らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「蛇の道は蛇」の由来

2024-05-31 | 雑学

当地では、6月頃に田植えが始まりますが、これと時を同じくして「蛇」に遭遇することがあります。
その蛇は毒蛇のマムシです。
マムシは湿った溝や河川の草むらを好むことから、水田や小さな川周辺は勿論、田畑にも出現するので、田植えが始まった水田近くの草むらには気を付ける必要があります。
実際、菜園仲間のT氏は毎年数匹のマムシに遭遇しており、何匹も捕獲しているのだそうです。
皆様も毒蛇に咬まれないように十分ご注意ください。

・これが毒蛇のマムシです。


ところで、「蛇」と言えば、「蛇の道は蛇」という諺があります。
この諺では「蛇」を「じゃ」と「へび」とに区別して読んでいますが、何故なのでしょうか?
その由来を調べました。

「蛇の道は蛇の由来」
「蛇の道は蛇」とは、もともと『蛇(じゃ)の道は蛇(へび)が知る』といわれていた言葉が短縮されたものです。
そして、その意味は、「大蛇の通る道は小蛇(こへび)がよく知っている」。
即ち、同類の者は互いにその方面の事情に通じている。同類であればよく分かるという意味を表し、同じような生き方をしてきた人の考えは深い関わりがなくても理解できるという例えで使用されます。
同じ仕事をしている同類であれば、ある程度その世界に通じているため、他の人にはなかなか理解しにくいことも自然と伝わるという事です。

『「蛇」を「じゃ」と「へび」と読む理由』
この諺で「蛇」を「じゃ」と「へび」に読んでいます。
その理由については、前記したように、『蛇(じゃ)の道は蛇(へび)が知る』からで、
・『蛇(じゃ)』は大きな蛇を表しており、
・『蛇(へび)』は小さな蛇のことを指しているのです。
つまり「蛇の道は蛇」とは、『大きな蛇が通る道は小さな蛇でも知っている』ということから、「じゃ」と「へび」に区別した読み方となっています。

「悪い意味ではない」
「蛇の道は蛇」という言葉は、ドラマや小説の中などでも『悪人のすることは同じ悪人が知っている』といったニュアンスでたびたび使われています。
「蛇」に対する印象もあるのでしょうか、この言葉によくないイメージを感じている人は多いかもしれません。
しかし、この諺はネガティブな事柄以外に対しても使用できるので注意が必要です。
例えば、
・「さすが蛇の道は蛇だ。母親に髪を切ってもらうよりも、美容院で切ってもらった方がおしゃれなスタイルに仕上がった」
・「蛇の道は蛇といわれるように、パソコンに関する不調の原因は、エンジニアに聞くべきだ」
・「こんな難題をクリアするなんて、さすが蛇の道は蛇ですね」
など、「蛇の道は蛇」は本来は悪い意味を持つ言葉ではありません。

しかし、ネガティブなイメージしか知らない人に対しては、何気なく使うと相手に誤解される可能性があります。
褒め言葉として使う場合には注意が必要です。

 

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慣用句「流れに掉さす」とは

2024-05-27 | 雑学

文化庁が行っている調査に「国語に関する世論調査」があります。
この調査は、政府の文化庁が国語(日本語)施策の参考とするため、「現代の社会状況の変化に伴う、日本人の国語意識の現状」について、平成7年(1995年)度から毎年実施している世論調査です。
この中では慣用句の意味についての調査がありますが、平成24年度のこの世論調査で、「流れに掉さす」という慣用句について、その意味を尋ねる項目がありました。

調査での質問、
 「その発言は流れに棹(さお)さすものだ」という慣用句を、あなたは(ア)と(イ)のどちらの意味で使っていますか?
 と尋ねたところ、                       平成24年度   平成18年  平成14年
(ア)傾向に逆らって,ある事柄の勢いを失わせるような行為をする・・59.4%     62.2%    63.6%
(イ)傾向に乗って,ある事柄の勢いを増すような行為をする・・・・・・・・23.4%     17.5%    12.4%(本来の意味)
(ア)と(イ)の両方   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1.6%      1.5%    1.1%
(ア),(イ)とは全く別の意味・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1.4%      0.3%       1.5%
分からない   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14.2% 1      8.5%     21.4%

