らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

僥倖の極み

2016-02-29 | 雑学

毎週月曜日にNHKで放送されている番組に「鶴瓶の家族に乾杯」があります。
この番組は鶴瓶とゲストがある町を訪れ、出会った家族を紹介するもので、シナリオのないヒューマン・ドキュメンタリーと言える番組なのですが、鶴瓶やゲストに突然話しかけられた町の人たちは、驚き、喜び、そして大抵の人は握手や記念写真を求めています。

それもそうでしょう。
テレビでしか見ることのない有名人が、突然目の前に現れるのです。
話しかけられた人にとっては一生の思い出になり、その人のお宝になる事だと思います。
突然、鶴瓶やゲストに出会った人たちは「あっ鶴瓶だ!」とか「鶴瓶さんが来た」、「今日は何ですか?」などと一様に驚きます。
このような言葉を発する人は年配の方が多いですが、若い人の中には「超ラッキー」とか、「何これ、まじー」などと若者言葉で話す人も見かけます。
このような若者言葉を聞くと日本語が乱れていることに気付かされます。

一方で、ドラマでは難しい日本語が時々出てきます。
先日放送された朝ドラ「あさが来た」では、あさの娘で千代の親友の女学生・宜ちゃんが、あさが入院している病室を訪れ、あさに対して次のように語るシーンがありました。
「先生を昔から尊敬して生きてきたので、こうして出会うことが出来て、まさに『僥倖(ぎょうこう)の極み』です。」と。

このドラマの時代設定は明治初期となっています。
当時、社会的身分の高い人に対して、学生や女学生のような若い人たちがこのような言葉を実際に使っていたのかどうかは分かりませんが、ドラマとは言え教養のある難しい言葉を台詞に書いているなあと感心しています。
日本語が乱れている現在の若者言葉とは明らかに違っていますよね。

ところで、皆さんは「僥倖(ぎょうこう)の極み」と聞いてその意味がお分かりでしょうか?
失礼しました。分からないのは私だけでしたね。

そこで今日は自分のために「僥倖(ぎょうこう)の極み」について調べてみました。
「僥」という漢字は、訓読みで「もとめる」「ねがう」と読み、運、願望といった意味を持ちます。
一方、「倖」という漢字は、訓読みでは「さいわい」と読みます。
そしてこの二つの漢字からできた「僥倖」は、思いがけない幸せ・偶然に訪れた幸運の事で、「僥倖(ぎょうこう)の極み」は、「思いもよらない幸い、偶然に得られる幸運がこのうえない」という意味になります。

ドラマで宜ちゃんが尊敬しているあさ先生とお会いできた時、彼女は本当に幸せで、この上ない喜びであること感激し、自然に「僥倖(ぎょうこう)の極み」と表現したものでした。
現在の若者が使う「超ラッキー」とは表現の品位に大きな違いがあります。
この素晴らしい言葉を用いて書き上げた脚本家の先生に感謝します。
古い言葉、美しい日本語は時代が変わっても大事にしてもらいたいですね。

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堂に入る

2016-02-28 | 雑学

NHKの連続テレビ小説「あさが来た」は人気があるようで、毎週23%以上の平均視聴率を保っているそうです。
私も毎日観ていますが、十分満足できるドラマ仕立てとなっています。
ヒロインのあさを演じる女優の波瑠さんと夫の白岡新次郎を演じる玉木宏さんのコンビが素晴らしく、そのお二人をとりまく俳優の人たちが非常によい演技をしています。
特に感心するのは、ヒロイン波瑠さんで、その役にあった演技を堂々と演じています。
彼女の演技力は日に日に堂に入ってきているように感じます。

彼女はドラマが始まる前の昨年9月28日に放送された「鶴瓶の家族に乾杯」にゲスト出演していましたが、その時の波瑠さんは普通のお嬢さんで、これから始まる6ヶ月間の朝ドラのヒロインが務まるのかなあと心配するような感じに見えました。
しかし、いざドラマが始まると流石女優です。
その演技力には回を追うごとに磨きがかかり、大隈重信演じる大俳優の高橋英樹やその夫人の大隈綾子を演じる松坂慶子らに対しても決して引けを取らない、正に「堂に入った」演技を演じていました。
このような迫力ある演技力も高視聴率を維持している要因の一つかもしれません。

