らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

28年ぶりの「三つ巴」決定戦

2022-11-30 | 時事

「三つ巴の決定戦」
大相撲九州場所は西前頭9枚目の阿炎が12勝3敗で初優勝を果たし、今場所もまた平幕力士の優勝となりました。
平幕力士が優勝するのは先場所、先々場所に続いて3場所連続であり、これは優勝制度が確立した明治42年以降はじめてのことです。

今場所は横綱照ノ富士が先場所に続いて休場となったため、大関陣の奮起が期待された場所だったのですが、11日目までには優勝争いに大関陣の名前が上がっていませんでした。
終盤になって星のつぶし合いから優勝ラインが下がったため、千秋楽に辛うじて貴景勝が優勝戦線に顔を出したという状態でした。
そして、千秋楽に優勝を目前にしていた平幕の高安が阿炎に敗れて3敗になったことから、12勝3敗で並んだ大関貴景勝と高安、阿炎の3力士で「三つ巴(みつどもえ)」の優勝決定戦を繰り広げ、阿炎が初優勝を果たしたのでした。

・「三つ巴」です。


「三つ巴の意味」
ところで前述したように、今場所は三つ巴の決定戦を繰り広げたのですが、3人で戦うことを何故「三つ巴」というのでしょうか?
「三つ巴」の基本的な意味は、3つのものが円を描くように渦巻いていることで、ここから以下の3つの意味が生じています。
 ・3つのものが入り乱れて対立していること
 ・3人が向かい合って座っていること
 ・巴が3つ組み合わさって円形になった模様

「巴とは」
「巴」とは「鞆絵(ともえ)」のことで、弓を射るとき手首につける皮革製の道具の形やそこに描かれた文様のことを指します。
他に稲光や神霊が宿るとされる勾玉を由来とする説や、蛇や人魂(ひとだま)をかたどったものを「巴」とする説などもありますが、いずれも決め手がなく今のところ定説となるものは見出されていません。



「巴の由来」
「ともえ」の起りには、弓を射る時に使う「鞆」を図案化したもので、もとは鞆絵であるという説や、勾玉を図案化したものであるとの説、などがあります。
その後、水が渦をを巻くさまとも解釈されるようになり、本来、中国では人が腹ばいになる姿を現す象形文字の「巴」という漢字が、形の類似から当てられたそうです。

「鞆の由来」
刀剣ワールドさんのHPによれば「鞆」の由来について以下のように説明されています。
鞆(とも)は、古代に用いられた弓具の一種です。
武具としては8世紀ごろまで使用され、中世以降は武官の儀礼用となりましたが、14世紀中期ごろ以降は使われなくなりました。

大きさはこぶし大で革製、なかに稲わらを詰め、外側は黒漆を塗り革緒で結びます。
左腕に結び付けて弓を射るときに弦(つる)がひじを打たないようにした他、釧(くしろ:軍陣や狩猟の際に手首に付けた飾りのこと)にあたって破損するのを防ぎました。

鞆の表側には巴/鞆絵(ともえ:水が渦を巻いて外へめぐるような形・模様のこと)を描いています。
弦が触れたときの音響が「とん」や「ぽん」と言うところから「とも」と呼ばれ、革製のため国字で「鞆」と書きました。
と説明しています。

巴の由来は以上のとおりですが、大相撲では、平成6年春場所以来28年ぶりの「三つ巴の決定戦」となった優勝の行方は、西前頭9枚目の阿炎が高安と貴景勝を下して初優勝したのです。
心情的には高安に優勝して欲しかったのですが、勝負の世界は厳しいものですね。


メイプルロードの紅葉

2022-11-28 | 地元紹介

関西の紅葉シーズンも終盤を迎えつつあります。
テレビでは京都の嵐山を始め各地の神社や寺院の紅葉がよく紹介されています。
コロナの水際対策が緩和されて、少しずつ戻ってきている外国人観光客も、京都の紅葉の美しさにを堪能している様子が報じられていました。

