日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

生誕130年 橋口五葉展 千葉市美術館

2011-07-31 | 絵画

Goyo_kibara
今回、100年ぶりに橋口五葉の「黄薔薇」を見ることが出来るというので千葉美術館へでかけた。

グラフィックデザインの先駆けとして知られる五葉は
日本画、洋画、本の装幀、ポスターなどのデザイン、
そして又日本画へと移行して最後に到達した女性美を木版で表現した画家である。

左の「黄薔薇」は五葉が31歳の時の作品。
三越のポスターで高い評価を得たのちの絵であるが
当時は評価を得られなかったという。
しかし、紅葉の枝に手をかける女性と黄薔薇を持つ女性のまわりでは
兎や鳥、そして蝶が花々とともに自由に生を謳歌している。

旅をした五葉に強烈な印象を残した耶馬渓(大分県)は、
彼が没するまで心に深く残った場所である。
「黄薔薇」は図案的ではあるが
まるで耶馬渓を桃源郷として描いたようにも思える絵である。

そして五葉の描く絵から感じるのは彼がいた時代の空気である。
小襖の日本画、スケッチブックに描かれた風景や油彩画にも
どことなく新しさを感じる。

特に東洋と西洋を融合させた絵は、ラファエル前派の影響が色彩にも表れているためか
古代を描きながらもエキゾチックであり、
唐や印度といった国と時代がスライドしている感覚。 

五葉の兄が夏目漱石の教え子だった関係から漱石の奨めで手がけた
「ホトトギス」の装幀をはじめ、
「吾輩ハ猫デアル」の数々のジャケットデザインや、アールヌーボーの装飾を取り入れた泉鏡花などの装幀で
グラフィックデザイナーとして開花した。
本の展示だけでも見に行った甲斐があった。




五葉は34歳頃から浮世絵の研究に没頭し始める。
画家として広い分野で作品を発表し続けてきた彼が幼い時に習得した日本画へと回帰するように。

おびたたしい女性裸婦の鉛筆デッサンは3000枚もあるという。
芸者をモデルとして女性のしぐさのあらゆる表情を描いている。
なぜこうも多くデッサンに没頭するのかという疑問が生じる。
彼の胸にあったのは五葉だけの美人画を描くことだった。
それは、一本の匂うような美しい線を見いだすために積み重ねた月日の記録ともいえるだろう。



そして私家版として五葉は彫師と刷師に指示を与え
彼だけの浮世絵美人を完成させた。
匂い立つ女性。しかも清潔感があるのは
グラフィックデザイナーとして見る女性の姿のような思いがした。

写真は上から「黄薔薇」1912(明治45)年
                   「吾輩ハ猫デアル」1905(明治38)年~1907(明治40)年
                   「温泉宿」1920(大正9)年