あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

北一輝 ( 憲聴取4 ) 『 實ハ西田税ガ、二月二十七日ヨリ同月二十八日迄私方ニ居リマシタ 』

2020年03月25日 20時11分14秒 | 赤子の微衷 1 西田税と北一輝 (聽取書)


北一輝 
・・・前頁 北一輝 (憲聴取3) 『 彼等ノ行フコトハ正義デアル 』 の 続き

第四回聽取書

住所  東京市中野區桃園町四十番地
無職  北一輝事  北輝次郎
當五十四年
右ハ、昭和十一年三月八日、東京憲兵隊本部ニ於テ、本職ニ對シ左ノ陳述ヲ爲シタリ

只今讀ミ聞カセタル聴取書ノ内容以外ニ、秘匿シ居ル事項ヲ述ベヨ
實ハ西田税ガ、二月二十七日ヨリ同月二十八日迄私方ニ居リマシタ。
其當時、私ガ西田ニ對シ、
君ハ蹶起軍ノ行動開始前ニ既ニ知ツテ居タノカト問ヒマシタ処、
夫レハ前ヨリ薄々知ツテ居タト答ヘマシタノデ、
ソレナラバ何故僕ニモ知ラセナカツタノカト訊シマスト、
西田ハ
曾ツテ五 ・一五事件ノ時ノ様ニ貴方ニ止メラレ、
再ビ裏切者ト云ハレルカト思ヒマシタ、
ト云ヒマシタノデ、
然ラバ此ノ事件ヲ如何ニ処置スルカト尋ネマシタ処、
西田ハ現在同志ガ力ト頼ム軍事參議官ニハ會フ事ガ出來ズ、
全ク施ス術ガ無イ模様ダト答ヘマシタ。

其ノ方ハ其ノ際、西田ト二人デ何レモ事件ニハ全ク關係シテ居ナイト云フ事ニシヨウト打合セヲ爲シタノデハナイカ、
尚二名ノ内、一人ガ捕ヘラレテモ殘ツタ一人デ目的ノ貫徹ヲ期シ、善後処置ヲスルコト迄誓ツタノデハナイカ
西田ハ何ト云ツテ居ルカハ知リマセンガ、私ハ左様ナ打合セヲシタコトハアリマセン。
マシテ何レカ一名ガ殘ツタ場合ノコト迄モ約束シタコトハ決シテアリマセン。

西田ニ就テ、二月二十六日以後ノ情勢ニ附知ツテ居ル範囲ヲ正直ニ申述ベヨ
二月二十六日迄ノコトハ前回ニ於テ申述ベタ通リデアリマスガ、
二月二十七日ノ午前カ午後カ覺ヘガアリマセンガ、西田ガ私方ヘ來マシテ、
愈々皆ガヤツタト言ヒマシタノデ、
私ハ西田ニ君ハ前カラ知ツテ居タノカト尋ネマシタ処、
薄々ハ知ツテイタト云ヒマシタノデ、
ソレデハ僕ニ知ラセソウナモノデハナイカト云ヒマシタ。
スルト西田ハ
五 ・一五事件ノ時ノ様ニ貴方ニ止メラレ
再ビ苦シイ破目ニ陥ルカト思ツテ知ラセマセンデシタ。
ソレデ私ハ、此ノ事件ノ始末ヲ如何ニ処置スル考ヘカト尋ネマシタ処、
實ハ眞崎、荒木等ノ軍事参議官モ、事件モ承知シ居ラズ、
又之等ノ人々ハ皆宮中ニ立籠ツテ居ルノデ聯絡ノ方法ガ無ク、
施ス術モナイノデ困ツテ居ル模様ダト申シマシタ。