しかし、この紅葉の美しさは京都だけではありません。
皆様のお住まいのお近くでも美しい紅葉が見られていることと思います。
私の住まいしている住宅地内の「メイプルロード」でも、カエデが見事に紅葉しており、一部は散り始めています。
そこで、今日は「メイプルロード」の紅葉についてご紹介します。



「メイプルロードの紅葉」
メイプルロードとは、平成25年(2013年)6月に熊取町から認定された山の手台の住宅地内の遊歩道の名称です。
熊取町では「くまとりアドプト・ロード」という計画を立て、各地区に活動区域を設定して月1回以上の美化活動を実施しています。
現在、このプログラムには19団体が参加しており、“フラワー山の手”もその一員です。
名称の由来は、遊歩道の両側にカエデが植栽されていることから「メイプルロード」と命名し、熊取町から認定されたものです。

・メイプルロードの紅葉です。


「メイプルロード」は、その名に恥じないようにと、“フラワー山の手”のメンバーの方々が常日頃、美化活動をしている300メートルほどの遊歩道です。
両側に植栽されいるカエデが紅葉のトンネルを造っています。
そのトンネルの紅葉も終盤を迎えており、歩道上には落ち葉がグラデーションのじゅうたんを敷いてくれています。




埴輪の由来

2022-11-26 | 雑学

日本には現在、文化遺産と自然遺産を合わせた世界遺産が25件登録されています。
その内、大阪には「百舌鳥・古市古墳群ー古代墳墓群ー」が令和元年に世界文化遺産に登録されています。
先日、古市古墳群がある羽曳野市で「埴輪作り」をテレビで紹介していました。
そこで、今日は埴輪について調べてみました。

その前に、大阪の世界遺産についてご紹介します。
前記したように、大阪では「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産に登録されています。

「百舌鳥古墳群」
百舌鳥古墳群は、堺市内の東西・南北約4キロメートルの範囲に広がる古墳群です。
古墳時代、この一帯には100基を越える古墳が造られましたが、都市化の進展などによってその多くが失われ、現在は4世紀後半から6世紀前半に造られた44基の古墳が残っています。
その中には、世界三大墳墓の一つに数えられている、世界最大級の墳墓・仁徳天皇陵古墳をはじめとする巨大前方後円墳などが含まれており、日本の古墳文化を物語る貴重な遺産です。
なお、世界三大墳墓とは、仁徳天皇陵古墳、エジプトのクフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵とされています。

「古市古墳群」
古市古墳群は藤井寺市から羽曳野市にかけて東西・南北約4キロメートルの範囲に広がる古墳群です。
墳丘の全長が400メートルを超える巨大な前方後円墳の応神天皇陵古墳から、一辺10メートルに満たない小型方墳まで120基を越える様々な墳形と規模の古墳からなります。
現存する45基のうち、墳丘の全長が200メートルを超える巨大な前方後円墳は7基も含まれています。



「埴輪の由来」
これらの墳墓からはたくさんの埴輪が出土しています。
土で作られたこれらの出土品を何故、埴輪というのでしょうか?

埴輪の「埴(はに)」は、赤や黄色のきめ細かい粘土のことです。
埴輪の「輪(わ)」は、輪のように並べて立てたことからとする説と、初期の埴輪は筒形の「円筒埴輪」が中心であったため、その形状からとする説があります。
テレビでは、土で「輪」を作って人型を作ったことが「ハニワ(輪)」の由来と紹介していました。

今から約1750~1300年前の古墳時代(3世紀後半~7世紀)のお墓である古墳からは、人や動物をかたどった土製品がしばしば見つかっており、これらを「埴輪」と呼んでいます。
日本で最初に書かれた歴史書の一つ「日本書紀」には、天皇が亡くなった時、生きた人を一緒に古墳に埋めることは余りに可哀そうなので、代わって人の形をした土製の人形を立て並べたものが埴輪であると書かれています。

