らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

桃の別名「三千年草」

2024-03-30 | 家庭果樹

大阪での桜の開花発表はまだありませんが、我が家では28日に桃の花が10輪ほど開花しました。
昨年は3月19日に、一昨年は3月25日に開花しているので、昨年より9日、一昨年より3日遅い開花となりました。
今年は先週、一週間にわたる戻り寒波によって気温が異常に低かったことがその原因だと思います。
我が家の桃は、昔はサクラより早く咲いていたのですが、最近はサクラとほぼ同じくらいに咲くようになっていることから、数年先にはサクラの開花が逆転するかも知れません。
ところで、桃はまたの名を「三千年草(みちとせぐさ)」とも云いいますが、ご存知でしたか?

「三千年草」
三千年草とは、中国の故事で3000年に1度、実がなり、食べると長生きができると伝えられている桃のことです。
中国の神話上の仙女・西王母は道教最高位の神様です。
玉皇大帝(ぎょっこうたいてい)のお妃で、女神の中では最高位なのだそうです。
その西王母は不老長寿の桃園(蟠桃園)を持っており、この蟠桃園の桃は三千年に一度実がなり、その桃を食べると長生きするという伝説から、いつしか桃は長寿の象徴となり、三千年草と呼ばれるようになったと言われています。
(参考)
なお、玉皇大帝とは、中国道教における事実上の最高神で、天界または宇宙の支配者であり、その下の地上・地底に住むあらゆるものの支配者でもあるということです。

・28日に10輪ほど開花した桃の花です。3輪かたまって咲いています。


「西王母の桃」
仙人界の最高位の西王母の桃園(蟠桃園)には、3,600本の桃の木があるとされています。
・手前の三分の一は「三千年に一度熟す桃」で、食すと仙人になり、
・中ほどの三分の一は「六千年に一度熟す桃」で、食すと空を飛べ、不老長寿になります。
・奥の三分の一は「九千年に一度熟す桃」で、食すと天地と同じ寿命が得られると言われています。
そのため、「西王母が桃」とか「三千年(みちとせ)の桃」という言葉は、「非常に珍しくめでたいもの」や「長寿」の例えとして用いられます。

なお、この西王母の桃園の管理人はどなたもよくご存じの孫悟空です。
彼は西王母の生誕祭である蟠桃会(ばんとうえ)に招かれなかったことに腹を立て、奥の貴重な桃を食べ尽くし、蟠桃会で狼藉を働いて逃げ出しました。
しかし、如来の手のひらから飛び出せなかった悟空は、五百年間封印されてしまいます。
三蔵法師の弟子となるのは、その後のことです。




「三千年(みちとせ)の桃」の伝説は伝説とし、現在では桃は毎年実を生らせます。
桃の花はサクラとはまた違う美しさを見せてくれます。
もし、桃の花を見かけることがあれば、サクラ同様にご堪能下さい。

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休息万病が「くしゃみ」

2024-03-28 | 雑学

春は花粉の飛散などでくしゃみをすることがよくあります。
くしゃみを1回すると、それなりのエネルギーを消費すると言われています。
と言ってもダイエットになる訳ではありません。
くしゃみは腹部や背筋を突発的に緊張させる運動なので、腰の弱い人はぎっくり腰になったり、骨粗鬆症の人はくしゃみをしただけで骨折する危険もあるのだそうです。
もし花粉症などでくしゃみが出そうになった時は、何かにつかまったり、座り込んで身体をなるべく固定して出した方がいいということです。

「休息万病」
さて、休息万病(くそくまんびょう)という言葉があります。
この言葉は、くしゃみをしたときにそれを鎮めるために唱えた言葉なのだそうです。
嘗て、くしゃみは、自分の意思とは無関係に生じるために不吉なものと考えられていて、その不吉を払うための呪文「クサンメ」がくしゃみの語源となったようです。
この「クサンメ」は「休息万命(くそくまんみょう)」「休息万病」と音写され、これを早口で何度も言うと「クサメ」と聞こえ、更にこれが転化して「くしゃみ」になったと言われています。
なお、音写(おんしゃ)とは、ある言語の語音を、他の言語の文字を用いて書きうつすことです。

