らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

ヒヤシンスの花

2009-03-31 | 

今日も長池公園から「ヒヤシンス」の花をご紹介します。

ヒヤシンスはユリ科ヒヤシンス属に属する球根性多年草です。、
原産地はトルコ、地中海沿岸で、日本には1863年にフランスからチューリップと共に渡来したそうです。
ヒヤシンス(和名は、風信子または飛信子)は、短い花茎にユリのような小花をぎっしりと咲かせ、甘い香りを漂わせる春の植物です。
野生種の花色は青紫色ですが、 園芸品種では白、黄色、桃、赤、橙などがあります。

・白のヒヤシンスです。純白がとてもきれいです。


・黄色のヒヤシンスです。清楚な感じで素敵な色です。


・ピンクのヒアシンスです。艶やかな色が魅力的です。


・紫色のヒヤシンスです。ギリシャ神話のヒアキントスの悲話を連想させる青紫の花です。


・色とりどりのヒアシンスが一箇所に咲き揃うと華やかな雰囲気になります。


「ヒヤシンスの名前の由来」
 「ヒヤシンス」の花は、ギリシア神話で太陽の神、アポロンに愛された美少年、ヒヤキントスに由来します。
 ある日、ヒアキントスとアポロンが円盤投げに興じていた時、二人の仲を妬む西風の神ゼフィロスが意地悪な突風を起こします。
 その風によってアポロンの投げた円盤が、ヒアキントスの額に当たりヒアキントスは大量の血を流して死んでしまいます。
 その時、流れ落ちた赤い血が、辺りの草に広がり草の色と混ざり合って、紫色の花を咲かせました。
 この花は、ヒアキントスの生まれ変わりとしてヒアシンスと呼ばれるようになったと言われています。
 このエピソードからヒヤシンスの「花言葉」は「悲しみを超えた愛」となっているようです。

色別の花言葉
   「白」   心静かな愛
   「黄色」  あなたとなら幸せ
   「ピンク」 しとやかなかわいらしさ
   「濃紫」  悲哀




ストック(ホワイト アイアン)の花

2009-03-30 | 
ストックの花をご存知でしょうか?
いつもの散歩道の長池公園に咲いていましたのでご紹介します。

ストックはアブラナ科、一年性の草花です。甘い芳香を放ち、茎に沿って穂状に花をつけ、草丈は30㎝~60cmになります。
原産地は地中海沿岸で、日本には江戸時代中期に渡来したようです。
花の色によって、ピンクアイアン、ホワイトアイアン、チェリーアイアン。イエローアイアンなどがあるようです。長池公園に咲いていたストックはこの内のホワイトアイアンです。

・ゴージャス感じのホワイト アイアンです。


古代ギリシャやローマでは薬草として利用されていたそうです。
ストックの名前は英語で「幹」や「茎」を意味し、しっかりした茎を持つことに由来しているそうです。
「アイアン」というのはストックの品種の名前で、その名の通り、鉄のように硬い茎を持っていることから付けられたそうです。
花穂も詰まっており、小葉で非常に扱いやすいとして人気が高まっているようです。
また日本名は「紫羅欄花(あらせいとう)」と言い、葉が羅紗(ポルトガル語でラセイタ)に似ていることから「葉ラセイタ」と呼ばれ、そこから変化して「アラセイトウ」になったと言われています。

・「ストック ホワイト アイアン」の花です。この花が茎に沿って穂状に花をつけています。



花言葉       愛の絆、豊かな愛、 永遠の愛

     (白)    おもいやり、ひそかな愛
     (赤)    私を信じて
     (黄)    さびしい愛
     (ピンク) ふくよかな愛
     (紫)    おおらかな愛情



桃の栽培(開花)

2009-03-29 | 家庭果樹

今年も我が家の桃の花が満開になりました。昨年は4月だったので1週間程度早いように思います。地球温暖化による暖冬の関係でしょうか?
今年は冬の剪定で高い枝を切り、全体に枝数を減らして、満遍なく日が当たるように心がけました。