「日本書紀の記述」
『日本書紀』には次のような記載があります。
垂仁(すいにん)天皇が心を悩ませた悲惨な光景に次のようなことがありました。
「倭彦命(やまとひこのみこと)の葬儀に際して、近習者を集め、陵墓のまわりに生きたまま、埋め立て並べた。数日しても彼らは死なず、昼夜悲しげに泣いた。ついに死んだ彼らを犬やカラスが食い荒らした。天皇は泣き叫ぶ声を聞いて、心締めつけられる思いがした」
というものです。

そうした天皇の思いに応えて皇后・日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の葬儀の仕方について、妙案をひねり出した人物がいたのです。
それは相撲で名声を博した野見宿禰(のみのすくね)だったのです。
宿禰は「陵墓に生きた人を埋め立てるのは良くない」と言い、出雲国へ使者を派遣し、土部(はじべ)100人を呼び寄せました。
そして自ら土部を率いて埴(はにつち)をとり、人や馬などいろいろな形のものを作って献上し、この土物(はに)を生きた人に替えて陵墓に立てることを提案したのです。

天皇は野見宿禰の提案を大いに喜び、この土物(はに)を日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の陵墓に立てました。
これを埴輪(はにわ)あるいは立物(たてもの)いい、今後陵墓には必ず土物を立て、人を傷つけないよう命じました。

埴輪ができる前は近習の人達が生きたまま埋められたのですね。
何と酷い大喪儀の風習だったのでしょう。


大関の責任を果たせ!

2022-11-24 | 雑学

今、福岡では大相撲九州場所が行われており、昨日は11日目でした。
今場所は照ノ富士が休場していることから、横綱不在は先場所に続いて二場所連続となっています。
こうしたことから大関陣に奮起してもらわなくてはならない場所であるにも拘らず、優勝争いには大関の名前がありません。
千秋楽まで4日となった昨日現在で、優勝争いを繰り広げているのは関脇の豊昇龍の10勝1敗と平幕の高安と王鵬が9勝2敗の3力士です。

ここ数場所の優勝力士は、7月場所が平幕の逸ノ城であり、9月場所は平幕の玉鷲と役力士は蚊帳の外となっています。
そして今場所は関脇豊昇龍が単独トップを走っていますが、大関の名前は見当たりません。
大関の貴景勝が8勝3敗で追走しているものの、正代に至っては5勝6敗と負けが先行して大関の地位が危ぶまれています。
更に、大関を陥落して今場所二けた勝利を挙げて復帰を目指す御嶽海も4勝7敗となって復帰はなくなり、勝ち越しさえ危ぶまれる状態です。

大関の責任白星は最低二けたであり、毎場所優勝に絡む成績を残さなければなりません。
大関陣が頑張らなくてはいけないのですが、現大関陣はその責任感が全く感じられません。大関陣の体たらくには目を覆うばかりです。
昔、「九六(くんろく)大関」といって9勝しか挙げられない大関を揶揄した言葉がありました。
現在はそれさえ下回る成績で平然としています。
8勝、9勝しか残せないような大関は自ら身を引くという覚悟が必要ではないでしょうか?
猛省を促したいと思います。

・ちゃんこ鍋です。(ウィキペディアより)





猫魔ヶ岳の「化け猫」伝説

2022-11-22 | 趣味

毎週水曜日に放送されているNHKの番組に「にっぽん百低山」があります。
この番組は酒場詩人の吉田類さんが全国の標高1500m以下の魅力的な山々を登り、低山ならではの魅力を紹介するものです。
今月初めに放送された低山に福島県の「猫魔ヶ岳」がありました。
この山は磐梯山近くにある標高1404mの山ですが、この山には古くから化け猫の伝説が残っており、化け猫の住処(すみか)とされてきた猫石の周囲には今でも草木が生えず、不思議な力が宿る場所だと言われています。
番組を観ていて「化け猫伝説」に興味が湧いたので調べてみることにしました。



