らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

花海棠(ハナカイドウ)

2010-03-31 | 

今日は、我が家の鉢で栽培している「花海棠(ハナカイドウ)」をご紹介します。

「花海棠(ハナカイドウ)」は春を代表する花の一つで、美人の代名詞とも言われているとても美しい花です。
この花は、バラ科リンゴ属に属する落葉性花木で、原産地は中国、日本には江戸時代初期に渡来ました。
名前の由来は、中国名の「海棠」をそのまま読んだもので、15世紀に渡来した実の大きな実海棠(ミカイドウ)に対し、花が美しいので「花海棠(ハナカイドウ)」と命名されたそうです。

・我が家の「花海棠(はなかいどう)」です。毎年きれいな花を咲かせます。


原産地の中国では、牡丹と共に最も愛好されている花の一つと言われているそうです。



唐の時代の玄宗皇帝が「楊貴妃」を評した言葉に、
 
   「海棠(かいどう )睡(ねむり) 未(いま)だ 足らず」 
があります。

これは、「楊貴妃」の眠りが足らず、酔いの醒めきらない美人のなまめかしさを海棠の花に例えたものといわれています。
その美しい淡いピンクの花が、ほのかに酒気を帯びた絶世の美女のうたた寝の顔に例えられており、このことが美人の代名詞となっている所以のようです。



また、美人のうちしおれた姿を、海棠が雨に濡れて萎れている様に例えて使われる言葉として、

   「海棠(かいどう)の雨に濡れたる風情」 があります。

「海棠(かいどう)」の花は、美人に例えて使われる言葉がたくさんあって、とても幸せな花ですね。

・いつまでも見飽きることがない、正に、女性の美しさや柔らかさを表現するかのようなきれいな花です。


クレオパトラ、楊貴妃と共に世界三大美女の一人と言われている「小野小町」が詠んだ歌をご紹介します。

   「はなのいろは うつりにけりな いたづらに 
           わがみよにふる ながめせしまに」 
小野小町

    (意訳) 花の色はすっかりあせ衰えてしまったなあ。
          何もせずに降る長雨を眺めながら、空しく物思いをしていた間に。




カステラの由来

2010-03-30 | 雑学

昨日は、中学生の読者”ちいちゃん”からのリクエストに応えて、「チョコレートの由来」についてご紹介しました。
今日も、”ちいちゃん”からのもう一つのリクエスト、「カステラ」について調べることにしました。

カステラの語源は、ポルトガル語の「pao de Castelra(パオ・デ・カスティーリャ)」からと言われています。
「パオ・デ・カスティーリャ」とは、スペイン・イベリア半島の中央部の標高600~700mに位置するカスティーリャ地方のパンの意味で、ポルトガルの焼菓子のひとつだそうです。

日本へは、室町時代末期にポルトガル人によって長崎へ伝えられた南蛮菓子の一つで、当時は、「加須底羅」や「家主貞良」などの漢字が使われ、「かすていら」と呼ばれていたそうです。

ファイル:Castella,made in nagasaki-city,japan.JPG

カステラは日本では長崎が本場とされています。
「カステラといえば長崎」と言われるほどに「長崎カステラ」がよく知られていますが、この「長崎カステラ」は長崎県の銘菓という意味ではなく、製法が同じものを総称して呼んでいるようです。

カステラの一般的な製法は、鶏卵を十分泡立てて、小麦粉、砂糖(水飴)、蜂蜜などを混ぜ合わせた生地を長方形の型に流し、オーブンで焼きます。
元々は単純なレシピでしたが、日本に伝えられた後、日本独特の菓子として進化し、改良されて発展したようです。
日本の和紙を使用した包装技術は、本場のポルトガル人が長崎まで見習いに来るほど注目されたと伝えられています。

カステラを応用した菓子としては、福島県の「会津葵」、愛媛県の「タルト」、島根県の「八雲小倉」、長崎県平戸市の「カスドース」、長崎市の「桃カステラ」などがあるようです。
また、長崎カステラを洋菓子化したものとして銀装の「カステ」があり、料理では「伊達巻」もカステラの調理方法を応用したものと言われています。