本来の意味は(イ)です。
「流れに棹さす」とは、流れを下る舟に棹さすことで、勢いの付いたところへ更に助力が増えることで、物事が調子よく進むことの例えに使われる慣用句です。
調査の結果は、全ての年代で,本来の意味ではない(ア)を選んだ人の割合が,本来の意味である(イ)を大きく上回っています。

「誤用の要因」
この要因としては、
・まず日常生活で慣用句を使わなくなっているということがあります。。
 この「国語に関する世論調査」では、「流れに棹さす」を使うかどうかも尋ねており、その結果を見ると、使うと答えた人の割合は9.4%で、「流れに棹さす」は、現代ではほとんど使われていないこと。
・また、「流れに棹さす」は、船を操るための棹を水底にさして、船を進めていく様子に由来するものですが、現在ではそのような光景を目にする機会がほとんどないこと。
等が考えられるという事です。

「辞書では」
辞書では、物事を時流に乗せて順調に進行させる。と説明しており、「棹」は水の底を突いて舟を進ませる長い棒。それを操って流れのままに舟を進めることを「流れに掉さす」と言う。
誤用として、「棹を突き立てて流れをせき止める、流れに逆らう」と解し時流や大勢に逆らう意で使うのは誤り。と説明しています。

最近では、本来とは異なる意味での理解が定着しつつあるようですが、本来の意味をよく理解したうえで、誤用しないように心掛けたいですね。

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イカは何故「1杯」と数えるのか?

2024-05-23 | 雑学

お酒の好きな方ならイカ徳利で飲んだことがあるかも知れません。
イカの香りがしてお酒が旨いそうですね。
お酒好きな人にはたまらない美味しさのようですよ。
イカ徳利を乾かすと3回ほど使え、最後はおつまみとして食べられるという事です。

「イカの数え方」
そのイカ徳利にもなっているイカですが、数える時に何故、「1杯」と数えるのでしょうか?
調べてみると、イカやカニなどは生きているときには「1匹」と数えますが、ひとたび商品となって市場に出ると「1杯」と数えられます。
商品になっても「1匹」と数えることは出来ますが、その場合は活(い)きの良さが条件で、まるで生きているかのような新鮮さをアピールする場合に限られるそうです。

・イカ徳利です。(ネットより)


「杯の由来」
イカを「1杯」と数える由来には、諸説あって、その一つには、イカやタコを軟体動物の貝類の一種として「貝(ばい)」と数えたことに因むとする説があります。
しかし、「1バイ」「2バイ」とは数えないことからこの説は否定的なようです。
他には、「杯」と言う漢字にヒントが隠されていると考える説があって、この説が有力なようです。

「杯」は、「木」と「不」が組み合わさってできた漢字です。
「不」は、花の「がく」の形で、ふくらむという意味であることから、ふくらみのある器を表します。(『新潮日本語漢字辞典』)
『数え方の辞典』(小学館)によれば、イカの胴体も、イカ飯やイカ徳利にできるような形をしていて、漢字の「杯」のイメージにぴったりなので、「1杯」で数えるようになったと言われています。
そこから派生して、タコもイカと同じ「1杯」で数える数え方が出てきたと考えられています。

冒頭のイカ徳利は函館の名産のようです。
通販でも買えるという事なので、興味のある方はお試ししてみては如何でしょうか。

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心頭は「達する? 発する?」

2024-05-17 | 雑学

一昨日、非常識な夫婦を取り上げましたが、この中で農家の奥さんが「怒り心頭に発する」と書きました。
小生、最初は「怒り心頭に達する」と書きかけたので、改めて辞書を開いてみたところ、「発する」が正しいことが確認できました。
この慣用句については間違われる人が多いようなので、今日のテーマに取り上げることにしました。

「心頭は『発する?』 それとも 『達する?』」
「怒り心頭に達する」とは、激しく怒っている様子を表現する慣用句ですが、「達する」は誤用とされています。
では、本来はどのような表現なのでしょうか?

