らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

四国旅行(その2)高松・屋島寺

2010-11-30 | 旅行

四国の旅日記シリーズの2回目は、昨日に続き高松市・屋島の「屋島寺」をご紹介します。

「屋島寺」
屋島寺は、天平勝宝6年(754)、唐からはるばる来日した鑑真和上がここを通ると屋島の山上に瑞光が見えたので船をとめて屋島の北嶺に登り、仏像や経典を納めて開基しました。
のち、弟子の恵雲師がこの地に堂宇を建て初代の住職となったそうです。

・真言宗準大本山「屋島寺」の東大門です。


弘仁6年(815)、この地を訪れた弘法大師は瑳峨天皇の勅願により、北嶺にあった伽藍を南嶺に移し、十一面観音菩薩像を刻んで本尊としました。
その後、戦乱によって衰退しましたが、歴代の藩主によって修榎され現在に至っているそうです。

・屋島寺の全景です。


「本堂」
屋島寺の本堂は、鎌倉時代の後期に建てられたものです。
慶長16年から元和4年にわたって竜厳上人によって半解体の大修理が施され、更に昭和32年2月から解体して二度目の大修理を加え、2年間を経て昭和34年5月に復元工事が完成しました。
五間五面で屋根は入母屋造り、本瓦葺、前面に三間の向拝が付いており、重要文化財に指定されています。

・屋島寺の本堂です。ご本尊の十一面千手観音は今から約1070年前(貞観光時代ともいう)に刻まれた一本造りで全身に漆を塗り金箔をおいた座像で光背も当時のものだそうです。


「屋島太三郎狸(蓑山大明神(みのやまだいみょうじん)」
蓑山大明神は本堂の右横に鎮座しており、狸の石像と数多くの赤い鳥居を携えている社で、ここの大明神は四国狸の総大将と崇められています。
その由来は、その昔、弘法大師が四国八十八ヶ所開創のみぎり、霧深い屋島で道に迷われ蓑笠を着た老人に山上まで案内されたと言われています。その老人こそが太三郎狸の変化術であったと信じられています。
屋島の太三郎狸は佐渡の団三郎狸、淡路の芝右衛門狸と共に日本三名狸と称されているようです。

太三郎狸は屋島寺のご本尊・十一面千手観音の御申狸(おんもうしたぬき)、叉、数多くの善行を積んだため土地の地主の神として大切に祭られ、その化け方の高尚さと変化妙技は日本一と伝えられています。
一夫一婦の契も固く、家庭円満、縁結び、水商売の神として奉じられ、時には子宝授けの神、福運をもたらす神として崇められ、全国からの信者も多いといわれています。
屋島を異変から守り、住職の代替の時には当寺の<雪の庭>に四国中の狸を集め、一夜源平合戦を鳴り物入りで演じて見せると伝えられています。

・「屋島太三郎狸(蓑山大明神(みのやまだいみょうじん)」です。


「熊野権現社」
熊野権現は、熊野三山に祭られている神々を言います。
 熊野三山とは
 ・熊野本宮大社、 (主祭神) 家都御子神(けつみこのかみ)        (本地仏) 阿弥陀如来
 ・熊野速玉大社、 (主祭神) 熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ) (本地仏) 薬師如来
 ・熊野那智大社、 (主祭神) 熊野牟須美神(くまのふすみのかみ)    (本地仏) 千手観音

・熊野権現社です。


「大師堂」
「大師堂」には弘法大師の像を安置しています。

・「大師堂」です。





四国旅行(その1)高松・屋島(1)

2010-11-29 | 旅行
先日、四国に住んでいる二男のところに行ってきました。そこで,今日からその時の旅日記をご紹介します。
初回の今日は香川県高松市の屋島です。

「屋島}
屋島は南北5km、東西2kmの島で、花崗岩の上を硬い溶岩(讃岐岩質安山岩)が水平に被って出来ている台地で、標高は南嶺が292.1m、北嶺が281mです。
かつては狭い海峡で隔たれていましたが、江戸時代に新田開発によってほぼ陸続きになったそうです。

