト秦閣下トノ關係ハ知リマセン。

満井中佐關係
満井中佐トハ、三、四年前陸大ニ行カレル時オ目ニカカリマシタガ、
思想ガ異ナルノデ一時ハ絶交狀態デシタガ、
相澤事件ガアッテカラ交際ヲ復活イタシマシテ、從ツテ最近ハ交際ヲ續ケテ居リマス。
満井中佐ハ公判第一主義デ、若イモノヲ確カリ押ヘテクレ、ト常ニ私ニ言ツテ居ラレマシタ。

松平大尉關係
松平大尉トハ、中央幼年學校以來ノ知己デ、
満洲カラ歸ラレ、私モ五 ・一五事件ニ負傷シテカラ交際ヲ續ケテ居リマシタ。
尚、澁川君等ハ同一將校團デアツタ爲、
三月二日ニ、私ハドウニモナラヌト思ヒ、御骨折ヲ願ヒタイ云フ手紙ヲ出シマシタ。
某手紙ノ内容ハ、大體、
「 自分トシテハモウ何ウニモナラナイカラ、
 此上ハ先輩ノ皆様ノ御力デ、若イ人達ノ志ノ生キル様ニ御骨折ヲ願ヒタイ 」
ト云フ意味デアリマシタ。
ソシテ、辻大尉ニモ同情シテ貰う様ニ言附ケシマシタ。

小笠原子爵トノ關係
北ト小笠原サントノ關係デ、御信用願ツテ居リマシタ。
ソレデ、三月二日松平大尉殿ト同様ノ意味ノ御力ヲ借リ度イト云フ手紙ヲ出シマシタし、
前ニ電話モ掛ケマシタ。

二十一日ノ夜、中村義明ト杉田省吾ガ私ノ宅ヘ酔ツテ來テ居リマシタガ、
私ニ客ガアツテ話モシマセンデシタ。
ソンナ關係デ、二十七日ニ杉田ヲ北ノ宅ヘ電話デ呼ビ寄セタ時、
杉田ハ昭和維新ノ斷行ノ秋ダカラ、ヤルナラ金ヲ出シテクレル処モアルト云フ様ナ話ヲ致シマシタ。
資金關係ハ何時デモ皆ンナデ持チ寄ツテ居リマシタ。
私ノ生活費ハ、大體多イ時デ月三百圓位デ、北カラ千圓位ヅツ時折貰ツテ居リ、昨年ノ暮レハ千五百圓位貰ヒマシタ。
其他百圓位ヅツ先輩カラ貰ツテ居リマス。
大連市朝日町 島野三郎經營スル蘇聯實情研究業書ヲ取次シマス關係カラ、
時折切手代ノヨウナモノを送ツテ来マスガ、友人トシテデアリ、
尚、北ハ支那方面カラ送金ヲ受ケテ居ルヨウデスガ詳ハシク知リマセン。
張群トハ深い關係ガアル様デスガ、金ノ方ノ事ハ分リマセン。

蹶起趣意書ノ内容ニ附、上層部ヘ豫メ運動シタト云フヨウナ話ハ聞キマセン。
但シ、二十六日前ニ北ニ對シテノミ、
若シ事件ガ起レバ私モ引摺ラレルダロウト云フヨウナ話ヲシマシタ処、
北モ仕方ガナイト云フヨウナ返事ヲ致シマシタ。
今度ノ事件モ、若イ者ノ考ヘハ單ニ尊皇討奸ノミト思ヒ、
其志ヲ生カシテヤリタイト思ヒ、
之ヲ如何ニセバ目的ヲ達スルコトガ出來ルカト云フ點ヲ考ヘテ居リマシタ。

