らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

夏越の祓いの由来

2010-06-30 | 雑学
日本時間の昨夜11時から行われたサッカーワールドカップ決勝トーナメントで、日本はパラグァイと8強を賭けて戦いました。
延長戦を含め120分間の攻防は0対0のまま決着がつかずPK戦になりました。
PK3人目の駒野選手が失敗し、結局5対3で岡田Japanは惜敗しました。
本当に残念ですが、しかし、よく頑張りました。
選手の皆さん感動をありがとう!

さて、本題に入ります。
平成22年(2010年)も今日で前半が終わります。昔から、6月30日には「夏越の祓い(なごしのはらい)」という行事が行われています。
そこで、今日は「夏越の祓い」の由来について調べました。

「夏越の祓い」は、毎年6月晦日に行われる大祓の神事です。
昔は、十二月の大晦日が新年を迎えるための大切な日であったのと同じように、「六月晦日」も、年の前半の間の無事を神に感謝し、収穫までの後半年の無事を祈るための物忌みの日、祓いの日と考えられたようです。(物忌みとは、ある期間、飲食・行為をつつしみ、身体を浄め、不浄を避けること)
そして、宮廷では十二月の大晦日と六月晦日の年二回、「大祓い」の神事が行われていました。

祓いは、日本の神祭りの基本とも言える作法で、大祓いの本来の意義は、年間を通じて最も大切な正月と七月の祖霊迎えの行事を前にして、物忌みを行うことだったようです。
そして、十二月の大祓いを「年越し」と呼ぶのに対し、六月の祓いを「名越し」と呼びました。

十二月の大祓がその一年の穢れを祓って新しい年を迎えようと言う行事であるのに対し、夏越の祓は、一年の前半が済んだところでその半年の穢れを祓い、正常な身で「盆」の行事を執り行うというものです。
この大祓いの行事は次第に民間の神社でも行われるようになり、神社では参詣人に茅の輪をくぐらせて祓い浄めたようです。

「ナゴシ」という名称は、邪神を和(なご)めるために行うことからつけられたと言われています。
そして、旧暦の六月は夏の終わりの月でもあることから、「名越し」は「夏越し」とも書かれ、この日を「六月祓い」「水無月の祓(みなづきのはらえ)」「荒和(あらにご)の祓い」「夏越節供」「輪越祭り」とも呼んでいるようです。

「夏越の祓の行事」
・夏越の祓の行事としてよく見られるものが、「茅の輪くぐり」です。
 茅(ちがや)で大きな輪を神社の境内に作り、この茅の輪をくぐることで病気や禍を免れようと言う神事です。
 この輪くぐりでは、次のように唱えながらこの輪に先ず左足から踏み入れ 8の字を描くように 3度くぐるのが正しい茅の輪くぐりだそうです。

(1周目)
  「水無月の夏越の祓する人は千歳の命(いのち)延(のぶ)というなり」 詠み人知らず(拾遺和歌集)
   意味:六月に夏越の祓いをした人は千年も命が延びるというものです。

(2周目)
  「思うこと みな尽きねとて 麻の葉を 切りに切りても 祓ひつるかな」 和泉式部(後拾遺集)
  意味:思い悩むことが全て無くなってしまうように祈りながら、麻の葉をたくさん 切りに切りて祓いをすることだ。
     (麻の葉は魔除けがあるそうです。現在は紙で代用しているそうです)

(3周目) 
  「蘇民将来(そみんしょうらい)」「蘇民将来(そみんしょうらい)」
  意味;蘇民将来(そみんしょうらい)は人の名前です。

・神社で紙で作った形代(かたしろ、人形)に姓名・年齢を書いて、これで体を撫でて自分の穢れをこの形代に移し、これを川などに流す行事があります。
 ところによっては穢れを移すものが藁の人形であったりと、形は多少異なりますが、同種の行事があちこちに残っているようです。
 この形代に穢れを移して川に流すという行事は、禊ぎ(みそぎ)の行事が形式化したものと考えられます。

