らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

ワイシャツの由来

2022-09-29 | 雑学

一昨日は安倍元総理の国葬儀が国内外からおよそ4300人が参列して厳かに行われました。
世論の賛否が分かれる中での実施でした。

今回の国葬では、国葬に反対する市民団体が、関連予算の執行差し止めなどを求めた仮処分の特別抗告を、最高裁第1小法廷が棄却する決定をしています。
更に、海外の218地域や国から約700人の要人が参列されていたことからも、日本の恥部をさらけ出すような国葬当日の反対デモは行わず、静かにお見送りしてほしかったです。
反対の抗議については別途、国会や他の場で追及すればよいのではないでしょうか?

さて、冠婚葬祭などのフォーマルな場所では勿論ですが、ビジネスなどにおいての男性の服装はワイシャツの着用が定番となっています。
リタイアするとワイシャツを着る機会がなくなりましたが、現役の頃はホワイトカラー族だったため毎日お世話になっていました。
そこで今日はワイシャツについて調べてみました。

「ワイシャツの誕生」
ワイシャツの成りたちは近世ヨーロッパの下着だそうです。
当時の男性はパンツの代わりにシュミーズと呼ばれる麻の肌着をしばしば使い、その上に上着やズボンを着ていました。
17~18世紀には、上流階級を中心にシュミーズの袖口や襟元を上着の隙間からのぞかせるオシャレが流行します。
装飾用のフリルやレースで目立たせるうちに下着からシャツへと進化したようです。
現在のワイシャツの形は19世紀後半に確立したと考えられています。

「ワイシャツ・カッターシャツの名前の由来」
・ワイシャツ
「ワイシャツ」という言葉は和製英語です。
明治時代に西洋人からシャツを譲り受けた石川清右衛門が、「White shirt」という英語の発音を「ワイ  シャツ」と聞き間違えたことが由来だと言われています。

・カッターシャツ
ワイシャツはカッターシャツとも呼ばれています。
これは、大阪市に本社のある総合スポーツ用品メーカー「ミズノ(美津濃株式会社)」によって、大正7年に売り出されたカッターシャツという名前のスポーツシャツが名前の由来だそうです。
この商標が西日本を中心に定着して、西日本ではワイシャツと同じようなシャツをカッターシャツと呼ぶようになりました。

「まとめ」
このように、「ワイシャツ」の語源は「ホワイトシャツ(white shirt)」を聞き違えたことから生まれた和製英語なので、外国人には通用しません。
そして、現在「ワイシャツ」と呼ばれているものは、元々は男性の下着であり、明治初期には「白じゅばん」と訳されていたという事です。
更に、カッターシャツは元々はスポーツシャツであり、西日本を中心に定着した呼び名だという事です。


「現れる」と「表れる」の使用区分

2022-09-27 | 雑学

皆さんは文章を書くとき、どちらの漢字を使用するのか迷うことはありませんか?
私は時々あるのですが、今日はそんな同音異義語の中から「現れる」と「表れる」の使用区分について調べました。

「現れる」と「表れる」の使用区分
・「表れる

「表れる」とは、「考えや感情、思想など、隠れていた内面的なものが外に出る」とか「見えなかった内面的なものが示される」などの意味です。
「思想や癖など形がなく、抽象的なものが外から見てわかるようになること」を「表れる」といいます。
例えば、「悲しみが顔に表れる」「日々の努力が結果に表れる」のような使い方をします。

「内面的なもの、外からは見えなかったものが表にでる」の「表れる」は、機嫌などの感情、景気や世論、結果、実績、兆候など、抽象的なものに幅広く使います。
たとえば喜びが顔つきに出る、政権への不満が世論に反映される、努力が実を結ぶ場合などに使われます。

・「現れる
一方、基本的に「形のあるもの、実体のあるものが物理的に見えるようになること」を「現れる」といいます。
漢字の「現」の意味は「あらわす」や「隠れていたものが見えるようになる」または「目の当たりにあること」です。
隠れていたものが姿をあらわす」という意味で、「希代の天才が現れる」「快晴の日だけ現れる島」という使い方をします。