龜川ニハ特ニ此度ノ事件ニ對スル時局ノ収拾及政治的観念ノ内容ガ、
豫メ含マレテ居タヨウニモ感ゼラレマシタ。
二十五日ノ夜、龜川宅ノ玄関デ歸ロウトシタ時、
資金ノ事カラ、村中ガ若シ金ガ必要ナラ三井銀行ヤ日本銀行ヲ襲撃シテ資金ヲ造ルヨウナ話ヲシマシタノデ、
龜川ガソレハイカン、一先ヅ元ノ部屋ニ歸レト云ヒマシテ、再ビ座敷ヘ上ガッタ時、
龜川ガ金カイルナラヤロウト云ツテ二千圓出シタノデアリマス。
然シ、私ハ金ハソンナニ多クイラナイト思ヒマシタノデ、千圓デ良イト云ヒマシタガ、
龜川ガ是非ニト申シマスノデ千五百圓丈貰フ事ニシテ、村中ガ取ツテ歸ツタノデアリマス。

從來、私ノ宅ヘ軍人ガ出入リスルノハ、十月事件以後デアリ、私ガ刑務所ヲ出マシタ頃デシタ。
昭和四、五年頃ハ、海軍ノ藤井 サン等ガ出入リシテ居リマシタ。
昭和六年の夏、陸海軍及ビ民間ノ人ヲ集メタコトガアリマシタ。・・・リンク → 郷詩会の会合
然シ此ノ処ハ陸軍軍人ハ三、四人ノ將校ノミデアリマシテ、
十月事件カラ栗原、安藤、大蔵ナドガ出入リスル様ニナッタノデアリマス。
ソシテ五 ・一五 ノ時、私ガ重態ノ折、菅波君ナドガ來タ外、一般ノ軍人ハ參リマセンデシタ。
其後モ私ノ宅ヘ來テ貰ツテハ困リマスシ、若イ人達モ自分デ家ヲ借リテ集合シテ居タ様デシタ。・・・リンク → 
« 靑山三丁目のアジト » 
殊ニ、所謂十一月二十日事件 以後ハ、若イ軍人ハ私ノ家ニ寄リ附カナイヨウニナリマシタ。
只、田舎カラ上京シタ人達ハ、私ノ宅ヘ來レバ狀況ガ判ルト考ヘタカら、私ノ宅ヘ參リマシタガ、
其後ハ
村中や磯部ノ方ヘ行ヨウニナッタヨウデス。

薩摩雄次ハ私達ノ先輩デ、或ル程度ノ交際を續ケテ居リマシタガ、私ノ方ガ意見ヲ聞ク位デシタ。

最近、私ハ軍人ヨリハ民間ノ方ヘ同志ヲ獲得シタイト考ヘテ着々進メテ居リマシタ。
民間ヘノ働キカケハ、特ニ勞働團體ヘ注目イタシマシタ。
就中、市電從業員ヤ海員組合ノ方ヘ手ヲ附ケテ居リマシタ。
私ノ國家改造ヘノ理想論トシテハ、
現在ノ人ハ明治時代ト違ヒ發達シテ居リマスカラ、改造モ困難ダト思ヒマシタ。
從ツテ官吏ハ官吏、財閥ハ財閥、政界ハ政界ト云フ風ニ、
各方面ノ革新的思想を有スル者ヲ漸次啓蒙シテ擴大シタイト思ツテ居リマス。
此革新的意識ノ普遍化シタモノガ、即チ維新デアリマス。
即チ、現社會ノ各層ニ、夫々有シテ居ル革新的思想ヲ、各社會層毎ニ擴ゲルノガ御維新ダト思ヒマス。
單ニ軍人ノミガ蹶起スルト云フ事ハ、犠牲ガ多イ丈効果ガナイト思ヒマシタ。
私モ最後ノ場合ハ、直接行動ニ依ル革新ハ否認シマセンガ、
威力ノ亂發はイケナイト思ツテ居リマシタ。
或ル種ノ直接行動ハ、陛下ノ御信任ノ厚イ人ガ立ツタ場合、
コノ人ヲ中心トシテ維新ニ前進スル爲、
決戰ヲ必要トスル場合ニ、最後ノ力ヲ用ヒタイト思ツテ居リマシタ。・・・リンク →軍刀をガチャつかせるだけですね 
私達ノ理想社會即御維新トシテ出來タ社會狀勢ハ、
明日ノ日本ヲ建設スルノデアリマシテ、
其ノ大綱ハ日本改造法案ニ示シテ居ル建設内容デ大體良イ様ニ思ヒマスガ、
其實現ノ方法ニ就テ、私ハ理想トシテハ、天皇ノ御力ニ依ツテ實現致シタイト思ツテ居リマシタ。
要スルニ、日本改造法案ニ示シタ内容ガ現在出來レバ理想社會ダト考ヘテ居リマシタノデ、
日本改造法案ヲ指導原理トシ、現社會ヲ啓蒙スベク努メテ居ルノデアリマス。
日本改造法案ト云フハ、最初、謄冩版ノモノデアリマシタガ、
大正十二年初メテ改造社カラ出版サレ、
其後大正十五年ニ私ガ引受ケテ出版シタモノデアリマスガ、
其數ハ三千カ四千部ダト思ヒマス。
其後小型ポケツト型ノモノヲ、八千部位出版シタト思ヒマス。

