らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「快刀乱麻を断つ」の由来

2012-02-29 | 雑学

「快刀乱麻を断つ」と云う諺があります。
この意味は、紛糾している物事をテキパキと手際よく処理することで、単に「快刀乱麻」とも言いますが、今日はこの諺について調べました。

この諺の由来は中国の南北朝時代に遡ります。
東魏(534年~550年)という国の大臣であった高歓は、3人の息子たちを試そうと、それぞれにクシャクシャになった麻の束を渡して次のように言いました。
『この麻の束を、もっとも早く整理したものに、褒美を与える』と。

3人の息子は早速とりかかり、二人の兄たちは丁寧に手で1本1本ばらしたり、引き抜いたり、もつれたところをほどいたりして悪戦苦闘している間に、末っ子の高洋は1番先に「できました!」と声を上げたそうです。

父は大いに驚き、「もうできたのか」と聞いたところ、高洋は「はい、父上。面倒なところはすべて、刀で切ってしまいました」と応えました。
父はこれに大いに喜び、「この子は、場合によって的確に判断する能力を持っている。将来きっと大人物になるに違いない!」と言って褒めました。

実際、この高洋少年は後に北斉の国(550年~577年)の初代皇帝(在位:550年~559年)になったと言われています。
このことから、後の人々は『快刀乱麻』ということわざを作り、一見複雑な問題を、迅速に解決してしまう事を指すようになったということです。

なお、この諺の快刀とは、切れ味鋭い刀の事であり、乱麻はもつれた麻糸の事です。

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「しょっちゅう」の語源

2012-02-28 | 雑学

「いつも」とか「常に」という意味を表す言葉に『しょっちゅう』があります。
この言葉は関西方面の方言かと思っていましたが、れっきとした日本語であることが分かりました。
そこで今日はこの言葉の語源を調べてみました。

「しょっちゅう」は『初中後(しょ ちゅう ご)』が下略され、更に促音化されてできた言葉のようです。

では、『初中後』とは何を表しているのでしょうか?
『初中後』は、中世、特に鎌倉・室町時代以降の芸道論の言葉で、初心者から達人の域に達するまでの学習法を三段階に分けて示しているのだそうです。
その後、『初中後』は物事の三つの段階だけでなく、「初めから終わりまで」と時間軸でも考えられるようにもなり、「初中後」の「後」が略されて「初中(しょちゅう)」、
更に「しょっちゅう」に変化したようです。

今では、「いつも」とか「常に」という意味で『しょっちゅう』使われる言葉となっています。

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駄獣(だじゅう)の群

2012-02-27 | 時事

今、第180回通常国会が開かれています。
テレビやラジオで聞いていますが、質問や答弁に対して相変わらず野次ったり、原稿を棒読みしたりの答弁でセレモニー的な感が否めません。
100年ほど前の政治も現在とよく似ていたらしく、昨日の読売新聞の「編集手帳」には当時の政治を嘆く次のようなコラムが載っていたのでご紹介します。

以下、「編集手帳」より
 「あはれ、此国(このくに)の 怖(おそ)るべく 且つ醜き 議会の心理を知らずして、衆議院の建物を見上ぐる勿(なか)れ。」
 1915年(大正4年)の読売新聞日曜版に「駄獣(だじゅう)の群」と題した辛辣(しんらつ)な国会批判の詩が載っている。作者は小社の一員だった与謝野晶子。

 「彼等を選挙したるは誰か」と、当時、選挙権のなかった「平民」や女性の怒りが50行の長詩に込められている。
 その内容が100年近く後の今でも結構当てはまるところに、情けなくも驚く。
 「此処に(ここ)に在(あ)る者は 民衆を代表せずして 私党を樹(た)て 公論の代わりに 私語と怒号と罵声とを交換す。」
 現代の選良たちは、先達も同じレベルだったと胸をなで下ろすのだろうか。嗚呼(ああ)・・・・。