「休息万病⇒クサンメ」
仏典によると、ある時、お釈迦様がくしゃみをしました。
すると弟子たちが一斉に「クサンメ」と唱えて師の健康を願ったということです。
「クサンメ」とは、古代インド語で「長寿」という意味で、インドではくしゃみをすると寿命が縮まると言われて、「クサンメ」と唱える風習があったと言います。

「くしゃみのスピード」
因みに、「ハクション」とくしゃみが出ると、唾が飛んで出ますが、その際、100万粒から200万粒もの唾の飛沫が1~3mの飛距離で飛び散るそうです。
しかも、その初速は時速300㎞以上と言われています。
もし風邪を引いていたなら、一瞬で大量のウィルスをばらまくことになります。
このような事から、風邪をひいたとき、或いは花粉が飛散している時期にはマスクが必須となります。
なお、風邪に端を発したくしゃみは重篤な病の前兆のこともあるそうです。
十分ご注意ください。

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勘違いしているよ!「いただきます」

2024-03-26 | 雑学

日本では殆どの人が食事の前に手を合わせて「いただきます」と感謝の言葉を述べて食事をしています。
この慣わしは日本の良き伝統ですが、最近、ある学校では保護者が子供に「いただきます」を言わせないで欲しいと電話してきたそうです。
その理由が「給食費をはらっているから」とのことです。
「いただきます」は、出された料理を食べ始める時の挨拶の言葉です。
給食費を払う、払わない、は全く関係ありません。
近年、この保護者に限らず「いただきます」の意味を勘違いしている人が増えてきているのではないでしょうか?

「コラムからの事例」
先日の新聞のコラムに次のような記事がありました。
熊本県である保護者が学校に「給食の時、子供たちに頂きますを言わせないで欲しい」と電話してきました。
教師がその理由を問うと、「給食費をはらっているから」ということです。
別の学校ではもっと驚く事例です。
保護者が「いただきますは宗教行事みたいだからやめてほしい」と電話してきたそうです。
教師側もそれを認めたということですが、言わないと一斉に食べられないからと、笛を吹くことにしたというのです。
この学校の先生たちは「いただきます」は、給食開始の合図と捉えられていたようです。
更に、岡山の天ぷら屋さんで聞いた話として、母親と娘が「いただきます」を言おうとしたら、父親が「言わなくていい。金を払うのは俺だから」と制したそうです。

「頂きますの語源」
食事の始まりの言葉である「いただきます」の「いただく」は、漢字では「頂く」、または「戴く」と書きます。
「いただく」には、「頭上にのせる、かぶる」という意味があり、さらに、「敬意を表して高くささげる。頭上におしいただく」という意味のほか、「もらう」の謙譲語としても使われます。
これは、身分の高い人から物をもらう際に、敬意を表するためにその物を頭上に高くささげるような動作をしたことから、「もらう」の意味で使われるようになったといいます。
さらに身分の高い人からもらったものが食品だったときや、神仏へのお供えの食べ物を下げて、食べるときにも、頭上にのせるような動作をして、食事をしたことから、「食べる」「飲む」の謙譲語として「いただく」が用いられるようになりました。
それがやがて食事のあいさつとして「いただきます」という言葉として定着してきたということです。

「いただきますの二つの意味」
食事を始めるときの「いただきます」には、二つの意味があると言われています。
・その一つは、食材を作る人や運ぶ人、料理を作る人など、食事に携わってくれた多くの人々の知恵や労力に対する感謝をあらわすこと。
・そして二つめは、食材となってくれた命への感謝です。
 穀物や野菜、魚や肉など、すべての食べものは、元々は「生きもの」です。
 「いただきます」の言葉の前には「いのちを」という言葉が隠されていると言う人もいます。
 そこから、多くの命をいただいて自分の命を養わせてもらうことに感謝し、いただいたたくさんの命とともに生きていることを確認する言葉でもあるのです。

このように、「いただきます」は、敬意を表する動作から生まれた言葉なのです。
現在ではその敬意は、肉や魚、卵はもちろん、野菜や果物も含めて、食材の「命」そのものに向けた言葉と捉え直されており、更に、食材を育てたり獲ったりした人や、食事を作った人に対する敬意と感謝の気持ちを込めた言葉とされています。

冒頭の事例のように、給食費を払っているとか宗教行事のようなものではありません。
学校の先生方も「いただきます」の意味を生徒によく教えて頂き、敬意と感謝の気持ちを込めて食事をしていただきたいと思います。

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自民党は「呉下の阿蒙」か?

