らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

チャチャチャは素晴らしい(江利チエミ)

2022-02-27 | ナツメロ

先日、テレビを観ていると、昭和30年代のシーンの中のラジオから懐かしい曲が流れていました。
年配の皆様は多分ご存じだと思います。

そのメロディとは、
♪あなたも私もチャチャチャ
 チャチャチャは素晴らしい
という、軽快な曲です。

題名を思い出せなかったので、ネットを調べてみました。
そうでした。
江利チエミの「チャチャチャは素晴らしい」と言う曲でした。
昭和30年代にヒットしたコミカルな曲です。

江利チエミのこの曲が発売されたのは昭和30年11月でした。
当時、ラジオから流れるこの曲をよく聴きました。
余りにも懐かしかったので、アップすることにしました。

ご存知の方は当時を懐かしみながら、そうでない方は、戦後10年余り経った頃の昭和を想像しながら、どうぞお聴きください。

チャチャチャは素晴らしい(江利チエミ)
]

「歌詞」
ほんとに大好きチャ・チャ・チャ
誰でも彼でも踊り出す
あなたもわたしもチャ・チャ・チャ
チャ・チャ・チャは素晴らしい
騒ぎに驚いて
おっとりがたなのおまわりさん
人垣かきわけ飛びこんだが
つられて自分も踊り出す
Quando sugiero que Cha Cha Cha,
Todo que estaba vino a bailar.
Quando sugiero que Cha Cha Cha,
Todo que estaba vino a bailar.
El policia que estaba
El cenanclo cambiando,
Al sentir el Cha Cha Cha,
No solto y salio bailando.
ほんとに大好きチャ・チャ・チャ
誰でも彼でも踊り出す
あなたもわたしもチャ・チャ・チャ
チャ・チャ・チャは素晴らしい
今にも死にそうな
よぼよぼのおばあさん
だんだん浮かれてチャ・チャ・チャ
昔にかえって踊り出す
ほんとに大好きチャ・チャ・チャ
誰でも彼でも踊り出す
あなたもわたしもチャ・チャ・チャ
チャ・チャ・チャは素晴らしい
中風のおじいさん それを見て渋い顔
それでもしまいにゃチャ・チャ・チャ
おーッとあぶない そらこけた

Quando sugiero que Cha Cha Cha,
Todo que estaba vino a bailar,
Quando sugiero que Cha Cha Cha,
Todo que estaba vino a bailar,
Todo que estaba vino a bailar.

 

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折檻の由来

2022-02-25 | 時事

最近、親が我が子に、或いは後妻や同棲している愛人の子供に、躾と称して虐待を繰り返す報道をよく見ます。
虐待を受けた子供は、最悪の場合、死に至ることがあります。
何故、幼い子供を虐待しなければならないのでしょうか?

ネットに次のような記事がありました。
小学校に入学したばかりのA子ちゃんが自宅のベッドで死んでいるのが見つかりました。
死因は脳内出血で、警察は「折檻」が原因として父親を傷害致死の疑いで逮捕しました。

この事件の経緯は省略します。
A子ちゃんは生まれてからの殆どを施設で暮していたのですが、小学校入学のために4月初めに家庭に引き取られました。
しかし、小学校に入学手続きをとっただけで、1日も通学せずに今回の事件となり、薄幸の生涯を閉じたのです。

「折檻」が原因で小さな子供の命が絶たれました。



でも、「折檻」とはどのような行為なのでしょうか?
その語源を調べました。

「折檻の本来の意味」
日本語では、折檻とは、親が子供を厳しく叱ったり、懲らしめの体罰を加えたりすることを意味する言葉ですが、本来の意味は目上の非を認識させるために正しい意見を言うことなのです。