「化け猫伝説」
猫魔ヶ岳は猫又伝説の代表的な山の一つで、そのあらすじは次のように言われています。
釣り上げた魚目当てに老女に化けた雌猫を郷士(ごうし=武士階級の下層に属した人)が斬り殺したため、山の主たる猫王はその奥方を食い殺して樹上に吊し復讐しました。
怒った郷士が宝刀で妻の仇を討つというお話です。

「伝説」
「耶麻郡桧原村の豪勇の士・穴沢善右衛門は奥方を連れて磐梯の湯に行きました。
奥方を残し、宿の下男と山裾の沼へ釣りに出かけました。
思わぬ大漁に夢中になり日も暮れかけたので、その日は近くの釣り小屋に泊まることにしました。

魚を焚き火で焙り夕食をとっていると、小屋の入り口から覗く老婆がいました。
その老婆は、驚いたことに善右衛門の乳母ではありませんか。
中に引き入れ串焼きの魚を差し出すと、ぺろりとたいらげ飢えた者のような食欲でした。
思い出話をしても辻褄があわず、魔性の者と見破った善右衛門は太刀で斬り殺したのです。
明け方になると老婆は年老いた一匹の黒猫となって口から血を吐いて死んでいました。
 
急ぎ湯治場へ帰る途中、奥方が昨夜から行方不明と聞かされました。
山中を村人らが捜索したところ断崖の上にそびえ立つ老樹に、変わり果てた奥方の屍体を見つけました。
近くにいた木樵り風の男に遺体の引き下ろしを頼むと、男は「腰に差している刀を貸してくれたなら」といいます。
伝家の宝刀だからと断ると男の態度が一変し、
「われこそはこの山の主、猫王なるぞ。先夜、我妻を一刀のもとに斬り殺したであろう。その仇を討たんがため汝の妻を食い殺したのだ。刀を渡さないと汝をも食い殺してやる」と一喝して、するすると梢に登り怪猫の正体を現しました。
そして「ギャオーッ」と叫ぶと奥方の遺体をくわえて、宙を飛ぶように梢をわたり姿を消しました。

怒り狂った善右衛門は村人達を動員して山を包囲し、化け猫退治に乗り出したのです。
数日後、洞穴に潜む化け猫と奥方の屍体を見つけました。
善右衛門は伝家の宝刀で怪猫を真っ二つにして、奥方の屍体を取り戻したのです。
それ以来、怪猫を斬った山を「猫魔ヶ嶽」といい、宝刀貞宗は猫切丸の異名で呼ばれ、穴沢家に永く伝えられた、というお話です。

怖い伝説ですね。
じゃれてくる猫は可愛いですが、化け猫は怖いですね。


小春日和を実感

2022-11-20 | 雑学

一昨日の当地は最低気温が8度台となって、この秋一番の冷え込みとなりました。
しかし、日中は快晴に恵まれてポカポカ陽気となり、この時期によく表現されるところの「小春日和」となりました。

「小春日和」といえば、さだまさしが作詞・作曲し、山口百恵が歌った「秋桜」の歌詞の中にも歌われています。
「秋桜」
♪こんな小春日和の穏やかな日は
 あなたの優しさが浸みてくる
 明日嫁ぐ私に苦労をしても
 笑い話に時が変えるよ
 心配いらないと笑った

・畑のコスモスです。


でも、何故、この時期のこのような気候のことを「小春日和」というのでしょうか?
小春日和とは、どのような意味なのでしょうか?
調べてみました。

「小春日和とは」
「小春(こはる)」とは、旧暦10月の異称であり、「日和(ひより)」は、空模様、天候、よい天気、晴天の事を言います。
広辞苑でも、「小春」とは、(暖かで春に似ているからいう)陰暦10月の異称。冬の季語、と説明し、「小春日和」は、小春の頃の暖かいひより。と説明しています。

一昨日の当地の天気は辞書が説明している通りの陽気でした。
日中の気温は19度台まで上がり、快晴で暖かく、無風状態の穏やかな一日でした。
旧暦の10月は、今年の新暦に当てはめると10月25日~11月23日までであり、今がちょうど「小春」月になっています。
一昨日のポカポカ陽気は紛れもない小春日和でした。
さだまさしは小春日和に「あなたの優しさ」を感じたようですが、私は家庭菜園の作業がはかどったことに「小春日和」を実感しました。