・「蘇民将来(そうみんしょうらい)」
 夏越の祓には茅の輪の他に、「蘇民将来札」というものを家の入り口に張る風習が長野県などに残っているようです。

「茅の輪と蘇民将来 神話」
この二つは、神話の中で次のように結びついています。
 武塔の神が旅の途中、ある村で一夜の宿を請うたところ、裕福な巨旦将来はこれを断り、巨旦将来の兄の貧乏な蘇民将来はこれを受け入れてもてなしました。
 その後、旅の帰りに再びこの村を訪れた武塔の神が宿を与えなかった巨旦将来の一族を皆殺しにしてしまいましたが、その際に巨旦に嫁いでいた蘇民の娘だけは
 目印として「茅の輪」を腰に付けさせて助けたといいます。
 そして、蘇民将来には子々孫々疫病から免れることが出来るという福を授けて去って行ったと言われます。

 今でも「蘇民将来子孫」と書いた蘇民将来札を掲げておくと、疫病を免れるといわれ、また茅の輪をくぐって禍を逃れるというのもこの神話からといわれています。



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「七味唐辛子」の由来

2010-06-29 | 雑学

今日は七味唐辛子(しちみとうがらし)の由来について調べました。

唐辛子の原産地は中央アメリカ・南アメリカ・西インド諸島で大昔から栽培されていたようです。
コロンブスがアメリカ大陸を発見した当時、中南米の地域ではインディオが痙攣(けいれん)や下痢の薬として唐辛子が使われていたそうであり、それを1493年頃スペインに持ち帰り、その後、スペインから日本に漢方薬として伝来したと言われています。

七味唐辛子は、江戸時代初期の1625年(寛永2年)、辛子屋の徳右衛門が薬を工夫し、食に利用できないか考案し、唐辛子に6種類の薬味を混ぜ、「江戸名物・やげん堀り」と称して売りだしたのが最初だといわれています。

徳右衛門は両国橋のたもとの薬研堀(やげんぼり)不動堂の近くに住んでおり、そのあたりでは漢方薬の店が並んで賑わっていたこともあって、漢方薬のように薬味を調合することを思いつき、それを売り出したところ大評判になったようで、これが後の「やげん堀唐辛子本舗」で「日本三大七味」の一つといわれているようです。

「七味唐辛子の成分と効能」
七味唐辛子は地方によって多少違うようですが、主に次のような七味を混ぜ合わせてあります。
しかし、必ずしも7種類というわけではないようです。そのため、関東では七色唐辛子(なないろとうがらし)とも呼ばれているそうです。
・唐辛子
 唾液や胃液の分泌を促し、食欲を増進させる作用があるほか、昔から薬用効果もあるとされて、皮膚引赤薬、健胃駆風剤に用いられています。
・山椒(さんしょう)
 唐辛子と成分は似ていて、健胃、整腸、駆虫、解毒剤として腹部の冷痛、下痢等に用いられるほか、食欲増進の効果まであるそうです。
・陳皮(ちんぴ:ミカンの皮)
 温州みかんの皮を乾燥させたもので、漢方薬として利尿剤、咳止めとして重用され、健胃消化薬、鎮咳去痰薬にも使われています。
・白胡麻・黒胡麻
 ビタミンE、リノール酸、オレイン酸、カルシウム、マグネシウム、鉄分を多く含み、セサミンによる活性酸素を抑えることにより、老化や動脈硬化を防ぐ効果がある
 ようです。
・麻の実
 大麻の種子で、たんぱく質、脂質が高く、亜鉛も含まれており、食欲増進に効果があり、成長障害、皮膚炎予防にも有効とされています。
・青海苔
 海藻類の中でもカロチンの量が多く、鉄、カルシウム、ビタミンCなどを多量に含んでおり、細胞老化防止効果などが期待できるようです。

この七味は、当時、江戸庶民に好まれて食べられていた「ソバ」の薬味(薬の味)として好まれ、広まったそうです。
現在「ソバ」には、ネギやわさび、大根おろしなどがつきますが、これらを薬味と言うのはここからきているそうです。

