らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

京都の旅(3)京都御所(1)

2017-09-30 | 旅行

私たち文振連の一行は美山河鹿荘で昼食後、西の鯖街道を通って次の目的地である京都御所へ向かいました。
「西の鯖街道」は、標高800メートルの丹波高地を挟み、福井県高浜町、おおい町名田庄、京都府南丹市美山町、京都市京北、そして京都御所をむすぶ約87キロメートルの街道で、鉄道が敷設されるまで福井県若狭地方と京都を結ぶ最短の文化・経済のルートでした。
京都では今回の社会見学会のもう一つの目的である「京都御所」見学しました。

「京都御所」
京都御所は、明治維新までは天皇のお住まい(古くは内裏:だいり)であり、桓武天皇が奈良の平城京より長岡京(京都)を経て、延暦13年(794年)に平安京に都が移されたのが始まりです。
現在の京都御所は土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)と云われた里内裏が発展したものです。
光厳(こうごん)天皇が元弘元年(1331年)ここに即位されて以降、明治2年(1869年)に明治天皇が東京に行幸(ぎょうこう)されるまでの約500年間天皇のお住まいとして使用されました。
現在の建物は安政2年(1855年)に再建されたものです。

「京都御所の築地塀(ついじべい)」
京都御所の「築地塀(ついじべい)」は、五筋の白線をつけた薄い泥色の壁で、格調ある静閑な雰囲気をもって、約11万3000㎡の京都御所の十余の木造宮殿群を囲んでいます。
これは塀として最高の格式を示すものだそうです。

・築地塀の右奥に見える屋根は「宜秋門」です。


「御車寄(おくるまよせ)」
宜秋門(ぎしゅうもん)を入るとすぐに「御車寄」があります。
天皇より「牛車の宣旨、手車宣旨」を賜った者は宜秋門から車のまま通行が出来て、この御車寄より昇降出来ました。
御車寄は、昔摂家、親王、堂上、六位の蔵人など昇殿を許された人々が正式参内の時に限り昇降するところです。



「諸大夫の間(しょだいぶのま)」
諸大夫の間は、「御車寄」の南側に位置して建てられており、正式の御用で牛車または徒歩で参内したものの控えの間です。
御車寄せから昇殿出来ない武家、大名などはこの御殿の西の平唐門を入り、沓脱(くつぬぎ:長い石)で沓を脱いで昇殿しました。



「新御車寄(しんみくるまよせ)」
新御車寄」は、大正4年(1915年)の大正天皇の即位の礼に際し建てられたもので、大正以後の天皇、皇后両陛下の玄関です。



「承明門(じょうめいもん)」
「承明門」は、紫宸殿の前面にあって、築地塀(ついじべい)の諸門と異なり、朱色の円柱を用いた瓦葺の中国風の門で、大きさは、五間、三戸、十二脚門となっています。
この門は、天皇行幸、並びに上皇御譲位の後の出入りに用いられます。
また、恒例、臨時の節会、その他、御即位、御元服、立后、立太子など厳儀の際この門を開きます。

・朱色が鮮やかな「承明門」です。奥の御殿が紫宸殿です。


「建礼門」
京都御所の正門です。
現在も天皇皇后及び外国元首級のみが通ることのできる、最も格式の高い門とされています。



「紫宸殿」
「紫宸殿」は、即位礼などの重要な儀式を行う最も格式の高い正殿です。大正天皇、昭和天皇の即位礼もここで行われました。
建築様式は入母屋、檜皮葺(ひわだぶき)の高床式宮殿建築で、南面して建てられており、中央に天皇の御座「高御座(たかみくら)」、その東に皇后の御座「御帳台(みちょうだい)」が置かれています。
現在の高御座と御帳台は、大正天皇の即位礼に際して造られたものです。



「高御座(たかみくら)」
写真右側下の囲まれている台座の上には高御座が安置されています。
高御座とは天皇の玉座です。
平安時代以来、大極殿または紫宸殿に安置し、即位、朝賀、蕃客(ばんかく:外国の使節)引見などの大礼の際に用いられました。



