らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

味付けのりのルーツ

2022-10-31 | 雑学

日本のソウルフード「おにぎり」。
コンビニでもスーパに行っても海苔に包まれたおにぎりがたくさん並べられています。
おにぎりっておいしいですよね。
手軽に食べられて、満足感もあって、こどもから大人まで日本人ならどなたでも好きなのではないでしょうか?

今では海外でも知られつつあるおにぎりですが、関西と関東では巻かれている海苔の種類が違っているようです。
そこで今日はおにぎりの海苔について関東と関西で違う理由を調べました。 

「アンケート結果」
先ず、(株)山本山が男女167名に調査した、「おにぎり」に巻く海苔の種類についてのアンケート結果がありました。
それによると、おにぎりに巻く海苔の種類は、【東日本】焼海苔   91%
                          味付け海苔 9%

                     【西日本】味付け海苔 62%
                          焼海苔   38% となっています。

東日本では圧倒的に焼海苔派が多いのに対し、西日本では、約6割が味付け海苔を巻いています。
おにぎりの形も東日本は三角形が68%なのに対し、関西ではたわら型が57%となっています。
おにぎりの形は兎も角、巻かれている海苔が東西で何故違うのでしょうか?

「味付けのりの表示」
セブンイレブンが関西で売っているおにぎりには「味付けのり」の文字を入れています。
そのきっかけは同社が地域に合わせた商品づくりに舵を切ったことからで、凡そ10年かけて味付け海苔の商品開発をしたそうです。
そして、6年前から関西での味付け海苔の販売を開始したところ、発売から1か月で売り上げが20%増えたという事です。

・「味付けのり」と表示されているおにぎりです。


「味付け海苔のルーツ」
でも関西での、味付け海苔文化のルーツはどこから来たのでしょうか?
調べてみると、明治天皇が関係していたという事です。

江戸時代、海苔は江戸湾を中心に生産されて人気を集めていました。
しかし、産地から遠い関西では海苔を食べる文化は余りありませんでした。
そうした中、明治2年(1869年)明治天皇が京都訪問の東京土産として開発されたのが味付け海苔でした。

長距離移動で味にばらつきが出るのを防ぐため、その海苔にタレを塗ったのがきっかけと言われています。
当時、天皇が来られたことと共に、お土産として味付け海苔を持ってこられたことが報道されると、味付け海苔が口コミでも広がっていったそうです。
この出来事から、関西では、「海苔=味付け海苔」という認識が広がるきっかけの一つになったと言われています。
しかし、当時は味付け海苔は1枚1枚手作業で塗られていたため、米1升より高いと言われるほどの高級品でした。

「関西での味付け海苔文化」
これが一般に広まったきっかけは、大阪のニコニコのり(株)が昭和6年(1931年)に、ダシを効かせた甘いたれを海苔に塗るローラー式の機械の開発に成功し、大量生産ができるようになったことです。
その翌年、1瓶50枚で誰でも手が届く価格で販売して、大ヒットにつながりました。

加えて、専門家の話では、ダシを効かせた味付け海苔は関西人気質なのか、予め味が付いていることによってお得感を感じられる人が多いのではないか。
更に、元々、関西の方はだし文化でだしを好む傾向があり、昆布やかつおで味付けしているので、それが関西の人にマッチしているのではないか。
こうしたことから大阪や関西では、味付け海苔がポピュラーになったのではないかと解説しています。

我が家はおにぎりは滅多に食べませんが、手巻き寿司の海苔は味付けのりを使用しています。
一度、焼きのりで食べたことがありますが、味付けのりの方がマッチしているように感じました。
矢張り関西人なのですね。

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お寿司に食べ順はあるのか?