七味唐辛子は、そばの薬味として全国に広がっていきましたが、調合する内容や量は地域によって違っていたようです。
例えば、
京都のソバのだしは関東より薄いので、唐辛子は少なめにして、青海苔、紫蘇、胡麻などの香りを強調した調合になっています。
また、ソバどころの長野では、だしが関東よりも濃いため、唐辛子を多めにして、さらに生姜、青紫蘇を入れて辛さと香りの両方を強調した調合になっているそうです。

このように、その土地の風土や料理の特色に合わせた配合になっているので、唐辛子以外の薬味は特に決まっていないようです。



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貿易記念日と安政の出来事

2010-06-28 | 雑学

今日6月28日は「貿易記念日」だそうです。
そこで「貿易記念日」について調べました。

貿易記念日とは、1963年(昭和38年)に通産省(現経済産業省)が提案し、閣議決定されたもので、その趣旨は、貿易に携わる企業だけでなく、広く国民全般が輸出入の重要性について認識を深めることとされています。

そして、6月28日に制定された理由は、安政6年5月28日(新暦1859年6月28日)は江戸幕府がアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、オランダとの5カ国との間に結んだ友好通商条約に基づき、横浜、長崎、函館の各港での自由貿易の開始を布告し、鎖国を解き、自由貿易を開始した日で、いわば、日本が近代自由貿易にのりだすことを宣言した日と言うことで、この日が記念日となったものです。

安政年間とは、1854年11月から1860年3月までの5年4ヶ月間で、この期間は、江戸幕府が終焉を迎えようとしていた激動の時代です。
後に「安政三大地震」と言われる「安政東海地震(M8.4)」が1854年(安政元年11月4日)に発生し、翌日の1854年(安政元年11月5日)には「安政南海地震(M8.4)」が続いて発生しました。
更に、翌年の安政2年10月2日には「安政江戸地震(M6.9)」いわゆる「安政の大地震」が発生しています。
加えて、安政5年(1858年)4月に井伊直弼が大老に就任するや「安政の大獄」と言われる恐怖政治が行われ、安政7年(1860年)3月3日の「桜田門外の変」で井伊直弼が暗殺されるまで、天災や事件によって市民は不安に怯えます。
経済では列強各国との不平等条約の締結など徳川政権が翻弄された時代で、この14年後の1868年には明治新政府が誕生することとなります。

そこで参考までに安政年間の主な出来事を調べてみました。

 (年代)        (月日)   (出来事)
嘉永7年(1854年)  1月16日  ペリーが軍艦7隻を率いて浦賀に再来日しました。
             3月 3日  幕府、日米和親条約を締結
             8月23日  日英和親条約を調印
             11月    中部・関西で大地震が発生。大阪に大津波が襲来 
             11月27日  嘉永から安政に改元(嘉永7年⇒安政元年) 
安政元年(1854年) 12月21日 日露和親条約調印
安政 2年(1855年)   2月 6日 日露通商条約締結
              10月 2日 安政の大地震発生

安政の大地震図です         (探検コムHPより)                      
            
            10月15日 琉球、フランスと和親条約締結
安政3年(1856年)  7月 3日  ハリスがアメリカ総領事に着任
安政4年(1857年)     この年 インフルエンザ大流行
             11月    吉田松陰、松下村塾を主宰
安政5年(1858年)  4月    井伊直弼大老に就任
             6月19日 幕府、日米通商条約調印
             7月 末   江戸でコレラ大流行(死者10万人以上ともいわれている)
安政6年(1859年)   この年   はしか大流行(安政の大麻疹)
             6月 2日 横浜港、開港
安政7年(1860年)  1月 2日 イタリア船が始めて横浜に来航
             3月 3日 「桜田門外の変」 井伊直弼(46歳)暗殺される
             3月 8日 改元 元号が万延になる(安政7年⇒万延元年)


 

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スイカ栽培

2010-06-27 | 家庭菜園

さて、今日は夏を代表する果物(注)の一つであるスイカについてご紹介します。

スイカ(西瓜)はウリ科の蔓性一年草です。
原産地は熱帯アフリカのサバンナ地帯や砂漠地帯で、日本への渡来は定かではないようですが室町時代以降ではないかといわれています。
中国へは10世紀頃に西の国「ウイグル」から伝わり、西の国から伝わった瓜の意味で「西瓜」と称したようです。
日本語のスイカの名称は、この漢語の「西瓜(シーグァ)」の発音が日本語に訛り変化したものと言われています。
また、英語ではスイカのことをウォーターメロン(water melon)といい、水分の多い瓜という意味で、江戸時代には「水瓜」とも書かれたそうです。
現在でも広辞苑で「すいか」を調べると漢字で「西瓜・水瓜」と書かれています。

