らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

挨拶

2013-08-31 | 雑学

良好な社会生活を営む上では欠くことのできない「挨拶(あいさつ)」ですが、それをしない人たちに遭遇することがよくあります。
一方で公文塾に通ってくる小学生の中にはよく挨拶をしてくれる児童もいます。勿論見知らぬ子供です。
子供の方から「こんにちは」とあいさつするので、こちらも大きな声で挨拶を返してやります。
家庭の躾か或いは学校で指導しているのか知りませんが、「こんにちは」の一言でお互いに気分がよくなり、一言付け加えて「よく勉強するんやでー」とか「気ーつけて帰りーや」といってやります。

挨拶は相手の存在を認め、私はあなたとコミュニケーションが取りたいという意思表示を行動として表わしたものであったり、或いは「あなたは私がコミュニケーションを取るに値する人ですよ」と認める意思表示とも言える大切な意味があり、新たに顔を合わせた時や別れ際に礼儀として行われる定型的な言葉や動作のことに加えて、式典などで儀礼的に述べる言葉をいうこともあります。

漢字では「挨拶」と書き、「挨」は「押す」、「拶」は「迫る」の意味があるそうで、その語源は、禅宗で、門下の僧に押し問答して、悟りの深浅を試すことをいう「一挨一拶(いちあいいつさつ)」から生まれた言葉だそうです。

我が家は禅宗ではないので詳しく知りませんが、
「禅問答(ぜんもんどう)」とは、禅僧が悟りを開くために行う問答のことです。
禅家で、修行者が疑問を問い、師家(しけ)がこれに応えるもので、一般の人には何を言っているのか理解できないところから、転じて、真意がとらえにくい、かみ合わない問答・会話を言います。

また、挨拶として軽くお辞儀することをいう「会釈(えしゃく)」も、元は仏教用語で、「和会(わえ)通釈」(意味は、一見矛盾と思われる内容を、前後照合して矛盾しない真実を見つけ、納得できる解釈を示すこと)の略で、そこから、心遣い、思いやり、さらには、挨拶、儀礼的口上の意に派生したものだそうです。

挨拶はコミュニケーション、意思の疎通を円滑にするためは不可欠です。
冒頭にも書いたように「おはようございます」「こんにちは」の一言で、その日一日が気持よく過ごせます。
職場で、学校で、ご近所で、あるいは地域社会で、明るい大きな声で挨拶を交わしたいものですね。


羊雲

2013-08-30 | 地元紹介

大阪南部・熊取地方は24日から26日までの秋雨前線通過による豪雨の後、朝夕はすっかり秋らしくなりました。
それを証明するかのように一昨日の早朝には秋を代表する雲と言われている「ヒツジ雲」が上空に広がっていました。
空一面に広がった「ヒツジ雲」を見るのは極めて珍しいと思われるのでご紹介します。

ひつじ雲は基本雲形(十種雲形)のなかの「巻積雲」或いは「高積雲(こうせきうん)」で、小さな塊状の雲片が群れをなして、斑状や帯状の形をつくり、白色で一部灰色の陰影をもつ雲のことです。
まだら雲、叢雲(むら雲)とも言われており、比較的高い空に現れる雲です。
形や大きさの揃った小さな雲が等間隔で広がり、ひつじの群れのように見えたりすることから、そう呼ばれます。

・8月28日午前6時3分、自宅前から撮影


ところで「うろこ雲が出たら3日のうちに雨」、「ひつじ雲が出ると翌日雨」というような、うろこ雲やひつじ雲を悪天の予兆とする諺が全国にたくさんありますが、これはかなり当てになる諺で、まず7割くらいは当たるらしいです。

気象予報士の森氏によると、なぜ巻積雲や高積雲が悪天候の予兆なのかというと、そのヒントは味噌汁にあるそうです。
味噌汁(豚汁のようにあまり具沢山でないほうが望ましいです)に手をつけずにしばらく放置すると、表面に所々味噌が湧き上っては沈み、まだら模様が現れてきます。
この現象は、暖かいお味噌汁の表面が冷えることによってお椀の中で小さな対流がいくつも起こるもので、ベナール対流という現象だそうです。

