らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

玉虫色とその由来

2023-06-29 | 雑学

政治の世界ではよく玉虫色の決着と云うことが言われます。
この玉虫色とはどのような色なのでしょうか?
今日はタマムシ色とその由来について調べました。

「玉虫色」
玉虫色とは、広辞苑によると、
①タマムシの羽のように光線の具合で緑色や紫色に見えたりする染色又は織色(おりいろ)。
③見方によっていろいろに受け取られるような曖昧な表現。
と説明しています。

「玉虫色の由来」
前記①で玉虫色は「タマムシの翅のように」と説明していますが、ではタマムシとはどのような虫なのでしょうか?
タマムシ(玉虫)はコウチュウ目タマムシ科に属する昆虫の総称で、日本には約150種以上が分布しています。
体は紡錘状で体長は4cm。金属光沢のある金緑色で、金紫色の2条の縦線があるとても美しい昆虫です。
玉虫色と云うのは、この虫に因んでつけられた色のことです。

・これがヤマトタマムシです。(ウィキペディアより)


玉虫の翅(はね)は、一見したところ緑色に見えますが、見る角度によって緑に光ったり赤に光ったりと、光を当てる角度によって色彩が変化します。
これは、構造色と呼ばれ、実際に赤い色がついているのではなく、タマムシの場合は、透明な層が何枚も重なることによって生み出される色なのです。

「慣用句表現」
光の干渉によって起こる金緑から金紫の色調変化をする染色や織色は、特定の色彩名を当てられないことから、どちらつかずの状態の事を慣用句的に「玉虫色~」と呼ぶようになりました。
なお、干渉 とは複数の波の重ね合わせによって新しい波形ができることで、光の干渉とは、水面を伝わる波のように、光の波も重なりあい、お互いに波を強めあったり、弱めあったりして、また別の模様を作る現象を言います。

「構造色を持つ生き物」
このように層が重なることによってできる構造色を持つ生き物は、タマムシだけではありません。
アワビの貝殻の内側やオオゴマダラの蛹(さなぎ)、サンマやイワシ、ネオンテトラなどにもみられます。

一方、溝や突起があることによって構造色ができることもあります。
CDが角度によって色が変わって見えたり、モルフォチョウやクジャク、カワセミが光って見えるのは、微細な溝や突起によって出来た構造色によるものです。
構造色が様々な色に見えるのは、光が多重の層や、微細な溝や突起によって干渉し合い、その干渉の仕方が場所によって異なるためです。

カワセミの綺麗な色も構造色によって生じていたのですね。
「玉虫色」はいろいろな生物や物からでも見られるようですが、政治の世界での玉虫色の決着は見たくないですね。

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富士山の高さ 最初の測量では何㍍?

2023-06-27 | 情報

富士山が2013年6月22日に世界文化遺産に登録されて10年が経ちました。
登録後は国内外からの登山客が爆発的に増えたようです。
それに伴って困った問題が発生しています・
登山客が投棄したとみられる空き缶やペットボトルなどが散乱しているそうです。
先日、静岡、山梨両県ではこのゴミ問題に苦慮していると報じていました。
登山される方は自分が出したごみは必ず持ち帰るように心がけて頂きたいものです。

「富士山の高さ」
さて、富士山と言えば、言わずと知れた日本一高い山です。
その高さが3776㍍という事はどなたもご存じの通りです。
しかし、今でこそ、当たり前のこの数字ですが、精巧な測量技術がなかった時代には何メートルと言われていたのでしょうか?

「最初の測量は3886㍍」
最初に富士山の高さが測量されたのは、今から300年ほど前の享保12年(1727年)のことでした。
この時は3886㍍という数字が出ています。

「伊能忠敬は3927㍍」
それから約80年後、わが国最初の実測日本地図をつくりあげた伊能忠敬も享和3年(1803年)に測定しており、この時は3927.7㍍という結果を出しています。

「オールコックは4309㍍」
更にそれから約60年後の万延元年(1860年)に英国公使オールコックが測定した時は、何と4309.8㍍という数字が発表されています。

・美しい富士山です。


「3776㍍の測量は大正時代」
現在の通説になっている3776㍍という数字が出たのは大正時代になってからのことです。
大正15年(1926年)の測定(参謀本部測量部)で出た標高は3776.29㍍でした。