「海外の小春日和」
海外でも小春日和はありますが、呼び名は日本の「春」ではなく「夏」が使われています。
例えば、
・アメリカでは「インディアン・サマー」
 その由来は、一説には昔、北米の現地人たちは秋に狩をしており、暖かい日が続くと動物たちが活動的になり、苦労せずに狩ができるという利点があったため「Indian Summer」といわれるようになったと言う説。
 他には、”Indian”という言葉は「偽りの」とか「安っぽい」という意味の使われ方もしており、白人はインディアンは嘘をつくものとして軽蔑して、夏みたいな気候だけど実はインディアンに騙された「偽りの夏」ということで「Indian Summer」となったとの説があります。

・イギリスでは「セント・マーチンの夏」
 ”St.Martin’s”は「偽り」の意味を持っており、アメリカの由来と似ているそうです。

・ドイツでは「アルトワイベルゾンマー(老婦人の夏)」
 晩秋から初冬にかけて、風が弱くポカポカと暖かい日に、お年寄りが公園のベンチでのんびりとくつろいでいる風景からといわれています。

・ロシアでは、「バービェ・レート(婦人の夏)」
 由来ははっきりしないですが、ドイツと同じようなことではないかといわれています。

・フランスでは「サンマルタンの夏」
 由来は分かりません

同じような初冬の暖かい日でも、日本人は「春」の暖かさをイメージするのに対し、外国人は「夏」の暑さをイメージするようです。
暖かさの感じ方が違うのですね。


「先払い買取現金化」に注意

2022-11-18 | 消費者問題

皆さんは「先払い買取現金化」という小口金融をご存じでしょうか?
先日、テレビで取り上げていたので、私も初めて知りました。
この「先払い買取現金化」は、実質、ヤミ金とみられており、全国で被害が広がっていることから、金融庁や消費者庁、警察庁は下記のチラシを作って注意を呼び掛けています。
そこで今日はこの実質「ヤミ金」といわれている「先払い買取現金化」について調べました。

「先払い買取現金化」
「先払い買取現金化」について、先日、NHKの関西地方のニュース番組の中で、特集を組んで報道していました。
それによると、この「先払い買取現金化」の取引を利用する人は、コロナ禍で生活に困窮した人を中心に利用が増えているそうです。
「先払い買取現金化」は商品の取引があるように見せて、実体は商品取引きのないお金のやり取りであり、”新手のヤミ金”と指摘されていることから、金融庁、消費者庁、警察庁が注意を呼び掛けています。

「当事者」
・利用者(すぐにお金が欲しい人)
・業 者「先払い買取現金化」を行う業者

「取引の流れ」
①業者はバッグなどの中古品を高値で買い取ります。と言って利用者に写真を送るよう求めます。
②利用者はバッグなどの写真を送ります。
③業者はこのバッグを買い取りましょう。と言って買取金額の名目でお金を前払いします。(業者は実質:貸付金)(利用者は実質:借入金)
④利用者がこのバックを業者に送ることはなく、「取引不成立」という形にします。
⑤「取引不成立」であれば、利用者は受け取ったお金は業者に返すことになります。
⑥業者は高額の違約金や手数料を請求します。
⑦利用者は買取金額に違約金や手数料を上乗せして業者に返済します。(実質:返済元利金)
 この場合、買取金額が実質的に貸金に、違約金、手数料が金利に当たるとして「新手のヤミ金」に相当するとの指摘があるということです。

・注意喚起のチラシです。


「大阪の被害者が集団訴訟」
この問題について、大阪と兵庫県などに住む20代~40代の利用者の会社員男性7人が集団訴訟を起こしました。
原告の人達は、商品の売買を装っているが、キャンセルを前提としており、実質的に超高金利の利息の貸金であり、違法で契約は無効であると主張し、業者5社などに対して330万円余りの賠償を求めています。
弁護士や司法書士で作る「買取金融対策全国会議」によると、集団訴訟としては全国で初めてだということです。