 立派な議員も多数存じ上げているので、駄獣(だじゅう)とまで呼ぶつもりはないが、必要と分かっている社会保障改革や消費税の議論など、もっと建設的に進められないもので
 しょうか。
 と嘆いてみても、今は成人全員が有権者。
 「彼等を選挙したるは誰か」と問えば、自分に返ってくる話だ。
 戦前は政治家が信頼を失い、とんでもないことになった。2月26日は歴史を還りみつつ余計な心配が募る。
                                                           (以上 原文通り)

与謝野晶子の長詩「駄獣(だじゅう)の群」はこの後も続いています。
その一部は、
 「彼等を寛容しつつあるのは誰か 此国の憲法は彼等を逐(おう)ふ力無し まして選挙権なき われわれ多数の貧しき平民の力にては・・・・」
  以後、略
なお、駄獣(だじゅう)とは、荷物などを背中に載せて運搬するために利用される使役動物の事です。

政治が100年前と同じでは余りにも情けない。
議員の先生方は「駄獣(だじゅう)」と言われないように、国家国民のための政治を真剣に行って欲しいものです。

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「フクジュソウ」の花

2012-02-26 | 

今日はめでたい名前の「フクジュソウ(福寿草)」の花をご紹介します。

「フクジュソウ(福寿草)」はキンポウゲ科の多年草で、原産地は日本、中国、朝鮮半島などの東アジア一帯で、日本では北海道から九州にかけて分布しています。
旧暦の正月頃に咲き、新年を祝う花として用いられることから、祝福してこの佳い名がつけられ、別名も「ガンジツソウ(元日草)」と言われています。
先日、NHKの気象情報のトピックスで、奈良県五条市の「フクジュソウ(福寿草)」の花を取り上げていましたが、熊取の長池公園散歩コースでも丁度見ごろとなっています。

・これが熊取の散歩コースに咲いている「フクジュソウ(福寿草)」です。


春を告げる代表的な花と言われている「フクジュソウ(福寿草)」は、自生のものは2~3月頃に枯れ葉や雪の下から芽を出し、やがて直径3~4㎝の黄金色の花を咲かせます。
根と茎には毒がある毒草なので、口にしないよう注意が必要です。



「フクジュソウ(福寿草)」は光や温度に非常に敏感で、昼間でも陽が 遮られると1~2分で花がしぼみ、 再び陽があたると花が開きます。
これは、寒い時期に咲くので、花びらを開閉することで花の中の温度を 下げないようにしているのではないかと云われています。



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「和歌山ラーメン」のルーツ

2012-02-25 | 地元紹介

先日、NHKの関西地方のニュースの中で「和歌山ラーメンのルーツ」について報じていました。
「和歌山ラーメン」は関西地方では比較的有名なラーメンとなっていますが、これは、1998年のテレビ番組『ラーメン選手権』で同市田中町の井出商店が優勝したことで人気に火がつき、その後、名物としてすっかり定着したのがその由来と言われています。
今日はこの「和歌山ラーメン」のルーツについてご紹介します。

TVの報道によれば、和歌山市立博物館の寺西貞弘館長が「和歌山ラーメンの源流」と云う論文で、「和歌山ラーメンの起源」は、過去の証言などを再検討した結果、店が多かった「車庫前」(和歌山市東高松)の地理的条件などから、日露戦争の「歩兵第六十一連隊」と関わりを推論したと云うことです。

歩兵第61連隊は、明治38年(1905年)に姫路、鳥取などの連隊で編成されて、日露戦争後に中国東北部の守備任務に2年間あたりました。
61連隊が駐屯していた中国東北部は、有名な粉食地帯であることから、彼らは其処で自由な生活を営みながらラーメンを食べていた可能性があるとしています。

その後、彼らは日本に帰国し、和歌山市に誘致されて車庫前に駐屯地を構えてからも、中国大陸で食べた麺の味が忘れられず、日本の醤油などの味とマッチした和歌山ラーメンの誕生に、一役買ったのではないか、としているものです。
寺西館長は「あくまで憶測の域を出ないが、ルーツ論議の一石になれば」と話しているそうです。

