「月とスッポン」という慣用句がありますが、この「スッポン」は亀の仲間の「スッポン」と思っていたら、別の説もありました。
そこで改めてこの言葉について調べました。
「月とスッポンの由来」
①「スッポン説」
月とスッポンとは、ご存知のように、比較にならないほどその違いが大きいことを例えた言葉です。
この言葉の由来は、月とスッポンの形からとする説があります。
月とスッポンは形こそ丸く似ているものの、大きさは満月の方が圧倒的で、まるっきり違うものであること。
そして、夜空に浮かぶ「月」は誰の目から見ても美しいが、泥の中にいる「スッポン」は顔も醜く見た目がいいとは言えない。
このことから、優れて美しいものとそうでないもや、比較にならないほどの違いの例えとして「月とスッポン」という言葉が使われるようになったとする説がよく知られています。
②「素盆説」
ところがウィキペディアや国語辞典のweblioには、スッポンは亀の仲間のスッポンではなく「素盆(ずぼん)」が訛ったものと説明しています。
意味は同じですが、語源については、月とスッポンは同じように丸いが、全くかけ離れているとし、この時の月は水に映ったものであり、また、すっぽんは「素盆(ずぼん)」が訛ったものと説明しています。
つまり、この言葉は、「月と素盆」と言われていたのが、次第に変化して「月とスッポン」になったと言うことです。
・スッポンが丸いとされているのは、甲羅が丸いからなのでしょうか?
「スッポンが丸い?」
でもスッポンが何故丸いのでしょうか?
中国ではスッポンの事を「団魚(だんぎょ)」と言い、日本でもスッポンの異称として団魚と云う言葉が使われています。
これはスッポンの甲羅の模様が丸いことからのようです。
「団」とは、広辞苑によれば、①丸い事、丸い形 ②ひとかたまりになって集まること などと説明されているように、丸いという意味があります。
この事から「スッポン」は丸いと言われています。
しかし、ネットを見ると、スッポンは甲羅の模様が丸いものもいますが、殆どのスッポンには丸い模様が確認できませんでした。
スッポンを「丸い」と表現しているのは、模様ではなく、丸い甲羅を持っていることからのような気がします。(上の画像をご参照ください)
今日は慣用句「月とスッポン」の他説を調べてみました。
10日ほど前は3月下旬から4月上旬の気温でしたが、先週末からは一転して真冬の気温に下がりました。
この寒さで、一昨日も昨日も、近畿の北部や中部の山沿いでは雨又は雪の予報が出ていました。
3月を目前にしたこの時期に、雪が降るような寒さに見舞われると、体調を崩す恐れがあります。
十分お気を付けください。
ところで、「春の雪と歯抜け狼は怖くない」という諺があります。
今日はこの諺について調べました。
「春の雪と歯抜け狼は怖くない」
「春の雪と歯抜け狼は怖くない」という諺は、春に降る雪は歯が抜けた狼のように、見た目は少し心配になるけれど、実際には怖がる必要がない、という意味になります。
暖かくなった3月頃に寒気が流れてきて季節外れの雪が降ると、ちょっとびっくりするかも知れませんが、「三寒四温」で暖かい日に変わるので雪はすぐに解けてしまいます。
一方、「歯抜け狼」という言葉は、歯がないオオカミは人に危害を加えることができないので、怖がる必要はないことを例えて言っています。
このように、この諺は春の雪は「見た目はちょっと心配かもしれないけど、実際には大したことない」と言い伝えています。
ところが現実には季節外れの雪が市民生活に困難をきたしたことがありました。
諺は諺として認識しておき、その上で季節外れの雪には十分注意することも必要です。
林住期
皆様は「りんじゅうき」という言葉をお聞きになったことがありますか?
「臨終期」ではありません。漢字では「林住期」と書きます。
「林住期」とは、古代インドの考え方の一つで、人生の道しるべを示す「四住期」における3番目の期間になり、人生の最高の期間とされています。
日本では、15~16年ほど前に作家の五木寛之が『林住期』という本を出版したことで広く知れ渡りました。
この本は、50歳以降を人生のピークとする生き方を説くもので、世代を超えて反響を呼び、ベストセラーになりました。
「四住期」
では人生の道しるべを示す、四住期(しじゅうき)とは、どのような期間なのでしょうか?
