らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

熊野古道を歩く(その1)(秋津王子)

2012-07-31 | 趣味

一昨日の日曜日、私が勤めてい会社のOB会の”歴史探訪同好会”のメンバーと熊野古道(中辺路ルート)を歩いてきました。
今回は、5月に歩いた時の続きを歩くため、前回の終着地、JR紀勢線の紀伊田辺駅に集合し、中辺路ルートを「稲葉根王子」までの約15㎞を歩くものです。
その時の模様を、今日から数回に分けて「熊野古道を歩く」シリーズとしてご紹介します。

・集合場所のJR紀勢線「紀伊田辺駅です。


「秋津(あきづ)王子」跡
「秋津王子」は紀伊田辺駅から約3㎞の距離にあります。
この王子名が初めて登場するのは藤原定家の熊野御幸記です。
この王子は会津川沿いにあったようですが、会津川の度々の氾濫で流されて元の場所が消滅、、再建される際にその場所が転々と移動したことから、現在はその場所は確定しておらず、右会津川と左会津川の合流点付近に秋津王子跡の碑があるだけです。
伝えられている王子跡の地点としては柳原、落合、安井宮などの名がありますが、それらもどの地点ということまではっきりと分かっている訳ではないようです。



「秋津王子安井宮跡」
説明書きによれば、秋津王子の創祀時期は不明であるが、藤原定家の『後鳥羽院熊野御幸記』建仁元年(1201年)10月13日条に「前夜田辺に宿泊、早朝出立してまず秋津王子に参る」とある。しかし、藤原宗忠の『中右記』天仁2年(1109年)10月の熊野詣での記事には見えないので、この間に祀られたものと考えられています。

・伝えられている王子跡の地点の一つ「安井宮跡」です。


コンクリートで舗装されている熊野古道です。
当日は35度を超える暑さの中を7名の参加者たちは元気に歩きました。



「須佐神社」
秋津王子から約2㎞の距離に須佐神社が鎮座しています。
須佐神社(すさじんじゃ)という名前の神社は日本各地にありますが、いずれも須佐之男命(すさのうのみこと)を祀る神社で、社名は祭神名によるものである。
田辺市に鎮座するこの須佐神社もその内の一つです。
ご由緒によれば、
『神代の昔、須佐之男命(スサノウノミコト)が曾志毛里(新羅国)より帰り着いたところで、岩舟山なる地名あり。神武天皇が即位された時に祭祀されたと言う万呂三ケ村の鎮守旧社名は牛頭天王社、豊臣秀吉の紀州平定の際、当社だけ焼き打ちを免れたと言う。』
とありました。



「社殿」
須佐神社の社殿で、御祭神は須佐之男命、配祀は稲田比売命です。





「いかさま」の語源

2012-07-30 | 雑学

インチキ、まがい物、偽物と言うことを指す言葉に「いかさま」があります。
今日はこの語源を調べてみました。

「いかさま」の「いか」は「如何(いかが)」とか「如何に(いかに)」の「いか」で、「さま」は様子を意味する「様(さま)」だそうです。
この「如何」と「様」が足されて「如何様(いかさま)」となりました。
元々は、江戸時代の武士の言葉で「如何様 さようでござる」からおこったものが、「どのように」「どんなふうに」等の意味で使われ、更に、「如何にもその通り」「間違いない」と云う意味に転じました。

また、さもその様に見える、いかにも本物らしいと云うことから、まがい物あるいは偽物と言うことを指し、古くは手品と同義語で「カラクリ、仕掛けや小細工」という意味もあったようです。

そして、「如何様 さようでござる」と相手を信用させておいて、上手にごまかしてしまうことから「この いかさまやろう!」とののしられるようになり、これらを売ったり、行う者を「いかさま師」というようになりました。


スイカ栽培(収獲)

2012-07-29 | 家庭菜園

先日のmoneさんのブログに、スイカの記事が投稿されていました。
moneさんは師匠と言われる方から手ほどきを受けながらスイカ栽培に挑戦しているようであり、記事の内容から丁寧に栽培されている様子がよく窺えます。

私もスイカ栽培をしているのでご紹介したいと思いますが、私の場合、我流で、しかも狭い畝にスイカとマクワウリの二種を植え付け、自然に任せて蔓を這わせているため足の踏み入れ場が無いほど茂っています。

私が栽培している畝は6m四方で、その中間に溝を切り、二区画に分けてスイカとマクワウリを植えているので、双方の蔓が互いの畝に侵入しあって入り混じっている状態です。
今年はスイカの植え付け時期が少し遅れた関係で、早植えの二株は既に終了し、現在は遅植えの二株に4~5個実っているところです。