「辞書では」
まず、明鏡ことわざ成句使い方辞典では、「怒り心頭に達する」とするのは誤りと記されています。
「使い方」・・激しく怒る。激怒する。「無礼な振る舞いにーー」
       「心頭」はこころ、「に」は「~において」、「発する」は、外へあらわれ出る意。心中の怒りが抑えられなくなることをいう。
「誤用」・・・「に」を到達点を表す助詞と解し、怒りが心に到達するの意と考えて、「怒り心頭に達する」とするのは誤り。
       例として「怒り心頭に達して家を飛び出す」を誤りとしています。

辞書が示すように、「達する」ではなく、「怒り心頭に『発する』」とするのが本来の用法とされています。
「頭に来る」という表現との類推で「心頭に達する」の方がしっくりするという人が多いかもしれませんが、これは誤用です。

「国語に関する世論調査」
文化庁の平成24年度の「国語に関する世論調査」に、この慣用句の使用についての質問がありました。
それによると、本来の表現である「怒り心頭に発する」を使うと答えた人は23.6%だったのに対し、「達する」を使うと答えた人は67.1%もいました。

「心頭」の「頭」は人間の「あたま」の意味ではなく、「ほとり。そば。あたり」(新明解漢和辞典、三省堂)を表し、「心頭」で「胸のあたり、心の中」の意味になります。
頭(あたま)が理性や知性の場所であるといわれる一方で、心は感情や感性の場所です。
従って、怒りは心に「達する」ものではなく、心から「発する(起きる・生じる)」ものであり、「心の中から怒りが生じる」状態が激しい怒りを表現しているのです。

「調査結果」
慣用句の使い方の調査で、「激しく怒ること」をどのように表現するかを質問したところ下記のとおりでした。
            平成24年度      平成17年度
(a) 怒り心頭に達する    67.1%          74.2%
(b) 怒り心頭に発する    23.6%          14.0%(本来の表現)
(a) と (b) の両方使う     1.3%         1.8%
(a) と (b) のどちらも使わない 5.0%          ー
分からない         3.0%         10.0%

調査では、全ての年代で本来の言い方ではない(a)「怒り心頭に達する」を使うと答えた人の割合が、本来の言い方である(b)「怒り心頭に発する」を大きく上回っていました。

「心頭」は「達する」ではなく、「発する」が正しい表現です。
間違いやすい慣用句なので、使用時は注意したいですね。

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「挨拶」が返らない人

2024-05-01 | 雑学

雨の日を除いて毎朝、約1時間の早朝ウォーキングをしています。
同じ時間帯にウォーキングをしている人が数人おり、その人たちとは「お早うございます」と朝の挨拶を交わしています。
ところが、私が「お早うございます」と挨拶しても、挨拶が返ってこない人がいます。
次回挨拶をした時も返ってきません。
私はこのような人でも3度は挨拶します。
しかし、それでも返してくれない人には以後、挨拶しません。
「仏の顔も三度まで」ではないですが、その人は礼儀を知らない気の毒な人と無視するようにしています。

でも、何故、挨拶をしないのでしょうね。
見知らぬ人とは言え、同じウォーキングをしている人同志ではありませんか。
朝一番の挨拶は新鮮な空気と共に、心が晴れやかになって気持ちが良いと思うのですけど・・・。

「挨拶」
「あいさつ」を漢字で書くことはあまりないかも知れませんが、漢字では「挨拶」と書きます。
「挨拶」の漢字の意味は、
・挨(あい)は「押す」、
・拶(さつ)は「迫る」です。
漢字だけの意味では「押し合う」という意味になります。

「挨拶の語源」
「押し合う」という意味の「挨拶」は元々、仏教の禅宗で使用されていた「一挨一拶」(いちあいいっさつ)という禅語からです。
「一挨一拶」は、ひとつ押し、ひとつ迫る、心を開いて接するというような意味合いで、問答を交わして相手の仏法修行の悟りの深さをはかったのです。
禅を修行しているお坊さん同士が出会ったとき、相手がどのくらい悟りの道を進んでいるかをたしかめるやりとりを意味する「一挨一拶」が短くなって「挨拶(あいさつ)」になったということです。