「姿が見えるようになる」の「現れる」は、人、物、太陽など天体や自然といった目で見て形がわかるものに対して使います。
いなかった人が目の前に姿を見せる、建物が見える、雲の切れ間から太陽が見える場合などです。

・「どちらも使える場合」
どちらでも使える場合もあります。
例えば
・効果があらわれる場合、
「それまで見えなかった効果という事柄が生じて目で確認できるようになった」と考えれば、「現れる」であり、
「効果という形のないものが、外から見てわかるかたちで出てきた」と考えれば「表れる」となります。

・同じく「症状」の場合も、
「現れる」と「表れる」のどちらでも間違いではありませんが、ニュアンスとして慢性的な病気については「表れる」を使用します。
一時的な風邪で咳をした場合は「風邪の症状が現れる」といいます。
慢性的に喘息を患っていて、咳をした場合は「喘息の症状が表れる」です。
「ふだんは外側から見えないが、体のなかにある喘息が咳によって外側から見える状態になる」ため「表れる」が適しています。


情けは人の為ならず

2022-09-25 | 雑学

「情けは人の為ならずの意味」
「情けは人のためならず」という諺があります。
この意味はよくご存じだと思いますが、中には誤解している人もいるようです。
実は、私も子供の頃、母親が間違って教えてくれたため、就職するまで本来の意味を知りませんでした。
誤解している人の殆どは「情けをかけるとその人のためにならないから、やめておこう」と思っているようであり、このことは、文化庁の平成 12 年度の『国語に関する世論調査』でもそのような結果が表れています
「情けは人のためならず」の本来の意味は、「人に情けをかけておけば、いずれ巡り巡って自分のためになる。だから人にはどんなときにも親切にしておいた方がよい」と言うことです。

「誤解の要因」
この諺を本来とは違う意味で理解してしまうのは,『ためならず』の解釈を誤ってしまうからだと考えられるということです。
それは、『情けは人のため「に」ならず』と無意識のうちに助詞の『に』を入れて、「その人のため「に」ならない」と判断しているのではないかという事です。
「に」が入っていれば当然のことながら『その人のため「に」ならない』と受け取れるので、それが誤解の要因と考えられるのです。

しかし、諺では『人のためならず』で、助詞の『に』は入っていません。
『人のためではない、即ち、自分のためである』と読み取る必要があります。

「この諺には続きがある」
「情けは人のためならず」には、後に続く言葉があると言われているのをご存じでしょうか。
それは
「情けは人の為ならず、 巡り巡って己がため」或は、
「情けは人の為ならず 己がこころの 慰めと知れ」です。

本来は上記のように「巡り巡って己がため」或いは「己が心の慰めと知れ」までがセットだとするものです。

「新渡戸稲造博士が由来?」
この諺の由来は新渡戸稲造博士と言われています。
大正4年に発売された新渡戸稲造の著書「一日一言」には、以下のような記述があります。

「施せし 情は人の ためならず おのがこゝろの 慰めと知れ」
「我れ人に かけし恵は 忘れても ひとの恩をば 長く忘るな」

この言葉では「情というのは人のためではなく自分のためにかけるものだ。人にしたよいことは忘れてもいいが、人からよくしてもらったことは忘れてはいけない」ということを伝えています。

このような事から、新渡戸稲造の書籍がこの諺の語源とする説もあるようです。


ラッキョウの「三年子」栽培

2022-09-23 | 家庭菜園

昨年秋に植え付けたラッキョウは、通常であれば今年の6月に収穫するのですが、我が家では諸事情により収穫できませんでした。
それどころか、その後の手入れもできず、そのままにしていたところ、雑草が生え、赤しそも生えてきてラッキョウの畝は草むらの中に埋まってしまいました。

先日、ラッキョウを片付けようと思い、草を取り始めると、何と! ラッキョウの新芽が出ているではありませんか?
新芽は既に10㎝余りに伸びていました。
ここまで伸びていると片付けるのが勿体ないので、2年続けて栽培する「三年子(さんねんご)」栽培をすることにしました。