・スイカの畝にマクワウリの蔓が侵入してきています。


私はスイカの収穫の目安として、受粉の後、幼果がピンポン玉くらいになった日を控えておき、その日から33日~35日位で収穫しています。
moneさんのお師匠さんは1000度を目安と言っているそうですが、気温の積算温度を目安にする方法は初めて知りました。
来年の収穫時には参考にさせていただきます。



これが33日で収穫したスイカです。
植え付けは大玉スイカですが、できたのは直径24センチ、6kgの普通サイズでした。



早速切ってみました。
赤色がやや薄く、白い種が混じっているところを見ると、後2~3日遅らせてもよかったのではないかと思いますが、それでもまずまずの味でした。




ロンドンオリンピック開幕

2012-07-28 | 時事

第30回夏季オリンピックロンドン大会が日本時間の今日開幕しました。
ロンドンでの開催は今回が3度目で、同一都市では史上初めて3度目の開催となります。

開会式は現地時間の27日午後9時(日本時間28日午前5時)に五輪スタジアムで行われ、8月12日まで17日間のスポーツの祭典が始まりました。
今回の大会では204の国と地域から約1万500人の選手が集い、熱い戦いが繰り広げられます。

・タワーブリッジ前に設置されたオリンピックのオブジェです(時事comより)


五輪参加100周年を迎えた日本は、北京大会に次いで史上2番目の規模となる選手293人、役員225人の計518人を派遣し、金メダル数で世界5位を目指して競技に臨みます。

開幕を前に始まったサッカーでは、女子がカナダを2対1で破り、昨日は男子も優勝候補に数えられている強豪のスペインを1対0で下す大金星を挙げ、幸先の良いスタートを切りました。
日本は獲得金メダル数を、史上最高の16個以上を目指していると言われています。

選手の皆さんの活躍で、ロンドンの地に16本以上の日の丸が掲げられることを期待します。













土用の丑とウナギ

2012-07-27 | 季節

今日は土用の丑の日です。
ウナギを食べる人が多いと思いますが、今年は養殖に使う稚魚のシラスウナギが3年連続の不漁で品薄感から価格が大幅に高騰し、ウナギ離れが進んでいるとも云われています。
この為スーパーや小売店などでは値下げで巻き返しを図ったり、ウナギのたれを使った、うなぎ以外の食材で作る“うなぎ代替商品”を取り扱うなど、少しでも客離れを防ぎたいと懸命の商戦を繰り広げているようです。

ある調査で、どんなウナギ代替商品を食べたいかを聞いたところ、
①「アナゴのかば焼き」(59.6%)がトップで、以下
②「さんまのかば焼き」(42.4%)、
③「豚バラのかば焼き」(30.6%)、
④「牛肉のかば焼き」(28.4%)、
⑤「とうふのかば焼き」(21.2%)と続いたそうです。

また、他の報道によれば、伊藤ハムではブタのバラ肉をウナギのタレで焼いて、「豚バラ蒲焼き」を売り出したところ、5月からの販売が予想の10倍もの売れ行きで、いま品切れ状態だそうです。

・今年はこのような”うな重”は高値の花となりました。


「平賀源内も想定外?」
土用の丑の日にウナギを食べる習慣は文政年間に平賀源内の発案から始まったと云う説があります。
由来によれば、190年前の文政5年(1822年)、商売がうまく行かない鰻屋が、夏に売れない鰻を何とか売るため、平賀源内の所に相談に行ったところ、源内は、「丑の日に『う』の字がつく物を食べると夏負けしない」という民間伝承からヒントを得て、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めました。
その通りにしたところ、その鰻屋は大変繁盛したと伝えられていることが、現在の土用の丑の日に鰻を食べる風習に繋がっているものでだそうです。
現在の「土用の丑にウナギ」のフィーバーを、もし平賀源内が目にしたら何と思うことでしょうね。
福島原発の時の政府や東電と同じように“想定外だった”と云うでしょうか?



