今から1410年前の607年、第2回遣隋使で聖徳太子が隋の煬帝(ようだい:第2代皇帝、在位604~618年)にあてた国書の中には「日出づる処の天子、書を日没する 処の天子に致す、恙(つつが)なきや」と言う有名な文言があります。
これを読んだ煬帝は、「蛮夷(ばんい:野蛮な異民族))の書、無礼なる者有り、復(ま)たもって聞する勿(なか)れ」と激しく怒ったと言われています。
その理由として、一般的には、日本を「日の出る国」、中国を「日が落ちる国」と表現したこと。そしてもう一つは、中国皇帝にしか使用されていなかった「天子」という言葉を「日出処の天子」と使ったことです。
聖徳太子にしてみれば、それまでの日本は新羅や百済と外交があったけれども、これからは隋とも対等の関係でいきましょうという意味が込められていたと解釈されているのです。
さて、遣隋使の国書の内容は兎も角、聖徳太子が表現した「恙(つつが)ない」というこの言葉はどのような意味なのでしょうか?
そこで調べてみました。
「恙(つつが)ない」とは、広辞苑によれば、病がない、息災である。無事である。異状がないと説明しており、
「恙(つつが)」とは、①病気などの災難。やまい。わずらい。②ツツガムシの略。と説明しています。
辞書が説明しているように「つつが」とは病の古語です。漢字で書くと「恙」で、いわゆる病気や災いのことを意味します。
そこで、「恙(つつが)ない」は「恙(つつが)」が「無い」、即ち、「病気ではない」と言う意味から、無事である。息災である。異常がない。ということになります。
ところが、「恙(つつが)ない」の語源は「ツツガムシ」からという説もあるようです。
ツツガムシはダニの一種で、これにやられると高熱を発し、死亡率がきわめて高く、昔は相当の被害があったことから、ツツガムシ病にかからないでいるという意味から、無病息災のことを「恙(つつが)ない」と言ったとする説です。
古代中国人は、よくよくこの虫に苦しめられたようであり、人の健康を問う時に「恙(つつが)なきや」と挨拶していたということです。
現在では、「恙(つつが)ない」と言う言葉は死語となりつつあるようですが、「ツツガムシ病」は毎年全国で数百人が発症しているそうです。
特に春や秋に発症が高いようであり、ハイキングなどのレジャーを楽しんだ1~2週間後に、もし原因不明の高熱が続いたら、一応「恙(つつが)あり」を疑った方がいいかもしれません。
ツツガムシ病を知らない医者の場合、風邪と誤診するかも知れず、手当てが遅れると重篤になる事も考えられます。
・これがツツガムシです。(黒部市民病院皮膚科、福井米正先生より富山県に提供された画像です。ネットより)
(参考)
「ツツガムシの生息地」
ツツガムシはダニの一種で、北海道や沖縄など一部の地域を除いて全国で生息しています。
生息場所は、野山や河川などです。
「ツツガムシの被害」
ツツガムシの被害は、ツツガムシが幼虫の時期である春から初夏、秋から冬にかけて発生します。そのため、春や秋にハイキングなどのレジャーを楽しんでいる時に刺されることが多いようです。
幼虫の体長は約0.2mmなので、肉眼で見ることは困難。人の体のやわらかい部位、脇の下や内腿、下腹部などを好みます。
吸血するのではなく体液を何時間もかけて吸いますが、痛みや痒みはほとんどありません。無毒なツツガムシの場合は、赤くなっても数日後には跡が消えます。
「有毒なツツガムシ」
ツツガムシ病の病原体「つつが虫病リケッチア」を保有する有毒なツツガムシに刺された場合は、5~14日後に食欲不振、発熱など風邪のような症状が出ます。
刺し口が腫れ、発疹が顔や胴体に現れるので、刺し口のようなものがあり、このような症状が出た場合は、早期に医師の診察を受けてください。
ツツガムシ病には毎年全国で数百人が感染し、重症になると肺炎や脳炎症状を引き起こし、最悪の場合は死にいたることもあるそうです。