四住期は、人生を4つに区切る古代インドの人生論でで、以下の4区分になります。
①「学生期(がくしょうき)」・・・まだ一人前ではなく、学び、心身の鍛錬を通して成長していく期間。
②「家住期(かじゅうき)」・・・・仕事を得て懸命に働き、結婚し、家庭を持ち、子を育てるために頑張る期間。
③「林住期(りんじゅうき)」・・・世俗を離れ、迷いが晴れ、自分らしく自由に、人間らしく生きる時期。
④「遊行期(ゆぎょうき)」・・・・人生の最後の場所を求め、遊ぶように何者にも囚われない人生の最終盤の時期。
「四住期の年齢区分」
①「学生期」
8歳頃~25歳頃が学生期に当たります。
先生や親など年上の人から学び、身体と精神を鍛え、生きるための術を学ぶ時期です。
さまざまな学びを通して独り立ちを目指します。
この年代は人生においてはまだ未熟であり、周りの大人のサポートを受け、視野を広げながら人生を切り開くノウハウを身に付けていく重要な期間です。
今も昔も、未熟な間はきちんとした鍛錬をおこない、目上の人の助言を聞きながら一人前の力を身に付けることが大切な時期となります。
②「家住期」
25歳~50歳頃、場合によっては定年頃までを家住期と呼びます。
この年代を迎えると社会人としての力を備え、パートナーとの結婚を考える人が多くなり、家族を養う責任が生まれ、貯蓄にも意識が芽生えます。
このため家住期は、一家の大黒柱として働き、仕事で成果をあげるために頑張る時期と考えられます。
学生期を経て身に付けた知識や技術が家住期で花が開き、子育てや仕事などを通して充実した人生が送れる期間となります。
③「林住期」
50歳~75歳頃になると、林住期に入ります。
家住期で家族や社会のために働いた人も、林住期ではその役目を終え、新たなステージを迎えます。
古代インドでは、社会的な義務のみならず家族とも離別して、林の中で修行や瞑想をすると言われていました。
現代では家族と離れるほど、厳格に林住期の生き方を全うするのは難しいですが、自分の内面と向き合い成熟を目指す段階と捉えられます。
子どもが自立し、定年を迎えた後にどのように生きるかじっくりと考えることが大切です。
社会のしがらみから離れた上で自分が本当にやりたいことを見つけ、充実した人生を送るためのチャンスの時期です。
④「遊行期」
75歳からは、四住期における最後のステージである遊行期に入ります。
これは、人生の終焉に向けて準備をする時期です。
この世に対する執念をなくし、巡礼を通して死ぬ場所や悟りを求めます。
インドのバラモン教では、居住地すら捨てて乞食として遊行をおこなうとされています。
ここまで徹底した生き方は困難ですが、近年は「終活」として遊行期に近い生き方を目指す人が増えています。
人生における悔いをなくし、気持ち良くお別れができるように、元気なうちから身辺整理や葬儀について考える重要な期間となります。
私は年齢的には既に「林住期」を過ぎて第4区分の「遊行期」、否「臨終期」かな? に入っています。
④に説明されているように、人生における悔いをなくし、気持ち良くお別れができるように、元気なうちから身辺整理や葬儀について考え始めてみようかと思っています。
昨日の当地は平年気温に戻りましたが、それまでは暖かい日が続き、最高気温は20度くらいまで上がって、3月下旬から4月上旬の気温となっていました。
このような温かさが続くと来月下旬には春野菜の苗が売り出されそうであり、家庭菜園でも、そろそろ畑の準備をしなければならなくなりました。
ところで、春野菜の代表的なものの一つにトマトがあります。
トマトは健康に良い野菜と言われており、西洋には「トマトが赤くなると医者が青くなる」という諺があります。
その意味は、完熟期を迎えたトマトは、病気の原因となる活性酸素を除去するリコピンをはじめ、ビタミン、ミネラルが大幅に増加することから医者に罹る人が少なくなるという意味になります。
実際、トマトには抗酸化作用のある栄養素が多く含まれ、健康的な食品として知られており、以前、医師を対象に行ったアンケート調査によると、医師が「健康のため積極的に食べている食品」の1位がトマトで、2位はヨーグルト、3位は納豆だったそうです。