さてその「堂に入る」と言う言葉ですが、技芸や学問を究める事を何故「堂に入る」と言うのでしょうか?
そこで調べてみました。
広辞苑によると、「堂に入る」とは、(「堂に升(のぼ)り室に入る」から)学術や技芸などが、その道の深くまで達し、すぐれている。また、手慣れていて、すっかり身についている。
と説明しています。

この言葉は『論語』先進篇の孔子が弟子の子路(しろ)の学問について、「堂に升(のぼ)り室(しつ)に入(い)らず」から出た言葉です。
「堂」は客間・表座敷の事で、「室」は奥の間の事です。
客間に上った程度では、奥の事など分からない事から「堂に升(のぼ)り室(しつ)に入(い)らず」は学問や技芸がかなりの水準には達しているが、奥義を極め得るには至っていない事を意味しています。
そして、「堂に入る」は、「堂に升(のぼ)り室(しつ)に入(い)る」を略した言い方で客間にのぼり、奥の間にまで入っていることから奥義まで極めている事を表していると言うことです。

ヒロインの波瑠さんの演技力は次第に「室(しつ)に入(い)り」つつあるように思いますが、如何でしょうか。

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茗荷と物忘れ

2016-02-27 | 雑学

今でも「茗荷(ミョウガ)を食べると物忘れする」と聞く事があります。
医学的には何の根拠もないことですが、この為に茗荷を食べない人もいるようです。
そこで今日はこの俗説について調べました。

「茗荷をたくさん食べると物忘れをする」と昔から言われている俗説の由来は、非常に物覚えの悪いお坊さんの次のような逸話からのようです。
「逸話」
茗荷の名前の元になったお坊さんは、周利槃特(しゅりはんどく)と言い、彼は天竺(インド)の北部に生れ、兄の摩河槃特(まかはんどく)と共にお釈迦様に弟子入りしました。
兄は賢く、お釈迦様の教えをよく理解し、深く仏教に帰依しましたが、弟の周利槃特は物覚えが悪く、自分の名前すら覚えられなかったそうです。
そのため、托鉢に出かけても、お釈迦様の弟子として認められず、乞食坊主扱いをされ、お布施を貰う事が出来ません。
お釈迦様はこれを憐れみ、「周利槃特」と書いたのぼりをこしらえて「明日からこれを背負って托鉢に行きなさい。もし名前をたずねられたら、これでございますと、のぼりを指差しなさい。」と言われました。
次の日から托鉢の時にのぼりを背負っていくと、人々はお釈迦様の書かれたのぼりをありがたがり、たいそうなお布施をいただく事ができるようになったそうです。

さて、兄は、物覚えの悪い弟に、何とかお釈迦様の教えを覚えさせようと手を尽くしますが、弟の周利槃特は朝に覚えていたものを昼には忘れてしまうという覚えの悪さで、自分のおろかさに涙を流して途方にくれました。
それを見ていたお釈迦様は「自分が愚かであると気づいている人は、知恵のある人です。自分の愚かさを気づかないのが、本当の愚か者です。」と言い、ほうきを周利槃特に渡して「ごみを払おう、あかを除こう」と唱えて掃除をしなさいと教えました。

その日から周利槃特は、雨の日も、風の日も、暑い日も、寒い日も、毎日「ごみを払おう、ちりを除こう」と唱えながら掃除をし続けました。
やがて「おろか者の周利槃特」と呼ぶ人はいなくなり、「ほうきの周利槃特」と呼ばれるようになったのです。
そして何十年か経ち、周利槃特は自分の心のごみやあかを全て除き、阿羅漢(アラカン:尊敬を受けるに値する人)と呼ばれる聖者の位にまでなったのでした。

お釈迦様は、「悟りを開くということは決してたくさんのことを覚えることではない。わずかなことでも徹底すればよいのです。周利槃特は徹底して掃除をすることでついに悟りを開いたではないか。」と大衆の前で言われたそうです。  
その後、周梨槃特が亡くなり、彼のお墓にはあまり見たこともない草が生えてきました。彼が自分の名を背に荷(にな)ってずっと努力しつづけたことから、この草は名に草冠をつけて「茗荷(みょうが)」と名づけられたということです。

