らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

誕生石と「アメジスト」の由来

2010-02-28 | 雑学
昔から、「1月はいぬる(往ぬる)、2月は逃げる、3月は去る」と言われているように、今日で2月は「逃げる」ように過ぎ去ろうとしています。
今日は2月の末日に当たり、誕生石と2月の誕生石「アメジスト」の由来について調べました。

誕生石とは、月ごとに決められた宝石で、自分の誕生月の石を身につけると幸せになるといわれているものです。
月と石の組み合わせは厳密には決まってなく、国ごと、宝飾会社ごとで多少の違いがあるようです。

「誕生石の由来」
誕生石の由来には次のような説あるようです。
・聖書を元に誕生石の12の石が決められ、神殿の土台になっている12の宝石が元になっているという説。
・昔から伝えられている、「生まれた月はその人の一生に影響を与える」と言うことと、「魔除けに石を使う」との伝承が合わさってできたと言う説。
・ヨーロッパの言い伝えや占星術、ユダヤ人の古い習慣から18世紀頃に広まり、その後、ユダヤ人の宝石売りの人々によって宝石を販売する手段の一環として
 誕生石と言うキャッチコピーを用いたとする説。
・12の石がその月に誕生した人を見守る「守護石」であるという信仰からきたとする説などです。

・日本では、1912年にアメリカの宝石組合が決めたものに、全国宝石商組合が1958年に少し修正(3月の珊瑚と5月の翡翠)をして決定したものが定着していると
 言われています。

「2月の誕生石」の由来
・2月の誕生石「アメジスト(紫水晶)」です。   アメジスト









アメジストの語源はギリシャ語のamethu(酔わせない)に由来しており、ギリシャ神話に登場する月の女神ダイアナに使える女官アメシストの悲劇からこの名前が
つけられたといわれています。

神話の中で、酒の神バッカスが女神ダイアナに戒められ、その腹いせに「最初に会った人間をトラに襲わせる」と決めました。
そこへ現れたのが美しく信仰深いアメシストです。トラが彼女に襲いかかろうとするその瞬間、女神ダイアナがアメシストを守るため、透き通った水晶に変身させてしまいました。
酒の神バッカスは水晶になったアメシストの余りの美しさに唖然とし、自分のした事を悔やみ、その水晶にぶどう酒を注ぎました。すると彼女の身体は清らかな美しい紫色の宝石に変わったと言うものです。

(雑談)
古代ギリシャやローマでは、古くからアメジストを身につけていれば、お酒に酔わないと信じられていたそうです。
また、紫色のアメジストは、古代から多くの人々に愛されてきており、特に日本では、最も気高い色とされて、宗教的な儀式では非常に大切にされてきた色と伝えられています。
歴史的にも、聖徳太子が定めた「冠位十二階」で最高位の色として崇められ、特に中国では皇帝だけが身につけることを許された色と言われています。
現在では、「愛の守護石」「真実の愛を守り抜く石」と言われているそうです。

 


浅田真央「銀メダル」

2010-02-27 | 時事

今日は予定を変更し、真央ちゃんの「銀メダル」を書きます。
昨日は日本でも、韓国でも、また世界の国で女子フィギュア・スケートに釘付けになったのではないでしょうか?

バンクーバーのオリンピックも終盤を迎え、昨日は女子フィギュア・スケートのフリーが行われました。
前日の2位からの逆転優勝を狙った浅田真央選手は惜しくも金メダルを逃したものの、トリプルアクセルを2回成功させ、得点も205.50と自己最高をマークし、銀メダルを獲得しました。
他の日本人選手も、安藤美姫選手は5位に、鈴木明子選手も8位となって出場した3選手はともに入賞を果たしました。

優勝は韓国の金研児(キム・ヨナ)で、フリー150.06点、SPと合わせた合計点では228.56点と共に世界歴代最高得点をたたき出し、初の金メダルを獲得しました。

            
                               (画像は日経ニュースHPより)

今回のフィギュアスケートのメダル争いは200点以上となり、過去に例を見ないハイレベルなものとなりました。
一つのミスも許されないプレッシャーの中で、浅田選手は五輪史上初めてトリプルアクセルを2回成功させ、更にショートプログラムを含めると3回も成功させたのは
見事といえます。
残念だったのは後半のジャンプが少し乱れしまったことです。
また、音楽が重厚で暗い曲だったので浅田選手のイメージとかけ離れ、表現が難しかったように思います。

