らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

ヒメアカタテハ

2020-10-30 | 家庭菜園

秋の七草の一つ、「フジバカマ」がいま満開です。
絶滅危惧種に指定されているこの花が私の畑にあるので、菜園仲間のT氏とH氏に株分けして植えてもらっているのですが、両氏のところも満開となっています。

・私の畑のフジバカマです。


この花にはアサギマダラが飛んでくることが知られていますが、先日、T氏のフジバカマに見慣れない蝶が来ているのを発見し撮影しました。
アサギマダラにしては色が違うので、早速名前を調べてみることにしました。

その結果、この蝶は「ヒメアカタテハ」と判明しました。
そこで今日はこの蝶について調べてみました。

・フジバカマの密を啄むヒメアカタテハです。


「ヒメアカタテハ」
ヒメアカタテハ(姫赤立羽 )は、チョウ目・タテハチョウ科に分類されるチョウの一種で、世界各地に広く分布しているようです。
成虫の前翅長は3cm前後で、前翅の先端は黒地に白の斑点、前翅の中央部には橙色地に黒の斑点があります。
後翅の表側は橙色で、黒い斑点が3列に、点線状に並んでいるのが特徴です。

ヒメアカタテハは移動性が強く、越冬できないような冷帯や寒帯地方でも、夏から秋にかけて侵入や発生を繰り返します。
日本でも秋に個体数が多くなり、成虫は日当たりの良い草原に生息し、田畑の周辺などでよく見られますが、花以外には集まりません。

フジバカマが満開の今、綺麗なヒメアカタテハに負けず劣らず美しいアサギマダラにも飛んできてほしいものです。

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稽古照今

2020-10-28 | 雑学

NHKの夕方の番組に「news  シブ5時」があり、その中に『悩み相談 渋護寺』のコーナーがあります。
このコーナーは視聴者からの悩み相談に応じるものですが、その回答者の一人に宗教学者で僧侶の釈徹宗 師がおられます。
先日の放送の中で、師は相談に応えて、この相談者には「稽古照今(けいこしょうこん)」の言葉を贈りたいと回答していました。
「稽古照今?」
初めて聞く言葉だったので調べてみることにしました。

「稽古照今」とは、古事記の序文に出てくる言葉のようです。
【古事記】の序文には、
「古(いにしえ)を稽(かんが)えて以(もっ)て風猷(ふうゆう)をすでに廃(すた)れるに縄(ただ)し、今を照らして以て典教(てんきょう)を絶えんと浴するに補(おぎな)わずということなし」とあります。

この意味は、
「昔のことをよく学び、すでに廃れてしまった道徳を見直し、今の基準とすべく失われかかっている尊い文献を補うために、この古事記を書き残しておく」ということのようです。

・鵜戸神宮の稽古照今です。(ネットより)


この書(古事記)の編纂の目的は、第一に「古を稽(かんが)へて風猷を既に頽(すた)れたるに縄(ただ)し、今に照らして典教を絶えんとするに補はずということなし。 」と、その序に明確に記しているように、神代から歴代の天皇の事績を顧みるとき(稽古)、道徳がすでに崩れているのを正しくし、現今の状勢を見定めて(照今)、人間の正道が絶えようとするのを補うとするもの、と記しているのです。

「稽古」とは、読んで字の如く、古(いにしえ)を稽(かんがえ)ることで、
広辞苑にも、
①昔の物事を考え調べること。古書を読んで昔の物事を参考にし理義を明らかにすること。
②武術・遊芸などを習うこと。
③学んだことを練習すること。
④高い学識を有すること。
と、第1番目に昔の物事を考え調べること、と説明しています。

昔の事を学ぶという「稽古」の目的は今を照らすため、即ち現在の指針とするためであり、ただ古い事を学ぶ事が目的ではありません。
今に生きる私たち日本人の生き方に大いなる指針を与へる言葉、それが「稽古照今」なのです。
古事記に記されている「稽古照今」、心の片隅に覚えておきたい言葉ですね。

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久しぶり! アナグマ君

2020-10-26 | 家庭菜園

私は町役場からアライグマの捕獲器を借りて畑に仕掛けているのですが、入るのはイタチばかりで、アライグマはなかなか入ってくれません。
サツマイモや果物の被害が続いていることから出没しているのは確かなのです。