2022-10-29 | 雑学

新型コロナウイルス第7波の感染者数が落ち着いてきたことから、コロナ感染症に関する水際措置が見直されました。
10月11日以降は入国者総数の上限が撤廃され、68の国・地域に対してビザ免除措置が再開されています。
更に、現在の異常な円安によって外国人観光客の訪日の機運が高まっているようです。
コロナ前のように、大勢の外国人観光客の訪日を期待したいところです。

さて、外国人観光客にとって日本での楽しみの一つに和食があるようです。
和食は2013年(平成25年)12月に、ユネスコの無形文化遺産に登録されて以降、世界的なブームが起こりました。
和食の中でも、特にお寿司を食べたいと言う人が多いようです。
今では、お寿司は世界各国で食べられているようですが、日本で食べる本場のお寿司は、自国のそれとは比べものにならないくらい美味しいという事です。

そのお寿司ですが、食べる順番があるのでしょうか?
私は好きなお寿司から食べているのですが、皆様は如何でしょうか?
気になったので調べてみました。

「食べる順番」
お寿司は本来、気軽な食べ物なので、堅苦しく考える必要は全くありませんが、敢えて食べる順番とするならば、一般的には味の薄いものから始めて、味の濃いものに、そして脂っこいものは後にし、甘いものを最後に食べると美味しくいただけるようです。
その理由は、先に味の濃いものを食べると淡白な魚の味が分からなくなるし、口の中が脂っこくなると、繊細な味が感じられなくなるとのことです。
また、濃い味と薄い味を交互にすると味の印象がはっきりして美味しく食べられるとも言われています。



「食べ順の一例」
・序盤は薄味・淡白なお寿司
 例えば、タイ、カンパチ、スズキ、イカ、ボイル海老、貝類、カニ、など、

・中盤は味が濃い目、脂の乗ったお寿司
 例えば、中トロ、大トロ、穴子、シャコ、ブリ、サーモン、いくら、など。

・終盤はさっぱりした巻物
 例えば、梅きゅうり巻き、梅シソ巻き、イカシソ巻、イカきゅうり巻き、カッパ巻き、など。

「自由に食べたいものを食べる」
お寿司は本来、気軽な食べ物です。堅苦しいルールなんてありません。
もちろん食べる順番などはなく、人それぞれ自由に食べたいものを食べるというのが一番だということです。

もし、様々な寿司を楽しみたいのなら、寿司を一つ食べて、付け出しの生姜を一口食べれば、口内がさっぱりして個々の魚の持ち味を吟味できるし、カウンターに座った場合などは、お任せで出してもらうのもいいかも知れません。
但し、お任せにするとお値段の心配も出てくるかもしれません。
財布にゆとりのある方は、どうぞ、気軽にお寿司を味わって下さい。

 

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誤解しやすい言葉「姑息」

2022-10-27 | 雑学

今日は文化庁の「国語に関する世論調査」からご紹介します。
昨年度の「国語に関する世論調査」で「姑息」の意味を尋ねる項目がありました。
調査結果では、多くの方が本来の意味を誤解していることが判明したのです。

「世論調査結果」
この調査で「姑息な手段」と例示して、本来の意味を尋ねていました。  
 質問:「姑息」の言葉は、どちらの意味だと思うか ?

この質問に対して、調査結果は下記のとおりでした。
                     令和3年度    平成22年度
(ア)「一時しのぎ」という意味・・・・・・・ 17.4%  ・・・ 15.0 %
(イ)「ひきょうな」という意味・・・・・・・ 73.9 %   ・・・70.9%  
(ア)と(イ)の両方・・・・・・・・・・・・・5.9%    ・・・ 2.9%   
(ア),(イ)とは全く別の意味・・・・・・・・1.7 %  ・・・  2.1 %     
無回答・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1.1%
分からない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9.2%

(ア)が本来の意味です。
全ての年代で、辞書等で本来の意味とされてきたものとは異なる(イ)「ひきょうな」を選択した人の割合が、本来の意味とされてきた(ア)「一時しのぎ」を上回っていました。
中でも、40 代以下では(ア)を選択した人の割合と(イ)を選択した人との割合に 60 ポイント以上の差がありました。

「姑息の意味」
「姑息」を広辞苑で調べると、一時の間に合わせ。その場逃れ。(「姑」はしばらくの意)。
と説明しています。

辞書が示すように、姑息とは、《「姑」はしばらく、「息」は休むの意から》一時の間に合わせにすること。また、そのさま。一時のがれ。その場しのぎ。という意味になります。

