あっという間に7月が終わっていく。昨夜つかれて夜10時に寝たら朝4時に目が覚めてしまった。お腹がぐぅぐぅ。むくむくと起き出して熱い日本茶をいれて、どら焼きを食べたらブログのことが気になった。あぁ、、、サウジアラビア日記ひきずりすぎ!でもまだ書いておこう!
■ガソリン
本っ当に安かった。水より安い。
アメリカのガソリンに比べると10分の1の値段!アメリカではいま1ガロン(=3.8リットル)4ドルぐらいだから、1リットルが 85~90円ぐらい(1ドル=80円~90円で計算)。サウジアラビアはそれの10分の1だから、ガソリン1リットルあたり10円以下ということになる。
街を見渡せば、走っている車はいい車ばかり。道路も日本なみに整備されていて、アメリカの道みたいにデコボコとかつぎはぎみたいな箇所がまったくない。
■運転マナー
非常にわるい。考えてみれば、女性の運転は禁止されているので、運転しているのはみな男性ということになる。一言でいえば、「荒い」運転。信号が青になるとみな一斉にクラクションを鳴らす(つまっているわけでもないのに)。あれは何なんだろうね。ウィンカーなんて出さないし、急な車線変更は毎度のこと。スピード出し過ぎ、接触すれすれ、なんていう場面がほぼ毎日で、滞在中何度も心臓に悪い思いをしたし、実際に交通事故(車同士の衝突)を2回目撃した。
■お祈り:
イスラム教ですから、礼拝が1日に5回。
時間になるとメッカの方角に向かって、地べた(カーペット)に膝をついてお祈り。お祈りの間はいろいろなものが一時中断された。夕方のスーパーマーケットで買い物中にお祈りの時間とぶつかると、店員さんらがみなお祈りに行ってしまうので30分ほどレジがストップしてしまう(さっさと出たいのに足止めを食らったこと数回)。個人店だったら店のシャッターが閉まるので外に追い出される。サイエンスフェスティバルでもお祈りの時間中はぐっと来訪者の数が減るし、雇っているファシリテーターもさーっとモスクのほうへ消えてしまうので手薄になる。それもこれも、イスラム教圏内ならではの出来事なので新鮮だったけれど。
(お祈り時間中、人がぐっと少なくなりガランとしているスーパーマーケット)
私が滞在していた Al Khobar はタイムゾーンの一番東の端にあるため、1回目のお祈り(日の出の1時間半前)のときはまだ3時半!正直、時差ぼけのためなかなか寝つけないなか、この3時半に鳴り響くアザーンを何度聞いたか分からない(アザーンとは、礼拝への呼びかけのこと。時間になると街中に設置してあるスピーカーから「アッラーは偉大なり~、礼拝に来たれ~」という意味の呼び声が一斉にかかるの・・)。
一度ひとりの信仰深いサウジ人がハーフパンツを履いていた他の男性に「おい、お前、そんな格好じゃお祈りできないだろ!」と注意をしていた場面に出くわした。ハーフパンツの何が悪いのか最初は分からなかったがよく聞いてみたら、お祈りは膝をつくのでハーフパンツではお祈りに差し支える、と言う。それにそんな格好でみっともない!というニュアンスも感じた。よくまわりを見わたすと男性でハーフパンツ履いてる人いない(ビーチでは別)。しかしこの注意されたほうの男性は開き直って「オレは祈らねえから膝をつく必要はないんだ!」と言い返していたのだが、この後よけいにお説教されていた。。サウジ人と言えども、信仰の深さ/度合いはホント人それぞれ。
■英語:
サイエンスフェスティバル会場でワークショップをするとき、私たちが使う言語は英語。ただ来場しているお客さん達は(とくに小さな子どもや年輩の方々)アラビア語オンリーという場合がありました。そういうときは、現地で雇ったファシリテーター達にあいだに入ってもらいます。
ていうか、一緒に働いた現地ファシリテーター達みんな英語上手。今回おもに雇われたのは地元の理工系大学の学生達。聞けば大学での授業はすべて英語で行われるのだそう。アメリカ人同僚に混ざってひとりノンネイティブだった私は、興味津々と「ねぇ、みんな英語上手だね、どこで覚えたの?どこかに留学したの?」と聞きまくりました。もちろんアメリカ留学している人もいたけれど、半数以上はみな一様に「学校で習うよ」程度の答え。えー、学校でどんな英語教育してるんだろ!英語は中学校から始まるらしいが、普通の「話し言葉」をすごくマスターしている印象。あとはアメリカのテレビ番組がたくさんやっているので小さい頃からそういうの見て育ってきたのも大きいとか。
こうして地球の反対側まで来て、まったく異なる文化のなかで生きる人達とコミュニケーションする手段がやはり英語。英語は基本。サウジから一歩も出たことのない学生達でも、第2言語である英語をなんなく操ってふつうに仕事を遂行する姿はなんというか、たのもしい。あの「肩に力の入ってなさ」がいいんだよなぁ。「たかが英語」くらいにしか思ってないよあの人達。たぶん話し言葉から入っているから、コミュニケーションが円滑。たくさん間違えるし、アクセントだってばりばり入っているけど、それでいいのだ。それが世界の英語なのだ、まずはね。それでいいのに、どうして日本では、完璧主義の風潮というか「英語しっかりしゃべれるようにならないと!」などという要らぬテンションがつきまとうのだろうか、と思ったり。