白桃の収獲

2012-07-26 | 家庭菜園

我が家の白桃が漸く収穫の時期を迎えました。
今年は開花前後の害虫予防を怠ったことから、虫食いの幼果が非常に多く発生し、生育を心配していましたが、結果は比較的順調だったように思います。

・5月下旬に袋掛けをした桃です。


今年はこのように虫食いの被害に遭った幼果が多く発生し、摘果で取り除いたので、例年より数が少ない袋掛けとなりました。

・虫食いの被害に遭うと丸くならず、このように窪んだり、しわが出来たりします。


白桃は白い実を育てるため、光を通さないグレーの袋を使用します。
このため、収穫の可否を判断するのが難しく、まだ青い未熟な果実をもぎ取る場合が多々あります。
白桃は岡山が発祥と言われており、同じ白桃でも赤く色をつける品種がありますが、元祖と言われる白桃は色をつけないと聞いています。

・我が家の白桃は色をつけないように白く栽培していますが


今年は6月中旬から7月上旬の梅雨明けまで、降雨が多く味が心配されましたが、果実の肥大時期に当たる7月以降、日照りが続くようになって少し甘みがついてきたように思います。

・収穫した白桃です。


一見きれいに見えますが、このように黒ずんだ桃もたくさんできました。このような桃は美味しくありません。
原因は、カメ虫やモモハモグリガと云う蛾が袋の上から針を刺して被害を受けたことによります。


中には幼果の時に害虫被害に遭って歪なまま熟した桃もありました。

・2番目の画像の幼果が熟すとこのような桃になります。



イチロ-選手電撃移籍

2012-07-25 | 時事

昨日、NHKの番組“あさイチ(午前8時15分~)”が始まった直後に、番組を中断してまで流すというビッグニュースがありました。
それは、大リーグ、マリナーズのイチロー選手が、ヤンキースに電撃移籍するとのことでした。
確かにビッグニュースです。
マリナーズの顔であるイチローがトレードに出されるなんて思いもよりませんでした。

ニュースではトレードの経緯として、マリナーズのハワード・リンカーン会長が次のように説明していました。
「数週間前にイチロー選手からチームの将来を考えて自分をトレードに出して若い投手を獲得してはどうかと申し出があった」とのことです。

イチロ-選手はマリナーズの本拠地、シアトルのセーフコフィールドで会見し、ファンへの思いを次のように語っていました。
 『まずはファンの皆さんに感謝の思いをお伝えしたい。11年半ありがとうございました。2001年から勝った時も負けた時も、自分がいい時も悪い時も同じ時間を共有してくれた
 ことは感慨深いです』とファンヘの感謝の言葉を話し、そのうえで
 『20代前半の選手が多いこのチームに僕がいるべきではないのではないか、また、僕自身も環境を変えて刺激を求めたいという強い思いが芽生えてきた。
 そうであるなら、できるだけ早くチームを去ることがチームにとっても僕にとってもいいことだと思った』と話していました。

イチロー選手は2001年、オリックスからポスティングシステム(入札制度)でマリナーズへ移籍し、今年が12年目のシーズンになります。
1年目には首位打者と最優秀選手賞(MVP)を獲得するなど衝撃的なデビューを飾り、2004年にはシーズン最多安打を更新したほか、2010年には10年連続シーズン200安打を達成して、それまでの大リーグ記録だったウィリー・キーラーの8年連続200安打を108年ぶりに塗り替ました。

しかし、昨シーズンは184本に終わり、連続記録が途切れ、更に、大リーグ12年目の今シーズンは、開幕から3番に入りましたが、今月22日までで打率が2割6分1厘、ホームラン4本、28打点と成績が上がらず、打順も1番や2番を打つなど定着していませんでした。

ファンの一人として、私はマリナーズの顔であるイチロー選手が、マリナーズのユニフォームを脱ぐことなど想像すらしませんでした。
しかし、成績がすべてのプロ野球で、今年の不甲斐ない成績に責任感を感じたイチロー選手が首脳陣の気持ちを察しての移籍申し出ではなかったのか?と邪推する次第です。

理由は兎も角、会見から3時間後には早速ヤンキースのユニフォームを着て古巣のマリナーズ戦に8番ライトで先発出場していました。
ヤンキースでの初日の成績は4打数1安打1盗塁をマークし、元気なプレーを見せていましたが、イチロー選手には心機一転、マリナーズ以上の活躍を期待したいと思います。


住宅地を歩く「セキレイ(鶺鴒)」

2012-07-24 | 地元紹介

山の手台住宅地内のアスファルトの路面に一羽の野鳥が舞い降りて、忙しそうに歩きまわっていました。
人を余り恐れる様子はなく、5~6mの近くまで寄ってきます。
多分「セキレイ(鶺鴒)」だと思いますが、アスファルトの路面には餌となるミミズや虫などがいないはずなのに、何を探しているのでしょうね。