そうした中、先日、アナグマが入っていました。
アナグマの捕獲は昨年5月、今年3月に続いて3回目となります。
半年ぶりの捕獲に「久しぶりだね、アナグマ君。先日、柿を食べたのは君なのか?」と思わず声をかけたものです。

猟友会の会長の話によると、「アナグマ」は当地でも最近よく捕獲されていると話されていました。
それにしても私の畑の周りにはいろいろな害獣が棲んでいるものです。
アライグマは言うに及ばず、タヌキ、イタチ、アナグマ、イノシシなど、全て農作物に害を及ぼす動物たちです。

今回捕獲したアナグマはアライグマと違って大人しく、傍に行っても暴れることはありません。 
このまま放してやりたい気持ちにかられますが、農作物に被害をもたらすので、逃がすわけにはいきません。 
可哀そうですが、猟友会の人に引き渡しました。



「アナグマ」
アナグマはイタチ科に属する動物で、頭胴長は約40~60㎝程度、体重は10kg前後、基本的に夜行性で、日中は巣穴で休息しています。
性格は温厚で、 警戒心も強くないので、人間が近づいても逃げないことがあるようです。

「同じ穴の狢(むじな)」
諺に「同じ穴の狢(ムジナ)」がありますが、このムジナとは主にアナグマのことを言います。
アナグマの掘った穴にタヌキが住むことがあり、見た目も似ていることから、この諺は「実は同類」という意味で古くから使われてきました。
しかし実際には同類ではなく、タヌキはイヌ科タヌキ属、アナグマはイタチ科アナグマ属です。

アナグマは北海道以南に生息しており、雑食性で、土を掘って昆虫の幼虫などを食べる他、甘みのある果実を好むため、年々、農作物への被害が増加しているということです。

甘みのある果実を好むということは、色が付き始めた我が家のカキを食い荒らした犯人はこのアナグマかも知れません。
このアナグマがこの地区の最後の1匹であればいいのですが・・・。

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妖怪「ヨゲンノトリ」

2020-10-24 | 時事

一向に収まる気配のないコロナウイルス。
一昨日には某旅行会社の主催する北海道へのGo To トラベルでクラスターが発生し、12人が感染したとの報道があり、大阪府では、某大学サークルで1人の感染が確認されて、同サークルの感染者は合わせて23人になったと報じられています。

新型コロナの感染に収束が見られない中、江戸時代末期に伝染病の流行を予言したという鳥「ヨゲンノトリ」がネットで話題になっているようです。
そこで今日は「ヨゲンノトリ」について調べました。

「ヨゲンノトリ(予言の鳥)」
ヨゲンノトリとは江戸時代末期の安政4年(1857年)12月、加賀国(現石川県)白山に現れた頭が2つある不思議な鳥で、翌年に流行するコレラを予言し、「私の姿を朝夕に拝めば難を逃れることができる」と言ったとされています。

「ヨゲンノトリ」は、山梨県立博物館が4月3日にTwitterで紹介した鳥のことで、同館が所蔵する文献「暴瀉病流行日記(ぼうしゃびょうりゅうこうにっき)」に描かれており、その姿はカラスのようなイメージで、1つの胴体に白と黒に分かれた2つの頭が付いているのだそうです。

・ヨゲンノトリです。(山梨県立博物館HPより)


「暴瀉病流行日記」は、当時流行していたコレラの様子を、甲斐国(現在の山梨県)内の名主(役人)が記録していた日記です。
1858年長崎で発生したコレラは、7月に江戸に到達。7月後半には甲斐国でも感染が拡大していきます。
甲府で1日あたり30―40人もの人が伝染病で亡くなるようになった8月初頭、役人はヨゲンノトリの噂を耳にし、日記に記しました。

「伝承」
市川村(現山梨市)の名主、喜左衛門が記した「暴瀉病流行日記」の8月初頭の記事に、頭が2つある不思議な鳥の絵が描かれており、そこにつけられている説明は、以下のように記されています。
「如図なる烏、去年十二月、加賀国白山にあらわれ出て、申て云、今午年八・九月の比、世の人九分通死ル難有、依テ我等か姿ヲ朝夕共ニ仰、信心者ハかならず其難のがるべしと云々」
「是熊野七社大権現御神武の烏ニ候旨申伝、今年八・九月至テ人多死ル事、神辺不思議之御つけ成」
(現代語訳)
図のような烏が、去年の12月に加賀国(現在の石川県)に現れて言うことには、「来年の8月・9月のころ、世の中の人が9割方死ぬという難が起こる。それについて、我らの姿を朝夕に仰ぎ、信心するものは必ずその難を逃れることができるであろう」
「これは熊野七社大権現のすぐれた武徳をあらわす烏であると言われている。今年の8月・9月に至り、多くの人が死んだ。まさしく神の力、不思議なお告げである。」