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京都の旅(2)知井八幡神社

2017-09-29 | 旅行

「かやぶきの里」ではボランティアガイドさんの説明を受けたことから、個人での自由行動時間が殆どとれませんでした。
出発までの僅かな時間を利用して「知井八幡神社」にお参りしてきたのでご紹介します。

「知井八幡神社」
案内によると、当神社は中世、知井之荘9ケ村の総社で、延久3年(1071年)に創建されました。
永禄10年(1567年)に山抜けによる大洪水で流出したため、社殿移築の協議がまとまり、元亀元年(1570年)に現在地に移転・再建されたそすです。
伝承によると、和銅6年(713年)妖怪が出没し、人々を恐怖に陥れました。
天皇の命を受けた占い師は、丹波の奥山に棲む八つ頭の大鹿の仕業と判じました。
天皇は直ちに甲賀三郎兼家に命じて大鹿退治に当たらせます。
首尾よく退治に成功した兼家は、神恩に感謝してその地に建てた社が「知井八幡神社」の起源とされています。

・かやぶきの里に鎮座している知井八幡神社です。


「知井八幡神社本殿」
現在の本殿は明和4年(1767年)に再建されたもので、三間社、流造、銅板葺き、正面屋根に千鳥破風が設けられ、3間唐破風向拝が付き、向拝部の蟇股や象鼻、懸魚などに繊細で多様な彫刻が施されています。
知井八幡神社本殿は江戸時代中期に建てられた大型神社本殿建築の遺構として貴重なことから京都府指定文化財に指定されています。



「神社彫刻」
知井八幡神社の繊細で多様な彫刻は丹波地方を代表する神社彫刻として広く知られているそうです。
本殿の彫刻の一部をパンフレットの画像からご紹介します。

・本殿正面より見上げた彫刻です。


「麒麟の木鼻彫刻」
本来の木鼻の形は簡素な模様を施したものであったが、江戸中期以降は、獅子、象、麒麟などの霊獣(聖域を守るための古来中国の伝説上の生き物)を精巧に彫り込んだ木鼻になっています。



「力神(りきしん)」
鬼の形相で力の限り柱を支えています。



「獅子の子落とし」
我が子に試練を与え厳しく育てることを例えて言われる慣用句です。



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京都の旅(1)かやぶきの里

2017-09-28 | 旅行

一昨日、熊取町文化振興連絡協議会(以下、熊取町文振連)の社会見学会が催されたので参加してきました。
熊取町文振連とは、公民館等において、自主的な学習や文化活動を行っているクラブで組織している協議会であり、毎年この時期に社会見学会を実施しているものです。
今年は京都府南丹市の「美山かやぶきの里」と「京都御所」を見学するプログラムが組まれました。
今日から数回に分けてご紹介します。

「美山かやぶきの里」
『カーブを曲がると昔話の世界が広がります。「むかし、むかし、あるところに・・・」と語り出したくなるような日本の原風景がここにあります』
美山かやぶきの里のパンフレットはこのような表現で始まっています。

ここ美山町内には数多くの茅葺き民家が現存しており、北集落 知井地区には50戸のうち38棟がかやぶきの屋根だそうです。
伝統的技法による建築物群を含めた歴史的景観の保存度への評価も高く、平成5年(1993年)12月に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
1年を通じ、日本の原風景に出会える場所として、美山町を代表する観光スポットとして人気を博しているということです。

・かやぶきの里(北集落 知井地区)のメイン通りです。手前の畑には蕎麦の白い花が満開でした。


この集落は中世には丹波国桑田郡弓削荘に属し、林業を主産業とする山村集落でした。
集落の中を通る街道は、いわゆる鯖街道の一つとされ、京都と若狭の中間地であり、多くの旅人が行き来していました。
そういった背景から、この集落の建築や生活様式はいろいろな地方の影響を受けたといわれています。