・2013年のトマトです。
「トマトの栄養素」
トマトには水溶性食物繊維であるペクチンが多く含まれており、腸内環境を整えることで便秘を解消し、吹き出ものを抑える効果が期待できます。
また、トマトに含まれるビタミンHは肌荒れを予防し、ビタミンPは皮膚に栄養を、そして、ビタミンCの効果により、肌荒れ防止や肌に張りを与えてくれるようです。
さらに、ビタミンB6には皮膚病を治す効果も期待できるため、トマトは美容を気にする女性にとって嬉しい野菜と言われています。
「中性脂肪やコレステロールの低下」
ネットによると、トマトを摂取することで2型糖尿病や脂質異常症が改善するとの報告があります。
これは京都大学農学研究科の研究グループが突き止めたもので、トマトに含まれる脂肪酸に中性脂肪値などが高くなる脂質異常症を改善する効果があるという事です。
また、東京医科歯科大学の女性健康医学講座の研究チームは、40~60歳の女性95人を対象に行った実験で、トマトジュースを毎日飲むと血中の中性脂肪値が低下し、エネルギーを消費しやすい体に変わることが明らかになったということです。
このようにトマトは美容を気にする女性にとって嬉しい野菜です。
現在では冬のこの時期でも真っ赤に熟れたトマトがスーパーの店頭に並んでいます。
健康効果のあるトマトを食べて健康な体を保ちましょう。
今年の大河ドラマ「光る君へ」は平安時代を舞台に、「源氏物語」の作者「紫式部」の波乱万丈な人生を描いた物語です。
1月7日に放送された第1話は、冒頭にユースケ・サンタマリア演じる安倍晴明が登場し、北斗七星を眺めて「紫微垣(しびえん)の天蓬の星(てんほうのほし)が、いつになく強い光を放っている」のセリフから始まりました。
現代流に言い直すと、「北の空を見てくれ。おおぐま座のα星が、いつになく強い光を放っている」と言っています。
安倍晴明と言えば、陰陽師の第一人者で、平安時代の貴族トップで権力者の藤原道長も頼ったとされている人物です。
その安倍晴明にまつわる「葛の葉伝説」が大阪府の和泉市に残っていますのでご紹介します。
「葛の葉伝説」
大阪・泉州の和泉市には「葛の葉伝説」があります。
この伝説は和泉市の信太地域を舞台にした平安時代の陰陽師・安倍晴明の誕生にまつわるお話です。
伝説では狩人に追われていたところを清明の父・保名に助けられた白狐が「葛の葉」という女性となって現れ、2人は結ばれて子供を授かるものの、子供に正体を知られて、信太の森に去っていくという物語です。
「物語」
今からおよそ1000年余り前の村上天皇のとき、摂津の国・阿倍野の里に安倍保名(あべのやすな)という人がいました。
保名は家名再興を祈願するため信太大明神に参詣していました。
ある日のこと、いつものように参詣に行った際、池のほとりで沐浴をしていると、狩人に追われて傷ついた白狐が逃げてきました。
保名は白狐をかくまい、逃がしてやりますが、保名自身が追ってきた狩人に捕らえられ、打ちのめされてしまいます。
傷ついた保名が、谷川に降りて傷口を洗っているところを、水を汲みに来た葛の葉という若い娘に会い、介抱を受けます。
傷が癒えた保名は、葛の葉を伴って阿倍野の里へと帰りました。
やがて二人の間に童子という子も産まれ、安穏な日を送っていましたが、この葛の葉こそ、信太の森で保名に助けられた白狐が、恩返しのために人身に化けた仮の姿でした。
それから六年目のある秋の日、葛の葉は、庭に咲く菊の花に見とれているうちに、仮の姿であるということを忘れ、うっかり正体のしっぽを出していました。
わが子に本性を見られてしまった葛の葉は、ともに暮らすのも最早これまでと、障子に
「恋しくば たずね来て見よ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」
の歌を残して、信太の森へと去っていきました。
保名は母を恋い慕う童子を連れて信太の森を探し歩きました。