「語源」
折檻の「檻」は欄干、つまり手すりという意味で、本来は「手すりを折る」ことです。
その由来は中国の『漢書・朱雲伝』の故事に由来します。

「故事」
前漢(紀元前206年 - 8年)の時代、朱雲は第12代皇帝・成帝(在位:前33年8月~前7年4月)に、成帝の学問の師である張禹(ちょうう)の専横振りを諫めるために謁見を求めました。
そして、大臣たちの前で「今、朝廷の大臣は主を正すことも民を助けることもできず、地位にふさわしくありません。願わくば私に秘蔵の斬馬剣を賜り、佞臣(ねいしん:主君にこびへつらう家来)一人を斬って他の者の目を覚ませてやりたいと思います」と述べました。
成帝が「それは誰だ?」と聞くと「安昌侯張禹であります」と答えたため、成帝は「小物が上をそしり、公に皇帝の師匠を辱めるとは、死罪である」と怒り、役人に朱雲を連行させようとしました。
朱雲は宮殿の欄檻(欄干)につかまって抵抗したため欄檻が折れてしまったのです。

朱雲は「私は死んでも黄泉の世界で関龍逢や比干(いずれも主君に対し諫言をした事で有名な家臣達)に従うことができればそれで十分ですが、陛下が何と言われるかはわかりません」と叫びました。
朱雲は連行されたのですが、左将軍辛慶忌がこの狂直の者を誅殺すべきではないと命を賭けて諌めたため、成帝の怒りも解けて許されました。

そして、欄檻を修理する際、成帝は「欄檻は交換してはいけない。元のものをつなぎ合わせてわかるようにし、直臣を顕彰するのだ」と命じたのです。
これが「折檻」という言葉の由来となりました。

この故事から、正当な理由を以って厳しく諌めることを「折檻」というようになったのですが、それが日本では、懲らしめのために体罰や虐待を行うことを意味するようになったのです。

このように「折檻」の本来の意味は、目上の非を認識させるために正しい意見を言うことなのですが、実際には難しいでしょうね。
しかし、幼い子供への「折檻」はやめてほしいものです。

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雨水の雛飾りは良縁?

2022-02-23 | 季節

2月19日は、24節気の2番目の節気「雨水(うすい)」でした。
雨水とは、「厳しかった寒さも次第に緩み、空から降るものは雪から雨に変わり、暖かい陽気になって雪や氷が溶けて水になる」と言う意味で、忍び寄る春の気配に草木が蘇る頃と言われています。
しかし今年は雨水に入ってからも全国的に厳しい寒さが続いています。

今年の雨水の期間は、2月19日から次の節気「啓蟄」の前日である3月4日までです。
そして、その前日は五節句の一つ「上巳(じょうし)」の節句です。

「上巳の節句」は桃の節句、ひな祭りともよばれ、女の子のいる家庭では、雛人形をその子の形代と考えて、「どうぞ災いが降りかかりませんように、また、美しく成長してよい結婚に恵まれ、人生の幸福を得られますように」という、あたたかい思いを込めて飾ります。
その雛人形は雨水に飾ると良縁に恵まれるのだそうです。
そこで今日はその理由を調べてみました。

「理由」
雨水にひな人形を飾るのがよい理由には諸説あるようですが、その一つに日本の神話からと言う説があります。
雨水の頃は、暖かくなって雪が溶け、農耕の準備を始める目安の日とされています。
雪解け水が流れる川は、昔、女性たちが、炊事や洗濯で集まる場所でした。
その水は、生命を支え育てるということから、命の源であるとされ、母と考えられていました。

古事記に出てくる弥都波能売神(みづはのめのかみ)は日本における代表的な水の神(水神)で、美しい乙女の姿をしているとされています。
民間信仰における井戸の神さまともされ、越前(福井)では紙漉きの神さまとして信仰されています。
そして、「水 = 母神と考えられるようになり、雛人形を飾る日は雨水というようになったということです。



「雛飾りの片づけ」
なお、ひな人形を片付けるのは、「啓蟄(けいちつ)」の3月5日頃が良いと言われています。
何故なら、ひな人形は、女の子の厄を引き受ける役目を持っており、災いを遠ざけるという意味でも、ひな人形はできるだけ早く片付けた方が良いそうです。
また、行事が終わったらいつまでも出しっ放しにせず、きちんと片付けさせるという躾の意味もあり、そのようによくしつけられた娘が早く「片付く」(結婚できる)ように、との願いも込められているということです。