蹶起趣意書ハ一寸見マシタガ、
今回ノ事件ガ日本改造法案ニ依ツテヤッタカドウカハ私ニハ判リマセン。
然し、同志ノ將校ハ何レモ日本改造法案ヲ指導原理トシテ啓蒙サレタモノデアリマスカラ、
其蹶起ガ日本改造法案ノ内容ニ依ツテ影響ヲ受ケテ居ルト云フ事ハ云ハレルト思ヒマス。
但し、此度ノ蹶起ノ直接原因ニハ、
彼等ハ満洲ヘ行クト云フ自己ノ立場カラ行キ詰ツテヤッタノデハナイカト思ハレル點モアリマス。
私トシテハ、只、今ハ時機デハナイト思ヒマシタ。
戒嚴令ハ オ上デ布カレルノデシテ、
自ラ戒嚴令ノ布告ヲ要求スルト云フ様ナ事ハ考ヘナイテイテ呉レ
 ト云フ様ナ話ヲ彼等ニシタ事ガアリマス。
私ハ、彼等ガ第一次ノ目的ヲ達シテ後、
第二次ノ目的ハ違ツタ方法ニ走ツタノデハナイカト思ヒマス。
私ハ尊皇討奸ト云フノテ引キツケラレテ行ツタノデアリマス。
從ツテ、私ハ一日位デ眞崎サンアタリニ片附ケテ貰ヒタカツタノデアリマス。
彼等ノ今回ノ行動ハ、煎ジ詰メレバ、建設ニ附テハ具體的ニ纏ツタ考ヘハナカツタノデハナイカト思ヒマス。
彼等ガ自決シナカツタ理由ハ、私ノ想像デハアリマスガ、
陸軍ノ首脳部 ( 陸軍省、參謀本部 ) ニ反感ヲ持ツテ居タ爲メ、
最後ニ三宅坂附近ヲ占據シテ攻撃ヲ受ケタ際、決戰ニ依ツテ討死スル爲ダト思ヒマシタ。
中央部ニ對スル反感ト云フノハ、色々ナ感情ガアルト思ヒマスト共ニ、
自決シナカッタノモ、
上司ガ自決セヨト云ツタ爲、之レニ對シテノ反感デ自決シナカッタノダトモ考ヘマス。
若イ聯中ガ、死ヲ覺悟ノ上デヤツタ事デスカラ、是ヲ考ヘナイト云フヨウナコトハアリマセン。
ソレニ彼等ハ討死を覺悟シテ出タノガ決戰ニ到ラズ延ビ延ビトナッテ氣ガ遅レタノデハナイデセウカ。