これ以外に、この不思議な鳥についての情報は日記には書かれていないということです。
ネットには「早速今日から拝みます」とか「これで疫病退散」といった声もあるということで、第2のアマビエのような盛り上がりとなっているそうです。
「アマビエ」については4月17日の弊ブログ「「アマビエ」でコロナ撃退」をご参照ください。

なお、「ヨゲンノトリ」という名前は山梨県立博物館が付けたものだそうですが、命名の経緯は兎も角、コロナ感染が未だ収束しない今、アマビエと共に、ヨゲンノトリを朝夕拝んで早期の終息を祈願してみては如何でしょうか?

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トレニアの花

2020-10-22 | 

畑に見慣れない花が1株ありました。
その株は紫色と白色のきれいな小さな花を咲かせているのですが、名前が分かりません。
家内に聞いてみても忘れたと言い、家内が実家から持ち帰ったということでした。

早速この花の名前を調べてみると、「野の花・街の花」と言う本の夏の花の後半部分に載っており、名前は「トレニア」と判明しました。
そこで今日はこの花についてご紹介します。

その本の説明によると、トレニア属の花は約30種類知られていますが、普通トレニアと言えばインドシナ原産の本種を指します。
草丈は20㎝~40㎝になり、4月下旬から10月にかけて、一見、パンジーに似た小さな花が次々に咲き継いでいきます。
花径3㎝前後の唇形花で、紫、赤、桃、白などの複色に黄斑が入るのが特徴です。
暑さに強く花期も長いので花壇や鉢花に最適と記していました。

「参考」
なお、インドシナとは、アジア大陸南東部に突出するインドシナ半島部の呼称です。
インドと中国の文化的影響が濃いため、この名称となっています。
国名では、ラオス、カンボジア、ベトナムを包含する地域で、広義にはミャンマー、タイも加える地域となります。

・これがトレニアの花です。


一方ネットでは、トレニアはアゼナ科の非耐寒性一年草です。
開花期は4月~10月。可愛い子つばめが口を開けたような、スミレにも似た小花が咲きます。
花色は、桃・青紫・白・黄色などがあり、草丈は20~30cmです。
春から晩秋まで、花径2~3cmほどの花を次々に咲かせてくれる頼もしい植物と説明しています。



1株では華やかさに欠けますが、群生すると見ごたえがあるのではないかと思います。
そこで、今年、種ができれば株を増やして群生させてみたいと思っています。

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イチゴの定植

2020-10-20 | 家庭菜園

今年はイチゴの苗づくりに失敗しました。
私のイチゴの苗づくりは、6月の梅雨の時期に、収穫が終わった株を3株~4株ほど別の畝に移植して、伸びたランナーから苗を採るのですが、今年は夏の猛暑でその育苗に失敗したのです。

今年の当地は、猛暑になる前の7月は雨が多かったことから、親株からのランナーが伸びて順調に苗が育っていました。
しかし、8月になると一転して毎日最高気温が36~37度の猛暑となり、加えて殆ど雨が降らなかったことから、畝がカラカラに乾燥しました。
一日2回、朝夕のジョウロでの水遣りでは全く効果がありませんでした。
このままでは苗が育たないと思い、寒冷紗も覆いました。

日陰になると土中に根切り虫が棲みだして根を切られたり、モグラが畝の下を這いまわり、根が浮き上がったことから暑さに負けて枯れてしまいました。
このような状態では、今年の苗は数十株ほどしか採れないのかな? と諦めかけていました。
そんな折、家内からイチゴの苗が出来ていると知らせてくれたのです。
早速、見に行くと里芋と黒豆の畝の間に植えていたイチゴから苗が出来ていました。