■ガソリン
本っ当に安かった。水より安い。
アメリカのガソリンに比べると10分の1の値段!アメリカではいま1ガロン(=3.8リットル)4ドルぐらいだから、1リットルが 85~90円ぐらい(1ドル=80円~90円で計算)。サウジアラビアはそれの10分の1だから、ガソリン1リットルあたり10円以下ということになる。
街を見渡せば、走っている車はいい車ばかり。道路も日本なみに整備されていて、アメリカの道みたいにデコボコとかつぎはぎみたいな箇所がまったくない。
■運転マナー
非常にわるい。考えてみれば、女性の運転は禁止されているので、運転しているのはみな男性ということになる。一言でいえば、「荒い」運転。信号が青になるとみな一斉にクラクションを鳴らす(つまっているわけでもないのに)。あれは何なんだろうね。ウィンカーなんて出さないし、急な車線変更は毎度のこと。スピード出し過ぎ、接触すれすれ、なんていう場面がほぼ毎日で、滞在中何度も心臓に悪い思いをしたし、実際に交通事故(車同士の衝突)を2回目撃した。
■お祈り:
イスラム教ですから、礼拝が1日に5回。
時間になるとメッカの方角に向かって、地べた(カーペット)に膝をついてお祈り。お祈りの間はいろいろなものが一時中断された。夕方のスーパーマーケットで買い物中にお祈りの時間とぶつかると、店員さんらがみなお祈りに行ってしまうので30分ほどレジがストップしてしまう(さっさと出たいのに足止めを食らったこと数回)。個人店だったら店のシャッターが閉まるので外に追い出される。サイエンスフェスティバルでもお祈りの時間中はぐっと来訪者の数が減るし、雇っているファシリテーターもさーっとモスクのほうへ消えてしまうので手薄になる。それもこれも、イスラム教圏内ならではの出来事なので新鮮だったけれど。
(お祈り時間中、人がぐっと少なくなりガランとしているスーパーマーケット)
私が滞在していた Al Khobar はタイムゾーンの一番東の端にあるため、1回目のお祈り(日の出の1時間半前)のときはまだ3時半!正直、時差ぼけのためなかなか寝つけないなか、この3時半に鳴り響くアザーンを何度聞いたか分からない(アザーンとは、礼拝への呼びかけのこと。時間になると街中に設置してあるスピーカーから「アッラーは偉大なり~、礼拝に来たれ~」という意味の呼び声が一斉にかかるの・・)。
一度ひとりの信仰深いサウジ人がハーフパンツを履いていた他の男性に「おい、お前、そんな格好じゃお祈りできないだろ!」と注意をしていた場面に出くわした。ハーフパンツの何が悪いのか最初は分からなかったがよく聞いてみたら、お祈りは膝をつくのでハーフパンツではお祈りに差し支える、と言う。それにそんな格好でみっともない!というニュアンスも感じた。よくまわりを見わたすと男性でハーフパンツ履いてる人いない(ビーチでは別)。しかしこの注意されたほうの男性は開き直って「オレは祈らねえから膝をつく必要はないんだ!」と言い返していたのだが、この後よけいにお説教されていた。。サウジ人と言えども、信仰の深さ/度合いはホント人それぞれ。
■英語:
サイエンスフェスティバル会場でワークショップをするとき、私たちが使う言語は英語。ただ来場しているお客さん達は(とくに小さな子どもや年輩の方々)アラビア語オンリーという場合がありました。そういうときは、現地で雇ったファシリテーター達にあいだに入ってもらいます。
ていうか、一緒に働いた現地ファシリテーター達みんな英語上手。今回おもに雇われたのは地元の理工系大学の学生達。聞けば大学での授業はすべて英語で行われるのだそう。アメリカ人同僚に混ざってひとりノンネイティブだった私は、興味津々と「ねぇ、みんな英語上手だね、どこで覚えたの?どこかに留学したの?」と聞きまくりました。もちろんアメリカ留学している人もいたけれど、半数以上はみな一様に「学校で習うよ」程度の答え。えー、学校でどんな英語教育してるんだろ!英語は中学校から始まるらしいが、普通の「話し言葉」をすごくマスターしている印象。あとはアメリカのテレビ番組がたくさんやっているので小さい頃からそういうの見て育ってきたのも大きいとか。
こうして地球の反対側まで来て、まったく異なる文化のなかで生きる人達とコミュニケーションする手段がやはり英語。英語は基本。サウジから一歩も出たことのない学生達でも、第2言語である英語をなんなく操ってふつうに仕事を遂行する姿はなんというか、たのもしい。あの「肩に力の入ってなさ」がいいんだよなぁ。「たかが英語」くらいにしか思ってないよあの人達。たぶん話し言葉から入っているから、コミュニケーションが円滑。たくさん間違えるし、アクセントだってばりばり入っているけど、それでいいのだ。それが世界の英語なのだ、まずはね。それでいいのに、どうして日本では、完璧主義の風潮というか「英語しっかりしゃべれるようにならないと!」などという要らぬテンションがつきまとうのだろうか、と思ったり。
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