でも、何が何でも3月5日に片付けなければダメということではなく、要は、だらだらと雛人形を飾り続けないということが大事という事です。

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2022年2月22日「スーパー猫の日」

2022-02-21 | 時事

明日の2月22日は「猫の日」だそうです。

「猫の日の由来」
その由来は、2月22日の「2」を「にゃん、にゃん」とする語呂合わせから、昭和62年(1987年)に ネコ好きの文化人や学者がつくった「猫の日実行委員会」がペットフード協会と協力して「猫の日」と定めました。
この日には、猫と一緒に暮らせる幸せに感謝するという意味が込められているそうです。

そして、今年2022年2月22日は、その「にゃん、にゃん、にゃん」の「2」が6回並ぶことから「スーパー猫の日」と呼ばれています。
「2」が6回も並ぶのは、実に800年振りのことで、猫愛好家の間では例年にない盛り上がりを見せていると言うことです。



「前回に2が6回並んだ日」
前回に「2」が6回並んだのは800年前の1222年2月22日です。
歴史を振り返ると、この年の前年の1221年(承久3年)には、今年の大河ドラマ ”鎌倉殿の13人” の主人公である、鎌倉幕府の執権・北条義時と鎌倉幕府を討伐すべく兵を挙げた後鳥羽上皇との兵乱、「承久の乱」が起こっています。
この乱では鎌倉幕府方が勝利し、後鳥羽上皇は隠岐に配流されました。
鎌倉幕府は朝廷を監視する六波羅探題を京都に置きました。
このことは、朝廷に対して武家政権が優位に立つことを意味し、この優位性が明治維新までの600年以上続くことになります。

また、この年には日蓮宗の開祖・日蓮上人(1222年~1282年)が誕生されています。
日蓮は「仏の本当の教えは法華経の中にある」「南無妙法蓮華経を唱えればすべての人々は救われる」という考えに至り、人々に法華経の教えを説く決心をして、日蓮宗を開きました。

「超スーパー猫の日」
次に訪れる「スーパー猫の日」は100年先で、「2」が6回並ぶ2122年2月22日です。
更に200年先は2222年2月22日で、「2」が7回並ぶ「超スーパー猫の日」になります。
残念ながら、現在生きている人は誰もこの日を確認することができません。

 

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4倍サイズの大根

2022-02-19 | 家庭菜園

先月「胡坐をかいた大根」をご紹介しましたが、今日は普通サイズの約4倍もある巨大な大根をご紹介します。

先日、収穫するために畑に行ったところ、太くて大きな大根があったので引き抜いてみました。
それが下の画像の大根です。
この巨大大根、重さでは右側の普通サイズ大根の約4倍ありました。
家庭菜園を長い間していますが、このような大きな大根が出来たのは初めてです。

「4倍大根のサイズ」 
      4倍大根      普通サイズ    倍率
長さ    52㎝       32㎝     
太さ(周囲)38㎝       24㎝
重さ      4.5 ㎏        1.0 ㎏     4.5倍
体積  5878㎤     1451㎤      4.05倍

なお体積の計算にあたっては、葉っぱの付け根から根の先まで、同じ太さの円柱と仮定して計算しています。

・左が4倍大根、ニンジンの左の大根が普通サイズの大根です。
左が

この大根の種を蒔いたのは9月29日でした。
その頃は、当地方では雨が降らず、畑がカラカラに乾いていたことから、葉物野菜の発芽はあまりよくありませんでした。
しかし、大根は違っていたように思います。
発芽した後は順調に生育し、冬の間も大きく育ちました。

畝にはまだ大きな大根が数本残っています。
このまま置いておくとまだまだ生長し、その内「ス」が入るかも知れません。
食べるためには早めに収穫した方がよさそうですが、老夫婦の食生活ではなかなか消費できません。

