昨日に続き、今日もエフェソス遺跡をご紹介します。
・勝利の女神ニケのレリーフ(浮き彫りの彫刻)です。
このレリーフは、昨日ご紹介しましたヘラクレスの門のアーチとして飾られていたそうです。
・トラヤヌスの泉
102年~104年に建立され、皇帝トラヤヌスに捧げられた泉です。
台座にはオリジナル部分が残っているようですが、殆ど原型を留めていません。
当時は正面に溜池があり、そこに据えられたトラヤヌス皇帝像の足元から水が流れていたそうです。
・ドミティアヌス神殿跡
皇帝ドミティアヌスを祀る50m×100mの神殿が建てられていましたが、家臣たちの手によって皇帝が殺された後に神殿は取り壊されました。
現在は2階建ての石柱を残すのみとなっています。
・ケルスス図書館です。
ローマ帝国のアジア州執政官だったケルススの死後、彼の息子が父の墓室の上に記念に築き上げたもので、2階建ての建物の正面は見事なものです。
また、1階正面には知恵、運命、学問、美徳の4つの意味をそれぞれ象徴する女性像があります。
この図書館には1万2000巻の書物が所蔵されていたと言われています。
・ケルスス図書館正面の知恵の彫像です。
・ケルスス図書館正面の運命の彫像です。
・ケルスス図書館正面の学問の彫像です。
・ケルスス図書館正面の美徳の彫像です。
・マゼウスとミトリダテスの門
この門は皇帝アウグストゥスの奴隷だったマゼウスとミトリダテスが、解放に際し、皇帝一家への感謝を込めて建てたものだそうです。
・アルカディアン通りにある列柱です。
長さ500mの道路沿いには商店が並び、街灯も灯されていたそうです。
・古代の公衆トイレです。
壁際にトイレが並んでいます。仕切りはありませんが今でも立派に使えそうなものです。
ガイドの説明では、昔は長いスカートのような服を着ていたので大丈夫とのことでした。
トイレの底は水が流れており、古代の水洗トイレになっています。
明日はエフェソス遺跡とアルテミス神殿跡をご紹介します。
さて、トルコ旅行記も今日から後半となります。
パムッカレから更に西に185㎞ほど行くと、エーゲ海に面したセルチュクの町があります。
ここには、トルコ最大の遺跡群が甦る古代都市エフェソス(またはエフェス)とアルティメス神殿があります。
この遺跡は紀元前12世紀に建設された都市国家跡で、最盛期のローマ帝国時代には小アジア属州の首都でもあったそうです。
今日から3回に分けてエフェソス遺跡とアルテミス神殿跡をご紹介します。
・クレテス通りです。
ケルスス図書館(通りの突き当たり2階建ての建物)からヘラクレス門に向かって延びている道です。
右側手前はトラヤヌスの泉、その奥が浴場跡です。ほかにも右側には様々な建物が並び、左側には見事なモザイクが残っています。
・ヘラクレスの門
ヘラクレスの彫刻を施した左右対の門です。
・市公会堂です。
現在は数本の列柱が残るのみですが、かつてはここに聖火が灯され、火は消えることがなかったといわれています。
・ハドリアヌス神殿跡です。
2世紀のローマ皇帝ハドリアヌスに捧げられた建物です。内側は簡素ですが、正面玄関は素晴らしい装飾です。
アーチの中央には女神ティケ、奥の門には両手を広げたメドゥーサが彫られています。
・女神ティケです。
・メドゥーサです。髪の毛は蛇だそうです。
・このような彫刻も残っています。
・浴場跡です。
・高級住宅跡です。
扉のあるところは店舗、その奥に海が見えるように邸宅が建ち、階段は左側の1箇所を共用していたそうです。
・邸宅前のモザイク通り
あすも引き続きエフェソス遺跡をご紹介します。
昨日のヒエラポリスに続き、今日もパムッカレの世界遺産(石灰棚)をご紹介します。
パムッカレは、トルコ語で「綿の城」という意味を持ち、トルコ有数の温泉保養地といわれています。
