らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

食用雑草「スベリヒユ」

2023-07-31 | 家庭菜園

夏の乾燥した畑に、芽を出したらどんどん生長する雑草があります。
家庭菜園をしていると、この雑草の草取りに困ってしまいます。
私はこの雑草を日照り草と言っていましたが、正式な名前が分かりました。
その名は「スベリヒユ」という雑草でした。

この雑草は公園や広場、畑や田んぼの畔など、いたるところに生えていて、特に農業従事者にとっては厄介な害草として嫌われ者の雑草です。
でも、この雑草はギリシャやトルコをはじめ、世界中で野菜として食べられているのだそうです。
私は食べる気がしませんのでそのまま除草しています。
今日は雑草「スベリヒユ」について調べました。

・からからに乾いた畝にびっしり生えた「スベリヒユ」です。


「スベリヒユ」
スベリヒユはナデシコ目、スベリヒユ科、スベリヒユ属の雑草で、日本では地域によっては古くから食用にされており、漢方薬としても知られています。
特に近年では、ω-3(オメガスリー)脂肪酸を多量に含む植物ということで、その栄養素と効能が注目されているそうです。
オメガスリー脂肪酸とは、ニシン・サバ・サンマなどの青魚のDHAなどに含まれている脂肪酸の一種で、植物ではゴマ、クルミなどにも含まれており、その効能は動脈硬化や血栓を防ぎ、血圧を下げるほか、LDLコレステロールを減らすなど、さまざまな作用があるようです。

・畑に生えている雑草「スベリヒユ」です


スベリヒユは世界の熱帯から温帯にかけて幅広く分布しており、日本では全土で見ることができます。
乾燥にとても強く、道端や公園、広場などの日当たりのいい場所に自生しています。
また畑などでは抜いても抜いてもすぐに生えてくる害草として知られている嫌わものの雑草です。

・畝は乾燥でひび割れしていますが「スベリヒユ」は青々と繁茂しています。
 野菜の苗だったら、これだけ乾燥していると枯れてしまいます。

「食用雑草」
スベリヒユは食べられる雑草です。
夏から秋にかけて枝先に黄色の小花を数個つけますが、開花の前でも、後でも、どちらでも食用になり、種子も食べられるようです。
山形では「ひょう」、沖縄では「ニンブトゥカー」と呼ばれ、葉物野菜の不足する夏に重宝される野菜として食用となっているそうです。

また、スベリヒユは西暦500年頃から漢方薬として利用されており、その健康効果は、抗菌作用、抗炎作用、抗アレルギー作用があり、他にも、オメガ3脂肪酸も含まれていて、薬草、健康食としての側面を持っているということです。


夕立は馬の背を分ける

2023-07-29 | 雑学

大阪南部の熊取地方は今月に入って殆ど雨が降っていません。
家庭菜園をしているのですが、畑はカラカラに乾いていて、毎日の水遣りの水の確保に困っています。
いま、来年用のイチゴの苗作りをしているのですが、乾燥から苗が枯れ始めました。

ひと雨ほしいのですが、その気配は全くありません。
一昨日も一昨昨日も夕方4時前ごろから、夕立雲の黒い雲が沸き上がりましたが、その雨雲は1~2時間で東の空へ去っていき、一粒の雨ももたらしてくれませんでした。
雨が欲しい時には降ってくれず、降らなくてもよい時に災害を引き起こすような豪雨をもたらす。天候は、人の都合の良いようには移り変わってくれませんね。

「夕立は馬の背を分ける」
ところで、夕立と言えば次の諺があります。

  「夕立は馬の背を分ける」です。

意味は、夏の夕刻、さっとやってくる夕立は局地的で、限られたごく狭い地域に降るという事です。
夕立は馬の背を中心に片側を濡らしても、片側には降らないというほど、極端な降り方をすることから、このように言われています。
この諺に当てはめると、当地の夕立雲の発生も、馬の背の雨が降らない方の側に発生したのかも知れません。