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2.26事件から80年

2016-02-26 | 時事

今日は2月26日です。
2月26日と聞いて何を思われるでしょうか?
私は学校の歴史で習った2.26事件を思い出します。
勿論、この事件は私が生れる前の出来事なので、先生から聞いたことや書物で読んだ程度の事しか知りません。
今日はこの事件から80年となる日なので、その概要を調べました。

「2.26事件」
2.26事件は、ちょうど80年前の昭和11年(1936年)2月26日未明、陸軍の青年将校ら1483名が兵を率いて、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こし、高橋是清(たかはし これきよ)蔵相、斉藤実(さいとう まこと)元総理・内大臣らを暗殺したクーデター未遂事件です。

「事件の背景」
この事件の背景には、革命的な国家社会主義者の北一輝が記した『日本改造法案大綱』の中で述べた「君側の奸」の思想があります。
この思想の下、天皇を手中に収め、邪魔者を殺し、皇道派が主権を握ることを目的とした「昭和維新」「尊皇討奸」の影響を受けた安藤輝三、野田四郎らを中心とする一部の青年将校が、政治家と財閥系大企業との癒着が代表する政治腐敗や、大恐慌から続く深刻な不況などの現状を打破する必要性を声高に叫んで行動を起こしたものです。
しかし、結局のところこのクーデターは、その天皇によって彼らは反乱部隊として数日のうちに鎮圧されることになりました。
(参考)
・「尊皇討奸(そんのうとうかん)」・・・天皇による政治を実現するためには私利私欲に走り、天皇の命令を曲げて伝えて悪政をしている政治家を討つこと。
・「君側の奸(くんそくのかん)」・・・・・君主の側で君主を思うままに動かして操り、悪政を行わせるような奸臣(悪い家臣・部下)。

「事件の要因」
2.26事件の要因には、根底に陸軍の派閥争いという側面があります。
当時陸軍は、「皇道派」・・・天皇による親政を望み、その為には武力を持ってしても、それを邪魔するものたちを排除すべき
         「統制派」・・・合法的に政府に圧力をかけ、自分たちの望む政治体制を実現させよう。
という二つの派閥に分かれていました
2.26事件を起したのは、皇道派でしたが、彼等は天皇の命により統制派をはじめとする軍部によって一掃され、以降、陸軍では、統制派が力を付けていく事になりました。

「事件の概要」
事件の概要は、大日本帝国陸軍内の派閥の一つである皇道派の影響を受けた一部青年将校らは、かねてから「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンに、武力を持って元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現し、彼らが政治腐敗と考える政財界の様々な現象や、農村の困窮が終息すると考えていました。

彼らは、この考えの下、昭和11年(1936年)2月26日未明に決起し、近衛歩兵第3連隊、歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、野戦重砲兵第7連隊らの部隊を指揮して、岡田啓介内閣総理大臣や橋是清大蔵大臣などの殺害を図りました。
斎藤内大臣、橋大蔵大臣、および渡辺教育総監を殺害し、岡田啓介総理大臣も殺害したと発表しましたが、総理大臣については誤認だったそうです。

その上で、彼らは軍首脳を経由して昭和天皇に昭和維新を訴えました。
当初、陸軍の首脳部は青年将校たちの行動を容認する態度をとっていましたが、海軍が鎮圧を要求し、天皇も同様の立場をとったので、軍と政府は彼らを「反乱軍」として武力鎮圧を決意し29日に鎮圧を開始しました。

そして飛行機やラジオで投降を呼びかけた結果、形勢が不利になったと判断した反乱将校たちは下士官・兵を原隊に復帰させ、2名が自決しましたが、大半の将校は自首して、その日のうちに鎮圧されました。

岡田内閣に代わった広田内閣は陸軍の要求で軍部大臣現役武官制を復活し、これが軍による内閣介入の端緒となりました。
そして、軍部は事件の威圧効果を利用して政治的発言力を強め、戦争体制へと突き進むことになったのです。