しかし、その後も測量のたびに微妙に数字は変化してきました。
・昭和37年(1962年)の測定(国土地理院)では3775.63㍍、
・平成5年(1993年)の測定(大成建設)では3774.97㍍でした。
・そして平成9年(1997年)の測定(静岡大学理学部)では3776.224㍍とされています。

「詳細な高さ」
富士山の標高は一般に3776メートルが用いられていますが、もう少し詳細な数値は、
・国土地理院が2002年8月に山頂・剣ケ峰に設置した二等三角点の標石には3775.63メートルと記されています。
・また、三角点北の岩が3776.24メートル。
・更に測量方法の変更に伴い、国土地理院が2014年4月に衛星測位システムを使い再調査した値は3776.12メートルとなっています。
メートル単位の表記は小数点1位が四捨五入されるため、いずれの場合も通説通りの3776メートルの高さです。
そして、日本一の高さであることに変わりありません。

「2番目に高い山」
それでは2番目に高い山をご存じでしょうか?
2番目は山梨県の南アルプスにそびえる「北岳」で3193メートル、3番目は同じく「間ノ岳」と長野・岐阜両県にまたがる「奥穂高岳」で3190メートルです。

それにしても富士山の高さがセンチメートル(cm)単位で測量できるのですね。
日本の測量技術は凄いですね。

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ホオズキ市と4万6千日の御利益

2023-06-25 | 

畑にあるホオズキの花が終わり、萼(袋)が大きくなってきました。
色は未だ青いですが、来月、各地で「ほおずき市」が開かれる頃には赤いホオズキになっているものと思います。

「ホオズキ」
ホオズキは、 ナス科ホオズキ属の多年草で、漢字では鬼灯、酸漿(さんしょう)と書きます。
ウィキペディアによると、ホオズキ属にはアメリカ大陸、アジア、ヨーロッパに100種あまり存在していますが、このうちホオズキ は日本の北海道、本州、四国などを原産地とする一年草または多年草である、と説明しています。
草丈は60cm から80 cm位、淡い黄色の花を6月から7月ごろに咲かせます。
花の咲いた後に六角状の萼(がく)の部分が発達して果実を包むように袋状になり、熟すとオレンジ色になると説明していますが、丁度、我が家のホオズキは色づく前であり、袋状になっているところです。

・緑色のホオズキの袋が大きくなってきました。


「名前の由来」
「ホオズキ」の名は、その実の赤くふっくらした様子から頬を連想したもの(「づき」は「顔つき」「目つき」の「つき」)と言う説の他、赤い果実から「ほほ」は「火々」であり「つき」は染まる意味であるという説もあります。
更に、果実を鳴らして遊ぶ子供たちの様子から「頬突き」の意であるという説やホホ(蝥、カメムシの類)という虫がつくことを指すとする説もあります。

「漢字の鬼灯の由来」
日本のお盆では、ホオズキの実を死者の霊を導く提灯に見立て、枝がついた状態で精霊棚・盆棚に飾ります
鬼灯の字は、お盆に先祖が帰ってくる時の目印になる提灯の代わりとされ、「鬼」は亡くなった人のことで「灯」は提灯の意味です。

・間もなく赤く色づきかけるホオズキの袋です。


「ほおずき市」
ところでホオズキと言えば、露店が並び、数多くのホオズキが販売される「ほおずき市」があります。
その始まりは江戸時代中期の明和年間(1764〜1772)で、「四万六千日(4万6千日分のご利益があるとされる参拝日)」にあたる7月9・10日に縁日を設けた東京・台東区浅草の浅草寺です。
その後、浅草寺にならって、他の神社でも縁日が行われるようになりました。
7月10日の参拝は江戸時代には大人気となり、前日の9日には境内に参拝者が押し掛けるようになったと言います。

「四万六千(しまんろくせんにち)日の由来」
平安時代のころから、観世音菩薩の縁日の18日に参拝すれば「1000日分毎日参拝したのと同じだけの御利益・功徳が得られる」と言われていました。
室町時代末期になると18日だけではなく、仏様と縁が深いと考えられる日も、「功徳日」として縁日と考える風習が起こりました。

功徳日に参拝すると100日や1000日に該当する功徳を得られると言われ、人々は功徳日にこぞって参拝するようになりました。
とりわけ人気が出たのが7月10日で、この日は観音様と特に縁が深く、この日の参拝で一生分(46000日)の功徳が得られると言われました。
このことから7月10日は別名「四万六千日」とも呼ばれるようになりました。

4万6千日は約126年分で、昔は人の寿命の限界「一生分」という意味合いがあったものと考えられていますが、でも何故四万六千日なのか?
一説には、「一生」と「一升」を掛けて、一升にお米を擦り切りいっぱい入れて、その数を数えたら、四万六千粒あったというのが4万6千の数字の由来だという事です。

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人の噂は何故75日?