・苗を採る予定ではなかったイチゴの畝です。


このイチゴの畝は、昨年余った苗を里芋の横に少し植えていたのを片付けずにそのままにしていたもので、マルチをしていたことから、当然、親株は枯れていたのです。
そのようなことから苗を採るつもりはありませんでした。
ところ、親株からランナーが伸びて苗ができていたのです。
里芋にはイチゴの反対側から毎日水遣りをしていたので、土が湿っていたのでしょう。
伸びたランナーが根を伸ばし、加えて、里芋の茎が陰になったり、午後3時ころには木陰になることから猛暑が緩和されたことが幸いしたのかもしれません。
いずれにしても、今年植えるだけの苗(150~160株)が採れたことはラッキーでした。

その苗の中から定植用の苗を採り出し、気温が下がった先日、イチゴの定植をしました。

・未だ残暑が残る先月下旬に幅60センチの畝を6畝つくりました。


元肥として有機石灰、バーク堆肥、配合肥料、化成肥料(14,14,14)ダイアジノン(コガネムシ幼虫駆除薬)、砂状ようりんを畝に混和しています。



6畝完成後、日中の最高気温が25度以下になるまで2週間余り待ちました。



そして先日、定植したのが下記の画像で、幅60センチの畝に2条に、株間35㎝で、各畝に30株ほどを植え付けました。

左端の畝には「アスカルビー」28株、その右側4畝には「トヨノカ」120株、右端の畝には、「アスカルビー」14株と、まだ植えていないところに「アキヒメ」16株を植える予定です。
苗の植え付けに当たっては、クラウンと呼ばれる根の上の太いところには土が被らないように浅植えにしました。



定植後、雨や曇り空が続いていることから、苗の活着には最高のタイミングで植え付けができました。
来年2月頃に追肥を施したあとマルチを張り、ビニールトンネルをして温度調整を行い、5月の連休には孫たちがイチゴ狩りができるように栽培管理をします。

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手の内を明かす

2020-10-18 | 雑学

先日、某民放局の番組で、弓道好きのポーランド人の女性を日本に招き、神戸の甲南大学の弓道部の練習風景を見学させ、同コーチから弓道の基本を教わっていました。
その時、コーチから「手の内」という言葉が弓道から生まれたことやその意味について教えていたのです。

私は「手の内を明かす」の慣用句が弓道から生まれたということをその時初めて知ったのですが、そのコーチが日本の弓道を愛してやまない外国の女性に「手の内を明かして」真剣に教えていたことに感激して、この慣用句を調べてみました。

「手の内の語源」
ところで、弓道から生まれた「手の内を明かす」の「手の内」という言葉ですが、これは、弓を持つ左手の使い方や手のひらにできたマメを見ると、その人の流儀や技量を推し量ることができるということです。
そこから、自分の手のひらを見せる=「手の内を明かす」という表現が生まれたということです。
そのため、弓の名手は決して手のひらを見せないと言われています。

・手の内です(全日本弓道連盟HPより)


「手の内の意味」
「手の内」とは、広辞苑によれば、①手のひら。特に握った掌(てのひら)の内。ての中。②腕前。手並み。技量。③手ごたえ。④力の範囲内。⑤乞食などに施す銭・米など。⑥心の中で計画していること。と説明しています。

「弓道の手の内」
弓道の「手の内」とは、全日本弓道連盟のホームページによれば、簡単にいえば「左手で弓を握る方法のこと」で、これによって射(しゃ)の良しあしが決まるほど重要なため、各流派で門外不出とされてきたそうです。

そこから「手の内」に「腕前。手並み」「心の中で考え、計画していること」の意味が生じ、自分の持っている技術や大切な情報を人に示すことを「手の内を明かす」というようになったと言われています。

テレビの番組では、その女性は日本で初段を取得し、ポーランドに帰国した後、教えてもらった基礎をしっかり練習した結果、3段に昇段したということでした。
おめでとうございます。
願わくば、更に腕前を挙げて、日本の弓道をヨーロッパに広げて頂きたいと思います。

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おめでとう茨城県

2020-10-16 | 情報

茨城県様、最下位脱出おめでとうございます。
えっ! 何のことかって?
実は、ブランド総合研究所が発表している都道府県別の魅力度ランキング調査で、2019年まで7年連続最下位だった茨城県が42位に順位を上げて最下位を脱出したのです。
そこで今日は”都道府県別の魅力度ランキング調査”について調べました。

