香田淸貞
聽取書
本籍 東京市世田ケ谷区上馬町一丁目百九十番地
出生地 佐賀県小城郡三日月村大字久米字吉原番地不詳
住所 東京府武蔵野町吉祥寺六百十八番地
香田清貞
明治三十六年九月四日生
右者昭和十一年三月十六日、東京衛戍刑務所ニ於テ、
本職ニ對シ左ノ陳述ヲナシタリ
一、私ハ國家改良ニ就イテハ今迄斯ウ言ウ様ニ考エ 又實施シテ來テ居リマス、
ソレハ國民全般ガホントウノ日本人ラシイ氣持チニナル、
其ノ意味ハ明治迄ハ東洋文化ニヨッテ日本魂ヲ培ツテ來マシタ、
然シ明治以後西洋文化ガ入ツテ來マシタガ之ガ消化シ切ラナカツタ、
之ヲ消化シツクシテ日本精神ニ之ヲ持テ
日本人トシテ現時ニ適應スル光ヲ顯ワシ行ク様ナ日本人ニナル事ガ必要デアリマス、
其ノ方法トシテハ私共ハ直接關係トシテ先ズ部下ヲシツカリ敎育シテ郷党ニ歸シ
其ノ部下ヲ通ジテ世ノ中ノ指導階級ニ對シテ此ノ氣分ヲツギ込ンデ行ク。
ソノ次ハ同僚竝同志ヲ通ジテ左右ニ之ヲ擴大スル。
其ノ結果指導的地位ニ立ツ人ニ人材ガ蔟出シテ來ナケレバナラヌ。
即チソレハ前ニ述ベタ日本人ラシイ日本人ガ出テ來ル事ヲ目的トシマス。
ソレデ眞ニ翼賛ノ道ヲツクシテ行クノデアリマス。
此ノ目的達成ノ爲ニハ之ヲ遮ルモノ若ハ單ナル現狀維持ノ如キ重ミトナルモノハ
之ヲ打チ拂ツテ人材ヲ出スト言ウ事ニ努力シナケレバナリマセン。
ソウ言ウ必要ハ特ニ國際關係ト非常ニ關係ヲモチ
國際關係ガ急ゲバ急グ程ソウ言ウ手段ヲ考エナケレバナリマセン。
之ヲ要シマスノニ私ノ考エテイル國家改造ト言ウ事ハ
具體的ニドウ言ウ風ニ改造スルト言ウ事ハ考エテイマセン。
只人材ガ野ニアツテ出ナイ、眞ニ翼賛ヲナシ得ル人ヲドンドン出シテ行ク、
コレヲヤルノガ我々皇軍將校ノヤル事デアルト考エマシタ。
國家改造ト言ウ事ハ陛下ノ大號令ノ下ニ
ソレ等ノ人々ガ眞ニ翼賛ノ道ヲツクシテ行ツテ呉レル事ニ依テ出來ルノデアリマス。
從ツテ將校トシテハ具體的ニドウスルト言ウ事ヲ考エル事ハ必要ナク
却テ邪道ニ陥ルト思ッテイマス。
國家改造ノ目的達成ヲ遮ルモノ等ヲ打チ拂ツテモ云々ト言ウガ此ノ點ヲ詳細ニ説明セヨ
ソレハ前述シタ上下、左右ヲ通ジテ敎育的ニ指導シ
或ハ相澤中佐ノ如キ方法モアリ、
最後ニハ今度ノ二月二十六日ノ事件ノ如キ方法モ採ラネバナリマセン、
然シ私ハ今度ノ如キ方法ヲ採ルト言ウ事ハ悲シムベキ事ダト思ヒマシタ。
二 ・二六事件實行ヲ決定シタル人ハ誰カ
私ハソノ點ニ於テハハッキリ承知シマセンガ
確カメマセンデシタガ全般ノ空氣ガ決定的ニナツタト言ウ事ヲ知ラシテ下サレタノハ、
二月二十三日正午頃吉祥寺ノ自宅ニ村中ガ來テ其ノ事ヲ知ラシテ下サレマシタノデ
私ハ其ノ時部隊ノ人達ノ決意狀態ガ如何ナル程度デアルカニ不安ヲ感ジタカラ質問シマシタ。
其ノ時ニ部隊ノ方ガ非常ニ決意ガ強イト言ウ事ヲ聽イテ
實行ノ可能性アル事ヲタシカメマシタノデ用意ヲシマシタ。
ソレデ其ノ用意シタ時ニソノ期日モ村中ガ言ツテ呉レマシタ。
二十六日午前五時半各自目標同時ニ襲撃ト言ウ事デシタ。
私ハ歩一ノ大尉以上現地戰術、ソレカラ歸ルト動員ト暗號ノ事ヲ他ニ氣ヲクバレズ、
スグ又旅團下士官ノ現地戰術ニ出テ二十二日午後四時半頃自宅ニ歸リマシタ。
從テ村中等ガ最後ノ決意ヲシタ席ニハ出ナカツタノデアリマス。
約十日位留守ヲシタ關係デ出席シマセンデシタガ
