先日、ラジオのある番組で、ぜんざい(善哉)の発祥地は島根県の出雲だと言っていました。
折しも今日10月31日は、語呂合わせによる「ぜんざいの日(1031:せんさんじゅういち)」だそうです。
そこで「ぜんざい」の由来について調べることにしました。
「ぜんざい」の由来には2説あるようです。
一つには、出雲地方の神事「神在祭(かみありさい)」で振る舞われた「神在餅(じんざいもち)」を由来とする説で、「神在餅」の「じんざい」が訛り、「ぜんざい」へと変化したと言う説です。
島根県松江市の佐太神社のホームページには、
11月25日の神々をお送りする「神等去出(からさで)神事」では、神前に供えていた餅と小豆を一緒に煮て小豆雑煮を作り再び供えていました。
これを「神在餅(じんざいもち)」と呼び、この「神在餅」が転化して「ぜんざい」になったといわれているもので、佐太神社がぜんざい発祥の地とされています。
この事は松江藩の地誌『雲陽誌(うんようし)』の佐陀大社の項にも書かれているそうです。
そしてもう一つは
仏教用語である「善哉(仏典では実に良いといった意味)」にちなんだ説で、一休宗純が最初に食べたとされ、あまりの美味しさに「善哉」と叫んだとする説です。
出雲から京都にもたらされたぜんざいを、大徳寺の住職が一休さんにふるまったところ、そのうまさに感激した一休さんが、「善哉此汁(よきかなこのしる)」と言ったそうです。
その仏教用語の使い方のうまさに感心した大徳寺の住職が、この話を広めたと伝えられているものです。
どちらの説が有力か分かりませんが、出雲説を補強するかのように、出雲ぜんざい学会HPには次のように書かれています。
『出雲國に神在もちいと申事あり。京にてぜんざいもちいと申ハ。これを申あやまるにや。10月にハ日本國の諸神ミな出雲國にあつまり玉ふゆへに。神在と申なり。その祭に赤豆をにて汁をおほくし。すこし餅を入まいらせ節々まつり候を。神在もちい申よし。』(祇園物語より抜粋)
説は兎も角、甘党の方にとってはおいしい善哉をお腹いっぱい食べたいですよね。
でもダイエット中の方はほどほどにしてくださいね。
昨日の大阪地方は風が強くて初冬を思わせるような寒い一日でした。
夕方のTVニュースでは、大阪管区気象台の発表として、近畿地方で冬の訪れを告げる「木枯らし1号」が吹いたと報じていました。
昨年より4日遅い観測となっています。
今日は「木枯らし」の定義について調べました。
木枯らしとは、通常、10月半ばから11月末にかけて西高東低の気圧配置になった時、8m/s(㍍毎秒)以上の北よりの風が吹くと、気象庁ではその風を「木枯らし」と認定し、最初の木枯らしを「木枯らし1号」として発表しています。
この発表は気象庁による関東地方と、大阪管区気象台による近畿地方に限られており、その他の地方では発表がありません。
因みに昨年の木枯らし1号は、関東地方は10月26日、近畿地方ともに10月25日の夜でした。
近畿地方における「木枯らし1号」の条件は次のようになっています。
●期 間 10月23日頃(霜降)~11月末頃まで
●気圧配置 西高東低の冬型の気圧配置
●風向・風速 北よりの風が吹き、最大風速8メートル以上
なお昨日の12時10分までの近畿各地の最大瞬間風速と風向の観測結果は次のようになっています。
大阪 9.8メートル 北の風
神戸 11.5メートル 北北西の風
京都 7.0メートル 北西の風
舞鶴 15.4メートル 北の風
彦根 14.2メートル 北北西の風
奈良 3.7メートル 北北東の風
和歌山 12.6メートル 北の風の風
木枯らし1号が吹いたということは季節が一歩冬へ近づいたという知らせでもあります。
天気予報では、近畿地方は30日以降もしばらくは平年より気温が低い日が多いと予想しています。
これからインフルエンザの流行期に入ることから、風邪には十分注意して欲しいと思います。
果物が美味しい季節ですね。正に味覚の秋です。
この果物と菓子が共に木の実から始まったと言うことをご存知でしょうか?
