らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

八風不動

2013-01-31 | 時事

昨日の某テレビ局のトピックで、今月13日にJRA史上初の3500勝を達成した武豊騎手を取り上げていました。

この記録は1987年のデビューから26年で記録達成したものであり、単純に計算しても毎年134勝をあげなければならず、年間100勝する騎手が毎年5人程度の現状において、彼が如何に天才ジョッキーであるかを証明しているものです。

その彼が心に留めている言葉に「八風不動(はっぷうふどう)」があるそうです。
八風不動とは、「風には追い風もあれば向かい風もある。人生と一緒で、四方八方から吹く様々な風に動じずに生きろ」という意味だそうです。

この「八風不動」という言葉は造語らしいですが、大阿闍梨(あじゃり:高徳の僧)と称される僧侶から、勝負の世界に生きる武豊騎手に「大事にして欲しい言葉」として教えていただいたと言うことです。
彼は、この言葉を噛みしめながら更に4000勝を目指していきたいとのことでした。

この「八風不動」と言う言葉は、勝負に生きる人々だけに限らず、全ての人にとっての金言だろうと思うのでご紹介しました。

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似て非なる対比言葉

2013-01-30 | 雑学

今日は「月とスッポン」のように、二つのものの間に非常に差のある対比言葉を思いつくままに書いてみました。

先ずこの「月とスッポン」から、
「月とスッポン」、月は満月で丸く、スッポンも甲羅が丸いので、どちらも丸いことでは共通していますが、月は美しい象徴であるのに対し、スッポンは汚い泥の中にいること
             や顔も醜いことから、比較にならないほど違うことの例えに使われます。

「鷺と烏」、「鷺」は白い鳥であるのに対して「烏」は黒い鳥であるところから、正反対なことや、全く相対立する二つのものの関係の例えとして使われます。

「下駄と焼き味噌」、みそを板につけて焼いた形が下駄」に似ているところから、外形は似ていても内容は全く違っていることの例えです。

「提灯に釣り鐘」、二つの重さに格段の開きがあるところから、「物ごとがつり合わないこと」の例えです。
             更に転じて「一方が重い」ことから「片重い」で、「片思い」の洒落としても使われるようです。

他にご存知でしたらご教授ください。

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熊取町青年団駅伝大会

2013-01-29 | 地元紹介

一昨日、大阪国際女子マラソンが行われ、ウクライナのタチアナ・ガメラシュミルコ選手が2時間23分58秒で初優勝しました。
日本勢では、この大会に過去2回失敗し、「三度目の正直」をかけた福士加代子選手が自己ベストを更新する2時間24分21秒で2位となりましたが、後半のペースダウンが課題となった大会でした。

大阪国際女子マラソンとは比較になりませんが、私の地元熊取町では、この日午前11時から「熊取町青年団駅伝競走大会」が行われたのでご紹介します。

・私の畑のすぐ傍に第1中継所が設けられました。点呼を受ける11名の第2走者です。


この駅伝は毎年1月に行われている恒例の行事で、熊取中央小学校をスタート・ゴールとする約30㎞のコースを8人でリレーするものです。
今年の出場は町内11地区の青年団の11チームで、各チームとも足に自信のある中学生や高校生、社会人などで構成されているそうです。

・トップでたすきを受け取った小谷チームです。優勝もこのチームが果たしました。


・次々たすきをつなぐ第2走者です。


・中にはタスキが解けず1分ほどロスするハプニングもありました。(紺屋チームです)


・第1中継所、最後のたすきリレーは野田チームでした。


優勝は小谷チーム、2位は五門チーム、3位は朝代チームでした。
青年団のみなさんお疲れさまでした。

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捲土重来

2013-01-28 | 雑学

一度失敗したものが、再び勢いを取り戻してやり直すことを「捲土重来(けんどちょうらい)」と言います。
今日はこの語源を調べました。

「捲土重来」は、中国・晩唐期の詩人、杜牧(とぼく:803年~853年)が詠んだ次の詩が語源となっています。

  題烏江亭    (うこうていに題す)   杜牧(とぼく)
勝敗兵家事不期 (勝敗は兵家も事(こと)期せず)
包羞忍恥是男児 (羞(はじ)を包み恥(はじ)を忍ぶは是(こ)れ男児)
江東子弟多才俊 (江東の子弟(してい)才俊(さいしゅん)多し)
巻土重来未可知 (巻土重来(けんどちょうらい)(いま)だ知るべからず)