今日は「三年子(さんねんご)」栽培についてご紹介します。

・これが伸びていた雑草を取り除いた後の畝です。既に10㎝ほどの新芽が出ていました。


「ラッキョウの三年子栽培」
ラッキョウの「三年子(さんねんご)」は福井県では「三年子花ラッキョウ(3年掘り)」とも呼ばれています。
「花ラッキョウ」とは、植えつけてから3年かけて収穫する小粒のラッキョウで、高級品として知られており、明治初期から福井県三里浜の砂丘地帯で栽培されてきています。

通常、ラッキョウは「1年掘り」と言って、夏に植付けたものが秋に紫の花を付け、翌年春先に分球して6月頃に収穫しますが、「三年子栽培」では、更にもう1年土の中で過ごし、花を付けて、2回目の春に更に分球して6月頃収穫される独特の栽培法です。

この足掛け3年越しのラッキョウは、福井県三里浜砂丘で栽培されており「三年子花ラッキョウ」と呼ばれ、繊維が細かく巻きがしっかりしたシャキシャキと歯切れの良いラッキョウになるということです。
なお、分球とは、ひとつの種球から1年で6~7個に増えることを言います。
三年子になるまで数回の分球をして、一株で50個くらいに増えます。

・草と赤しそを取り除いたラッキョウの畝です。株がないところは枯れた箇所です。


今年は「三年子ラッキョウ」栽培に挑戦してみます。
春先のズボラ(大阪弁で怠慢のこと)が、思わぬ新しい挑戦の機会となりました。


ヒガンバナが彼岸に咲く理由

2022-09-21 | 季節

当地(大阪府熊取町)では、一昨日から昨日未明にかけて台風14号の暴風圏がかすめたことから突風や大雨に見舞われましたが、大きな被害もなく、ほっとしているところです。
台風の通過後は北西の風が吹いて涼しくなり、昨日は最高気温が24.8度と、この秋になって初めての涼しい一日となりました。



「彼岸の入り」
昨日は秋の彼岸の入りです。
昔から「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、正に諺通りに涼しくなりました。
しかし、台風が近づく前日までは32度~35度と厳しい残暑が続き、とても秋の気配を感じる状態ではありませんでした。
それでも、僅かに秋を感じる出来事は、アキアカネが飛んでいることや萩が咲き始めたこと、更にフジバカマの出蕾や彼岸花の茎が伸びてきたことです。

この彼岸花ですが、不思議なことに、いくら残暑が厳しくても、毎年彼岸が近付くと必ず咲くのです。
何故なのでしょうか?
調べてみました。

9月18日に撮影した彼岸花です。


「森 源治郎先生の研究(大阪府立大学大学院生命環境科学研究科)」
彼岸花が季節を感じる要素として、森先生の次のような研究がネット上に載っていました。
1.ヒガンバナの成長サイクル
ヒガンバナは普通9月中・下旬に開花し、開花後に葉を地上に展開させ、翌年の5月中・下旬に葉が枯死し、夏を越します。
一方、球根内での花芽の分化・発達についてみますと、花芽分化は葉が生育中の4月下旬に始まります。
葉が枯れた後の6月中旬に雌ずい形成期、8月下旬に花粉形成期と発達して、9月の中旬・下旬開花します。

2.花芽分化
冬期、最低20℃程度の加温室で栽培すると夏にも葉を展開させて常緑性になります。
しかし、このような条件下では、花芽は分化しません。
このことから、ヒガンバナの花芽分化には低温遭遇を必要とし、低温はバーナリゼーション(発育初期の低温処理で開花・結実を早めること)として作用しているようです。

3.発育適温
花芽分化および雌ずい形成までの発育適温は25〜30℃付近にありますが、分化・発育の可能な温度範囲は10〜30℃で広いことから、自然条件下では温度が上昇に向かう4月下旬から花芽分化が始まるようです。
雌ずい形成期に達すると、それまでの発育を促した高温(25〜30℃)ではかかえって発育が抑制され、適温は20℃付近に低下します。
自然環境下での開花が9月の中旬・下旬になることや関東での開花が関西より10日ほど早くなるのは、この発育適温の低下によるものといえます。

