らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

四角豆

2017-08-31 | 家庭菜園

四角豆をご存知でしょうか?
四角豆はマメ科シカクマメ属の草木になる実鞘で、熱帯アジアが原産とされています。
日本には1900年(明治33年)頃渡来したそうです。
しかし、戦後に至っても殆ど普及せず、1980年代になって、沖縄の夏の野菜不足を補うために、旧農水省によって研究され奨励されました。

その四角豆を今年植えたところ、2週間ほど前から花が咲き始めました。
今日は珍しい四角豆をご紹介します

・これが四角豆の支柱です。


「四角豆の栄養価」
四角豆には、たんぱく質、炭水化物、食物繊維、カリウム、カルシウム、カロチン、ビタミンC などが含まれており、莢インゲンよりも栄養分が多いそうです。

・四角豆の花です。花も食用になるということです。


 一昨日には豆が生り始めました。
実の断面にひだのついた四角形という特徴があり、沖縄では「うりずん豆」、「ウリズン」とも呼ばれています。
「うりずん」とは沖縄の言葉で、旧暦の二・三月、春分から梅雨入り前までの、初夏を指す言葉で、 「潤い初め(うるおいぞめ)」が語源とされています。

・中央にぶら下がっているのが四角豆です。


これが初めて収穫した四角豆です。
四角豆には四方にヒダが付いていますが、これが羽のように見えるからでしょう、英語では「ウイング・ビーンズ(翼豆)」と呼ばれています。
並べて上から見ると、葉のようにも見えます。

・四角豆のさやです。


「食べ方」
 ・若いさやをサヤインゲンと同じような食べ方で食べます。
 ・一番美味しい食べ方は天ぷらと言われています。(沖縄では天ぷらにするのが最もポピュラーな食べ方だそうです)
 ・他にも、お浸し、炒め物、サラダや塩を入れたお湯で1~2分さっと湯がいて、マヨネーズをかけてそのまま食べたり、カレーの付け出しなどにします。
 クセのない味で適度に歯ごたえがあります。

・横に切断した四角豆の断面です。十文字のような形をしています。


縦に切断した四角豆です。
小さな出来立てのまめが見られますが、この四角豆は豆を食べるのではなく、まだ若い四角形の莢を食べます。




進化するマネキン

2017-08-30 | 時事

先日のニュースで取り上げていましたが、今、マネキンが進化しているようですね。
「マネキン」という四文字だけ聞くと、衣服の展示に使われる等身大の人形を想像しますが、実は、「マネキン」という言葉は、店頭において各種商品の宣伝・販売促進にあたる販売員(宣伝販売促進員)や、その職種のことも指すそうです。
そのため職種については「マネキン職」、従事者は「マネキンさん」などといった呼び名もあるということです。

「マネキン」の由来
「マネキン」は、フランス語で「モデル」を指すmannequin(マヌカン)の英語読みからきています。
日本における「マネキン」の歴史は、大正14年(1925年)3月に、初のマネキン人形専業メーカー「島津マネキン」が京都市に創業したことに始まります。
「モデル兼販売員」としての「マネキン」は、関東大震災の5年後で、上野で開催された大礼記念国産振興東京博覧会で、高島屋呉服店が「マネキン・ガール」を登場させたのが最初だそうです。

「進化するマネキン」
現在、そのマネキンがどんどん進化していると言うことです。
その一つにハイテクマネキンがあります。
マネキンの画像認識システムで来店客の顧客属性を分析したり、AI(人工知能)により商品や店舗などの音声案内を行うマネキンが登場しています。

画像認識マネキンは首部分に内蔵したカメラが人を認識し、年齢・性別、滞留時間などを読み込んでデータを蓄積し、時間別や月別のデータをマーケティングに生かすことができるようです。
そのデーターを分析することで、メインターゲットに想定していた顧客よりも、実際は10歳若い女性が見ていたなど、様々な分析が可能であり、更に販売データには表れない、関心を示した顧客層の分析などにも力を発揮するとみられています。