2023-06-23 | 雑学

人の噂をするのも、聞くのも好きではないのですが、諺に「人の噂も七十五(しちじゅうご)日」があります。
この諺はよくご存知だと思います。
噂というものは長続きしないものだ。だからあまり気にする必要はなく、放っておけばよいという意味ですが、でも何故「七十五日」なのでしょうか?
今日はその由来について調べました。

「七十五日の由来」
「七十五日」の由来については諸説あるようです。
・その一つは、五季節という考え方とする説があります。
 一年は春夏秋冬の四つの季節がありますが、昔はこの他に「土用」も含める考え方がありました。
 「土用」は各季節の変わり目の各18日で、この土用を含めて五季節とし、各季節はそれぞれが70日~75日と言われていました。
 このことから75日は一つの季節を表すとされ、季節を過ぎる頃になると、人々の噂も忘れ去られるだろうという説です。

・他には農作物の種まきから収穫までがおよそ75日かかるという説です。
 農作物の収穫に75日かかるということから、噂の種を75日後に刈り取れば跡形がなくなるという考え方です。
 また、収穫時期になると他人の噂どころではないほど忙しいことや、収穫後に別の作業があるため、いつまでも同じことの繰り返しをしていられないという説です。

・更に、語呂がいいからとする説もあります。
 これは「七十五(しちじゅうご)日」という語呂がいいとする説です。

いずれの説にしても、人の噂や評判はすぐに忘れられるので、あまり気にする必要はなく、放っておけばよいという意味で今に生きている諺となっています。

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新たな大阪名物?「笑わず餅」

2023-06-21 | 地元紹介

大阪には「笑わず餅」という和菓子がありますが、ご存じでしょうか?
大阪以外の方はご存知ないかも知れませんね。
府内在住の私も知らなかったので調べてみました。

「笑わず餅」
「笑わず餅」とは、26年前に大阪の和菓子職人たちが和菓子をもっと食べてもらうきっかけにしようと考案されました。
そして、毎年6月16日の和菓子の日に合わせて共通のラベルを付けて販売されており、今では大阪府内40ほどの和菓子店に広がっているという事です。

「由来」
「笑わず餅」の由来は、和菓子を笑わずに食べて厄除けにするという風習があったことに由来しています。
その謂れは、平安時代のことです。
当時の都は疫病が流行り、たくさんの人たちが苦しんでいました。
そこで、天皇が厄除けを祈願して16種類の菓子や餅を供えたところ、たちまち疫病は収まったとされています。

この言い伝えが江戸時代になると、笑うと口から邪気が入るから、笑わずに食べると言う厄除けの風習として広まり、健康に過ごせるようにという意味が込められるようになりました。
この風習に因んで作られた和菓子が「笑わず餅」です。

「笑わず餅の条件」
笑わず餅を作るにあたっては二つの条件があるのだそうです。
①その一つは夏らしい和菓子であること。
②もう一つは小豆を使う事です。
 赤い小豆は昔から魔除けの意味があり、疫病退散には欠かせない食材なのだそうです。

・これが各種の「笑わず餅」です。(ネットより)

「各種の笑わず餅」
「笑わず餅」は毎年6月16日の和菓子の日に合わせて、共通のラベルを付けて販売されており、今では大阪府内40ほどの和菓子店に広がっています。
各店では、暑い夏を美味しく乗り切ってもらうためのアイディアを取り入れた和菓子が作られています。

例えば、クズを使った夏菓子では、餡とくずの二層仕立てにして、涼しげで美味しそうに仕上げていたり、
また、夏バテ対策に16種類の生薬を煎じたエキスを入れた「笑わず餅」も作られています。
更に、夏の夕方の蛍をイメージして金粉を散りばめた「笑わず餅」を作り上げたお店もありました。
このお店では、食べていただいたお客様のこれからの人生が光り輝くようにという意味合いが込められているという事でした。

「新たな大阪名物?」
ある店主の方は、若い人たちには、ケーキやチョコレートなどと比べ和菓子は食べられていないことから、和菓子をもっと身近に感じてほしい。
そして、京都には「水無月」という夏のお菓子がありますが、大阪にはそのようなものがないので、これらの「笑わず餅」が大阪の夏の名物になることを願っているという事でした。

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コンニャクの木

2023-06-19 | 家庭菜園

皆様は、こんにゃくの木をご覧になったことがありますか?