・これが和歌山ラーメンです。(ウィキペディアより)


なお、和歌山ラーメンには大きく分けて、「醤油ベースの豚骨醤油味」と「豚骨ベースの豚骨醤油味」の2つの系統があるようですが、これは和歌山が湯浅などの醤油産地に近いため県民が醤油の味に慣れ親しんでいることや、隣県などからスープの材料となる豚骨や鶏がら、魚介類などを仕入れ易かったのではないか、とされているようです。


 

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「背水の陣」の語源

2012-02-24 | 雑学

野田総理は消費税の引き上げと社会保障と税の一体改革に不退転の決意で取り組むと言っていますが、今日はその「不退転の決意」と同じような意味でも使われる「背水の陣」の語源について調べることにしました。

「背水の陣」は中国の史記『淮陰侯(わいいんこう)列伝』の故事が語源となっています。
それによると、漢の国と趙の国が激突した井陘(せいけい)の戦いにおいて、漢軍の武将だった韓信(かんしん)は寄せ集めばかりの漢軍の兵士を敢えて川を背にして陣地を構える捨て身の態勢を取りました。

兵法では水を前にして山を背に陣を張るのが布陣の基本であり、これを見た趙軍の陳余は「韓信は兵法の初歩も知らない」と笑い、兵力差をもって一気に攻め滅ぼそうとほぼ全軍を率いて出撃し、韓信軍に攻めかかりました。
兵力では趙軍が圧倒的に上であったものの、後に退けない漢の兵士たちは韓信の目論見通り決死の覚悟で戦い、見事勝利をおさめたと言います。

この故事から、絶対に失敗できない状態で、覚悟を決めて全力をあげて事に当たる事を「背水の陣を敷く」とか「背水の陣で臨む」と云うようになったものです。

なお、この戦の後には、韓信は捕虜となった趙軍の策士・李左車(りさしゃ)を師と仰ぎ、燕を下す策を尋ねたところ、李左車は恥じ入って「敗軍の将、兵を語らず」という有名な言葉を残しました。

しかし、なおも聞く韓信に対して李左車は、「智者は千慮に一失が有り、愚者も千慮に一得が有る」と愚者の策であると前置きした上で、四つの策を授け、後に韓信は李左車の策を用いて、燕の王を服従させたと言います。

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皇太子殿下52歳の誕生日

2012-02-23 | 時事

皇太子徳仁親王(なるひとしんのう)殿下は今日52歳の誕生日を迎えられました。
皇太子殿下の誕生日を心よりお祝い申し上げますと共に、皇室の益々のご繁栄を御祈念申し上げます。

皇太子徳仁親王(なるひとしんのう)殿下は昭和35年(1960年)2月23日に今上天皇陛下と皇后陛下美智子さまの第一皇子として誕生されました。
御称号は浩宮(ひろのみや)、お印(しるし)は梓(あずさ)、皇位継承順位は第一位です。

徳仁親王(なるひとしんのう)殿下は1989年(昭和64年/平成元年)に昭和天皇の御崩御によって、父・明仁親王殿下が第125代天皇に即位されたことに伴って皇太子となられました。
「立太子の礼」は1991年(平成3年)に執り行われ、2年後の1993年(平成5年)には、小和田雅子様と結婚の儀を挙げられ、そして8年後の2001年(平成13年)に全国民が待ち望んだ長女敬宮 愛子内親王(としのみや あいこないしんのう)殿下が誕生されました。

今朝のNHKニュースによれば、誕生日を前にした記者会見で、昨年の東日本大震災で、困難な状況にある人々に思いを寄せている事、天皇陛下の公務を出来るだけお助けしていくこと、10歳になられた愛子さまがこれからも健やかに育ってほしい事、そして皇族のあり方についての議論を見守っていくことなどについて、殿下御自身の思いを述べられていました。