さて、我が家のスイカ栽培についてご紹介しますと、昨年は10㎏超の大玉スイカが4~5個収穫できたほか、6kg程度のスイカも5~6個収穫できました。
しかし、収穫時期に田んぼの水がスイカの畝に入り、早々に茎が枯れると言う事態が発生し、いわゆる二番生りのスイカが全く収穫できませんでした。
今年は、水田の畦に使う高さ30㎝の塩化ビニールのフィルムを畝の周りに張り、防水対策を行いました。

・塩化ビニールのフィルムを張り、防水対策を行ったスイカの畝です。


畝には定植の1ヶ月くらい前に米ぬかや油粕、配合肥料などを早めに施肥し畝を作り、その畝に4月下旬5本の苗を定植しました。
現在、苗は順調に育ち、花が咲き、雄花の花粉をこの雌花に受粉して幼果が肥大化しているところです。
授粉が成功しない雌花の幼果が止まらず落果します。

・開花した雌花です。花の下に幼果があります。


これは雄花です。雄しべと上の画像の雌しべの形が違っているのが分かると思います。勿論、花の下には幼果はついていません。

・これは雄花です。


・受粉が成功した雌花は、3~4日でこの位になります。


更に受粉から1週間から10日経過するとこのくらいに肥大します。この後は日々大きく生長していきます。

・受粉から10日ほど経過したスイカです。


昨年はアライグマ対策として上部を防鳥網で覆ったところ上部の網を破って入られたので、今年はこのように畝全体を防獣網で囲いました。

・アライグマ対策はこの方法が万全だと思っています。


ところでスイカは果物でしょうか?それとも野菜でしょうか?
農林水産省における野菜と果物の分類について調べました。
「野菜と果物の区分」 
農林水産省の分類では次のように定義しています。
・「野菜」とは、食用に供し得る草本性の植物で、加工の程度の低いまま利用されるものをいいます。
・「果実」は統計上果樹として分類しており、永年作物などの木本類を言います。

簡単に言えば、
「野菜」とは、種を蒔いた後1年で花を咲かせ、その後枯れる1年草本類を言い、
「果実」とは、木や蔓のまま何年も成長する多年生の木本類の果実を言います。
この分類に従えば、メロン、スイカ、イチゴは野菜となりますが農水省では果実的野菜としています。
日本ではこのようになっていますが、外国では果物に分類しているところもあるようです。


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サッカーW杯 日本決勝トーナメント進出

2010-06-26 | 時事
昨日は早朝から日本全国を嬉しいニュースが駆け巡りました。
サラリーマンや学生の皆さんは居眠りは大丈夫でしたか?

サッカーの第19回ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で、日本はデンマークと1次リーグE組の最終戦を行い、3-1で快勝しました。
この結果、2勝1敗の勝ち点6でE組2位となり、2002年日韓大会以来2大会ぶり2度目、海外開催のW杯では初めての決勝トーナメント進出を決めました。

昨日は、日本は1次リーグ、グループEの2位につけて第3戦のデンマークとの試合に臨み、この試合に勝つか、引き分ければ決勝トーナメント進出が決まる試合でした。

日本は序盤から積極的に攻め、開始から17分後に、ゴールまでおよそ30メートルの距離からのフリーキックを本田圭佑選手が直接決めて先制しました。
さらに30分にはゴール正面の位置で得たフリーキックを遠藤保仁選手が再び直接決めて日本が前半で2点をリードしました。

ワールドカップで1チームが1試合に直接フリーキックを2本決めたのは1966年大会のブラジル以来44年ぶりのことだそうです。



後半、日本はデンマークの猛攻にあい、36分にペナルティーキックのこぼれ球を押し込まれて1点を失いましたが、日本は、42分に途中交代で入った岡崎慎司選手がゴールを決め、結局、3対1でデンマークを破りました。