今日は果物と菓子の関係について調べました。
果物とは、もともと【木になる実】のことを言います。
即ち、果物は、本来「く」「だ」「もの」という3つのことばが結びついてできたもので、「く」は「木」が音変化したもの、「だ」は今でいう“の”のような助詞で、「木だ(の)物」から【木になる実】が果物なのだそうです。
一方、「菓子」は本来「果子(かし)」と書き、こちらも【木の実】のことのようです。
広辞苑には、菓子として、「菓」は果物の意で、常食の他に食する嗜好品。昔は多く果実であったが、今は多く米・小麦の粉、餅などに砂糖・餡などを加え、種々の形に作ったものを言う。とあります。
「果物」と「菓子」の違いは「果物」が和語で、「菓子」が漢語というくらいで、両方とも木になる実にはじまり、いちごや瓜など草になる実など、主食以外の間食を指しました。
古くは、間食に食べられていたものは、自然のものがほとんどでしたが、その後、大陸から米や麦の粉に、飴、蜂蜜などをまぜて油であげたものなどが伝わり、「唐菓子(からくだもの)」などと呼ばれました。
さらに、茶うけの饅頭や練り羊羹、カステラなど砂糖を使った甘い食べ物も外国から伝わります。
そうして、人が手を加えて作った甘い食べ物は「菓子」で、自然の果実のものは「果物」と区別されていったようです。
ただ、江戸時代、江戸では果実のものを水分の多い菓子ということで『水菓子』とも言っていました。
現在では、ゼリーや水羊羹などを「水菓子」と呼ぶ人もいますが、本来は果実のものが『水菓子』のようです。
十三夜
太平洋戦争開戦の直前(昭和16年10月)に小笠原美都子が歌った曲に「十三夜」があります。
この曲は、発売当時、戦局がますます深刻化していたため、多分、余りヒットしなかったのではないかと思いますが、戦後、NHKラジオの「素人のど自慢」で盛んに歌われるようになって全国的に広まり、更に、昭和39年(1964年)には榎本美佐江がビクターからリバイバル曲として出して大ヒットしました。
当時、テレビやラジオのナツメロ番組でよく歌われていたことから、戦前の歌でありながら私がよく記憶している曲の一つです。
昨夜は、この歌に歌われている「十三夜」でした。
この夜の月は中秋の名月と同じように美しい言われており、月を眺めながらふとこの歌を思い出したので1番と3番の歌詞を書いておきます。
御存じの方も多いと思います。口ずさんでみては如何でしょう。
「十三夜」 作詩:石松秋二 作曲:長津義司
〽 1.河岸の柳の 行きずりに
ふと見合わせる 顔と顔
立ち止まり 懐かしいやら 嬉しいやら
青い月夜の 十三夜
3.空を千鳥が 飛んでいる
今更泣いて なんとしょう
さようならと
こよない言葉 かけました
青い月夜の 十三夜
昨夜は少し雲が出ていたものの、雲の切れ間に煌々(こうこう)と輝く十三夜の月は見事なものでした。
38万㎞の彼方から明るく照らしてくれる十三夜の月は余りにも美しく、歌詞にあるように千鳥(カラスらしき鳥)も観月を楽しみながらねぐらへ帰っているようでした。
・昨日コンパクトデジカメの10倍ズームで撮影した十三夜の月です。
今年の「中秋の名月(9月30日)」は雲に隠れて見ることができなかったことから、それに代わって、先月9月30日に1カ月早い「十三夜(9月28日)」の月をご紹介しましたが、1カ月後の十三夜月とどちらが美しいでしょうか?
・1カ月前(9月28日)の「十三夜」の月です。
お知り合いの中に“キザな人”はいませんか?