対して、金研児(キム・ヨナ)選手のスケーティングは全くミスのない完璧なものでした。
3回転ジャンプ、3回転の連続ジャンプ、曲にあった妖艶な表現などいずれも見事で、確実に得点を積み上げていく演技内容だったように思います。
言ってみれば、当初から優勝を狙ったプログラムを組み、それを見事に且つ完璧に仕上げたものでした。

金メダルを逃し、涙ながらに会見していた真央ちゃんですが、浅田選手のトリプルアクセルの成功は、今後の女子フィギュアスケートにおけるジャンプのレベルアップに必ずつながるものと思います。
そして、そのジャンプには高得点が配点されるようになるのではないでしょうか?

浅田選手には、次のソチ大会があります。ソチではこの涙を嬉し涙に変えて欲しいものです。     (参考)ソチはロシアの黒海の沿岸に位置しています。

     真央ちゃん銀メダルおめでとう! そして、安藤選手、鈴木選手入賞おめでとう!
     皆さんのフィギュア・スケーティングは見事で、素晴らしいものでした。
     3人ともお疲れ様でした。
     そして感動をありがとう!




「2・26事件」について

2010-02-26 | 雑学

今日は2月26日です。
2月26日で思いつくのは74年前に起きた「2・26事件」ではないでしょうか?
この事件については、子供の時に歴史の教科書で習ったくらいで、当時は勿論のこと、今に至るまでその背景など全く理解できていません。
そこで、今日は改めて「2・26事件」について調べました。

「2・26事件」とは
2・26事件とは、昭和11年(1936年)2月26日にから2月29日にかけて、日本陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率いて、「昭和維新断行・尊皇
討奸」を掲げて起こしたクーデター未遂事件です。

「事件の背景」
この事件の背景には、革命的な国家社会主義者の北一輝が記した『日本改造法案大綱』の中で述べた「君側の奸」の思想があります。
この思想の下、天皇を手中に収め、邪魔者を殺し、皇道派が主権を握ることを目的とした「昭和維新」「尊皇討奸」の影響を受けた安藤輝三、野田四郎らを中心とする一部の青年将校が、政治家と財閥系大企業との癒着が代表する政治腐敗や、大恐慌から続く深刻な不況などの現状を打破する必要性を声高に叫んで行動を起こしたようです。
 *「君側の奸」とは、君主に仕える臣下のうち、性情、行状が邪悪で君主に取り入って、その権力を背景に悪を為す者を指します。

「事件の概要」
事件の概要は、大日本帝国陸軍内の派閥の一つである皇道派の影響を受けた一部青年将校らは、かねてから「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンに、武力を持って元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現し、彼らが政治腐敗と考える政財界の様々な現象や、農村の困窮が終息すると考えていました。

彼らは、この考えの下、1936年(昭和11年)2月26日未明に決起し、近衛歩兵第3連隊、歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、野戦重砲兵第7連隊らの部隊を指揮して、岡田啓介内閣総理大臣や橋是清大蔵大臣などの殺害を図りました。
斎藤内大臣、橋大蔵大臣、および渡辺教育総監を殺害し、岡田啓介総理大臣も殺害したと発表しましたが、総理大臣については誤認だったそうです。

その上で、彼らは軍首脳を経由して昭和天皇に昭和維新を訴えました。
当初、陸軍の首脳部は青年将校たちの行動を容認する態度をとっていましたが、海軍が鎮圧を要求し、天皇も同様の立場をとったので、軍と政府は彼らを「反乱軍」として武力鎮圧を決意し29日に鎮圧を開始しました。

そして飛行機やラジオで投降を呼びかけました。
形勢が不利になったと判断した反乱将校たちは下士官・兵を原隊に復帰させ、2名が自決しましたが、大半の将校は自首して、その日のうちに鎮圧されました。

岡田内閣に代わった広田内閣は陸軍の要求で軍部大臣現役武官制を復活し、これが軍による内閣介入の端緒となりました。
そして、軍部は事件の威圧効果を利用して政治的発言力を強め、戦争体制へと突き進むことになったようです。