「都道府県別の魅力度ランキング調査」
このランキングは日本都道府県および市区町村のイメージについて、全国およそ3万人へのアンケート調査を実施し、毎年秋に「都道府県魅力度ランキング」および「市区町村魅力度ランキング」として発表しているものです。
この調査は「自治体通信簿とも言われ、次年度以降の計画や予算編成の参考とする自治体も多いということです。

今年のこの魅力度ランキング調査で、2019年まで7年連続最下位だった茨城県が最下位を脱出して42位に順位を上げました。
代わって最下位になったのは栃木県で初めてことだそうです。
一方、上位3県は、1位が12年連続で北海道、2位が京都府、3位が沖縄県でした。

・2020年の47都道府県魅力度ランキング表です。

「調査概要」
・調査方法:インターネット調査
・回答者:20代~70代の消費者を男女別、各年代別、地域別にほぼ同数ずつ回収します。
・有効回収数:約3万人(地域ごとの回答者数は平均で約560人)
・調査対象:全国1000の市区町村(全市+東京23区+約200町村)と47都道府県
・調査時期:毎年7月
・結果発表:毎年9~10月頃

「調査項目」
・認知度
・魅力度
・情報接触度
・情報接触経路(ドラマや映画、ポスターやチラシなど)【16項目】
・地域イメージ(歴史・文化の地域、スポーツの地域など)【16項目】
・地域資源評価(海・山・川・湖などの自然が豊かなど)【16項目】
・居住意欲度
・訪問目的【16項目】
・観光意欲度
・食品購入意欲度
・食品以外の購入意欲度
・産品購入意欲度

茨城県と言えば徳川御三家の一つ「水戸徳川家」や日本三名園の一つ「偕楽園」があって、歴史的にも魅力あふれる県のように感じますが、何故、昨年まで7年連続最下位だったのでしょうか?

最下位脱出について大井川和彦茨城県知事は「順位が上がったのは良いことだが、本県の魅力の実態を十分に反映していない」、「茨城はもっともっと伸びる県と確信している」と述べています。
そして、今後、ブランド化を進める農産物やキャンプ、サイクリングなど観光資源の発掘・発信を強化する考えを示していました。

一方、前年の43位から最下位に転落した栃木県の福田富一知事は「さまざまな工夫を凝らしながら取り組んできた結果が最下位とは・・・。
残念ながら調査回答者の心をとらえられなかった」と述べ、次期計画では魅力度ランクに代わる独自指標を設け、魅力向上に取り組む考えを述べていました。

栃木県にも世界遺産の日光や、宇都宮餃子などの名産品があるのにその魅力が十分発信できなかったようです。
このランキングの順位は兎も角、「自治体通信簿」に位置付けられているこの調査を、住民の住環境の改善や観光客の誘致、名産品の発掘などに有効活用し、町の活性化につなげられればいいですね。

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シルバー人材センター

2020-10-14 | 雑学

「喜寿(77歳)祝うに足らず 傘賀(80歳)いまだ青春」
これはシルバー人材センターの事業創設者・元東大総長の大河内一男氏の言葉です。

今日は超高齢化社会の我が国において、現役をリタイアした後も仕事を続けたいと願う人に、仕事を通じて地域社会へ貢献していただくことを目的に設立された組織「シルバー人材センター」について調べました。

「シルバー人材センターの誕生」
シルバー人材センターの設立は45年前の1975年(昭和50年)です。
当時、日本は徐々に高齢化が進行しており、「定年退職後も仕事を続けたい」と希望するシルバー世代が増加する傾向にありました。
そのような中、全国に先駆けて東京都内に設立されたのが、「高齢者事業団」という組織。これが、シルバー人材センターのはじまりです。
この組織の生みの親が元東大総長の大河内一男氏で、冒頭の言葉は氏が残したものです。

・大河内氏の言葉です。


大河内氏は定年後の就労先が行政の失業対策事業などに限られていることを憂慮し、「救済ではなく生きがいを」と提唱しました。
理念に賛同した東京都江戸川区の老人クラブ連合会が中心となり、1975年に前身の高齢者事業団が設立されました。
その仕組みは、地域の家庭や企業などから請け負った仕事を登録した高齢者の経験と能力に応じて紹介するものでした。
多少の報酬は得られるものの、雇用でもボランティアでもない、日本独特の制度です。
大河内氏は各地で意義を説いて回り、活動は全国に広がりました。
1986年(昭和61年)に法制化され、現在、全国に1303団体、会員数は71万人余りです。
駐車場管理や家事支援、将棋や囲碁の相手など、様々なニーズに応えています。