・10倍ズームで撮影したセキレイです。


セキレイについて「ウィキペディア」で調べたところ、その文化の項目に次のように書かれていました。
 『日本書紀には、日本神話の国産みの伝承の一つとして、イザナギとイザナミの神様が性交の仕方がわからなかったところにセキレイ(鶺鴒)が現れ、セキレイが尾を上下に
  振る動作を見て性交の仕方を知ったという内容の異伝に関する記述がある』
こういった伝説のため、古来日本では結婚とセキレイ(鶺鴒)の縁は深く、セキレイは結婚と交接を象徴する鳥となっているそうです。

・そう言えばこの鳥も尾っぽを上下に振っていました。神代の昔からの動作は変わっていないようです。



「ろくでなし」の語源

2012-07-23 | 雑学

今日も歌謡曲の歌詞から語源を調べました。

〽 古いこの酒場で たくさん飲んだから
  古い思い出は ボヤけてきたらしい
  私は恋人に 捨てられてしまった
  人はこの私を ふだつきと云うから
  ろくでなし ろくでなし
  なんてひどい アーウィ
  云いかた

年配の方はご存知と思いますが、これは越路吹雪が歌ってヒットした「ろくでなし」の1番の歌詞です。
題名の「ろくでなし」、嫌な言葉ですね。何故、悪い意味とし語られるのでしょうか?
今日はその語源を調べてみました。

ろくでなしの「ろく」は、一般的には「碌」と書きますが、これは当て字だそうで、元々「ロク」は漢字で「陸(呉音でロク)」と書き、“陸地のように平ら”というのが原義です。
そこから、「水平、平坦なこと」という意味になり、物や性格が真っすぐなさまを云うようになりました。

室町時代の言葉を集めた日葡辞書(にっぽじしょ)には「ろくなみち」として「平らでなだらかな道」と説明しているそうです。
現在でも建築の世界では【水平】の意味で使われており、例えば、水平な表示をつける墨の線を「陸墨(ろくずみ)」、平らな屋根を「陸屋根(ろくやね)」と言っています。

この「陸(ろく)」の否定として生まれた言葉が「陸(ろく)でなし)」で、【まっすぐでない】から【まともでない】という意味になり、現在使われている「役に立たない者」「普通以下の者」「のらくら者」等の意味になったそうです。

(参考)
日葡辞書(にっぽじしょ)とは、日本語をポルトガル語で解説した辞典です。


鼎(かなえ)の軽重を問う

2012-07-22 | 雑学
司馬遼太郎の「義経(上巻)」の最後の部分に「鼎(かなえ)の軽重(けいちょう)を問われる」と云うフレーズが出ていました。

この前後のあらましは次のようなものです。
木曽義仲(源義仲)が京都から平氏を追討した後、義仲の京での非礼や無礼な振舞いは目に余るものがあり、後白河法皇が鎌倉の頼朝に上洛を促すも動かず、名代として義経を京に向かわせます。
その義経に対して、“今は義仲を攻めることなく自重するように”の頼朝からの通信を送った下りがあり、その中で次のように書かれているものです。
 『鎌倉の頼朝はそれらの通信によって、過大視していた義仲の実態がどのようなものであるかを、次第に知った。(これは負けるかも知れない)
 頼朝は、かねてそれを怖れた。例え小部隊の局部戦にでも敗北すれば、その敗報は天下に伝わり、鼎(かなえ)の軽重を問うわれ、せっかく頼朝に傾いている世の武士どもの
 気持ちが義仲の方に傾くかもしれない。 義経を自重させ続けているのもそれが理由であった。』と云うものです。

読んでいて「鼎(かなえ)の軽重(けいちょう)を問う」と云う難しい表現が出てきたので早速調べてみました。

「鼎(かなえ)の軽重(けいちょう)を問う」という諺の意味は、統治者を軽んじ、これに代わって支配者になろうとする野心のあること。
転じて、ある人の実力を疑ってその地位を覆そうとする事を言います。
すなわち、統治者を軽んじ、これを滅ぼして天下を取ろうとする。あるいは、権威ある人の能力・力量を疑い、その地位から落とそうとする、という意味合いで使われています。

・これが鼎です。(ウィキペディアより)


この諺の出典は「春秋左氏伝」です。
それによると、晋の景公を破って天下を取りたい楚の荘王が、定王を侮って、無礼にも周王室の宝物である九鼎(きゅうてい)の大小・軽重を問うたと云う故事に基づいています。
「鼎」(かなえ)とは、古代中国で煮炊きに用いた三本足の青銅器の事で、全国の銅を集めて九鼎(きゅうてい)を造り、王室の宝とされ、王位継承の象徴とされているものです。

(参考)
出典の『春秋左氏伝』とは、孔子の編纂と伝えられる歴史書『春秋』の代表的な注釈書の1つで、紀元前700年頃から約250年間の歴史が書かれている書物です。