・3月21日に数個の蕾が開花し始め、23日にはこの程度まで咲きました。


我が家の桃の品種は白桃です。樹齢は23年くらいになりますが、樹勢が強く、毎年たくさんの花を咲かせます。
今年は剪定の関係で、昨年と比べると少し華やかさに欠けるように思われます。
それでも行き交う人たちが見上げては、「きれいですね」と声をかけてくれます。

・開花から1週間ほどで満開となった桃の花です。


・桃の花はピンクが美しく艶やかで、桜とは違う魅力があります。


私の「桃の栽培方法」を簡単に書いておきます。

「剪定」
 剪定は12月~2月頃に行います。
 ・基本的に各枝に日光がよく当たるように剪定します。(日光が当たらない枝は勢いが悪くなり、枯れてきます。)
 ・花芽のついている枝は、収量を上げるため出来るだけ残し、枝が重ならないように紐で誘引しました。
 ・その上で弱い枝、日光をさえぎる枝、垂れ下がっている枝などを切除しました。
 ・枝の背中から真上に向かって出ている強い枝については、その枝の日焼け防止のため1~2芽を残して切除しました。
 ・横に長く伸びている強い枝については1/3程度を切り詰めたり、葉芽のところで切除しています。
「施肥」
 ・1月~2月に市販の寒肥を施します。
「害虫予防」
 ・12月にカイガラムシ予防に「マシン油」を散布します。
 ・3月に縮葉病予防に「石灰硫黄合剤」を散布します。
 ・この後、収穫までに殺菌・殺虫剤を数回散布します。
「摘果」
 ・花後、短果枝(10㎝以下)に1個、中果枝(30㎝以下)に1~2個、 長果枝(30㎝以上)には2~3個の果実を残すように摘果します。
「袋掛け」
 ・果実がピンポン玉くらいの大きさになった頃に袋掛けを行います。
「収穫」
 ・7月下旬には収穫が始まります。




「さくら」の名称の由来について

2009-03-28 | 

今週の寒さで桜前線も足踏み状態ですが、長崎を始め九州の各地や静岡では早くも満開となったところがあるようです。

さて、昨日は「桜の日」だったそうですが、今日はその桜について調べてみました。
桜は菊と共に慣習的に日本の国花となっており、日本人に最も親しまれている花です。

・私が住んでいる大阪南部の熊取町山の手台の桜はやっと咲き始めたところです。


「桜の日」に合わせて、当地のソメイヨシノをご紹介しようと思っていましたが、この状態なので、昨年の造幣局の通り抜けで撮影したサクラを数枚ご紹介します。

・「昨年の桜」としてTVでも紹介された「普賢象」です。古くから京都地方にある有名な桜です。


・楊貴妃
 昔、奈良にあった名桜で、花色も優れた豊満な桜ということから、中国の楊貴妃を連想して世人が名付けたといわれています。


・九重
 大島桜系の里桜で、花の重ねが多いので九重と名付けられたといわれています。


「サクラ」はバラ科サクラ属の植物のうち、ウメ、モモ、アンズを除いた総称であり、一般的にはサクラ亜属に属するものを指しているそうです。

「名称の由来」
 「さくら」の名称は、一説には「咲く」に複数を意味する「ら」を加えたものとされ、元来は花が密生する植物全体を指したといわれています。
 他には、春に里にやってくる稲(サ)の神が憑依(ひょうい:のりうつること)する座(クラ)だからサクラとする説。
 更に、富士山の頂から花の種をまいて花を咲かせたとされる「コノハナノサクヤヒメ(木花之開耶姫)」の「サクヤ」をとって「サクラ」になったとの説などあるようです。

・御衣黄
 貴人の御衣に似ているところから、この名前が付けられたと言われています。


サクラは古くから日本人には馴染みが深く、日本では最も親しまれており、春を象徴する花といえば「さくら」を指していますが、平安時代までは花といえば「梅」を指していたそうです。
平安時代になって「桜」の人気が高まり、それ以降「花」と言えばサクラを指す様になたと言われています。