また、AI(人工知能)を搭載したマネキンは客と会話し、探し物やプレゼント商品に関する質問、トイレや他のイベントなどの館内案内など幅広く対応するようです。
「ロボット型と違い、マネキンの方が親しみやすく、店舗や施設の特徴、シーズンや催事に合わせた着せ替えが柔軟にできる」のが強みだといいます。
イベント内容に合わせて、武将型マネキンなどにチェンジすることも可能だそうです。

他にも、マネキン大手の吉忠マネキン(京都市、吉田忠嗣社長)は小型モーターを内蔵し、プログラムに従って手脚や首などを動かす次世代型動くマネキンを開発しています。
造形に3D(3次元)プリンターを導入することで複雑な関節の構造を実現、伸縮性のある服の着用感も動きで表現できるそうです。
プログラムに応じて特定のポーズを繰り返したり、複数のマネキンを連動させたりでき、動作の速さやタイミング、方向などは、パソコンで設定を変更できるということです。

今までのマネキンは、しゃべらず、動かず、ただ静かに立っているだけでした。
それが動いたり喋ったりするマネキンが登場すれば、洋服売り場に行くのも楽しくなりそうですね。


太公望

2017-08-29 | 趣味

昔は近くの海岸や波止場によく釣りに行ったものです。
投げ釣りではキスやカレイ、テンコチ(地元ではガッチョ)等が、ウキ釣りではアイナメや小鯛(地元ではチャリコ)等がよく釣れました。
夜釣りでは泉佐野の漁港で立ち魚を釣った事もあります。
家庭菜園を始めてから釣りとはすっかり疎遠になりましたが、今でも釣り場には大勢の釣り人が糸を垂らして楽しんでいます。

ところで、釣り人の事を「太公望」と言いますが、何故なのでしょうか?
今日はその謂れを調べました。

太公望の出典は「史記」で、紀元前11世紀頃の話です。
殷(いん)という中国古代王朝の末期、人民は暴君の紂(ちゅう)王に苦しめられていました。
その頃のある日、貧しそうな老人が一人釣りをしているところへ「釣れますか?」などと言いながら近づいてきた人物がいました。

その人物とは、西伯昌(せいはくしょう)(後の周の文王)で、狩りの途中に声をかけたのでした。
彼は猟に出る時、どんな獲物があるか占ってもらったのです。
すると、「竜でもなければみずち(竜に似た怪物)でもない。熊でもなければ虎でもない。獲れるものは諸侯の長を助ける者であろう」との卦が出たそうです。

釣り糸を垂れて世を避けていた老人は呂尚(りょしょう)と言う人でした。
いろいろ話をしてみると、身なりは貧しいが学問があり、なかなかの人物だったようです。

西伯昌(後の周の文王)は、嘗て、父の太公が「やがて立派な人物が現れて、その力でこの国は盛んになるだろう」と語っていたことを覚えていました。
我が太公が久しく待ちんでいた人はこの人に違いないと思い、一緒に連れて帰り、自分の師と仰ぎ、「太公望」と呼んで尊敬したのだそうです。
後に、呂尚は武王(文王の子)を助けて暴君紂王を討ち、天下を統一して周朝創業に尽くしたと言うことです。

この故事にちなみ、日本では釣り好きを「太公望」と呼ぶようになったと言うことです。
因みに、中国では「太公望の魚釣り」(太公釣魚)と言えば、「下手の横好き」と言うニュアンスだそうです。


大儀から「たいぎい」

2017-08-28 | 地元紹介

時代劇をみていると、殿様が家臣に対して「大儀であった」と言っているシーンがよく出てきます。
この「大儀」と言う言葉は朝廷で行われる最も重要な儀式を指す言葉でもあります。
朝廷の重要な儀式や殿さまが使っていた言葉である「大儀」が岡山県を始め広島県や山口県等、中国地方で方言として使われているのです。
今日は私の故郷、岡山の方言「たいぎい」についてご紹介します。