2024-03-24 | 時事

今、政界が大きく揺れています。
そうです。自民党の派閥による政治資金パーティー事件です。
この事件では、安倍派による政治資金規正法違反の虚偽記載の罪で一部の議員が起訴され、更に政倫審の場においても「知らぬ存ぜぬ」と事件関与を完全否定しています。
自民党はこれまでもロッキード事件、リクルート事件、東京佐川急便事件など、十数年ごとに「政治と金」の事件を繰り返してきました。
何故、改められないのでしょうか?
野党に政権担当能力がないことを見越して驕っているのでしょうか?
一向に反省が見られません。
このような進歩のないさまを「呉下の阿蒙」と言います。

「呉下の阿蒙」
呉下の阿蒙(ごかのあもう)とは中国の三国時代、呉の武将である呂蒙(りょもう)の故事からできた言葉です。
この故事の由来となった呂蒙という武将は武勇一点張りだったので、呉の孫権は彼に「武勇ばかりではなく学問も修めたほうがよい。」と助言しました。
呂蒙という人は、呉王の孫権に度々重んじられてきましたが、家がもともと貧しく、学問に触れる機会もなかったこともあり、武力一辺倒で学問に全く興味のない人でした。
そのため、書類なども自分が話した内容を聞き取らせて、部下に作成してもらっていたのです。
そんな呂蒙の学識のなさを笑って、人々は、「いつまでたっても全く進歩のないつまらない人」を譬えて「呉下の阿蒙」と言うようになりました。

「呉下の阿蒙に非ず」
一方で、この故事の由来となった呂蒙は孫権に「武勇ばかりではなく学問も修めたほうがよい。」と助言されたことから、孫権の意に応えるために猛勉強を始め、高い教養を身につけたと言われています。
そんなある日、彼は参謀の魯粛(ろしゅく)と対談しますが、魯粛は彼の高い見識と知識に「すでに武略のみの蒙君ではなくなったな」と大いに驚いたと言います。

この時、呂蒙は魯粛に次のような有名な言葉を残しています。
   「士別れて三日ならば、即ち更に刮目(かつもく)して相待つべし

この言葉は、「たるもの、別れて三日もすれ大いに成長しているものであっ、また次に会う時が目をこすっ違う目でみなけれなりませんよ」という意味です。
刮目(かつもく)とは、目をこすって注意して見ることであり、日々努力しているものは三日も会わなければ目を見張るほど進歩しているということを言っています。
「呉下の阿蒙」は、いつまで経っても進歩しない人のことを指す言葉ですが、一方で、この故事は、人間は勉強と努力で変わるものだと言うことを教えています。

日本の政治を野党に委ねるのは、2009年の民主党政権で大失敗した経験があります。
自民党には優秀な人材が多く在籍しています。
反省すれば、「呉下の阿蒙に非ず」のように、国民からの支持が得られます。
嘗て田中角栄氏が常々言っていた「政治は数、数は力、力は金」から完全に脱却することができます。
大いに反省して国民の信頼を取り戻して欲しいものです。

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歳をとると何故「どっこいしょ」?

2024-03-22 | 雑学

歳と共に椅子に座る時や立ち上がる時に「どっこいしょ」と云う言葉を発するようになりました。
最近ではもう口癖のようになっています。
先日、向かいの奥さんが「どっこいしょ」と言っていたのを聞いたのですが、奥さんも階段を上がる時、いつも発するとのことでした。
でも何故、歳を取ると「どっこいしょ」と発するのでしょうか?

「どっこいしょの由来」
先ず、その由来について、日本では、古くから山岳信仰があり、その対象となっている霊山が全国各地に存在しています。
これらの霊山に登るときに唱える『六根清浄(ろっこんしょうじょう)』という掛け声があります。
「どっこいしょ」の言葉はこの「六根清浄」に由来すると言われています。

『六根』とは、仏教の世界で、眼・耳・鼻・舌・身・意(心)のことで、世間と触れ合うところです。
霊山に登る時に、これらの6つの器官が我欲などの執着にまみれていると正しい道を往くことが叶わないとされ、そこで、そこから生じる迷いを断ち切り、身も心も清めるという意味で『六根清浄』を唱えながら登山しているのだそうです。