2日にわたって”ちいちゃん”からのリクエストを調べました。
”ちいちゃん”テーマのご提案ありがとうございました。





チョコレートの由来

2010-03-29 | 雑学

先日、中学生の読者”ちいちゃん”から、「チョコレート」と「カステラ」について調べて欲しいとのリクエストがありました。
そこで、今日は「チョコレート」について調べることにしました。

ご存知のように、チョコレートはカカオの種子を発酵・焙煎したカカオマスを主原料とし、これに砂糖、ココア、バター、粉乳などを混ぜて練り固めた食品です。
近年の工業生産チョコレートでは、原料コストの削減、加工性や風味の向上、栄養強化の目的で、これらに加え、香料、糖質、植物油脂、甘味料など、さまざまな原料を配合することが多いようです。

チョコレートの原料であるカカオは、紀元前2000年頃には中央アメリカやメキシコで栽培されていたそうであり、15世紀までは、カカオは貨幣として流通するほど珍重されたそうです。
当時、メキシコの原住民では、カカオを粉にしてコーンミールや唐辛子を入れて、水や湯に溶かしたものを嗜好品として、或いは薬用飲料や強壮用として飲用していたそうです。この飲み物は「ショコラトール」呼ばれ、とても苦かったようです。

チョコレートの語源は、メキシコ・インディオのこの「苦い水」という意味の「chocolatre(ショコラトール)」からと言われています。
近世になって、チョコレートはオランダ語で「ショコラート」、ドイツ語で「ショコラーデ」、フランス語で「ショコラ」と呼ばれています。

1847年にイギリスのフライ・アンド・サンズ社が固形の食べるチョコレートを考案するまでは、チョコレートと言えば飲み物を意味したようです。
しかし、この固形のチョコレートは現在のようなおいしいものではなく、苦かったので万人には普及しなかったそうです。

ファイル:Chocolate.jpg

日本での呼び名は、チョコレートが入った1715年(正徳5年)には、「チョクラーツ」と呼ばれていたようです。
また、日本初の国産チョコレートは米津風月堂が1878年に製造したもので、米津風月堂では「貯古齢糖」の名で発売したそうですが、「牛の血が混ざっている」と噂され、売れ行きは悪かったそうです。
日本でチョコレートが人気菓子になったのは1918年(大正7年)、森永製菓が本格的な製造を始めた以降と言われています。

(一口メモ)
チョコレートの分類は「チョコレート類の表示に関する公正競争規約」によって規格が定められているようですが、風味による一般的な分類は次のようです。
・スィートチョコレート
 粉乳を含まないチョコレート。 特に甘味が低く、苦味の強いものを「ビターチョコレート」と呼ぶこともあるようです。
・セミスィートチョコレート
 粉乳が若干量配合されたチョコレート。 ミルクチョコレートほど粉乳成分を含んでいないもの。
・ミルクチョコレート
 粉乳が配合されたチョコレート。
・ハイミルクチョコレート
 粉乳と若干量の非脂肪カカオ分が配合されたチョコレート。  
・ホワイトチョコレート
 粉乳が配合され、非脂肪カカオ分が含まれないチョコレート。 カカオ分はココアバターのみです。
・チョコレート飲料
 チョコレート若しくはカカオ由来の原料(粉末ココアなど)を、乳製品や水と乳化させ、飲料にしたもの。       


 


「シャスターデージー」の花

2010-03-28 | 
先週1週間は雨や寒い日が続きましたが、それでも花木や草花は元気に花を咲かせ、私達の目を楽しませてくれています。
そんな中、純白の小菊が目につき、思わずシャッターを押しました。
この花は「シャスターデージー」と思われます。
そこで今日は「シャスターデージー」の花について調べました。