私は過去にこの現象を経験したことがあります。
車を運転中の出来事です。
突然、黒雲が広がったかと思うと、瞬く間に大雨となりました。
ワイパーを最速にしても前方が見づらいほどの激しい雨でした。
しかし、500~600メート先に進むと突然雨は上がり、お日様がさしているのです。
馬の背を超えて反対側に出たと実感しました。

この状況を詠んだ古川柳があります。

 「夕立は馬を半分ぬらすなり」

「白雨」
また、夕立の別名には、「白雨(はくう)」があります。 
白雨の名前の由来は、突然の雨脚の激しさによって降ってる雨が白く見えることからで、雲が薄くて明るい空から降る雨から名付けられた別名です。 

当地の今年の7月は、気温もさることながら、雨が降らないことにお手上げです。
雨を降らせる神様である「竜神」様にお願いします。
どうか、大阪南部の熊取地方にひと雨降らせてください。
この願いが通じることを祈ります。


学校の掃除とチューラパンタカ

2023-07-27 | 雑学

学校では生徒たちが協力して掃除をしています。
今日はその由来を調べてみました。

「学校の掃除の由来」
室町時代はお寺で学問を教え、仏教のお経を通して人の道を説き、掃除をすることが修行の一つでした。
仏教では、根本説一切有部毘奈耶雑事(こんぽんせついっさいうぶびなやぞうじ)」に登場するお釈迦様の弟子チューラパンタカの逸話から、掃除をすることが修行のひとつとなっており、それがお寺の学校で取り入れられ、江戸時代の寺子屋にも引き継がれて、現在でも学校の掃除が習慣になっているのだそうです。

「チューラパンタカの逸話」
むかし、お釈迦様の弟子に2人の兄弟がいました。
賢く努力家な兄は「マハーパンタカ」で、お釈迦様の教えをよく理解し、深く仏教に帰依していました。
物覚えの悪いダメな弟は「チューラパンタカ」といい、ものを覚えるのが大変苦手で、お経は勿論、自分の名前すらも覚えられず、周りの弟子たちから、いつも馬鹿にされていました。
兄は弟を心配し、お釈迦様から聞いた教えを短い詩にまとめて、何とか弟に覚えさせようとしますが、朝には覚えられたと思っても、昼にはもうごちゃごちゃになってしまうのです。

そんな、ダメな弟にしびれを切らした兄は、チューラパンタカに対し、お前にはお釈迦様の弟子はつとまらないので、このお寺を去って父と母の元へ帰るように言ったのです。
お釈迦様の下で修業を続けたいチューラパンタカは、兄の厳しい言葉にショックを受け、お寺の前で泣いていました。

そこへお釈迦様が現れて言いました。
「自分が愚かであることに気付いている人は、智慧ある人なのです。愚かであるのに自分は賢いと思っている人こそ、本当の愚か者なのです。」
そして、1本のほうきを渡して、「塵(ちり)を払わん、垢(あか)を除かん」「この言葉を唱えながらお寺を掃除しなさい」と教えました。

翌日からチューラパンタカは、その言葉を一心に唱えながら、お寺を掃除したのです。
来る日も、来る日も、繰り返しその言葉を唱えながら掃除をして、3年が過ぎたある日、チューラパンタカは、ハッと気づきました。

毎日、毎日掃除しているのに、全然、塵や垢はなくならない。
「そうか! これは心の塵、心の垢と同じなんだ! どんなにキレイにしても心に塵や垢は出てくる。だから、これからも毎日心を磨き続けなくてはならないのだ!」と。

古いお経にはチューラパンタカは天眼を得たと書かれてあるそうです。
つまり、彼は悟りを得たのです。
チューラパンタカは悟りを得て賢くなったのではありませんでした。ましてや、仏法を教える側の先生になったのでもありません。
彼は仏法に教えられながら、教えを我が両眼として、一生涯を生きていく人となったのでした。
お釈迦様は言いました。
「悟りには多くのことを学ばなければいけないというのではないのです。ほんの短い教えの言葉であっても、その言葉の本当の意味を理解し、道を求めていくならば、悟ることができるのです。」と。