蹶起部隊ノモノト軍上層部トノ聯絡等ニ就テ、西田ハ何ト話シタカ
下層部ノ團結ハ出來テ居ルガ、上層部トノ聯絡ハ無カツタト云フ話ヲシマシタ。

彼等少數ノ大、中尉ヤ少尉等ガ、斯ク程ノ大事ヲ起スニ附、
上層部ノモノガ全然之ヲ知ラナカツタト云フコトハ、受取ラレナイコトデハナイカ
私ノ考ヘデハ、夫レガ事實デハナイカト思ヒマス。
上層部即チ 眞崎、荒木 乃至 本庄等ヲ始メ石原莞爾等、所謂皇道派ト謂ハレル人々ニモ、
全然聯絡ヲセナカツタト云フコトデアリマシテ、
彼等ノ 「 合言葉 」 にある如ク
全ク 尊皇討奸 即チ重臣一派ヲ殪シテマデノ事デ、
何等後始末ノ出來ル筈ハナイト思ヒマス。
又アレ程同情シテ居ツタ満井中佐デモ、聽知シテ居ナカツタト云フコトデスカラ、
全ク上層部ニハ聯絡モセズ蹶起シタモノト信ジテ居リマス。
眞ニ昭和維新斷行ノ詔勅ヲ宣布セラレンコトヲ希フニハ、
軍上層部ノ力添ヘニ俟タナケレバ實現ハ不可能デアルト思ヒマス。
北輝次郎

右讀聞ケタル処、事實相違ナキ旨申立ツルニ附、署名拇印セシム
昭和十一年三月八日
東京憲兵隊本部
陸軍司法警察官  憲兵少佐  福本亀治

・・・次頁 北一輝 ( 憲聴取5 ) 『 二十七日午後、安藤大尉ヲ電話ニ呼ビ出シテ、「 〇ガアルカ 」 ト尋ネタコトガアルカ 』 に  続く
二 ・二六事件秘録 (一) から


北一輝 ( 憲聴取5 ) 『 二十七日午後、安藤大尉ヲ電話ニ呼ビ出シテ、「 〇ガアルカ 」 ト尋ネタコトガアルカ 』

2020年03月25日 05時09分54秒 | 赤子の微衷 1 西田税と北一輝 (聽取書)


北一輝 
・・・前頁  北一輝 ( 憲聴取4 ) 『 實ハ西田税ガ、二月二十七日ヨリ同月二十八日迄私方ニ居リマシタ 』 の 続き

第五回聴取書

住所  東京市中野區桃園町四十番地
無職  北一輝事  北輝次郎
當五十四年
右ハ、昭和十一年三月十三日、東京憲兵隊本部ニ於テ、本職ニ對シ任意左ノ陳述ヲ爲シタリ

一、只今カラ、西田税ガ事件發生後、私方ニ參リマシタ以後ノ行動ニ就キ申述マス。
一、二月二十七日ノ昼前后ニ私方ニ訪ネテ來マシテ、大變ナ事ガ出來タト申シマシタカラ、
  君ハ前カラ少シハ知ツテイルカト尋ネマシタ処、知ツテ居タト云ヒマシタノデ、
私ガ斯ル大事件ヲ起スニ附テハ、僕ニモ尠シハ話シテ呉レソウナモノデハナイカ、
一體ドンナ事ニナツテ居タノカト反問シマスト、
西田ハマヅ其事ハ後ニシマセウト云ツテ話ヲ避ケマシタノデ、私モ其レヲ強イテ聽クヨリモ、
第一此ノ事態ヲ如何ニシテ収拾スルカト云フコトガ問題デアリマシタカラ、
西田ニ對シ、其ノ靑年將校ノ行動ニ就テハ、
眞崎、荒木、本庄ノ欠く大將、小畑、石原、満井サン達モ承知シテ居ルノカト尋ネタ処、
其等ノ人々ニハ全然聯絡シテ居ナイト云ヒマシタノデ、
私ハ 「 シマツタ 」 ト思ヒマシタ爲メニ、暫ク次ノ言葉ガ出ズ、無言デ居リマシタ。
其時私ハ、斯ル大事件ヲ起スニ、縦ノ聯絡ナクシテ事ヲ起シタノデハ駄目ダト深ク感ジマシタ。
其際、西田ノ話ニ依リマスト、靑年將校ハ臺灣軍司令官ノ柳川中將閣下ヲ主張シテ居ルトノ事デシタカラ、
私ハ臺灣軍司令官ヲ誰レガ呼ビ寄セルカガ問題デアリ、
又臺灣カラ來ルニハ相當ノ日數ヲ要スルガ、其レ迄ノ猶豫ガ出來ナイカラ左様ナコトヲスルヨリモ、
靑年將校ハ意見ヲ一致シテ、眞崎大將ヲ内閣首班ニ推シ、
而シテ軍事參議官ニモ同意ヲ求メ、同參議官カラモ、亦靑年將校カラモ兩報カラ一致シテ眞崎大將ヲ推戴セバ、
或ハ奉勅命令モ發セラレルカモ知レナイシ、
決起將校等ノ蹶起趣意書ノ目的モ達セラレルコトニナルモノト思ヒマシタノデ、
私ハ二十七日ノ午後、時間ハ記憶アリマセンガ、首相官邸ニ電話ヲ掛ケ、
栗原中尉デアツタト思ヒマスガ、電話ニ出マシタノデ、今申上ゲタ様ナ私ノ意見ヲ話シマシタル処、
栗原中尉ガ、デハ早速靑年將校全部ニ話シテ見マセウ、ト云ツテ電話ヲ切リマシタ。
其日ノ夕方、栗原中尉カラ電話デ先程ノ電話ニ基キ同志ニ諮はかツタ処、
皆賛成シタ処ヘ、幸ヒ軍事參議官阿部、西、眞崎ノ三大將ガ首相官邸ニ來タカラ、
其ノ事ヲ依頼シタ処、
阿部、西 兩大將ハ至極良イコトダカラ、軍事參議官全部ニ相談ヲシテ善処スルト答ヘタガ、
眞崎大將ハ直ニ兵ヲ引ケト謂ハレタトテ、稍々やや不満ノ口調デアリマシタガ、
兎ニ角、三人ノ軍事參議官ハ何レ追テ其ノ返事ヲスルト云ツテ只今引上ゲテ歸ツタトノコトデシタノデ、
翌二十八日ハ其返事ノミヲ待ツテ一日ヲ暮シテイル内ニ、
今日夕刻遂ニ其返事ヲ聞カズニ私ハ憲兵隊ニ來タノデアリマス。