「事例」
大阪府内のメーカーで働く原告の30歳の男性は、多い時で月20万円ほどの出張費用を立替えるために、現金を得ようと「先払い買取」を利用するようになった。
方法は、
・スマホに自分が申請したい商品の画像をアップロードする。
・どれぐらいで売りたいのか、金額を入力して送信する。
・実際その金額が承認された場合は契約内容を了承したとして、契約完了となります。
・スマホから写真を送るとすぐに手数料を差し引かれた現金が振り込まれます。

「男性の事情」
この男性は、一時的な現金を得るために同じような取引を19回に亘って繰り返したそうです。
その動機は、商品画像を撮って送るだけでお金が先に貰えるという、目先のお金が手に入ると言う文言についつられてしまった。
しかし、買取価格の30%という高額の違約金が回数を重ねるごとにごとに負担となり、更に別の業者も利用して、負担が増していく悪循環になりました。
でも、お金が入った時はひとまず安ど感があるということです。
お金が必要だという思いに駆られて利用したのがきっかけですが、雪だるま式に、あっという間に返済金額と手数料がとんでもない金額で、給料が毎月毎月減ってしまう。
今となっては怖い怖い思いしかなく後悔している。
と話していました。

「全国の相談件数」
この先払い買取の相談は全国で相次ぎ、この問題に取り組む「買取金融対策全国会議」には、9月末までに120件以上の相談が寄せられており、相談者の多くは20代~40代で、殆どは企業などの正社員だと言います。

「アドバイス」
コロナの影響もあってどうしても給料が減らされたりとか、目の前の現金がどうしても欲しい、そういう時にニーズに合ったサービスになっているようです。
しかし、金利の方が非常に高いので、1回利用するとその違約金を払うと生活が苦しくなって、もう1回翌月に利用することになります。
結果的に多重債務に陥るのです。
このような被害が非常に多いので、決して安易に利用してはいけません。

「明日19日の電話相談」
「先払い買取現金化」でお困りの方には、明日、買取金融対策全国会議などが「先払い買取」を巡る電話相談を受け付けます。
お困りの方はご相談ください。
・相談先:買取金融対策全国会議
・日 時:11月19日 午前10時~午後4時
・電 話:06-6361-0546
     048-774-2862

「相談窓口」
○金融庁 金融サービス利用者相談室(平日10時00分~17時00分)
 電話:0570ー016811(IP電話からは03-5251-6811 )
 
○多重債務相談窓口連絡先
 https://www.fsa.go.jp/soudan/index.html

○警察
 電話:#9110(各都道府県警察相談ダイヤル)

○日本貸金業協会 貸金業相談・紛争解決センター (土・日・祝休日・12/29~1/4を除く)
 電話:0570-051051(IP電話からは03-5739-3861 )

○地方公共団体の消費生活相談窓口: 電話:188(消費者ホットライン)


近畿に「木枯らし1号」吹く

2022-11-16 | 雑学

近畿地方は一昨昨日の13日に木枯らし1号が吹いたと発表がありました。
吹いた時間が舞鶴を除いて夜間だったことと、大阪 の風速が4.2m/sと微風だったことから、当地では全く気付きませんでした。
今日は「木枯らし1号」とは、どのような基準で発表されているのか、その発表基準について調べました。

「木枯らし1号発表基準」
木枯らし1号とは、西高東低の冬型の気圧配置となり、その年に初めて吹く北よりの(やや)強い風(季節風)の事で、東京地方と近畿地方でのみ発表されています。
近畿地方の発表基準は次の通りです。

「近畿地方の発表基準」
気象台によると、近畿地方における「木枯らし1号」の発生日は、おおむね以下の目安を満たした最初の日を基本として総合的に判断しているそうです。
【期  間】 霜降(10月23日ごろ)~冬至(12月22日ごろ)(令和4年の霜降は10月23日、冬至は12月22日)
【気圧配置】 西高東低の冬型の気圧配置
【風  向】 北よりの風
【風  速】 最大風速が8m/s以上

