らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

手ぐすね

2015-02-28 | 時事
またまた政治とカネの問題が表面化してきています。
2012年12月に発足した第2次安倍内閣はデフレからの脱却を最優先に政策を進め、閣僚全員が一丸となって取り組んでいた感があって、このような問題は起こりませんでした。
しかし、1年9カ月後に内閣の改造が行われてからは驕りがあったのか、ぼろが出始め、2名の閣僚が辞任に追い込まれ、総選挙に打って出ました。
昨年の総選挙では自公の与党が大勝したこともあって慢心したのか、第3次安倍内閣でも既に1名の閣僚が辞任し、今また新たに政治とカネの問題で追求されている閣僚がいます。

野党民主党ははこの状況を手ぐすねを引いて待っていたのだと思います。
昨日の予算委員会では執拗に質問をしていましたが、このような問題で審議が進まないのは国民にとって大変不幸なことです。
国会では、党利党略に走ることなく、国家国民のための政治を心掛けて頂き、漸く出始めた景気回復の芽を更に伸ばすような前向きの審議を願いたいものです。

さて、今日は「手ぐすね」の語源について調べました。
「手ぐすねを引く」は、漢字では「手薬煉をひく」と書き、「手ぐすねを引く」の「くすね」とは松脂(まつやに)を油で煮て練ったもので、弓弦(ゆみづる)や糸を強くするために用いられるものです。
そして「てぐすね」とは、昔の武士が手のひらに薬煉(くすね)を塗ることを意味しました。

薬煉くすねは粘着力が強く、弓を射る際には左手にも塗られていたようです。
これは矢を射たときの衝撃で、弓が左の手のひらから飛び出さないようにするためだそうです。
こうしたことから、戦いの前に、手に薬煉をとって弓に塗り、準備を万端に整えて敵を待つことから、【十分な態勢で待ち構える】という意味になったと言うことです。

野党各党は政治とカネの問題を「手ぐすねを引いて待っていた」ようですが、この問題が嘗てのような政治不信に繋がらなければいいのですが・・・。



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アラビア数字

2015-02-27 | 雑学
私たちの生活上で毎日目にするものに数字があります。
カレンダーや新聞の日付、時計もそうです。
「1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 」
子供の頃から慣れ親しんでいる数字ですよね。
この数字はどなたでもよくご存知のアラビア数字です。
日本では算用数字とも言われています。

この数字、実はアラビアの国で生れたのでも、また使われてもいないのにアラビア数字と言われています。
何故なのでしょうか?
調べてみました。

アラビア数字は、ゼロを発見したインドが起源の数字で、イスラム文化を経由してヨーロッパに伝わり、この数字と記数法をアラビア語を中心としたイスラム文化から学んだヨーロッパ人がつけた名前だそうです。

アラビア語では、このアラビア数字を「インド数字」と呼んでいるそうです。
現在アラビア語で使う数字(仮に「アラビア語数字」と呼びます)は、インド数字がアラビアでさらに変化したもので、アラビア数字ではないということです。



アラビア数字は、日本ではその後に定着したことから、一部で洋数字と呼ばれることもあるそうですが、日本の法令では「アラビア数字[2]」もしくは「アラビヤ数字[3]」となっているようです。
また、算用数字と言われるのは、筆算に用いる数字であることからそのように呼ばれています。

数字に弱いらいちゃんが数字のことを調べるなんておかしいですね。

(参考)
なお、記数法とは、広辞苑によれば、
特定の数を表す数字を定め、それらを組み合わせて任意の数を表す方法。現在は広くアラビアに由来する位取り記数方を使用し、0から9までの数字を並べて数を示す。
と説明しています。

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ジャガイモ栽培

2015-02-26 | 家庭菜園
2月下旬になると、当地ではジャガイモの植え付け時期となります。
そこで先日、我が家でもジャガイモの植えつけをしました。

「種芋の準備」
種芋は毎年1月に農協で購入しています。今年は男爵を1㎏、メークインとキタアカリを各2kg購入しました。
購入した種イモは植え付けの2~3日前に1片の重さが30g~60gに2~3個の芽がつくように縦に切り、そのまま、切り口がコルク化するまで、新聞紙の上で乾かします。

