らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

熊野古道を歩く(その4)「伏拝王子」

2013-11-30 | 趣味

古道を歩いた当日は、紀南地方に暴風雨警報が出ていましたが、スタート地点から水呑王子手前までは雨も風もなく比較的順調でした。
水呑王子を後にした頃から予報通り雨が降り始めましたが、“風だけは何とか吹かないでくれ”と祈りながら歩行を続けました。

・杉林の中の古道です。


水呑王子から30分ほど歩くと眺望が開けてきます。
ここからの眺めは素晴らしい筈ですが、残念ながら、遠く紀伊山地の山々は厚い雲にかくれてその姿を見せてくれませんでした。

・古道からの眺望です。


「菊水井戸」
伏拝王子の手前の古道沿いに「菊水井戸」があります。
昔ながらのつるべ井戸で、「くみ上げた水を戻すのは止めてください」と書いてありました。

・滑車を利用した懐かしい吊るべ井戸です。


「果無(はてなし)山脈」
説明では、和田の森(1049m)、安堵山(1083m)、黒尾山(1235m)、冷水山(1270m)、石地力山(1140m)の連山を果無山脈と呼び、東西に18㎞連なる稜線は奈良県境となっています。
高野山と熊野本宮大社を結ぶ参詣道が残り、今も行きかう人々もあるそうです。
また山頂よりの紀伊連山の眺望は素晴らしく、遠くは熊野灘沖が一望できます。
ブナの原生林シャクナゲ、どうだんつつじ等々の高山植物や野獣の宝庫でもあるそうです。



中央の富士の形をしている山は、782.7mの百前森山(ひゃくぜんもりさん)、通称三里富士です。
晴れていれば、上の画像の絵のように、その奥に果無山脈が連なって見える筈ですが、雨天のため雲に隠れて全く見ることができませんでした。

・画像の上部のブルーのところは傘が写ったようです。


「伏拝(ふしおがみ)王子跡」
京都を出発した熊野参詣の人々は、およそ260㎞、歩行12日前後でこの辺りに辿りついたようです。
そして、熊野三山巡拝の最初の目的地である本宮が、遥か彼方の熊野川の中州に鎮座する光景を目の当たりにして、感動のあまり「伏して拝んだ」と言われ、それが地名の由来となっています。

また、この王子には、熊野本宮を目前にして、にわかに月の障(さわ)りとなり、参拝を断念しようとした女流歌人・和泉式部を、熊野権現が快く受け入れたと言う伝説があります。

・伏拝王子跡の石碑です。


「和泉式部供養塔」
和泉式部が熊野詣で伏拝に差し掛かったとき、にわかに月の障りとなったため、参拝が出来ないと思い歌を読みました。
    「晴れやらぬ 身のうき雲の たなびきて 月のさはりと なるぞかなしき」

その夜、熊野権現が夢に現れ、
    「もとよりも 塵にまじはる 神なれば 月の障りも なにかくるしき」
とお告げがあり、式部は参拝することができたと伝えられています。

この言い伝えは、一遍上人の聖たちが、熊野権現は「信・不信を問わず、貴賎を問わず、女人の不浄を嫌わず、全てを受け入れる奥の深い大らかな神である」ということを和泉式部を題材に物語としたものと言われています。

・平安時代の女流歌人、和泉式部の供養塔です。

熊野古道で最初に本宮大社が目に入る地点です。

・中央の下部から三分の一くらいの谷に白く見える辺りが熊野本宮大社です。ここからまだ1時間余り要します。


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熊野古道を歩く(その3)「水呑王子」

2013-11-29 | 趣味

発心門王子から次の水呑王子までの2㎞弱は比較的平坦な古道が続いています。
その途中には紅葉したモミジもあり、目を楽しませてくれました。
色鮮やかなモミジは、まるで私たち一行を歓迎してくれるかのような素晴らしいものでした。

・色鮮やかなモミジの紅葉です。


・古道沿いのプールの周りのモミジもご覧の通りです。


・古道の途中にはこのような木彫りの面や像などが並べられている小屋もありました。


「水呑王子」
ここに掲げられている説明によれば、藤原宗忠の天仁2年(1109年)の参詣日記には「内水飲王子 新王子」とある。
この「内水飲」とは、2日前に宿泊した「水呑仮屋」に対して、発心門の内、即ち本宮寄りにあることを意味している。また、「新王子」とは、文字通り新たに設けた王子の意味であるが、これは殆どの王子社が以前から祀られていた事を証している。
と書かれています。