・小豆島行きの船上から眺めた屋島です。


「源平合戦・壇ノ浦の古戦場跡」
屋島は源平合戦で、1184年(寿永3年)「一ノ谷の戦い(神戸市須磨区)」に敗れた平宗盛らが安徳天皇を奉じて根拠としており、翌年の1185年(寿永4年)2月に起った屋島の戦いの主戦場として知られています。
この戦いで、源氏方の武者那須与一が、平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とした故事は有名です。

・源平合戦の古戦場跡です。
 湾の手前(左側1/3下側)のこんもりとした所が安徳天皇社です。湾の上側の突き出た先端が「平家軍船の船隠し」です。


「源平合戦・壇ノ浦の古戦場跡と五剣山」
中央の4つの峰が五剣山で、家が立ち並んでいるところは源平合戦の古戦場跡です。案内図には、この画像の中央付近に那須与一の扇の的や義経の弓流しなどの表記がありました。
また、五剣山は五つの剣が天を突くようにそびえる霊峰と言われていますが、現在は4峰しか見えません。 元々は右側に1峰あったそうですが宝永4年(1707年)の地震で崩れたそうです。

・源平合戦・壇ノ浦の古戦場跡と五剣山です。


「屋島寺」
この寺は鑑真和上が開き、その弟子の恵雲律師空鉢(くうはつ)と称した人が初代の住職と伝えられています。
屋島寺は、当初は律宗でしたが、弘法大師が真言宗に改めた寺で、四国八十八ヶ所の八十四番目の札所となっています。ご本尊の千手観音は平安時代前期の作で、本堂は鎌倉時代末頃の建築であり、共に重要文化財に指定されているそうです。

・屋島寺の山門(四天門)です。


「女木島」と「男木島」
・女木島は高松の沖合4㎞の波静かな瀬戸内海に浮かぶ小島で、桃太郎伝説の桃太郎が鬼征伐に来たと伝えられている洞窟があり、「鬼が島」と呼ばれています。
・男木島は女木島から船で20分の所に位置し、桃太郎伝説で鬼の副大将が逃げ込んだと言われている洞窟「ジイの穴」があるそうです。この島の最北端に建つ「男木島灯台」は、映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台と
 なったところです。

・屋島から眺めた「女木島(左)」と「男木島(右側)」です。


「喜びも悲しみも幾年月」の歌詞です。
                   作詩・作曲:木下忠司 歌:若山彰
(1)おいら岬の 灯台守は
   妻と二人で 沖ゆく船の
   無事を祈って 火をかざす
   火をかざす
(2)冬が来たぞと 海鳥啼けば
   北は雪国 吹雪の夜の
   沖に霧笛が 呼びかける
   呼びかける


とっとり花回廊(その5)プラチセリウム(ビカクシダ)

2010-11-28 | 

「とっとり花回廊」シリーズも今日の5回目で終了します。今日は珍しい植物「プラチセリウム(ビカクシダ)」と「オオバナアリアケカズラ」をご紹介します。

「プラチセリウム(ビカクシダ)」
プラチセリウムはウラボシ科のシダ類で別名をビカクシダと言います。
原産地が熱帯地方であるため「とっとり花回廊」ではフラワードームの中で栽培されていました。
熱帯地方では各地に自生しており、原産地ではヤシの幹などに張り付いて生育しているそうです。

・これが珍しい植物の「プラチセリウム(ビカクシダ)」です。


・石垣に貼られたヤシの繊維に根を張って成長している「プラチセリウム(ビカクシダ)」です。


この植物はおもしろい形をしており、性質の違う2種類の葉から成り立っています。
一つは内部に水を貯える組織があるべちゃっとした平たい葉で外套葉(がいとうよう)といい、木の幹などに張り付いて広がります。
もう一つが外套葉の真ん中あたりからでる実葉で扇状に広がって先の方がさすまた状に裂けており、胞子を作ります。

・茶色の葉っぱも緑の葉っぱもともに生きた葉っぱです。


「オオバナアリアケカズラ(大花有明蔓)」
「オオバナアリアケカズラ」はキョウチクトウ科アラマンダ属の半ツル性常緑低木で、南米原産のアリアケカズラの園芸品種です。

・これが「オオバナアリアケカズラ」の木です。


10cmほどの大きな黄色いラッパ型の花が初夏から11月まで次々と咲く、熱帯・亜熱帯を代表するツル性の花木です。
黄色い大輪が美しい花で、日本には明
治末期に渡来しました。