ソラマメの栽培(その2)剪定

2010-02-25 | 家庭菜園
昨日は全国的に気温が上昇し、大阪では最高気温が20度を上回り、2月としては異例の暖かさとなりました。
この気温の上昇と共に、昨年11月中旬に定植したソラマメはグングン生長しています。
今日は、私のソラマメ栽培をご紹介します。

・これは昨年11月に定植したソラマメです。
 幅60㎝の畝に株間50cmで2条の千鳥植えで、2畝に30本の苗を植えつけました。


現在、中心枝は30㎝ほどに、周囲の枝も15~20cmになり、横に大きく生長しています。

・12月に追肥を施し、寒さ対策として藁を敷い後、中心枝が30㎝ほどに伸びたところです。


ソラマメ栽培は中心枝を間引き、周囲の太い枝を6~7本残します。こうすることで一つの莢に4~5個の実が入る大莢を作ることができるようです。
そこで、先日、中心枝と細い枝を剪定しました。

・中心枝を間引き、周囲の太い枝を6~7本に剪定したところです


中心枝と生長の弱い枝を剪定した後には、このように中心部に土をかけます。
これにより残った周りの枝が丈夫に育ちます。

・株の中心に土をかけたところです。


・2畝全てに上記の作業をしたところです。


この後の栽培管理は概ね次のようになります。
・追肥
 蕾が膨らんで開花し始めた頃に1㎡当たり30g程度の肥料を畝の肩に施し覆土します。同時に支柱を立て、土寄せを行い倒伏を防ぎます。
・摘心
 側枝に莢が付き始めたら、それ以上伸びないように側枝の先を摘心します。
・収穫時期
 開花後35日~40日を目安として、上を向いていた莢が横向きになった頃が収穫の目安です。 莢がよく膨らんで背筋が黒くなり、光沢が出てきた莢から収穫します。





「金平(きんぴら)ゴボウ」の由来

2010-02-24 | 雑学

ゴボウの調理の一つに「金平(きんぴら)ゴボウ」があります。美味しいですよね。
今日は「金平(きんぴら)ゴボウ」と「金平(きんぴら)」の由来について調べました。

「金平(きんぴら)」の由来
「金平(きんぴら)」は、江戸時代に人気があった『金平浄瑠璃(きんぴらじょうるり)』の登場人物、坂田金平(さかたのきんぴら)にあると言われています。
この坂田金平は、足柄山の金太郎と言う幼名で知られる坂田金時の息子です。
坂田金平(さかたのきんぴら)は、浄瑠璃の中では世にも稀な怪力の持ち主で、金平(きんぴら)に勝てる者はおりませんでした。
そのことから、当時では”金平(きんぴら)”は強いものの例えとして使われていたようです。

*「金平浄瑠璃(きんぴらじょうるり)」とは、「金平節(きんぴらぶし)」の別称で、古浄瑠璃の流派の一つです。
  1658年~1673年(万治・寛文)の頃、薩摩浄雲の弟子の江戸和泉太夫が創始したもので、多くは金平の武勇談を題材とし、荒々しく豪壮な曲風で人気を得、
  江戸歌舞伎の荒事芸にも影響を与えたと言われています。

「きんぴらゴボウ」の語源
さて、「きんぴらゴボウ」とは、ご存知のように、ささがき、または千切りにしたゴボウを油で炒め、砂糖、醤油、酒などで調味して煮詰め、仕上げに唐辛子で辛味を効かせた炒め煮のことをいいます。
ゴボウは地中に深く入っていて、地の底まで固く不動であると言う丈夫で強いイメージがあります。
そして、唐辛子の強い辛さが先程の坂田金平(さかたのきんぴら)の強さに通じることから、ピリッと辛いゴボウのことが「きんぴらゴボウ」と名付けられたようです。
この金平(きんぴら)ゴボウは、強さや丈夫さを願うことから、最近では、おせち料理で作る家庭もあると言われています。

また、今ではゴボウだけでなく、レンコン、人参、ウド、しらたき、たけのこの姫皮など、砂糖、醤油などで味付けして煮詰め、仕上げに唐辛子を振り混ぜたものを金平(きんぴら)と呼んでいることから、さまざまな金平が作られているそうです。

