日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

「山吹」 泉鏡花の舞台

2010-05-25 | 泉鏡花

1992年、渋谷パルコ劇場で上演された鏡花の「山吹」は主演に鰐淵晴子、演出・中村哮夫、美術・朝倉摂で、大正アールデコの時代ともいえるシンプルな装置に、人間の中にある魂の境界を描いた作品である。

Butaiyamabuki 山吹が咲く春の修善寺。
洋画家・島津の前に現れた謎の美女は小糸川子爵夫人・縫子であった。
小糸川家とうまくいかず出てきた縫子は島津を追ってきたと言い、もう家には戻れないので一緒にいてくれと頼む。 しかし島津は縫子を知らず、どんなことがあっても生きるようにと説得して立ち去ってしまった。


そばのよろず屋で酔いつぶれている老人・藤次は静御前の繰り人形に仕える身である。藤次は若い時に何度も女を不幸にした過去を持っていた。  
彼は自分の罪を傘でぶって折檻くれるよう縫子に懇願する。やぶれ傘で何度も叩く縫子。


そして、これからもずっと自分に折檻して欲しいと願う。再び現れた島津に縫子はともに生きることを頼むが島津は煮えきらずに答えない。幸福は望めず、叶わないと悟った縫子は老人とともに生きることを決意し、「世間へよろしく…さようなら」と、老人と手をとりあって島津の前から去って行った。


ひとり残った島津はつぶやく。「魔界か?これは、夢か?いや現実だ。おれの身も、おれの名も棄てようか…。いや、仕事がある」


この物語には魔界はなく現実の中で話は進む。
現実へ別れをつげた魂が魔界なのかもしれない。藤次は静御前よりも美しい女に折檻によって罪がほろぼされることを長い間待ち望んでいた。行き場のない縫子も、世間から離れたところにこそ真実に生きられることを知る。
共通の意識がひとつとなる表現は鏡花がえがく究極の愛である。そしてラストの島津のことば 「いや、仕事がある」は、笑ってしまうせりふでもあるが大きな意味を持つ。
負った罪の折檻に耐え、見事に人形を操る老人のほうが人間界の男よりも「仕事」をしていると言えるからである。

配役
糸井川縫子(子爵夫人)◆鰐淵晴子
辺栗藤次(人形使)◆坂本長利
島津正(洋画家)◆佐古雅誉