桜を詠んだ歌を二首ご紹介します。

 ・「ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花ぞ散るらむ」 紀友則

 ・「敷島の 大和心を 人問ば 朝日に匂ふ 山桜かな」 本居宣長


(参考)
日本の「国花」は制定されていませんが、慣習的に「桜」と「菊」が国花とされているようです。




「シャガ(著莪)」の花

2009-03-27 | 

今日は「シャガ(著莪)」の花をご紹介します。

「シャガ(著莪)」はアヤメ科アヤメ属の多年草で、別名を「胡蝶花」と言い、その名の通り胡蝶を思わせる白い優雅な花を咲かせます。
原産地は中国ですが、学名は(Iris japonica)で、「日本の」という意味がつけられているように古くから日本に渡来していたようです。

「シャガ(著莪)」は、淡紫色の斑と黄色の突起があり、花の直径は約5㎝で、30㎝~60cmに伸びた茎先に数個の花が咲きます。
純白色に黄色と紫の模様が美しく、見ていて飽きない魅力的な花です。

・「シャガ(著莪)」の花です。アヤメのような優雅な花を咲かせます。


アヤメや菖蒲は4月~5月頃に咲きますが、この花は3月頃には咲き始め、冬でも葉が枯れません。

・「シャガ(著莪)」の花は一日でしぼみますが、茎の先に数個の蕾がありますので、次々と花が咲きます。


「シャガ(著莪)」は、山などで明るい日陰に咲いているのをよく見かけると思いますが、庭木や木の下などの半日陰を好むようです。


「花言葉」  抵抗、反抗、決心、私を認めて、
        この胡蝶を思わせる優雅な花に、このような花言葉がつけられていますが、その謂れを知りたいものです。


「シャガ(著莪)」を詠んだ句をご紹介します。

   「紫の 斑(ふ)の仏めく 著莪の花」   高浜虚子





チューリップの花

2009-03-26 | 

先週までの、季節外れの暖かさで、春の草花がきれいな花を咲かせてきました。
先日、久しぶりに熊取・長池公園を散歩しました。散歩コースに沿って色とりどりの花が咲いていました。
今日はその中からチューリップの花をご紹介します。

・鮮やかな赤色のチューリップです。


チュリップは学名を「Tulipa gesneriana(チュリッパ・ゲスネリアーナ)と言い、名前はトルコ語で頭巾を意味する「Tulipan (tulbend)」に由来し、イスラム教徒が頭に巻くターバンに似ていることから名付けられたといわれています。

・純白のチューリップです。


アジアが原産と言われているようですが詳細は不明です。日本には江戸時代後期に渡来したそうです。

・オレンジのチューリップです。


市販されている品種は300種以上と言われ、ターバン形の一重や八重咲きのほか、ユリ咲き、ボタン咲き、花弁の縁に切れ込みの入ったフリンジドなど様々な花が
あるようです。

・黄色のチューリップです。


今日ご紹介しているチューリップは、いずれも一重の普通の品種です。

・ピンクのチューリップです。


チューリップの花を見ていると、子供の頃に写生したことやチューリップの童謡を歌った事を思い出しませんか?

童謡「チューリップ」の歌詞を書いておきます。幼き頃を思い出し、口ずさんでみては如何でしょうか?


       チューリップ        作詞 近藤宮子/井上武士  
                       作曲 近藤宮子/井上武士

  1番 
   さいた さいた チューリップの花が
   ならんだ ならんだ あか しろ きいろ
   どの花みても きれいだな

  2番
   ゆれる ゆれる チューリップの花が
   かぜに ゆれて にこ にこ わらう
   どの花みても かわいいな

  3番
   かぜに ゆれる チューリップのはなに
   とぶよ とぶよ ちょうちょが とぶよ
   ちょうちょと はなと あそんでる





「電気記念日」の由来

2009-03-25 | 雑学

3月25日は「電気記念日」です。
「電気記念日」は、1878年(明治11年)3月25日、東京・木挽町の電信中央局の開局祝賀会でグローブ電球50個を使い、講堂の天井に設置されたアーク灯(デュボスク式アーク灯)を点灯した日で、これを記念して1927年(昭和2年)9月に日本電気協会が制定したものです。

