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日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

「オルフェの遺言」 映画撮影

2013-08-03 | Jean Cocteau

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1959年9月、この映画がクラインクインするまでには2年の奮闘があった。
特にプロデューサー探しと資金不足の解決だと思われるが
この時ジャン・コクトーは70歳になっていた。
相変わらず多忙であったコクトーだが、「最後の映画」と言明したこの作品は
9月7日から南仏のレ・ボード・プロヴァンスで撮影が始まった。

コクトー自身が詩人を演じ、後世への遺言を映像で作ったこの映画には
詩人の魂が時空と異境を自由に彷徨するその真実が隠されている。





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カメラからアングルを確認するコクトー

15世紀風の衣装は現代に蘇るまでの時の流れを示すものでもあり
コクトーは完成に細心の注意を払っていたという。



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フランソワ・トリュフォーと

若き監督トリュフォーは「大人はわかってくれない」で得た報奨金
をこの作品のために資金協力を申し出てくれた。
他にアラン・レネ監督やプロデューサー、
コクトーの後援者であるフフランシーヌ・ヴェズベレール夫人などの協力があった。




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海中からハイビスカスの花を持って蘇るセジェスト 

このシーンはサン・ジャン・カップ・フェラの灯台近くで
10月9月に撮影された。


この映画にはコクトーとエドゥアール・デルミ(セジェスト)の出演シーンがほとんどで
他の場面はわずかだと発表したにもかかわらず、
フランスの役者から出演依頼の手紙が山のように舞い込んだという。


 


時代を間違えて登場する貴婦人 

フランシーヌ・ヴェズベレール婦人も映画に参加。
このシーンは彼女の別荘であるサント・ソスピール荘の庭で撮影された。
衣装はヴァレンシアガ。



女神ミネルヴァ

ミネルヴァは元のミス・フランスであるクローディーヌ・オージェが演じたが
詩人に槍を刺すシーンは困難な場面となった。
ゴムのスイムスーツは暑く、槍が思うように投げられず何十回と繰り返しやっとOKが出たという。
兜は七面鳥の羽根で飾った白鳥の形をしている。




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放浪するオイディプス王 

オイディプスを演じたジャン・マレーは舞台の空の日を縫って
飛行機で訪れ撮影に臨んだ。
コクトーはこのシーンで何かを小声でつぶやくようにと演技の指示を与えている。
この頃マレーはある悲しみを抱えていたため
オイディプスの悲劇が胸にせまる悲哀さをにじませている。







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スフィンクスの模型

映画で使われた衣装やスフィンクスの模型などは
ヴァレンシアガのショーウィンドーを担当していたジャニーヌ・ジャネに任された。
ラストでスフィンクスが羽根を広げながら進むシーンは
人材不足のためE・デルミが演じた。





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ジャン・コクトーと出演者たち 

左からコクトー、ユル・ブリンナー、シャルル・アズナブール、フランシーヌ・ヴェズヴェレール


オルフェの遺言 ジャン・コクトー

2013-07-13 | Jean Cocteau

ジャン・コクトーの映画による遺言劇であり、コクトーの自身の影絵ともいえる「オルフェの遺言」は
見えるものの向こう側にある不可視の世界を自由に飛翔する詩人の姿を描いた作品。

前作「オルフェ」のラストシーンから物語は始まる。
次の出演者のクレジットシーンに流れるフルートのバックミュージックは
グルック作曲オペラ「オルフェとエウリディーチェ」から「精霊の踊り」を使用している。

詩人は時空を越えて存在する。
15世紀の衣装で詩人は化学教授と会うため、教授の生涯に順を違えて登場する。
老教授にピストルで撃たれて詩人は現代で生きることができた。