こうして、チューラパンタカは、他の人のお手本となるような立派な人物になったのでした。

「寺から学校へ」
このチューラパンタカの有名な逸話もあって、仏教では掃除をすることが修行のひとつとなったのだそうです。
それが、お寺の学校で取り入れられ、子どもたちは掃除をするようになり、これが江戸時代の寺子屋から、更に、明治から現在に至るまでの学校に引き継がれて、日本の学校では、掃除をするようになったという事です。
また、現在では「子どもたちが協力して生活していく」という教育目的でも、学校の掃除が行われているということです。


祇園祭の祭花「ヒオウギ」

2023-07-25 | 

我が家では、いま鉢植えのヒオウギが一輪咲いています。
以前はたくさんの株があったのですが、増え過ぎたという事で、家内が抜いてしまいました。
残した一株が咲かせた花が、今日取り上げている一輪です。

「ヒオウギ」
ヒオウギはアヤメ科アヤメ属の多年草で、日本では古くから親しまれ、栽培されてきました。
原産地は日本、中国、台湾、インド北部で、日本では本州、四国、九州、沖縄に分布しています。
京都では、いま祇園祭が行われていますが、この祭りの時期にはヒオウギが生けられたり、軒先などに飾られるそうです。

ヒオウギという植物はとても古くから日本の人々に愛でられ、万葉集にも登場しています。
しかし万葉集にはヒオウギという名前ではなく「射干玉(ぬばたま)」という名で詠まれています。
「射干玉(ぬばたま)」とは、ヒオウギの実のことで、その実は漆黒のつやつやとしていることから、「夜」「闇」「黒髪」などに掛かる枕詞として万葉歌人に詠まれています。



「ヒオウギ伝説」
ヒオウギには伝説があります。
太古の神代の時代、田作りを始めようとしていたある春の日に、田の神である「大地主神(おおなぬしのかみ)」が百姓たちに牛肉をふるまって食べさせました。
それを聞いた豊作をもたらす神である「御歳神(みとしのかみ)」は、怒ってイナゴを田んぼに放ちました。
苗葉はイナゴに喰われてたちまち枯れてしまい、篠竹のように弱弱しくやせ細ってしまいました。

占いで、その原因が御歳神の祟りであるという事を知った大地主神は、「白猪(しろい)・白馬・白鶏を献上して怒りを鎮めよ」という宣託を受けます。
宣託の教え通りの品を献上し、御歳神に謝罪すると、御歳神の怒りは収まり、「烏扇(檜扇)で扇いでイナゴを祓え」という宣託を受けました。
そして、その教えの通りにすると稲の葉は又いきいきと茂りはじめ、秋には豊作になったということです。

・これが扇子の檜扇です。(ネットより)


「檜扇」
「檜扇」は、宮廷装束の装身具で、檜でできた扇です。
豪華な絵付けが施されていたり、五色の色が通されていたりと華やかで、儀式や舞に使われました。
私たちに身近なところだと、お雛様が持っている扇が、女性用の檜扇です。
ヒオウギの花はこの檜扇に似ていることからその名で呼ばれるようになったという事です。

「祇園祭の祭花ヒオウギ」
先の伝説に登場するイナゴを祓ったのが檜扇です。
古代に、檜扇は悪霊退散に用いられたことから、怨霊の怒りを鎮めるために始められた祇園祭には特に“祭花”として檜扇が欠かせないものとされてきました。