ここにある石灰棚は遠くから見ると雪が積もったように見えます。これが世界的にも珍しい大規模な石灰棚です。
・まるで雪に覆われているような感じの石灰棚です。
この石灰棚は、ヒエラポリスの手前に位置しています。
(昨日ご紹介しましたヒエラポリスの全系図で、手前に白く描かれているところです)
・石灰棚の中に入ることが出来ます。
石灰棚の上は滑らかではなく、でこぼこやさざ波のような状態で固まっているので、歩くと足の裏が痛くなります。
この石灰棚は、台地上部から流れ出る石灰成分を含む湯が、長い時を経て結晶し、台地全体を覆ったものです。
真っ白に覆われた様は雪山のようであり、ぽってりと幾重にも重なり合った石灰棚は段々畑のように広がり、ブルーの湯をたたえている姿は幻想的で素晴らしいものです。
・段々畑のように広がっている石灰棚です。
・湯だまりの鮮やかなブルーがとても印象的でした。
この石灰棚を望む丘の上には、昨日ご紹介しましたペルガモン王国跡やローマ時代の遺跡(ヒエラポリス)が広がっており、石灰棚と共に「ヒエラポリス・パムッカレ」の名称で世界遺産に登録されているものです。
・波が打ち寄せているように固まっています。
この石灰棚の上にあるアポロ神殿の跡に、現在パムッカレ温泉となっている温泉プールがありますが、このプールの底にはローマ時代の遺跡がゴロゴロしている珍しい温泉です。
世界3大美女の一人と言われているあのクレオパトラも、この温泉に入ったと伝えられています。
また、現地のガイドブックにも次のような話が紹介されているようです。
『気立てはいいものの器量の悪い娘が年頃になっても言い寄る男がなく、結婚できなくて死のうと思い石灰棚の上から身を投げました。
ちょうどその時、地主の息子が狩りからの帰りに、浅い石灰水の中に倒れていた美しい娘を見つけ館につれて帰って手当てをしました。
そして、娘が回復したときに男はその美しい娘と結婚したと言うものです。』
この話やクレオパトラの伝説のように、石灰水は肌にいいことは確かなようです。
パムッカレに来る途中には大理石の山がありました。
トルコは大理石が豊富に産出されるようです。宮殿跡や各地の遺跡では大理石がふんだんに使われていました。
・大理石の産出現場です。
あすはエフェスの遺跡をご紹介します。
今日は、このツアー3つ目の世界遺産「ヒエラポリス」をご紹介します。
昨日のコンヤの町から西に約410㎞のところに人口3000人弱の小さな町があります。この町が今日ご紹介しますパムッカレです。
この小さな町パムッカレには、紀元前190年に始まった都市の遺跡であるヒエラポリスと世界的にも珍しい石灰棚があります。
この石灰棚とヒエラポリスは、1988年に「ヒエラポリス・パムッカレ」の名称で世界遺産の複合遺産として登録されています。
今日はそのうちのヒエラポリス遺跡を、明日は石灰棚を取り上げ、2日に分けてご紹介します。
・ヒエラポリスの全系図です。
ヒエラポリスはベルガモン王エウメネス2世によって建造され、聖なる都市という意味があるそうです。
(全系図の説明)
・右上から左下にかけて中央をまっすぐ伸びている通りは「フロンティヌス通り」
・「フロンティヌス通り」にそって左下四角の建築物はアゴラ(広場、市場)です。
・「フロンティヌス通り」の中央山手側の四角の建物がアポロ神殿です。
・「フロンティヌス通り」を挟んでその向かにある四角の建物は南大浴場です。現在は博物館になっています。
・手前の白い雪のようなものは石灰棚です。
・中央上部アポロ神殿の上の丸いものは円形劇場です。
この遺跡の一番の見どころは円形劇場といわれています。
この劇場は紀元前2世紀頃にハドリアヌス帝により造られました。
・これが円形劇場です。