「運営」
シルバー人材センターは、都道府県知事の指定を受けた公益法人です。
原則として市区町村ごとに設置され、「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律」に基づき、各センターが独立して事業を運営しています。

「自主・自立、共働・共助」の理念を掲げ、「高齢者が仕事を通じて生きがいを得ること」と、事業を通じて「地域社会の活性化に貢献していくこと」を大きな目的としています。
なお、理念の
・自主とは・・・自分のものとして考える
・自立・・・・・自分たちの力で育てる
・共働・・・・・一緒になって働く
・共助・・・・・お互いに助け合う。と言う意味です。

私もリタイア直後に熊取町シルバー人材センターに登録しようと思い、講習を受けましたが、当時は主たる仕事と言えば草刈りとか個人宅の庭の草取りなどでした。
草刈りや草取りをするなら、自分の畑を優先した方がよいと判断し、登録をあきらめました。
田舎町では働きたくても、現役時代の経験などを生かせるような仕事がないのが実情です。

 

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日日是好日

2020-10-12 | 雑学

当地(大阪・熊取)では、台風14号の影響で8日から降り出した雨が3日間続きました。
雨の日には録画しているドラマや映画を観ることが多いのですが、先日は「日日是好日」という映画を観ました。
私は「日日是好日」と言うタイトルを見て、俗世間を離れてのんびりと、穏やかな毎日を過ごす年寄り向きの映画と思っていたのですが、そうではありませんでした。
今日は映画の内容は兎も角、題名の「日日是好日」について調べました。

「映画」
とは言え、映画についても少しだけ触れます。
この映画は樹木希林さんがお茶の先生、黒木華さんと多部未華子さんがお茶を一から習い、お茶の魅力に引き込まれていく映画です。

雨の日は雨を聴き、雪の日は雪を見て、夏には夏の暑さを、冬は身の切れるような寒さを、五感を使って全身で、その瞬間を味わう。
年を取って日々を過ごしていく中で、それでも、お茶を続ける女性は、”お茶”の魅力に気づき、惹かれていきます。
やがて何でもない日々、お茶を楽しめる幸せを感られることの素晴らしさを改めて感じていくのですが、これが『日日是好日』という言葉の意味しているところでした。



「日日是好日の由来」
この言葉は中国の唐末から五代にかけて活躍した大禅匠、雲門文偃【((うんもんぶんえん)禅師(864年~ 949年)の悟りの境地を表した言葉です。
(なお、五代とは、 中国で唐の滅亡後、北宋が興るまでに華北に興亡した後梁、後唐、後晋、後漢、後周の5つの王朝のことです)

「日日是好日」とは、「毎日が良い日だ」という意味になりますが、決して毎日いい日が続いて結構なことだ、などといった浅い意味ではありません。
一般に私達が、今日はよい日だ、悪い日だという場合、天気だけでなく、「お金が儲かった」「損をした」「よいことがあった」「嫌なことがあった」など、そんなものさしで判断しますが、これらは優劣・損得・是非にとらわれた考え方です。
この考えでは、たとえ、幸運が訪ずれても、その後に来る不運に脅えなければなりません。

「日々是好日」は、そんなこだわり、とらわれをさっぱり捨て切って、その日一日をただありのままに生きる清々しい境地をいいます。
例えば、嵐の日であろうと、何か大切なものを失った日であろうと、ただひたすら、ありのままに生きれば、全てが好日(こうにち)なのです。

禅では、過ぎてしまったことに、いつまでもこだわったり、まだ来ぬ明日に期待したりしません。
目前の現実が喜びであろうと、悲しみであろうと、ただ今、この一瞬を精一杯に生きる。
その一瞬一瞬の積み重ねが一日となれば、それは今までにない、素晴らしい一日となるはず、と考えるのだそうです。

なお、この映画では題名の「日日是好日」を「にちにちこれこうじつ」と読んでいました。
しかし、禅語では、「にちにちこれこうにち」が正しい読み方とされているそうです。

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