・水呑王子と刻まれた緑泥片岩の石碑(高さ約78cm、幅約37cm)の横には、地元の人々の信仰を集める腰痛のお地蔵さんが鎮座しています。


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熊野古道を歩く(その2)「発心門王子」

2013-11-28 | 趣味

音無川の河畔にある猪鼻王子跡から、約1㎞(高低差80m)上ると「発心門王子」へと戻って来ます。

「発心門王子(ほっしんもんおうじ)」は熊野九十九王子のひとつで、五体王子のひとつに数えられている格式の高い王子社です。
現在では、諸史料から、藤代王子、切目王子、稲葉根王子、滝尻王子、発心門王子の5社が一般的にそう呼ばれているようです。

「発心門」と言う語は山岳信仰における四門修行に由来するそうです。
四門修行においては、山上の聖地に至る間に、発心・修行・等覚・妙覚の4つの門を設け、それらを通り抜けることによって悟りが開かれると説かれています。
「発心」とは発菩提心、すなわち仏道に入り、修行への志を固めることを意味し、「発心門」とは聖域への入り口を意味しているのだそうです。

・猪鼻王子から戻る古道です。


「発心門王子」
ここに掲げられている説明によれば、
熊野川の中州に鎮座する熊野本宮まで7㎞のところにあるこの王子の名は、発心門、即ち「悟りの門を開く入口」とされる大鳥居があったことに由来します。
天仁2年(1109年)に参詣した貴族、藤原宗忠(1062~1141)は、先ず門前で祓いをし、発心門は大鳥居であり、参詣の人々は必ずこの大鳥居をくぐること、また、はるかに見やると恐れを感じることを日記に書き残しているそうです。
熊野九十九王子の名称は地名や地形に基づくものが多いが、発心門王子の場合は信仰に関連する命名の代表と言われています。

・世界遺産の石碑と発心門王子の鳥居です。


この発心門王子の古(いにしえ)の様子を詳しく伝えるのが、建仁元年(1201年)の藤原定家の参詣記です。
それによれば、この王子の社は思わず信心をかきたてられるほどに神々しく、さらに社殿の周囲にすきまなく生い繁った木々がみな紅葉し、風が紅葉を舞い散らして境内に散る、荘厳で美しいさまを伝えているそうです。

藤原定家(1162~1241)は、建仁元年(1201年)に和歌の講師として後鳥羽上皇の熊野御幸に供奉(ぐぶ)し、王子社の背後にあった南無房という尼の居宅を宿舎とし、門柱に感動と祈願を込めた漢詩と和歌を書きつけていたそうです。

・鳥居越しに社殿を望む発心門王子社です。


「南無房(なむぼう)宅跡」
発心門王子の社殿の右側の後方に尼庵の家があり、建仁元年、藤原定家はここに宿泊したとされていますが、現在、跡地は付近の地形が変化したため面影は見られません。

「藤原定家の歌」
   「いりがたき みのりのかどは けふすぎぬ いまよりむつの みちにかへすな」
   苦行の末、ようやく仏の国に入ったのだから、もはや六道苦の世界に後戻りはするまいという決意を述べたものだとされています。
   (なお、六道とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天界)



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熊野古道を歩く(その1)「猪鼻王子」

2013-11-27 | 趣味

昨日までの2日間ブログを休ませていただきました。
この間に現役時代のOBで構成する”歴史探訪同好会”のメンバーと熊野古道を歩いてきたので、今日から数回に分けて世界遺産「熊野古道」をご紹介します。

この同好会は、熊野古道の「中辺路コース」を4年間に亘って歩いてきましたが、今回がこのシリーズの総仕上げとなるものです。
今回のコースは、「猪鼻(いのはな)王子」から「熊野本宮大社」までの10キロ弱の道程です。

今回はいよいよ最終目的地の「熊野本宮大社」に到達するということで、民宿に宿泊し、温泉で禊を済ませ、酒を酌み交わしながら、参加者13名は半年ぶりの対面に花を咲かせました。

・これが民宿です。


民宿の横を流れる河原の木々は赤く色づいて、深まる秋を演出していました。


早朝に今回のスタート地点である「発心門王子」までバスで行き、そこから約1キロm先、80mほど下った谷の音無川の河畔にある猪鼻王子跡を目指しました。
平安時代末期の藤原宗忠の参詣記『中右記』には「三輿の多介(みこしのたけ:三越峠)を越え、次いで谷を下り、谷川を渡ること数度。
亥の鼻(猪鼻:いのはな)
を過ぎ、ついで発心門に入る」との記述があるようです。