戦後70年の現在の日本は豊かで平和な国ですが、今より貧しい生活を強いられていた昭和初期は、軍部の発言力が次第に強くなり、戦争への道を一直線に歩んでいたようです。

 

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電力自由化に便乗した悪質商法

2016-02-25 | 消費者問題

今年の4月から電力小売自由化が始まります。
私たち消費者はお得な会社で割安な料金プランを選ぶ事ができるようになりますが、これに便乗した悪質な勧誘が増加傾向にあることから、国民生活センターでは注意を呼びかけています。

「電力自由化」
電力小売自由化を巡っては、電力には関係のなかった別業種の大・小さまざまな規模の企業が新規参入に名乗りを挙げており、経済産業省の2月8日の発表では事前登録事業者数は169件、さらに115件が審査中だということです。
このような群雄割拠の状況では、知らない名前を名乗る業者が自宅に来た場合に、それが登録業者なのか、「安くなる」というのは本当なのか、を見分けるのは非常に困難です。
そこで国民生活センターでは、次のようにアドバイスしています。

「アドバイス」
1.消費者自ら電力の小売自由化に関する情報を収集し、「料金が必ず安くなる」といった勧誘トークには十分注意すること。  
2.「電力会社を変えると新たに電線を引かなくてはいけない」や「契約した会社が倒産したら電気は止まってしまう」といった説明はウソである事を知っておくこと。
3.「料金が安くなる」、「ポイントで還元される」などと勧誘された際には、どのような条件で安くなるのか、電力以外の商品やサービス契約とのセット料金や値引きになって
  いないか、契約期間が長期なものになっていないか、解約時に違約金が発生しないかなど、よく確認すること。
4.電力の小売自由化に便乗した太陽光発電システム、プロパンガス、蓄電池等の勧誘が行われているので、電力の小売自由化と直接関係のない契約については、その
  必要性についてよく考えること。
5.訪問販売または電話勧誘販売で小売電気事業者と電力の供給契約を結んだ場合、特定商取引法に基づくクーリング・オフが可能であること。
6.「怪しい電話があった」、「契約に際してトラブルになった」、「不安になった」などの際には、最寄りの消費生活センター(電話番号188(いやや))に相談してください。

「悪質商法の手口」
1.「将来的に電気代が2倍になる、と不安をあおり、太陽光発電システムを買えば電気代がお得になる」と巧妙に騙す手口です。
2.「電力会社を名乗る販売員が、自由化でお得プランがありますと言い、『うちの電気給湯器を設置すれば年間3万円の光熱費が節約できます』と売りつけ、途中から話を
  すり替えて高額商品を売る手口。
3.自由化で将来の電気代は2倍になるというウソを並べて、400万円以上もする太陽光発電システムを契約させられたケースもあります。

このような相談は国民生活センターだけでも既に200件以上もあるそうです。

「チェックポイント」
インチキな勧誘に乗せられないために、次のことをチェックしてください。
1.将来的に「電気代が必ず安く(高く)なりますと断定的にいう販売員は怪しい
2.新しい電力会社にするともう1本電線を引かねばならないと工事をやらせようとする。(電線工事は必要ありません)
3.4月までに何もしないと電気が止まる。(電気は止まりません)
4.あるいはメーターを新しくしないとダメだと言って、メーター代を請求する手口。(スマートメーターは無料です)

デジタル式の電気メーター「スマートメーター」は電力自由化を機に、新電力会社と契約する際には設置が必要になりますが、スマートメーターの設置は無料です。
金銭を要求するケースが発生する可能性があるので、その場合は消費者ホットライン188へ相談をしてください。

マイナンバー制度もそうですが、新しい制度が始まるところには、必ず詐欺まがいの商法が出てきます。
最後に頼りになるのは、自分の知識と対応力なのです。
判断がつかない時には消費者ホットライン電話番号188へ相談をしてください。

 

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月に磨く

2016-02-24 | 趣味

私はジョギングを始めて30年余りになりますが、10年ほど前までは市民マラソンへの参加を目的に走っていました。
それが歳と共に次第に体力の衰えを感じるようになり、その後は健康目的として続けています。
健康ジョギングに変えた当初は昼間に走っていましたが、家庭菜園の関係で日中の時間がもったいないと感じるようになったことから、5~6年前から早朝ジョギングに切り替えて、夜明け前の5時過ぎから1時間ほど走ることにしています。