・入母屋造りの屋根の上には特徴の一つである千木と雪割りが乗っています。
 一番上の横木が雪割りで、それを支えている手前と奥に飛び出ている木が千木です。


ボランティアガイドによれば、現在のかやぶき家屋は寛政8年(1796年)建築のものが最古ですが、19世紀中頃迄の建物が18戸と江戸時代に建てられたものが多く、北山型民家に分類される特徴をよく伝えているのだそうです。
そして、かやぶき屋根と言えば岐阜県の白川郷が有名ですが、白川郷と当地の大きな違いは次のようです。
1.入母屋造り
2.板壁、建具は板戸
3.千木と雪割りを乗せている。千木は「馬のり」とも呼ばれ、雪割りは「烏どまり」とも呼ばれている。
4.あげにわ

なお、萱葺きの厚さは60センチほどです。


集落内の住宅は山麓の傾斜地を整地して建てられており、宅地正面には石垣が築かれています。
現存している茅葺き屋根の家屋の多くが江戸時代中頃から末期にかけて建てられたものであり、「北山型民家」に分類される。
丈の高い入母屋造の屋根と神社の千木のような飾りが特色となっています。

・萱の葺き替えです。上部の新しいところが今年吹き替えたところで、その下の部分は数年先に葺き替えるのだそうです。


この集落で最古のかやぶき屋根の建物で、220年ほど前の建物だそうです。


「放水銃」
萱ぶきと言うことで、火災に弱いことから、各家庭では放水銃を設置しています。
普段は屋根つきの囲いの中にありますが、火災発生時には、この囲い屋根は自動で開き、放水銃から放水する仕組みになっています。
この設備が集落の各家庭の全てに備え付けられており、火災から茅葺き建物を守っているのだそうです。



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粗にして野だが卑ではない

2017-09-27 | 時事

一昨日、安倍総理が衆議院の解散を決意しました。
来月22日が投票日となるようです。

近年、国会議員の不祥事が度々報道されており、議員の資質が問われています。
私たち有権者は、来月の投票日には候補者をよ~く見極めて投票をしなければいけません。

「粗(そ)にして野(や)だが卑(ひ)ではない」と言う言葉があります。
この意味は、外見や言葉遣いが洗練されず粗野に見えるとしても、考え方に筋が通っていて、卑なことは決してしない人のことを言います。

この言葉は、元国鉄(現JR)総裁の石田禮助氏が国会で国鉄総裁就任の挨拶をした時の言葉です。
「自分は粗野な性格だが卑しい性格ではない」と言う意味で述べたものです。
その時の国会発言をご紹介します。

(国会発言)
昭和38年5月21日の第43回国会の運輸委員会「日本国有鉄道の経営に関する件」での発言です。

『私は、今回、日本国有鉄道の総裁に任命されました石田禮助であります。これからこちらへはたびたび御招集を受けてまいることと存じますが、どうぞよろしくお願いいたします。
 一言この機会を利用いたしまして申し上げたいと思いますが、私は昨年九月まで約六年間監査委員長として国鉄の監査の仕事をやっておりました。
その間おととしの七月に衆議院の決算委員会、それから昨年九月に参議院の運輸委員会と二回呼び出されまして、そこで国鉄のことについて申し上げたのであります。
 それで実は私は初めからこういうことをお願いするのは変ですが、御承知のとおり、私は生来きわめて粗野です。卑ではないが、粗にして野です。
こういう皆さんの前へまいりまして国鉄のことを説明するにいたしましても、たとえば、おととしの春、決算委員会へ呼ばれてきたときにも、国鉄の者が私に向かっていわく、委員長、あなたのようなああいう態度で答弁するというようなことがあっては二度とあなたを呼びません、こう言うのです。

