1959年9月、この映画がクラインクインするまでには2年の奮闘があった。
特にプロデューサー探しと資金不足の解決だと思われるが
この時ジャン・コクトーは70歳になっていた。
相変わらず多忙であったコクトーだが、「最後の映画」と言明したこの作品は
9月7日から南仏のレ・ボード・プロヴァンスで撮影が始まった。
コクトー自身が詩人を演じ、後世への遺言を映像で作ったこの映画には
詩人の魂が時空と異境を自由に彷徨するその真実が隠されている。
カメラからアングルを確認するコクトー
15世紀風の衣装は現代に蘇るまでの時の流れを示すものでもあり
コクトーは完成に細心の注意を払っていたという。
フランソワ・トリュフォーと
若き監督トリュフォーは「大人はわかってくれない」で得た報奨金
をこの作品のために資金協力を申し出てくれた。
他にアラン・レネ監督やプロデューサー、
コクトーの後援者であるフフランシーヌ・ヴェズベレール夫人などの協力があった。
海中からハイビスカスの花を持って蘇るセジェスト
このシーンはサン・ジャン・カップ・フェラの灯台近くで
10月9月に撮影された。
この映画にはコクトーとエドゥアール・デルミ(セジェスト)の出演シーンがほとんどで
他の場面はわずかだと発表したにもかかわらず、
フランスの役者から出演依頼の手紙が山のように舞い込んだという。
時代を間違えて登場する貴婦人
フランシーヌ・ヴェズベレール婦人も映画に参加。
このシーンは彼女の別荘であるサント・ソスピール荘の庭で撮影された。
衣装はヴァレンシアガ。
女神ミネルヴァ
ミネルヴァは元のミス・フランスであるクローディーヌ・オージェが演じたが
詩人に槍を刺すシーンは困難な場面となった。
ゴムのスイムスーツは暑く、槍が思うように投げられず何十回と繰り返しやっとOKが出たという。
兜は七面鳥の羽根で飾った白鳥の形をしている。
放浪するオイディプス王
オイディプスを演じたジャン・マレーは舞台の空の日を縫って
飛行機で訪れ撮影に臨んだ。
コクトーはこのシーンで何かを小声でつぶやくようにと演技の指示を与えている。
この頃マレーはある悲しみを抱えていたため
オイディプスの悲劇が胸にせまる悲哀さをにじませている。
スフィンクスの模型
映画で使われた衣装やスフィンクスの模型などは
ヴァレンシアガのショーウィンドーを担当していたジャニーヌ・ジャネに任された。
ラストでスフィンクスが羽根を広げながら進むシーンは
人材不足のためE・デルミが演じた。
ジャン・コクトーと出演者たち
左からコクトー、ユル・ブリンナー、シャルル・アズナブール、フランシーヌ・ヴェズヴェレール