この結果、日本は2勝1敗で勝ち点「6」としてグループEの2位となって、決勝トーナメント進出を決めました。
日本の決勝トーナメント進出は日韓大会以来、2大会ぶりで海外で開かれたワールドカップでは初めての快挙で、日本サッカー史に歴史を刻みました。
なお、日本のワールドカップ(W杯)通算成績は「4勝7敗2分け」だそうです。

<南アW杯>日本2大会ぶり決勝T進出 デンマークに3−1

それにしてもサッカーの力はすごいものですね。出場している国は勿論、出場していない国でも多くの人たちがテレビを通じて視聴し、盛り上がっているようです。
日本を嫌う中国でも、日本の活躍を賞賛しているとの報道がされていました。

その当事者の日本は特に盛り上がったのではないでしょうか?
大会前の予想に反しての活躍、そしてベスト16へ進出は老若男女から日頃サッカーに関心のない人たちまで歓喜の渦に巻き込みました。
早朝の眠たい時間帯でありながら平均視聴率は30.5%、瞬間最高視聴率は41.3%と報じられています。

決勝トーナメントでは、日本は29日にF組を1位で通過したパラグアイ(FIFAランキング31位)と対戦します。
この試合でも、昨日、日本列島を駆け巡った「早朝からの歓喜」をもう一度味わいたいものです。


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ジャガイモの実

2010-06-25 | 家庭菜園
今朝は嬉しいニュースから始めます。
サッカーワールドカップ南アフリカ大会で日本は決勝トーナメント進出を決めました。
日本時間の今朝3時から行われたE組最終戦でデンマークを3対1で破り、オランダに次いでE組2位で決勝トーナメントに進むことになりました。
岡田ジャパンおめでとうございます。
目標のベスト4を目指して頑張ってください。

さて今日の本題に入ります。
先日、テレビのトピックでジャガイモの実について報じられていました。その数日後には新聞でもこの話題が取り上げられていました。
それほどジャガイモに実がつくことは珍らしいようです。
ところが、この珍しい現象が私の畑で生じたのでご紹介します。

我が家のジャガイモの収穫は既に終了していますが、畑に残っていた芋から芽が出た茎に花が咲き、その花が受粉して実がついたものです。
ミニトマトのような小さな実をつけていたので撮影しました。下の画像がそれです。

・これがジャガイモ茎と実です。右側の竹の支柱に寄りかかって青いミニトマトのような実が付いています。


調べてみると、ジャガイモはナス科の野菜なので種類によっては実がつくそうです。
ジャガイモは殆どの品種で花が咲きますが、通常、咲いた花は摘み取ります。
しかし、品種によってはそのままにしておくと雌しべが受粉して実がつくそうです。

・拡大したジャガイモ(キタアカリ)の実です。青いミニトマトによく似ています。


植物が花を咲かせるのは子孫を残すためと小学校で習いました。そのことからすれば、ジャガイモも花後に実がついても不思議ではありませんね。
私たちが食べている芋は、地下茎の塊茎と言われている部分です。
ジャガイモは子孫を残す術をこの塊茎に得てから、種子を残す必要がなくなり、受粉能力が低下したとも言われています。
男爵やメークインは受粉の能力が低く、花は自然落下し結実しませんが、男爵から品種改良されたキタアカリは、かなりの確率で実ができるそうです。

・これがジャガイモの花です。


実の中には種が入っています。完全に熟してから実を収穫し、そこから種を取り出して乾燥させ、来春種を蒔くと発芽するそうです。
但し、同一品種の受粉とは限らないので、同じ種類の芋ができるとは限りません。
同じ芋をつくるには、種芋を植える方法が確実です。

・実を切るとトマトのような種があります。


このジャガイモの実を食べた人はいないようです。
ジャガイモ(塊茎)も、緑色の部分はあまりおいしくないとされており、ミニトマトのようなこの実も美味しいものではないだろうと言われています。