・黄色の大輪が美しい「オオバナアリアケカズラ(大花有明蔓)」の花です。


・「オオバナアリアケカズラ」を横から見たところです。





とっとり花回廊(その4)胡蝶蘭

2010-11-27 | 
「とっとり花回廊」シリーズの4回目は「胡蝶蘭」をご紹介します。

胡蝶蘭はラン科コチョウラン属に属する着生ランの一種で、学名からファレノプシスとも呼ばれています。
学名のphalaenopsis(ファレノプシス)は、「蛾のような」と言う意味であり、この花が、蛾に似ていることに因んでいますが、日本では蝶が舞っている姿に似ていることから「胡蝶蘭」と呼ばれています。
「とっとり花回廊では、フラワードームの入口に鉢に植えられた胡蝶蘭が飾られていたほか、ドームの中にもきれいに咲いた鉢植の胡蝶蘭が飾られていました。

・ドームの入口に飾られている胡蝶蘭です。


胡蝶蘭の原産地は台湾南部、フィリピン、パプア・ニューギニアなど赤道を挟んだ南北回帰線付近と言われています。

・薄紫の胡蝶蘭です。


・人の顔のように見える斑点のある白色の胡蝶蘭です。


・蝶が優雅に舞っているような白色の胡蝶蘭です。






とっとり花回廊(その3)ハイビスカス

2010-11-26 | 
今日は「とっとり花回廊」の3回目として「ハイビスカス」をご紹介します。

「とっとり花回廊」の中心地にあるフラワードームには熱帯植物が数多く植えられていました。その中には色とりどりのハイビスカスがありました。
残念ながら品種名が表示されていなかったので画像だけをご紹介します。

・こちらは一般的によく見られるハイビスカスで「レッドスター」だと思います。


・黄色のハイビスカスです。


ハイビスカスはアオイ科ハイビスカス属の常緑低木で、原産地はインドや太平洋の島々と言われています。
名前の語源は、エジプトの神「Hibis」とギリシャ語の「isko(似る)」のようであり、ハイビスカスの学名hibiscus(ヒビスクス)は古いラテン語で、タチアオイの仲間を指す言葉であったとされています。

・このハイビスカスの品種名は分かりませんが、調べてみると「ヤンバルヒメ」によく似ているように思います。


ハイビスカスはハワイに持ち込まれてから広まったと言われており、ハワイではハワイ州の州花となっています。また、この花は摘んでもなかなか萎れないことから、ハワイでお馴染みの「レイ(花の首飾り)」に使われており、ネパールでは聖なる花として大切にされているそうです。

・オレンジ色のハイビスカスです。


ハイビスカスは「ブッソウゲ」との交雑によって作出された植物で、品種は2000とも3000種ともいわれています。
ハイビスカスの分類は、巨大輪でカラフルな花色のハワイアン系と中輪の在来種に大別されるようです。

・このハイビスカスも品種は分かりませんが、調べたところ「ジョージアスパール」によく似ています。


・このハイビスカスは「レッドフラミンゴ」です。





とっとり花回廊(その2)

2010-11-25 | 
今日は「とっとり花回廊」の2回目としてフラワーパーク園内の一部をご紹介します。
「とっとり花回廊」は鳥取県の「全県公園化構想」の推進と「憩いの場」の提供、「観光振興」と「花卉(かき)園芸振興」の拠点として、平成11年4月18日に開園したそうです。

「花の丘」
なだらかに広がる10.000m2の広大な花畑に春はビオラやポピー、夏はルドベキア、サルビア・ファリナセア、そして秋は、真っ赤なサルビアが植えられているそうです。

・真っ赤なサルビアが咲いている「花の丘」です。


「霧の庭園」
霧の庭園です。中央から霧状の噴水が吹き出します。季節の花々が咲く花壇にも細工が施されているそうです。全体を見渡すと美しい花びらの形になっています。


「花の谷」
「花の谷」です。オランダの世界的な花の楽園「キューケンホフ公園」とも交流があり、キューケンホフの園長自らがデザインしたというオランダ風の花壇があります。