森の奥深くまできたとき、保名がふと振り向くと、一匹の狐が涙を流してじっと二人を見つめていました。
はっと気がついた保名は、
「その姿では子どもが怖がる、もとの葛の葉なっておくれ。」
保名の声に、狐は傍らの池に自分の姿を映したかと思うとたちまち葛の葉の姿となりました。
「わたしは、この森に住む白狐です、危ない命を助けられた優しさにひかれ、今まで、お仕えさせていただきました。ひとたび狐にもどった以上、もはや、人間の世界には戻れません。」と、とりすがる童子を諭しながら、形見に白い玉と箱を与え、最後の別れを惜しみつつ、ふたたび狐の姿となつて森の奥へと消えていきました。
この童子こそ、やがて、成人し陰陽道の始祖・天文博士に任じられた安倍晴明(あべのせいめい)だと語られています。
葛の葉伝説は、江戸時代に竹田出雲が戯曲化し、「芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」として人形浄瑠璃や歌舞伎で上演されるようになって、一躍全国各地に広がりました。
なかでも、母と父子の別れの場面である「葛の葉子別れの段」は、人形芝居や神楽、歌、語りなど、様ざまな形で各地に伝わり、伝統民俗芸能として継承され、現在まで演じ続けられているということです。
カネノナルキ(金のなる木)」に花が咲きました。
「金のなる木」は、ベンケイソウ科クラッスラ属の多肉植物で、原産地は南アフリカ東部で、ナミビア、アフリカ東部、マダガスカル等に分布しています。
日本には昭和初期に渡来し、「カゲツ(花月)」と呼ばれていますが、本来の和名は「フチベニベンケイ」です。
「金のなる木」
金のなる木は、乾燥や低温などの厳しい環境に適応した丈夫な植物です。
嘗て、新芽が小さいうちに、5円玉の穴に通しておき、そのまま成長させて、5円玉が抜けない状態にして、枝にお金がなったように仕立てたものが流行しましたが、その姿から成金草とも呼ばれています。
多肉質の葉や茎にたっぷり水分を蓄えることができるので、乾燥に強い反面、過湿にさせると根腐れしやすくなります。
「名前の由来」
名前の由来は、諸説あって、その一つは、
・栽培業者が販売促進のために、五円硬貨の穴を頂芽に通して固定し、若枝が硬貨の穴を通ったまま成長するようにして硬貨が生ったように見せかけたことからとする説や、
・他には、葉が丸っこく分厚い形でお金のように見えるからとする説などがあります。
英語でもマネーツリー、ダラープラントなどといいます。
・花は小さいですが星形のきれいな花です。
「花の咲かせ方」
花期は冬で、花を咲かせるためには、1年を通して水やりを控え、出来るだけ日光に当て、そして、夏を過ぎたら絶対に切り戻しをしないことと、真冬の厳しい寒さ(0℃以下)や霜に当てないようにすることです。
以上の点に気をつければ比較的簡単に栽培でき、花を咲かせることができます。
今年の大根栽培は太くて長い立派な大根が多くあり、総じて良好な結果でした。
そんな中、一つだけ珍しい形をした大根がありました。
今日はこの大根を始め、過去に収穫した珍大根を取り上げたいと思います。
「大根栽培」
昔から大根栽培では、「良く耕してからタネをまくこと」が秘訣であることから、「大根十耕」という言葉があります。
「十耕」とは、畑を十回耕すことですが、必ずしも十回でなくてもよく、要はよく耕してから種を蒔きます。
深く、よく耕すことによって、土に空気が入って微生物が活性化し、土中に残る有機物が分解されて、ダイコンが良く育つ清浄な土になります。
大根は根が土に伸びる野菜なので、良く耕さないと割れたり曲がったダイコンになってしまいます。
私の大根栽培は小型テーラーで耕運しているだけであり、深さも30㎝ほどで大根栽培では浅いのかも知れません。
このような事から時々、珍大根が誕生します。
「珍大根」
今年の大根栽培では、人が手足を延ばして、くつろいだ姿勢に見える珍しい大根が誕生しました。
家庭菜園を長くしていますが、このような形の大根は初めてです。
・足を延ばしてくつろいだ姿勢に見えるでしょうか?
