らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

愛妻の日

2012-01-31 | 雑学

一昨日から、芸能界は菊池桃子さんの離婚ニュースで持ちきりです。
テレビを観ていると、夫の西川氏にもう少し妻を思いやる心があればこのような結果にはならなかったのではないかと感じましたが、さて、奥さんを思いやると言えば、今日1月31日は「愛妻の日」です。
そこで「愛妻の日」について調べました。

「愛妻の日」とは、日本愛妻家協会が、1月31日の「1」をアルファベットの「アイ:I」に見立て、「31」を「サイ」と読んで「愛妻の日」と制定したもので、その理念は「妻というもっとも身近な他人を大切にする人が増えると、世界はもう少し豊かで平和になるかもしれない」と言う甘い理想のもと、日本独自の伝統文化かもしれない愛妻家と言うライフスタイルを世界に広めていこうという文化活動」だそうです。

日本愛妻家協会によれば、愛妻家のための「てみる」5原則があるそうです。
その5原則とは、 1.やってみる 妻が喜ぶ家事一つ。
          2.出してみる 気付いた時の感謝の言葉。
          3.聞いてみる 世間話と今日の出来事。
          4.捨ててみる 見栄(みえ)、照れ、建前(たてまえ)、世間体(せけんてい)。
          5.なってみる  恋した頃の触れ合う気持ち。  
だそうです。

読者の皆さん、長年支えてきてくれたパートナーに、「てみる」5原則を実践してみては如何でしょうか?
もし無理なら、せめて今日1日だけでも、この5原則の内の一つでも実行して愛妻家になりましょう。

なお、日本愛妻家協会の本部は愛妻の名に相応しい群馬県の嬬恋村(つまごいむら)にあるそうです。
この嬬恋村(つまごいむら)の地名は、世界で初めて愛妻家宣言をしたとされる日本武尊(やまとたけるのみこと)に因むと云われています。

即ち、1900年前に日本武尊(やまとたけるのみこと)が弟橘姫(オトタチバナヒメ)という奥さんの訃報を旅先で聞いて、人目もはばからず大きな声で「吾が妻恋し・・・」と叫んだとされる故事から、彼は世界で初めて愛妻家宣言をした人物として有名であり、それ以来、当地は愛妻家のイメージが定着しているそうです。
このため、日本愛妻家協会の名誉会長は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)とHPには記載されていました。



「可愛い」の語源

2012-01-30 | 雑学

大泉逸郎の歌に「孫」があります。
 〽 なんでこんなに 可愛いのかよ
   孫という名の 宝もの
    じいちゃんあんたに そっくりだよと
   人に言われりゃ 嬉しくなって
   下がる目じりが 下がる目じりが えびす顔
この歌はほのぼのとした家族愛が伝わってきて大好きな歌の一つですが、この歌詞の通り孫は本当に可愛いですね。

そこで今日は「可愛い」の語源について調べることにしました。

「可愛い」と云う意味は、「愛すべきさま」とか「小さくて愛らしいさま」をいいますが、古くは「かわゆい」と言い、これは古語の『顔映ゆし(かおはゆし)』が由来で、「恥ずかしくて赤面すること」を言った言葉だそうです。
それが、恥ずかしそうにしている人を見て「気の毒だなぁ」という気持ちになったことから、鎌倉・室町時代には、「哀れなさま。ふびんなさま」という意味で多く使われました。

今でも「かわいそう」が「哀れなさま」をいうのは、その名残りだと云うことです。
さらに、そういう状況にある子どもや女性を見て「いじらしいなぁ」と思ったことから、安土桃山時代以降、主に、「愛すべきさま」や「愛らしいさま」を指して「かわいい」と言うようになったそうです。

最近では若い人が、目上の人や男性にも「カワイイ~」と言うようになり、一部の辞書では「どことなく心をくすぐるところがあって好感を持てる」という意味を記載しており、次第に「かわいい」の意味が広がってきているそうです。
また、海外でも日本の文化に触れ「カワイイ」をそのまま使う人も増えているそうで、「カワイイ」が世界共通語になる日も近いのではないか、とも言われているそうです。