[口語訳]
いくさの勝敗のゆくえは、兵法家でさえも予測のつかないものだ。
恥をしのび、肩身のせまい思いに耐えて、再起を計ってこそ真の男子といえるだろう。
項羽の本拠地である江東の若者たちには、すぐれた人物が多い。
もし、江東の地に力をたくわえて、地面を巻きあげるような勢いで、
再び攻めのぼってきたら、その結果はどうなっていたかわからない

唐の詩人、杜牧が楚漢戦争(紀元前206-紀元前202)で項羽(こうう)最期の地となった烏江(うこう)の古蹟を訪れたときに、項羽を惜しんで『烏江亭に題す』と詠んだ詩です。
最後の一節が「捲土重来(けんどちょうらい)」の語源となっているもので、「捲土」とは土煙をまきあげることです。

さて、今日から通常国会が始まります。
国会が始まる前から安倍政権の掲げるアベノミクスに対する期待感から、日経平均株価の上昇や為替相場が円安に振れるなど、景気回復期待が高まっています。
今日からの国会論戦を通じて、第二次安倍内閣は捲土重来を期して景気回復を確実なものにして欲しいものです。

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牛耳る

2013-01-27 | 雑学

人や組織を意のままに操縦することを「牛耳る」と言います。
何故、牛の耳なのでしょうか?

「牛耳(ぎゅうじ)る」の語源は、中国・春秋戦国時代、左氏伝の故事に由来します。
春秋戦国時代(紀元前770年~紀元前221年)、楚の荘王(そうおう:楚の第6代の王)が覇者となった後も争いは絶えず、諸侯はしだいに疲弊していきました。
そこで宋の向戌(しょうじゅつ)の働きにより、和平の誓いがされることになり、晋・楚をはじめとして13の諸侯が宋で会盟しましたが、晋・楚のいづれが盟主の儀式を執り行うかで紛糾しました。

そこで晋の家臣が晋の覇者に、「諸侯が晋についてくるのは、盟主の儀式を行うからではなく、その徳によるものだから譲ってあげなさいませ」と耳打ちし、和平を望む晋が譲る形で和平の誓いが行われました。

このとき、会盟の儀式には牛が生け贄とされ、覇者が牛の耳を切り取って会盟者全員がその血を飲んで誓約したことから、
組織の盟主となることを「牛耳を執る」と言うようになり、転じて組織を思い通りに動かすことを「牛耳る」と言うようになったのだそうです。

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日本の本最低気温

2013-01-26 | 季節

今朝の天気予報では、1500メートル上空に、-6℃の寒気が日本列島のほぼ全域を覆っているとのことで、全国的に寒い一日になりそうとのことでした。
比較的温かい大阪南部の熊取町でも、今月5日に寒の入り以降、暦通りの寒さが続いていましたが、20日の「大寒」前後からはますます寒さが厳しくなっています。
皆さんの地方は如何でしょうか?

今日は公式データーが残る日本の過去の最低気温について調べてみました。
それによると、日本の最低気温の公式記録は1902年(明治35年)1月25日に北海道旭川市で記録した-41.0℃だそうです。
以下、寒い順に5位までを列挙します。

順位    気温      観測地点          起日
1位   -41.0℃   北海道旭川市      1902年1月25日
2位   -38.2℃   北海道帯広市      1902年1月26日
3位   -38.1℃   北海道旭川市江丹別  1978年2月17日
4位   -38.0℃   富士山頂         1981年2月27日
5位   -37.9℃   北海道枝幸町歌登   1978年2月17日

1978(昭和53)年2月17日に幌加内町母子里の北大演習林でこれより0.2℃低い-41.2℃を記録したたそうですが、気象庁の公式記録の対象から外れていたため、旭川の記録が公式の日本最低気温となっているようです。