現役の頃は職場や町中で時折見かけることがありました。
本人は気取っていて有頂天なのでしょうが、人には不快感や厭みを与えますよね。
今日は「気障(きざ)」の語源について調べました。
気障(きざ)とは、広辞苑によれば、
①きざわりの略でこころにかかり、苦になること、
②服装・態度・行動などが気取っていて、人に不快や反感を感じさせること。いやみ。とあります。
気障(きざ)という言葉は「気障(きざわ)り」の略語で、元々は「(自分の)気にかかること、心配なこと」を指す言葉だったようです。
この言葉は江戸の遊郭で生まれ、江戸時代後期に一般に流行したと云われています。
特に遊郭では、色男ぶったり、気取ったり、嫉妬深い人の行動や言動が気に障ったようで、そうした人を「気障(きざ)」というようになり、そこから「服装や態度、言動が気取っていて不快なさま」という意味に広がりました。
自分のことを指していた「気障り」が、他人の服装や態度、言動に及ぶ言葉に発展したとは、言葉の変遷は面白いものですね。
今日10月26日は原子力の日で、原子力に関係する機関や企業等で原子力平和利用堆進のために、原子力についての理解と認識を深める記念行事が行われます。
原子力の日とは、昭和38年(1963年)10月26日、東海村日本原子力研究所の動力試験炉が日本初の発電に成功したことを記念して定められたものです。
また、それに先立つ昭和31年(1956年)10月26日は日本が国際原子力機関に加盟した日でもあります。
昭和31年という年は、戦後日本で初めて原子力予算が認められ、原子力の平和利用に新たなスタートを切った年です。
米国、ソ連、英国では核爆発実験を続けていましたが、原子力を世界の平和のために利用することを目指す国際的な機関の必要性が叫ばれ、IAEA(国際原子力機関)憲章が国連総会で採択された年でもあります。
そして10月26日には、日本を含む70カ国で憲章に署名がなされ、原子力の平和利用の国際協力が大きな広がりを持つことになりました。
一昨日、原子力規制委員会は東京電力福島第1原発事故のような過酷事故が発生した場合、全国の16原発について、どの程度の距離まで避難範囲が広がるかを試算した放射性物質の拡散予測地図を公表しました。
・関西電力大飯原発からの放射性物質の拡散予測地図です。(朝日新聞より)
これは国際原子力機関(IAEA)が定めている避難の判断基準(事故後1週間の内部・外部被ばくの積算線量が計100ミリシーベルト)に達する最も遠い地点を地図に表したもので、
それによると、▽東電福島第2原発(福島県、計4基)
▽同柏崎刈羽原発(新潟県、計7基)
▽中部電力浜岡原発(静岡県、計3基)
▽関西電力大飯原発(福井県、計4基)
の4原発で30キロを超えると試算されました。
この内、柏崎刈羽原発では東南東方向に40.2キロ離れた魚沼市まで達しています。
49年前に華々しくスタートした日本の原子力政策は、その後、安全神話が続いていましたが、昨年の東日本大震災による東京電力福島第1原発事故でもろくも崩れ去りました。
各電力会社には想定外を想定して、二度と福島原発のような事故が起こらないよう、絶対的な安全性を確保してもらいたいものです。
昔、社会人になりたての頃、筆不精を言い訳にして「便りがないのは無事な証拠」と両親に向かってよく言っていたものです。
皆さんは親御さんや兄弟、親戚に手紙や便りを出していますか?
今日は手紙と便りの違いについて調べました。
まず「手紙」とは、諸説ありますが、元々は「手元において雑用に使う紙」のことを言っていたようです。
他には、「文字を書いた紙」という意味でも使われていました。「手」には「文字」「筆跡」の意味があり、文字を書くことを「手」ともいうのだそうです。
例えば習字の事を「手習い」という言葉がそれに当たります。
「文字を書いた紙」から徐々に「誰かに宛てて送るもの」が手紙となり、現在の「封書」としての「手紙」が手紙として使われるようになったそうです。
一方、「便り」は、元々、人を頼るという「頼り」と同じ意味の言葉で、身や心を寄せて頼るもの、即ち、よりどころという意味だったようです。
そして、頼りにしている相手に「自分の状況を伝えたり、相手の様子を伺うこと」の意味でも使われるようになりました。
つまり、互いに書いたもので伝え合う「近況」や「様子」が「便り」になったそうです。
書いたもの以外にも「サクラ便り」「花便り」「風の便り」といいますが、これらもその様子を伝えている訳です。
このように、「便り」とは、近況や情報、何らかの知らせのことであって、伝える手段は問わないようです。