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悩ましい大根

2010-06-24 | 家庭菜園

今日は芸術品的大根をご紹介します。

春植えのキャベツやブロッコリー、根菜類などの栽培は、アオムシなどの害虫被害が多いため家庭菜園では難しく、私は今まで余り栽培していませんでした。
しかし、今年は春先からの野菜値段の高騰もあって、大根、キャベツ、ブロッコリーの春野菜の栽培を試みました。
案の定、3月下旬から4月にかけての気温の上昇と共にアオムシやヨトウ虫などの被害が見られるようになりました。
そこで、害虫の蝕害が見受けられる都度、害虫の捕獲や早めの殺虫消毒液の散布を行いました。
その結果、思っていたよりも害虫被害が少なく、比較的順調に生育しました。

・大根の畝です。


地上にできるキャベツなどの野菜は順調でしたが、根菜類のように地下にできるものはモグラや上の画像に見られるように土の塊などで変形が目立ちました。
私の畑の畝の下はモグラが縦横無尽に穴を開けており、大根などの根菜類には満足できる畝ではないようです。
このため、真っ直ぐ伸びた根菜類は少なく、何本にも分かれゴボウや人参、びっくりするような芸術品的大根などができます。

今日はその中でも滅多に見られない逸品をご紹介します。
先日、大根を4本収穫したところ、その内の1本に彫刻したような芸術的価値の高い?「悩ましい大根」がありました。
今まで何年も家庭菜園で大根を栽培していますが、このような大根を見たのは初めてです。


「芸術品的大根発見(収穫)の経緯」
 家内 「お父さんちょっと来て! これ何?」
  私  「おっ! すごいなー。こんな大根もできるンやなー。「これは珍しい!」
     「早速ブログに載せよう」

こんな具合で写真には撮りましたが、当初は、果たしてブログでご紹介して良いものか?迷いました。
しかし、滅多にできない自然の芸術作品でもあることからご紹介することにしました。
この大根、見事に二股に分かれており、足の長い八頭身美人のように見える「悩ましい大根」です。
庭の草花に立てかけて撮影したところ、まるでモデルの裸婦が緑の草畑の中に立ってポーズをとっているように見えませんか?

・初めて見る芸術的価値の高い?大根です。


読者の皆さんはこのような大根をご覧になったことがありますか?
このような大根は栽培者の意思で作れるものではありません。正に自然にできた貴重な芸術作品です。
この貴重な芸術作品は、翌日には大根おろしとなって消えていきました。



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沖縄慰霊の日

2010-06-23 | 雑学

今日6月23日は「沖縄慰霊の日」です。
「沖縄慰霊の日」とは、1945年(昭和20年)6月23日に沖縄戦の組織的な戦闘が終結したことに因んで、琉球政府および沖縄県が定めた記念日です。

組織的な戦闘の終結とは、1945年(昭和20年)4月1日にアメリカ軍の沖縄本島上陸によって本格的に開始された沖縄戦は、第32軍司令官 牛島中将を始めとする司令部が自決をした日をもって組織的な戦闘が終結したとされていることです。

沖縄慰霊の日の今日、沖縄では戦いでなくなった肉親や友人たちの霊を慰め、世界平和を願う「沖縄全戦没者慰霊祭」が糸満市摩文仁の平和記念公園で行われます。

・「平和の礎」の石碑です。            (沖縄県平和祈念財団HPより)


これに先立ち、昨夜は「沖縄全戦没者追悼式前夜祭」が開催されました。
この追悼式前夜祭は、沖縄戦で犠牲になられた人々に思いをいたし、平和祈念行事の中で最も重要な行事として位置づけられているそうです。

今日の「沖縄慰霊の日」には就任後初めて菅総理大臣が沖縄を訪問し、戦没者追悼式に出席されるようです。
菅総理大臣は、鳩山前首相が普天間飛行場問題について「最低でも県外」との公約を果たせず、深く傷ついた政府と沖縄の関係を再構築する出発点としなければなりませんが、ここまで沖縄県民の政府に対する信頼が失われた状況では、その回復は極めて厳しい状況です。
普天間飛行場の移設問題における日米合意は、名護市辺野古の滑走路の場所や工法の検討を8月末までに終えるとしていますが、名護市長は受け入れ反対を崩しておらず、仲井真弘多知事も「実現は極めて厳しい」と明言しています。