平安時代の『古語拾遺』という、『日本書紀』や『古事記』などの神話(古語)に収められなかった話を拾い集めた(拾遺)という歴史書の中には、厄災が村を襲った際に、ヒノキでできた扇「檜扇」で扇ぐととたちまち村が元通りになったという話が残っています。
その檜扇と似ていることから同じ名前で呼ばれるようになったヒオウギは病気にかかりにくく、葉も長持ちするため、縁起物・魔除けの花として重宝されてきました。
その檜扇が、怨霊の怒りを鎮めるために始められた祇園祭と結びつき、7月の京都に欠かせないお花になったという事です。



祇園祭の”祭花”である檜扇。
いま全国的にコロナ感染がジワリ、ジワリと増加しつつあります。
第9波が来る前に、檜扇でコロナを祓いたいですね。


「流しそうめん」と「そうめん流し」

2023-07-23 | 雑学

関西は20日に梅雨明けの発表がありましたが、その前から毎日暑い日が続いています。
暑い日には「流しそうめん」が美味しくて、涼しさをもたらしてくれますよね。
最近では家庭で流しそうめんができる「家庭用流しそうめん器」が売られているようです。
お家で行えば、小さなお子さんたちは喜ぶでしょうね。

「流しそうめんの由来」
流しそうめんの発祥地は宮崎県の高千穂町で、始まったのは1955年(昭和30年)と、まだ70年弱の意外に新しい食べ方です。
考案されたきっかけは、暑い夏の野良仕事の際に野外でそうめんを茹で、竹と高千穂峡の冷水を利用して涼を得た光景から、思いついたと言われています。

流しそうめんの元祖と言われている高千穂町の食堂経営者は、近所の人が夏に屋外でそうめんを茹で、それを近くの名勝「高千穂峡」の冷水を使って冷やしたことがヒントになったという事で、竹を割って流水で運ぶやり方を考案し、メニューに加えました。
お客様からは「涼しいし、競い合って箸ですくうのも楽しい」と評判になっていったという事です。



「流しそうめん」と「そうめん流し」
流しそうめんとよく似たものに「そうめん流し」があります。
「そうめん流し」とは、ドーナツ型のそうめん流し器に水とそうめんを入れ、水流によってそうめんを流す方法で、鹿児島や宮崎県の一部で主流の食べ方だそうです。
その違いは、宮崎の高千穂町の「流しそうめん」が竹を使って「縦」に流すのに対して、回転式の装置によって「丸」に流すのが、「そうめん流し」ということです。

「鹿児島県のそうめん流し」
鹿児島ではそうめん流しはとてもポピュラーな食べ物で、そのルーツは鹿児島県指宿市にある『唐船峡(とうせんきょう)』という場所です。
唐船峡は指宿市にある渓谷で、池田湖の南西に位置しています。
その唐船峡には「市営唐船峡そうめん流し」「長寿庵 開聞唐船峡店」「鱒乃家(ますのや)」という3つのそうめん流しの専門店があり、最も古い歴史を持つのが「市営唐船峡そうめん流し」で1962年(昭和37年)の創業だそうです。

・唐船峡の「そうめん流し」です。(ネットより)


「回転式そうめん流しの発祥」
唐船峡は回転式そうめん流し発祥の地で、今では全国から年間20万人の利用者が訪れるという事です。
そうの発祥は昭和37年で、川上の湧水を利用し、竹桶で作ったソーメン流しがスタートしました。
昭和45年には回転式そうめん流し器の意匠登録をして、全国1号のそうめん流し発祥の地となりました。
おいしくて、涼しげで、みんなで楽しめる回転式「そうめん流し」はこうして鹿児島県内に普及していったということです。

「流しそうめん」も「そうめん流し」も同じように思えますが、発祥地の宮崎県や鹿児島県では矢張りこだわりがあるのでしょうね。
いずれにしても、夏は冷たい水で冷やされたそうめんは美味しいですよね。


天童市と将棋の駒

2023-07-21 | 雑学

将棋の藤井聡太七段は強いですね。
先日行われた『棋聖戦』五番勝負の「第4局」で、藤井聡太七冠が84手で佐々木大地七段に勝利し、3勝1敗で『棋聖』タイトルを守って4連覇しました。