なお、「金平(きんぴら)」のつく言葉に、「金平足袋」や「金平糊」などがありますが、それらはいずれも強さを表していることからつけられたといわれています。




皇太子殿下50歳のお誕生日

2010-02-23 | 時事

今日2月23日、皇太子徳仁親王(なるひとしんのう)殿下は50歳のお誕生日を迎えられました。
皇太子殿下の御誕生日を心よりお祝い申し上げますと共に、皇室の益々のご繁栄を御祈念申し上げます。

皇太子徳仁親王(なるひとしんのう)殿下は昭和35年(1960年)2月23日に今上天皇陛下と皇后陛下美智子さまの第一皇子として誕生されました。
御称号は浩宮(ひろのみや)、お印(しるし)は梓(あずさ)、皇位継承順位は第一位です。
「浩宮」の称号は中国の古典「四書五経」の中の『中庸』第32章にある「々たる天」から、「徳仁」の名は同じく「四書五経」の「聡明聖知にして天に達する者」から
2字を選ばれたそうです。

・平成22年2月19日記者会見される皇太子殿下です(宮内庁HPより)


この日に先立つ記者会見では、「その時代時代で新しい風が吹くように、皇室の在り方もその時代時代で変わってきていると思います。過去から様々なことを学びながら、将来の皇室の在り方を追い求めていきたい」と抱負を述べられました。
また「ご高齢になられた両陛下をお助けしていくことの大切さにも思いを強く致しております」との気持ちも示されました。

孔子の論語で「天命を知る」とされる年齢に達する心境を問われると、天皇陛下が50歳の誕生日記者会見で引用された「夫子の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ」との孔子の言葉を紹介しました。
忠恕とは自分自身の誠実さとそこから来る他人への思いやりだとし、「他人への思いやりの心を持ちながら、世の中のため、或いは人のために私としてできることをやっていきたい」と述べられました。(日経新聞より)

徳仁親王(なるひとしんのう)殿下は1989年(昭和64年/平成元年)に昭和天皇の御崩御によって、父・明仁親王殿下が第125代天皇に即位されたことに伴って実質的に皇太子となりましたが、「立太子の礼」は1991年(平成3年)に執り行われました。
1993年(平成5年)には、小和田雅子様と結婚の儀を挙げ、2001年(平成13年)に長女敬宮 愛子内親王(としのみや あいこないしんのう)殿下が誕生されました。

ご趣味には、ヴィオラ演奏や登山・ジョギングなどがあり、テレビで私たち国民にそのお姿をたびたび披露されています。
なお、皇太子となって以降の国会・政府の用いる正式表記では「皇太子徳仁親王(なるひとしんのう)」とされています。

(一言メモ)
ところで、新聞・テレビ、そして世間一般などでは、雅子さまとか愛子さまという呼び方が定着しているようですが、本来は天皇や皇族に対して一般人と同じように
「さん」や「様」をつけてお呼びしたり表記するのは不敬となります。
本来の正しい言い方は次のようになります。
 ・「陛下」・・・天皇・皇后・太皇太后・皇太后の身位に対しての尊称。
 ・「殿下」・・・皇太子・皇太子妃・皇太孫・l皇太孫妃・親王・親王妃・内親王・王・王妃・女王などの身位に対する尊称。
天皇や皇族に対しては「陛下」や「殿下」の尊称でお呼びするのが本来の正しい言い方となります。



「竹島の日」について

2010-02-22 | 雑学
今日2月22日は「竹島の日」です。
「竹島」は日本固有の領土でありながら、現在は韓国に不法占拠されていますが、このことは最近は新聞やテレビでも余り報道されません。
今日は「竹島」について調べました。

竹島は島根県の沖合いにある岩礁で、日本と韓国が領有権を主張している島です。
「隠岐の島」との距離は一番近いところで157㎞、韓国領の鬱陵島との一番近い距離は87㎞のところに位置し、その面積は0.23平方k㎡で、東京の日比谷公園の1.4倍程度の島といわれています。
竹島は1905年(明治38年)2月22日、島根県告示40号に基づき、島根県知事が所属所管を明らかにしています。