一昨日のNHKのニュースを観ていたら、上記に加えて、近畿地方の7か所の気象台のうち3か所以上が上記の基準を満たしていることが必要だという事でした。
近畿の各気象台で13日にこの基準を満たしているのは、舞鶴、彦根、和歌山の各気象台が発表した数値でした。
この3気象台の発表が基準を満たしたことから、近畿地方で木枯らし1号の発表となったという事です。

「最大瞬間風速(m/s)/ 風向 」
大 阪  4.2m/s 北
神 戸  7.1m/s 北北東
京 都  4.2m/s 北北西
舞 鶴  8.6m/s 北北東
彦 根  11.1m/s 北北西
奈 良  6.1m/s 北北西
和歌山  8.3m/s 北

「参考」
一方、東京地方の基準は以下の通りです。
【期  間】 10月半ば~11月末の間
【気圧配置】 西高東低の冬型の気圧配置で季節風が吹く
【風  向】 東京の風向が西北西~北
【風  速】 東京の最大風速が8m/s以上
東京と大阪では発表基準が僅かに異なっているようです。

「過去には福岡でも発表」
木枯らしは東京や大阪以外でも吹いていますが、東京、大阪以外の気象台では過去から発表していなので、これからも発表しないそうです。
ところが、2015年福岡では、お天気キャスターの人がテレビで、10月28日福岡の「木枯らし1号」を発表したことがあるそうです。
気象庁に問い合わせたところ、発表してもよいと言われたから、ということでした。
各地方気象台も発表したらいいのに、何故しないのでしょうね。

木枯らし1号が吹いたということは季節が一歩冬へ近づいたという知らせでもあります。
この冬はコロナとインフルエンザとの同時流行が危惧されています。
本格的な冬が目前ですが、コロナとインフルエンザには十分注意して、元気でこの冬を乗り切りましょう。


「三年子ラッキョウ」に咲いた花

2022-11-14 | 家庭菜園

9月23日に「ラッキョウの三年子(さんねんご)栽培」について取り上げたましたが、そのラッキョウの株に花が咲きました。
ラッキョウの三年子栽培は偶然に知った栽培方法だったので、まさか花が咲くとは思いませんでした。

「三年子栽培」
ラッキョウの「三年子(さんねんご)」は、福井県では農家の方が「三年子花ラッキョウ(3年掘り)」と呼んで栽培しているようですが、私の場合は偶然の産物なのです。
と言うのは、昨年秋に植え付けたラッキョウを放置していたことから、雑草や赤紫蘇などが生えてきて、ラッキョウの畝が草むらの中に埋まってしまい、今年の6月に収穫できなかったのです。

・9月中旬に、伸びていた雑草を取り除いた後のラッキョウの畝です。既に10㎝ほどの新芽が出ていました。


9月中旬に、畝を片付けるため草取りをしていたところ、ラッキョウが新芽を伸ばして生きていたのです。
そこで、このまま片付けるのは勿体ないということで、2年続けて栽培する「三年子(さんねんご)」栽培をすることにしたものです。
そのラッキョウ株が11月初めにはこのように茂り、花が咲いていたのです。



「ラッキョウの花」
皆さんはラッキョウの花を見たことがないと思いますが、このように小さな花を咲かせます。
ラッキョウに花が咲くのは10月下旬から11月中旬頃までです。
通常、ラッキョウの花は実を大きくするために摘み取るようですが、そこは家庭菜園のこと、たとえ実は小さくても花を楽しみたくてそのままにしています。
一方、ラッキョウの産地鳥取県では、この時期になると鳥取砂丘のラッキョウ畑は花でピンク色に染まるのだそうです。
専業農家の方は花を摘み取っていないようです。
いちいち花を摘み取るのは大変なのでしょうね。



全ての株から花が咲いている訳ではありません。
葉がよく茂っている株に花が付いているようです。


「ラッキョウの名称の由来」
ラッキョウの名称は、中国名の一つ辣韮(らつきゆう)に由来し、音読みがなまって「ラッキョウ」になったと言われています。
日本語では辣(から)い韮(にら)、つまり辛いニラという意味です。

・ラッキョウの花をアップするとこのような花です。


「三年子ラッキョウ」は初めて栽培しています。
来年6月にはどのようなラッキョウが出来ているのか、収穫が楽しみです。


「紅葉」を何故モミジと読む?

