らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「ほうれん草の栽培」と「その美味しさ」

2009-01-31 | 家庭菜園

今日は「ほうれん草の栽培」と「その美味しさ」についてご紹介します。

昨年12月に種を蒔いたほうれん草が寒さの中、緑の色も鮮やかに、元気よく育ってきました。
冬の路地野菜は成長が遅いですが、葉や茎に糖分をためますので美味しく、且つ無農薬でも害虫被害なく栽培することが出来ます。

「ほうれん草の栽培方法」
・種蒔き時期
 1年中出来ますが、最も作りやすいのは秋蒔きで次いで春蒔きです。
 秋蒔きでは9月中旬から10月下旬までで、これ以降は一般的には「トンネル栽培」となります。
・畝作り
 ほうれん草は酸性土壌に弱いので石灰を忘れずに施します。
 肥料は、堆肥と化成肥料(10-10-10)を1㎡当たり200~300gほど施してよく耕します。
・種蒔き
 我が家では幅60cmの畝に、条間30㎝幅の浅い溝2本を作ってすじ蒔きにしています。蒔いた後は1㎝くらい覆土し、軽く押さえて水をかけます。
・収穫
 草丈が20cmくらいで収穫します。

(まもなく収穫できるほうれん草です。右上角は青梗菜です)


「冬野菜はなぜ美味しいのか?」
 野菜は温かいと葉を成長させるため糖分を消費しますが、寒いと呼吸や成長が鈍くなるため、あまり糖分を消費せず葉や茎に溜め込みます。このため、冬の路地野菜は美味しいといわれています。
「甘いほうれん草の見分け方」
 2006年11月放送のNHKの調査によれば、スーパーで売られているほうれん草は1袋およそ200gのようです。
 路地物は株が太いため入っている株数が少なく、殆どの袋が8本以下だったようです。このことから、大まかには9本以上をハウス物、8本以下は路地物と区別し、
 これを一つの判断材料とすることが出来るようです。
「料理の使い分け」
路地物   甘味を生かすため「おひたし」「胡麻和え」に向きます。
ハウス物  他の食材と合わせたりする「炒め物」「サラダ」に向きます。

(一言メモ)
「午後2時のほうれん草は栄養価一番!」
 ほうれん草の葉は、下の葉ほど葉柄が長くなって、どの葉にも日光が当たるように広がっています。
 冬の寒さに耐え、養分を蓄えているほうれん草には、「収穫するなら午後2時のほうれん草」という話があるそうです。
 この謂れは、朝から日光を受けたほうれん草は、午後2時ごろには栄養をたっぷり蓄え、その頃収穫した物が栄養価も味も一番だということのようです。


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「寒起こし」について

2009-01-30 | 家庭菜園

家庭菜園における冬の作業の一つに「寒起こし」があります。
今日はこの「寒起こし」についてご紹介します。

「寒起こし」とは、厳冬期に畑の土を掘り起こす作業で、昔から農家で行われていた農作業です。
「目的」
・この作業によって、掘り起こされた土の塊は寒さのため凍ったり解けたりして、細かく隙間の多い柔らかい土になります。
・また、土中で越冬する害虫や病原菌が寒さで死滅しますので、殺虫殺菌効果もあると言われています。
・掘り返すことによって、冬雑草の繁茂を抑える効果もあります。

(早く掘り起こした畝です。土が砕け始めています)


「方法」
・収穫が終了した畝をスコップで30㎝~40㎝位の深さに掘り返します。
・春野菜の植え付けまでには、改めて耕運機で耕して畝を作ります。

(こちらは掘り返した直後の状態です)


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キウイフルーツの剪定

2009-01-29 | 家庭果樹
今日は、キウイの冬の剪定についてご紹介します。

「花芽のつき方」
・前年の7~8月に伸びた枝の付け根に芽ができ、それが4月に発芽し、新梢が伸びて、その新梢の葉の付け根から7枚目位のところまでに花が咲きます。
 枝先には花芽はつきません。



剪定には「切り戻し剪定」と「間引き剪定」があります。
・「切り戻し剪定」
 切り戻し剪定は枝を途中から切り、勢いの良い枝を出させる剪定です。短く切れば切るほど強い枝が出ますが花芽はつきにくくなります。
・「間引き剪定」
 これに対して間引き剪定は枝元から枝を切り除く剪定で、残った枝が充実して花芽がつきやすくなります。



「基本的な剪定方法」
・昨年果実の付いた20cm以下の枝は基部から切り取ります。但し、周囲に枝がない場合は基部の芽を確保するため、基部から2節残して切り返し、枝が出るのを待ちます。
・結果母枝の切り返しの目安は、枝の長さが85cm~150cmの場合、前年果実がついた枝では最終着果節から先端側5~7節を残して切り返し、つかなかった枝では基部の芽から先端側5~7節を残して切り返します。
・充実した結果母枝を1㎡当たり2~3本残します。充実した枝とは前年の7月頃までに生長が停止し、節間がややつまり気味で、表皮が灰褐色した芽の大きい枝です。
・最後に内側に向かって伸びた枝や交差する枝を枝元から切ります。
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ハボタン(葉牡丹)