黒い馬を追ってジプシーの岩間で炎から現れたセジェストの写真。
破られたその写真を詩人が海へ投げると海中から忽然とセジェストが蘇る。

そして彼とともに詩人の遍歴の旅が始まった。

ハイビスカスを描こうとしてもそれは詩人の自画像となり、踏みにじった花も元の形に再生される。
次にたどり着いた所。
そこは前作「オルフェ」の死の王女と運転手ウルトビーズが審問する裁判の場。
彼らは「オルフェ」で、オルフェを黄泉の国から現世へ戻した罪で人を裁くという重罪を負わされていたのだ。
この二人は死を擬人化している。
ここで詩人は映画論、詩人論を語り、老教授、セジェストの証言で死刑ならぬ
「生きる刑」を宣告される。

その後も遍歴は続いていく。
貴婦人の館を通り、ヴィルフランシュの港を過ぎて知恵と戦いの女神がいる広間にたどり着く。
詩人がハイビスカスの花を捧げるが気に入らない女神は詩人に槍を投げた。
倒れた詩人は横たわりながらも煙とともに蘇り、ひとすじの道をさまよう。
さまよいながらすれ違ったのはアンチゴーヌを伴って放浪する悲劇の王オイディプスであった。

詩人はアルプスの街道に出た。
不審に思った警察官が取り調べをしている間にセジェストが現れ
「この地球はあなたの祖国ではない」と詩人に告げ、二人は石垣の中に消えていった。 

映像の中に使われるハイビスカスの花は詩人自身として使われている。
花が詩人の手に渡り、そして消える時、さらにフイルムの逆回転の技法は
異空間への神秘性を感じ、今見ても斬新である。

この作品は1959年9月、南フランスの地中海に面したボー・ド・プロヴァンスで撮影された。
出演者はジャン・マレー、ピカソ夫妻、ユル・ブリンナー、シャルル・アズナブール、
セルジュ・リファールなど。

下の写真は撮影の合い間、ルイ15世紀風のコクトーとセジェストを演じたエドゥアール・デルミ


CD 「poemes je Jaen Cocteau dits par l'auteur」 

2013-04-28 | Jean Cocteau

ジャン・コクトー自身による詩のCD。
収められている詩は、「天使ウルトビーズ」をはじめ
『オペラ』より「胸像」 「マルタンガル」 「No man's land」や
『幽明抄』 から2篇を含めた13篇の詩をコクトー自身が朗読している。

彼が話す声は「軽金属の声」と三島由紀夫が評したが
詩をゆっくり読むコクトーの声はソフトで音楽を奏でるようにやわらかく
最初は彼自身とは気づかなかったくらいである。
そして、この中に詩人ポール・エリュアールに捧げた詩が挿入されているのが
心を打つ。

他に『オルフェの遺言』からの抜粋で、
詩人(コクトー)が教授によって古代から現代に蘇る場面や
詩人が裁判で尋問されている場面などがライブで入っている。
詩人コクトーが後世に残したかったと思える内容の濃いCDといえる。

1997年 フランス EMI MUSIC


洋書 『アメリカ人への手紙』 ジャン・コクトー

2013-04-13 | Jean Cocteau

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LETTRE AUX AMERICAINS

1949年、ジャン・コクトーの映画 「双頭の鷲」がニューヨークで上演された際、
招待を受けて封切に立ち会うため渡米した時に書かれたコクトーによる評論。

フランス 1949年 グラッセ社発行 限定530部の280番台

1948年の年末から20日間ニューヨークに滞在したコクトーが見たアメリカを語っている。
映画、芸術、創造精神なども含め、時にはフランスとアメリカを比較しながら
コクトー流の表現で「アメリカの人たちよ」と語りかけている。
コクトーが観察するヨーロッパとアメリカの違いは興味深い。



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翻訳本『アメリカ紀行』 ―アメリカ人への手紙―
1950年(昭和25)  中央公論社発行 訳 佐藤朔