「挨拶の意味合い」
仏教でこうしたやりとりが生まれたのは、中国で仏教が禁止された時代のことです。
そのとき、禅の修行僧たちは山のなかにかくれ、たまに出会う修行僧同士で問答をして悟りの道を探しました。
つまり一挨一拶は相手が仲間かどうかを確認するためのものだったのです。
西洋では握手をしてあいさつします。
これも「私は武器を持っていません」ということを示すためです。
つまり、あいさつは味方や仲間であることをアピールするものなのです。

「挨拶が何故大切なのか」
あいさつは、単なる社交的、儀礼的な言葉ではありません。 
互いの存在を認め、関心を持っていますよと知らせるためのものです。
そして、相手に敵ではないことを知らせる手段でもあります。
自分があいさつしたのに相手から反応がなかったとき、多くの人が不快感を持つのは自分の存在を認めてもらえなかったと感じるからです。

「挨拶が返ってこない人」
挨拶は、相手に対して親愛や尊敬などの気持ちを示すための振る舞いです。
その場面に適した挨拶・礼にかなった挨拶は、相手と良好な関係を築くきっかけにもなり、人間関係を円滑にするための手がかりにもなります。
挨拶は社会のあらゆる場面において基本的な礼儀・マナーとして重んじられる作法です。
挨拶が返ってこない人には、「この人は最低限のマナーを知らない気の毒な人」と私は思うようにしています。

挨拶が返ってこないと、朝一番から嫌な気持ちになります。
他人同士であっても、時々顔を合わす間柄なら、挨拶くらい交わしたいものですね。

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「有頂天」は仏教用語から

2024-04-27 | 雑学

「有頂天」という言葉があります。
その意味はご存知の通り、物事に熱中して我を忘れることや、得意の絶頂になることを言いますが、今日はこの言葉の由来を調べました。

「有頂天の由来」
有頂天の語源は仏教に由来しているようです。
仏教では、私たちの迷いの世界を三つに分けて三界(さんがい)といいます。
三界は、「欲界(よくかい)」、「色界(しきかい)」、「無色界(むしきかい)」の三つの世界のことで、一番下が欲界、その上が色界、さらにその上が無色界となっています。
このうち、「無色界」とは、清らかな精神だけの世界のことなのだそうです。
そして、「無色界」の中は、その境地が段階で分かれているとされていて、最も高いところを「有頂天」と言い、そこから、一番高い位置の“てっぺん”に登り詰めたような感覚を、喜びを表すことばに置き換えて、“有頂天になる”、“有頂天に登り詰める”と言われるようになったということです。



有頂天を広辞苑でも調べました。
広辞苑にも、
①仏教用語として、
 ア、色界の第4回天の色究竟天(しきくきょうてん)。色界の最も上に位置する。
 イ、梵語(サンスクリット語:「bhava-agra」)無色界の第4処の非想非非想天(ひそうひひそうてん)。世界の最も上に位置する。
②有頂天に上り詰めるように物事に熱中して我を忘れること。また、得意の絶頂。
と説明しています。

今回、有頂天が仏教用語が由来となったことを知りましたが、仏教用語からは「挨拶」「有難う」「玄関」「超」など、私たちが日常使用するたくさんの言語が生まれていました。
この事を知って有頂天になることは出来ませんが、一度は有頂天になるような良き出来事に遭遇してみたいですね。

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中学生の「美人局」

2024-04-25 | 雑学

「美人局」この漢字、何と読むのかご存知ですよね。
そうです。「つつもたせ」と読みます。
美人局とは、例えば、自分に気がある素振りの女性をデートに誘ったところ、デート中に強面の男が現れ、「俺の女に手を出した!」などと凄み、金品を要求するといった詐欺の手口のことをいいます。

「つつもたせの由来」
「つつもたせ」は、元来「筒もたせ」と書き、ばくち打ちの間で使われていた言葉でした。
「筒」とはサイコロ博打でつかう筒のことです。
サイコロ博打で細工した筒を使っていかさまをすることを「筒もたせ」と言っていました。