2009-01-28 | 

畑の「ハボタン(葉牡丹)」がきれいに開き、着色しましたのでご紹介します。

・葉の色は異なっていますが、いずれも「丸葉系」の品種です。


・「葉牡丹」はアブラナ科アブラナ属の一年草で、別名「ボタンナ(牡丹菜)」といっています。
 キャベツの仲間で、原産地はヨーロッパ南西部地方といわれ、日本には江戸時代中期に渡来し、その後、さまざまな品種が作り出されました。
 茎の分枝したものもあり、生け花にも使われていたようです。



・品種には、古くからある「丸葉系」や葉が縮れる「縮緬(ちりめん)系」に加え、最近では「さんご」や「くじゃく」などの「切り葉系」の品種が作られて人気が出て
います。
 代用的な品種には、
 ・葉が平滑な「東京丸葉」  
 ・「東京丸葉」に縮緬性のケールを再交配し、葉の先が大きく縮れる「名古屋縮緬」 
 ・「東京丸葉」と「名古屋縮緬」を交配してその中間の葉が波を打っている「大阪丸葉」などがあり、それぞれに白、赤紫、薄紅の3色があります。



・名前の由来は、葉を牡丹の花に見立てたものからと言われています。



・栽培管理
 耐寒性に優れていますが、暖地では色がつかず、寒地では屋外での越冬が出来ないようです。
 更に、窒素分の多い肥料では発色が遅れたり、葉色が悪くなるので、10月以降の追肥はしないように注意する必要があります。



・花言葉は、「利益」「祝福」「つつむ愛」

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国旗制定記念日

2009-01-27 | 雑学

1月27日は「国旗制定記念日」ですが、ご存知でしたか?
国旗は、1870年(明治3年)1月27日制定の郵船商船規則(太政官布告57号)に、日の丸(日章旗)を「御国旗」として規定され、日本船の目印として採用されました。
この日を記念して国旗教会は「国旗制定記念日」を制定したそうです。

以後、「日の丸」(日章旗)は国旗として扱われるようになりましたが、国旗として法的な裏付けは太政官布告のままであり、法令として存在していませんでした。
その後、国会において国旗法案が提出されましたが、議会の閉会、解散などにより廃案となり成立しなかったようです。
1990年代に入り、学校の式典等において「日章旗」掲揚問題などが頻発するようになり、これに対処するため、1999年(平成11年)8月13日に公布・施行された「国旗・国歌法」により、日の丸・君が代が正式に国旗・国歌として定められました。

・日の丸の規格
現在「日の丸」の規格は、縦横の比率は2:3、日の丸の直径は縦の長さの5分の3、日の丸は旗の中心の位置となっています。


・国旗の由来について
日本の国旗は「日の丸」(日章旗)ですが、この「日の丸」は江戸時代以前にも使用されていたという記録が残っているそうです。
江戸時代に入ってからは、1673年(寛文13年)に幕府は御城米廻船に船印として「日の丸」の幟(のぼり)を掲揚するように指示しています。
そして、幕末の1854年3月に日米和親条約に調印し、開国して諸外国との交流が始まったことから、外国の船舶と識別するため同年7月に「日の丸」の幟を日本惣船印に定め、1859年(安政6年)に「日の丸」の旗を「国惣印」と定めました。
1860年に渡米した使節団の一行が「日の丸」と共に紹介されていることから、遅くとも江戸時代末期には、「日の丸」が日本の国旗として内外に認知されていたものと考えられているそうです。
その後、1870年(明治3年)に商船規則(太政官布告第57号)により、日の丸は日本船舶に掲げるべき国旗として定められましたが、その後の経緯は上記のとおりです。

・国歌の由来について
「君が代」は、905年(延喜5年)に編纂された「古今和歌集」(賀の巻)に、「わが君は ちよにやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」(詠み人知らず)として収載されています。これが文献に現れる最初であるとされています。
その後、平安末期頃からは初句を「君が代」という形で流布するようになり、めでたいときの舞や謡曲などに取り入れられ、長い間民衆の幅広い支持を受けてきたといわれています。
明治になって、薩摩藩の大山巌らは日本にも国歌が必要と考え、その歌詞として古歌の「君が代」を選定し、1893年(明治26年)の文部省告示において、祝日大祭日の儀式で歌うこととされました。