巻積雲や高積雲もまさに同じ現象で、上空で対流が起こり始めていることの現れなのだそうです。
このように上空で温度のアンバランスが生じるのは、空気の入れ替えが始まっている可能性が高く、高気圧が抜けかかっていて、低気圧や前線が接近していることを示唆しており、このことから巻積雲や高積雲が現れたあとは天気が悪くなるということが予想できるのだそうです。

・午前8時28分、畑からの撮影です。


大阪地方は今日夕方には雨の予報が出ています。
今日ご紹介している「羊雲」ですが、前記の諺と照らし合わせてみると「翌日の雨」ではないことから、或いは「うろこ雲」なのかも知れません。


穴があったら入りたい

2013-08-29 | 雑学

恥ずかしくて人に顔を見られるのがつらく、どこかに身を隠してしまいたい、と思う気持ちを例えた諺に「穴があったら入りたい」があります。
この諺の出典は日本の故事からと思って調べたところ中国でした。

中国・前漢時代の政治思想家・文章家である賈誼(かぎ:紀元前200~紀元前168年)がまとめた新書からのようです。
それによれば、魯(ろ)の国の単父(ぜんぽ)と云う町に斉(せい)の国が攻めてくることを知った魯(ろ)の地方領主の季孫(きそん)は、町長である宓子(ふくし)に、実った麦を奪われないように全員で町中の麦を急いで刈り取るように命じました。
しかし、町長の宓子(ふくし)がその通りにしなかったために、麦はまんまと敵に取られてしまいました。

その事を問い正された宓子(ふくし)は「今まで作業をサボっていたような者にまで麦を刈り取らせたら、また敵が攻めてくればいいと思うようになる。
麦はまた来年蒔けばいいが、曲げてしまった気持ちはなかなか直せない」と答えました。

それを聞いた領主の季孫(きそん)は自分の浅はかさを恥じて、身の置きどころがないと思い、穴があったら入りたい。宓子(ふくし)に会わせる顔がないほど恥ずかしい。」と言ったそうです。
この事が元となって生まれたのがこの諺だそうで、「穴があれば入りたい」「穴があるなら入りたい」とも言います。

今、他国の領海に平気で侵入を繰り返す中国の指導者たち、世界各地の観光地で無礼を働く中国人観光客達、中国には恥の文化が無いと思っていましたが、2200年前にはこのような立派な人たちがいたのです。
中国の国民には自国の歴史を学んで欲しいし、更に、日本の支援で経済大国となったことをよく認識してもらい、恩を仇で返すようなことは止めてもらいたい。


水滴石穿

2013-08-28 | 雑学

今日は中国故事「水滴石穿(すいてきせきせん)」をご紹介します。
「水滴石穿」とは、軒下から落ちる僅かな水滴でも、長い間、同じ所に落ち続けると、ついには固い石にも穴をあけてしまうことから、小さなことでも継続すれば大きな成果を挙げることが出来るという事を例えた諺です。

中国・宋の時代、ある県の長官は蔵番の役人が蔵から出てくるとき、1文銭をふところに入れるのを見てしまいました。
直ちに長官は蔵番を逮捕し、厳しく取り調べたところ、蔵番はその1文銭を蔵から盗み出したことを認めたので、この蔵番を百叩きの刑に処すことに決めました。
すると蔵番は「たった1文銭盗んだだけで百叩きの刑とは、あまりに横暴がすぎる!」と不服を申し立てました。

それを聞いた長官は、さっと紙と筆をとり、次のようなことを書き付けました。
「一日一銭 千日千銭 縄じょう鋸きょ木断 水滴石穿」という判決文を書いてその場で死刑にしたそうです。
判決文の意味は、「一日一銭でも千日では千銭になる。縄でも鋸のこぎりのようにして木をこすり続けるとやがて木を断ち切る。僅かな水滴も長い間続けて石の上に滴り続けるといつしか石に穴をあけてしまう」というもので、些細なことから生ずる綱紀の乱れを厳しく戒めたものでした。