「姑息の由来」
「姑息」は「礼記(らいき)」の故事にある、孔子の門人,曽子の言葉に由来します。
病床にあった曽子は,自分の寝台に,身分と合わない上等なスノコを敷いていました。
お付きの童子にそのことを指摘された曽子は,息子の曽元にスノコを取り替えるよう命じます。
曽元は,父の病状の重いことを考慮し,明朝,具合が良くなったらにしましょうと答えます。

それに対し,曽子は,お前の愛は童子に及ばないと,次のように言いました。
 「君子の人を愛するや徳を以ってす。細人の人を愛するや姑息を以ってす。」
 (君子たる者は大義を損なわないように人を愛するが,度量の狭い者はその場をしのぐだけのやり方で人を愛するのだ。)

その場にいた者たちは,曽子を抱え上げてスノコを取り替えますが,彼は間もなく亡くなってしまいました。
曽子は,一時しのぎの配慮に従って生き長らえるよりは,正しいことをして死ぬ方がよいと考えたのだ、という事です。

この故事が「姑息」の由来と言われています。

皆さまは姑息の本来の意味をご存知だったと思いますが、7割以上の人が意味を間違えていたという結果でした。
姑息とは、一時の間に合わせ。その場逃れ。という意味です。
間違わないように気を付けたいですね。

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山粧う

2022-10-25 | 雑学

10月も下旬になって、山が粧ってきました。
紅葉前線が南下し始めたのです。
先日、栃木県の中禅寺湖周辺の山々で紅葉が始まったとのニュースが報じられていました。
一昨日のニュースだったので、土日の連休で観光客が訪れていたのでしょう。
日光のいろは坂には、早朝からたくさんの車が通行している様子が映し出されていました。

「山粧う(やまよそおう)」
紅葉によって山が美しく飾られたような秋の山を形容して「山粧う」と言い、俳句で秋の季語となっています。
俳句では春・夏・秋・冬の各季節に山を形容する季語がありますのでご紹介します。

「山を形容する季語」
・春は「山笑う」です。
 木の芽や木の花に包まれる春の山を、朗らかに笑う人の姿になぞらえて『山笑う』といいます。
 春の山の草木が一斉に若芽を吹いて、明るい感じになる様子を言っています。

・夏は「山滴る(やましたたる)」です。
 夏になると、山の樹木は勢いを増して、青々と緑深く繁ります
 草木の葉で覆われて緑が滴るように見える夏の山を形容する言葉です。
 
・秋は「山粧う」です。
 紅葉で美しく飾ったような秋の山を形容する言葉です。
 秋の山が紅葉に彩られた美しさを、美しい衣を身にまとっているようだと例えています。
 参考までに、紅葉が始まるのは、気温8度以下が目安のようです。

・冬は「山眠る」です。
 静まり返る冬の山を形容する言葉です。
 落葉しつくした木々に覆われ、冬日のなかにふっくらとうずくまったような山の姿を、眠ると擬人化して言っています。

「出典」

上記、いずれもの出典も、中国北宋の画家、郭熙(かくき)「郭熙画譜」からで、四季の山それぞれの特徴として次のように記されています。
・春山淡冶(たんや)にして笑うが如く
・夏山蒼翠(なつやまそうすい)として滴るが如く、
・秋山明浄
(めいじょう)にして粧ふが如く、
・冬山惨淡
(さんたん)
として眠るが如し、
なお、『淡冶(たんや)』とは、ほのかに艶があることです。

私は俳句を詠まないので、このような季語があったとは知りませんでした。
日本の四季の美しい山の移ろいを的確に表現した素晴らしい語ですね。

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栗よりうまい十三里

2022-10-23 | 雑学

暑かった夏が終わり、今月初めまで続いた残暑も過ぎ去って、一雨ごとに季節が進んで本格的な秋となりました。
秋といえば、「読書の秋」「スポーツの秋」と並んで「食欲の秋」や「実りの秋」などさまざまなフレーズがありますが、その中でも「食欲の秋」はどなたも実感される言葉ではないでしょうか?
夏の間、食欲が落ちていた小生も少しずつ食欲が戻ってきました。