・長池公園の「シャスターデージー」の花です。


「シャスターデージー」はキク科フランスギク属の園芸植物で、シクラメンの改良で知られるアメリカの著名な育種家ルーサー・バーバンクが1901年に発表した観賞用植物だそうです。
欧州のフランスギクと日本のハマギクを親に、アメリカで作り出された交配品種で、名前の由来は、カリフォルニアのシャスタ山(標高4,317m)の万年雪に花色を例えて名付けられたと言われています。
この「シャスタ」という言葉はインディアンの言葉で「白」を意味するそうです。



耐寒性の常緑多年草で、根生葉はヘラ型、枝につく葉は互生して長円形で、表面は深緑色で光沢があります。
草丈は50~60cm(矮小性品種では30㎝くらい)で、花期は4~6月です。
茎先に付く花は直径5㎝ほどの頭状花(菊などの花)で、花弁が純白、中心部は黄色をしており、コントラストが大変美しい花です。

・花弁の白色と中心部の黄色が大変美しい花です。


この花は5月26日の誕生花となっており、花言葉は「すべてを耐え忍ぶ」だそうです。



消費者トラブル(その9)果物の押し売り

2010-03-27 | 消費者問題

今日は、最近増加している「果物の訪問販売」のトラブルについてご紹介します。

国民生活センターによると、リンゴやミカンなどの訪問販売に関するトラブルが年々増加しており、「断りきれず、大量の果物を買ってしまった」と言った相談が全国的に拡大しており、注意を呼びかけています。

「手口」
その手口は次のようです。
 ①男性2人組、男女2人組などが消費者の自宅を訪れる。
 ②味のよいリンゴやミカンを試食させるが、値段をはっきりと言わない。
 ③消費者が購入を決めると、消費者が考えていた以上の高価格・大量の果物を購入するよう勧める。
 ④消費者が断ると「試食しておいて買わないのか」などと強引に購入させる。
 ⑤領収書などを渡さないため、販売者の名前や連絡先は分からない。
 ⑥購入した果物が傷んだり、「味が悪い」というケースも多い。
味の良い果物を試食させることによって断りにくくして購入させます。
後で箱を開けると大半が傷んでいたというケースも目立つそうです。

(実例)
高知県の80代の女性は昨年11月、訪れた業者に「千円札10枚を一万円札に両替してくれ」と言われて、1万円札を渡した。
ミカンを勧められ、試食したところ「1kg1,400円」と言われ、1kgだけ注文した。
しかし、10kg入った箱を出され14,000円請求された。
「そんなに食べきれない」と断ったが、強引に押し切られ、最初に渡した1万円を持っていかれた。
販売業者の名前や連絡先は分からない。自動車は他県のナンバーだった。
と言うものです。

「消費者へのアドバイス」
・必要がなければキッパリと断ること
 味見をすると断りにくいので、ドアを開ける前に訪問目的を確認し、必要なければキッパリと断ってください
・販売者の名前や連絡先は不明なことが殆どなので、安易に契約しないこと
 値段を後で伝えたり、傷んだりした果物を購入させるものが多いので、「買う」と返事をする前に値段や品質をよく確認すること。
・訪問販売で購入した場合は8日間のクーリングオフが適用されます。
 しかし、このような業者の場合、多くは領収書を渡さないため、業者名や連絡先がわからず、対処が難しいのが実情です。
・トラブルに遭ったら、すぐに消費生活センターなどに相談すること。
 また、お金を騙し取られるようなケースも見られるようであり、この場合はすぐに警察に届けてください。

高齢者が狙われるケースが目立つようです。十分注意してください。




玉ねぎ栽培(極早生品種の収穫)

2010-03-26 | 家庭菜園

スーパーの野菜売り場には新玉ねぎが陳列されていますが、家庭菜園でも早生(わせ)の玉ねぎが収穫できるくらいまでに大きくなってきました。
今日は、極早生(ごくわせ)玉ねぎの収穫についてご紹介します。