若イ人ハ知リマセンガ、
同志ハ確カニ日本改造法案ニ依ツテ刺戟ヲ受ケテ居ルト云フ事ハ云ハレマス。
一般ニ皇道派ト云フノハ、極メテ漠然タルモノデアッテ、
所謂西田派ト云ハレテ居ルノヲ云フノカ、荒木サンノ思想ヲ云フノカ、皇魂ヲ云フノカ、私ニハ判ラナイノデアリマス。
從ツテ皇道派ト云フノハ雑然トシテ居リマス。
結果ハ統制派ヲ敵トスルモノヲ皇道派ト云フ様ニ思ヒマス。
然シ、所謂西田派ト呼バレテ居ルモノ、
皇道派トハ日本改造法案ヲ指導原理トスル國家改造派ニ属スルモノデアリマス。
統制派ト云フノハ、統制經濟ヲ主張スル人々ダト思ヒマス。
從ツテ満井サンノ意見ヲ聞カウトシテモ、
満井サンハ常ニ其話ハ止メテ貰ヒタイト云ハレテ、話ニナリマセンデシタ。
私ハ プロレタリア的統制經濟ト云フノハ全然反對デス。
皇道派ト云フノモ、統制派ト云フテモ、手段ノ相違ノミデナク根本的ニ違ツテ居リマス。
從ツテ今度ノ事件等モ、若イ將校ノ考ヘハコウシタ點ニアッタト思ヒマス。
尚ホ、天保銭組ニ對スル反感ト云フノモ相當前カラアッタト思ヒマス。
何故ナラバ、彼等ガ軍ノ中央部ニ對シテ反感ヲ有シテ居ルノガ、大學出身者ガ殆ンド統制派デアッテ、
其ノヤリ方ガ プロレタリヤ的統制經濟ヲ主張スルト共ニ、
彼等ニ從ツテ陸軍を統制セントスルコトニ反對シテ居ルカラデアリマス。
要スルニ、私ハ日本改造法案ノ内容建設ヲ指導原理トシテ啓蒙シテ居リマシタ。
大資本獨占ハ否定シテ居リマシタガ、權力ト云フモノガ變ワレバ、三井ヤ三菱ナドハ潰サナイデモヨイト思ヒマシタ。
此度ノ事件デ、大財閥カ襲ワレナカッタノモコンナ意味ニ依ルモノト思ハレマス。
池田成彬ヲ目標ニシテ居タノハ、相澤事件ガアルカラデアリマス。
相澤公判ノ證人トシテ池田ヲ出スコトハ満井中佐ハ反對ノ様デシタガ、
私ハ池田ヲ申請スベキ事ヲ満井中佐ニ要求シマシタノデ、鵜澤弁護人ガ申請シタノデアリマス。

結果ニ對スル所感
一口ニハ言ヘナイガ、萬感交々デ私トシテハ思ヒ切ツテ止メサセタ方ガ良カツタト思ヒマス。
私ノミナラズ、皆ヲ犠牲ニシテシマヒマシタ。
尚、岡田サンガ後ニナッテノコノコ出テ來タト云フ事ハ、
此度ノ事件ヲ如實ニ物語ル證據デアリマシテ、
國家大局カラ見テ、此度ノ事件ハ維新ノ爲メニモ駄目ダト思ヒマシタ。
ソシテ、歴史ト云フモノハコンナ事カト思ヒマシタ。
丁度、蛤御門ノ戰爭ノヨウナ氣ガシマス。
陸軍ノ上ノ方ガ、維新ニ於ケル薩摩藩ノ態度ヲ執リ、
長州藩ガ君側ノ奸ヲ除カントシテ宮闕ニ發砲シタ爲メ、
遂ニ朝敵ニナッタト同ジヨウナ感ジデアリマス。
コウ云フ點ヲ色々考ヘサセラレマシタ。
現在ノ心境トシテハ、ドウニモ致し方ガアリマセン。
一時ハ自決シヤウト思ヒマシタガ、ドウニモ出來ズ、捕マリマシタ。
自分ノ修養ノ足リナイ點モアリ、不明ノ至ス點ダト思ヒマス。
私ハ若イ者ガヤレバ、今迄ノ關係カラ必ズ引摺ラレナケレバナラヌ事情ニアリマシタノデ、
コレモ運命ダト思ッテ居リマス。

右録取シ讀聞ケタル処、事實相違ナキ旨申立テ、署名拇印セリ
昭和十一年三月十七日
東京憲兵隊本部
陸軍司法警察官  陸軍憲兵少佐  福本亀治

二・二六事件秘録(一)より