秋の味覚の定番料理といえば、炊き込みごはんや松茸ごはん、さつまいもごはん、栗ごはんなどがあります。
何れも、秋の味覚を炊き込んでおり、美味しいですよね。
矢張り、秋は「実りの秋」「食欲の秋」が実感できます。

「八里半」
ところで、「栗よりうまい十三里」という諺がありますが、ご存じでしょうか?
この諺はちょうど今頃のことを言い表した諺です。

「栗よりうまい十三里」とは、江戸時代にサツマイモ(焼き芋)のことを洒落て言った言葉なのです。
江戸時代(宝永年間(1705~1711)の頃)、京都に焼き芋屋さんが登場しました。
その焼き芋屋さんの看板には、「八里半」の文字が書かれていたのです。

当時、サツマイモは蒸し芋で食ベられていたのですが、焼いたサツマイモが栗の味に似ていたことから  「栗(九里)にはやや及びませんが」という洒落で「八里半」と名付けたのだそうです。



「栗よりうまい十三里の語源」
焼き芋は、それから90年ほど後の寛政年間(1790~1801)の頃に江戸にも伝わり、京都と同じように「八里半」の看板を掲げたそうです。
しかし、江戸・小石川の焼き芋屋さんが、「十三里」と名付けたところ 、「栗(九里)より(四里)うまい十三里(九里+四里)」という洒落が江戸っ子にウケて評判を呼び、大ヒット商品となりました。
それから「サツマイモ=十三里」となったという事です。

 なお、この「十三里」は、当時、美味しいサツマイモの産地として知られていた川越が、江戸から十三里(約52km)のところにあるため「十三里」と呼ばれるようになった、という説もあります。
更に、秋真っ只中の焼き芋は、とても美味しいことから「十三里」より美味しいという意味で「十三里半」と呼ぶ、という説もあるそうです。

「焼き芋が甘い理由」
一昨日のNHKの番組「チコちゃんに叱られる」で焼き芋の甘さの秘密について紹介していました。
番組に登場した明治大学の浅賀教授によると、
サツマイモの9割以上はでんぷんであること。そしてこの澱粉が甘さの基になること。
更に、鍵を握るのは熱だという事を話していました。

サツマイモの中にはアミラーゼという物質があり、熱を加えることによってこの成分が活発に働くそうです。
すると、アミラーゼが澱粉を分解して麦芽糖ができます。
この麦芽糖が水あめと同じ成分なのだそうです。
だから、あま~くなる。
と説明していました。

10月はサツマイモの旬です。
我が家でも数株掘って食べましたが、とても美味しかったです。
サツマイモを焼き芋にすると更に美味しいですよ。
どうぞ、お試しください。

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落花生栽培(収穫)

2022-10-21 | 家庭菜園

一昨日、落花生を収穫しました。
今年の落花生栽培は過去最高の出来でした。

「今年の落花生の植え付け」
落花生の種は、昨年収穫した中から、よく充実した大きな豆を取り出しました。
そして4月下旬に1か所に植えて芽出しして、5月中旬に定植しました。

植え付けは、幅60㎝の畝に株間40㎝で13株を1条に、3畝植えました。
定植後は順調に生育していましたが、8月の猛暑の時期に畝が乾燥して枯れそうになったことがありました。
その時に、対策として水遣りを続けたところ、何とか猛暑を乗り切ることができました。

9月になってカラスの被害に遭い始めたので、その対策として、9月11日ににテグス(釣り糸)を張りました。
その後はカラスの被害はなく、更に、アライグマの被害にも遭わなかったことから、至って順調に生育しました。
そして、葉っぱが黄色に色づき始めた一昨日に収穫したものです。



「収穫」
上の画像の右側、葉っぱがまだ青い畝から掘り進めると、各株にはたくさんの落花生が付いていました。
今年は豊作を予感しながらの収穫作業でした。
そして、3畝の39株をすべて掘ったところ、思っていたよりもずいぶん多いことに驚きました。
全部掘り終わって20㎏入りの肥料袋に入れてみると、いっぱいになったのです。