・平和祈念公園にある「平和の火」です。(沖縄県平和祈念財団HPより)

  
太平洋戦争で、日本国内において一般住民が地上戦を体験したのは沖縄県だけです。
戦死者が20万人を超す沖縄戦において、実に9万4000人余りの戦死者が兵隊以外の一般県民や子供だったそうです。

・糸満市摩文仁の平和記念公園にある平和の礎です。 
 この「平和の礎」には、平成20年6月現在24万734人(外国人を含む)の犠牲者の名前が刻まれているそうです。    (沖縄県平和祈念財団HPより)

                           

戦後65年経った今なお沖縄には日本にある米軍基地の75%が集中しています。
民主党は沖縄の負担軽減を図ることを選挙の都度主張していますが、その筋道については明確に言っていません。

沖縄の負担軽減を図るには、憲法を改正し、日本の自主防衛力を高め、米軍依存を縮小し、米軍基地の国外への移転を進める以外ありません。
しかし、中国の軍事力増強や朝鮮半島情勢など、緊張が高まっている北東アジアにおいて、日本はどのように自国の防衛と安全を守っていくのか、今こそ国民全員がこの問題に真剣に向かい合いたいものです。



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「ジュウニヒトエ(十二単)」の花

2010-06-22 | 
少し季節外れになりましたが、今日は4月に撮影した我が家の「ジュウニヒトエ(十二単)」の花を紹介します。

「ジュウニヒトエ(十二単)」は、シソ科キランソウ属の多年草で日本固有種です。
本州や四国に分布し、農道や山際などのやや湿った場所に生えます。
草丈は15~20cmほどで、花は茎の先に何段も輪生し、下から咲き上がってきます。
ジュウニヒトエ(十二単衣)の和名は、花が重なり合って咲く姿を宮中の礼装として着用した十二単衣に見立てて付けられたものです。

・これが「ジュウニヒトエ(十二単)」です。


葉は長い楕円形で対生(向かい合って)し、裏側は白っぽく、葉の縁には粗い波状の鋸歯があります。



開花時期は4~5月で、葉の脇から穂状花序(すいじょうかじょ:長い花軸上に柄のない花が多数着生する)を出し、花径5㎜~10㎜の小さな青紫や白い唇形の花を輪生させます。

・「ジュウニヒトエ(十二単)」という名前の割には地味な花です。


「薬効」
開花時期に全草を採取して乾燥させたものは健胃等に用いられるそうです。




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夏至とは

2010-06-21 | 季節
今日6月21日は二十四節気の一つ「夏至」です。
そこで、夏至について調べました。

「夏至」の日は、北半球では1年の中で太陽の高度が最も高く、昼間の長さが最も長い日であり、最も短い「冬至」と比べると、5時間余りも昼間が長くなっています。
北半球では、春分から秋分の間は太陽は真東からやや北寄りの方角から上り、真西からやや北寄りの方角に沈みますが、夏至の日には、この日の出、日の入りの方角は最も北寄りになります。
なお、日本では、日の出が最も早い日は夏至の1週間前の頃であり、日の入りが最も遅い日は夏至の1週間後の頃と言われています。

また、日本では太陽の南中高度(太陽が真南に来た時の太陽の高さ(角度)を言います)が80度近くなり、ほぼ頭の真上から日が照りつけますが、北回帰線(夏至線:北緯23度27分)上から見ると夏至の日の太陽は正午に真上(天頂)を通過します。
そして、夏至の日には北緯66.6度以北の北極圏全域で白夜(びゃくや:一晩中太陽が沈まない日)となり、南緯66.6度以南の南極圏全域で極夜(きょくや:一日中太陽が出ない日)となります。

「夏至の日の食習慣」
食習慣では、「冬至」にカボチャを食べるように「夏至」でも各地で習慣があるようです。
例えば関西では、夏至から11日目の「半夏至(はげっしょ:今年は7月2日)」には、田植えも終わっていることから「稲がタコの足のようにしっかり田んぼに根付くよう祈願してタコを食べる習慣があるようですし、また別の地方ではイチジク田楽を食べる習慣があるとも言われています。



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