・バス停から谷川に下る古道です。


・途中の林道は紅葉が綺麗でした。


「猪鼻王子跡」
ここに立てられている説明によれば、滝尻王子から本格的な山岳路となった熊野参詣道(中辺路)は、十丈峠、岩神峠、を過ぎ、標高約500mの三越峠(みこしとうげ)を越えると、熊野川の流域に入る。
この猪鼻王子から先の道は登り下りをくり返しながら高度を下げ、明治22年(1888年)の水害まで熊野本宮大社が鎮座していた熊野川の中洲(大斎原:おおゆのはら)へと続く。
と記されています。



猪鼻王子(いのはなおうじ)は、『中右記』『頼資卿記』に、谷川を数度わたって猪鼻王子に着いたと書かれているそうですが、その後の熊野詣の衰微に伴って廃絶したそうです。
「猪鼻王子」と刻んだ石碑は、享保8年(1723年)に紀州藩主徳川宗直が熊野御幸の史蹟顕彰のために建てたもので、紀北産の緑泥片岩(りょくでいへんがん)製だそうです。

・紀北産の緑泥片岩(りょくでいへんがん)製と言われている、「猪鼻王子」と刻んだ石碑です。


猪鼻王子跡の石碑の傍には、穏やかな顔で合掌しているお地蔵さんが鎮座していますが、風雨にさらされ、苔がむしてお気の毒な感じがします。



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健康教室

2013-11-24 | 地元紹介

先日、地元の関西医療大学附属保健医療学部が主催する講演会、「第73回健康教室」の「手軽にできる!~肩こり予防のエクササイズ~」に参加してきました。
今日はその一部をご紹介します。

「肩こりの原因」

先ず肩こりの原因ですが、日本人は欧米人と比べて頭が大きい割に首から肩の骨格が華奢(きゃしゃ)にできているために肩こりを起こしやすいと言われています。
人の頭の重さは5~6㎏で、その重い頭を首と肩で支えておることから、肩こりは日本人の宿命ともいえる症状ですが、特に中年以降は骨や筋肉が弱くなるので注意が必要とのことです。

「肩こりの四大原因」
次に肩こりの大きな原因として次の4つを指摘していました。
①同じ姿勢
②眼精疲労
③運動不足
④ストレス
 最近では血圧との関連も注目されているそうです。

「予防」
原因別の予防対策としては、
①同じ姿勢・・・デスクワークや読書、細かい手作業などによっておこるので、同じ姿勢を続けないようにする
           ・こまめに首や肩の緊張をほぐす
           ・時々首をゆっくり後ろにそらす
           ・首や肩をゆっくり後ろに回す
           ・1時間に1度は立ちあがり、手を上に伸ばしてぶるぶる振る
           ・軽い屈伸などで全身の血流を改善する

②眼精疲労・・・①同様、デスクワークや読書、細かい手作業などによっておこります
           ・細かい文字を見続けると、目やその周囲の筋肉が緊張し、それと同時に首や肩も緊張します。
           ・特にパソコンの場合、光源を見つめるのと同じなので目が非常に緊張を強いられ、瞬きの回数が減ります。        
            (通常は1分に15~20回程度、パソコン作業中は1~2階に激減します)
           ・その為にドライアイから眼精疲労を起こし肩こりの原因となります。
       (対策)・時々眼を休ませる
           ・目薬をさすだけでなく1~2分は目を閉じて休ませる
           ・その時にこめかみのあたりを指先で軽く撫でるように円を描きながらマッサージをすると効果的
           ・仕事中等で目を閉じることができない場合は窓の外など遠くを眺めるだけでも効果がある
           ・パソコン画面のスクロール画面を目で追わず視線をそらす

③運動不足・・・日常生活に運動を取り入れる
           ・肩こりを起こしている時の首や肩は血流が悪くなっていて新鮮な酸素や栄養分が伝わりにくく、疲れやすい状態になっています
           ・それを改善するのが適度な運動です
       (効果)・運動はそれ自体が血流を改善する効果があります
           ・運動を続けることで筋肉量の低下を防ぎ、筋肉が柔軟になります
           ・筋肉は血液を送るポンプのような役割をしています
           ・運動を続けることで全身の血流を改善し、日頃から肩こりを起こしにくい体を作ることが大切です。
      (肩こり予防運動)
           ・筋肉に負荷をかけるよりも、筋肉を動かすことに意味があります
           ・散歩やウォーキング、室内での浅い屈伸運動でも全身の血流がよくなるので定期的に行うようにしましょう

④ストレス・・・体を動かすことで気分転換になりストレス対策になります
           ・ストレス性の肩こりは女性に多く、特に気分が落ち込みやすい女性は要注意です