西田税ガ其方ヲ訪レタ目的竝ニ話ノ内容ハ如何
西田ハ二月二十七日ノ昼頃カ、其前后ニ私方ヲ訪レマシタカラ、
只今申上ゲタ様ナ話ヲシマシタガ、其他ハ雑談デ特別變ツタ話シモシマセンデシタ。
私ハ二十七日ノ夜ハ歸ルコトト思ツテイマシタガ歸ラズ、私方ニ一泊シマシタガ、
二十八日ニハ軍事參議官ノ返事ヲ靑年將校カラ通知シテクルノヲ待ツテ居タ丈デアリマス。
西田ノ來訪目的ハ、西田カラ直接聞イタノデハアリマセンガ、
私ノ考ヘデハ、
西田ハ蹶起軍ノ事態収拾策ニ就キ何カ適切ナル手段ガ無イカト推察シマシタカラ
西田ハ口デハ左様ナコトハ言ヒマセンデシタ。

二十七日頃、龜川哲也ヨリ其方ノ許ヘ電話ヲ掛ケタルコトガアルカ
私ハ龜川トハ面識モナシ、又實際私ハ電話ヲ受ケモシマセンデシタガ、
若シ電話ヲ掛ケタトスレバ或ハ西田君ガ受ケタノカモ知レマセン。
ソレハ、西田ハ私方ノ卓上電話ノアル一室ニ終始隠レテ居リ、
私ハ別室ニ居リマシテ、外部カラノ電話ハ西田ガ受ケルコトガ出來ル様ニナツテ居リマシタノデ、
果シテ龜川カラノ電話ヲ西田ガ受ケタカ否カハ確實ナコトハ知リマセンガ、
私ハ龜川ヨリ電話等受ケタ事ハ絶對ニアリマセン。