なお「縄鋸木断(じょうきょぼくだん) 水滴石穿(すいてきせきせん)」は、幕末の志士たちが愛読したという菜根譚(さいこんたん)にも引用されて、「縄鋸に木も断たれ、水滴に石も穿(うがつ)たる、道を学ぶものは、このように絶えず努力し続けなければならない」と訓(おし)えていたそうです。



ピンはね

2013-08-27 | 雑学

他人の利益の上前を搾取することを『ピン撥(は)ね』と言いますよね。
古くより暴力団や建設業、人材派遣、芸能興行などで、労使の力関係によって否応なく生じる理不尽な慣行として広く行われてきましたが、最近は悪しき慣行として認識されるようになってきているようです。

なぜ利益の上前を搾取することが「ピンはね」なのか?
今日はその語源について調べました。

『ピンはね』は『上前をはねる』とも言い、意味は「人に渡すべき金品から一部を取ること」ですが、“上前”は、“上米”が変化した言葉だそうです。
“上米”は、室町時代には「年貢米の一部」 を、江戸時代には「通行税の一種」を指し、"はねる"は、「かすめ取る」の意味で、ここから「利益の一部を取ること」を『上前をはねる』と言うようになりました。

一方、「ピンはね(ピンをはねる)」の“ピン”は、ポルトガル語のpinta(ピンタ)が由来で、その意味は「10%(一割)上前」だそうです。
そこから「ピンをはねる」は「一部・一割」を「かすめ取る」ことを指し、「上前をはねる」と同じように使われるようになったそうです。

この「ピンはね」はウィキペディアによれば、最近では人材派遣業者がそうした風潮に乗り、ピンハネを堂々と行っており、利ざやは大きな場合は50%以上となっているようであり、また、建設業においては古くから元請けが下請けに丸投げを行い、監理もせず利益のみを得る手法が伝統的に行われてきています。
更に暴力団では上部組織が下部組織より会費、交際費などの名目で上納金を徴収することによってピラミッド型の組織が維持されているということです。


清水の舞台

2013-08-26 | 時事

現在、世界遺産・清水寺の国宝・本堂の柱の修理が行われています。
マスコミの報道によれば、修理は傷んだ柱の根元を切り取って新しい木に替える「根継ぎ」工法で9本の柱を修理するものです。

清水寺は奈良時代末期の創建とされ、現在の本堂は江戸時代初期の1633年に再建されたもので、柱168本の内、今回修理される9本は380年前の再建以来初めての修繕だそうです。

・傷んだ柱の根元を切り取って新しい木に替える「根継ぎ」工法の修理です。(読売ネットより)


ところで清水寺と言えば、「清水の舞台から飛び降りる」という言い回しがあります。
この意味は、死んだつもりで思い切った行動を取ること、或いは非常に重大な決意を固める事を意味しますが、何故、清水の舞台なのか調べました。

「清水の舞台から飛び降りる」の謂れは、本当に飛び降りた者がいたからだそうです。

江戸時代には「この舞台から命を懸けて飛び降りると願いが叶う」という一種の庶民信仰のようなものが流行ったそうです。
清水寺が「成就院日記」から、飛び降り事件に関する記述を抜き出してまとめた調査によると、江戸前期の元禄7年(1694年)から幕末の元治元年(1864年)までの間に、記録が抜けている分を除いた148年間の飛び降り事件は未遂も含め234件発生したそうです。

・清水の舞台です。(ウィキペディアより)


高さ13mもある清水の舞台から飛び降りた人の生存率は85.4%と高く、10代、20代に限れば90%以上の人が助かっている一方で60歳以上では6人全員が死亡したそうです。
男女比では、男7に対して女3、最年少は12歳、最年長は80歳代で、年齢別では10代、20代が約73パーセントを占め、更に地域別では京都の人が最も多く、東は現在の福島や新潟、西は山口や愛媛にまで及んでいます。
しかし、明治5年(1872年)に政府によって飛び降り禁止令が出された後は飛び降りは激減しました。