「水上花壇」
メダカやコイが優雅に泳ぐ直径40mの池の上に、季節の花々が格子状に植えられている水上の花壇です。池の上を散歩しながら季節の花を楽しむことができます。


「ダリア・ハーレクイン」のコーナーです。
 ハーレクインはコラレット咲きと呼ばれていて、外回りの花弁と中心から出ている花弁の色が違うのが特徴だそうです。


「ダリア・ハーレクイン」の花壇です。




とっとり花回廊(その1)

2010-11-24 | 

11月20日から昨日まで,所用があってブログの書き込みを休ませていただきました。
今日からブログを再開しましたので、引き続きご愛読くださいますよう宜しくお願いします。

さて、鳥取県に「とっとり花回廊」と言うフラワーパークがあります。
この公園は中国地方の最高峰「大山(だいせん)」が眺望できる高原にあって、甲子園球場が13個も入ると言われている広大な敷地を持っている日本最大級の花の公園だそうです。
今日から数回に分けてこのフラワーパークの花をご紹介します。

・「とっとり花回廊」の入口です。


入口を入ると入場者を出迎えるかのように鉢植のいろいろな花が置かれています。現在はコスモスや菊等の秋の草花がたくさんありました。

・ここは記念写真を撮影する場所のようです。晴れた日には正面奥に伯耆富士と呼ばれている秀峰大山がすぐそばに見えます。


・プロムナード橋に展示されているハンギングバスケットです。 ハンギングバスケットとは、空中花壇のことで、空間を利用し、吊るしたり、掛けたりして植物を育て楽しむコンテナガーデンのことです。
 この作品は日本ハンギングバスケット協会の「理事長賞」受賞作品です。


・こちらは日本ハンギングバスケット協会の「金賞」受賞作品です。


・こちらも日本ハンギングバスケット協会の「金賞」受賞作品です。


・真っ赤なサルビアが植えられている「花の丘」越しに、秀峰大山が見えます。この日は霞んでいたためその美しい姿を十分味うことができませんでした。


園内中央には、直径50m、高さ21mの巨大なガラスの温室「フラワードーム」があります。室内の温度は冬でも20度に保たれ、ダイオウヤシ、オオギバショウと言った熱帯・亜熱帯の植物が生い茂り、株以上の洋ランや珍しい観葉植物が室内を彩っています。

・プロムナード橋を渡ると突当りがフラワードームです。






軽率な柳田法務大臣

2010-11-19 | 時事
菅内閣の各閣僚の失言が目立ちます。
特にひどいのが柳田法務大臣の答弁で、余りにも無責任すぎます。
読売新聞に載った柳田法務大臣の発言を紹介しますと、以下の通りです。(読売新聞より)
 「9月17日(の内閣改造の際)新幹線の中に電話があって、『おい、やれ』と。何をやるんですかといったら、法相といって、『えーっ』ていったんですが、何で俺がと。
 皆さんも、『何で柳田さんが法相』と理解に苦しんでいるんじゃないかと思うが、一番理解できなかったのは私です。
 私は、この20年近い間、実は法務関係は1回も触れたことはない。触れたことがない私が法相なので多くのみなさんから激励と心配をいただいた」

 「法相とはいいですね。二つ覚えておけばいいんですから。
 ・『個別の事案についてはお答えを差し控えます』と。これはいい文句ですよ。これを使う。これがいいんです。分からなかったらこれを言う。これで、だいぶ切り抜けて参りましたけど、実際の問題なんですよ。しゃべれない。
 ・『法と証拠に基づいて、適切にやっております』。この二つなんですよ。まあ、何回使ったことか。使うたびに、野党からは責められ。政治家としての答えじゃないとさんざん怒られている。
  ただ、法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話。法を守って私は答弁している」