・これがデュボスク式アーク灯です。(社団法人日本電気協会HPより)


この時が、日本で電灯が公衆の前で始めて点灯された瞬間で、その明るさが人々を驚かせ、その場にいた来賓の人たちは「不夜城に遊ぶ思い」と驚嘆の声を上げたと言われています。
しかし、現在の電灯と違い、調整が難しく「パッと明るくなって万雷の拍手が鳴り響いた次の瞬間、スーと消えた」と記録されているそうです。

それは兎も角、これが日本の電気の歴史の1ページを飾り、日本の近代化の糸口となった画期的な出来事には間違いありません。

今では電気の無い生活なんて考えられませんが、行灯やろうそくの明かりで生活していた当時の人たちにとって、アーク灯の明るさにはびっくりしたことでしょうね。

・電気記念日のシンボルマークです。



(参考)
「アーク灯」
 アーク放電を利用した電灯で、1876年パリで街路照明に用い、後に映写機などの強い光源に使用されました。
「アーク放電」
 気体中での放電の一種で、電極材料の一部が蒸発して気体となり、電流密度が極めて大きく、高熱を発して強く輝き、持続性がある。 
 (以上、広辞苑より)




「相撲の起源」と「花道」について

2009-03-24 | 雑学

今、大阪では大相撲春場所が開催されています。
横綱の白鵬と朝青龍が全勝を続け、次第に盛り上がってきていますが、大関を始め日本人力士にも頑張ってほしいものです。

今日は相撲の起源について調べてみました。
「相撲の起源」
 相撲は日本で一番古い格闘技で、弥生時代にはその原型があったといわれています。
 「すもう」は古くは「すまひ(い)」と言い、日本書紀には「争・捔力・相撲」などの漢字が当てられています。
 「すもう」の名前は、「相手の力に負けまいとして抵抗する」と言う意味の動詞「争ふ(すまう)」の名詞で「力や技を争うこと」を「すまい」といったところから「すもう」に
 なったようです。
 奈良時代から平安時代には宮中の年中行事として「相撲の節・節会」が開かれており、五穀豊穣を占う神事として相撲が行われ、一緒に雅楽や舞楽なども奏でられ
 ました。
 その後、職業力士が生まれ、江戸時代に土俵や決まり手・禁じ手などが定められて、現在の「大相撲」へとつながっています。

「花道の語源」
 力士が支度部屋から土俵に向かう通路を「花道」といいますが、その語源をご存知でしょうか?
 「花道」の語源は、「相撲の節(せち)」で、東の力士は朝日を受けて咲く「あおい」の造花を、西の力士は夕日を受けて咲く「夕顔(ひょうたん)」の造花を頭につけて
 入場した故事に由来するといわれています。
 なお、歌舞伎などの舞台にも「花道」がありますが、こちらは、観客がひいきの俳優に「はな(花・纏頭)=祝儀」を贈るために設けられたという説からのようです。

 また、「花相撲」と呼ばれる相撲がありますが、これは本場所以外に興行する引退相撲や慈善相撲など、木戸銭(入場料)をとらずに客の祝儀だけを受けて行う相撲
 のことを指して「花相撲」と呼ばれました。

相撲は単なるスポーツではなく、神様にささげる神事としても行われてきたものであり、外国人力士が増えた今、相撲協会は「心・技・体」の「心」について強力に指導して欲しいものです。
特に朝青龍には横綱に相応しい礼儀・作法・態度を示して欲しいと思います。
更に、相撲内容でも、張り手などを使わず、受けてたつ横綱相撲を見せて欲しいものです。




「世界気象デー」と「地球温暖化」

2009-03-23 | 雑学

先週は全国的に気温が上昇し、一部の市や町では25度以上の夏日になるなど、各地で3月としては観測史上最高気温を記録したようです。
また、昨日は西日本では一日中風速20メートル以上の突風が吹き荒れました。
その突風が今朝は関東方面に移り、成田空港では貨物便が着陸に失敗し、炎上すると言う事故が起りました。
近年、世界各地で異常気象による洪水、旱魃(かんばつ)、山火事など多発していますが、これら自然災害も地球温暖化の影響でしょうか?
近年の地球温暖化の影響でアルプスの氷河が年々後退しているそうです。