我が家のコンニャク栽培は、十年ほど前に実家からこんにゃく芋を持ち帰ったことに始まります。
そのコンニャクが私の畑に2株芽を出しているのでご紹介します。

「こんにゃく芋」
先ず、こんにゃく芋は下の画像のような芋です。
この芋を煮てコンニャクを作るのですが、この芋は大き過ぎたので半分をコンニャクに、残ったこの半分を植え付けました。
中心の突起が芽で、これが伸びてコンニャクの木になります。

・2015年の画像です。


以前は下の画像のようにたくさんのコンニャクの木がありました。

・この画像は2016年のコンニャクの畝です。


しかし、その後、そのまま放置していたことから次第に減少し、今年は下の画像のように、奥側50㎝ほどの木と手前15~16㎝ほどの2本のコンニャクの木だけになりました。

・今年出芽した2株です。


こんにゃくの木を上から見るとこのように広がっています。


「コンニャクの花」
コンニャクの花は4年以上の芋に咲くようです。
我が家のコンニャクは実家から持ち帰ったものだったので、多分3~4年以上の芋だったのでしょう。
よく咲いていました。
しかし、それ以降は花が咲いたのを見ることがありません。
その前に茎が枯れてしまいます。

・これが4年物のこんにゃく芋から咲いたこんにゃくの花です。(これも過去の画像です)
 

「日本のコンニャクの由来」
日本のこんにゃくの由来には諸説がありますが、その一つは、古く縄文時代から里芋と一緒に日本に伝わっていたと言われており、古くから日本に存在していた野菜です。
江戸時代にはこんにゃく芋を乾燥させて製粉化する技術も確立して全国に広まり、現在のこんにゃく製造の礎となりました。

現在私たちがよく食べている市販されているこんにゃくは、こんにゃく粉に海藻などを混ぜて作られているのだそうです。
ところが、生のこんにゃく芋で作る本来のこんにゃくは、味や歯触りは格別なものなのです。

我が家では過去にこんにゃくを作って刺身で食べたことがありますが、美味しいのでいくらでも食べられました。
今年は自家製コンニャクを作れるように大事に育ててみたいと思います。

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「土砂降り」の基準と由来

2023-06-17 | 家庭菜園

NHK大阪放送局では、夕方のお天気コーナーでお天気キャスターが簡単なクイズを出します。
先日のクイズでは「土砂降り」の由来について出題していました。
私は、「土砂降り」とは「土砂崩れを起こすような激しい雨」かと思っていたのですが、それは間違いだったようです。
そこで、改めて「土砂降り」の由来について調べてみました。

「どしゃ降りの意味」
「どしゃ降り」とは、広辞苑によれば、大粒の雨が勢いよく激しく降ること。またその雨。
と説明しており、漢字では「土砂降り」と書いています。
気象用語では「強い雨」に当たります。

「どしゃ降りの基準(気象庁HP)」
気象庁の「雨の強さと降り方」一覧表によれば、「どしゃ降り」の基準は1時間に20〜30mmの降水量で、天気予報用語では強い雨』に当たり、この雨が人が受けるイメージとしては「どしゃ降り」なのだそうです。
また、車を運転する場合、ワイパーを速くしても見ずらい状態になる降り方が、「土砂降り」に当たります。

下の表をご参照ください。
念のため、気象庁の「雨の強さと降り方」にリンクしておきます。
下の表が見にくい方は開いてみてください。



冒頭に書いたように、「土砂降り」は、漢字からのイメージで、バケツをひっくり返したような酷い雨で「ざあざあ」と降る雨の事を「土砂降り」と思っていたのですが、これは間違いでした。
そして、「土砂降り」のこの漢字も当て字だそうです。
では、「土砂降り」の由来は何処からなのでしょうか?