この後、タオルのエクササイズや骨盤の左右のバランスを整える肩こり運動などの実技を1時間ほど行いました。
参加者は50歳から80歳くらいまでの男女50~60名ほどでしたが、皆さん熱心に聴き、指導通りに実技をこなして、終了時には肩が楽になったとか体が軽くなったとの感想を語っていました。

肩こりを訴えている皆さん、日頃から出来るだけ身体を動かして肩こりを追放しましょう。


「お詫び」
  いつも当ブログにアクセスいただきありがとうございます。
  誠に勝手ながら、明日25日と26日の2日間休ませていただきます。
  27日から再度書き出す予定にしていますので、引き続き宜しくお願い致します。

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いい夫婦の日

2013-11-23 | 時事

昨日は「いい夫婦の日」だったそうです。

「いい夫婦の日」の由来は、1985年(昭和60年)、日本政府の経済対策会議にて、ゆとりの創造月間として11月が提唱されたことと、「11月22日=いいふうふ」と読める語呂合わせによって、財団法人余暇開発センター(現:日本生産性本部)によって提唱され、その後、1988年(昭和63年)に「いい夫婦の日」をすすめる会(名誉会長・桂文珍)を設立し、普及を推進しているもので、今年(2013年)が25周年となります。

昨日のTVで夫婦円満等についてのアンケート結果を放送していたので、その一部をご紹介します。
「『いい夫婦の日』をすすめる会」が実施した、全国の男女既婚者800名を対象としたアンケートで、「夫婦円満だと思うか」との問いにおいて、
・「とても円満」(24%)、
・「まあ円満」(55%)と回答し、約8割が円満であるという認識だったそうです。

そして「夫婦円満のため大切だと思うこと」については、
・「話をする・聞く」が47%で最も高く、
・次いで、「信頼する」(43%)、
・「言葉にして感謝を伝える」(36%)、
・「程よい距離感」(34%)が3割以上となっています。



更に、「生まれ変わったとしたら、今のパートナーを選ぶか」との質問に対しては、
・「どちらともいえない」が46%で最も高く、
・次いで「もちろん今の相手を選ぶ」が34%、
・「別の人を選ぶ」が21%となっていました。
なお、性別でみると、「もちろん今の相手を選ぶ」と答えた人は、男性40%に対して女性が27%だったそうです。

アンケートを見る限り、夫が妻を思うほど、妻は夫の事を思っていないようですね。

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早くも咲いた菜の花

2013-11-22 | 家庭菜園

今日は二十四節季の一つ「小雪(しょうせつ)」です。
「小雪」は、まだ本格的な冬の訪れではなく、北国から雪の便りが届く頃ですが、雪もさほど多くないことから、小雪といわれているものです。
陽射しが弱くなり、紅葉が散り始め、いちょうや柑橘類は黄色く色づいてきます。
次第に冷え込みが厳しくなってくるこの時期に、私の畑では早くも菜の花が咲きました。

この菜の花は蕾を食べる「ナバナ(菜花)」と云う品種です。
一般的に「菜花(なばな)」は春の訪れを告げる野菜と言われていますが、これから冬のシーズンに入るこの時期に、春の訪れを告げる花が咲くと云うことは、11月の大阪・泉州地方が相当温かったのかも知れません。

・これが畑の「菜花(なばな)」です。


春の菜の花は、茎が伸びて温かさを満喫するように先端に黄色い花を咲かせますが、この時期の菜の花の茎は春先のように長く伸びず、寒さに首をすくめたような感じで咲いています。



・茎は50~60センチで、春の時期の2分の1ほどの高さにとどまっています。


・他にも蕾が付いている株がありましたが、茎は伸びてなく、寒さに開花をためらっているような感じです。


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紙飛行機作り

2013-11-21 | 趣味

紙飛行機の滞空時間にギネス記録があることをご存知でしょうか?
先月、和歌山で「オリ紙ヒコーキ体験会」が行われたので孫と行ってきましたが、その時、私も初めてギネス記録があることを知ったものです。
今日はその時の模様とギネス記録保持者の戸田氏をご紹介します。

戸田氏は2009年4月11日、広島県立ふくやま産業交流館(ビッグ・ローズ)の屋内環境(無風環境)にて、A5判のサトウキビ加工紙を切らずに作った紙飛行機(折り紙飛行機)を用いて飛行滞空時間27秒9を出し、ギネス世界記録を更新しました。
それまでの記録は約11年前にアメリカ人のケン・ブラックバーン作った27秒6で、その記録を0.3秒更新したものです。