以上のように、先生はヒガンバナは温度(特に地温)を感じて花芽の分化および発達が進行しているようだ結論しています。



「結論」
彼岸花が彼岸に咲くのは、低温遭遇の後、最低気温(地温)が20度前後にまで下がってくる頃であり、関西では、それが秋の彼岸の頃なので、この頃に彼岸花が咲くという事です。
従って、年によって9月上旬に急に涼しくなれば早く咲いたり、反対に彼岸を過ぎても暑い日が続くと、10月になってから咲くこともあるということです。


敬老の日と「養老の滝」伝説

2022-09-19 | 時事

今日19日は「敬老の日」です。
敬老の日といえば、9月15日を思い浮かべるので、9月の第3月曜日になって戸惑うことがあります。

「敬老の日の由来」
敬老の日は、1947年に兵庫県多可郡野間谷村(現・多可町)で行われた敬老行事がきっかけに生まれました。
その敬老行事は、9月15日を「としよりの日」とする運動ですが、これが後に全国に広がり、老人福祉法の制定に伴って「老人の日」と改称され、1966年に9月15日が国民の祝日「敬老の日」となりました。
その後、祝日法改正(ハッピーマンデー法)によって、2003年から「敬老の日」が9月の第3月曜日に変更され、老人福祉法の改定によって9月15日が「老人の日」、9月15日~21日は「老人週間」となりました。

「老人の定義」
ところで老人とは何歳から言うのでしょうか?
老人福祉法によると、老人の定義は65歳以上となっています。
国連の世界保健機関(WHO)でも、65歳以上を高齢者と呼んでいます。

「高齢化比率(28.9%)」
令和3年10月1日時点における日本の高齢化比率は次のようになっています。
内閣府が公表している「令和4年版高齢社会白書」によると、日本の総人口は令和3年10月1日時点で1億2550万人で、このうち、65歳以上人口は3621万人で、総人口 に占める割合(高齢化率)は28.9%です。 
さらに65歳以上人口のうち、
・「65~74歳人口」は総人口の14.0%、
・「75歳以上人口」は14.9%です。
男女比では、男性よりも女性の方が長生きする傾向にあるため、65歳以上の高齢者の男女比は約3対4となっています。
 そして、高齢者世帯の割合は、現在、65歳以上の方がいる世帯は全世帯の約半数となっています。



敬老の日に因んで、親孝行な若者の「養老の滝伝説」がありますのでご紹介します。
「養老の滝伝説」
この伝説は孝子(孝行息子)が山で酒の泉を発見したというお話です。
この若者の家は貧乏で毎日の食べる物にも不自由する暮らしでしたが、年取った父親のために一生懸命働いて、少しでも長生きをしてもらおうと思っていました。
その父親は何よりもお酒が好きでしたが、しかし米を買うお金さえろくに稼げないので、お酒などめったに手に入れる事は出来ません。
それでも息子は父親がお酒を飲むときの幸せそうな様子を思い浮かべると、なんとかしてあげたいと奥山にわけ入って、たきぎを取るのでした。

そんなある日、若者は岩から足をふみはずして、あっと言う間に谷底へ転がり落ちてしまいました。
気を失ってしばらくすると、喉がかわいて目を覚ましました。
「ああ、水が飲みたい」
体を起こしてあたりを見ると、岩かげから水の音が聞こえてきます。
「ありがたい。川があるようだ」
若者がかけよると、そこには見上げるばかりの滝が、しぶきを立てて流れ落ちていたのです。
若者は足元に泡立つ水を手にすくって、口にふくみました。
「むむっ。これは!」
何とそれはただの水ではなく、これまで飲んだ事もないような、香しいお酒だったのです。
「ああ、ありがたい事だ。これを持ち帰れば、おとうがどんなに喜ぶ事か」
若者は腰にさげたひょうたんにお酒をくみとると、急いで家に帰りました。

「遅かったな。お前の身の上に何かあったかと、心配しとったよ」
息子はニコニコしながら頷くと、瓢箪のお酒を父親に差し出しました。
「なんだこれは、水か? ・・・うむ! これはうまい!」
一口飲んだ父親は、目を丸くしました。

「こんなに香しい酒を、わしはこれまで飲んだ事がないぞ。いったい、どこで手に入れたんじゃ」
息子は山奥で起きた不思議な出来事を話して聞かせると、父親は言いました。
「それは、お前がいつも親孝行をしてくれるので、神さまがご褒美にくださったのだよ」