・多い株にはこのくらいの豆が付いていました。


家に持ち帰って量ったところ、洗う前(土がついている状態)の収量で19.8㎏あったので、実質は14~15㎏以上収穫できていると思います。
これだけ収穫できたのは初めてです。
今年はスイカが過去最高の出来だったのですが、落花生も大成功でした。

・水洗いして、天日で乾かしているところです。


落花生を茹でた「ゆで落花生」には「葉酸」や「食物繊維」が豊富にあり、貧血や便秘の予防効果が期待できるといわれていますが、我が家では、落花生を乾燥して、料理に使用したり、オーブンで焼いてお酒のおつまみなどで食べています。

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極早生玉ねぎの定植

2022-10-19 | 家庭菜園

9月初旬に種蒔きした極早生(ごくわせ)品種の玉ねぎが1か月余り経って20㎝以上に生長し、植え替え時期となりました。
しかし、今月も体育の日を含む連休以降は残暑が厳しく、日中の最高気温は26度~27度の日が続きました。
この気温では、植え替えするには少し暑すぎるような気がしたので、もう少し気温が下がるのを待つことにしました。

と言うのは、菜園仲間のH氏が27度くらいの気温になった暑い日に植えたのですが、その後も暑さが続いたことから、苗の葉が枯れた見苦しい株が目立ってきたのです。
そこで、植え時期を判断するため天気予報を見ていると、17日に雨が降った後は、20度前後に気温が下がる予報となっていたため、雨の前日の16日に植えることにしたのです。
そこで今日は我が家の玉ねぎの定植についてご紹介します。

「苗」
今年の玉ねぎの苗作りは家内が担当しました。
昨年は私が種蒔きをしたのですが、発芽せず、大失敗でした。

そこで今年は家内が、YouTubeでいろいろ調べて自分で蒔いたのです。
その方法は、市販の種を一袋購入し、芽を切るまで水に浸けておきます。
そして、白い芽を切り始めた頃に一粒ずつ苗床に蒔いていきました。
その上から薄く土を被せ、毎日水遣りを続けました。
10日ほどすると芽が伸び始め、そして1か月余りで下の画像のように20㎝ほどになったのです。
途中で化成肥料を1~2回施肥しました。

植え付け適期となった極早生品種の玉葱の苗です。


上記の中から茎の太い株を丁寧に抜き取ります。
今回は160株を抜き取りました。
まだ100株以上は残っているので、もう少し太くなってから追加で植え替える予定です。

定植のために抜き取った160株の一部の苗です。


「畝」
60㎝幅の畝に穴あきの黒マルチを張ります。
その穴の部分に手鍬の柄の方を押しこんで深い穴を作ります。


その穴に苗の根の部分を差し込み、土を戻します。
その後、ジョロで水遣りをします。
翌日が雨の予報だったのでしっかりと活着してくれるものと思います。

・160株植えた畝です。


極早生品種は晩生より1カ月半ほど早く、3月下旬には収穫できる見込みです。
この後の管理は、12月頃に1回目の追肥を行い、株元には寒さ対策として藁を敷きます。
2回目の追肥は2月初めに行います。
肥料は共に化成肥料(8・8・8)です。

季節が進んで秋が深まってくると、菜園の作業も種々やることが増えてきます。

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秋の七草の由来

2022-10-17 | 

今日は「秋の七草」を取り上げたいと思います。

「七草の由来」
秋の七草と言えば、万葉集を代表する歌人、山上憶良が次のような二首の歌を読んでいますが、この歌が秋の七草の由来となって、秋を代表する草花として親しまれるようになりました。

 ・ 「秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびおり) 
      かき数ふれば 七草(ななくさ)の花 」
  山上憶良 (万葉集・巻八 1537)

 ・ 「萩の花 尾花 葛花 なでしこの花 
    女郎花 また藤袴 朝貌の花」  
山上憶良 (万葉集・巻八 1538)

「春の七草」は七草粥にして食べるなど「食」を楽しむものですが、「秋の七草」はを見て楽しみます。
ところが、秋の七草の花を実際ご覧になった方は少ないのではないでしょうか?
そこで、古いアルバムから探し出した花の画像を下記に列挙しました。