ファサード(建物の正面)にはギリシャ神話の神々の彫刻も見られ、収容人員は15,000人~20,000人と言われています。
・南ビザンツ門です。
・南大浴場で、現在は博物館となっています。
ヒエラポリスから出土した彫像や石棺などを展示しているそうです。
このような遺跡があちらこちらに残っています。
他にもヘレニズム(紀元前334~紀元後395年)やビザンツ(紀元後395~1071年)の様式を表す数々の遺跡が広い範囲に点在しています。
遺跡はヒエラポリスの北側にもありますが、時間の関係で見学できませんでした。
主なものをご紹介します。
・ネクロポリス
1000を超す墓が並び、古代共同墓地の規模としてはこの国最大と言われています。墓の様式はヘレニズム(紀元前334~紀元後395年)から
ビザンツ(紀元後395~1071年)まであり長期間にわたって利用されていたようです。
・北大浴場
大きな連続アーチを持つ石積の典型的なローマ建築で、壁の表面は大理石で覆われていたと言われています。
教会として利用されていたこともあったといわれ、紀元2世紀頃の建築だと言われています。
・マルティリウム
紀元後80年にこの地で殉教した使徒フィリッポとその息子の墓です。聖人を祀るため5世紀初めの建てられたそうです。
ヒエラポリスは紀元前190年に始まったローマ帝国の都市遺跡で、この時代のものとしては最も内陸部にあるということで有名だそうです。
明日は石灰棚についてご紹介します。
今日はコンヤの町をご紹介します。
コンヤは11世紀から13世紀にかけて、セルジューク・トルコ(1071年~1243年)の首都がおかれていたところで、全盛期には各界の優秀な学者や芸術家が集められ、政治、文化、芸術の中心として栄えた町です。
イスラム神秘主義教団「メヴラーナ教」の発祥地としても有名です。
「メヴラーナ教」とは、13世紀に神学者メヴラーナ・ジェラレッティン・カラタイによって興った神秘主義的イスラム教団で、その教えは、ぐるぐる旋回しながら踊ることによって神と一体となれるという教義を持っているそうです。
(トルコの観光HPより)
1925年に宗教活動は停止されましたが、ぐるぐる回る踊りは、毎年12月に観光行事とし公開されています。
円筒型の帽子にスカートといういでたちで、一心不乱に踊る姿は幻想的といわれています。
「メヴラーナ博物館」
教団の修行場、始祖メヴラーナの霊廟であったところで、宗教活動停止後は博物館として使用されています。
館内にはメヴラーナを始めとした聖者たちの棺が置かれています。
・メヴラーナ博物館の全景です
・正面左側の小さな丸い屋根の建造物は洗身場です。
・メヴラーナ博物館を見学中の14歳の子供たちです。気軽に写真を撮らせてくれました。
・メヴィラーナの棺です。(撮影禁止のため、メヴラーナ博物館HPより)
・聖者の棺です。(撮影禁止のため、メヴラーナ博物館HPより)
「インジェ・ミナーレ博物館」
1251年にセルジューク時代(1071年~1243年)の高官ジェラッティン・カラタイによって神学校として建てられました。細い(インジェ)ミナーレ(尖塔)に因みこの名前が
ついたそうです。当初ミナーレは現在の3倍の高さがあったそうですが、1901年の落雷で上部が崩壊したそうです。
現在は陶器博物館となっています。
・インジェ・ミナーレ博物館正面です。
アラビア文字、幾何学文様の浮き彫りが大変美しく見事です。
・正面入り口の繊細なレリーフは素晴らしいです。
・ミナーレ(尖塔)の壁面装飾が美しい。
これらはセルジューク様式の建造物の代表作といわれており、トルコで最も優れた芸術作品の一つと言われています。
・メヴラーナ博物館の向かいにあるセリミエ・ジャーミーです。
スルタン・スレイマン大帝(1495年~1566年)の跡を継いだセリム2世(1524年~1574年)の時代の建物です。