・4倍大根ほどではないですが、普通サイズより太い大根がまだ数本残っています。


「スとは」
なお、「す」が入るというのはダイコンの老化現象だそうで、その原因の多くは収穫が遅れてしまったことにより生じます。
大根はピークまで生長した後、収穫せずに畑に植えたままにしておくと、その後も生育が続きます。
そして、生長のピークを過ぎてしまった後は衰えていきます。
人間でいうところの骨粗鬆症のような状態でしょうか?
この状態になると「す」が入って食べられません。
従って、「す」が入る前の若くて元気な時に収穫するようにします。

・これがスが入った大根です。


当地方では、葉っぱを切り取って畑にそのまま残している大根をよく見かけます。
これは生長を止めて「ス」が入るのを防ぐための対策なのかも知れません。
我が家でも一度試してみたいと思います。

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110番と119番の由来

2022-02-17 | 雑学

日本には緊急通報用電話番号があります。
その中で誰もが知っているのが、警察への通報用電話「110番」と消防への通報用電話「119番」ではないでしょうか。
でも、この「110番」と「119番」は何故この番号になったのでしょうか?
今日はその由来を調べてみました。

「110番の由来」
警察への通報用電話である「110番」が制定されたのは戦後間もない昭和23年(1948年)で、GHQの勧告によって設置されました。
当初は全国8大都市(東京都区部、大阪市、神戸市、京都市、名古屋市、横浜市、川崎市、福岡市)でスタートしましたが、番号は地域によってバラバラでした。
東京は最初から「110番」でしたが、大阪や神戸では「1110番」、名古屋では「118番」などと統一されていませんでした。
流石にそれでは不便という事で統一することになり、昭和29年(1954年)に日本全国どこの警察にも「110番」で番号が統一されました。

しかし、何故「123」とか「999」などではなく、「110」番になったのでしょうか?
昔はダイヤル式電話が使用されていたのはご存じの通りです。
ダイヤル式電話では、「1」は全ての数字の中で一番早く回せる位置にあり、「0」は一番回す時間がかかる位置にあります。
緊急性の高い警察への通報と言う目的から、その所要時間はできるだけ短く、そして覚えやすい事も考慮されて「1」を使うのが合理的と判断し、一番短くて済む「1」を多く、間違いを避けるために末尾の「0」を採用して「110番」となりました。

末尾を「0」と最も回す時間がかかる番号にしたのは、その間に本人の焦っている気持ちを落ちつかせるためだと言われており、最短時間でかけられる「111番」ではなく「110番」になったという事です。

「119番の由来」
一方、火事や急病の時にかける「119番」の制度が始まったのは、「110番」より古く、大正6年(1917年)のことです。
当時はまだ交換手が電話を繋いでくれる手動交換の時代でした。
手動交換とは、通報する時には最初に電話局に電話し、「火事だ」と言うと交換手が消防署に繋ぐという接続形式の電話でした。
この電話形式の電話線と電話局が、大正12年(1923年)の関東大震災により壊滅的な被害を受けたのです。

震災後に電話局を再建する際、新しく自動交換の導入が進められ、今と同様、ダイヤルすると直接消防にかかるようになりました。
これにより電話による火災の早期発見に絶大な効果があったため、昭和元年(1926年)無料の火災報知電話番号が制定されました。

そして、「119番」の番号については、当時はダイヤル式の電話機を使用していたため、ダイヤルを回す時一番短くて済む「1」と「2」を使用し「112番」で運用されたのですが、慌ててダイヤルしてしまう人や電話に慣れていない人達が番号を間違えることが多かったことから、「1」から遠い場所にある「9」が採用されて「119番」になったと言われています。

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春一番名附けの日

2022-02-15 | 季節

立春は過ぎましたが春はまだまだ遠く、真冬のような寒さが続いています。
一昨日から昨日にかけて、九州から関東の太平洋側では南岸低気圧が通過し、首都圏では大雪に対する注意が呼びかけられていました。
しかし、東京23区で予想された大雪は雨に変わり、首都圏のJRと大手私鉄の各線は平常通りの運行と報じられていました。
一方、大阪南部の泉州地方では、一昨日は一日中雨が降り、最高気温は7度と寒い一日でした。
早く、温かい南風が吹いてほしいものです。