・切断面がコルク化したキタアカリの種芋です。


「植え付け準備」
ジャガイモの畝は、懇意にしている地元農家Kさんの田んぼの1畝を田植えまでお借りしました。
植え付け1週間ほど前に畝を再度耕して、幅70cmの畝を作り、その畝の中央に深さ10㎝程の溝を掘ります。


「植え付け」
種芋の切り口を下にして、株間30㎝で溝に植え付けます。
種イモの両側に、種イモに当たらないように化成肥料を一握りずつ施しましす。

・種イモを30センチ間隔に置き、その両側に化成肥料を施したところです。


植え付け後、土を戻して畝を作り直し、その後にマルチ用の黒いビニールを張ります。
我が家では一度使用した黒いビニールを再利用しています。

・ジャガイモの植え付けが完了した畝です。


「栽培のポイント」
・ジャガイモの生育適温は15~20℃なので、遅霜に注意が必要です。
・芽は草丈が10㎝程度伸びた頃、1~2芽を残して弱い芽を掻き取ります。
・新しい芋は種芋の上方につくので、マルチをしない場合は株元に2回ほど土寄せを行って芋が地上に露出しないようにします。
・3ヶ月余りで収穫できる短期野菜なので栽培しやすく、6月初旬には収穫の予定です。

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ヤン坊マー坊天気予報

2015-02-25 | ナツメロ
2月も下旬になると、春が一段と近づいてきました。
天気予報では、22日の日曜日から今日までは南からの暖かい空気に包まれて、平年を上回る気温と予報しており、そして明日の雨の後は、また寒さがぶり返すと報じています。
大阪南部の熊取地方は「三寒四温」と呼ばれる気温の変化時期に入ったようであり、春は確実に近づいているようです。

さて、天気予報と言えば、懐かしいCMソングに「ヤン坊マー坊天気予報」がありました。
ヤン坊マー坊天気予報とは、ヤンマーディーゼル㈱提供の気象情報を伝えるテレビ番組です。
この天気予報番組は昭和34年6月1日に放送が開始され、「僕の名前はヤン坊、僕の名前はマー坊」のテーマソングで人気を博しました。



1959年(昭和34年)から2014年(平成26年)まで、日本各地の民放テレビ局で半世紀以上に亘って放送された天気予報番組でしたが、2014年3月31日(一部地域は28日)を以って55年にわたる歴史に幕を閉じました。
それでは懐かしいCMソング「ヤン坊マー坊天気予報」をお聴きください。



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ルビ

2015-02-24 | 趣味
漢字につける振り仮名を「ルビ(ruby)」と言います。
パソコンでもルビがありますよね。
ホームタブからルビのアイコン「亜(ア)」をクリックすればふりがなが付与されます。



ところで振り仮名のことを何故「ルビ」と呼ぶのでしょうか?

調べて見ると、「ルビ」とは宝石のruby(ルビー)のことでした。
宝石の名称がどうして振り仮名に採用されたのかと言うと、現在の日本では活字の大きさを「ポイント」で言うようになりましたが、出版・印刷業界では、古くから「号」で表していました。
一方、欧米では「ポイント」で表しており、1ポイントを約0.35㎜として、小刻みに活字の大きさを規定しています。
イギリスではポイントの小さい活字を宝石名で言う習慣があり、4ポイントはGEM (磨いた宝石)、4.5ポイントはDIAMOND (ダイアモンド)、5ポイントはpearl パール(真珠)、5.5ポイントをRUBY or AGATE (ルビー)などと呼んでいました。

日本では、一般的な書物には5号活字が使われており、この活字は 10.5 ポイントとほぼ同じ大きさですが、その5号活字の漢字にふりがなを付ける場合は7号活字が使われ、その大きさがイギリスでrubyと呼ばれる欧文活字の5.5ポイントと同じ大きさだったため、仮名用の活字をルビと呼ぶようになったそうです。
つまり、「ルビ」 とは、ふりがな用の 5.5 ポイント (7号) 活字の別称だったわけです。