2022-11-12 | 季節

比較的温暖な大阪南部の泉州地方でも街路樹の紅葉が始まりました。
イチョウは黄色に色づき、住宅地内のカエデも赤く染まってきました。

各地の紅葉の名所ではモミジ狩りを楽しむ人達で賑わっていることと思いますが、一方でコロナの感染者が増加しており、その対策が求められています。
一昨日のニュースでも、全国的に感染者の増加が見らることから、2週間後には第7波のピークを超えることが予想されるとし、第8波への備えが求められると報じていました。
経済を回すために、水際対策が緩和されていますが、それだけに感染対策を十分行ったうえで美しい日本の秋を満喫してほしいと思います。

「紅葉」をモミジと読む由来
さて、モミジと言えば、「紅葉」と書いて何故モミジと読むのでしょうか?
モミジは秋に草木の葉が赤や黄色に変わることを意味する動詞「もみず(紅葉ず)」に由来し、それが名詞化して「もみじ」になり、それから転じて、特に目立って色を変えるカエデの仲間を「モミジ」と呼ぶようになりました。
そして、紅葉を「モミジ」と読むのは、この「もみず(紅葉ず)」が葉の色が変わることや、紅葉そのものを指す名詞へと変化したことからということです。

・色づき始めた住宅地内のモミジです。

モミジと同じような葉っぱをした木にカエデがあります。
この違いをご存じでしょうか?

「モミジとカエデの違い」
先ず、モミジとカエデの違いですが、実はどちらもカエデ科、カエデ属に属しており、外国ではカエデ属の植物全てを「maple」と呼んでいます。
モミジもカエデも同じカエデ属の植物なので、分類学的に言えばカエデという大きなくくりの中にモミジという種があるというイメージです。

「日本での区別」
日本での認識はイロハモミジ、オオモミジ、ヤマモミジが、現在、日本で認識される「もみじ」に当たります。
更に、モミジとカエデは分類上は同じでも区別されているその判断基準となるのが、葉の切れ込みの数や深さです。
葉が5つ以上で深い切れ込みがあって、手のひらを広げたような形状をしているものは「もみじ」と呼ばれており、切れ込みが浅く葉先が細かな形状をしているものを「楓」とすることが多いようです。
因みに、イロハモミジの葉っぱは左右同時に出葉することから、5枚、7枚、9枚のように奇数になるということです。

・モミジとカエデです。


「モミジとカエデの語源」
そして、この両者の名前の語源は次のように言われています。
・モミジの語源
先ず、モミジの語源は「揉む(もむ)」からです。
平安時代から使われていた染料に植物の紅花(べにばな)がありますが、この紅花を使って布などを染めるときは、水の中で手で揉んで色を出します。
こうして、紅花を揉んで絹布を紅色に染め上げたものは「もみ」と呼ばれていました。
そこから、まるで染料が染み出すように草木が色づいたさまを「もみち」と言うようになりました。

この「もみち」は、当時はイロハモミジやオオモミジなどを示すわけでなく、草木全般が色づいた様子のことを言っていたのですが、いつしか濁音がついて「もみぢ」となり、それがやがて、かえでの中でも特に色を変えて目立つものを「もみじ」と呼ぶようになったということです。

・カエデの語源
一方「かえで」はカエデ属の植物の葉形が蛙の手の形に似ているとこから「かへるで」から「かえで」となったようです。

皆様がお住いされている地区でも今、紅葉が大変美しく色づいていることと思います。
どうぞ、コロナ対策を十分行って、美しい秋をご堪能下さい。