若シ出席シタ場合ニ於テ如何ナル意見ヲ言ウカニツイテハ何トモ言エナイ。
國家改造運動に關与ノ狀態如何
十月事件ノ末期頃カラデアリマス。
此ノ問題ニ就イテ歩一ノ中、少尉會ヲ開キ、
栗原中尉ガ最モ深イ關係ヲ持ツテ居マシタカラ栗原ニ實情ヲ説明サシタノデスガ
全般ノ空氣ガ栗原ヲ壓迫シテイマシタ、
然シ栗原ノ考エガヨイ場合ハ勿論惡イ場合デアツテモ若い將校ヲ壓迫スルト言ウ事ハ面白クナイ、
何トカ指導スル必要ガアルト思ヒマシタ。
ソレニハ自分ガ自ラ飛ビ込ンデ研究シテ見ル必要ガアルト考エマシタ。
之ヲ栗原ガ感附イテ 一ツ菅波ニ會ツテ話ヲ聞イテ見ナイカト言ハレ
日時ハハツキリシマセンガ 十月事件ノ末期デスカラ 昭和六年十月十日前後ト思ヒマスガ
明治神宮ノ參道ノ神宮アパートで菅波大尉ニ會ツテ話ヲ聞イタノガ動機デアリマシタ。
其ノ後數回菅波ニ會ヒマシタ。
初ノ中ハ善惡ノ判決ヲ与ヘテ居リマセンデシタガ
次ノ事カラ身命ヲ賭シテモ努力セネバナラヌト感ジマシタ。
ソレデ此ノ一團ハ正シイ動キ方ヲシテイルト思ヒマシタ。
ソレハ丁度十月事件關係者ノヤリ方ガ非常ニ不純デアルノデ菅波ト色々話をシマシタガ
菅波ハソノ 「 一團 」 ノ中ニ居テ
「 イザ 」 ト言フ場合ニ之ヲ 「 引キ戻ソウ 」 ト決心ヲシテイマシタノデ
私ハソレナラヨカロウト言フテ賛成シマシタ。
ソレデソノ十月事件デ日ニチハハッキリシマセンガ誰カガ押サエラレタ時、
アア コレデヨカツタト歓聲ヲモラシタ人ガアリ
始メテ純眞ナ人々ガ一團ノ中ニアル事ガワカリ
爾來ソノ人々ト一緒ニ改造運動ヲヤツテ來タノデアリマス。
ソレデ私ハ三十七期デ相當古參ノ方デシタカラ
マア年寄役ト言ツタ様ナ統制的ナ事ヲヤツテ來マシタ。
運動資金ノ關係如何
運動資金トシマシテハ個人トシテ自分デヤル通信及運動ハ自分デ出シテ居リマシタガ
村中、磯部等ガ定職ニナツテカラ其ノ生活補助ト運動資金ヲ得ル爲ニヤル事ニナリマシタ。
最初當時明石少尉ガ砲工學校ニ居テ村中及磯部ニハ將來モ運動ヲシテ貰ハネバナラヌカラ
其ノ生活ヲ補助シ且運動ニ從事シ得ル様ニ援助シテ下レトノ印刷物ヲ同志ニ出シマシタ。
ソノ後明石ガ砲工學校ヲ卒業シ私ハ北支那カラ歸ツテ來タノデ明石カラ頼マレテヤリマシタ。
最初安藤ト二人デヤツテクレト明石ニ頼マレマシタガ安藤ガ忙シイノデ私ガ一人デヤリマシタ。
ソシテ私ガヤル事ニナツテカラ昨年十月カ九月ノ末
同志ニ明石ト交代シタ事及將來更ニ援助シテクレト言ウ事ヲ書イテガリ版刷りノ手紙ヲ出シマシタ。
ソノ配布先ハ憲兵隊デオ持チニナツテイル通りノ名簿デアリマス。
只其ノ名簿ニハ同志デハナク知人關係ノ人モアリマスカラ承知シテ頂キマス。
玆ニ於テ別紙名簿氏名ヲ告知シタルニ相違ナキコトヲ申し立てタリ
尚知人ト言フ程度ハ佐藤操、
松本ハ同期生關係デ準同志、岡田、安藤ハ同期生關係デアリマセウ。
アマリ外マワリノ事ヲシマセンカラ、ハッキリシタ事ハワカリマセン。
大體ニ於テ送金シ來ル者ハ同志ト思フ事ガ出來マス。
明石中尉ヨリ 引繼時ノ狀況如何
名簿ヲ引繼グ時ハコノ〇ヲ打ツテアルノハ大體送ツテクレルデセウ。
餘程骨ヲ折ラント中々集リマセンヨト言ハレマシタノデ私トシテハ大ニ努力シヤウト思ヒマシタ。
其ノ結果大體十月カラ二月迄ハ生活補助ハ出來タト思ヒマス。
運動方面モ大體マカナツテイルト思ヒマス。
集ツタノハ全部村中ニヤリマシタ。