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夏は日向を行け 冬は日陰を行け

2015-02-23 | 時事
NHKの朝の連ドラ「マッサン」は相変わらず好評のようであり、週間平均視聴率は23%前後と高水準を維持しています。
ドラマでは1週間ごとにサブタイトルがつけられていますが、先週のサブタイトルは「夏は日向を行け 冬は日陰を行け」でした。
この意味は、夏にはあえて日の射す道を行き、冬にはあえて寒い日陰を行くように、進んで厳しい道を選び自らを鍛えよということです。
また、「冬は日向、夏は日陰を人に譲るようにし、何事もでしゃばらないようにせよ」を例えたものでもあります。
その週のドラマの内容は概ねサブタイトルを反映したものとなっており、ドラマを通じて色々と勉強させてもらっています。

さて、この連ドラは3月末で終了しますが、先日、そのスタジオでの収録が19日に終了したと報道されていました。
そして、その翌日には、ヒロインのシャーロット・ケイト・フォックスさんに関するビッグニュースが報じられました。

・スタジオ収録が終了したマッサンのヒロイン、シャーロット・ケイト・フォックスさんと玉山鉄二さんです。(ネットより)


そのニュースとは、シャーロット・ケイト・フォックスさんがニューヨーク・ブロードウェーでミュージカル「シカゴ」の主演に大抜擢されたと言うものです。
報道によれば、このミュージカルはアメリカ・ニューヨークのアンバサダー劇場で10月26日~11月8日(予定)で上演された後、12月に来日公演も行われる予定だそうです。
詳細は4月上旬に発表されるようですが、エリー役で日本中を優しさと愛情で魅了したシャーロットの新たな一面が、歴史あるミュージカルの主役で見られることになりそうだと報じていました。

・ミュージカル「シカゴ」の主演に大抜擢されたシャーロットです。


更に、報道では、
シャーロット・ケイト・フォックスさんについて、アメリカのノーザンイリノイ大で演劇の修士課程を修了し、独立系映画に出演していたものの米国では無名だった。
しかし、昨年1月に初来日し、「マッサン」のオーディションに合格して、3月に朝ドラ初の外国人ヒロインとしてエリー役の決定が発表されてから一変したということです。

シャーロットさんは「新しい旅を始めるような気持ちで、とても楽しみにしています。日本のみなさんが親しんでくださった、シャーロット・ケイト・フォックスとはまた違う私の一面を見ていただけると思います」
10月のブロードウェイ公演にむけ、「エリーを演じさせていただいたことをはじめ、自分の経験のすべてをロキシー役に注ぎ込むつもりです」と、日本での経験を生かしてミュージカルの本場に挑戦する決意を語り、続けて、「日本に来て『マッサン』に出演しなければ、今回の起用はなかったはずで、本当に感謝の気持ちでいっぱいです」と素直に喜んでいたと報じていました。

シャーロット・ケイト・フォックスさんには母国で大きく飛躍していただき、ますますご活躍されることをお祈りしたいと思います。
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七つまでは神のうち

2015-02-22 | 時事
最近幼い子供の命が奪われる悲惨な事件が続いています。
それも若い父親或いは母親による虐待で死に至っているケースが多いのに、本当に驚きます。
何故、我が子を虐待するのでしょうか?

昔は、日本には「七つまでは神のうち」という言葉がありました。
地方によっては「七つまでは神の子」と言ったり、「六つまでは」と言ったりすることもありますが、言わんとするところは同じで、七歳までの子供は神様に守られていると言うことなのです。

江戸時代の男の幼児の髪形は、基本的には丸坊主ですが、うなじの真ん中、盆の窪(くぼ)と言われる部分か、またはそこと両側の鬢(びん)、頭頂部などにだけ、わずかに髪を剃り残した髪形になっていました。
これはトトゲとかトトクイゲ(魚喰い毛)といい、多くの地方で、子どもが川や囲炉裏(いろり)など危険なところに落ちそうになったとき、神様がここをつかんで助けてくれるための髪型と言い伝えられているのだそうです。

・幼児が魔除けに伸ばした髪の毛です。(ネットより)


