日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

ユキの回想 ユキ・デスノス

2011-07-05 | book

フランスの詩人ロベール・デスノスの妻であり、その前は藤田嗣治の妻であったユキ・デスノスの半生を描いた書で原題は『ユキの打ち明け話』
1979年 美術公論社 河盛好蔵 訳

Yukinokaisou
フランス人である彼女の本名はリュシー・バドゥだが
「ユキ」は「ばら色の雪」という意味でフジタが名づけた。
そして「デスノスの」姓。二人の男性にちなんだこの名前は彼女の人生を語った名前ともいえよう。

本書には当時のユキの周囲の人たちをはじめとして夥しい人物が登場する。
それはユキが持つ社交性や美貌、行動力、知性、奔放さが
運のめぐり合わせを生んだことが容易に理解できる。

「ドゥマゴ」でユキが見たフジタはおかっぱ頭にべっ甲の眼鏡、そして個性的な服装で彼女の前を通り過ぎた。
ユキはたちまち魅了され、又フジタも前妻と別れたあとのことであり二人は結婚。
ユキは画家の妻になった。

フジタは絵の成功で名声も高まるが、すべてが順風満帆とはいかなかった時代でもある。
だが生活は華やかであり、画家と妻のそれぞれがリベラルなものだったことを物語っている。

ロベール・デスノスとユキは彼女がフジタと結婚する前からの知り合いであり、
デスノスは二人の家にもよく来ていた。微妙な空気があったことが想像される。
フジタとユキが日本の旅から帰った一年後に二人は離別。そしてユキは詩人の妻になった。

デスノスは広告や放送、執筆などの仕事をしユキとの平穏で幸せな生活が続いていた。
そしてフランスは繁栄していた。しかし戦争がやってくる。
デスノスはドイツによる不正への反発からレジスタンス(対独抵抗地下運動)に加わった。
彼は純粋な正義によって運動をしていた。
しかしこの運動を悪に利用した仲間によってすべてが崩壊する。

1944年2月22日、ゲシュタボがデスノスを逮捕しに来た。
デスノスはある夫人からこの情報を事前に知らされていたが夫人の息子を逃がし、
「逃げて」というユキの言葉をさえぎっている間にゲシュタボが到着してしまった。

ユキはデスノスに食料を届け、また面会できるための手続きをドイツ軍の屈辱と、
彼らへの怒りに耐えながらあらゆる手を尽くして難関に飛び込んでいった。
ユキの行動は戦争の過酷さが彼女を強くしたとはいえ、その勇気に敬服の念を覚えずにいられない。

デスノスは最初に拘留された場所から幾度か移され、ロワイヤリュー収容所でユキと会うことが出来た。
しかし次に輸送されて行くのは最後の収容所であった。
ユキはドイツ憲兵から自分が反逆者だと疑われているのを物ともせずその列を見に行く。
彼がいないことを願う。しかし不幸なことにその中にロベールはいた。
「すぐまた会えるよ!すぐまた会えるよ!」ユキをみつけたロベールが叫んだ言葉だった。

そしてデスノスの帰りを待っていたユキに知らされた現実はロベールの死であった。
チェコスロバキアのテレジン収容所でチフスのため、最後までユキを想いながら
「眠りの人デスノス」は永遠の眠りについた。

ユキに残っている力はデスノスの作品を出版して彼の存在を守りたいという思いだけだった。
彼女のその尽力はロベール・デスノスという感動的な詩人がかつていたことを今の私たちに伝えてくれる。