岡山県民は面倒な事を表現する際に「たいぎい」と言う言葉を使うことがあります。
この「たいぎい」の語源は、冒頭に書いたように、時代劇で殿様が「大儀であった」等と言っている「大儀」や「朝廷で行われる重要な儀式」を言う時の「大儀」と同じです。
お殿様の場合は「慰労する言葉」として使われていますが、岡山県の場合は「めんどうくさいこと」や「くたびれてだるくなること」等の時に使われます

朝廷の重要な儀式を指す「大儀」がどうして面倒くさい等の意味になったのでしょうね。
一説には、朝廷で行われる重要な儀式は手間がかかってめんどうなことから、「大儀=面倒」という意味になり、さらに億劫だ、という意味が派生したのではないかと言われています。
この「大儀」については鎌倉時代から「やっかい」とか「めんどう」の意味の使用例が見られるのだそうです。

広辞苑で「大儀」を調べてみると、
①重大な儀式。朝廷の儀式で最も重要なもの。即位礼等。
②軽々しくないこと。費用の多くかかること。
③めんどうくさいこと。骨の折れること。転じて、くたびれてだるくなること。
④他人の骨折りを慰労する語。御苦労。
と説明しています。

辞書の説明に沿えば、殿様がつかう「大儀」は、④に該当し、岡山県の「たいぎい」は大儀が少し変化して③の意味をもって現在まで使用されているようです。
この「大儀」から方言となった「たいぎい」は、実は漢語が方言として使用されている珍しい例なのだそうです。

私の故郷、岡山で昔から使われて珍しい方言とされる「たいぎい」がこのような成り立ちだったとは知りませんでした。
残したい方言の一つですね。


今月2匹目のアライグマ

2017-08-27 | 家庭菜園

一昨日の25日に又もアライグマを捕獲しました。
1週間前の8月17日にも捕獲しており、今回の捕獲が今月に入って2匹目で、昨年に町役場から捕獲器を借り受けてから8匹を捕獲したことになります。
一体、何匹捕獲すれば出てこなくなるのでしょうか?

・8月25日に捕獲したアライグマです。


今月捕獲した2匹はいずれも比較的小さかったので子供のようです。
その前に捕獲した親が子供を産んでいたのかも知れません。

私の畑の隣でリンゴを栽培しているTさんは数個のリンゴをかじられ、植えていたマクワウリは全て食べられて全滅だったそうです。
我が家の被害は前に書いたように、サツマイモが掘られてかじられたり、ブドウが防獣網の継ぎ目から入られて十房ほどが食べられたり落とされたりしました。

子供のアライグマといえども農作物に被害を与えるのは親と同じです。
捕獲したからには容赦しません。
早速、町役場に連絡し引き取りに来てもらいました。
可哀そうだが、このブログを書いている頃は既にあの世に行っているだろうと思います。


「却って」と「反って」

2017-08-26 | 情報

ブログや文章を書く時、どちらの漢字を用いればよいのか迷うことがあります。
先日の事例です。
「反対に」とか「逆に」、あるいは「あべこべに」と言う時の言葉に「かえって」がありますが、「却って」なのか、それとも「反って」なのか迷ってしまいました。
そこで今日はその時調べた結果をご紹介したいと思います。

自分が思っていたのとは反対の結果になった時、「かえって」ということばを使うことがありますが、皆さんは漢字で書くときに、「却って」と「反って」のどちらを使っているでしょうか?
私は「却って」を使っていたのですが、調べた結果、どちらを使っても間違いではないと言うことが分かりました。

ネットに書かれている回答によれば、「反って」がよく使われている小説として川端康成の『雪国』をあげていました。
小説からの引用として1個所だけ書いていたのが次の文章です。