(中略)
そういうことで決してここに来て嘘は申しません。知らぬことは知らぬと言う。それであなた方が私に答弁することのできないような難問を出されたときには、私は頭を下げます。知らぬと言う。その代わりに勉強してきて次の機会に御説明申し上げますからして、その機会を与えていただきたい。
こういうぐあいで決して私はごまかしはせぬ。嘘も言わない。誤りはあるかもしれない。その点はどうぞ御承知願いたいと思います。
どこまでも私は誠意を持って皆さまに国鉄に関して御答弁を申し上げるつもりであります。
どうぞ御了承願いたいと思います。(拍手)

(参考)
石田礼助氏は三井物産社長から国鉄総裁に就任し、国鉄改革をした人です。
東京高等商業学校(のちの一橋大学)卒業後、三井物産に入社。55歳で三井物産を退社し、産業設備営団顧問、交易営団総裁などを務めたのち太平洋戦争後の公職追放を受ける。その後、日本国有鉄道監査委員長を経て、国鉄総裁に就任しました。

石田氏のこの答弁では大きな拍手が沸いたそうです。
昔の人は答弁者も国会議員もサムライですね。人間の器が大きいです。
翻って、現在は如何でしょうか?
もし、現在、このような挨拶をしたら答弁が終わるまで静かに聞いて、拍手が起こるでしょうか?
多分、答弁中にヤジが飛ぶことでしょう。
今の国会議員はヤジることでしか自分や党の存在を国民にアピールできないように考えている節があります。

国会議員は日本の安全・安心、国民の生命・財産を守り、経済を発展させ、日本をより良い国へと導く為に働いてもらわなければなりません。
自己保身や権力を握るため、或いは自己の財産増を目的としたり、権力をちらつかせて不倫をする場ではありません。
次の衆議院選挙では、有権者の皆様の人を見る目が試されます。
石田礼助氏のような立派な人と、議員としての資質が低い人をよ~く見極めて一票を投じていただきたいものです。

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一雨一度

2017-09-26 | 季節

昨日の大阪地方は12日ぶりに最高気温が30度を超えた暑い一日でした。
しかし、この時期のお天気言葉には「一雨一度」があります。
この漢字は「ひとあめ いちど」と読み、雨が降るごとに気温が1度くらいの割合で低くなるという意味です。

その理由は、10月から11月にかけては移動性高気圧と低気圧とが約1週間の周期で日本付近を交互に通ります。
従って、ならしてみると、1週間に1回くらいの割合で雨が降ることとなり、気温は1度くらい下がると言うものです。

雨を降らす原因である低気圧の後ろ側には北から冷たい空気が流れており、低気圧が通過した後は大陸から冷たい空気が日本付近に流れ込んで気温が下がります。
こうして雨が降るごとに気温が少しずつ下がって秋が深まっていくのですが、この秋の気温の移り変わりを、1回雨が降る毎に気温が1度下がるとして、「一雨一度」と呼ぶことがあるということです。

実際、大阪の月別平均気温をみると、9月が25.0度、10月は19.0度で1ヶ月間に6度下がり、更に11月は13.6度と5.4度下がっています。
1週間に一度の雨とすれば、毎週平均して1度から1.5度くらいの割合で下がっていることになり、「一雨一度」と言うこの言葉は、平均気温からも裏付けられているようです。

暑い夏から秋への季節の変わり目となっているこの時期、気温の低下に人の体が慣れないことがあります。
人が気温の差に慣れるには 3日ほど必要だそうです。
寒くなったからといって、すぐに血管の収縮などが対応できる訳ではないので、 着る物や食事、休養などを十分とり、小まめに調整して体調不良を起こさないように十分注意する必要があります。

「一雨一度」と秋が深まっていきます。
風邪などひかないように十分気をつけていただきたいと思います。

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故郷は遠きにありて思うもの

2017-09-25 | 雑学

昨日は、私の故郷・岡山県の方言「あんごう」を取り上げました。
故郷と言えば、室生犀星の有名な詩、「故郷は遠きにありて思うもの・・・」があります。
この詩はどなたもよくご存知の詩だと思います。
今日は故郷を偲びつつこの詩を取り上げたいと思います。