明日はパムッカレのヒエラポリス遺跡をご紹介します。
昨日に続きカッパドキアの奇岩群と世界遺産「ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石遺跡群」の中にある「カイマクル地下都市」をご紹介します。
・ローズバレーです。
ピンク色の岩の渓谷に教会があり、7世紀の彫刻や11世紀頃のフレスコ画が天井に残っているそうです。
ここの夕景はカッパドキアでも有数の絶景スポットだそうです。夕日を受けてピンクから紫色に変化する渓谷の景色は素晴らしいようです。
・ウチヒサールの通称「鳩ノ家」と呼ばれているところです。
・ウチヒサルからギョレメの途中には、白い滑らかな岩肌の波が続いています。
・ギョレメ谷です。
正面はトルコの富士山と言われている標高3917mの「エルジュエス」山です。
現在は死火山となっていますが、ギョレメの地層は数億年前に起きたこの山の噴火で出来たそうです。
・カイマクル地下都市です。
この岩窟は、1964年に発見された地下8階の巨大な地下都市です。
この地下都市は紀元前400年頃の記録にも記されているほど古いものです。その発祥や歴史は謎とされていますが、一時はアラブ人から逃れたキリスト教徒が住んでいたことがあるとも言われています。
内部は礼拝堂、学校の教室、寝室、厨房、食料庫、井戸などがあり、約1万5千人の人たちが共同生活をしていたようです。
ところどころに敵の侵入に備えた丸い石が道をふさぐように置かれています。
・丸く見えるのが石の扉です。
・地下8階までの洞窟となっています。
・キッチン跡です。天井や壁は黒くすすけています。
・キッチン跡です。この穴で木の実や硬いものを潰したようです。
明日はコンヤのメビラーナ博物館をご紹介します。
今日は、トルコを代表する観光スポットの一つであるカッパドキアの奇岩群をご紹介します。
カッパドキアの奇岩群は、1985年「ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石遺跡群」として、世界遺産の複合遺産に登録されています。
標高1000mを超えるアナトリア高原の中央部にあるギョレメ地方は、かつてこの地にあった王国の名前にちなんでカッパドキアと呼ばれています。
カッパドキアとは「美しい馬の地」を意味するペルシャ語に由来し、トルコ語、ギリシャ語では、小アジア(現在のトルコ)の広大な内陸地帯を指しているそうです。
ここの地層は数億年前に起きたエルジェス山の噴火によって造られたもので、火山灰と溶岩が数百メートルずつ積み重なった末、凝灰岩や溶岩層になりました。
その後、岩部は風雨に打たれて侵食が進み、今では固い部分だけが残されて不思議な形の岩となり、大奇岩地帯を生み出しています。
・キノコ岩です。
ゼルベ地域にはカッパドキアを代表するキノコ岩が連なっています。
・パシャバー地区は、3本のキノコが生えているような形をした大きな岩で有名です。
・ウチヒサール地区です。
ウチヒサールはカッパドキア地方で最も高いところに位置する村で、村の中央に大きな岩の要塞がそびえています。
要塞の周囲には岩をくり抜いた住居があり、今も使われています。
・ウチヒサールの住居です。
明日はカイマクルの地下都市などをご紹介します。
イスタンブール観光の後は、寝台特急「アンカラエクスプレス」に乗車し、首都アンカラまでの列車の旅を楽しみました。
この列車は、始発駅のハイダルパシャ駅から終点のアンカラ駅までの区間を約10時間で走る1等寝台の寝台特急です。
車窓に広がるトルコの雄大な自然を眺めながらの乗車は誠に快適でした。
新幹線のスピードに慣れている日本人には、トルコのゆっくり走る列車には新鮮さを感じるのではないでしょうか?