私の玉ねぎ栽培は毎年種から育てています。
今年は、極早生(ごくわせ)、晩生(おくて)、赤玉ねぎの3品種の種を購入し、播種しました。
このうち、極早生と赤玉ねぎについては発芽しましたが、晩生については全く発芽しなかったため、知り合いや実家から苗をもらい植え付けました。
下の画像の極早生品種は半月余り早く植え付けたものですが、それから5ヶ月余り経った今週初めには収穫できるまでに大きくなり、一部を収穫しました。

・大きくなった極早生玉ねぎです。


玉ねぎは収穫時期になると茎が自然に倒れます。我が家の極早生は未だしっかりとした茎であり収穫時期には少し早いようです。
玉の部分も軟らかく、全面収穫にはまだ半月くらい要するものと思います。

家庭菜園での玉ねぎ栽培の良いところは、数種類の品種を時期をずらして栽培できることです。
こうすることで、極早生は晩生より1ヶ月~1ヵ月半早く収穫でき、病害虫予防の前に無農薬野菜として食べられること。
更に、未だ玉が成熟過程にあることから、軟らかい玉ねぎであると共にネギの部分も軟らかいので無駄なく食べられることです。
軟らかい玉ねぎは、蘞味(えぐみ)がなくて、スライスで生食するには最高です。
正に、家庭菜園の醍醐味と言ったところでしょうか。

・一部収穫した極早生玉ねぎです。


晩生品種については未だ下の画像のような状態であり、玉にはなっていません。
現時点では病害虫の被害もなくきれいに育っていますが、これから気温が上昇するとベト病などの病気が発生しやすくなり、病害虫防除が欠かせません。
こちらの収穫は5月下旬から6月初旬の予定です。

・晩生の玉ねぎです。


晩生は苗をもらった関係で植え付け時期が2回に分かれており、その分現時点での生育状況に差が出ています。

・手前の3畝は11月上旬に、その奥の2畝は11月下旬に植えつけたものです。


収穫後の玉ねぎの保存が毎年長持ちせず、夏過ぎには腐敗するのでその原因を調べてみました。
(原因)
 ・品種の問題と、春の遅い追肥が腐る要因のようです。 最終追肥は3月上旬までに行うようにすること。
 ・収穫が遅れると貯蔵性が低下するようです。全体の80%くらいが倒伏したら収穫を始めること。
今年の栽培では、以上のことに気をつけて栽培しているところです




「花ニラ」の花

2010-03-25 | 

家庭菜園における野菜のニラはこの時期新芽が伸び始めたところですが、野草の「花ニラ」は今が盛りと花を咲かせています。
今日は星形の花弁が美しい「花ニラ」の花をご紹介します。

「花ニラ」はユリ科イフェイオン属の多年草で、原産地はメキシコ、アルゼンチンと言われています。
日本には明治時代中期に渡来したと言われ、関東地方以西で野生化したようです。

・春の日差しを浴びて一斉に花を咲かせた花ニラです。


名前の由来は、葉が韮(にら)に似ている事や葉っぱをちぎると野菜の韮(にら)の臭いがすることからつけられたようです。
花はきれいな星型をしており、英名では「スプリング スターフラワー(Spring star flower)」と呼ばれています。

・星形の花弁と縦の縞模様がとてもきれいな「花ニラ」の花です。


葉は、広線形肉質で鮮やかな緑色をしており、長さ15~30㎝で地を這うように多数束生し、野菜のニラやネギのような匂いがあります。
高さ約15~20cmの花茎の先端に3月~4月にかけて直径3㎝ほどの白や薄紫の美しい星型の花を咲かせます。

・この花を見ると散歩の途中でも思わず足が止まります。


この「花ニラ」は食べても特に害はないと言われていますが、まずくてお奨めできないそうです。
しかし、西洋甘菜(せいようあまな)と言う別名があるように、花には葉の匂いからは想像できないような甘い芳香があり、日本では園芸植物として栽培されているようです。
「花ニラ」は寒さに強く、5年くらい植えっぱなしにしておいても毎年球根が増えて花を咲かせます。
昨年、我が家では「花ニラ」を捨てるつもりで鉢から抜いて庭の隅に置いていたところ、今は根を伸ばして生き生きとしており花も咲います。
それくらい手間のかからない観賞用植物です。
結局、我が家では捨てずにそのまま咲かせています。