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ジャガイモの植え付け

2012-02-22 | 家庭菜園

今日は久しぶりに家庭菜園の話題です。
冬でも畑にはよく行っていますが、急いで行わなければならない作業がある訳ではなく、春野菜の準備のための草取りや畝に覆い被さってきている竹を切ったり、苺のマルチ掛けなどをしていつところです。
そうした中、厳しい寒さが一段落した先日、ジャガイモの植え付けをしたのでご紹介します。

今年の私のジャガイモ栽培は、懇意にしている地元の農家のK氏に、六月中旬の田植えまでの間、一畝をお借りして植え付けることにしました。

種芋は1月に農協から3品種、「男爵」、「メークイン」、「キタアカリ」の計5kgを購入しておいたもので、植え付けの2~3日前にイモの大きさによって1片が30g~40g以上になるように、且つ、芽が2~3芽残るように半切り、または3つ切りにし、切断面がコルク状になるまで室内で乾燥させました。



畝幅70センチの畝の中央に10㎝~15㎝の深さの溝を掘り、その中に種イモの切断面を下にして、30㎝間隔で植え付け、化成肥料を一握りずつ芋の両側に施します。



植え付け後、土を戻して畝を作り直します。



春植えのジャガイモ栽培の場合は、地温の上昇と雑草が生えるのを防止する意味から、マルチ用の黒いビニールを張ってマルチ栽培にします。



「植え付け後の栽培のポイント」は、
・ジャガイモは遅霜に弱いので注意が必要です。(生育適温は15~20℃) 昨年は遅霜に当たって新芽が枯れる被害に遭いました。
・芽は草丈が10㎝程度伸びた頃、1~2芽を残し、弱い芽を掻き取ります。
・新しい芋は種芋の上方につくので、マルチをしない場合は株元に2回ほど土寄せを行って芋が地上に露出しないようにします。
・3ヶ月余りで収穫できる短期野菜なので6月初旬には収穫が出来る予定です。

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「素っぴん」の語源

2012-02-21 | 雑学

テレビのバラエティ番組や突撃訪問番組などで、女性の方達が「素っぴん(すっぴん)」と云う言葉を使用している場面を目にすることがあります。
勿論、化粧をしていないことを言っているのですが、今日はこの「すっぴん」について調べました。

「すっぴん」は、元は芝居や歌舞伎の世界で「楽屋言葉」として生まれ、「顔に白粉(おしろい)も紅も使わず舞台に出る」という意味で使われていたそうです。
歌舞伎では、同じような意味で「化粧をしていないこと」をいう「素面」という言葉もあったことから、この「すっぴん」は「素面」から転訛した言葉ではないかと言われています。
また、美しい女性をいう言葉に「別嬪(べっぴん)」がありますが、この「すっぴん」はそれに対する言葉としてできたのではないかとも言われています。

なお、歌舞伎で使われていた「すっぴん」という言葉が一般に定着したのは1990年代頃と言われており、今では、幅広い年代の方が化粧をしていないことを「すっぴん」と表現しているようです。

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「げんを担ぐ」の由来

2012-02-20 | 雑学

縁起を担ぐことを「げんを担ぐ」ともいいますが、なぜ「げん」というのか御存じでしょうか?

調べてみると、「げんを担ぐ」は、実は「縁起を担ぐ」の逆さ言葉だそうです。
「縁起」を逆さにすると「起縁(ぎえん)となり、この「ギエン」が「ギェン」から「ゲン」に変化したもので、江戸時代の近松門左衛門の浄瑠璃「淀鯉出世滝徳(よどごいしゅっせのたきのぼり)」にも、「ぎえん直しに酒にせう」という一節があって、「ぎえん」は、京阪地方の俗語だったとも言われているそうです。

なお、一般に「げん」を漢字で「試験」の「験」と書いていますが、この「験(げん)」いう漢字は当て字だそうです。
しかし、「験」には「仏道修行を積んだ効果」とか「効き目」などの意味があり、縁起を意味する「げん」と関係があるとも考えられているようです。

由来は兎も角、「げん」は「げん」です。
「げん」を担がなくてもいいように、何事においても実力をつけておかなくてはだめですね。









 

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