「過去の珍大根」
珍しい大根と言えば、過去に悩ましい形の大根が数回誕生していますので、改めて取り上げます。
「ヴィーナス」
2010年6月の“悩ましい大根”「ヴィーナス」です。
この大根は、見事に二股に分かれており、美と愛の女神「ヴィーナス」そのものです。
なお、広辞苑によると、ヴィーナスはローマ神話では菜園の守護女神、のち、ギリシャ神話のアフロディテと同一視され、美と愛の女神。と説明しています。
「脚線美」
2014年5月の「脚線美」と命名した大根です。
太ももから足先に伸びた細い足は理想的な脚線美となっていますが、如何でしょうか?
・すらっとした脚線美の大根ができました。
「ヴィーナスの誕生」
2014年5月には「ヴィーナス」が誕生しました。
この年には同じ月に2回もこのような珍しい大根を収穫しました。
・珍大根「ヴィーナスの誕生」です。
次のネットの「ヴィーナスの誕生」と似ていませんか?
「ヴィーナスの誕生」(ネットより)
この絵画はギリシャ神話で語られている女神ヴィーナスが、成熟した大人の女性として、海より誕生し出現した様を描いています。
・こちらは陸より誕生したヴィーナスです。
このような「珍大根」は、大根栽培としてはあまり褒められたものではありませんが、家庭菜園での楽しみの一つではあります。
当地では2月中旬から下旬にかけてジャガイモの植え付け時期となります。
そこで、我が家でも先日ジャガイモを植えつけました。
「種芋の準備」
植え付ける種芋は毎年12月に農協から、きたあかり4㎏、メークイン1㎏を購入しています。
購入から2か月弱経過すると、殆どの芋に発芽が見られます。
その種芋を植え付けの2日ほど前に1片の重さが30g~60gで2~3個の芽がつくように縦に切り、そのまま切り口がコルク化するまで、新聞紙の上で乾かしています。
「畝の準備」
植え付ける畝は昨秋、落花生を収穫した後の区画です。
既に施肥して畝立てしていた場所ですが、畝立ての後、放置していたことから雑草が伸びており、それを取り除いて畝を作り直しました。
その畝に深さ10㎝程の溝を2列に掘ります。
「植え付け」
上記の溝に種芋の切り口を下にして、株間30㎝で千鳥掛けに植え付けます。
なお、切り口を上に向けると断面に水が溜まるなどして芋が腐りやすくなります。
種イモを囲うように4か所にショベルで隙間を作り、化成肥料を一握りずつ施し、更に種芋間にも施します。
・千鳥掛けに置いた種芋の周り4か所に化成肥料を施したところです。
植え付け後、土を戻して畝を作り直し、マルチ用の黒いビニールを張ります。
その目的は、地温の上昇と草が生えるのを防止するためです。
更に、収穫間際になると株元の土が割れてきて、芋が露出して青くなることから、その予防も兼ねています。
「栽培のポイント」
・ジャガイモの生育適温は15~20℃なので、遅霜に注意が必要です。
・芽は草丈が10㎝程度伸びた頃、1~2芽を残して弱い芽を掻き取ります。
・新しい芋は種芋の上方につくので、マルチをしない場合は株元に2回ほど土寄せを行って芋が地上に露出しないようにします。
・3ヶ月余りで収穫できる短期野菜なので栽培しやすく、6月上旬には収穫が楽しめます
今年の啓蟄は3月5日です。
啓蟄とは、土の中で縮こまっていた虫(蟄)が穴を開いて(啓いて)動き出す日のことです。
先日、畑の草取りをしていたところ、2匹のテントウムシが動き回っているのを見つけました。
大阪南部の当地では、先週末から平年並みの気温に戻り、昨日はそれを上回る暖かさになり、更に今日以降の今週は3月~4月並みの暖かさになるとの予報が出ています。
啓蟄を前にしてテントウムシが動き始めたのはこの暖かさのためでしょうか。
「テントウムシ」
テントウムシは、コウチュウ目テントウムシ科に分類される昆虫の総称で、世界では約6,000種が知られ、日本では約180種が確認されています。