この話は間もなく、奈良の都の元正(げんしょう)天皇の耳に伝わりました。
この話を聞いた天皇は、当地に行幸され、孝心を愛でてこの孝行息子を美濃守(かみ)に任じ、年号を「養老」と改め、滝に「養老の滝」という名を授けたという事です。


「駆けつけ三杯」の由来

2022-09-17 | 雑学

現役の頃、付き合いで飲みに行く機会が度々ありました。
時には仕事の関係で遅れていくこともありました。
そのような時には、先着の同僚から「駆けつけ三杯」と言って、立て続けにビールを飲まされたことがあります。
酒に強い人なら大いに歓迎でしょうが、弱い私などは酔いが回ってしまいます。
お酒はその人の体調に合わせて数名で静かに、そして、ゆっくりと味わいたいですね。
若山牧水も次のように詠んでいます。

「若山牧水の歌」
  「白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけり」(若山牧水)
意訳:白い歯に沁み透って行く秋に、酒はワイワイみんなで騒いで飲むのではなく、一人で静かに味わいながら飲むべきだ、その方がしみじみと酒のうまさがわかる、と言うような意味です。(白玉は歯に掛かるまくら言葉的に使われています)

酒好きの牧水は一人で飲む酒を詠んでいますが、一人では少し寂しいですね。
気の合う仲間2~3人と静かに語り合いながら、そしてマイペースでゆっくりと飲みたいですね。

ところで、冒頭の「駆けつけ三杯」についてですが、何故「三杯」なのでしょうか?
今日はその由来を調べてみました。

「駆けつけ三杯の由来」
「駆けつけ三杯」とは、酒の席に遅れて来た者に、罰として立て続けに三杯の酒を飲ませることですが、その由来には諸説あります。
一説には、貴族の宴会での罰則説です。
平安時代の貴族の宴会では、徳利で盃にお酒をついで回るのですが、徳利が五巡しても宴会に来ない時を「一遅」といい、七巡しても来ないことを「二遅」、十巡しても来ない時は「三遅」言いました。
そして、「三遅」をした人は罰則として三杯立てつづけに飲まされたのですが、これが由来とする説です。

他には、武士の儀式がルーツとなっているとする説です。
武士の宴会では「式三献(しきさんこん)」という儀式があり、この儀式は宴会の始めに神に捧げ物をして三杯酒を飲むというものでした。
この儀式が終ってからようやく宴会に入っていたのです。
これらが時代とともに形を変えて「駆けつけ三杯」になったとされる説です。

「三献の儀」
三献の儀とは、室町時代より武士は出陣の時、 打ちあわび、勝ち栗、昆布の三品を肴に酒を 三度づつ飲みほす儀式がありました。
これを『三献の儀(さんこんのぎ)』 或いは『式三献』と言います。
 宮中の儀式であったこの「三献」が武士の 出陣・婚礼・式典・接待宴席などで重要な儀式となりました。
特に出陣に用いる三献は三つ目の杯を 飲み乾した後、地面に打ち付けて割り、 軍扇を広げ弓を持ち 大将が鬨(とき)の声を『エイ!エイ!オーッ!!』と 挙げ、陣営を鼓舞する意味合いがありました。
打ち鮑は剥いて干した身を打ち伸ばしたもので 敵を討ちのばすの意味が含まれています。

現在では、正月の飾りや来客のお迎え、結婚式の 三三九度の盃、選挙の出陣式、端午の節句や七五三なども「式三献」の名残りといわれています。
酒席に遅れて来た者に、罰として立て続けに三杯の酒を飲ませる「駆けつけ三杯」は、平安時代の貴族の宴会での作法や、武士の儀式である「式三献」などがルーツであったのですね。