「土砂降りの由来」
実は土砂降りの由来には諸説あって、”どしゃどしゃ” という、雨が強く降る様を伝える擬音語からきているいう説や、重い物がたくさん続いて落ちるさまや、大ぜいの人が一度に入り込むさまを意味する “どさどさ” が変化したものとする説などがあります。

「新明解国語辞典」では、「どしゃ」とは、「どさくさ」の「どさ」と同源」と説明しており、更に、『日本語源広辞典』では、「語源は「ドサッ(擬態語)+降り」で空から容器をひっくり返したように、ドサッと降り続けるとの意味と説明しています。
いずれの辞書も「土砂降り」と書くのは当て字としています。

当地では今月2日にバケツをひっくり返したような豪雨がありました。
熊取町に設置されているアメダスによると、午前9時から10時までの1時間当たりの降雨量が33.5㎜、11時から12時までの1時間は36.0㎜を記録していました。
私はこの雨が「土砂降り」と思っていたのですが、気象庁の一覧表では「土砂降り」の次の段階の「激しい雨」で、人が受けるイメージでは「バケツをひっくり返したように降る」雨でした。
(参考)
因みに、6月2日の熊取町の24時間積算雨量は186.5㎜でした。

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「束の間」の「束」とは

2023-06-15 | 雑学

『つかの間』という言葉があります。
「つかの間の休息」のように【ほんのわずかな時間。ちょっとの間】をいう言葉で、漢字では『束の間』と書きます。
しかし、束の間の「束」は、実は時間と直接関係ない言葉なのです。

今日は「束の間」の語源について調べました。

「束」とは、日本古来の身体尺における長さの単位で、手のひらの幅、指4本分で、親指を握り込んだ状態の拳の幅のことを指す語です。
元々は長さを表す言葉の「束」で、「一束(ひとつか)」は「指四本分の幅、握りこぶしの幅」の長さです。
そして「束の間」の「間」は「時間」を意味しています。
つまり、短い幅の長さを時間の長さに例えて、「ごく短い時間」という意味で「束の間」という言葉が用いられるようになりました。

そして、片手で作った握りこぶし1つ分の幅の「一束(ひとつか)」は現在の約8cmに相当し、当時は矢の長さの単位としても使われました。
また、「短い時間」という意味の言葉に「瞬く間(またたくま)」がありますが、これは「まばたきをするほどの極めて短い時間」という意味になります。

因みに、「一束(ひとつか)」は「指四本分の幅」で、現在の約8㎝ですが、私の一束(こぶしの長さ)も約8㎝でした。



大阪南部の当地では、梅雨に入って雨や曇り空が続いており、今日も天気予報では雨マークがついていました。
このため一向に畑が乾きません。
スカイは根腐れを起こしているようであり、大玉スイカが大きくならず、花が咲いても幼果が留まりません。
「束の間」の青空でも大いに歓迎です。
太陽が覗いて柔らかい畑を乾かしてもらいたいものです。

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中国故事と純米吟醸酒

2023-06-13 | 雑学

ビールを購入するために地元のお酒スーパーに行ったら日本酒のコーナーに「上善如水」という銘柄の純米吟醸生酒が売られていました。
私は夏は日本酒を飲まないのでビールコーナーに行ったのですが、「上善如水」という4文字が気になったので調べてみました。

「上善如水」
「上善如水(じょうぜん みずのごとし)」は老子の教えで、その意味は、最も理想的な生き方をしたいなら水に学べと言うことです。
その原文は以下の通りです。

・「原文」             ・「書き下し文」
上善如水。             上善(じょうぜん)は水の如(ごと)し。
水善利万物而不爭。         水は善(よ)く万物(ばんぶつ)に利して而(しか)して争わず。
処衆人所惡、故幾於道。       衆人(しゅうじん)の悪(にく)む所に処(かた)づきて道に於(お)いて幾(ちか)し。
居善地、心善淵、與善仁、      善き地に居(おり)て、心善く淵(ひろ)め、善き仁(ひと)しみを与え、
言善信、政善治、事善能、動善時。  善き信を言い、善き治めを政(まつ)り、事は善く能(かな)い、善き時に動け。
夫唯不爭、故無尤。         夫(そ)れ唯(ただ)争わず、故(ゆえ)に尤(とが)め無し。

「意訳」
最も理想的な生き方は水のようなもの、
水はあらゆるものにメリットを与え、他のものとは争わない。
人々の嫌うところを処理してくれ、「道」に近いものである。
一番善いところに住み、心を善く広く持ち、善い慈しみを与え、
善い言葉を語り、善い政治を行い、善い結果を出し、最も善い時に動くもの。
およそ争わないので恨まれることもないのである。