コースは住宅地内の1周約1㎞の周回コースです。
住宅地内と言うことで道路沿いには街灯がありますが、それでも昼間と違って暗く、遠くまでは見渡せません。
しかし、そんな状況下でも満月前後の大きな月が射し込むと、道路や周りの景色を明るく照らしてくれます。
夜明け前の晴れた夜空には満天の星が輝き、一日ごとに変わっていく月の満ち欠けが眺められます。
月光に照らされた光景は、見慣れている昼間のそれとは一味違う美しさがあります。

「月に磨く」という言葉があります。
「月に磨く」とは、月の光を浴びて景色が一層美しくなる。月光で磨かれたように輝く。と言う意味です。
満月前後の数日間に見られる月光に照らされた美しい光景が、早朝ジョギングのしんどさ(辛さ)を和らげてくれています。

満月と言えば、中秋の名月を愛でる「お月見」があります。
「お月見」は、今では月そのものを眺めることに変わっていますが、元々は月そのものよりも「月に磨く」景色を愛でるものだったそうです。
月を眺めるだけではすぐに飽きるし、首も疲れます。
今年のお月見は月を磨いてみては如何でしょうか。

 

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敬天愛人

2016-02-23 | 雑学

西郷隆盛の遺訓に「敬天愛人(けいてんあいじん)」という有名な言葉があります。

「敬天愛人」(南洲翁遺訓第二十四より)
『道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。
天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也。』
「意訳」
『道と言うのは、天地が自ら自然に生み出したものであり、人はこれを行うべきものであるから、何よりも天を敬う事を目的とすべきである。
天は人も私も分け隔てなく同様に愛してくれるので、私たちも自分自身を愛するように人を愛すべきである。』

この言葉には、西郷の自己修養のための指針(目標)と、彼の信仰的とも言える天命への自覚という考え方が含まれていますが、この信仰的な言葉のもとになったのにはある出来事があったのだそうです。
その出来事とは、「入水事件」です。

「西郷の入水事件」
安政5年(1858年)11月16日、西郷は僧・月照(げっしょう)と共に、鹿児島錦江湾の海に投身自殺をはかりました。
月照は薩摩藩の朝廷工作に関わっていた京都清水寺成就院の住職ですが、井伊大老が行った「安政の大獄」により、その身に危険が迫ったのです。
「安政の大獄」とは、井伊大老が、反幕府と見られる行動を取った人々を根こそぎ処罰した弾圧事件で、吉田松陰や橋本左内など多数の志士が投獄・処刑されています。

月照は、「将軍継嗣問題(13代将軍家定の跡継ぎを巡る問題)」や薩摩藩主・島津斉彬(しまづなりあきら)の率兵上京計画等に、薩摩藩と公家の近衛家との仲介役として大いに働いていた経緯があり、そのため幕府に睨まれることになったのですが、そんな月照の身を案じた西郷は、月照を守るべく薩摩藩内に匿うことを計画しました。

しかし、藩主・島津斉彬の急死により、薩摩藩の方針が大きく変わったため、藩は月照の庇護を拒否したのです。
その上、藩は西郷に対し、月照を藩外に追放するように命じました。
幕府の捕方がいる藩外に月照を連れていくことは、西郷には当然のことながら出来ず、この事態に絶望した西郷は月照と相談し、二人は相伴って寒中の海に身を投じたのです。

結果、月照だけが絶命し、西郷は奇跡的に助かりました。
西郷は気が狂わんばかりに、悩み苦しみ、今からでも月照の後を追って、死にたいと思った事と思います。
しかし、この時、西郷は一つの考え方に行き着いたのです。
天が自分一人だけを助けたのは、天が自分に何か大きな使命を与えているからだと考え、西郷はようやくその苦しみから抜け出すことが出来たのです。
そして西郷は、自分が天によって生かされたという、天命への信仰に目覚め、「敬天愛人」への思想へとつながっていきました。
この後、西郷はいかなる艱難辛苦(かんなんしんく)を何度も味わおうとも、決して自ら命を断つということはしませんでした。