ところで、例年、2月下旬から3月にかけては「春一番」と呼ばれる風速8メートルを超える南寄りの強風が吹き荒れます。
この強風は「春一番」と観測される場合が多い春の嵐です。
この「春一番」と名付けられた出来事(遭難事故)が163年前の1859年(安政6年)2月13日に起きています。

「春一番の由来」
「春一番」は、もともと長崎県壱岐郡(現・壱岐市)の漁師の間で使われていた言葉が由来となっています。
1859年(安政6年)2月13日、長崎県壱岐郡の漁師が五島列島沖に漁に出かけた時、いきなり南からの突風が巻き起こり、漁船全てが転覆して53人の漁師全員が死亡すると言う遭難事故がありました。
この事故以来、春先の強風を「春一」もしくは「春一番」と呼ぶようになり、その後、この言葉が全国に広まったといわれています。

「春一番の塔」
春一番の発祥の地、長崎県壱岐市には、1859年(安政6年)に発生した地元漁師の遭難事故の怖さを忘れないようにとの思いから、昭和62年(1987年)郷ノ浦港入口の元居公園に船の形をした「春一番の塔」が建てられました。
近くには遭難者の慰霊碑も建てられています。

・春一番の塔です。(長崎県壱岐市の元居公園)


「春一番名付けの日」
「春一番」とは、立春から春分の日の間に、初めて吹く南よりの強風のことを言いますが、この強風について、1963年(昭和38年)2月15日の朝日新聞に「これから春一番の季節で警戒が必要」と言う記事が掲載され、これが「春一番」という語の新聞での初出とされています。
これが由来となって2月15日が「春一番名付けの日」とされています。

(参考)
「春一番の認定条件」
気象庁によれば、次の条件に当てはまる強風を「春一番」と言っています。
 1.立春(今年は2月4日)から春分の日(3月21日)の間に吹く風であること
 2.日本海で低気圧が発達していること
 3.風速8メートル以上の南よりの強風であること
 4.前日に比べて気温が上昇すること

この4つの条件を満たしたとき、その年に最初に吹く風を「春一番」といい、これ以降、同じ期間に同様の風が複数回発生した場合には「春二番」、「春三番」などといいます。
反対に上記の認定条件に当てはまらない場合は、例え風速8メートル以上の南よりの強風であっても「春一番の観測なし」とされます。
因みに、昨年の大阪での「春一番」の観測は3月2日でした。

春が待ち遠しいですね。
「春一番」は観測されなくても一向に構いません。
一日も早く、穏やかに春がきてほしいものです。

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「建国記念の日」と「建国記念日」の違い

2022-02-13 | 時事

一昨日の2月11日は「建国記念の日」で祝日でした。
「建国記念日」ではありません。
カレンダーにも「建国記念の日」と表示されているように、「記念」と「日」の間に「の」が入る「記念の日」なのです。

「建国記念の日」と「建国記念日」を同じ意味で使っている人もいると思いますが、正しくは別の意味となります。
そこで今日はこの違いについて調べました。

「建国記念の日と建国記念日の違い」
・「記念日」とは、歴史的事実として日付が確定している日を記念するという意味があります。

・「記念の日」とは、日付は確定していないけれど、そのことを記念する日と言う意味があります。

そこで日本の建国について調べてみると、日本の建国は初代神武天皇が即位された日となっています。
しかし、神武天皇は神話上の人物であり、実在しなかったと考えている人もいることから、建国の日の歴史的事実としての日付としては明確ではなく、記念日にはなり得ません。



「2月11日の由来」
2月11日は昭和41年(1966年)までは、神武天皇が即位した日を記念する「紀元節」と呼ばれる祝日でした。
これは明治6年(1873年)に定められたものです。

しかし第二次世界大戦が終わり、GHQ(連合国軍司令部)が日本を統治するようになると、GHQは初代天皇の即位から定められた「紀元節」によって、天皇を崇拝する日本国民が団結力を高めるのではないかと危惧するようになったのです。
このため、GHQの意向により、昭和23年(1948年)に紀元節は廃止されることとなりました。

その後、昭和26年頃から「紀元節」復活に向けた動きが見られ、1966年(昭和41年)に「建国記念の日」として再制定され、そして昭和42年2月11日から祝日として復活しました。