・寝台特急の始発駅「ハイダルパシャ駅」の駅舎です。
アンカラは海抜約1000mの高さの町です。アナトリア高原の西寄りに位置し、人口は376万3000余人でトルコ共和国の首都です。
アンカラの歴史は古く、新石器時代から人が住んでいたそうです。
1923年に初代大統領のケマル・アタチュクルが共和国誕生と同時に、人口僅か6万人のこの地方都市を首都と定め、都市計画のもとに急速に開発され、現代的な
トルコの首都になって現在に至っているようです。
アンカラは、ローマ時代にはアンキラと呼ばれていました。アンキラの語源はアンキュラと言われ、「谷底」の意味だそうです。
昔からこの地方は地下水が豊富にあったことからこのように呼ばれていたといわれています。
このアンカラでも、1402年には戦があり、ティムール軍とオスマン軍が戦ったそうです。
・アンカラ駅に停車している寝台特急「アンカラエキスプレス」です。
・1等寝台の列車内部です。
・食堂車です。今回のツアーに参加した方々で朝食を食べているところです。
・バスから見たアンカラの町です。
マンションの屋根にはたくさんの煙突が見えます。
・車窓からの風景です。
広々とした高原に畑が広がっています。緑色のところは小麦畑です。
・煙突がたくさんあるトルコの住宅です。
ガイドの話では、トルコでは各部屋に煙突をつけることが義務化されているようです。このため、どこに行っても、このような住宅を目にします。
余談ですが、煙突を数えるとその家の部屋数が分かります。
・バスからの風景です。このように地平の果てまで畑や果樹畑が広がっているところがたくさんありました。
北海道でもこのような光景は目にしないと思います。
・遠くには雪が残る山脈もあります。この山々で標高2000m~2500mくらいだそうです。
・トルコの富士山と言われている、標高3917mの「エルジュエス」山です。
明日は、キノコ型の奇岩群で世界遺産に指定されている、有名なカッパドキアをご紹介します。
先日、大阪の某大手旅行会社の海外旅行
「空の五つ星 カタール航空で行く! 全食事付 トルコ10日間」のツアーに参加してきました。
そこで今日からこのツアーの日程に沿って、古代トルコの遺跡・風景などをご紹介していきます。
さて、今回のツアーには大阪、京都、兵庫など地元関西の各府県を始め、岡山や広島、高松、金沢の人たち39名がご夫婦、グループで参加されました。
関西国際空港からはトルコへの直行便が無く、ドーハを経由してのトルコ入りとなりました。
所要時間は、乗り継ぎ地、カタールの首都ドーハまでが約10時間、2時間余りの時間待ちの後、更に4時間30分のフライトでトルコの最大都市イスタンブールに到着するという長時間の旅でした。
「イスタンブール観光」
トルコ観光は、人口1500万人以上の大都市イスタンブールから始まりました。
・世界遺産「イスタンブール歴史地区」
世界遺産「イスタンブール歴史地区」は1985年に文化遺産として世界遺産に登録されています。
このイスタンブール歴史地区には「遺跡公園地区」、「モスク地区」、「城壁地区」があります。
「城壁地区」
・テオドシウスの城壁
5世紀初頭にテオドシウス帝によって建設された城壁で、高さは12m~20m、旧市街を覆うように造られています。
ローマ・ビザンツ時代には鉄壁の防御を誇ったそうです。
「遺跡公園地区」
・トプカプ宮殿全景の模型です。
15世紀から19世紀まで、強大な権力を持っていたオスマントルコの君主が居住した宮殿です。
この宮殿は、3方を海に囲まれた丘の端に建てられており、かつてはここに大砲が設置されていたことから、トプ(大砲)カプ(門)サライ(宮殿)と呼ばれるようになった
とも言われています。
・トプカプ宮殿・表敬の門です。
・宮殿のハレム内にあるスルタン(君主)の大広間です。
宮殿内 各部屋の装飾は素晴らしいものです。
・ハレムの中にあるスルタン(君主)の調理場です。
16世紀末には1200人余りの料理人がいたといわれています。現在は陶磁器の展示館になっています。
・宮殿から金角湾、ボスフォラス海峡が見られる素晴らしい眺望でした。
トプカプ宮殿は現在は博物館となっており、東西から集められた秘宝の数々が展示されています。
中には、86カラットのダイヤモンドや柄に3つの大きなエメラルドをはめ込んだ黄金の短剣などが展示されていますが、撮影が禁止されているのでご紹介できないのが残念です。