日本版は版権を獲得しているので本のサイズは違うが同じ表紙になっている。
本題は「アメリカ紀行」で「アメリカ人への手紙」がサブタイトルになっている。







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 ニューヨークでのコクトー 1949年

アメリカの開かれた文化と能率主義に思考の未成熟を感じたコクトーは
フランスの無秩序がもたらす虹の輝きが幸せの根源だと語る。
虹は七色。様々なものを含めた詩人らしい表現だ。

最後にアメリカの統制を書いているが
まるで今のアメリカを象徴するようにコクトーの目は鋭い。
そして流派からも団体からも支持されないコクトーの孤独。
だからこそコクトーは自由の中を遊泳する詩人であった。

この原稿は1949年エールフランス機の中、1月12日~13日の2日間で書かれた。


画集BOX 「HOMMAGE Jaen Cocteau」

2013-03-01 | Jean Cocteau

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2013年。今年はジャン・コクトー没後50年に当たる。
1963年に詩人コクトーは74歳の生涯を閉じた。
彼が手がけた文学、芸術に多くのメッセージを残して。

左のBOXのタイトルは「HOMMAGE Jean Cocteau
暑さ3,5cmの箱にコクトーの版画4枚と
『存在困難』からのアフォリズムが3枚収められている。
フランス 1993年 Artcurial Diffusion社発行
限定550部の370番台

額縁のように縁取られた表の中央は透明のフイルムがかけられたデザイン。


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二つ折りの表紙と『存在困難』からの言葉が印刷された3枚のシート。

「美について」
「ぼくの幼年時代について」
「さまざまな風俗について」 

より抜粋したコクトーの言葉がそれぞれ1枚に記されている。







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マリアンヌなどのリトグラフ4枚。

茶色の線で描かれた女性の絵に押されたスタンプはオリジナル。
他の3点「JK」のスタンプはシートに刷り込まれている。

このBOXが発行された1993年といえばコクトーの没後30年の年。
50年の今年もフランスではイベントなどがあるだろうか。
詩、小説、戯曲、評論、映画、絵画・・・。
コクトーの世界は深くて遠い。


カタログ ジャン・コクトーと地中海

2012-12-12 | Jean Cocteau

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Jean Cocteau et la Medeterranee


コクトーの生誕120年を記念して2009年10月から翌2010年1月まで、
コクトーと地中海をテーマにマルセイユで開催された
「ジャン・コクトーと地中海」展のカタログ。
出版はRegards de Provence




展示された作品は、絵画、写真、タピスリー、陶器、宝石など。他の作家によるコクトーの肖像画なども含め
カタログには約150点の作品が掲載されている。
カタログではあるが写真集のように立派で見事な1冊に仕上がっている。


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「地中海」と題された横長のタピスリー。
フランス中部の街、オービュソンの伝統技術であるオービュソン織り。


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「カンヌのフェスティバル」



コクトーが愛した南フランスの海辺。
そこは詩人が夢見ることが出来た場所であり
太陽と波、夜の星々さえも詩の女神となってコクトーに語りかけた。


BS-TBSで紹介されたコート・ダ・ジュール

2012-10-17 | Jean Cocteau

一昨日の10月15日(月)、BS-TBSの番組「世界一周 魅惑の鉄道紀行」で
ココ・シャネル、パブロ・ピカソ、ジャン・コクトーの三人が愛した南仏が紹介された。

シャネルが通ったカフェ、パリの「サロン・ド・テ・アンジェリーナ」から始まり
(同じカフェが日本には銀座プランタン 1 階にある)
パリ・リヨン駅のレストラン「ル・トラン・ブルー(青列車)」が写る。

三人は1924年に上演されたバレエ「青列車」で一緒に仕事をしている。
脚本をジャン・コクトー、衣装ココ・シャネルで、ピカソはカーテンデザインをした。


青列車とは1922年から1960年代までパリと南仏を結んだ豪華列車のこと。
セルゲイ・ディアギレフ率いるバレエリュスで
コート・ダ・ジュールの海水浴を題材にした演目であった。