トイレの神様

2022-09-15 | 雑学

外国人観光客が日本に来て驚くのは自然の美しさや食べ物の美味しさは勿論ですが、道路や観光地などにはゴミが落ちていなくてとても綺麗な事、国民が親切で優しい事、そしてトイレが素晴らしいことだそうです。
中でも、トイレはとてもきれいで清潔、そして、明るくて広々としているという事、更に、個室に入ると自動で蓋が開き、用足し時の音をカモフラージュするための装置が付いていたり、立ち上がると自動で水が流れ、しかも消臭機能が付いていて臭いが全くしないというアメージングなトイレであること。
まだまだあります。
それはウォッシュレットであることです。
優しくお尻を洗ってくれるし、しかも温風で濡れたお尻を乾かしてくれる機能があるということで、驚くことばかりだそうです。
そのようなトイレが日本では8割方普及していると聞いて更にびっくりしているという動画がアップされていました。

ところでトイレと言えば、12年前の2010年(平成22年)2月に植村花菜が歌ってヒットした曲に「トイレの神様」があります。
彼女はこの歌で第52回日本レコード大賞優秀作品賞と作詞賞を受賞し、翌年の第61回NHK紅白歌合戦に出場しています。
この歌ではトイレには神様がいることを紹介しています。
そこで今日はトイレの神様について調べました。

「日本の便所」
今ではトイレと言っていますが、数十年前までは「お手洗い」とか「便所」と言っていました。
さらに遡ぼると、その昔は「厠(かわや)」や「はばかり」などと言っていました。

そして、今ではトイレは家の中にあるのが当たり前ですが、その昔はトイレは家の外にあったのです。
なぜ外にあったかというと、トイレに排せつ物をためて肥料にしていたからです。
なので、トイレは単なる排せつのための汚い場所ではなく、大切な作物を育ててくれる大切な場所だったのです。
大切な作物を育ててくれる肥料だったので、トイレに神様がいると考えられたのかもしれません。

「トイレの神様」
ではトイレにいるとされる神様はどの様な神様なのでしょうか?
それは烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)という神様です。

烏枢沙摩明王は、烈火で不浄を浄化し清浄と化す力をもつとされ、心の浄化のみならず、日常のあらゆる不浄を焼き払い清める功徳があるとされています。
トイレに花を生ける習慣があるのも、トイレの神様を祀るところから始まったとされています。

昔は便所に神棚を設けたり、花や酒を供えたりしていました。
トイレの神様は火の神でもあるため、その烈火で不浄を浄化し清浄と化す力をもち、不浄除け、運気や金運上昇のご利益があるとされています。
そして、トイレをきれいに掃除すると、トイレの神様がたくさんの功徳を授けてくださると考えられるようになりました。

・トイレの神様「烏枢沙摩明王」です(ネットより)


トイレの神様は女性の守護神なのだそうです。
そして、お産とも関係が深いとされており、トイレの神様には母胎にいる赤ちゃんを男の子にさせる力があるとされたため、男の子を求める戦国武将に広く信仰されました。
こうしたことから、トイレの神様を祀ると女性の願いが叶い、トイレをきれいに掃除すると美人になる、妊婦さんがトイレをきれいに掃除すると美しい子が生まれる、言われるようになりました。

「寺院の伝承」
トイレの掃除を毎日すると幸運が訪れると言われているようです。
言い伝えによると、昔々、新築の家の玄関や台所など要所要所に神々が住み着きましたが、なんとも言い表せないほどの美しい女神さまがお化粧していたため遅れてしまって、トイレしか住むところが空いてなかったそうです。
この神様が烏枢沙摩明王です。
この神様はトイレ掃除する人に福を授け、女性なら美人にしてくれ、また子供も授けてくださいます。
大きな寺院などでは、大僧正クラスの偉いお坊さんが率先してトイレを掃除されると言われているのもこのためだそうです。


マラソン42.195㎞の由来

2022-09-13 | 雑学

私は毎朝5㎞ほどの健康ジョギングをしています。
きっかけは、38~39歳の頃に正座が出来なくなったことから、膝関節の強化のために走り始めたものです。
それが高じてフルマラソンを目指すようになり、41歳の時に兵庫県丹波篠山市の”ABC篠山マラソン”に挑戦しました。
初めてのフルマラソンだったので、制限時間の5時間以内にゴールすることだけを目標に走り、目標通り4時間19分で完走しました。
その後7年連続出場し、3時間台で完走していましたが、7回目に4時間3分と4時間を切れなかったことから、フルマラソンを断念しました。
ベストタイムは3回目の時に記録した3時間41分43秒です。
以後はハーフマラソンや10㎞のレースに参加しながら徐々に距離を短くし、現在に至っています。