「美人局」
漢字の「美人局」は、近世後期頃から当てられるようになった当て字だそうで、広辞苑によれば、「美人局」の文字は「武林旧事」などに見えて、中国の元の頃、娼妓(遊女)を妾と偽って少年などを欺いた犯罪を言ったのに始まると説明しており、夫ある女が夫となれ合いで他の男と姦通し、姦夫から金銭などをゆすり取ることとしています。
これが日本の「つつもたせ」に通じることから「美人局」と書いて「つつもたせ」と読むようになったそうです。

「中学生の美人局事件」
この美人局の手口の事件が2月12日午後に大阪で起きました。
事件は、大阪府内に住む中学生3人が、大阪市中央区の雑居ビルに、滋賀県の22歳の大学生を誘い、現金を出せと脅迫し、逃げようとした大学生を屋上付近から転落死させたのです。
大阪府警は3月7日までに、強盗致死容疑で、府内に住む中学3年の男子生徒(15)と中学2年の女子生徒(14)を逮捕し、当時13歳で刑事責任を問えない中学2年の男子生徒(14)について、強盗致死の非行内容で児童相談所に通告したと報じています。

一昨日の民放の放送では、監禁致死などの非行事実で家庭裁判所に送られたこの女子中学生に対し、大阪家裁は「ウソにより被害者の弱みをつくった上で、現金を脅し取ろうとする卑劣な行為」と指摘し、さらに「美人局を手口とした恐喝の常習性も認められる」として、少年院に送る決定をしたと報じていました。

「甘い言葉に注意」
中学生がこのような犯罪を犯すなんて怖いですね。
大阪に限らず、各地の繁華街の夜はこのような女性が誘惑してくるかもしれません。
SNSや出会い系サイト、ツーショットダイヤル等で知り合った女は「美人局」かも知れません。
世の男性諸君、女性の甘い誘惑にはくれぐれもご用心ください。

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恋人たちの「オレンジデー」

2024-04-13 | 雑学

明日はオレンジデーだそうです。
皆さんはオレンジデーってご存知でしたか?
私は知らなかったので調べてみました。

「オレンジデー」
オレンジデーとは、2月14日のバレンタインデー、3月14日のホワイトデーを経た恋人たちが、4月14日に愛を再確認し、オレンジやオレンジ色のものを贈り合って、愛を深める日なのだそうです。

「オレンジデーの由来」
「オレンジデー」はオレンジの魅力をもっと広めたいという思いで発案した記念日で、1994年に、柑橘類の産地であるJA全農えひめによって制定されました。
日付は、2月14日の「バレンタインデー」、3月14日の「ホワイトデー」と合わせて1ヵ月後の4月14日としたのだそうです。
また、オレンジの花言葉が「花嫁の喜び」であることや、オレンジは花と実を同時につけるため欧米では愛と豊穣のシンボルとされていることも、この日の由来となっています。

「ヨーロッパとオレンジ」
古代ヨーロッパでは、美しく豊かな実が実るその姿から、女性や多産のシンボルとして「オレンジ」が讃えられてきました。
またギリシャ神話では、女神ヘラに天帝ゼウスが結婚するときに贈った花がオレンジの花で、この神話を元に、花嫁の頭にコサージュをつける習慣が始まったとも言われています。
オレンジには「花嫁を守り幸せに導く力がある」と言われており、神話から言い伝えられた幸せのジンクスとなっています。

「韓国のオレンジデー」
韓国では4月14日はオレンジデーではなく「ブラックデー」となっています。
ブラックデーとは、バレンタインデーやホワイトデーを楽しめなかった恋人のいない男女が、黒い服を着て、チャジャンミョン(韓国風ジャージャー麺)やブラックコーヒーなどの黒いものを食べたり飲んだりして、さみしさを分かち合う日だそうです。

なお、韓国にもオレンジデーがあって、その日は11月14日です。
この日、韓国では恋人同士が一緒にオレンジジュースを飲んだり、映画を観たりして、恋人同士が楽しむ特別な日とされています。