若草山の山焼き

2012-01-29 | 伝統行事

古都・奈良に春を呼ぶ恒例の若草山の山焼きが昨夜行われました。
奈良の若草山は標高342mの山で、3つの山が重なっていることから、三笠山とも言われています。
その若草山の山焼きの行事は、山に火をいれ山全体を燃やしてしまうという古都奈良の新年を飾る炎の祭礼で、現在は1月の第4土曜日に行われています。

・画像は毎日ニュースより


「山焼きの由来」

・一説には、江戸中期に若草山の山頂にある鶯塚古墳から幽霊が出て人々を怖がらせると言う迷信により、翌年の1月頃までに山を焼かなければ不幸な事が起きると言い伝えられ、其の事
 によって通行人が放火する事件がたびたび起こり、それが「鶯陵」に眠る霊魂を鎮める祭礼となって現在に至っているというものです。
・また他説には、春日大社、東大寺、興福寺の領地争いを仲裁しようとした奈良奉行が境界をあいまいにするために火をつけたと言うものです。
 この説は、この双方の境界の問題が表面化した宝暦10年(1760年)、奈良奉行が境界争いを5万日預かると仲裁し、関係者立会いで山を焼いたとするものです。
・他にも、山に潜む猪を追い払うためであるとか、害虫を焼き払うためとか、更には春の芽生えをよくするための原始的な野焼きであるなどの説もあるようです。

現在は観光行事としては勿論、火災予防のための役割も果たしているようですが、いずれにしても約33ヘクタールの全山に火が回り、冬の夜空に山全体が浮かび上がる様は壮観のようです。

今年は全国的に寒い冬となり、日本海側では記録的な大雪となっています。
古都奈良に春を呼ぶと言われる若草山の山焼きですが、奈良だけでなく全国に、特に東北の被災地に、一日も早く春を呼んで欲しいものです。


「はにかむ」の語源

2012-01-28 | 雑学

別居している3歳の孫娘が月に1回くらい帰ってきますが、家に入っても両親から離れず、「はにかんで」暫くは私たち祖父母に近寄ってくれません。
そこで、今日は孫の行動から「はにかむ」と云う言葉について調べました。

「はにかむ」とは、ご存知のように恥ずかしそうな表情や身ぶりをすることをいう言葉ですが、元々は歯が不揃いにはえる事を言った言葉だそうです。
平安初期の本では、「歯が重なって生える」ことだと説明しており、これが転じて、歯をむき出す意味でも使われ、「犬がはにかみ吠える」などといった表現もされるようになったようです。

恥ずかしそうな仕草を意味するようになったのは、歯をむき出す表情が照れくさそうに笑っているようにも見えることからと言われています。
また一説には、「はじかむ(恥かむ)」が変化したとも言われ、歯をむき出した表情から恥ずかしがる意味に転じた際に「はじかむ」が影響したとも考えられているそうです。

孫の「はにかみ」は何歳になったらなくなるのでしょうね。












「日の丸」と「君が代」の由来

2012-01-27 | 雑学

今日は「国旗制定記念日」です。
そこで「日の丸」と「君が代」の由来について調べました。

・国旗「日の丸」の由来
日本の国旗「日の丸」(日章旗)は、江戸時代以前にも使用されていたという記録が残っているそうです。
江戸時代に入ってからは、1673年(寛文13年)に幕府は御城米廻船に船印として「日の丸」の幟(のぼり)を掲揚するように指示しています。
そして、幕末の1854年3月に日米和親条約に調印し、開国して諸外国との交流が始まったことから、外国の船舶と識別するため同年7月に「日の丸」の幟を日本惣船印に定め、1859年(安政6年)に「日の丸」の旗を「国惣印」と定めました。
1860年に渡米した使節団の一行が「日の丸」と共に紹介されていることから、遅くとも江戸時代末期には、「日の丸」が日本の国旗として内外に認知されていたものと考えられているそうです。
その後、1870年(明治3年)に商船規則(太政官布告第57号)により、日の丸は日本船舶に掲げるべき国旗として定められました。
平成11年(1999年)8月13日には国旗国歌法が公布され、即日、施行されてその第1条で国旗は「日章旗」と定められました。