なお、参考までに世界の地域別の最高気温と最低気温もご紹介します。
 地域      国名            起日       最高気温       国名         起日       最低気温
アジア      イラク          1921年7月8日   58.8℃      ロシア      1926年1月26日   -71.2℃
アフリカ                                        モロッコ      1935年2月11日  -23.9℃
ヨーロッパ    スペイン        1881年8月4日   50.0℃      ロシア      1月(日付不明)   -55℃
北アメリカ    アメリカ        1913年7月10日  56.7℃      グリーンランド  1954年1月9日   -66℃
南アメリカ    アルゼンチン     1905年12月11日 48.9℃      アルゼンチン   1907年6月1日   -33.0℃
オーストラリア クイーンズランド州 1889年1月16日  53.1℃      オーストラリア  1994年6月29日  -23.0℃
オセアニア   ニュージランド    1973年2月7日   42.4℃      ニュージランド  1995年7月3日   -21.6℃
南極       Vanda基地      1974年1月5日  14.6℃      ボストーク基地  1983年7月21日  -89.2℃

南極基地の-89℃やロシアの-71℃の気温なんてどんな感じでしょうね。 全く想像がつきません。

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左遷の日

2013-01-25 | 雑学

入試シーズンとなりました。
この時期になると受験者本人は勿論、親御さんやご家族の方も合格を祈願して天満宮にお参りされる方が多いと思います。

先日テレビで、大阪天満宮の境内に出店しているうどん屋さんが受験生で賑わっているとのトピックスが紹介されていました。
何でも、このお店の「すべらーずうどん」に人気があって、お参りした受験者の皆さんがよく食べているとのことでした。
この「すべらーずうどん」は箸で持った時に滑らないようにと、うどんの中心を切っているもので、学校の入試に限らず、入社試験や昇格試験、資格試験などの社会人の受験者の方にも人気があって、うどんがよく売れているとのことでした。

さて、天満宮と言えば、大阪では天神さんとして親しまれていますが、その天神さんこと主祭神の菅原道真公が九州の大宰府に左遷されたのが今日1月25日だそうです。

右大臣・菅原道真は今から1112年前の901年(延喜元年)1月25日に、醍醐天皇によって九州の大宰府に左遷されました。
彼の才能を妬む左大臣・藤原時平は、道真を罪に陥れてやろうと策略し、「道真は国家の政治を私物化している」と醍醐天皇に何度も讒言(ざんげん)しました。
これにより、天皇も道真のことを逆臣と思い込むようになり、菅原道真を太宰権帥(だざいごんのそち)に左遷し、筑紫国に流罪とすることとしたものです。

長年住み慣れた自宅の庭に植えられていた梅が咲いているのを見て、
   東風(こち)吹かば 匂ひ送来(おこ)せよ 梅の花 無しとて 春を忘るなと詠み、この日、都を旅立ちました。
その梅は菅原邸から太宰府の庭まで一夜にして飛んで行き、そこに根づいたという有名な「飛梅伝説」も伝えられています。
菅原道真は無念の思いを抱きながら、2年後の903年(延喜3年)2月25日に京に戻ることなく亡くなりました。

死後、都では落雷などの天変地異が多発したことから、道真は雷の神である天神(火雷天神)と同一視されるようになりました。
朝廷に祟りをなしたとされて天満天神としての信仰の対象となり、その信仰は全国に広がり、やがて、各地に祀られた祟り封じの「天神様」は、災害の記憶が風化するに従い道真が生前優れた学者・詩人であったことから、後に天神は学問の神として信仰されるようになって、現在に至っているものです。
「なお、天満」の名は、道真が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」から来たといわれ、「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」ことがその由来と言われています。

大宰府については、いつも当ブログにコメントを頂いているiinaさんの「もののはじめblog」に詳しく説明されているので、ご参照ください。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/aad77552ce13e3f9a2fea73eaf3ecc71

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「太公望」

2013-01-24 | 雑学

釣り人や釣り好きの人を「大公望(たいこうぼう)」と言いますが、何故なのでしょうか?
今日はその謂れを調べました。

紀元前11世紀ごろに活躍した中国・周の国の軍師で、文王・武王を助けて殷王朝(国号は商)を滅ぼし、その功によって斉に封ぜられ、斉の始祖となった兵法家に呂尚と言う人がいました。
太公望とはその呂尚の別名であり、彼は大変な釣り好きだったと言われています。

一般的には、呂尚が渭水(いすい)という川で釣りをしていたところを周の文王に見いだされ、「これぞわが太公(祖父)が待ちんでいた人物である」と言って召し抱えたという話に由来するとされ、呂尚の釣り好きに因んで釣り人や釣り好きな人を「大公望」と言うようになったそうです。
この故事にちなみ、日本では釣り好きを「太公望」と呼んでいますが、中国では「太公望の魚釣り」(太公釣魚)と言えば、「下手の横好き」と言うニュアンスだということです。