この眼・耳・鼻・舌・身・意の六根の働きは、
・眼は不浄を見ない、
・耳は不浄を聞かない、
・鼻は不浄を嗅がない、
・舌は不浄を味わない、
・身は不浄に触れない、
・意(心)は不浄を思わない、
ということで、身も心も無垢清浄になろうという祈りの言葉が「六根清浄」です。
この「六根清浄」が「六根浄(ろっこんじょう)」となり、「どっこいしょ」になったと言われています。

「歳をとると何故どっこいしょ」
行動と掛け声の関係性に詳しい専門家は、「掛け声は体のタイミングやスムーズな動きに役立つと考えられることから、年齢が高めになると筋力が低下するので、声という勢いを借りて筋に張りを付けることが大事になってくると考えられる」とし、その声が、仏教用語が元になっていると言われている「どっこいしょ」とか「よいしょ」等の掛け声という事です。
つまり、若い時は簡単に出来て居た事が、歳を取って筋力が衰えると若い時の様に出来なってくるので、力を出す為に無意識の内に「どっこいしょ」と発してしまうということです。

私もそうですが、日頃「どっこいしょ」と発している皆さん、この言葉は「身も心も清浄になろうとする祈りの表れ」でもあり、衰えた体力を掛け声でカバーするために体が無意識に発する言葉のようです。
恥ずかしがらず、堂々と使いましょう。

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ソラマメの脇芽取りと追肥

2024-03-20 | 家庭菜園

昨秋、植え付けたソラマメに蕾が付き始めたので、先日、脇芽取りと追肥を行いました。
購入した種豆の1袋には僅か10粒しか入っていませんでしたが、ソラマメは1株から側枝を5~7枝育てることから、我が家で食するには十分な数になります。

・10株のソラマメです。各株の芯を止め、側枝の脇芽を取って、化成肥料の追肥を行いました。


「そら豆」
ソラマメ(空豆、蚕豆)はマメ科の一年草または越年草で、別名をノラマメ(野良豆)、ナツマメ(夏豆)、テンマメ(天豆)などと言います。
世界各地で栽培されていますが、原産地は西南アジアから北アフリカで、日本には8世紀ころ渡来したと言われています。

・1株から側枝が広がっており、各側枝に蕾が付き始めました。


「芽かき・土寄せ・追肥」
茎から枝分かれした側枝が出てくるので、成長の良い枝を5〜7本残し、他は摘み取ります。
放任しておくと倒れやすくなるので、中心の分岐部が隠れるように土寄せをしておきます。
この後、気温の上昇と共に草丈が伸びてくるので、成長に合わせて株を囲うような形で支柱を立て、テープやひもを張って倒伏を防ぎます。

・芯を止めた中央に土を入れて、株全体を安定させます。


「栽培方法」
栽培方法をネットで調べると以下のように書かれていました。
・種蒔き時期
 種蒔きは10月下旬頃に蒔きます。早くし過ぎて大きく育った状態で越冬すると寒害を受ける恐れがあります。
・畑の準備
 1㎡当たり堆肥2~3kg、苦土石灰150g、化成肥料50gを目安に施し、畝幅100cmの畝を作ります。
・種蒔き
 ・ポット植えまたは1箇所にまとめ植えする場合
  1個の種豆を、お歯黒という黒い部分を斜め下向きにして植えます。種は酸素を必要としますので2/3を土の中に入れ、たっぷり水遣りをします。
 ・直播するときは、株間40cmで1粒をまき、同様にたっぷり水遣りをします。
・定植
 本葉が3~4枚で定植します。表面が見える程度の浅植えにします。
・防寒対策
 寒さには比較的強いですが、防寒と乾燥防止のため敷き藁等をします。
・追肥
 11月中旬~下旬に1回目の追肥を株間に行います。
・整枝
 3月中旬頃、側枝の背丈が50cm位に伸びたら、1株あたりの枝を6~7本残し、余分な枝は付け根から摘み取ります。
 この頃、2回目の追肥として化成肥料を畝の肩に施し、土寄せします。
・病害虫予防
 アブラムシなどの害虫がつきやすいので、早めにスミチオン乳剤などで予防します。
・摘心
 側枝に莢が付き始めたら、それ以上伸びないように側枝の先を摘心します。
・収穫時期
 開花後1ヶ月くらいで莢が膨らみ、真横より下に垂れ下がってきたら収穫です。