その後、戸田氏は先端のとがっていない紙飛行機「スカイキング」を作成し、平成22年(2010年)12月19日、札幌ドームで29秒2の室内滞空時間ギネス記録を更新したそうで、現在はこれがギネス記録となっています。

・戸田氏とギネス認定書です。(ネットより)


その戸田氏が広島県福山市から和歌山に来られ、子供たちに「オリ紙ヒコーキ」の折り方を教えていただいたものです。

・スカイキングの折り方を丁寧にご指導頂いている戸田氏です。


・折り曲げる位置などを説明しているところです。


・真ん中からピッタリ合うように折り曲げます。


・先端部分の折り方が重要のようです。


・翼の大きさも重要とのことで、折り曲げるところを間違えないように説明していました。


・翼を広げた時に左右の段差が生じないようにと、白板に書いて説明しているところです。


・これが完成したスカイキングです。


・自分で折った紙飛行機を飛ばす子供たちです。1位になった子の滞空時間は7~8秒でした。


戸田氏は今も、記録の更新に挑戦し続けているそうで、最近の練習では、35秒の飛行を達成したといわれています。
最終的には大気圏を越えたいと、同氏は考えているそうであり、宇宙航空研究開発機構(JAXA)はこの構想を実際に試しているそうです。
更に、戸田氏が会長を勤めている「おりがみヒコーキ協会」は、東京大学研究者らと提携して「宇宙から紙飛行機を飛ばす」実験を提案し、JAXA『宇宙オープンラボ』のひとつとして2008年3月に採用されたそうです。

2008年1月には東京大学で、耐熱性の紙を使った飛行機の極超音速風洞実験に成功したそうで、これは宇宙から地球に帰還する際の大気圏に突入する条件に近い「マッハ7、摂氏200度」に耐えられるものだそうです。

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ピッツア(ピザ)

2013-11-20 | 雑学

今日は子供や孫が好きなピザについて調べました。

ピザは発酵させた小麦粉の生地を薄くのばし、トマト・ソースや野菜、魚介、チーズなど様々な具をのせて焼いた食物ですが、その起源は古代ローマ時代に遡ります。
古代ローマでは、食器代わりに平らなパンが使われていたそうで、ピザと言う言葉は、997年に南イタリアでラテン語で書かれた文献に登場しているそうです。

ピザが現在の形に近くなったのは、16世紀にスペイン人がインカからトマトを持ち帰ってからのようです。
18世紀にはスペイン領ナポリの貧しい住民がトマトとチーズをパンに乗せる具として使い始め、19世紀後半にイタリア王妃マルゲリータが気に入ってから一般に広まったそうです。

今日11月20日は「ピッツア・マルゲリータ」の名前の由来となった、そのイタリア王妃マルゲリータの誕生日で、「ピザの日」と言われています。
19世紀にイタリアを統一したサヴォイ家の王妃マルゲリータは1889年にナポリを訪れ、その記念に当時有名なピザ職人が ナポリの有名料理であるピザを献上しました。
イタリアの国旗の色を模したこのピザを王妃は大変気に入り、これがピッツア・マルゲリータの始まりとなりました。
王妃マルゲリータはイタリアの母と呼ばれ、今でもイタリア国民から広く愛されているそうです。

・ピッツア・マルゲリータです。(ウィキペディアより)


日本では1980年代後半から始まったバブル景気の最中に起きたイタリア料理ブームに伴い、次第に認知されるようになったそうです。
今では宅配サービスでも購入できるため、一般になじみのある料理となっています。

 

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穿つ(うがつ)

2013-11-19 | 雑学

国の調査の一つに、文化庁が行っている「国民のことばに関する意識調査」があります。
これは平成7年度から毎年行っているものですが、今日はこの中から「うがった見方」の調査結果をご紹介します。

この言葉の本来の意味は「物事の本質を捉えた見方」ですが、文化庁の調査では、本来の意味で答えた人は26.4%と、ほぼ4人に1人だったそうです。
一方、「疑って掛かるような見方」という本来の意味ではない方を選んだ人は48.2%と半分近くいたそうです。
この背景には、「うがった」ということば自体を知らない人が増えているのとともに、言葉の響きの似たもの、即ち、「うたがった」「うかがった」「まちがった」・・などで覚えていることがあるようだ、とされています。

「うがつ(穿つ)」とは、「穴を掘る」とか「せんさくする」などが本来の意味であり、そこから派生して「物事を深く掘り下げた、所謂、本質を捉えた見方」になったので、十分注意したいものですが、最近では「うがちすぎの見方」という言い方を認めている国語辞典もあるようであり、その内、本来の意味が辞典から消えるかも知れませんね。

 

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