いまだに生態がよくわかっていない種が多く、半数以上は5mm以下の小さなテントウムシです。
赤や黄色といった派手な色彩をもつものが多く、「春の訪れを告げる虫」と言われることもあります。
テントウムシは漢字では「天道虫」と書き,「お天道様の虫」という意味を持つことから、太陽神の使いの虫であると考えられていたようです。
虫のイメージの良し悪しは国ごとに異なっていますが、テントウムシはどこの国でも「よい虫」として認識されているようです。
・啓蟄前に動き出したナナホシテントウムシです。
テントウムシは漢字では「天道虫」と書き、太陽へ向かって飛んでいくことから、「太陽神の天道」が由来とされ、縁起のいい虫とされます。
英語では「Ladybirds」と呼ばれ、聖母マリアの鳥を意味しています。
「益虫テントウム」
テントウムシには肉食と植物食の種類が知られています。
肉食の種類であるナナホシテントウやナミテントウは,農作物の害虫であるアブラムシを食べることから,特に農作物の生産者にとっては,益虫として知られています。
最近では肉食性のナミテントウの中から「飛ばない(飛行能力が低い)」ものを選抜し「生物農薬」としての実用化がすすめられています。
「飛ばない」個体を選抜するのは,行動範囲を制限し,農場から逃亡するのを抑えるためです。
近年では農薬に耐性を持つ害虫が増えていることから、より強力な農薬を開発するよりも生態系の中にある「食う・喰われる」の関係をうまく利用して環境や生産者の健康に影響がない手法で害虫の被害を抑えることが一般化しており、その一翼を「飛ばないテントウムシ」が担おうとしているようです。
「害虫テントウムシ」
一方で植物食のテントウムシは害虫として認識されています。
ニジュウヤホシテントウの仲間はジャガイモ,ナス,ピーマンなどを食べて葉をボロボロにしてしまうため,生産者にとっては厄介な虫と言われています。
・益虫と言われているナナホシテントウムシです。
テントウムシが動き出すと間もなく春がやってきます。
能登の被災者の皆様にも早く春がきてほしいですね。
先日、麻生副総理がまたもや失言をしました。
報道によれば、1月28日に、地元・福岡の講演会で上川陽子外務大臣について語った部分での失言です。
『このカミムラヨウコは大したもんだぜ。俺たちから見ててもこのおばさんやるねえ、少なくともそんなに美しい方とは言わんけれども』と、名前を間違えたり、「おばさん」呼ばわりをしたり、挙句の果てには容姿を揶揄するなどの不適切発言を繰り返しています。
この失言は麻生氏が上川外務大臣を評価する内容を話す中で語ったものですが、一言多いのがこの人の悪い所であり、今回も平然とその不適切発言を発したようです。
これに対して大人の対応だったのが当の上川外相であり、マスコミからの問いかけに対して、「どんな声もありがたく受け止める」と受け流しました。
「酒入れば舌出ず」
ところで、失言と言えば、中国の説話集『説苑(ぜいえん)』に「酒入れば舌出ず(さけいればしたいず)」という諺があります
これは、酒を飲むと口数が多くなり、口数が多くなれば失言も出る。そのため身を誤ることにもなるから、酒は慎むべきであるという意で、戒めの諺です。
「故事」
春秋時代(紀元前7世紀)の中国・斉の国のことです。
ある時、斉の桓公が諸侯を招いて宴会を開きました。
その時、ひとり管仲が宴席に遅れてやってきて、杯の酒を半分だけ飲んで半分を捨ててしまいました。
それを見ていた桓公は管仲の態度を非難しました。
管仲は桓公の非難に答えて次のように言いました。
私は『酒が入った者は舌がでて多弁になる』と聞いています。
身を捨てるよりは酒を捨てた方がましだと思います。
これを聞いた桓公は大いに満足したと言います。
まさか、麻生副総理は酒を飲んではいないでしょうが、この諺のように、失言が続けば身を捨てることになりかねません。
身を捨てるよりは失言を捨てたほうがいいのではないでしょうか。
でも、この方は無理でしょうね。