「彼岸」と「墓参り」の関係

2010-03-24 | 雑学

18日に「彼岸入り」した「お彼岸」は今日が「彼岸明け」となります。
彼岸の由来と行事については18日にご紹介したところですが、今日は何故お彼岸にお墓参りをするのか、「彼岸」と「墓参り」の関係について調べました。

仏教では、生死の海を渡って到達する悟りの世界を「至彼岸」略して「彼岸」と言うのに対し、その反対側の私たちがいる迷いや煩悩に満ちた世界を「此岸(しがん)」と言います。
そして、「彼岸」は西方に、「此岸(しがん)」は東方にあるとされており、太陽が真東から昇って真西に沈む春分と秋分は、「彼岸」と「此岸(しがん)」が最も通じやすくなると考えて、先祖を供養するためにお墓参りをするようになったと言われています。

この「お彼岸」の風習は日本独自の伝統的な文化であり、他の仏教国にはないそうです。
それは、日本では正月など神道にまつわる行事を行う一方、仏教を説いた釈迦の教えも受け入れてきたこと。
また、お彼岸は「日願」でもあるため、太陽の神を信仰する神道と結びつきやすかったこと。
更に、春の種蒔きや秋の収穫とも結びつき、自然に対する感謝や祈りがご先祖様に感謝する気持ちにもつながっていること。
などから、日本では「お彼岸」のお墓参りは大切な行事となって現在に至っているようです。



レンギョウ(連翹)の花

2010-03-23 | 

春の訪れと共に、各家庭の庭に植えられている花木は開花し、道端の野草はこの時を待ち望んでいたかのように、色とりどりの花を咲かせています。
これらの花を見ながらいつもの散歩コースを散歩していると、熊取:長池公園で黄色が鮮やかな「レンギョウ(連翹)」の花を見つけました。

そこで、今日は「レンギョウ(連翹)」について調べました。

「レンギョウ(連翹)」は、モクセイ科レンギョウ属の落葉低木です。
原産地は中国で、日本への渡来は平安時代初期と言われています。しかし、実際に渡来した時期は定かではなく、江戸時代前期に栽培の記録があることから江戸時代だと言う説もあるようです。
和名の「レンギョウ(連翹)」の名前は漢名の「連翹」を音読みしたものと言われています。
別名をレンギョウウツギ(連翹空木)と言い、古名は「いたちはぜ」、「いたちぐさ(鼬草)」と言うそうです。

・熊取:長池公園のレンギョの花です。


「レンギョウ(連翹)」の果実にはルチン(rutin)などの成分が含まれており、漢方薬として利用されています。
漢方医学では「連翹」と呼ばれて、解熱剤、消炎剤、利尿剤、排膿剤、腫瘍・皮膚病などの鎮痛剤に用いられているようです。
また、「レンギョウ(連翹)」に含まれている、トリテルベン、モノテルベングリコシド、リグナンなどの成分には強い抗菌作用があると言われています。

・これがレンギョウの花です。


「レンギョウ(連翹)」の種類には、「チョウセンレンギョウ(朝鮮連翹)」、「シナレンギョウ(支那連翹)」、「ヤマトレンギョウ(大和連翹)」などがあります。
・チョウセンレンギョウ(朝鮮連翹)
 花はやや大きめで細長い、幹は弓状に曲がり鋸歯がほぼ全面にあり、「シナレンギョウ」よりも葉の幅が広い。
・シナレンギョウ(支那連翹)
 花は下向きに咲き、淡黄色、枝や幹は直立し、鋸歯が葉の先端部分にあります。
・ヤマトレンギョウ(大和連翹)
 日本固有の「レンギョウ(連翹)」で岡山県の北部を中心に分布しているそうです。