現在、藤井聡太七段は将棋の8タイトルのうち7つのタイトルを保持しており、残るは「王座」のみとなっています。
その「王座」の挑戦者決定戦が8月4日に豊島九段と藤井七冠の間で行われます。
勝った方が挑戦者になるのですが、藤井聡太七冠が勝てば挑戦権を得て、現在「王座」のタイトル保持者・永瀬王座と対戦することになります。
そして藤井聡太七冠がもし王座のタイトルを獲得すると、前人未到の“八冠”を達成することになります。

「8大タイトル保持者一覧」
さて、将棋界には8大タイトルがあるのはご存じの通りです。
2023年7月19日現在、藤井聡太七冠は下記のとおり「王座」を除く7つのタイトルを保持しています。
 ・竜王 藤井聡太
 ・名人 藤井聡太
 ・王位 藤井聡太
 ・王座 永瀬拓矢
 ・棋王 藤井聡太
 ・王将 藤井聡太
 ・棋聖 藤井聡太
 ・叡王 藤井聡太



ところで、将棋と言えば駒を交互に動かして戦うゲームですが、その駒は山形県の天童市が生産量の殆どを占めています。
何故なのでしょうか?
今日は将棋の駒と天童市の関係を調べてみました。

「天童市と将棋の駒」
将棋駒が天童市で生産されるようになったのは江戸時代後期です。
当時、財政難に苦しんでいた天童織田藩が、困窮を救済するために織田藩に伝えられていた将棋駒の製法を下級藩士たちに奨励したのが始まりと言われています。
当時、天童織田藩の財政は非常に厳しく、下級武士は俸禄だけでは食べていけない状態であったことから、織田藩家老の吉田守隆は将棋駒作りを奨励しました。
その結果、幕末頃には天童伝統の草書体による書き駒の基礎が築かれたそうです。

明治に入ると、駒づくりが本格的な産業として確立されました。
大正時代には、駒木地を製造する機械をいち早く開発し、大阪と並ぶ大量生産地になりました。
街を挙げての分業体制を作り上げ、昭和初期には生産数で大阪を追い越し、生産量日本一となり将棋の街と呼ばれるようになりました。

現在は、彫駒を中心に、押し駒・書き駒・彫埋駒・盛上駒の5種類を製作しており、大衆駒から中高級駒まで、あらゆる駒を作る生産地となっています。
そして、全国に普及している将棋駒の約9割が天童市で生産されているということです。


木彫りの熊の由来

2023-07-19 | 雑学

昔、北海道旅行をした時、サケをくわえた木彫りの熊が土産店で売られていました。
私は別の木彫り製品を土産に買ったのですが、当時は北海道の土産と言えば木彫りの熊の置物が代名詞のように言われていたように思います。
今でもまだ人気のお土産なのだと思いますが、でも、この木彫りの熊は一体だれが考えたのでしょうか?
今日は北海道の木彫りの熊の由来について調べました。

「木彫りの熊の由来」
木彫りの熊の発祥地は函館から1時間半くらいの八雲町だと言われています。
町内には記念碑も建てられており、至る所で木彫りの熊を見ることができるということです。
しかし、木彫りの熊は日本人が考案したものではないそうです。

八雲町は明治維新後、尾張徳川家の旧藩士らが開拓した町です。
19代当主の徳川義親(よしちか)は越前松平家に生まれ、後に尾張徳川家の養子となりました。
その義親は頻繁に八雲を訪れ、熊狩りに興じながらも、貧困な農民の姿に心を痛めていたようです。

・義親がスイスから持ち帰った熊です。


義親は、厳冬の冬に仕事が出来ずに収入が減ってしまう町内の農民に土産物用の木彫りの熊の製作を勧めました。
木彫りの熊は、1922年(大正11年)新婚旅行で訪れたスイスで、農民たちが観光客のために作っていたペザントアート(農民美術)が売られていたのを一目見て「農民たちの副業にちょうどいい」と思いつき、いくつも買って持ち帰りました。
そして、農民たちはスイス製の置物を見本にせっせと熊を掘り始めました。
昭和初期には年間5000体もの木彫りの熊を生産するに至り、すっかり八雲町の名物になっていたのだそうです。