・年々後退しているアルプスの氷河です。


今日3月23日は「世界気象デー」となっています。
「世界気象デー」とは、世界気象機関(WMO)が、1950 年(昭和25 年)3 月23 日に世界気象機関条約が発効したことを記念してこの日を世界気象デーに制定したもので、毎年キャンペーンテーマを設けて気象知識や国際的な気象業務について理解の促進に努めています。
今年のキャンペーンテーマは、「天気、気候、そして私たちをとりまく空気」となっています。

「私たちをとりまく空気」には、大気汚染物質や温室効果ガスが含まれており、天気の影響を大きく受けて、大気汚染や黄砂、地球温暖化などをもたらして、私たちの生活に影響を与えているほか、逆に、これらの物質等が、天気や気候に大きな影響を与えているといわれています。

・スイス:フルカ峠の氷河です。この氷河も年々後退しているそうです。


現在、世界気象機関(WMO)には182 か国・6 領域が加盟していますが、日本は1953 年(昭和28 年)に加盟し、大気環境の監視・予測や研究に必要な技術やデータの国際的な共有の推進、開発途上国のための研修等の分野に貢献しているほか、環境対策及び国民の安全・安心を確保するための基礎情報として、大気汚染、気象予報、黄砂、温室効果ガスについての情報を提供しているそうです。

かけがえの無いこの地球を守るため、大気汚染、地球温暖化な地球環境問題は世界の国々、各国国民の一人一人が自分の問題として認識し、そして考え、真剣に取り組んで行きたいものです。




「放送記念日」について

2009-03-22 | 雑学

3月22日は「放送記念日」です。
今日はこの放送記念日について調べて見ました。

「放送記念日」は、大正14年(1925年)3月22日に、NHK(当時東京放送局)がラジオの仮放送を始めたのを記念して昭和13年に制定したそうです。

「放送局の誕生」
ラジオといえば現在のITと同様に当時の最先端技術であり、事業許可の出願者数が東京で27件、大阪で22件、名古屋で12件と多数に及んだそうです。
こうした中、逓信省では東京の27団体を一つにまとめて東京放送局として許可することを決定し、設立認可が出たそうです。
同様に大阪・名古屋でも認可が下り、コールサインは東京放送局がJOAK,大阪放送局がJOBK,名古屋放送局がJOCKと決められたそうです。

「正確な情報伝達の必要性」
更に、この時期に放送局が相次いで誕生したもう一つの理由は、大正12年の関東大震災の影響によるものと言われています。
その影響とは、この大震災は「外国の攻撃によるものらしい」という根も無い噂が飛び交い、外国人が襲撃されると言う事件が多数発生した事によるものです。
そこで、東京市長だった後藤新平氏はどのようなときにも瞬時に正しい情報を国民に伝えるメディアの必要性を痛感したと言われています。

「ラジオ放送の意義」
ラジオ放送開始式の式典で、後藤総裁はラジオ放送の意義として次の4点を挙げられたそうです。
 1.文化の機会均等。放送は地域・年齢、性別に関係なく聞くことが出来る。
 2.ラジオを取り囲んでの家庭内での団欒。外に行かなくても家で寄席などが聞ける。
 3.社会人でも放送を通して教育を受けることが出来る。
 4.経済機能の敏活化に寄与する。

「ラジオブームとシャープ㈱」
放送開始時のラジオ受信契約者は5455人だったそうです。
先に書いたようにラジオは当時の最先端技術であり、ラジオの前には毎日のように人だかりが出来たそうです。
更に、今では考えられませんが、当時はラジオを買うのにもいちいち役所の許可が必要だったそうです。
このラジオブームに便乗したのが大阪のシャープ㈱で、鉱石ラジオを発売したところ飛ぶように売れたと言われています。