らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

熊野古道を歩く(その1)「猪鼻王子」

2013-11-27 | 趣味

昨日までの2日間ブログを休ませていただきました。
この間に現役時代のOBで構成する”歴史探訪同好会”のメンバーと熊野古道を歩いてきたので、今日から数回に分けて世界遺産「熊野古道」をご紹介します。

この同好会は、熊野古道の「中辺路コース」を4年間に亘って歩いてきましたが、今回がこのシリーズの総仕上げとなるものです。
今回のコースは、「猪鼻(いのはな)王子」から「熊野本宮大社」までの10キロ弱の道程です。

今回はいよいよ最終目的地の「熊野本宮大社」に到達するということで、民宿に宿泊し、温泉で禊を済ませ、酒を酌み交わしながら、参加者13名は半年ぶりの対面に花を咲かせました。

・これが民宿です。


民宿の横を流れる河原の木々は赤く色づいて、深まる秋を演出していました。


早朝に今回のスタート地点である「発心門王子」までバスで行き、そこから約1キロm先、80mほど下った谷の音無川の河畔にある猪鼻王子跡を目指しました。
平安時代末期の藤原宗忠の参詣記『中右記』には「三輿の多介(みこしのたけ:三越峠)を越え、次いで谷を下り、谷川を渡ること数度。
亥の鼻(猪鼻:いのはな)
を過ぎ、ついで発心門に入る」との記述があるようです。

・バス停から谷川に下る古道です。


・途中の林道は紅葉が綺麗でした。


「猪鼻王子跡」
ここに立てられている説明によれば、滝尻王子から本格的な山岳路となった熊野参詣道(中辺路)は、十丈峠、岩神峠、を過ぎ、標高約500mの三越峠(みこしとうげ)を越えると、熊野川の流域に入る。
この猪鼻王子から先の道は登り下りをくり返しながら高度を下げ、明治22年(1888年)の水害まで熊野本宮大社が鎮座していた熊野川の中洲(大斎原:おおゆのはら)へと続く。
と記されています。



猪鼻王子(いのはなおうじ)は、『中右記』『頼資卿記』に、谷川を数度わたって猪鼻王子に着いたと書かれているそうですが、その後の熊野詣の衰微に伴って廃絶したそうです。
「猪鼻王子」と刻んだ石碑は、享保8年(1723年)に紀州藩主徳川宗直が熊野御幸の史蹟顕彰のために建てたもので、紀北産の緑泥片岩(りょくでいへんがん)製だそうです。

・紀北産の緑泥片岩(りょくでいへんがん)製と言われている、「猪鼻王子」と刻んだ石碑です。


猪鼻王子跡の石碑の傍には、穏やかな顔で合掌しているお地蔵さんが鎮座していますが、風雨にさらされ、苔がむしてお気の毒な感じがします。



コメント (4)
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