・傍で見る、黄色一色のレンギョウの花はとてもきれいです。


詩集『智恵子抄』で知られている詩人の高村光太郎は、連翹をこよなく愛したそうです。
このため光太郎の命日である4月2日は「連翹忌」とも言われているそうです。




「放送記念日」について

2010-03-22 | 雑学
3月22日は「放送記念日」だそうです。そこで放送記念日について調べてみました。
その結果、次のような幾つかの放送記念日がありました。

・2月  1日の「テレビ放送記念日」。
        1953年(昭和28年)2月1日NHK東京放送局が日本で初めてテレビの本放送を始めた日です。
・3月22日のラジオの仮放送を始めた「放送記念日」  
・6月  1日の「国際放送記念日」
        1935年(昭和10年)日本放送協会が海外向け短波ラジオ放送のラジオ日本の本放送を開始した日       
・9月10日の「カラーテレビの放送記念日」
        1960年(昭和35年)日本放送協会および民間放送4局がカラーテレビジョンの本放送を開始した日
・12月1日は「デジタル放送の日」
        2000年(平成12年)日本初のデジタルハイビジョン放送、BSデジタル放送を開始した日

この内、今日は3月22日のラジオの仮放送を始めた「放送記念日」についてご紹介します。
この「放送記念日」は、大正14年(1925年)3月22日に、NHK(当時東京放送局)がラジオの仮放送を始めたのを記念して昭和13年に制定したものです。

「放送局の誕生」
大正14年(1925年)、ラジオといえば現在のITと同様に当時の最先端技術であり、事業許可の出願者数が東京で27件、大阪で22件、名古屋で12件と多数に及んだそうです。
こうした中、逓信省では、東京の27団体を一つにまとめて東京放送局として許可することを決定し、設立認可を出しました。
同様に大阪・名古屋でも認可が下り、コールサインは東京放送局がJO,大阪放送局がJO,名古屋放送局がJOと決められたそうです。

「正確な情報伝達の必要性」
この時期に放送局が相次いで誕生した理由は、大正12年の関東大震災の影響によるものと言われています。
その影響とは、この大震災は「外国の攻撃によるものらしい」という根も葉も無い噂が飛び交い、外国人が襲撃されると言う事件が多数発生した事によるものです。
そこで、東京市長だった後藤新平氏はどのようなときにも瞬時に正しい情報を国民に伝えるメディアの必要性を痛感したと言われ、特にこの事業に乗り気であったと言われていたようです。

「ラジオ放送の意義」
ラジオ放送開始式の式典で、後藤新平総裁はラジオ放送の意義として次の4点を挙げられたそうです。
 1.文化の機会均等。
    放送は地域・年齢、性別に関係なく聞くことが出来る。
 2.ラジオを取り囲んでの家庭内での団欒。
    外に行かなくても家で寄席などが聞ける。
 3.社会人でも放送を通して教育を受けることが出来る。
 4.経済機能の敏活化に寄与する。

「ラジオブームとシャープ㈱」
放送開始時のラジオ受信契約者は5455人だったそうです。
先に書いたようにラジオは当時の最先端技術であり、ラジオの前には毎日のように人だかりが出来たそうです。
更に、今では考えられませんが、当時はラジオを買うのにもいちいち役所の許可が必要だったそうです。
このラジオブームに便乗したのが大阪のシャープ(現在:シャープ㈱)で、鉱石ラジオを発売したところ飛ぶように売れたと言われています。

(参考)
鉱石ラジオとは、真空管ラジオが普及する前に広く用いられたもので、方鉛鉱や黄鉄鉱などの鉱石の整流作用を利用したAMラジオ受信機のことです。

・鉱石ラジオとはこのようなものです。(当時、価格は3円50銭だったそうです)



なお、今日の記念日はラジオの仮放送を始めた日ですが、本放送は1925年(大正14年)7月12日に、東京中央放送局が日本で初めて開始したそうです。