そう言って、気のゆるみか、少し濡れた目で彼を見上げた葉子に、島村は奇怪な魅力を感じると、どうしてか反って、駒子に対する愛情が荒々しく燃えて来るようであった。』

川端康成はこの部分以外にも「かえって」と言う漢字には「反って」を採用しおり、「却って」は用いていないと言うことです。

しかし
、現在では「反って」よりも「却って」の方がよく使われる傾向があるようだと言い、その理由ははっきりしないが、「反」は日常よく使い、字画の少ない簡単な漢字なだけに、なんとなく「予想を裏切って」という場面にはそぐわない、と感じられるのかもしれないと解説していました。

以上のように「かえって」と言う漢字は「却って」と「反って」のどちらを用いても間違いではないと言うことです。
最近の傾向の「却って」を使用するのか、それともノーベル賞作家の川端康成が使用した「反って」を用いるのかは、使用する人の判断に任せられるということです。


健康と運動

2017-08-25 | 情報

健康志向の高まりから運動をする高齢者が増えています。
健康を害して寝たきりになったり、家族の手助けが必要になると、本人も家族も辛いですよね。
「自分の健康は自分で守る!」
しかし、運動が良いからと言って過度な運動は却って体によくないと言われています。
今日は健康によいとされる運動の目安について調べました。

日本生活習慣病予防協会によれば、運動のやり過ぎは心臓病リスクが上昇するので注意が必要とのことです。
運動を行うと、エネルギー摂取量と消費量のバランスが改善され、減量効果が期待できるとともに、運動を続ければ、骨格筋や心肺の機能も向上します。
しかし、運動を一定の量以上やり過ぎると、かえって逆効果になる場合があるということです。

米国のカリフォルニア大学ローレンスバークリー研究所とハートフォード病院のポール・トンプソン氏(心臓病学)がランニング、ウォーキング、サイクリング、サッカー、野球、陸上競技など、さまざまな運動を習慣として行っていて、心筋梗塞などの心臓病を経験したことのある2,400人の男女を対象に調査を行ったところ、1週間に48kmのランニング、あるいは74kmのウォーキングを続けた人では、心臓病のリスクは65%低下したそうです
そして、1週間に5日運動すると、ランニングは1日約10km、ウォーキングは1日約15kmの量にそれぞれ相当するとし、運動量が増えると、心臓病による死亡リスクは低下することが明らかになったということです。

ところが、それ以上の運動をすると、逆に心臓病のリスクは上昇することが明らかなり、運動のやり過ぎはかえって体に悪いことが示されたそうです。
「ランニングやウォーキングは、距離を延ばせばそれだけ恩恵が増すというわけではなく、一定レベル以上、具体的には週48km以上のランニングは、危険性を高めることが示めされたのだそうです。
「健康のために30~40分の活発な運動を毎日続けるべきだと言われていますが、運動量が多ければ良いというものではありません。

先日の新聞にも「過度な運動は体に毒?」と題して気になる記事が載っていました。
それによると、「病気に役立つ適度な運動の目安」として次のように書かれていました。

                   平均歩数((一日当たり)  内、早歩きなど中強度活動時間
・メタボリックシンドローム      1万歩              30分以上
・高血圧・糖尿病          8000歩              20分以上
・がん                 7000歩               15分以上
・認知症・心疾患          5000歩              7.5分以上
・うつ病                4000歩               5分以上

これは群馬県中条町の65歳以上の5000人を17年間追跡した調査でわかったことだそうです。
この中で、運動はすればするほどよいのかと言うと、そうではありません。
激しい運動をすると体内に多くの酸素を取り込もうとします。すると、細胞や遺伝子を傷つける活性酸素が体内に発生します。
その結果、心臓にダメージを与えて不整脈になったり、血管の内側を傷つけて動脈硬化が進んだりする可能性があると言うことです。

まだまだ猛暑が続きます。
炎天下の運動は避けなければなりませんが、朝夕の涼しい時間帯に、上記の運動量を目安として、「自分の健康は自分で守る!」を合言葉に、適度な運動を励行しようではありませんか。

 