「七草の画像」
萩の花(熊取:長池公園)
「草かんむり」に「秋」と書く「萩」は秋を代表する花の1つです。
秋のお彼岸にお供えする「おはぎ」の名の由来にもなっています
 

尾花(ススキ)(畑にて)
尾花は「すすき」の別名です。
すすきの穂が動物の尾に似ていることが、名前の由来と言われています。


葛の花(畑の傍にて)
葛湯、葛切り、葛餅など、今でも親しみ深い植物の1つです。
葛の根を乾燥させた「葛根(かっこん)」は民間治療薬として、風邪や胃腸不良などの際に用いられます。


撫子の花(鉢植)
日本女性の清楚さを表現した「大和撫子」の「撫子」は、この花のことです。
可憐な淡紅色の花を咲かせます。


女郎花です(自宅の庭)
女郎花の名前の由来は、花の美しさが美女を圧倒するためという説があるほど、優雅で美しい花として古代の人に親しまれた花です。
そのため、多くの歌や句にも詠まれています。


藤袴(畑にて)
藤袴は、花の色が淡紫色で、弁の形が筒状で袴に似ていることからこの名前が付けられました。
現在では準絶滅危惧種に指定されています。


・朝顔の花(キキョウ)
桔梗は、その形の良さから多くの武将の家紋に用いられました。中でも明智光秀の水色桔梗の家紋は有名です。
この花も藤袴と同様、絶滅危惧種に指定されています。


「覚え方」
秋の七草はなかなか覚えられません。
ネットを調べると次のような覚え方がありました。

・1つは「5・7・5・7」に合わせて、リズム良く覚える方法です。
  「ハギ・キキョウ クズ・フジバカマ オミナエシ オバナ・ナデシコ」
秋の七草を上記のように並び替えて、繰り返し口ずさみする。

・もう一つは頭文字の語呂合わせで覚える方法です。
 ・「おすきなふくは?(お好きな服は?)」
  (お=オミナエシ、す=ススキ、き=キキョウ、な=ナデシコ、ふ=フジバカマ、く=クズ、は=ハギ)

 ・「はすきーなおふくろ(ハスキーなお袋)」
  (は=ハギ、す=ススキ、き=キキョウ、な=ナデシコ、お=オミナエシ、ふ=フジバカマ、く=クズ)
上記のいずれかの語呂合わせ、或いは、他の語呂合わせを考えてみるのもよいかも知れません。

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待ちに待った「羊雲・うろこ雲」

2022-10-15 | 季節

残暑が厳しかった当地も今月5日の雨の後、ようやく平年並みの気温になり、秋らしくなってきました。
畑にはコスモスの花が秋風に揺れ、空を見上げると「羊雲や」「うろこ雲」が秋の到来を告げています。
モクモクとした「入道雲」はいつしか姿を消し、高い空に秋の雲が見られるようになったのです。



秋の特徴的な雲には「ひつじ雲」や「うろこ雲」「いわし雲」などがあります。
その区別についてはよく知りませんが、先日、ふと空を見上げると「うろこ雲」でしょうか、空一面に広がっていました。
そこで、取り敢えずその雲を「うろこ雲」としてご紹介したいと思います。

「うろこ雲」
秋の空に見られる、ひつじ雲、うろこ雲、いわし雲は、それぞれ、ヒツジに似ていたり、魚の鱗のように見えたり、イワシの群れに見えることから付けられた俗称で、正式名は、ひつじ雲は「高積雲」、うろこ雲といわし雲は「巻積雲」と言います。

・巻積雲(うろこ雲、イワシ雲など)
うろこ雲といわし雲は、同じ巻積雲なので違いはなく、見え方によって「うろこ雲」とか「いわし雲」と呼び分けられているにすぎません。
「さば雲」と呼ばれる雲も、うろこ雲やいわし雲と同じ巻積雲のことで、サバの背にある模様に似た波状の雲をいいます。