「西郷の逸話」
内村鑑三の『代表的日本人』の中で、西郷を紹介している次のような逸話があります。
『雨の中、西郷隆盛は立ち尽くしていた。宮中から退出する際、いつもの着物姿の上、下駄を無くして裸足だったため、門番に怪しい人物と疑われたのだ。「陸軍大将」と名乗っても信じてもらえず、知人が通りかかるまでひたすら待った。』
内心では腹を立てていたのかも知れませんが、自分が事を荒立てれば門番は処罰されよう。西郷は他者、とりわけ弱者の立場をおもんぱかったのでした。
更に、「西郷は人の平穏な暮らしを決してかき乱そうとはしませんでした。」とも記されています。

この「敬天愛人」の言葉を、日本漢字文化センターが今年の四字熟語に選んだそうです。
世相を憂う選考委員の人たちが「日本人の心のあり方を考える年に」と願いを込めたと言われています。

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三寒四温

2016-02-22 | 季節

昨日の大阪泉州地方は春にはまだ遠く、散歩をしていても手袋をしていないと手が冷たくなるような気温でした。
立春以降、少し寒さが和らいだかと思えば、また冬に逆戻りをしたり、そうかと思えば、13日から14日の気温のように、全国的に4月上旬から場所によっては7月上旬並みの気温になったり、そしてその翌日からは再び冬に逆戻りしたような寒さになるなど、気温の変動が激しくなっています。
天気予報によれば、今週も最高気温が10度を下回るような寒さが続くようです。
これも昔から言われているように、「三寒四温」の変形なのでしょうか。

ところで、三寒四温とは、本来は冬に寒い日が3日くらい続き、その後に暖かい日が4日くらい続くという、寒暖の周期を表しているのですが、現在では立春以降の春先の寒暖の変化を表す言葉となっているようです。

そこで調べてみると、「三寒四温」と言う言い方は、元々は朝鮮半島や中国東北部の冬の季節を表す言葉で、この地方は、シベリア高気圧から吹き出す寒気が7日ほどの周期で強くなったり弱くなったりすることがあって、これがこの言葉の由来となっているものです。
それが、日本に伝わってきて、次第に春に近づく気象現象を言うようになったもので、元々は日本の気象を表しているものではないようです。

日本の気象では、所謂「三寒四温」はあまりないようです。
先日、NHKの気象予報士の南さんが解説していましたのでご紹介します。

南さんが過去30年間を調べたところ次のような結果だったそうです。
 順位    周期     回数 
・1位   1寒 1温   36回
・2位   2寒 1温   22回
・3位   1寒 2温   19回
・4位   3寒 1温   18回
・5位   1寒 3温   14回
       3寒 4温    6回

30年間の結果を見ると、「三寒四温」の言葉通りとなった寒暖回数は僅か6回だけだったそうです。
春先によく言われている三寒四温と言う気象は、日本ではあまり見られないのが実状のようですネ。

日本に当てはまらないからと言うのではないでしょうが、三寒四温が昨日の2月21日限りで撤退しました。
と言っても、何の事か分かりませんよね。
実は、いつも行くスーパーの中に「3can4on(三寒四温)」のお店がありますが、このお店が昨日を以って撤退したのです。
アベノミクスで大企業は空前の利益を上げたと言われていますが、地方の小売店などにはその恩恵は及んでなく、依然として厳しい状況が続いているようです。
大阪泉州地区は「多寒少温」でしょうか。

・昨日限りでスーパーのテナントを撤退した「3can4on」です。


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チンドン屋の起源

2016-02-21 | 雑学

現在は余り見かけなくなりましたが、嘗ては、繁華街などで依頼主の看板を身体の前後にかけ、鉦や太鼓をたたき、軽快な音楽を奏でながら練り歩くチンドン屋をよく見かけました。
現在では、イベント等のアトラクションとしてたまに見かけることはありますが、嘗てのような宣伝媒体としてのチンドン屋はあまり見られず、昭和の懐かしい趣がなくなりつつあります。
中村草田男の「降る雪や 明治は遠く なりにけり」ではないですが、「「昭和も遠く なりにけり」の感があります。