戦時中は贅沢品と非難され存亡の危機に瀕しましたが、数名の職人が細々と製作を続けました。
こうして八雲町の名産品になった木彫りの熊は、100年余り脈々と受け継がれたスイス生まれの伝統工芸品になったという事です。



木彫り熊は、昭和30~40年代の北海道観光ブームで全国に普及しました。
一説には「世界で一番売れた彫刻品」と言われるほどの人気があったということです。


「丸亀うちわ」と「左うちわ」

2023-07-17 | 雑学

嘗て、職場の1年後輩に香川県丸亀市出身のS君がいました。
彼が夏休みで帰省した時などに、職場の全員に丸亀土産として団扇を配ってくれたのですが、
その彼曰く、「丸亀は、うちわ(団扇)の生産が日本一なんやでぇ。」と、自慢していたことを今でもよく覚えています。

「丸亀うちわ」
S君が言っていたように、丸亀市は日本一のうちわの産地です。
丸亀市のHPによれば、丸亀うちわの技術は、江戸初期までにすでに確立していたものと考えられているということです。
その後、金刀比羅宮参拝の土産物として、男竹丸柄(おだけまるえ)で朱赤に丸金印の渋うちわが考案され、天明年間には丸亀京極藩士が女竹丸柄(めだけまるえ)うちわの技術を習得し、藩も藩士の内職に奨励したため、うちわづくりが急速に広がりました。
天保年間には、丸亀港が金毘羅船の発着で賑わい、土産物のうちわが飛ぶような売れ行きを見せていったことから、全国に丸亀うちわの名声が高まっていきました。

丸亀うちわは一本の竹で柄と骨が作られているものが多く、1997年(平成9年)5月には経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定されています。
現在は年間1億本以上生産されており、うちわの国内シェアの9割を占めている日本一の生産地です。

「丸亀うちわと京うちわの違い」
丸亀うちわと京うちわの決定的な違いはその作りにあります。
・丸亀うちわが柄と骨が一体であるのに対し、
・京うちわは「挿し柄」といって あとから柄を差し込んで作る工法です。

また、現在、丸亀うちわの主流となっているのが、竹を割って平らに削った柄の「平柄うちわ」ですが、平らに削る技術が広まるまでは、竹を丸い状態のまま柄にしたうちわが多く、細い竹や笹で作ったものを「女竹丸柄うちわ」、太い竹で作ったものが「男竹丸柄うちわ」と呼ばれています。

・丸亀うちわ(ネットより)


「うちわは打ち羽」
うちわは一説には「打ち羽(うちわ)」からと言われ、元々は羽を使ってハエや蚊などの害を打ち払うことを指す「打ち」という言葉と、その道具である「」を組み合わせてできた言葉が語源とされています。
そして、害を打ち払うという行為にはハエや蚊などの虫だけではなく、病魔などの害を撃ち払う魔除けの意味合いも含まれていたそうです。



「漢字の団扇の由来」
でも「うちわ」を漢字で書くと「打羽」ではなく、「団扇」なのは何故なのでしょうか?
この団扇という漢字は、もともとは中国で使用されていた中国の言葉です。
 中国語で丸いという意味である「」という漢字と、観音開きの開閉の際に風が生じる様子を表した「」という漢字2文字で、中国では「団扇」と呼ばれていました。
日本では当初「打羽」という漢字が使われていましたが、次第に団扇が使用されるようになったことが「団扇」という漢字の由来のようです。