・国歌「君が代」の由来
「君が代」は、905年(延喜5年)に編纂された「古今和歌集」(賀の巻)に、「わが君は ちよにやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」(詠み人知らず)として収載されています。
これが文献に現れる最初であるとされています。
その後、平安末期頃からは初句を「君が代」という形で流布するようになり、めでたいときの舞や謡曲などに取り入れられ、長い間民衆の幅広い支持を受けてきたといわれています。
明治になって、薩摩藩の大山巌らは日本にも国歌が必要と考え、その歌詞として古歌の「君が代」を選定し、1893年(明治26年)の文部省告示において、祝日大祭日の儀式で歌うこととされました。
そして、平成11年(1999年)8月13日に施行された国旗国歌法の第2条において国歌は「君が代」と定められました。

このように法律において定められている国旗・国歌に反対する公立学校の教職員が大阪にはいるそうです。
そこで大阪府では、橋下前知事(現大阪市長)が教育基本条例の中で、公立学校の教職員に君が代起立斉唱を義務づける条例を提案し、卒・入学式などで「君が代」斉唱の際、教職員の起立・斉唱を義務化しようとしていますが教育委員会はこれに反対しています。
国や都道府県などから給料を頂いている公務員が、国旗、国歌に敬意を表しないとはとんでもないことです。
大阪府知事、市長には是非ともこの条例を通して欲しいものです。



文化財防火デー

2012-01-26 | 雑学

今日、1月26日は「文化財防火デー」です。
「文化財防火デー」とは、文化財を火災、震災、その他の災害から守ると共に、日本国民の文化財愛護思想の高揚を図る目的で、1955年(昭和30年)に当時の文化財保護委員会(現在の文化庁)と国家消防本部(現在の消防庁)が制定しました。

総務省、消防庁の資料によれば、「文化財防火デー」については次のように説明しています。
昭和24年1月26日に、法隆寺金堂から出火した火災によって、世界的な至宝と言われた金堂の壁十二面に描かれた仏画の大半が焼損しました。
我が国の文化財建造物は大多数が木造であり、美術工芸品も木、紙、布等燃えやすい材質により造られているものが多く、常に火災による焼損の危険にさらされています。
このような被害から文化財を守るとともに、国民一般の文化財愛護に関する意識の高揚を図るため、昭和30年から、消防庁と文化庁の共唱により、法隆寺金堂が焼損した日である1月26日を「文化財防火デー」と定めて、文化財建造物等における防火運動を全国で展開しています。
これにともない、各地で文化財関係者、消防関係者、教育関係者及び地域住民が協力して、消防訓練が実施されます。

我が町、大阪府熊取町でも国指定重要文化財の降井家書院、中家住宅、来迎寺本堂及び町指定文化財の煉瓦館で消防隊員の皆さんによる防火査察、消防訓練が行われます。

・昨年行われた熊取町・国宝来迎寺本堂での消防訓練です。



「逆鱗に触れる」の由来

2012-01-25 | 雑学

先日、「竜」に纏わる言葉をご紹介しましたが、「逆鱗(げきりん)」も竜に関係している言葉なのでご紹介します。

「竜」の鱗は全部下向きに生えているそうです。
しかし、顎の下には一枚だけ逆さに生えているものがあり、これが竜の「逆鱗(げきりん)」です。

この「逆鱗に触れると普段おとなしい竜が激しく怒り、その人を殺すと云う韓非子(かんびし)の故事から、天子の怒りを買うことを「逆鱗に触れる」と言うようになりました。
これが転じて、「帝王」の象徴である竜のように、広く、上司や先生など目上の人に逆らって怒りを買う意味でも用いられるようになったそうです。

そう言えば、私も若い頃、上司にこっぴどく怒られた事がありましたが、今から思えばその人の逆鱗に触れたのでしょうね。

(参考)
韓非子(かんびし)とは、中国戦国時代の思想家である韓非(かんび:紀元前280年頃~233年頃)が書いた著書で、内容は春秋・戦国時代の思想・社会の集大成と分析とも言えるものだそうです。



「トロ」の語源

2012-01-24 | 雑学

昨日のNHKの番組“ひるブラ”では、瀬戸内に浮かぶ香川県の直島が紹介され、その中で、ゲストがあるお店の店主から鮪の頭肉を出されて“中トロの美味しさである”と伝えていました。
マグロの大トロ、中トロが美味しいことは知っていますが、値段も張っており、年金生活をしている我が家ではとても口に入りません。

そこで今日は、せめて「トロ」の語源だけでもと思い、調べることにしました。

トロとは、ご存知のように寿司のネタなどとしてマグロの特定の部位の呼称であり、脂質の含量が高い腹部の身を指しています。
その語源は、肉質がトロリとしている事からで、この語の定着以前は脂身である事からアブと呼ばれていたそうです。

