日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

熊谷守一 生きるよろこび展 国立近代美術館

2018-03-14 | 絵画
50代後半から外へ出ない月日が30年。
仙人という異名を持つ個性的な熊谷守一は、
若い頃より目に見える光の不思議から光学を、そして色彩学、遠近法なども追究し
「物の持つ性質」を絵に表現していった画家。
 
ランプ 1910年(明治43)頃
光と闇をテーマにしていた初期の頃の作品。
 
向日葵と女 1924年(大正13)
荒いタッチを特徴とした頃の作品。
向日葵と女性の生命力がみなぎるような絵。

湯檜曽(ゆびそ)の朝 1940年(昭和15)

朝日の黄色と明るい赤が風景を満たしている。
山は緑に、日が射した山は黄色に。

赤い線の輪郭は守一の作品の大きな特徴になっている。
それは背後から光が物を縁取ることに由来するためだという。
その手法はそれぞれの色を際立たせ
対象物の性質がよりリアルに見えてくる。

水仙 1956年(昭和31)
コップの中で水により屈折する水仙の茎。
そしてコップを光の加減でプリズムのように描いた視点が特徴的な守一作品。

豆に蟻 1958年(昭和33)

守一の庭にいた蟻を観察して描かれたのだろうか。
蟻は左の2番目の足から歩くことを知ってから絵を描いたという。
庭の地面に顔をつけて、蟻を追って。

猫 1965年(昭和40)

猫を飼っていた守一は猫が動きを変えるたびその骨格の変化を
幾何学的に描いた。守一の代表作品の1枚。

宵月 1966年(昭和41)

青い空に半月。木の幹と3枚の葉がシルエットのように黒く。
月の高さは季節やその年によって変わるが
1996年の月は低かったので
この位置で月が見えたのではないかといわれている。
単純ながらも冴えた空気を感じる美しい絵。

特別出品
長谷川利行 熊谷守一像 年代不明

守一と長谷川利行が交友関係にあったことをこの出品作で初めて知った。
貧しく、絵を描くキャンバスもなく
箱の蓋や段ボールに絵を描いていた長谷川利行。
彼の作品は滅多に見られないので
この1枚を見られたことはうれしかった。

熊谷守一は岐阜の裕福な実業家の家に生まれ
東京美術学校を主席で卒業したが
結婚してから貧しい生活の中、子供の死に遭いながらも
苦難を乗り越え
57歳の時に家を建てた頃より絵が売れはじめた。
昼は妻と囲碁を楽しみ
夜の8時頃から部屋で絵を描く生活だった。

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