「左うちわ」
ところで、団扇といえば「左うちわ」という言葉があります。
左うちわとは、広辞苑には、左手で団扇を使う事。安楽な暮らしの境遇の例えと説明しています。
この語源は、一般的に右手が利き手であることが前提です。
利き手ではない左手で団扇を扇ぐ様子は、ゆったりとして、あくせく働く必要がないように見えたことから、働かなくても余裕があり裕福な人のことを指して用いられたことから、この言葉が生まれたと言われています。


フィッシング詐欺に注意

2023-07-15 | 消費者問題

フィッシング詐欺が急増しており、総務省などが注意を呼び掛けています。

「フィッシング詐欺」
フィッシング詐欺とは、送信者を詐称した電子メールを送りつけたり、偽の電子メールから偽のホームページに接続させたりするなどの方法で、クレジットカード番号、アカウント情報(ユーザID、パスワードなど)といった重要な個人情報を盗み出す行為のことを言います。

最近、被害が拡大しており、2022年9月にフィッシング対策協議会が発表したフィッシング報告件数は102,025件と、前年同月の報告件数である49,953件を大きく上回っています。
その多くが知名度の高い上場企業など実在の企業や組織の名を騙って、EメールやSMSでその企業を模した偽サイトに誘導する手口です。
 電子メールの送信者名を詐称し、もっともらしい文面や緊急を装う文面にするだけでなく、接続先の偽のWebサイトを本物のWebサイトとほとんど区別がつかないように偽造するなど、どんどん手口が巧妙になってきており、ひと目ではフィッシング詐欺であるとは判別できないケースが増えてきているようです。
  
「手口」
フィッシング詐欺の手口としては以下のようなものが挙げられます。(総務省のサイトより)
・電子メールでフィッシングサイトに誘導
  典型的な手口としては、クレジットカード会社や銀行からのお知らせと称したメールなどで、巧みにリンクをクリックさせ、あらかじめ用意した本物のサイトにそっくりな偽サイトに利用者を誘導します。
 そこでクレジットカード番号や口座番号などを入力するよう促し、入力された情報を盗み取ります。

・電子掲示板などの情報でフィッシングサイトに誘導
 電子メールだけではなく、電子掲示板やSNSの投稿サイトに、URLを記載してアクセスさせ誘導する手口です。

・表示されているURLを本物のURLに見せかけてアクセスさせる手口
 電子メールや電子掲示板に投稿されたURLを実在するURLに見間違えるような表示にすることで誘導する手口です。
  例えば、アルファベットの一文字の(オー) o を数字の 0 にしたり、アルファベットの大文字の(アイ) I を小文字の(エル) l にしたりして、閲覧者が見間違えたり、信用させたりする手口もあります。

「対策」
対策としては、以下の点に注意しましょう。
①金融機関のID・パスワードなどを入力するWebページにアクセスする場合は、金融機関から通知を受けているURLをWebブラウザに直接入力するか、普段利用しているWebブラウザのブックマークに金融機関の正しいURLを記録しておき、毎回そこからアクセスするようにするなど、常に真正のページにアクセスすることを心がけましょう。

②通常、インターネットバンキングへのログインやクレジットカード番号などの重要な情報の入力画面では、SSLという暗号化技術を利用します。
重要な情報を入力するWebページでは、SSLが採用されているかを毎回確認するようにしましょう。
SSLで通信が行われていることは、WebブラウザのURL表示部分(アドレスバー)や運営組織名が緑色の表示になっているか、鍵マークが表示されているか、などで確認できます。
重要な情報の入力を求めるページで、SSLが使用されていない場合は、まずはフィッシング詐欺を疑いましょう。

③金融機関などの名前で送信されてきた電子メールの中で、通常と異なる手順を要求された場合には、内容を鵜呑みにせず、金融機関に確認することも必要です。

④フィッシング詐欺であるかどうか判断が難しい場合には、メールの送信元の会社に連絡をしてみるのもよいでしょう。
ただし、電子メールに記載されている相手の情報は正しいものとは限らないため、電話をかける場合には必ず正規のWebサイトや金融機関からの郵便物などで連絡先の電話番号を調べるようにしてください。