・竹島の全景です。                       (竹島問題研究所HPより)
竹島の全景

「竹島の日」とは、竹島が島根県に編入された2月22日を記念する日で、2005年(平成17年)は竹島を編入して100周年に当たることから、平成17年3月16日に、 
「竹島の日」の制定に関する条例が島根県議会で可決され、島根県が制定したものです。
その目的は、国民の「竹島」への関心を深めてもらうこととされています。

この「竹島の日」の制定を受け、韓国では激しい抗議運動が起こりました。その影響は日本国内の市町村との交流イベントの中止などで、2県24市町村の26自治体に及んだそうです。
これは韓国側からの一方的な交流中止の申し入れであり、日本側からは安全面を危惧しての一時的な人材の交流中止があった程度だったようです。

・1905年(明治38年)2月22日島根県告示40号です。  (竹島問題研究所HPより)
1905年(明治38年)2月22日島根県告示第40号

本来、我が国の国土である領土問題は国が責任を持って保全管理すべきものであり、「竹島の日」のような、国民意識を高め、解決を図る目的で制定される記念日は当然国が行うべきことです。
領有権があいまいな状態において島根県にその保全管理を押し付けるべきではありません。

・安政4年(1857年)長久保赤水(ながくぼせきすい)作成の「亜細亜小東洋図」です。現在の竹島は地図には「竹シマ」と書かれて色で塗り分けされています。                                                                              (竹島問題研究所HPより)                     
亜細亜小東洋図

昔から、竹島は日本固有の領土であるとしています。
韓国が領土を主張し始めたのは1952年(昭和27年)1月18日であり、当時の李承晩大統領が「李承晩ライン」によって韓国の支配下にあると一方的に宣言した事によるようです。
この時期はサンフランシスコ平和条約の発効により日本の主権が回復される3ヶ月前であり、韓国はこの宣言によって竹島と対馬の領有権の主張をすることが目的だったと言われています。
日本や国際社会は抗議しましたが、進展せず現在に至っています。

このようなことから、国民一人一人が「竹島」は歴史的にも法的にもまぎれもない日本の領土であるという認識を持ち、北方領土と共に領土返還運動の機運が高まる事を願いたいと思います。



ジャガイモ栽培(その1)植え付け

2010-02-21 | 家庭菜園

先日ジャガイモのを植えつけを行いましたので、私のジャガイモ栽培についてご紹介します。

「私の栽培方法」
「畑の準備」

ジャガイモはナス科の作物なので、なす、トマト、ピーマンなどとの連作は避け、1年以上の間隔をあけて畝を作ります。
畑には1ヶ月くらい前に化成肥料と堆肥それに石灰を10㎡当たり500g程度の割合で施し、よく耕した後に90cm幅の畝を作りました。
石灰を多量に入れると土がアルカリ性になり、そうか病になりやすいので注意が必要です。
 (そうか病は、収穫した芋が滑らかな表面にならず、突起物のようなものが出る症状です)

「種芋の準備」
種芋は毎年1月に農協で購入しています。今年は男爵、メークイン、キタアカリの3品種を購入しました。

・縦に切った種芋です。


大きな種芋は1片30~40gにカットし、1片に2~3個の芽が付くように縦に切ります。
切る時期は、植え付けの当日か、或いは2~3日前に切ります。
植え付け時には、腐敗防止のため、前者の場合は切り口に木灰をつけ、後者の場合は切り口が乾くまで待って植えつけます。
私は前者の方法で植え付けました。

・切り口に灰を付けた状態です。


「植え付け準備」
植え付け1週間ほど前に畝を再度耕して、幅90cmの畝を作り直しました。
その畝に深さ10㎝程の2条の溝を掘ります。

「植え付け」
種芋の切り口を下にして、株間30㎝で溝に植え付け、化成肥料を一握りずつ芋の両側に施しました。
更に、病害虫防除のため、オルトラン粒剤を振り掛けて植えつけました。
なお、切り口を上に向けると断面に水が溜まるなどして芋が腐りやすくなります。