二十六日、中野警察署特高主任ガ訪問シタル際、其方ハ次の如キ要旨ノ雑談を爲シタルコトガアルカ
1、數月前、西田税ガ自分ハ最早押ヘルコトガ出來ヌト云ツテ居タ。
  西田ハ陸軍ノ或方面カラ靑年將校ヲナダメル様頼マレタラシイ。
併シ、西田ハ昨日カラ所在ガ判ラナク、聯絡ガトレナイ爲、今日ノ情勢ハヨク分ラナイ。
2、本日ノ事件ニ出動シテ居ル軍隊ハ、約三千人位居ルダロウ。
  近衛ガ宮城ノ守護ニ當ツテ居ルガ、処置ヲ講ズレバ皆銃ヲトツテ立ツデアラウ。
マダ飛行機モ出ナイガ、狀況ニ依ツテハ出ル様ニナルカモ知レナイト思フ。
3、本日ノ事件ニ關係シタ將校聯ハ、大體僕ノ思想系統ニ屬スル者ガ大部分居ルガ、
  私ハ皆カラ高天原ト云ハレテイル位デ、最近軍人ニ會ハズ、此ノ事件ニ關係シテ居ナイ。
4、本事件ノ軍人ノ意嚮ハ、大體次ノ様ニ思フ。
イ、重臣ブロックノ一掃。
ロ、財閥重臣ブロックト結託シ、軍幕僚聯中ノ一掃、
  即チ、軍内ノ腐敗セル聯中ヲ一掃シテ軍内ヲ一掃スルコト。
ハ、警察官ヲ攻撃シ、帝都ヲ混亂ニ陥レルガ如キコト、
  即チ變電所其他 五 ・一五、神兵隊 恋中ノ計劃シタ様ナコトハナイト思フ。
5、事件ノ収拾ハ誰レガヤルカ判ラナイ。其レハ天皇陛下ノ大御心デアル。
6、先日或モノヨリ宇垣、南、小磯、建川ハ斬ラナケレバナラヌト云ツテ居タ。
  宇垣、南ハ、或ハヤラレルカモ判ラナイ。
7、本日ノ事件ハ、二、三日デ片附クコトヲ希望シテ居ル。
  長引ケバ地方ガ心配ダ。地方ハ東京以上靑年將校ガ尖鋭化シテ居ル。
8、陸軍大臣ハオ人好デ何モ出來ナイカラ、大勢ノ赴ク処ニ行クデアロウ。
9、軍幕僚ガ天保錢ヲツケテ何モ出來ヌノニ、正義ノ士を遠ザケル爲メ事件ガ起ツタノデアル。
  相澤ガ永田ニ辭職ヲ勧告スレバ、臺灣ニヤル、柳川ガ硬骨ノ士ダカラ満洲ニ追ヒヤラレルト云フ、
ソンナ事デハ軍人ハ戰爭ハ出來ヌ。彼等ハ相澤ガ永田ヲ斬ツテ臺灣ニ赴任シ様ト思ツタ様ニ、
改革ヲ遂ゲテ満洲ニ行クト思フ。
相澤ハ自分ノ所爲ハ認識不足ト云ツタガ、今回ノ行動ハ絶對認識不足ニ終ル事ハアルマイト思フ。
10、本日ノ事件ハ、其出動シタ軍隊ニヨリ事實上ノ戒嚴令ガ布カレテ居ルノデアル。
  之ニ對抗スル軍隊ハナイ。
(1)、第一ノコトハ、西田ハ五 ・一五事件ノ時、
  陸軍ノ首脳部カラ靑年將校ノ蹶起スルノヲ押ヘル様頼マレテ、
其ノ結果トシテ彼ノ時ノ様ニ襲撃セラレテ、漸ク一命ガ助ツタモノダカラ、其レニ懲リテ、
其レ以下ハ決シテ押ヘル様ナ立場ニ廻ツタリ、又ハ其レニ參加スル様ナコトガナイ。
二、三日前ニ來タガ
今回ノ事ニ就テハ知ツテ居ルカ如何ハ私ニハ判ラナカツタ、
ト話シタノデアリマス。
斯様ナ話ヲシタノハ、
特高主任ガ西田派ガ蹶起シタト云フコトヲ質問シマシタカラ其返事ヲシタノデアリマス。
(2)、第二ノ方ハ、先方ガ事件ノ擴大性ヲ問ヒマシタノデ、
  私ハ如何ニ擴大スルカハ確實ナ判斷ハ出來マセンデシタガ、
各種ノ風評ガアリマスノト、又特高主任モ飛行機ガ出ルダロウカ、
其他軍隊モ出ルダロウト云フ様ナ事ヲ訪ネマシタノデ、
普通一般ノ人々ガ斯様ナ事變ノ時ニ想像シタリ問答シタリスル様ナ意味合デ、