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文化財防火デー

2009-01-26 | 雑学

今日、1月26日は「第55回文化財防火デー」です。
「文化財防火デー」とは、文化財を火災、震災、その他の災害から守ると共に、日本国民の文化財愛護思想の高揚を図る目的で、1955年(昭和30年)に当時の文化財保護委員会(現在の文化庁)と国家消防本部(現在の消防庁)が制定しました。

「文化財防火デー」が制定されるキッカケは、1949(昭和24年)年1月26日早朝、現存する世界最古の木造建造物である法隆寺の金堂で火災が発生し、堂内の壁画の大半が焼損したことによります。
この事件は国民に強い衝撃を与え、火災など災害による文化財保護の危機を深く憂慮する世論が高まり、1950年(昭和25年)に文化財保護の統括的法律として「文化財保護法」が制定され、その後、昭和30年になって、法隆寺の金堂が焼損した日であることや、1月と2月が1年のうちでも最も火災が発生しやすい時期であることから、1月26日を「文化財防火デー」と定められました。

・平成21年「第55回文化財防火デー」のポスターです
第54回 文化財防火デーポスター   〈火災発生〉
(文化庁HPより)                  (防火訓練です)

(参考)
「文化財の定義」
文化財保護法では、文化財を「有形文化財」、「無形文化財」、「民俗文化財」、「記念物」、「文化的景観」及び「伝統的建造物群」と定義しています。
これらの文化財のうち、重要なものを「重要文化財」「史蹟名勝天然記念物」等として国が指定選定し重点的な保護の対象としています。
この他、土地に埋蔵されている文化財(埋蔵文化財)、文化財の保存・修理に欠くことのできない伝統的な技術・技能(文化財保存技術)なども保護の対象とされています。


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蝋梅の花

2009-01-25 | 
昨年一輪しか咲かなかった冬の花「蝋梅」が、今年はたくさんの蕾をつけましたのでご紹介します。
「蝋梅」は名前に「梅」が付いているのでバラ科サクラ属と誤解されやすいですが、ロウバイ科ロウバイ属の落葉低木で、「「梅」の仲間ではないようです。
この花は中国原産で、日本には17世紀初期に渡来したといわれ、以来、観賞用の庭木として栽培されており、1月~2月にかけて香りの強い黄色の花を咲かせます。

「名前の由来」
中国でも蝋梅と呼ばれていたことからとする説や蝋細工のような花からとする説など諸説があるようです。
英語では「Winter Sweet」と呼ばれ、その名の通り甘い香りが漂います。

「蝋梅の種類」
・「素心蝋梅」(そしんろうばい)、  花弁の中心部が暗紫色でなく、花弁の先が少しカールしています。
・「満月蝋梅」(まんげつろうばい)、素心蝋梅のなかで、花が大きく鮮やかな黄色をしたもの選別して満月蝋梅と呼んでいるようです。
・「唐蝋梅」(とうろうばい)、     花弁の中心部が暗紫色になり、花被に暗紫紅色の筋が入っているのが特徴です。
以上の種類がありますが、よく栽培されているのは「素心蝋梅」(そしんろうばい)といわれています。



「剪定」
・その年に長く伸びた枝には花芽がつかないので付け根から20cmほど残して切ります。
・内側に向かって伸びる短い枝も日光をさえぎる原因になるので切ります。
・ひこばえは株の勢いを衰えさせるので早めにかきとります。

「剪定時期」
落葉後、11月頃もしくは花後の3月頃に行います。

「増やし方」
・種を蒔いて育てる
・取り木をする
・挿し木をする
などの方法がありますが、簡単で早く花を楽しみたいならば挿し木がお奨めです。

「挿し木の方法」
・春先に伸びた新梢を6月~7月頃に2枚の葉をつけて10㎝くらいに切り、赤玉土に挿します。早ければ3~4年で花が咲くかと思います。



「花言葉」は「慈愛」、「温かい心」だそうです。

蝋のようにきれいな花なので、育ててみたい方は挿し木で一度お試しになっては如何でしょうか?



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「桃の剪定」と冬の作業

2009-01-24 | 家庭果樹
落葉果樹の冬の作業として、「剪定」と「消毒」そして「施肥」があります。
今日は、桃の栽培における、私が行っているこれらの作業についてご紹介します。

私の桃の栽培は趣味で行っているものなので、専業農家の作業とは多少異なっていると思いますが、各枝に日光がよく当たるように切除するという意味では、基本的な作業は同じだと思います。



「剪定方法」
・基本的に各枝に日光がよく当たるように剪定します。(日光が当たらない枝は勢いが悪くなり、枯れてきます。)
・花芽のついている枝は、収量を上げるため出来るだけ残し、枝が重ならないように紐で誘引しました。
・その上で弱い枝、日光をさえぎる枝、垂れ下がっている枝などを切除しました。
・枝の背中から真上に向かって出ている強い枝については、その枝の日焼け防止のため1~2芽を残して切除しました。
・横に長く伸びている強い枝については1/3程度を切り詰めたり、葉芽のところで切除しています。