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お彼岸に何故「ぼた餅」

2024-03-18 | 季節

昨日から23日までの1週間は春のお彼岸になります。

「彼岸とは」
お彼岸は仏教用語です。仏教では、私たちがいる煩悩に満ちた現世を「此岸(しがん)」と言い、悟りの境地であるあの世の世界を「彼岸(ひがん)」と呼びます。
此岸と彼岸の間には川が流れているとされており、この川がいわゆる「三途の川(さんずのかわ)」です。

仏教においては、お彼岸はこの世とあの世、つまり此岸と彼岸がもっとも近くなる期間とされており、お彼岸にご先祖様をしのび、供養することで、極楽浄土へ近づけると信じられていました。
お彼岸に墓参りや法要を行うのは、その風習の名残です。

「彼岸の供え物」
お彼岸のお供え物の定番といえば、お餅をあんこで包んだぼた餅やおはぎだと思いますが、何故ぼた餅なのでしょうか?
一説には、古来から赤という色には災難が降りかからないようにする魔除けの効果があるとされていたことによります。
赤い小豆は五穀豊穣を象徴する米と組み合わせて祭事に用いられてきました。
ぼた餅やおはぎ以外にも、小豆と米の組み合わせによる食べ物として赤飯が挙げられます。
邪気を払い、先祖の霊を慰めるために、お彼岸におはぎやぼた餅が捧げられてきました。
また、農作業が始まる春の彼岸にぼたもちを作り、収穫の時期に当たる秋の彼岸におはぎを作ることで、神様に感謝していたとも言われています。

「ぼた餅・おはぎの由来」
・ぼた餅
春のお彼岸にお供えするのはぼた餅です。
その由来は、春の花である牡丹からです。
・おはぎ
一方、秋のお彼岸にお供えするのはおはぎで、こちらも秋の七草の一つ、萩の花が由来となっています。
このようにお彼岸の季節に美しく咲く花になぞらえたものをお供えして、ご先祖様を供養しているのです。

お彼岸には、彼岸の入りの前までに仏壇仏具をきれいにし、お花や供物を供えます。
そして、彼岸の中日には彼岸団子(ぼた餅など)を備え線香をたきます。
また、出来るだけ僧侶を招き、読経をしてもらいますが、この行事は家族やごく親しい人で行い、それ以外の人は招待する必要はありません。
我が家では、まだ仏様がいませんので、実家の方角を向いて、ぼた餅を頂きます。

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里芋植え付け

2024-03-16 | 家庭菜園

明日から春のお彼岸になります。
明日が彼岸の入り、20日は彼岸の中日(春分の日)、そして23日が彼岸明けです。
慣用句に「暑さ寒さも彼岸まで」があります。

「暑さ寒さも彼岸まで」
でも、なぜ「暑さ寒さも彼岸まで」というのでしょうか?
春分や秋分は二十四節気のひとつで、彼岸の中日には太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになり、この日を境に春は日が長くなり、秋は日が短くなっていきます。
つまり、太陽が出ている時間が長くなってくるので、春のお彼岸以降は寒さが和らいでいき、秋のお彼岸以降はこの逆になります。
丁度、春分と秋分の頃に厳しい寒さや暑さの目処がつく頃ということで、「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるようになり、慣用句として定着したということです。

「里芋の植え付け」
大阪南部の熊取地方は慣用句の通り、今週からようやく春らしい気温になってきました。
春の到来とともに、家庭菜園でも忙しくなってきます。
当地では、この時期になると里芋の植え付けが始まります。
我が家でも先日、里芋の植え付けを行いました。

・種芋
今年は懇意にしている地元の農家の方から大きな赤芽の種芋をいただいたのでそれを植え付けました。

・これが残った種芋です。この大きさの芋を16個植えました。


・畝
畝には2か月ほど前に石灰と堆肥を入れてよく混和しておき、畝幅60センチで畝立てをしておきました。
その畝の中央に20㎝ほどの深さで溝を掘り、化成肥料(8・8・8)と発酵鶏糞を溝施肥し、その上に土を戻して15センチほどの深さにします。
そして株間35㎝で種芋を置いていき、株間にも化成肥料と発酵鶏糞を置きました。
その後、土を戻して畝を作り直します。