双方ガ憶測問答ヲシタノデアリマス。
(3)、第三ハ、特高主任ガ今度蹶起シタ將校ハ、皆貴方ノ關係ノ系統ノ人々ダト云フコトデスガ、
  眞實デスカト問ヒマシタノデ、私ハ心ノ中デ何トナク左様ナ氣ガシマスノデ心配ヲシテオリマシテ、
只其ノ將校中ニハ高天原ト云フ綽名ヲツケマシテ、全然、實際問題ニ關知シナイ様ニナツテ居リマスノデ、
當日ハ實際ノコトハ判ラナイト答ヘマシタノデアリマス。
(4)、第四ハ重臣ブロック云々トカ、財閥一掃云々トカ云フコトハ、
  特高主任ガ新聞其他ヨリ得タル警官ノ一般智識ヨリ左様ニ私ニ話シ掛ケテ、
双方ガ雑談シタ様ニ思ヒマスガ、私カラ進ンデ話シタ事ハアリマセン。
警官ヲ攻撃セナカツタト云フ事ハ、特高主任ガ話シタコトデアリマス。
其話ニ附ケ加ヘテ、各警察署ハ其ノ管内ノ安寧秩序ニ専念努力セヨト云フ命令ガ出マシタ、
其命令ハ、警視庁ガ軍隊ニ占領セラレテ居ルカラ、
軍隊監視ノ下ニ警視庁カラ斯様ナ命令ガ出タコトト思ヒマス、ト私ニ話ヲシテ聞カセマシタ。
ソシテ私ハ結構ナコトダ、軍隊ガ警官ヲ殺傷スル様ナコトガナクテ良カツタ。
尚其當日ハ、軍隊丈ケデ民間ハ尠シモ關係ナイモノト信ジテ居リマシタカラ、
五 ・一五事件ノ時ノ様ニ民間側ガ變電所ヲ襲撃シタリシテ、市民ニ不安ヲ与ヘル様ナ事ガナクテ、
非常ニ良カツタト云フ意味ノ答ヘヲシタノヲ覺ヘテ居リマス。
(5)、第五ノ様ナ事ハ、全然、私ハ言ツタ覺ヘハアリマセン。
  私ハ平素左様ナ不謹愼ナ事ヲ口ニセナイ修養ガ出來テ居リマス。
(6)、第六ハ、皇道派ガ蹶起シタノダト云フコトニナレバ、宇垣サンヤ南サンハ危ナイデセウネト尋ネマシタノデ、
  私ハ擴大セバ誰レノ身ニ如何ナルコトガ起ルカソレハ判ラナイサ、
ト云フ輕イ返事ヲシタダケデアリマス。
(7)、第七ハ、一刻モ早ク靜マツテ貰イ度イモノダト云フコトヲ私ハ云ヒマシタ。
  殊ニ尖鋭化ト云フ様ナ言葉ハ私ハ使ヒマセン。警察官ノ用フル言葉デアリマス。
併シ私ハ心中ニ地方ノ動亂ガ波及スルコトヲ憂ヘテ居リマシタカラ、
或ハ地方デ長引ケバ何事カ起キハセヌカト口外シタカモ知レマセン。
(8)、第八ノ如キハ、絶對ニ私ハ言ツタ事ハアリマセン。
  殊ニ川島大臣ハオ人好等ト云フ世評モ聽イタコトガアリマセン。
(9)、第九ノ如キ事ハ、私ハ決シテ言ヒマセン。殊ニ天保錢等ト軍内部ノコトハ曾テ言ツタコトハアリマセン。
  尚私ハ世間ニ云フ派閥ノ圏外ニアル考ヘデ、支那問題其他重要ナコトデ會ヒタイト思フコトデモ、
此ノ爲ニ今日迄不便ヲ忍ンデ誰ニモ會ハヌ位ニシテ居ルノデアリマスカラ、
左様ナコトヲ云フ筈ハアリマセン。
(10)、第十ノ話ノ如キハ、事件突發ノ當日デアリ、且ツ私ニハ眞相ノ判ラナイ時デアリマスカラ、
  左様ナ事ヲ申ス筈ガアリマセン。
此ノ警官ハ、其ノ日ト數十日前ニ一度、前後二回私方ニ來タ人デアリマスカラ、
人物モ知ラズ、殊ニ警官ニ對シ、常識アルモノガ、列擧シテアル様ナコトヲベラベラ話ス道理ハアリマセン、
私ノ感ジデハ、此ノ警官ノ報告書ハ二十六日ノ日ニ書イタモノデナク、
稍落附イテカラ何カ故意ニ書イタモノデハナイカ、ト思ヒマス。