敷居が高い

2017-08-24 | 雑学

雰囲気の良いお店などを見つけたとき「あの店は敷居が高すぎて入るのを躊躇してしまう」という表現をすることはありませんか?
実はこの表現は誤用なのです。
この「敷居が高い」という言葉は誤用ランキングのワースト3にも入ると言われている間違いやすい表現なのだそうです。
そこで今日はこの言葉について調べました。

「敷居が高い」を調べてみると、分不相応(自分には合わない)という意味はありません。
敷居が高いの「敷居」とは、ご存知のように、家の門や玄関、部屋の出入口などの引き戸や障子、ふすまなどを開け閉めするために床に設置される溝のついた横木のことです。

この言葉は、もともと不義理や面目の立たないことがあって、その人の家に行きにくいという意味で使われているもので、広辞苑にも、「不義理または面目ないことなどがあって、その人の家に行きにくい」「敷居がまたげない」と説明しています。

例えば、恩師に何の近況も知らせないまま数年が経った時や、お世話になった方に御礼もできないまま御無沙汰をしてしまった時、物を借りて返せないまま時間が経過した時など、相手の顔を見て声を聞きたくても連絡をするのに躊躇してしまうことがありますが、そういうときに使うのが、この「敷居が高い」という表現になります。

では誤用となる「自分には合わない・難しい」という意味で表現したいときには、どんな言葉を使うべきでしょうか?
例えば、「ハードルが高い」「レベルが高い」「分不相応」等が考えられます。
これらの言葉を用いるようにすれば、本来の正しい意味で伝わるのではないでしょうか。

平成20年度に文化庁が実施した国語に関する世論調査では、この「敷居が高い」の意味については、30代以下で誤用が多い結果が示されています。
40代を境に、50代以上では本来の意味である「相手に不義理などをしてしまい行きにくい」55%以上と高く、30代以下では「高級過ぎたり上品過ぎたりして入りにくい」を選んだ人が70%以上と多くなっていました。
50代以上の方でも4割強が誤った認識をしているこの「敷居が高い」という言葉、正しく、誤用ランキングのワースト3にも入ると言われてだけある言葉のようです。
使用時には留意したいですね。


鵬と日食

2017-08-23 | 時事

日本時間の昨日(現地時間8月21日)、アメリカで皆既日食が観測されたニュースが報じられていました。
今回の日食は、ハワイを含む北太平洋の東側と北アメリカ大陸のすべて、南アメリカ大陸の北部、北大西洋地域の大部分、そしてアフリカ大陸の北大西洋沿岸および西ヨーロッパの一部までの広い範囲で見ることができたと言うことです。
この内、アメリカ西海岸のオレゴン州から東海岸のサウスカロライナ州まで、北アメリカ大陸を横断する帯状の地域で皆既日食となったそうです。

日食は、地球と太陽の間に月が入り込んでくることによって、太陽が月に直接隠される現象のことです。
そして太陽全体が隠されるものを皆既日食・見かけ上太陽の中に月がすっぽり収まってしまい、リング状に太陽の光が見える金環日食・太陽の一部だけが月に隠される部分日食の3種類があり、日本では2016年3月9日に部分日食が観測されました。

この日食の現象を古代中国では飛んでいる「鵬(ほう)」が太陽を横切った為に起きる現象だと言われていたそうです。
鵬とは、古代中国の架空の動物で、伝えられるところによれば、背の大きさは数千里、翼は垂天の雲の如く一度に九万里を飛ぶと言う、気の遠くなるような大鳥だそうです。

この怪鳥のルーツは北海の果てに棲んでいる「鯤(こん)」という大魚が化したものだということです。
この鳥がひとたび力を込めて飛び立てば、翼は空一面に立ち込める雲かと思われるくらいで、海面がどよめき動くほどの猛風が吹き起こり、鵬はそれに乗じて北海の涯から南海の涯に飛ぶのだそうです。