「老子の教え」
この漢詩は古代中国の哲学者「老子」の一文です・
上善とは、もっとも理想的な生き方のことで、そういう生き方をしたいのなら水に学べ、水には学ぶに足る3つの特徴があると教えています。
その特徴の
1. きわめて柔軟であること。
 水は四角な器に入れれば四角になるし、丸い器に入れれば丸くなる。どのような器にも形をかえて少しも逆らわない。

2.低いところに身を置くのは誰でもいやがることだが、水は人のいやがる低い所、低い所へと流れていく。
 非常に謙虚であり、自分の能力や地位を誇示しようとしない。

3.急流ともなれば岩をも砕くものすごいエネルギーを秘めている。 

このように、人も柔軟・謙虚・秘めたるエネルギーを身につければ理想の生き方に近づけるだろう。
と説いているものです。

・白瀧酒造株式会社の純米吟醸生酒「上善如水」です。


「純米吟醸生酒 上善如水」
この老子の教えをお酒の銘柄にしたのが新潟県にある酒造メーカーの白瀧酒造株式会社です。
同社のHPを開くと次のように書かれていました。
・上善如水
 みずのごとしの名前の通り、あらゆるものと調和して、するりと喉の奥へと落ちる。目指したのはシンプルで清らかなお酒です。
・上善如水の最高峰。
 気品のあふれる香りと、口の中でゆっくり広がる深みのある味わい。瞬間加熱殺菌技術の採用で、フレッシュな味わいをお楽しみ頂ける純米大吟醸です。
・シュワシュワはじけて食卓を豊かに、スッキリドライなスパークリング日本酒。
 口に含んだ瞬間に感じる柔らかな甘みと爽快感。食前・食後を選ばずお楽しみ頂けます。
・もぎたての果実のようなフレッシュな味わい。
 加熱殺菌処理をしないため、しぼりたての香りと味がそのまま味わえる「生酒」です。

同社の「上善如水」は以上のように説明していました。
説明を読んでいると美味しそう感じますね。
しかし、決して同社の製品をPRするものではありません。
たまたま立ち寄ったお酒のスーパーで老子の言葉を見かけたので取り上げました。
もし、不快に感じられ方がおられましたらご容赦ください。

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お中元の起源

2023-06-11 | 季節

今年もお中元の季節となり、スーパーにはいろいろな贈答用品が並んでいます。
お中元は、お世話になった人に感謝の気持ちを込めて贈物を渡す、日本独特の風習とされています。
皆様方も「そろそろ準備を」とお考えになっておられるかも知れません。
今日は、お中元について調べました。

「お中元の起源」
お中元の起源は中国の三大宗教(儒教、仏教、道教)の一つである道教にあります。
道教には三官大帝信仰という信仰があり、福を賜る「天官」、罪を赦す「地官」、厄を解く「水官」の三官大帝を崇めていました。
・「天官」の誕生日は1月15日で「上元」と言い、
・「地官」の誕生日は7月15日で「中元」、
・「水官」の誕生日は10月15日で「下元」と言って一日中火を焚いて盛大なお祭りを行っていたそうです。

道教の教えから「中元」の日に神様にお供え物をした人は罪を赦されると信じられていました。
この行事が仏教の盂蘭盆 (うらぼん) の行事と結びついてご先祖様を供養する日になったと言われています。
これが日本に伝わり、日本にも、1年を1月と7月で2つに分けて祖霊を祀るという考え方があったことから、お中元・お歳暮が年中行事として定着していったと言われています。

「お中元の広まり」
お中元は室町時代、公家の間で広まっていき、江戸時代には庶民にもなじみのある慣習へと変化していきました。
その時代に贈答品として重宝されていたのは、うどん、そうめんなどの乾麺だったようです。
また商人たちが決算期である中元や歳暮の時期に、お得意先に対して手ぬぐいなどの粗品を配ったことも贈答の活性化につながったと言われています。

「贈る時期」
お中元を贈る時期は地域によって異なります。
一般的には7月の初めから7月15日の間に贈るのが良いとされていますが、お盆の行事を月遅れで行うところではお中元も月遅れで贈ることが多いようです。
贈り先のお中元の慣例が分からない場合は7月1日から7月15日の間に贈るのが無難のようです。

我が家では毎年K百貨店のオンラインショップを利用しています。
最初はネット画面に戸惑いましたが、少しずつつ慣れてきました。
慣れてくるとネットで目的が果たせるので便利さを感じます。
皆様は如何でしょうか?

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