ポンペイ最後の日

2013-08-24 | 雑学

今日8月24日は、「ポンペイ最後の日」です。

ポンペイは西暦79年8月24日、イタリアナポリ近郊のヴェスヴィオ火山が突然噴火し、麓のポンペイの市街が約8メートルの火山灰により埋没しました。
1738年に農夫がこの遺跡を発見、発掘により当時の町の様子がそのまま出現したことからイギリスの歴史小説家リットンがこの大噴火を題材にして『ポンペイ最後の日』の小説を書き上げたそうです。

そして、その小説をもとにした映画『ポンペイ最後の日』は、ローマ帝国の町ポンペイを舞台に、正義と悪の相克、様々な立場の登場人物たちの行動を経て、最後に火山の大爆発によるカタストロフ(地殻の激変)によって幕を下ろすストーリーとなっているようです。

私は映画は観ていませんが、昨年イタリア旅行した時に世界遺産のポンペイ遺跡を見学してきたので改めてその一部をご紹介します。

「ヴェスヴィオ火山」
紀元後79年8月24日の大噴火が有名であり、この時の火砕流でポンペイ市を埋没させました。以後、数十回の噴火を繰り返しているそうです。
嘗ては3000mを超える火山だったそうですが、度々の噴火で山が削られ、現在は1281mになっています。
1880年には山麓から火口まで登山電車が開通しました。これを記念して作られた歌がよくご存じの『フニクリ・フニクラ』です。

・これがポンペイの町を火山灰で埋没させた「ヴェスヴィオ火山」です。手前の遺跡はジュピター神殿跡です。(2012年3月撮影)


「大噴火で亡くなった人のレリーフ」
ヴェスヴィオ火山の大噴火に伴い、発生した二酸化硫黄や硫化水素などの有毒ガスによって、ポインペイでは多くの人が亡くなり、膨大な量の火山灰が降り、人々の上に積りました。
長い年月が経つと、人間や動物の肉体は腐食し、微生物による分解でなくなります。その結果、火山灰の中が空洞化します。
考古学者等はそこに石膏を流し込み、石膏が固化した後、火山灰を取り除くことで人や動物のレリーフができあがります。
この方法によって、往年の人々の顔の表情や容姿、衣服から装飾品までがレリーフで再現されているのですが、その数は1200体に上ると云われています。

・大噴火で亡くなった人のレリーフです。(2012年3月撮影)


「車道と歩道」
・2000年前にすでに車道と歩道が設けられ、通りの両側には家や商店が立ち並んでいたポンペイ遺跡です。



目から鱗が落ちる

2013-08-23 | 雑学

あることをきっかけに、今までわからなかったことが急に理解できるようになることを「目から鱗が落ちる」と言います。
今日はこの諺の語源について調べました。

この諺の出典は『新約聖書』使途行伝の第九章にある「The scales fall from one's eyes.」という言葉に基づくようです。
それによれば、熱心なユダヤ教徒のサウロ(パウロ)はその立場からはじめはキリスト教徒を迫害する側に立っていましたが、復活したイエス・キリストから、「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかけられ、その後、目が見えなくなりました。

キリスト教を迫害していたサウロの目が見えなくなったとき、イエス・キリストは弟子のアナニアというキリスト教徒を派遣し、神のお告げによってサウロのために祈るとサウロの目から鱗のようなものが落ちて、目が見えるようになったと言われ、これが「目から鱗が落ちる」の語源になったと言われています。

この諺は単に「目から鱗」ともいいますが、正しくは「目から鱗が落ちる」です。
しかし、文化庁が発表した平成19年度「国語に関する世論調査」では、本来の言い方である「目から鱗が落ちる」を使う人は80.6パーセント、間違った言い方の「目から鱗が取れる」を使う人が8.7パーセントという結果が出ているそうです。

間違わないように気をつけたいものですね。


のど仏

2013-08-22 | 雑学

大阪では昨日で15日連続の猛暑日となりました。
大阪南部の熊取では、この間雨は全く降らず、空気が乾燥していて外に出るとすぐに喉がカラカラとなり、水分の補給が欠かせません。
通り雨や夕立ち、場合によっては台風でもいいから雨を降らして欲しいという気持ちです。