「害虫駆除」
・昨年はカイガラムシが少し付きましたので、駆除のためマシン油を散布しました。
・3月、蕾が膨らみ始める頃に縮葉病予防のため、石灰硫黄合剤を散布します。
「施肥」
・12月~2月頃に施肥します。私は1月20日頃に行いました。
 肥料は市販されている「寒肥」で、株周りの1mくらいのところに溝を掘り、土とよく混和し覆土しました。

我が家のこの桃の木は庭植えで、樹齢は20年以上になりますが、これらの作業により、現在も樹勢は強く、毎年たくさんの収量があります。


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「あいうえお」は、なぜ「あ」から始まるのか?

2009-01-23 | 雑学

「あいうえお」は、なぜ「あ」から始まるのでしょうか?
子供の視聴者からの質問に、NHKの「ことばおじさん」の回答がありましたのでご紹介します。

「あいうえお」という50音図は日本語の基本ですが、この50音図は母音が同じものを同じ段に、子音が同じものを同じ行に並べた5段×10行の「音節表」なのです。
50音図の成立に大きな影響を与えたのが、奈良時代に仏教と共に伝わった「悉曇(しったん)」と言われています。
悉曇(しったん)は、古代インド文字の発音をまとめた「音節表」のようなもので、7000もの文字が、子音+母音の組み合わせで合理的に配列されていました。

奈良時代以降、それを日本語の音に置き換え、整理する研究が続けられ、母音が「アイウエオ」順であること、子音が「カガサザタダナハバマヤラワ」の順であることを解き明かし、子音の濁音を除くと「カサタナハマヤラワ」の順となります。
つまり、50音図は悉曇(しったん))をベースに作られたのです。
この悉曇(しったん))が「あ」で始まり「ん」で終わったために、50音図も「あ」から始まることになったと考えられているそうです。

50音図を最終的に作り上げたのは、江戸時代前期の国学者、契沖(けいちゅう)といわれています。
しかし、江戸時代の寺子屋では、仏教の「諸行無常」の教えが組み込まれている「いろは歌」が教えられていたそうで、50音図が一般的に普及したのは明治時代になってからのようです。 「気になることば」より
                                                                                                                                                                                                                                                        
子供は意外なところに、素晴らしい疑問を持ちますね。
私は(他の人もそうだと思いますが)このような疑問を持つことなく、「あいうえお」を覚えたように思いますが、この子供さんのおかげで、50音図が「悉曇(しったん):(梵語(siddham))」というインドの音声に関する学問が影響していることを初めて知りました。

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「世界天文年」と「ガリレオ・ガリレイ」

2009-01-22 | 雑学

今年は「世界天文年」です。
「世界天文年」とは、今年(2009年)が、ガリレオ・ガリレイによる天体望遠鏡を用いた初めての天体観測から400年目であることを記念し、世界中の人々に天文学と宇宙への関心を持ってもらうことを目的とした企画で、国際連合、ユネスコ、国際天文学連合によって定められたそうです。
「世界天文年」のスローガンは「宇宙---解き明かすのはあなた」(The Universe : Yours To Discover)で、夜空の天体、太陽、惑星、流星などに目を向け、広大な宇宙の中の地球、そして、その地球の上の生命や人間の存在に思いを寄せて、新たな発見をして欲しいという願いを込めたスローガンとなっています。
1月15日・16日にはパリのユネスコ本部において、「世界天文年」のスタートを迎えるに当たり、その開幕を記念する式典が開催されたそうです。

ガリレオ・ガリレイ
(1564~1642)は物理学者、天文学者、哲学者で、その業績から「天文学の父」と称されています。
ガリレオは自ら製作した望遠鏡を用いて天体を観測し、「木星の4つの衛星」、「金星の公転と満ち欠け」、「太陽の黒点」などを発見し、コペルニクスが唱えた地動説を証明ました。
このため、ローマの異端審問所に召喚され、宗教裁判にかけられて、地動説を封印させられますが、「それでも地球は動いている」といった言葉は余りにも有名ですね。
他にも、ガリレオ・ガリレイはたくさんの「名言」を残していますので、いくつかご紹介します。
・「その人間から何かを学ぶことが出来ないほど愚かな人間に、私はあったことはない」
・「懐疑は発明の父である」
・「学者は、それゆえという言葉をしきりに使うが、何ゆえ、それゆえなのか、俗人には分からない。何か、偉そうな言葉でごまかされているようだ」
・「結果には全て原因がある」
・「君は報告を信じるだけで、自分で確かめないのか」

今の日本の政治家の方々には是非とも読んで欲しい言葉ですね。

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