そしてリヨン駅から新幹線がコート・ダ・ジュールを目指して走り出す。
香水の最高峰に輝く「シャネル№5」が生まれたグラース、13世紀に建てられたアンティーブの
ピカソ美術館を経てヴィル・フランシュへ。



漁港の街、ヴィル・フランシュ。
テレビの画像では現在は写真よりも家が多く建っていた。
地中海の青は目にしみるように深く、太陽の光が波と戯れる美しさは格別だ。

コクトーが海を見ながら滞在した「ホテル・ウェルカム」が紹介される。
そしてピンクの「サン・ピエール礼拝堂」の内部が写された。
礼拝堂はコクトーの息吹があふれるようである。



そしてイタリアとの国境の街マントンへ。
マントンに2番目としてオープンした白亜の「ジャン・コクトー美術館」を紹介。



最後にコクトーの「マントン市庁舎/婚礼の間」を紹介して番組は終わる。

フランスが生んだ三人の偉大な芸術家はそれぞれが自分の夢の実現を果たした。
そして三人が愛したコート・ダ・ジュールは今日も未来の芸術家を夢見ている。

(テレビではコクトーを上の写真で紹介)


写真集 「マントン市庁舎 婚礼の間」 ジャン・コクトー

2012-09-09 | Jean Cocteau

フランスのアルプ=マリティーム県にあるマントンはイタリアとの国境の街。
そのマントン市庁舎内にある「婚礼の間」にジャン・コクトーは1957年~58年にかけて装飾を手がけた。
「La Selle des Mariages Hotel de Ville de MENTON」
1958年 モナコ デュ・ロシュ社発行

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明るい色彩でくるくる線を引いた表紙

中に収められている写真はすべてモノクロ



右の写真は新郎新婦が入場する入り口に描かれたマリアンヌ




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新郎新婦の背景になる絵は
「婚約者達」

この地方の帽子を被った青年と、向かい合う婚約者。
南フランスの太陽がふたりに注ぐ。
この絵は大きく床から天井まで描かれている。





新郎新婦の席に向かって右(東側)の壁画は「婚礼」
白馬に乗って出発するカップルに花を捧げたり贈り物を頭に載せる女性。踊る青年、そして不服そうな母親の顔、
右端には疎んじられた女性を青年が抱いている。
これらの要素をコクトーはアフリカの土着的イメージで構成した。


その向かいの左(西側)の壁画は「ユーリディスの死」
オルフェウスの伝説から竪琴を失うオルフェと右端の死せるユーリディス。中央はケンタウロスの戦い。

 
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天井画のモチーフは「詩と科学」

手前のペガサスに乗った青年の絵は「詩」
その奥の翼の青年は「科学の貧困」
そして一番奥が「愛」






式場内の絵は、そのコーナーによってコクトーが様々な要素を取り入れて製作したことがわかる。
葉のフロアスタンド、真紅の椅子、豹柄の絨毯まですべてジャン・コクトーのデザインで構成されている。
場内は撮影禁止だが、新郎新婦の椅子には座っても良いと受付の女性が扉の鍵を開けてくれた。
コクトーがマントン市へ心血をそそいで捧げた鮮やかな色彩の婚礼の間は、南フランスの太陽のもと
で新しい門出に出発するカップルを包み込むようだ。

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製作中のジャン・コクトー


白書 ジャン・コクトー

2012-07-24 | Jean Cocteau

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「たぶんこの次のぼくの本は、著者名も出さず、刊行の名も入れずに少部数発行します。生きながら葬られた作品というようなものが、ひとりきりで墓場から出てくる力をもつだろうか知るために…」(コクトー)

    『批評に関するインタビュー』より

こうして著者と発行社名を伏せて発売されたのが『白書』である。
1928年のことであった。
発行はカトル・シュマン社。わずか21部の発行であった。
その2年後にやはり名を出さずにコクトーのデッサンを入れてシーニュ社から発売された。