・深さ15センチほどの溝に種芋と肥料をいれたところです。


・マルチ張り
除草と地温を高めるために、作り直した畝に黒マルチを張りました。
私は一度使用したマルチを再利用しています。
穴が開いていますが、雨が降ると水が流れ込むので、畝の保湿ができるのではないかと思っています。



昨年までは種芋が悪かったことから満足のいく里芋ができませんでしたが、今年は管理を十分に行って、満足できる栽培にしたいと思っています。

「栽培管理」
ネットを調べると、里芋の管理について下記のように書かれていました。
サトイモ栽培では次の2点が重要です。
・畝に水分を十分確保し、乾燥させないこと。
・6月上旬、7月上旬、8月上旬に追肥を行い、土寄せをすること。
 親イモは種イモの上方につくので、土寄せが足りないと小芋の芽が地上に伸びて太りが悪くなり、孫イモの数が増えて小さな芋になるようです。

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「伯仲」の由来と「拮抗」との違い

2024-03-14 | 雑学

互いに優劣が無く殆ど同じ程度と云う慣用句に「伯仲の間(はくちゅうのかん)」があります。
伯仲とは、中国での兄弟の呼び順で、「伯仲の間」という表現は、魏文帝の「典論」から来ています。

「伯仲の間」
中国では兄弟を上から順に「伯(はく)・仲(ちゅう)・叔(しゅく)・季(き)」と呼びます。
一番上の「伯」と一番下の「李」の年の違いは大きいですが、一番上の「伯」と二番目の「仲」の違いはそれほどではないと云うことから、「伯仲」とは、たがいに優劣がなく、ほとんど同じ程度だということを言っています。
つまり、二人の兄弟、伯(長男)と仲(次男)の間のように、この言葉は二者間の能力や地位が非常に接近していて、ほとんど差がないことを意味しています。

広辞苑では、その意味について、殆ど差がなく、いずれが優れているか優劣がつけにくいこと。
と説明しており、そして注釈として、中国で兄弟を上から順に伯、仲、淑、季と言い、長兄と次兄を意味する伯と仲ではあまり年齢に差がない所から、記しています。

「伯仲と拮抗の違い」
なお、互いに勢力・力がほぼ等しく、相対抗しているさまを表する言葉に「拮抗」があります。
この言葉も伯仲と同様、2人の間で実力の差がないことを意味していますが、広辞苑によるとその違いは以下のようになっています。
・拮抗は勢力・力がほぼ等しく、相対抗して互いに屈しないことであり、張り合っているというニュアンスが含まれます。
・伯仲は極めてよく似ていて優劣のないことであり、優劣をつけるのが難しいという意味であり、張り合っているというニュアンスはありません。

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霞と朧の違い

2024-03-12 | 季節

春になるとと、遠くの風景がぼんやりと見えることがあります。
この現象は春がすみと呼ばれますが、原因は花粉やほこり、煙や黄砂などの空気中に浮遊する微粒子が多くなったり、気温も高くなるので大気中の水蒸気の量も多くなって霞んで見える現象です。
このような現象を「霞」とか「朧(おぼろ)」と言いますが、この二つの表現の違いをご存じでしょうか?

「霞と朧の違い」
調べてみると、霞(かすみ)も朧(おぼろ)も、気象用語としては特に定義づけはなく、その違いは、現れる時間帯によるのだそうです。
即ち、
・霞 は 日中に現れるものを言い、
・朧は夜間に現れるものを言います。
季語は共に「春」です。

そこで、辞書にはどのように書かれているのか広辞苑を開いてみると、
「霞」① 微細な水滴が空中に浮遊するため、空がぼんやりして遠方がはっきり見えない現象。
    古くは春、秋ともに霞とも霧とも言ったが、後世は、春のを霞、秋のを霧という。
   ②朝または夕、微細な水滴が日光を受けて、空の赤く見えること。朝焼け。夕焼け。

「朧」①はっきりしないさま。ほのかな様。薄く曇るさま。ぼんやり。ほんのり。

と説明しています。
辞書には時間については書かれていませんが、歳時記によると、薄い雲のように見える現象について、
昼間は「かすみ」と言い、
・夜間を「おぼろ」
と呼んで区別しています。

結局、霞と朧の違いは現れる時間帯によって区別されているという事でした。

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