ところで、通行人を喜ばせてくれたこのチンドン屋は、実は大阪が発祥のようなのです。
そこで今日はその起源を調べてみました。

・京都東映太秦映画村でのチンドン屋です。(2014年11月撮影)


「チンドン屋の起源」
チンドン屋は弘化2年(1845年)、千日前の大阪法善寺の飴売り「飴勝」が得意の売り声で寄席の宣伝を請け負ったことが始まりとされています。
その後、1883年(明治16年)飴勝の仕事を引き継いだ大阪の「勇亀」は、芝居の口上をまねて「東西、トーザイ」と大声で叫びつつ、町中を触れ回ったことから、勇亀は『東西屋』と呼ばれるようになりました。

このように、明治初期から昭和初期へかけてはチンドン屋の名称はまだなく、〈東西屋〉とか〈広目(ひろめ)屋〉という屋号だったそうです。
この屋号は、街路などで立ち止まって口上を言うとき、最初に〈トザイ,トーザイ〉といったから東西屋であり、開店の披露をするから広目屋といわれたそうです。
昭和初期までは一人で触れ回りをし、多人数を必要とするときはジンタといわれた音楽隊などを加えたと言うことですが、その後、「鉦(かね)」「締太鼓」「大胴(おおどう)」の三種を組み合わせた独特の楽器が考案され、「チンチン、ドンドン」と言う音色からチンドン屋と言われるようになったようです。

因みに、1950年頃には全国に約2500人のチンドン屋がいたとされていますが、1960年代にテレビが普及すると、広告、宣伝の主役は本格的に放送メディアに移行し、チンドン屋は次第にその数を減らしていき、現在に至っているようです。

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蟻の生態

2016-02-20 | 時事

アリの行列をよく見かけますよね。
夏になると我が家の庭でも見かけますが、何故アリは行列を作るのでしょうか?

調べてみると、アリたちは視力が弱く、全く見えない種類も多いようで、そのため、触角で臭いをかいだり物に触れたりして情報を得るそうです。
エサにたどり着くと、その一片を口にくわえ巣に持ち帰えりますが、その時に、おしりの分泌腺からフェロモンと呼ばれる、揮発性の香気物質を断続的に地面に擦り付けて帰るようです。
匂いをかぎつけた仲間は、これを道しるべに一匹、二匹、三匹とエサにたどり着き、その列も次第に太くなり、アリの行列ができると言う訳です。
この匂いは数分で消えるため、エサが無くなると匂いを出さなくなり、いつの間にかその行列も消えてしまうのだそうです。

アリの世界では、女王アリは長生きで、10年以上生存することが知られていますが、働きアリは1~2年で死んでしまうそうです。
だからと言って死ぬほど酷使されて働くのかと言うと、そうでもなさそうです。

先日、蟻の生態に関する記事が新聞に載っていました。
それによると、アリの集団が長期間存続するためには、働かないアリが一定割合で存続する必要があると言うもので、北海道大学の長谷川准教授らのチームがイギリスの科学雑誌発表したのです。

記事では、
長谷川准教授によると「普段働かないアリがいざという時に働いて、集団の絶滅を防いでいる」のだそうです。
研究では、蟻の集団には常に2~3割はほとんど働かないアリが存在することが分かっているそうで、働くアリだけを集めても一部が働かなくなり、働かないアリだけを集めると一部が働き始めるそうです。
何故そうなのか、その理由は分かっていません。

チームは様々な働き方のアリの集団をコンピュータで模擬的に作成し、どの集団が長く存続するかを調べた結果、働き方が均一な集団よりも、バラバラの集団の方が長く存続したそうです。
これは働くアリが疲れて動けなくなった時に、普段は働かないアリが代わりに働き始めるためだそうで、実際に8集団1200匹のアリを観察すると、働くアリが休んだ時、それまで働いていなかったアリが活動し始めることが確認できたそうです。
この事は、休んでいるアリの重要性を示した価値ある成果だと言うことです。
休まないと群れも個体も衰弱することはアリに限らず、人間にも休むことが大切だと気付かせてくれており、教訓とすべきであるとしています。

驚きましたネ。
アリの世界にも二交代制勤務があったのですね。

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