冒頭の一節に続く詩は室生犀星の詩集「抒情小曲集」に収められている、「小景異情(その二)」と言う題名の詩です。

  小景異情  
ふるさとは 遠きにありて 思ふもの
そして悲しく うたふもの
よしや  うらぶれて 異土(いど)の乞食(かたい)と なるとても
帰るところに あるまじや
ひとり都の ゆふぐれに ふるさとおもひ 涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこに かへらばや
遠きみやこに かへらばや

「詩意」・・・ふるさとは、遠く離れてなつかしく思い出して悲しく歌うべきもので、たとえ異郷で乞食(かたい)に落ちぶれても帰って来る べき所ではない。
        ふるさとを遠く離れた都会で、夕暮れには望郷の念に涙ぐむのが常だが、その思いを心に抱いてまた都会に帰って行こう。

「詩の背景」・・・若き日の室生犀星は、複雑な家庭環境のため早くから人生の孤独を知らされ、また愛情に飢えていました。
           文学を志して明治43 年5月に上京したのですが、彷徨と貧苦の生活で志を得ず、何度か故郷・金沢との間を往復しています。
           「抒情小曲集」の詩編は、こうした生活の中で書きつづられた ものだそうです。

(参考)・・・言葉の意味
小景(しょうけい)・・・心に残るちょっとした風景や光景。また、それを描いた絵や文。
異情(いじょう)・・・・・風変わりな心。
ふるさと・・・・・・・・・・ここでは金沢のこと
よしや・・・・・・・・・・・・たとえ、仮に。
うらぶれて・・・・・・・・みすぼらしくなって
異土(いど)・・・・・・・・故郷・故国と異なる土地。異国。見知らぬ土地。
乞食(かたい)・・・・・・こじき。物もらい。
あるまじや・・・・・・・・・あるまい
かへらばや・・・・・・・・帰りたいものだ

室生犀星のこの詩は学校でも習ったことから、どなたももよくご存知だと思います。
いつ読んでも日本人の心を打つ素晴らしい詩だと思います。

しかし、この詩は思ったはありません。
詩なのだそうです。
いが、いのです
て詠んでいるのです。

私もそうですが、東京や大阪の大都会で暮らす人の多くは地方出身なので、生まれ育った田舎の情景は忘れられないことと思います。
このような遠隔の地に就職したり、嫁いだ女性にとっては故郷の父母、幼友達を懐かしみ、時には涙ぐんだ日々もあったのではないでしょうか?
この詩を詠んで郷愁にかられてみては如何でしょうか?

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方言「あんごう」

2017-09-24 | 地元紹介

私の故郷、岡山県の南西に位置する笠岡地方には「あんごう」という方言があります。
「暗号」のことではありません。
「あんごう」とは、「馬鹿とか阿呆」という意味であり、「あんごくさぁ(馬鹿くさい)」、「あんごたれ(馬鹿もん)」等のように使用されます。
この「あんごう」と言う言葉は、実は、鮟鱇(アンコウ)が語源のようです。

先日、この方言の語源に関する記事が新聞に載っていました。
故里を離れて半世紀以上経ちますが、子供の頃に使用していた言葉は未だに忘れることはなく、見たり聞いたりすると懐かしくなり、ご紹介することにしました。

その記事では、千葉県の南房総では「蛙」の事を「あんご」と言い、「あんごう」とも言うと書かれていました。
特に「ひきがえる」を指すところもあり、江戸時代の方言集『物類称呼(ぶつるいしょうこ)』の「ひきがえる」の項に「あんがう」の記述があると言うことです。

蛙が何故「あんがう」なのか?
語源は鍋や鮟肝(あんきも:アンコウの肝臓)でお馴染みの「鮟鱇(アンコウ)」だそうで、室町時代の辞書では「アンコウ」を『足のある魚也」と記しており、当時はサンショウウオの事を指していたようだと言うことです。
そのサンショウウオの顔と酷似していることと両生類と言う共通点から「蛙」の呼び名に転用されたようだということです。