お蔭で膝関節は強化されて正座ができるようになり、走り始めた健康ジョギングの目標が達成されました。
このような事から今でもマラソンには関心があって、マラソンや駅伝の放送がある時は欠かさず観ています。

ところでマラソンと言えば、昨日の12日が「マラソンの日」だったそうです。
そこでその由来を調べてみました。



「マラソンの起源」
マラソンの起源は、「ペルシア戦争」と呼ばれる戦争の中で起こった戦いの一つ”マラトンの戦い”からと言われています。
ペルシア戦争は、紀元前5世紀に、ペルシアがギリシャに侵攻した戦い(紀元前500~紀元前449年)です。

紀元前450年9月12日のこの戦いで、アテナイ(現アテネ)の名将ミルティアデスはマラトンに上陸したペルシャの大軍を奇策で撃退しました。
勝利の知らせをアテナイの元老に伝えるためにフィディピディスという兵士が伝令に選ばれました。
フィディピディスはマラトンから約40km離れたアテナイまでを駆け抜け、アテナイの郊外で「我勝てり」と告げた後に力尽きて息を引き取ったと言われています。
この兵士を偲んで、兵士が走った約40kmを第1回オリンピックで走ったのがマラソンの始まりだと言われています。
当時は大会によって距離が違い、「約40km」という曖昧なルールで実施していました。

「42.195㎞の由来」
現在のマラソンの距離は42.195㎞ですが、この距離の由来はつぎのように伝えられています。
それは1908年の第4回ロンドン大会のことです。
当初は42kmで設定していたのですが、このときのイギリス王女アレキサンドラが「スタートは城の窓から見えるように宮殿の庭で、ゴールは競技場にあるボックス席の前に設置してほしい」とリクエストしたのだそうです。
その結果、当初予定していた42kmよりも距離が延び、42.195kmになったと言われています。
そして、マラソンの距離を固定することになった第8回パリ大会から正式な競技距離として42.195kmが採用されたのです。

王女殿下のちょっとしたワガママから42.195kmという中途半端な距離となったのですね。


落花生の畝にテグス張り

2022-09-11 | 家庭菜園

今年は落花生がよく育っています。
10月中旬には収穫をするのですが、毎年、収穫間近の9月下旬になるとカラスの被害に遭います。
カラスは茎の上に降りて嘴で株を引き抜いたり、外側の子房柄を引っ張って土中の莢を引き出し、豆を食い荒らすのです。
抜かれた茎は当然のことながら枯れてしまいます。

昨年も9月下旬にカラスの被害に遭ったので、今年もそろそろカラス対策をしなければと思っていた矢先のことです。
8日の昼前に畑に行ったところ食い散らされていました。
不覚にも、カラスに後れを取りました。

・茎が荒らされて枯れた株です。手前には食い荒らされた莢が散らばっています。


この時期になると、落花生の各株には落花生の莢が付き、豆が入っています。
カラスはそれを狙っているのですが、何故、葉っぱだけしか見えない落花生が狙われるのでしょうか?
土中の莢がカラスには見えるのでしょうか?
不思議です。
毎年、収穫前になるとカラスの被害に遭うのです。

・畝の周りには食い散らした落花生の殻があちらこちらに散乱していました。


「テグス張り」
早速、カラス対策としてテグスを張りました。
先ず、植えている3畝の周りに向かい合う形で4本の鋼鉄の支柱を打ち込み、向かい合った2本の支柱に各々竹を渡します。
その支柱の外周にテグスを25~30㎝間隔で縦方向に2周回し、上部にも9本を張りました。
これで落花生の畝はテグスで囲まれた形となりました。

カラスが落花生を食べるためには幅25センチのテグスを通り抜けなければなりません。
カラスは羽がテグスに触ることを嫌がるので、これによってカラスの侵入防止となる筈です。

後は、収穫まで被害が出ないことを願うだけです。
来月の収穫時に良い結果が出ればいいのですが・・・。