内容を読めば設定を多少変えてはいるものの、
状況や登場する人物はコクトーの実生活に深くかかわった人たちで、コクトー著作であることは一目瞭然である。

この書はコクトーの衝撃的な恋愛遍歴であり
『浮かれ王子』は同時に『阿片』を吸う『恐るべき子供』だったことを物語る。
しかしコクトーはそれだけで生きたわけではない。
詩人としてすでに生前から名は世界に知られ、各分野の業績によって今日も「詩人王ジャン・コクトー」として
フランスの文学界に名を残している。
名を伏せてまで出版したコクトーの心情には、愛の形などが問題ではなく
その気持ちを育てあげることへの熱望が行間から痛々しいほど伝わってくる。

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中央の白い本が『白書』。
パラフィン紙に覆われた外箱を紐解
 







本書は昭和39年(1964)の「文芸」に掲載されたものを
森開社版で江口清訳により発売された。
中に収められているデッサンはコクトーの『デッサン』から選んだという。
コクトーの初期の頃を思わせる絵で、どの絵も大らかな表情をした人物がページを飾っている。

1973年 森開社 限定400部の130番台


詩集 『レオーヌ』 (洋書) ジャン・コクトー

2012-05-20 | Jean Cocteau

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詩集 『LEONE』 フランス 1945年6月 ガリマール社 限定475部の180番台

1節から120節にわたる長詩「レオーヌ」は夢に現れる女性の名で
眠る僕は夢の中でレオーヌに従い暗黒の世界をさまよう。
レオーヌはギリシャ神話や聖書の中、ブルターニュやポンペイ、
エジプトまで歩き続ける。
そしてパリではルーブル美術館に伝わる魔女・ベルフェゴールにまで変身する。
レオーヌは休まない。
コクトーの作品中の人物、実在の作家たちとも会うのだから。
レオーヌの夢を見ている僕は、別の眠る男性にもなり詩は2重の構造を含んでいる。

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この詩は1942年から1944年にかけて書かれたが時はパリ占領下。
その暗鬱とした影は叫びや嘆きとして言葉を散らしている。
読み進んでいくうちにレオーヌはミューズであることが判明する。
詩人として、また芸術に生きるコクトーにとってミューズは畏れ、加護を願う天の美神であった。
その心情が壮大な生と死のさまよいで描かれている。

この詩集はコンマを廃し「ピリオド」を残す形で仕上げられた。
各節に番号をつけたのはその一節のディテールを浮き彫りにするためだったという。

右の写真はコクトー手書きの『レオーヌ』の原稿

参考図書
「評伝ジャン・コクトー」 筑摩書房 秋山和夫訳
「ジャン・コクトー全集Ⅱ」より「レオーヌ」 東京創元社 小佐井伸二訳
「占領下日記Ⅲ」 秋山和夫訳
「Album COCTEAU」 Henri Veyrier-Tchou社


ポスター 「assiettes」 ジャン・コクトー

2012-03-16 | Jean Cocteau

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緑と青の線で描かれたポスター「assiettes」
製作 フランス 製作年 不明 限定125枚

三つの目が奇妙なバランスを保っている。
二色だけの線はシンプルでありながらコクトーらしいユーモアにあふれている。
目は物を見る。口は物を食べ、また話す。
芸術はその糧があってこそ生まれてくるのかもしれない。

ポスターの下方に、ムルロー工房の文字が書かれている。
フランスで140年の歴史を誇るリトグラフ工房の老舗である。
ユトリロをはじめ、ピカソ、シャガール、マティス、コクトー、ダリなど
世界的な画家のリトグラフ(石版画)を手がけてきた。
その技術の高さは名だたる画家達から厚い信頼を受けてきた。


洋書 『POTERIES』 ジャン・コクトー

2012-02-10 | Jean Cocteau

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ジャン・コクトーが手がけた陶器製品の写真集。
1957年から1963年までコクトーが製作した作品347点が紹介されている。
フランス 1989年 Galerie Teillet 発行