また、同じ時期に「あんごう」が「ぼんやりしている者」「愚か者」の意味も表していたようですが、これはアンコウやサンショウウオの動作の鈍さに例えたということです。
今では三重県、岡山県等に「馬鹿」を表す方言として残っていると記されていました。

驚きました。
岡山県と三重県と言えば数百キロメートルも離れている中国地方と中部地方に属する地域ですが、同じ言葉が同じ意味で方言として残っているようです。
しかし、この両県の中間に位置する近畿地方にはこの方言はありません。
不思議ですね。

私は子供の頃、長兄からよく「あんごう!」と怒られていましたが、この言葉を聞くと、その頃のことが思い出されます。

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誤解されている憮然

2017-09-23 | 雑学

意味を誤解している人が多い言葉に「憮然(ぶぜん)」があります。
文化庁の平成19年度の「国語に関する世論調査」で「憮然」の意味を尋ねたところ,「腹を立てている様子」と回答した人が約7割という結果でした。

インターネットなどでも、「○○が憮然たる面持ちで怒り出した。」とか「……と憮然とした表情で述べ、不快感を示した。」などと使われているのが見られますが、これらを書いた人は、「憮然」と言う言葉の意味をどのように捉えているのでしょうか?

いつものように広辞苑で「憮然」を調べると次のように説明しています。
 憮然(ぶぜん)・・・①失望してぼんやりするさま。失望や不満でむなしくやりきれない思いでいるさま。「―として立ちつくす」 
             ②あやしみ驚くさま。

辞書が示すように「憮然」の意味は、失望や落胆、又は驚きのためにぼんやりしたり、呆然とする様子を言うのです。
ところが、平成19年度の国語に関する世論調査によると、全ての年代を通して「腹を立てている様子」を選んだ人が多くなっているのです。

「国語に関する世論調査」では「憮然として立ち去った。」という例文を挙げて、「憮然」の意味を尋ねました。
その結果は下記の通りです。

「全体の結果」
(ア)失望してぼんやりとしている様子・・・・・17.1%(これが本来の意味です)
(イ)腹を立てている様子・・・・・・・・・・・・・・・・・70.8%
(ア)と(イ)の両方・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.0%
(ア)、(イ)とは全く別の意味・・・・・・・・・・・・・・0.7%
分からない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9.5%

「年代別の結果」
年代別の結果は以下の通りです。
このグラフからも分かるとおり、この言葉については全ての年代を通じて本来とは違う「腹を立てている様子」という意味で使う人が多くなっています。
16~19歳を除いた年代では「腹を立てている様子」が6割弱~7割台後半になっており、本来の意味である「失望してぼんやりとしている様子」を大きく上回る結果となっています。


「腹を立てている様子」という意味で用いられるようになってきた原因としては、「憮然」の「ブ」という音が「ぶうぶう言う」などの「ぶうぶう」(小言や苦情を言い立てるさま)や「ぶつぶつ」などを連想させる可能性があること。
また,「ぼんやりとしている様子」としては「呆然」などを使うのが一般的であるために,「憮然」という語「ぼんやりとしている様子」という意味が結び付きにくいことなどがあるのではないかと言うことです。

「憮然」の本来の意味は「失望してぼんやりとしているさま」です。
使用する時は間違わないようにしたいですね。

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イチゴの畝作り

2017-09-22 | 家庭菜園

台風18号も去り、大阪南部の泉州地方でも秋の気配が感じられるようになりました。
夏の間、余り手入れをしなかった畑仕事も、秋の到来とともに忙しくなります。

私の畑では、トマトやスイカの畝を片づけた後に、先日、白菜やキャベツなどの冬野菜の種をまきをしました。
更に、来月にはイチゴの定植が控えていることから、夏の間、黒マルチを張って土壌消毒していた区画にイチゴの畝を作りました。
そこで今日はその様子をご紹介したいと思います。