「注意」
以下のような内容のSMS/メールを受信した場合、フィッシング詐欺を疑ってください。
・不正利用や高額料金の発生など、不安を煽りリンク先URLや電話番号への性急なアクセスを促す内容
・送り状番号などの必要な情報がない荷物の不在通知
・Amazon.co.jpなどのネット通販事業者、弁護士事務所、債権会社などを装った、身に覚えのない料金未払いに関する連絡
・身に覚えのない当選通知
・台風、地震などの大規模災害発生時に義援金を募るような内容

「フィッシング詐欺の被害から自分を守る主な3つの対策」
①メールに記載されているURLは安易にクリックしない
②PCやスマホなどのデバイスを安全な状態に保つ
③送信ドメインが正しいか確認する

急いで何か行動させようとか、急(せ)かすような文章はフィッシングサイトの可能性があります。
十分ご注意ください。
私のスマホにはSMSで「お荷物をお持ちしましたが不在でした」「お得なお知らせです」「当選おめでとうございます」等のショートメッセージがよく届きます。
いずれも身に覚えがないものなので、無視してそのまま削除しています。


「晴れ祈願の寺・生蓮寺」

2023-07-13 | 情報

今年もまた、梅雨の終盤になって九州や中国地方で豪雨による河川の氾濫や土砂崩れなどで家屋や人的な被害が発生しています。
特に7月10日の明け方以降、福岡県、佐賀県、大分県で線状降水帯が相次いで発生し、記録的な大雨となり甚大な被害が発生しました。
被災された皆様には心からお見舞い申し上げます。

ところで、雨と言えば、昔からてるてる坊主を吊り下げて晴れを祈願したものですが、梅雨末期の線状降水帯は、「てるてる坊主」でも止めることができないようですね。
ところが先日、奈良県五條市の生蓮寺が晴れ祈願のお寺として知られているとのニュースが報じられていたのでご紹介します。

「晴れ祈願の寺・生蓮寺」
生蓮寺(しょうれんじ)は弘法大師空海が旅の途中に立ち寄り、晴天を願ったと伝えられている全国でも珍しい「晴れ祈願」の寺として知られています。
境内のあちらこちらに吊るされている「てるてる坊主」は全国各地から贈られてきたものであり、その数は8年ほど前から徐々に増えていき、今では1年間に1500体ほどが届くようになったということです。

・NHKニュースより


「生蓮寺のご利益?」
今年5月、生蓮寺の晴れ祈願のルーツである弘法大師の生誕祭を取り仕切る高野山の実行委員会の人達が、このお寺に晴れ祈願に訪れました。
弘法大師が生まれてから1250年という記念の今年、祭りを大成功に導くため、何としても晴れにしたいというのが実行委員会の願いであり、委員会の責任者は、「その日はどうしても晴れて頂きたい、ということで、誰かにすがりたいという思いで、このお寺にお参りに来させていただきました。」
と話していました。

住職は、「プレッシャーがかかりますが、必ず晴らせます」とお経を唱えていました。
とは言え、季節は梅雨真っ只中、住職に勝算がある訳ではなく、「梅雨の時期の晴れ祈願というのは正直、どう考えても厳しいですよね」「しかも、いま台風が来ているんですよね」と厳しい表情で話していました。

そんな中でのお祭り当日、祭りの開始1時間前は、雨量30ミリに相当する激しい雨が降っていました。
しかし、住職が奈良県五條市から高野山に駆けつけると、住職の到着に合わせて、雨が見事に上がったのです。
祭は順調に進み、大勢の観光客で賑わった、という事です。

晴れを願った祭の責任者は、
「上がりましたね。見事に雨が上がりましたね。」
「雨は落ちていないですよね。大丈夫です。十分です。」
「住職、有難うございました。」と。

奇跡は起こるものですね。
ご住職のお祈りが通じてよかったですね。