パソコンや携帯が普及している現在では、親御さんに手紙を書く人が少ないかも知れませんが、電話でもいいですから声の便りをしてあげてください。
それがオレオレ詐欺の被害防止にもつながります。
今年初めて「つくね芋」を栽培しました。
菜園仲間が毎年つくね芋を栽培しており、彼から種イモを7個貰って植え付けたものです。
このイモは蔓性の植物で支柱に蔓を蒔きつけて生長しますが、先日来のたび重なる強風により、その都度支柱が倒れることから収穫することにしました。
今日は先日行った「つくね芋」の収穫をご紹介します。
ツクネイモ(捏芋)はヤマノイモ科ヤマノイモ属に属する中国原産のツル性多年草で、春に種芋を植え付け、晩秋に地上部が枯れた頃、地中から肥大した芋を掘りあげて収穫するのが栽培サイクルのようです。
芋の形状は主に塊形・丸形で、長芋と比べると芋の水分は少なく粘りは強いようです。
・倒壊した支柱を取り除いたものですが、蔓はこのように支柱に絡まって伸びています。
・これがつくね芋の蔓です。
・蔓を取り除いた株です。この株の地下茎にイモがついています。
・つくね芋はこのように株元にかたまってついています。ひげ根がこんなにたくさんあるとは知りませんでした。
・これが7株全てを収獲したつくね芋です。この中の小さいイモは来年の種イモになります。
つくね芋は、京都では高級料亭の食材として、また老舗和菓子店の京菓子原料として珍重されている ようです。
家庭においては、磯辺揚げ、山かけそば、ウナギと合わせたうなとろ丼や山かけマグロ丼、とろろ汁、たこやきやお好み焼きなどの食材として利用できます。
昨日は、心の底からと云う意味の「ぞっこん」を取り上げましたが、今日は少し控え目な「奥ゆかしい」の語源について調べました。
「奥ゆかしい」は、控えめな立ち居振る舞いをする人を【思慮深く上品だ】と褒める時などに使います。
広辞苑には漢字で「奥床しい」と書いていますがこれは当て字で、本来は「奥」+「行かし」で、「奥」は【内面、その先】という意味、「行かし」は【心がひかれる】ことです。
元々は、【その先にあるものに心ひかれる】、【見たい、聞きたい、知りたい】という、積極的な気持ち"好奇心"を表す言葉で、その好奇心はどのような人にくすぐられるかというと、やはりどこか奥深さを感じられる人に対してです。
そこから、"知りたい"という気持ちを起こさせる、そんな人をも「奥ゆかしい」というようになり、【思慮深そうで慕わしい】、【品位が感じられて心ひかれる】という意味に変化したようです。
日本人は、古くから奥ゆかしさを美徳としてきました。
控えめにという態度が良しとされてきたのですが、時代の変遷、国際化の中でそれでは通用しないことが増えてきています。
尖閣諸島をめぐる中国の発言を見れば分かるように、理屈に合わない事でも平気で世界に向かって発信しています。
良識のある日本はそこまでする必要はないものの、この問題で奥ゆかしさが美徳とばかりに沈黙していたのでは、世界の認識は中国側に理解を示すようになります。
日本の長い教育では、自分の意見を積極的に言うとか、議論するという環境はありませんでしたが、現在では、日本人の奥ゆかしい控えめな態度を活かしつつも、はっきりと物を言い、積極的にコミュニケーションを図れる人が求められる時代になっています。
今日は、若いころを思い出しながら、「心から惚れ込んでいるさま」を意味する「ぞっこん」の語源について調べました。
『ぞっこん』は漢字では、"底根"と書くことがあり、それぞれ「底」には「奥深いところ」、「根」には「心のもと」という意味があります。
この言葉は、元々、「心の底から」という意味で、嬉しい時、悲しい時、色々な場面で使われていたそうです。
その後、奥深く、どっぷりと心の底から惚れ込んでいる気持ちを表す言葉としても使われることが多くなり、「ぞっこん」は、恋や愛に関することをいう言葉として定着していきました。
「ぞっこん」は、古くは清音で「そっこん」と言い、1603年の日葡(にっぽ)辞書には心底の意味で「ソッコンヨリモウス」の例が示されていたそうです。(広辞苑)
この事から「ぞっこん」の語源は「底根(そここん)」が促音化されて「そっこん」となり、更に濁音化されて「ぞっこん」になったと考えられているそうです。
但し、「底根(そここん)」は「底つ根」としての例はあるようですが、「そここん」と読まれた例は見当たらないため決定的な説ではないと云われています。
「ぞっこん」は「心の底から」の意味以外に「すっかり」や「まったく」等の意味でも用いられていたようですが、「ぞっこん惚れ込む」などと表現されることが多く、現在では主に「本気で惚れ込むさま」を表す言葉となっています。