菜園が狭いため、イチゴ栽培に適した広さの区画が確保出来ないことから、一昨年から同じ場所で栽培しています。
今春は2回目だったにもかかわらず、連作障害が発生することなく、よく育ってくれました。
3回目となる来春も、連作障害が発生しないことを祈りたいと思います。

・夏の間土壌消毒していたイチゴの区画です。


1カ月半ぶりに土壌消毒の黒マルチを剥がしました。
畝の土は柔らかく、適度な湿りがあって、良好な状態が保たれていました。
夏の熱射によって土中の病害虫は死滅したものと思います。
この区画に幅75㎝の畝を作っていきます。



イチゴの畝立てと植え付けは、我が家の家庭菜園の中で、スイカ栽培と共に二大作業の一つです。
来年5月の収穫を楽しみに、しんどい中にも気力を振り絞って畝を作り上げました。
その畝には、肥料として、堆肥、BMようりん、石灰、配合肥料、化成肥料、米ぬかを施肥しました。



先ず、110㎝ごとに軽く溝をほり、仮の畝を作ります。
その畝に前記の肥料を施肥します。



肥料を散布した畝を耕運機で4往復耕すとすっかり土になじみます。
その後、鍬で畝立をします。
植え付け予定の6畝が完成しました。
植え付けは今月末から来月初め頃に行う予定です。



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「僭越ながら」と「高い席から」

2017-09-21 | 情報

現役で働いている方は勿論ですが、リタイアされた方でも地域やグループなどのお世話をされている人は人様の前で挨拶されることがあると思います。
その折、挨拶の冒頭に「高い席から」とか「僭越ながら」などと表現する場合があると思いますが、実はこの表現には注意が必要のようです。
今日はその理由について調べました。

・「高い席から」
壇上、スピーチなどを頼まれた人がよく「高い席から失礼します」という挨拶をされるのを聞くことがありますが、これはあまりにも不遜な表現なのだそうです。
なぜ「高い席から失礼します」が不遜な表現になるのでしょうか?

謙遜の意味で「自分のような人間がこのような高い位置からご挨拶を申し上げますのは…」と言うのは、ほかの人たちが低い席にいると言っているのと同じことになってしまうのだそうです。
高い・低いのように、対になる表現がある言葉を慣用的に使うと、相対的な相手の地位の低さなどを認めてしまうことになるので注意が必要ということです。

ではこのような場合にはどのように言えばいいのでしょうか?
簡潔に「ひと言ご挨拶させていただきます」という言い方で十分なのだそうです。

・「僭越ながら」
更に「僭越ながら」という表現も注意が必要のようです。
「僭越(せんえつ)」とは、自分の身分や地位を超えて出過ぎた事をすること。そういう態度を言う言葉です。

謙虚さを示すのはいいのですが、「僭越ながら」の表現をすると、「本来自分がここで挨拶をするべき立場ではないのだけれども」という意味になります。
例えば、会社の周年行事等の席で、その創業者や社長を差し置いて、入社したばかりの社員が挨拶するのであればこの表現は使っても構いませんが、会社を代表するような、当然に挨拶を行うべき立場の人間がこの表現を使うことは、聞き手に対して不遜な印象を与えるようです。

「せんえつ」という言葉から「ご出席の皆様より、先にご挨拶を」とか、「皆様の順序を越えてご挨拶を」というニュアンスと勘違いされることが多いようですが、「僭越ながら」という表現は、あくまで自分の立場・身分に照らし合わせて、「差し手がましい」とか、「出過ぎたこと」を意味する言葉なのです。

では、このような場合はどのように言えばいいのでしょうか?
「出過ぎた真似かもしれませんが」とか「差し出がましいようで恐縮ですが」、「失礼を顧みず申し上げますと」などの言い方が無難のようです。

「僭越ながら」は自分の威光を示すだけの嫌味な使い方になってしまうおそれがある表現のようです。
使用には気を付けたいですね。

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