「モスク地区」
・アヤ・ソフィア
360年に建設され、ローマ帝国時代にはキリスト教の大聖堂でした。
第4次十字軍やオスマントルコ軍によって略奪され、15世紀からのオスマントルコの時代にモスクに転用されたそうです。
ドームの直径は31m、高さは54mで、現在は無宗教の博物館になっています。
・「ブルーモスク」
巨大ドームの高さは43m、直径27.5m、4つの副ドーム、30の小ドームを持ち、周囲に6本のミナレット(尖塔)があります。
6本のミナレット(尖塔)を持つイスラーム寺院は世界でも珍しいそうです。
17世紀初めに、スルタン・アフメットによって建てられ、オスマントルコ建築の極みといわれています。
・ブルーモスク内部です。
中央の巨大ドームは直径7mの4本の柱(正面と右側に見える柱)で支えられています。柱の大きさから内部の広さが想像できると思います。
ドーム内部の装飾は美しく、見上げていると首が痛くなるほど見続けてしまいそうです。
・この建築物は正式名称は「スルタン・アフメット・ジャミィ」と言いますが、内部の装飾に使われているイズニック産のブルーのタイルが余りにも美しく、いつしか
ヨーロッパ人から「ブルーモスク」と呼ばれるようになったそうです。
・内壁を飾る2万枚以上のイズニックタイルは青を主体とし、様々な紋様を組み合わせていますが、建物全体としてみると連続した美しさがあります。
また、敷きつめられた絨毯も見事なものでした。
・壁一面に貼られた色彩タイルやステンドグラスは非常に美しく見応えがありました。
世界遺産「イスタンブール歴史地区」には、この他にもたくさんの見所がありますが、今回のツアーでは観光時間が2時間程度に設定されているため、見学箇所が限られたのが残念です。
(参考)
トルコの情報
・正式国名 トルコ共和国
・首 都 アンカラ
・緯 度 トルコ最大都市・イスタンブールの緯度は北緯41度(青森県とほぼ同じ)
・面 積 81万4758k㎡(日本の2倍強)
・人 口 7058万6000人(2007年)
・言 語 トルコ語
・宗 教 イスラム教(スンニ派)99%
・通 貨 トルコ リラ(TL) (2009年4月11日現在:1TL 約70円)
・時 差 日本との時差7時間((但し、3月~10月までサマータイムを実施しているので時差は6時間)
・公衆トイレ 有料が多い(料金は0.5~1TL) 。有料の割りに清掃されていない。
12日から昨日までお休みをさせていただきました。
今日からブログを再開しましたので、引き続き宜しくお願いします。
今日は、昨年苗木を植えつけた「梨の栽培」についてご紹介します。
私は、昨年の冬に「豊水」と「二十世紀」の苗木を購入して植え付け、梨の栽培に挑戦しています。その梨の木に今年初めて花が咲きました。
・これは「豊水」です。昨年伸びた枝に蕾がつき膨らんできました。
・「豊水」が開花したところです。1~2個収穫出来ればと思っています。
・こちらは「二十世紀」です。こちらも開花しました。
・梨の花は真白できれいな花です。こちらも1~2個収穫できればと思っています。
・梨の木は自家受粉しないので品種の違う2本の木が必要です。そのために、私は「豊水」と「二十世紀」を植えつけました。
(写真はいずれも4月10日頃に撮影したものです。)
梨の栽培方法
1、土作り
植え付けの半月ほど前に、植え付け場所に穴を掘って元肥を施し、土と肥料をよくなじませておきます。
更に、晩秋から冬にかけて、木の周りに穴を掘り、腐葉土や寒肥を施して土を柔らかくします。このときに石灰を混ぜて酸性土壌を中和します。
2、植え付け
「1」でなじませた土に、11月から3月頃に植えつけます。3~4年目以降はこの時期に剪定作業を行います。
3、受粉
品種の違う花粉を筆を使って人工授粉します。
4、摘果
5月中旬、幼果がビー玉くらいになった頃に形の良い幼果を1つ残し、他は摘果します。
5、病害虫予防
3月~10月にかけて黒斑病などの病気予防と害虫駆除の薬剤散布を行います。
6、袋掛け
病害虫や野鳥などからの被害を防止するために袋掛けを行います。
7、収穫
8月から9月頃が収穫時期です。
先日、大阪の某大手旅行会社の「トルコ旅行」に参加してきました。
明日からは、その「トルコ旅行」の記事を数回に分けてご紹介します。