陶器の製作は、ピカソが始めたことによりコクトー自身も促されるようにセラミックの創作に魅せられていった。心臓疾患の後でありながらもコクトーの創作するイマジネーションは絶えることがなかった。




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プレート、カップ、花器、オブジェなどの主題はオルフェやサテュロスなどギリシャ神話からのデザインが多い。
プレートの色は様々だが、とりわけテラコッタの色に、日に焼けた肌のような美を感じたコクトーはその茶褐色の上に彼自身の持つすべてのモチーフを図案化していった。







ジャン・コクトー新美術館カタログ (サヴァリン・ワンダーマン・コレクション)

2012-01-17 | Jean Cocteau

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南フランスにあるマントン市のモンレオン通りに
新しく「ジャン・コクトー美術館」が昨年2011年11月6日にオープンした。

コクトーのコレクターとしても有名なサヴァリン・ワンダーマン氏が
マントン市にコレクションを寄贈したことにより
建築家Rudy Ricoiottiのデザインで竣工から3年を経てついに完成した。

マントンはコクトーにとって故郷ともいえる地であり
彼が多くの芸術を生んだ思い出の地でもある。
1996年、要塞を改造した「ジャン・コクトー美術館」がすでに存在するが
第2の美術館としてワンダーマン氏コレクションの美術館がマントンに完成したことは
詩人への最大のオマージュともいえる。


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367ページにもわたるこのカタログは
文化事業の歴史をそのコンセプトから完成までを豊富な写真で掲載し
又300点を超える未公開コレクションがていねいな解説とともに紹介されている。

2005年に日本でもワンダーマン氏の「ジャン・コクトー展」が開催されたが
一枚のデッサンに魅せられてコレクションを始め、美術館を建てるまでに至ったコクトーへの情熱は
一時代を生きた詩人の証として、コクトーの新たな発見へと導いてくれる。

フランス SNOECK社 2011年11月24日発行


入館案内
MUS�・E JEAN COCTEAU COLLECTION S�・VERIN WUNDERMAN
2,quai Monl�・on - 06500 Menton
T�・l .  04 89 81 52 50

月・水曜日~日曜日 10:00~18:00
【火曜日・祝日(1/1,5/1,11/1,12/25)は休館】
7・8月の金曜日 10:00~22:00
入館料 6ユーロ

http://www.youtube.com/watch?v=bLU3almrdJ4


写真集 「サン・ブレーズ礼拝堂」 ジャン・コクトー

2011-10-20 | Jean Cocteau

フランスのミイ・ラ・フォレにあるサン・ブレーズ礼拝堂は、ジャン・コクトーがこの町に住んだ感謝の気持ちとして
1959年7月、かつてハンセン療養所の礼拝堂として使われていた教会に手を入れ、その装飾に当たった。
1959年 モナコ デュ・ロシュ社 発行

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教会内部の壁に描かれている猫のデッサンの表紙。
上を見上げる表情が可愛らしい。



本書はその写真集であるが発行したデュ・ロシュ社は、
コクトーが手がけた建築装飾のうち、ふたつの礼拝堂と市庁舎の計3冊を
ガイドブックとして刊行した。




この礼拝堂の庭に植えられていた薬草をそのまま壁に描いたコクトーは
決して広いとはいえない内部に床から天井まで大胆に薬草を描ききっている。
そして正面の祭壇にはキリストの復活、眠る兵士、実は天使である青年たちが描かれている。



この頃のコクトーはきわめて多忙であった。
ロンドンのノートル=ダム=ド=フランス礼拝堂とモナコの野外劇場のデザイン、
「オルフェの遺言」の着想のまっ最中で、
サン・ブレーズ礼拝堂はそんな中で5日間で完成という驚くべき速さで作業を終えることが出来た。
礼拝堂の内部装飾は『サン=ブレーズ=デ=サンプル』のタイトルで映画化もされている。