 

 

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八甲田 雪中行軍 遭難事件

2013-01-23 | 雑学

日本百名山の一つ、八甲田山(はっこうださん)が青森県にあります。
「八甲田山」は単独峰ではなく、青森市の南側にそびえる火山群の総称のことだそうで、命名の由来は、八の(たくさんの)甲(たて)状の峰と山上に多くの田代(湿原)があるからと言われており、周辺は世界でも有数の豪雪地帯だそうです。
111年前に、この豪雪がもたらした悲惨な遭難事件がありました。
それは、「八甲田雪中行軍遭難事件(はっこうだせっちゅうこうぐんそうなんじけん)」で、今日1月23日がその雪中行軍に出かけた日ということで、「八甲田山の日」とされています。

「背景」
雪中行軍訓練の背景は、日清戦争(1894年8月~95年4月)で勝利をおさめた日本は日清戦争後、遼東半島や中国東北部の利権を巡ってロシア帝国との対立が年々激しくなっていました。
ロシアが朝鮮半島にまで触手を伸ばし始めたことに危機感を抱いた日本は、対ロシア戦争を想定し帝国陸海軍の軍備を増強していきました。

こうした中、青森に司令部を置く帝国陸軍第5連隊では、日露戦勃発後のロシア軍の青森近郊への上陸や陸奥湾封鎖などを想定した対策を考え出す必要があったようです。
ロシア軍により鉄道が爆破されたり海岸線付近を占領された場合は、内陸の八甲田連峰を徒歩で移動するということになることから、八甲田連峰の行軍に関する研究が行われることになり、やがて冬期の雪中行軍が実施されることになったものです。

そして、明治35年(1902年)1月23日午前6時55分、気温零下6度の中、雪中行軍隊は営門を出て演習は実施されましたが、冬の八甲田山は冬の重装備が必要なのに、指導部の無謀さから兵士は軽装のまま行軍を開始したため、猛吹雪の中で道を失い、寒さと飢えと疲労の為に遭難したものです。

「八甲田雪中行軍遭難事件」は、日本陸軍第8師団 歩兵第5連隊の訓練への参加者210名中199名が死亡(うち6名は救出後死亡)するという、日本の冬季軍訓練における最も多くの死傷者が発生したことで記憶されており、映画や小説でも取り上げられていることからよく知られている無謀で悲惨な遭難事件です。

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洞ケ峠を決め込む

2013-01-22 | 雑学

今日は「洞(ほら)ヶ峠を決め込む」という諺をご紹介します。

「洞ヶ峠を決め込む」
洞ヶ峠は京都府八幡市八幡南山 と 大阪府枚方市高野道・長尾峠町の境にある峠で、日和見の代名詞のように使われている地名です。
その謂れは、天正10年(1582年)、本能寺の変の直後に、主君織田信長を討った明智光秀の軍と信長の重臣羽柴秀吉の軍が山崎において激突した「山崎の戦い」で、筒井順慶(1549年~1584年)が洞ヶ峠で日和見を決め込んだとの逸話からきているものです。

この時、明智軍、羽柴軍の双方から加勢を依頼された大和の大名筒井順慶は、一度は明智側に従って山崎の南方にある洞ヶ峠まで兵を進めながらも、最終的にはどちらに付くか日和見をしたとの伝説があったことから、日和見する事を「洞ヶ峠」あるいは「洞ヶ峠を決め込む」と表現するようになったようです。
しかし、この伝説は史実に反しており、筒井順慶は最終的には洞ヶ峠に着くことなく大和へと撤兵して中立を保ったと言われています。

「元の木阿弥」
筒井順慶に関する故事には、もう一つ「元の木阿弥」があります。
筒井順慶は3歳の時に父・順昭を失いますが、この時、順昭と声がよく似た「木阿弥」と言う琵琶弾き僧を、順昭に仕立てて死亡を隠し、順慶が成人した3年後初めて順昭の死を公にし、木阿弥は用済みになったため城主から元の木阿弥に戻ったという故事から、一旦よい状態になったものが、再び元のつまらない状態に帰ることや、苦心や努力が水泡に帰して、元の状態に戻ってしまうことを、「元の木阿弥」というようになりました。

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