柳田法務大臣以外にも菅内閣の閣僚による失言が目立っています。
昨日の参議院予算委員会では、仙谷官房長官が「自衛隊は暴力装置」と、自衛隊を馬鹿にた発言をしています。かつて左翼運動において「自衛隊は暴力装置」と表現されていましたが、正に「赤い官房長官」と言われて仙谷氏だけにその本性が現れた一面をのぞかせました。
更に、参議院の前田予算委員長は官房長官に向かって仙谷総理大臣と呼んだり、蓮舫行政刷新大臣の国会内でのファッション雑誌の撮影問題の答弁の撤回、尖閣諸島の中国漁船衝突ビデオの流出問題の対応など余りにもひどすぎます。
菅総理も横浜で開かれた先のAPEC(アジア太平洋経済会議)において、中国との会談でメモを見ながら会談するなど、海外メディアの失笑を買っています。

昨年の衆議院選挙で政権交代を選択した国民の願いは、日本を変えてくれること、景気を良くしてくれること、国家の領土・主権を守ってくれることを民主党に託したものですが、この願いが完全に裏切られました。
このような中にあっても菅総理大臣は「石にかじりついても政権を担当する」と言っています。自分の保身だけを考えている総理大臣なんて初めて見ました。哀れな総理大臣だと思います。
国民の声が菅総理にはどのように聞こえているのでしょうか?

菅総理が解散権を行使しない限り、あと2年半は政権が代わりません。
もう少し緊張感をもって政権運営をして欲しいものです。


「お詫び」
  当ブログにアクセスいただきありがとうございます。
  誠に勝手ながら、明日20日から23日まで休ませていただきます。
  24日から再度書き出す予定にしていますので、引き続き宜しくお願い致します。




笠岡市立竹喬美術館 「川埜龍三展」(その2)

2010-11-18 | 旅行

昨日に続き、川埜龍三展・「異形の胎動」をご紹介します。

・1997年、龍三21歳の時の作品で「祖母のテーマ」です。


・これは2000年の作品で「死者はさかさに」です。


・この作品はパンフレットの表題に取り上げられている「舟が入ってくる時」で、2009年キューバの「第10回ハバナビエンナーレ」で発表したものだそうです。


・2005年の作品で「沈黙にたまる雨」です。


・2001年の作品で「不滅の標」です。


・2008年の作品で「風に呼ばれる庭」です。


今回の「異形の胎動」ははっきり言って何を表現しているのか私には全く分かりませんでした。
タイトルからすれば旧来の形を打破し、新しい動きを感じ、それを取り入れた彫刻かと思いますが、芸術的センスのない私には、その良さを見つけることができませんでした。
この展覧会は11月28日まで行われています。



笠岡市立竹喬美術館 「川埜龍三展」(その1)

2010-11-17 | 旅行
先日、笠岡市立竹喬(ちっきょう)美術館に展示されている小野竹喬の日本画をご紹介しましたが、今日は、同美術館の別のフロアに展示されていた川埜龍三の彫刻をご紹介します。
河埜龍三(かわのりゅうぞう)は1976年(昭和51年)に神戸市に生まれ、高知大学在学中よりモニュメント制作などのアルバイトを通じて立体を造形するさまざまな技術を学びました。
特にFRP(繊維強化プラスティック)を素材とした鋳造に高度な技術を発揮しているそうです。
2000年(平成12年)9月から笠岡市にアトリエを構えて、笠岡を拠点として世界に発信しており、2002年4月には、第3回岡山芸術文化賞グランプリを受賞し、2005年には福武文化奨励賞受賞、2008年にはI氏奨励賞の受賞をするなど、将来を嘱望されている若手彫刻家だそうです。

今回ご紹介する河埜龍三展「異形の胎動」は1994年から2009年に至る歩み約60点のうちの一部です。

・河埜龍三展「異形の胎動」が展示されている笠岡市立竹喬美術館です。



・この作品名は「うわの空」です。2000年(平成12年)、河埜龍三24歳の時の作品です。


・この作品名は「グランママ」です。こちらは2007年(平成19年)河埜龍三31歳の時の作品です。


・これは1999年の作品で「ココロニツバサヲ」です。


・これは「孤独なフラクタル」で、2007年(平成19年)の作品です。


・これは2005年(平成17年)の作品で「錆色の残響」です。