通信費ハ私ガ全部負担シマシタ。
二 ・二六事件ヲ起ス際ノ眞ノ氣持如何
昨年七月北支那カラ歸ツテ第一回ノ週番ヲシマシタ時ハ
軍装シテ出カケマシタ位デシタカラ
ソノ時は何モシナクテ 却テ相澤中佐殿ガ 「 パット 」 出タノデ
汗顔ニ堪ヘナカツタノデアリマス。
同志ハ既ニ昨年敎育總監更迭ノ際カラ
「 何カヤラナケレバナラヌ 」
ト言フ堅イ決意ガ全部ニ出來テイタノデアリマス。
全國同志ハ必ズシモ手紙カ印刷物ヲ貰ハンデモ同ジ様ニ氣分ガ動イテイルノデアリマス、
私ハ其ノ點ハ非常ニ不思議ニ思ヒマス。
北支那デ考エテ居タ事ヲ内地ヘ歸ツテ來テ聞イテ見ルト全ク同ジデス。
今度ノ事件デモ通知ヲ出シタノハ東京ト豊橋ダケデスガ
然シ全國ノ同志ハチヤント此ノ動キヲ承知シテイルト思ツテ安心シテイマス。
北支那邊リデ貰ツタハガキニハ一寸シタ警句ノ様ナモノヲ書キソレデ全般ノ狀況ガツカメマス。
實例ハ一寸忘レマシタガクドクドシク書ク必要ハアリマセン。
殊ニ今度ノ事件デ驚イタノハ下士官兵ガ意外ナ鞏固ナ決心デ集ツタ事デ
何カ事ヲ擧ゲレバ案外大キナ事ガ出來ルト思ヒマシタ。
同志名簿及 醵金きょきん名簿ハ如何ナルモノカ
同志名簿ヤ醵金名簿ガアル事ハ知リマセン。
以前金ヲ集メタ事ハアリマスガ名簿ノ事ハ全然知リマセンデシタ、
村中ガ新聽ヲ配布スル爲ニ配布名簿ハ必要デアリマスカラ作ツテアルト思ヒマス。
名簿ガ無ケレバ配布ガ出來マセンカラ村中、磯部ハ全ク金ヲ集メマセン。
私ガ全部集メテ來タモノハ之ヲ村中ニ渡シマシタ。
指定ノ爲替ハ引出シテ現金トシテ渡シマスガ
其ノ他ハ爲替ノママ手紙ト共ニ村中ニ渡シテ居リマシタ。
ソレデ礼狀ハ私カラ出シマシタガ
私カラバカリデモイケナイカラ暇ナ時ハ村中、磯部カラモ出スヨウニシテイマシタ。
他ニ申シ立ツル事ナキヤ
此際軍ガ各個人的ノ感情ニ囚ワレテ一致シ切ラナイ様ニ思ヒマス。
ソレヲ大乗的見地カラサラリト棄テテ眞ニ一致團結シテ維新翼賛ニ邁進シテ貰ヒ度イト思ヒマス。
ソレガ始メカラ終リマデノ希望デアリマス。
ソレカラ意見トシマシテハ之ヲ維新ニ邁進シナカツタナラバ今度ノ事件ハ國軍ヲ破壊シテ行クト思ヒマス。
此ノ点 上ノ方ハ十分考ヘテ事ノ起コラヌ前ニハ議論デモヨイガ最早起ツタ事デアルカラ
事件ノ善惡ヲ議論スルト言フ事ヲヌキニシテ起ツタ事實ニ基イテ善処シテ頂キ度イモノデ
其ノ意味ハ國軍ノ強化、其ノ結果トシテ外交ヲ有利ニ導ク事ガ出來、
國民ハホントウニ覺醒シ其ノ結果大御心ヲ安ンジ奉ル事ガ出來マス。
ソレニ就テ注意トシテ上ノ方ニ申上ゲタイハ
明治元年ノ勅語ノ中ニモ
「 尊重ノミ朝廷ノ事トシ 神州ノ危急ヲ知ロシメズンバ 朕ヲシテ君タルノ道ヲ失ハシムルモノナリ 」
ト言フ一節ガアリマスガ 特ニ上司ヘ之ヲ考慮シテ貰ヒ
只 陛下ヲ神棚ニアガメルト言フ事ヲ棄テテ
陛下ト共ニ君臣一體
陛下ト共ニ喜ビ
共ニ憂ウル ト言フ様ニヤツテ戴キ度イト思ヒマス。
今申シタ事ハデキル丈早ク上ノ方ニ申上ゲテ 今ノ此ノ危急ヲ切リヌケテ頂キ度イト思ヒマス。
今考ヘテイル事ハ夫レ丈デアリマス。
香田清貞
右讀聞ケタル処相違ナキ旨申立ツルニ附署名拇印セシム
昭和十一年三月十六日
陸軍司法警察官 陸軍憲兵少佐 宇津木猛雄
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