・高積雲(羊雲)
ひつじ雲の正式名は「高積雲」と言い、「巻積雲」との決定的な違いは、雲が発生する高さにあります。
高積雲は高度2000m~7000mの中層に発生するのに対し、
巻積雲は高度5000m~13000mの上層に発生します。
高度に違いがあるため、地上に近いひつじ雲は、一つ一つの塊が大きく見え、地上から遠くにあるうろこ雲やいわし雲は、一つ一つの塊が小さく見えます。

その他、高積雲(ひつじ雲)は雲が厚く、光の通過が少ないのに対し、巻積雲(うろこ雲・いわし雲)は雲が薄く、光の通過が多いという特徴があるようです。

・うろこ雲ではないかと思います。


「うろこ雲の発生メカニズム」
「うろこ」のような無数の塊は、層状雲(上層雲、中層雲、下層雲の総称)の上辺が放射冷却により一様に冷却されることによるベルナール対流によって発生します。
即ち、上空では、『上昇した空気があるところで冷やされて下降する』という対流、所謂ベナール対流がいくつも発生しています。
これによって、うろこ雲のような形になるわけです。

このようなベナール対流は上空の空気が入れ替わっているとき、高気圧が抜けて、前線や低気圧が接近しているようなときに発生しやすくなります。
つまり、秋のように、移動性の高気圧によって天気が移り変わる季節には、このようなベナール対流が発生しやすいということです。

・雲の塊が大きいので「羊雲」ではないかと思います。


「言い伝え」
秋も深まると、南にある「夏の空気」と北の「秋の空気」を隔てる前線が次々と日本付近を通過していきます。
このため、夏には見られなかった「うろこ雲」や「ひつじ雲」が見られるようになるのです。

「うろこ雲が出たら三日のうちに雨」
「ひつじ雲が出ると翌日雨」
という言い伝えもあります。
昔の人は、雲の形の変化と雨との関係に注目して生活していたようですね。

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3年ぶりのダンジリ祭り

2022-10-13 | 地元紹介

10月8日(土)と9日(日)は当地(大阪府熊取町)では「熊取地車(だんじり)祭り」が催されました。
昨年、一昨年はコロナ禍で中止となっていたので、今年は3年ぶりの開催となりました。

熊取の地車(だんじり)祭りは五穀豊穣の祈願と豊作に感謝する、長い歴史と伝統をもつ由緒ある行事(神事)です。
このような事から、地元の人たちにとっては待ちに待った再開でした。

今日は3年ぶりに再会された「熊取だんじり祭り」をご紹介します。

・畑のすぐそばを曳く和田地区の地車(だんじり)です。


「熊取だんじり祭り」
熊取のだんじり祭りは、いつから曳き出されるようになったのかは明らかではありませんが、1841年(天保12年)には五門、小垣内、宮村(現 大宮)、大久保、小谷、七山、和田、朝代の各地区に計8台の だんじりがあったことから、181年ほどの歴史をもつ由緒ある行事(神事)です。
現在は、熊取町には11の地区に11台のだんじりがあって、10月の祭りの日には、それぞれがJR熊取駅前から町内をパレードしてその勇姿を競い合いました。

・こちらも畑の近くを曳く朝代地区の地車(だんじり)です。


だんじり祭りでは、鳴り物と呼ばれる笛や太鼓による「だんじり囃子」が奏でられ、屋根の上では大工方(だいくがた)がだんじり囃子にあわせて軽妙な舞を披露します。

だんじり祭りの一番の見所は、スピードを落とさずに曲がり角を疾走する「遣り回し(やりまわし)」です。
全力で走りながら約4tものだんじりを直角に疾走させる遣り回しでは、曳行の技量に加えて役割分担とチームワークが最も重要となります。

また、夜にはだんじりに提灯が灯され、暗闇の中でだんじりがゆっくりと進みます。
その様子は、昼の豪壮さとうってかわった優雅な風景です。

・夜のだんじりです。(2019年撮影)


今年のダンジリ祭りは3年ぶりに再開されたことから、地元の人たちは殊のほか、張り切っていたように感じました。
第7波のコロナ感染者数も落ち着いてきたことから、曳き手の人達はマスクなしで威勢よく曳いており、以前のような賑わいが戻ってきた熊取の地車(だんじり)祭りでした。

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