「建国記念の日」の由来
初代神武天皇が即位した日が「建国記念の日」と定められたのは昭和41年(1966年)のことです。
古事記や日本書紀では、神武天皇の即位は紀元前660年1月1日と記述されています。
この日付はグレゴリオ暦に換算すると、現在の2月11日になり、この日を「建国記念の日」としたのです。

しかし、2月11日は「日本の国が成立した正確な日ではない」ことや、神武天皇は神話の中に登場する人物であり、実在の人物ではないことから、「記念日」ではなく「建国を記念する日」として「建国記念の日」が昭和41年(1966年)に成立したのです。

以上のように、「建国記念日」ではなく「建国記念の日」と呼ぶのは、史実にもとづいて建国した日そのものを記念するのではなく、日本が建国されたことを祝う日だからです。

因みに「建国記念の日」の趣旨は「建国をしのび、国を愛する心を養う」となっています。

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じゃが芋植え付け

2022-02-11 | 家庭菜園

一昨日の大阪府南部の熊取地方は朝から太陽が顔を出し、一日中晴天が続いた暖かい日でした。
最高気温も11度と久しぶりに10度を超え、しかも風がほとんど吹かなかったことから、じゃが芋の植え付けには絶好の天気でした。

当地でのジャガイモの植え付け時期は毎年2月中旬頃ですが、一昨昨日には懇意にしている地元の農家のN氏が植え付けをしたことや、今後の天気予報で最高気温が10度を下回ったとしても5度前後まで下がることは無さそうなことから、我が家でもじゃが芋の植え付けを行いました。
今日は我が家のジャガイモ栽培についてご紹介します。

「種芋の準備」
種芋は昨年暮れに農協から購入したもので、品種はメークイン1㎏とキタアカリ4kgです。
購入した種イモは植え付けの2~3日前に1片の重さが30g~60g、各片に2~3個の芽がつくように縦に切り、そのまま、切り口がコルク化するまで新聞紙の上で乾かしました。

・これが種芋です。切り口が紫色に見えますが、実際は黒色と白色です。

「畝」
植え付ける畝は昨年スイカを植えた場所で、スイカが終わった後、畝幅60㎝の畝を立てて半年以上遊ばせて置きました。

「植え付け」
幅60cmの畝に深さ10㎝程の溝を2列に掘り、その溝に種芋の切り口を下にして、株間30㎝で千鳥掛けに植え付けます。
なお、切り口を上に向けると断面に水が溜まるなどして芋が腐りやすくなります。

・種イモを30センチ間隔に置いたところです。


「肥料」
種イモを囲うように前後左右の4か所にショベルで隙間を作り、その隙間に化成肥料(14・14・14)を一握りずつ施し、更に芋と芋の間にも一握り施していきます。
ここまでは例年と同様の植え付け方法です。

・種芋の周り4か所と種芋間に化成肥料を施したところです。


「害虫対策」
今年はコガネムシの幼虫や螻蛄(ケラ)などからじゃが芋の食害を防除するために「ダイアジノン」を散布しました。
方法は種芋の上に土を少し戻した状態の畝に散布します。
これは地元農家のN氏から教わった方法です。

・ダイアジノンを散布した畝です。

・これがダイアジノン粒剤です。


「畝を作り直す」
ダイアジノン散布後、土を戻して畝を作り直します。
畝にはマルチ用の黒いビニールを張りますが、それは一雨当ててから張る予定です。
天気予報では13日~14日頃に雨が降る予報となっているのでその後になります。
なお、使用するマルチは、以前はイチゴに使用していたマルチを再利用していたのですが、生長するにしたがって芋が土から露出して、緑色に変色していたことから新しいマルチを使用することにしています。



「緑色に変色した芋」
スーパーで売られているジャガイモに緑色に変色しているものは見られませんが、栽培していると変色した芋が発生します。
じゃが芋の皮が緑色に変色すると、光によってジャガイモの「天然毒素」が増えるようです。
緑に変色した部分にはソラニンやチャコニンという種類の天然毒素が多く含まれており、食べてしまうと吐き気や嘔吐、下痢などの症状を引き起こします。
加熱してもこれらの毒素が減ることは期待できません。
緑色に変色している場合は、皮を厚めに剥いてみて可食部が白ければ食べることが出来るようですが、我が家ではすべて廃棄しています。