日本におけるオレンジデーは、結局のところ、バレンタインデーやホワイトデーと同じように、オレンジ業界の販売促進のためにつくられた記念日のような気がします。

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「頭越し」と「頭ごなし」

2024-04-11 | 雑学

先日、孫娘の高校の入学式がありました。
この高校は本人の志望校だったのでとても喜んでいます。
それ以上に喜んでいるのが両親です。
受験前には両親は相当心配して「頭ごなし」に叱りつけたこともあったようですが、結果は万々歳でした。
爺も嬉しくなって早速、入学祝を贈ったところです。

ところで、「頭ごなし」とよく似た言葉に「頭越し」という言葉があります。
今日はこの二つの言葉の違いについて調べました。

「頭越し」
「頭越し」とは、ご存知のように、そのことに利害関係のある者、先ず相談すべき者などを差し置いて、相手に直接働きかけることを言う言葉です。
頭越しは、もともと、「人の頭上を越して何かの動作をすること」という意味があり、それが転じて、「間に立つものをさしおいて、直接働きかけること」、つまり当事者の意見を聞くことなく、勝手に話し合いを進めること、という意味になります。
例えば、「交渉が頭越しに進められた」などのように使われます。

「頭ごなし」
一方、「頭ごなし」は相手の言い分をよく聞かず、初めから一方的に物を言うときの言葉です。
「頭ごなし」 の 「ごなし」 は、もともとは「こなす」 という動詞を名詞化したもので、「こなす」 という動詞は、形があるものを砕いて粉状にする、という意味になります。
そこから意味が広がり、食べものを消化する意味で は「腹ごなし」 と言ったり、「思うままに扱う、自由に扱う」という意味で「こなす」と言うようになり、更に、「使いこなす」「着こなす」のように物事をうまくやることができる、という意味にも使われるようになりました。

この二つの言葉の意味を簡単に言えば、
・頭越し・・・当事者を差し置いて話を進めること。
・頭ごなし・・相手の言い分を聞かずに話を進めること
です。

この言葉の違いは、よく考えればわかりますが、とっさに使おうとすると思わず間違えてしまうかも知れません。
使用するときは十分気を付けたいですね。

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交通安全「飛び出し坊や」

2024-04-09 | 雑学

皆さんは下の画像のような、子供が駆け出している看板を見られたことがありますか?
この看板は「飛び出し坊や」と言います。
「飛び出し坊や」とは、児童が道路に飛び出して自動車などと接触する事故を防止する目的で、ドライバーへの注意喚起のために通学路などに設置されている看板です。
地方によっては、「飛び出し注意」とか、「飛び出し君」「飛び出し小僧」などと呼ばれていますが、この「飛び出し坊や」は、交通安全を願う人々と地域の団体(交通安全協会、社会福祉協議会、町内会・自治会)などが自発的に設置しているものです。

・この「飛び出し坊や」は、泉佐野市内の保育所の前に立てられている看板です。


今日は、この「飛び出し坊や」の由来について調べました。

「飛び出し坊やの由来」
「飛び出し坊や」は、昭和48年(1973年)6月に滋賀県旧八日市市(現・東近江市)で誕生しました。
その由来は、交通事故が全国的に多発していた時期ということもあり、市の社会福祉協議会が「子どもたちを守りたい」という願いを込めて、地元の看板屋「久田工芸」に発注したことが始まりです。
日本各地には同じような事故防止の看板が数多く存在しますが、久田工芸製の看板は、ファンの間では「0系」と呼ばれ全国的にも特に高い知名度を誇るそうです。

「春の全国交通安全運動」
今年も春の全国交通安全運動が始まっています。
運動期間は令和6年4月6日(土)から15日(月)までの10日間で、4月10日(水)は交通事故死ゼロを目指す日となっています。
この運動では、次の3点が全国重点項目として設定されています。
(1) こどもが安全に通行できる道路交通環境の確保と安全な横断方法の実践
(2) 歩行者優先意識の徹底と「思いやり・ゆずり合い」運転の励行
(3) 自転車・電動キックボード等利用時のヘルメット着用と交通ルールの遵守

交通安全運動の重点項目にもなっているように、子どもや歩行者の安全を守るために、自動車や電動キックボード、自転車などの運転者は「飛び出し坊や」の看板があるところは特に気を付けてほしいと思います。

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