・種芋を植えつけ化成肥料を施したところです


植え付け後、土を戻して畝を作りました。3品種で4畝(畝の長さ7~8m)を使用しました。

・植え付け後、畝を戻した状態です。


この後、一雨当ててマルチ用の黒いビニールを張ります。
春植えのジャガイモ栽培は、地温の上昇と草が生えるのを防止する意味からマルチ栽培をします。

「栽培のポイント」は、
・ジャガイモは遅霜に弱いので注意が必要です。生育適温は15~20℃です。
・芽は草丈が10㎝程度伸びた頃、1~2芽を残し、弱い芽を掻き取ります。
・新しい芋は種芋の上方につくので、マルチをしない場合は株元に2回ほど土寄せを行って芋が地上に露出しないようにします。
・3ヶ月余りで収穫できる短期野菜なので栽培しやすく、6月初旬には収穫が楽しめます。




「お仕着せ」の語源

2010-02-20 | 雑学

自分の意思とは関係なく、一方的に押し付けらたり、与えられた事を「お仕着せ」と言いますが、その言葉の始まりは別の意味から起りました。
今日は、この「お仕着せ」の語源について調べましたのでご紹介します。

この言葉は、もともと江戸時代に幕府から役人たちに、或いは武家や商家の主人から奉公人たちに与えられた衣服のことをいい、接頭語のつかない「仕着せ」或いは「為着せ」として使われました。

この「仕着せ」は、季節ごとに気候の変化に合わせて衣服を与えていたことから「四季施」ともいわれ、今で言う制服のようなもであり、ボーナスに近い意味合いがあったようです。
そして、幕府や主人からいただくものなので、丁寧に「お」をつけて、「お仕着せ」と言われたようです。

この「お仕着せ」が現在の使われ方に転じたのは、時候にあわせて衣服が与えられていたことから、何事も型どおり物事が進められる意味でも使われるようになり、
更に、それが転じて衣服だけでなく、上から押し付けられた決まりきった物事も「お仕着せ」と言うようになったようです。

漢字に書く時、一方的に押し付けられることから「押し着せ」と間違えやすいですが、元々、着物からきている言葉なので正しくは「お仕着せ」となります。




「雨水」と「雛飾り」

2010-02-19 | 季節

今日19日は二十四節気の一つ「雨水」です。昔から、雛人形を飾るにはこの日がよいとされています。
そこで今日は「雨水」と「雛飾り」について調べました。

「雨水」とは、「厳しかった寒さも次第に緩み、暖かさに雪や氷が解け出して蒸発し、雪原から上昇する水蒸気が上空で冷やされて、春の雨となって降り出す頃」の
意味で、忍び寄る春の気配に草木が蘇る頃と言われています。

・雛飾り
昔から「雨水」の日は、初節句などでお雛さまを飾るのに相応しい日とされています。
お雛さまは子供を厄から守ってくれる守り神のような存在であり、節句の前日に慌てて飾ることは「一夜飾り」となって、縁起が悪いとされます。

二十四節気の「雨水」の日を迎えることは、雪に代わって雨が降る時期となったことで春を迎えたことを意味し、温かな季節への変わり目として縁起が良いとされており、この日に雛人形を飾り付けると良縁に恵まれると言い伝えられているようです。

では何故、「雨水」に雛人形を飾れば縁起が良いのか、その由来を調べました。
「徳川かわら版」のpageによれば、推測ではあるものの、日本神話に由来するのではないかとありました。

それによれば、神話に出てくる「罔象女神(ミズハノメノカミ)」は日本における代表的な「水の神(水神)」で、水は人の生命を支える根源であり、作物を育てることから、川の水(水=神)が信仰の対象となりました。
また、川は炊事・洗濯などで女性たちが集まる場所でもあり、いつしか「水の神」は、「母神」と考えられるようになり、「罔象女神(ミズハノメノカミ)」が、地方によっては子授け、安産の神として信仰されるようになったようです。
このような背景から、「良い子を授かる=良縁に恵まれる」と考えられるようになったと思われているそうです。(徳川かわら版より)

なお、昔から雛人形を片付ける日が遅くなると嫁に行き遅れるといわれており、その日は二十四節気の「啓蟄(今年は3月6日)」の日が良いとされています。

近年は、いつまでも雛人形を飾っておくのが流行りなのでしょうね。