さて、喉と言えば、成年男子にはっきりと見られる喉の隆起した部分、所謂「のど仏」があります。
これは、骨の形が「仏様が鎮座しているような形に見える」ことから名づけられたのですが、今日はこの喉仏について調べました。

喉仏は「喉骨(のどぼね)」や「結喉(けっこう)」とよばれていましたが、喉仏と呼ばれるようになった由来はその形状が座禅をしている仏さまの姿に見えることからだそうです。
宗派により異なるようですが、火葬場で骨上げをする際、最初に歯を拾い次に「足」、「腕」、「腰」、「背」、「肋骨」、「頭部」の順で骨壺に入れ、最後に故人と最も縁の深い二人が喉仏を拾うのが一般的だそうです。
その時に、喉仏の形がはっきりして仏様が座禅を組んでいる姿に見えると「生前によい行いをしていた」と言われるそうです。
しかし、カルシウム不足の人でもよい行いをしていれば綺麗に喉仏が残るのかは定かではないようです。

この喉仏、英語ではAdam's apple(アダムスのリンゴ)と呼ばれます。
これは旧約聖書において神が創った最初の人間アダムとイブが禁断の木の実(リンゴ)を食べた時、神から声をかけられ慌てて飲み込んだところ、それが喉につかえて「喉仏」になり、イブの食べた木の実は乳房になったという伝承からのようです。

喉仏は、西洋・東洋共に神仏に関係することばで表わされているようです。



判じ物

2013-08-21 | 雑学

現役の頃、店内にトンチのような文字書いた板を飾ってある飲み屋を数軒見かけたことがあります。
例えば、「春夏冬二升五合」の類です。
このような【文字や絵に隠した意味を当てさせることば遊び】を「判(はん)じ物」と言うのだそうです。

今日はこの「判(はん)じ物」について調べました。

「判(はん)じ物」とは、「判ずる」=【推し量って考える】から「判じ物」と言われ、その起源は平安時代にまで遡るそうです。
江戸時代になるとより庶民的な遊びの要素が加わり、多くの人々に受け入れられたそうで、特に、絵によるなぞなぞ「判じ絵」は、謎かけの遊びというだけではなく、文字が読めない人への伝達手段としても大きく役立ったそうです。

そこで冒頭の「春夏冬二升五合」ですが、これを何と読むのかと言うと、
まず「春夏冬」では四季の秋がないので、「秋ない」となり、商売の「商い」の意味となります。
「二升」の「升(しょう)」は「ます」と読み、「升」が2つで「ますます」。
そして「五合」は「一升の半分」で「半升」、即ち「繁盛」です。
つまり「春夏冬二升五合」は「商い、ますます繁盛」と読みます。

店内に飾っておけば、お客さんとのコミュニケーションのツールにもなり、"商売がうまくいきますように"という思いを謎かけのように表わしていて、初めて見かける人には興味が沸きますよね。

この判じ物、他にもないかとネットを調べたところ、仙台エリアマーク事業協同組合さんのblogにありました。
その一部をご紹介します。

つぎの1,2,3をそれぞれ何と読むでしょうか?

1.「十三里(じゅうさんり)」 hint:食べ物です。

(読み方)
1.焼き芋(さつまいも)屋
  →栗よりうまい→「九里」「四里」うまい→9+4=13で、こういう看板が出たそうです。
  「十三里」はそのまま「じゅうさんり」と読んで、さつまいもの事を指したそうです。

(将棋の駒の形の板に)「歩(ふ)」 hint:販売していません。

(読み方)
2.質屋
  →「歩」は「金」に成るので、こういう看板を下げたそうです。

(まな板みたいな板に)わ」 hint:裏側には「ぬ」と書いてあります。

3(読み方)
.銭湯(湯屋)
  →「板」に「わ」=「わいた」=「(湯が)沸いた」で、銭湯の営業中の看板。
  裏は「板」に「ぬ」=「ぬいた」=「(湯を)抜いた」で、本日終了。
  →江戸時代に良く見られたのは、「弓と矢」の実物を模した看板だったそうです。
  こちらは、「弓(ゆみ)」を「射る」で、「ゆいる」=「湯入る」という意味だそうです。