警官ガ訪問中、其方ハ百圓札五、六枚云々ト電話シタコトガアルカ、其内容如何
ソレハ警官ト對談中、卓上電話デ話シタコトデアリマス。
其相手ハ、市内麻布霞町番地不詳佐久間君カラノ電話デアリマシテ、
同君ハ市内ノ大騒ギヲ話シタノデアリマシタ。
私ハ佐久間君ガ大阪ニ居ルコトト思ツテ居タノニ東京ニ歸ツテ居リマスノデ、
「 カラカフ 」 意味ニ於テ百圓札ヲ五、六枚持ツテ來イト戯レタノデアリマス。

佐久間トハ如何ナル關係ガアルカ
佐久間君ハ、篤學ノ支那研究者デ、支那語ノ外ニ英語、露西亜語ニ通ジテ居リマシテ、
殊ニ支那回敎徒ノ問題ニ附テハ二十年以上モ研究ヲ積ンデ居ル人デ、
私トハ二十年前カラノ友達デアリマス。
又昨年中、外務省、陸軍省ノ指示ヲ受ケテ
回敎徒ノ地方、トルコ、中亜細亜ニ日本ノ經濟的進出ヲ計ル爲メ大阪、東京ノ財界ノ大立物ノ賛助ヲ得ルベク、
大阪ヘ度々參ツテ居リマシタノト、運動ノ性質上、金ニ不自由デスカラ私ガ百圓五、六枚持ツテコイト云ツタノハ
巧妙ニカラカツタノデアリ、又先方モ賣言葉ニ買言葉デ百圓札持ツテ行カウト言ツタ丈ケノコトデアリマス。

其方ハ、二月二十七日午後、安藤大尉ヲ電話ニ呼ビ出シテ、
「 給与ハヨイカ 」 「 ○ガアルカ 」 ト尋ネタコトガアルカ
私ハ、安藤大尉トハ四、五年會ヒマセヌ。又安藤大尉ガ何処ニ居ルカモ知リマセン。
且ツ 其ノ電話ノ内容ノ如キコトハ考ヘテモ居リマセズ、勿論問フタコトガアリマセン。
・・・リンク → 謀略、交信ヲ傍受セヨ 』 

其方ハ二十六日夜、岩田富美夫ノ処ヘ金ノ相談ニ行ツタ事ガアルカ
私ハ日ハ覺エガアリマセンガ、二十日カラ二十五、六日迄ノ間ニ對シテ金ヲ借リタイガ都合ガツクカ否カ、
ト訪ネタコトガアリマス。其時、岩田ハ現在ハ無イガ都合ガ附イタラ考ヘテ置キマセウト言ヒマシタノデ、
金ハ受取ツテハ居リマセン。

其金額ハ何程デ何ニ使用スル目的カ
私ハ岩田ノ都合ガ附ケバ、二、三千円借リタイト心ノ中デ思ツテ居リマシタガ、
額ハ口外シマセンデシタ。
使用ノ目的ハ月末ノ支拂其他三、四月迄ノ小遣、支拂等ニシタイト考ヘタノデアリマス。
然シ岩田ガ千圓モ都合シテ呉レレバ上出來ト思ツテ居リマシタ。

蹶起部隊ノ將校等ハ、其方ノ思想的ノ同志デアリ、又只今ノ問等ニ於テモ、
大體彼等ガ何ヲ要求シテ居ルカヲ知ツテ居ルモノト認メラレル。
然ラバ、其方ガ先ヅ當局ノ時局収拾ノ爲メ、眞崎大將ニ一任スル如ク栗原等ニ指示シタノハ、
要スルニ蹶起部隊ノ要求ニ都合ノヨイ様ニ解決サセル目的デ指示シ、
又薩摩ヲシテ外部ニ運動サセタノハ、其様ナ空氣ヲ助成シテ、外部的ニ援助シタルモノト認メラレルガ如何
其ノ様ニ言ハレレバ其様ニ解セラルカモ知レマセン。
私ハ先ヅ時局収拾ガ第一デアルト考ヘタノデアリマス。

其他申述ブルコトナキヤ
アリマセン

北輝次郎

右錄取シ讀聞ケタル処、事實相違ナキ旨申立ツルニ附、署名拇印セシム
昭和十一年三月十三日
東京憲兵隊本部
陸軍司法警察官  憲兵少佐  福本亀治

・・・次頁 北一輝 (憲聴取6) 『 外部カラ蹶起部隊ニ對シテ好意的ナ助言ヲシタ 』  に  続く
二 ・二六事件秘録 (一) から