江戸時代以前では、マグロと言えば赤身を指し、赤身に比べ品質が劣化しやすいトロの部分は上等な部位とは考えられておらず、切り捨てられるか、せいぜい葱鮪鍋(ねぎまなべ)などにして加熱したものが食べられていたそうです。
定かでは無いものの、当時の苦学生が捨てられていた脂身の多いトロを食べていたとも言われています。

現在では動物性脂肪の旨みが広く知られるようになったことや、保存・輸送技術が向上したため新鮮でおいしいトロが食べられるようになり、トロといえば高級品といったイメージが定着しています。
なお、「大トロ」は一般的に腹肉前部、「中トロ」は腹肉後部のことだそうです。

また、この高級品と云うイメージを利用してマグロの肉以外でも、脂が乗っている状態の肉をトロと言う事があります。
例えば、カツオの刺身の脂が乗った部分はトロカツオと呼ばれており、北海道では生の牛肉を使った牛トロ丼という郷土料理があるそうです。
また、豚肉においても豚(トン)トロと呼ばれる部位が販売されています。

このような呼び方は、肉の種類にトロという明確な定義がないことから、マグロのトロが持つ高級品としてのイメージを借りて、販売戦略に利用しているものと思われます。

それにしても、江戸時代にはトロが切り捨てられていたとのこと、何て勿体無い食べ方をしていたのでしょうね。


「手に汗を握る」の由来

2012-01-23 | 雑学

昨日は大相撲初場所の千秋楽でした。
今場所は13日目に大関把瑠都が初優勝を決めていましたが、昨日は平成以降、4人目となる大関での全勝優勝をかけて横綱白鵬と対戦しました。

会場では把瑠都の奥さんや母国エストニアから応援に駆けつけた御両親が観客のみなさんとともに「手に汗握る」熱戦を見つめていましたが、結果は寄り切りに敗れて14勝1敗となり、94年名古屋場所の武蔵丸、同じく94年秋場所、九州場所の貴乃花、そして2007年夏場所の白鵬に次ぐ4人目の全勝優勝はなりませんでした。

今日は相撲の話題では「手に汗を握る」の由来について調べました。
「手に汗を握る」の由来
昔、中国・唐朝の第14代皇帝である憲宗(けんそう)が「どうすれば世の中を平和が出来るか」と家来に聞いたそうです。
家来は「先ず、皇帝の傍で働く人の中から悪い考えを持つ人物を取り除くべきです」と答えました。
それを聴いていた皇帝の弟は、その家来に「あなたは何と大胆な人だ。あなたの言葉を聞いて、思わず両手に汗がにじんだ」と言いました。
ここから危険な場面や緊迫した場面に接してはらはらする様を「手に汗を握る」と云うようになったそうです。


「竜」に纏わる言葉(その2)「海千山千」

2012-01-22 | 雑学

言葉の由来を調べていると、日頃使っている言葉の本来の意味や全く想像もしなかったこととの関連などを知ることが出来て興味が湧いてきます。。
今日は昨日に続き、「竜」に纏わる言葉の2回目として「海千山千」について調べました。

「海千山千」も日頃何気なく使用している言葉で、その意味については知っていましたが、「竜」との関りについては知りませんでした。
この言葉の出所は、『海に千年、山に千年住んだ蛇は竜になる』と云う中国の言い伝えからで、『海に千年、山に千年』が略されてできた言葉です。
そしてその意味は、ご存知のように、世知辛い世の中の裏も表も知っていて老獪(ろうかい)な人、経験を積み物事に通じて抜け目がない人を意味し、古狸や腹黒に通じる言葉です。

このように元々は褒め言葉ではない「海千山千」を、中には『海に千年、山に千年』という部分だけをとって『あの人は海千山千の苦労人』といった使い方をする人もいるようです。
恥をかくかも知れませんので注意しましょう。

なお、「竜」の体は大蛇、蛇に似ているとされ、蛇と竜はつながりがあり、中国の書物には『蛟(みずち)千年化して竜になる』という言い伝えもあるそうです。
この蛟(みずち)は蛇に似た伝説の生き物で、その蛟も千年生きると「竜」に生まれ変わるという言い伝えのようです。