今年はダイアジノンを散布して、コガネムシの幼虫などの食害を防除する栽培方法を試しています。
表面の綺麗なじゃが芋が収穫できることを期待しています。

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欧米人は何故マスクを嫌うのか

2022-02-09 | 時事

オミクロン株の猛威が一向に収まる気配がありません。
まん延防止等重点措置が35都道府県に出されていますが、その効果が見られず、新たな感染者数は2月3日には10万人を超え、一昨日の7日には1週間平均で91,300人以上となっています。
矢張り3回目のワクチンを打たなければ収まらないのでしょうか?
岸田総理は一昨日、1日100万回のワクチン接種を目標にする方針を担当大臣に指示しましたが、私たち一人一人もマスクの着用、手洗い、うがいの励行、そして3密の回避、不要不急の外出を控えるなどの感染防止対策を励行したいと思います。

「マスクの着用」
さて、感染防止の一つであるマスクの着用については、日本では幼児を除くほぼ全員の人が着用していますが、欧米では日本より感染者が多いにもかかわらず徹底されていません。
何故なのでしょうか?
調べてみました。

欧米でも、新型コロナウィルスの感染が拡大するに伴って徐々にマスクを着用するようになってきています。
特に初期の感染拡大で大きな被害を受けたイタリアやスペインは他の欧米諸国に比べると公共の場でのマスク着用率が高まってきていますが、それでも義務化されなければマスクは付けたくないと考える人が多く、マスク着用については根強い拒絶反応があります。



「欧米人が嫌がる理由」
欧米人がマスクを嫌がる理由には諸説あるようです。
1.元々マスクをする習慣がないので違和感があること。
2.強盗やギャングを連想させるので嫌だというもの。
3.また、自分を感染から守る効果は無いと言われていたこともあり、着用する意味を見出しにくかったこと。
4.文化的・心理的要因によること。 
等があります。

「文化的・心理的要因」
専門家によると、欧米人がマスクを嫌がるのは、コミュニケーションの際に彼らが重視する口元が見えなくなるからという理由があるようです。
日本人が目元で相手の感情を読み取るのに対し、米国や欧州の人々は口元で感情を読み取る傾向にあり、マスクをするとその重要な口元が見えなくなってしまうこと。
更に、欧米の国々は、文化的には個人主義文化の国であり、個人主義文化では情報の発信側が明確にメッセージを伝えることがコミュニケーションの前提となります。
そのため、自分がどう思っているのか、どう感じているのかを、言葉とともに、口元の筋肉を意識的に動かして、相手に伝えるということを行っていることから、欧米人にとっては、マスクをすることはコミュニケーション上の不都合をもたらすと考えられることがあります。

一方で、日本人は目元で相手の感情を読み取るので、大半の日本人にとって、人前でマスクをするのはそれほど抵抗感がないということです。

「フランスでのエピソード」
以前、こんな話がありました。
パリのシャンゼリゼ通りを歩いていた日本人がいました。その人は風邪をひいていたらしくマスクをしていたのです。
それを見たフランス人が怒鳴りかかりました。
「そんなにパリの空気を吸いたくなければ日本へ帰れ!」

当時は欧米人にとってマスクは汚れた空気を吸い込むのを防ぐために付けるものと考えられていたようです。
だから前記の日本人がパリの空気を嫌がっているように見られたということです。

日本人は空気が汚れているときは勿論ですが、それにも増して風邪が流行れば空気中の菌を吸い込むのを防ぐため、そして体内から菌を出して人にうつさないためにマスクをつけます。
和を大切にする日本人の性質からでしょうか、他人に迷惑をかけてはならないという気持ちからマスクを着用するのが当たり前になっています。

今では笑い話ですが、欧米人と日本人はマスクに対する意識、そして国民性が違うのでしょうね。

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