斉諧(せいかい)と言う世の不思議を識る人の言葉によれば、鵬が南海に飛び移るには、海水に羽ばたくこと三千里、つむじ風にうち乗って上ること九万里、六ヶ月間飛び続けた後、初めて羽を休めると言います。

このような大きな鳥であるからこそ伝わる伝説も凄まじく、日蝕は飛んでいる鵬が太陽を横切った為に起きる現象という逸話まであるようです。
昨日アメリカで見られた皆既月食は、勿論、「鵬」が太陽を横切ったためではありませんが、科学的に解明されている現在の日食の理論から離れて、鵬が太陽を横切るという古代人のロマンを感じてみては如何でしょうか?


「喝」と「活」

2017-08-22 | 雑学

毎週日曜日のMBSテレビ(毎日放送)の番組にサンデーモーニングがあります。
この番組のスポ―ツコーナーではコメンテーターとして出演者している張本勲さんがよく「喝!」と叫んでその神髄を話してくれます。
ここで言われる「喝!」はその人の「気力が足りない」とか「もっと頑張れる筈」などから励ましの意味を込めて「カツを入れている」のです。
ところが、「カツを入れる」場合の「カツ」は「喝」と言う字ではなく、「活」になるのです。
そこで今日は「喝」と「活」について調べました。

最近では、サンデーモーニングの番組の影響で「活を入れる」と書く場合に「喝」と誤用されていることが多いそうです。
広辞苑には、「を入れる」として、(柔道などで)気絶した人を蘇生させる術を施す。転じて、元気づける。気力を起こさせる。
そして「活」は、いきること。勢いよく動くこと。「死中にに活を求める」と説明しています。
一方、「喝」は大声を出すこと。大声で叱ること。特に、禅宗で励まし叱る時の叫び声。また、大声で脅すこと。と説明しています。

辞書が示すように、「カツを入れる」を「喝」と書くのは誤りで「活を入れる」が正しい使用になります。
「喝」は大声で叫ぶことなのです。

「喝と活」
「喝」自体は、大声そのものなのですが、この「喝」を文字通り「かーつ!」と言って発する人もいれば「ワッ!」とか「ハッ!」とか、いわゆる言葉にならない叫びの場合もあります。
それは、「喝」という言葉が「大声を出す、大声で叱る」という意味だからなのです。

「喝!」は禅の世界でよく用いられてきた言葉です。
禅における「喝」には4種類あるとされています。
(1)相手の迷いや執着を断ち切ってしまう、剣のような「喝!」
(2)相手の思い上がりを粉砕してしまう、ライオンの咆吼(ほうこう:獣が吠える)のような「喝!」
(3)相手の力量を測るために発する、探るような「喝!」
(4)上の3つを包括する、大きな「喝!」
従って、上の4種類にキチンと沿っているなら、「ニャー!」という叫びであっても理屈の上では喝になるのです。

一方「活」は、気絶した人の急所を突いたりもんだりして生き返らすことで、転じて、元気を失った人に元気をつけることです。
そして「活を入れる」は、柔道などの格闘技の世界に由来する言葉で、落ちる(失神・気絶)ことの多い柔道の世界では、絞め技と同時に覚醒させる術も学びますが、そこから、気力を入れて起こす、それが次第に気合いを入れるというニュアンスでも使われるようになり「活を入れる」となったようです。

「結論」

「喝」と「活」は、 禅なら「喝」、
          気合なら「活」と覚えましょう。

気絶した人の意識を取り戻させる術のことを「活」ということから、刺激を与えて、気力を起こさせることを「活を入れる」いい、「喝」は禅宗の僧侶が、座禅を組んでいるとき迷いがみられたり、きちんとした姿勢が保たれていないときなどに、警策(きょうさく)と呼ばれる平たな木の板で肩をぴちゃりと叩きますがこれが「喝」です。
しかし、その事を「喝を入れる」とは言いません。

「喝!」という大声で「活を入れる」のは間違いないのですが、入るのは「活」です。
使い分けに注意したいですね。