現在はこのような髪型を見ることはありませんが、それに近い考え方に新生児、微笑に関する伝承があります。
それによると、生まれてまだいくらも経たない赤ちゃんが、大人には見えない何かを相手に、にいっと笑うような表情をすることがありますが、これは神様があやしてくれているという言われているそうです。

岡山県の浅口市あたりでは「ウブの神様が赤子の尻をつねって(あやして)いる」と言われており、静岡県では「オボツナサンが笑かしてる」と言い、更に、「天神笑い」とか「地蔵笑い」という地方もあるそうです。
ウブの神様、オボツナサン、天神、地蔵、いずれも新生児を守護してくれる神様、仏様の意味であり、子どもには、いつも神様がそばにいて見守ってくれているという言い伝えです。

このように神様が見守ってくれている、あちらの世界の子供を、親といえども勝手に虐待することは許されません。
人間社会で認められる7歳を過ぎるまでは、子供は神から預かっていると考えて、愛情を持って大切に育てて欲しいものです。、


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クイズ

2015-02-21 | 雑学
昔、アップダウンクイズと言うクイズ番組がありました。
私は毎週観ていましたが、TVを観ていて常々「この番組に出演する人はどうして、何でもあのようによく知っているのだろう」と思っていました。
今でもそうですが、クイズ番組に出演する人は、あらゆる分野のことを、本当によく知っており、感心しています。

ところで、クイズと言えば、問題を出して相手に答えさせる遊びを何故「クイズ」と言うのでしょうか?
今日はその由来を調べてみました。

日本には古来、隠してあるものを言い当てる「あてもの」という遊びがありました。
クイズと言う遊びが海外から輸入された当初は、これも「あてもの」と言う名前で呼ばれていたそうです。
しかし、1950年代以降は、英語の「quiz」と言う単語をそのまま日本語読みした「クイズ」と言う言葉が使われるようになったそうです。

「quiz」と言う単語の由来については次のような話が伝えられています。
「quiz」は、1790年頃にアイルランドのタブリンで劇場の支配人をしていたデイリーと言う人が作った造語だと言うことです。

この説では、デイリーはある日、「意味のない新語を造り、一晩のうちに流行させることができるか」と言う賭けを友人としました。
デイリーはこの賭けに勝つ方法として「町中に落書きをする」ことを考えたそうです。
このとき落書きされた言葉が「quiz」の4文字です。
一晩で町のいたるところに書き記し、翌朝には、町中は「quiz」の落書きだらけとなりました。
この4文字は、デイリーが勝手に作った言葉なので、もちろん意味などありません。
当然、町の人たちも、「quiz」の意味がわからず、そのため、瞬く間に「quiz」と言う4文字が、町中の話題になり、デイリーが宣言したとおり、たった一晩で、「quiz」と言う単語が流行語になったそうです。

更に、この「quiz」と言う言葉はこの町から全国に広がりましたが、ここから、「quiz」は「分からない」「ナゾ」と言う意味になり、後に辞書にまで載るようになったのだそうです。
しかし、これは俗説ではないかと言われています。

それは、多くの英単語の起源がラテン語にあることから、ラテン語の「何」を意味する「quis」から「quiz」の言葉が生れたとする説があって、こちらの方が有力ではないかと言われています。

ここで皆さんにクイズです。
さて、どちらが真説だと思われますか?
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ピンキリ

2015-02-20 | 雑学
「ピンキリ」と言う言葉があります。
皆さんご存知のように、これは「ピンからキリまで」を略した言葉で、慣用句で「初めから終わりまで」、「上等から最下等まで」という意味で日常会話の中にもよく出る言葉です。
では、「ピン」と「キリ」は、いったい何を意味しているのでしょうか?

調べてみました。
「ピンキリ」の「ピン」は、ポルトガル語で、「点」を意味する「pinta(ピンタ)」に由来する言葉で、英語の「point」にあたります。
室町時代にポルトガルから伝来した天正カルタ(トランプの一種)で1点の札のことをピンと呼んだのが始まりで、最初という意味だけでなく、1点にしかならないことから本来は最低という意味も含んでいました。

「キリ」も矢張りポルトガル語で、「十字架」という意味の「cruz(クルス)」に由来する言葉で、それが転じて「十」を意味するようになり、「終わり」「最低」の意味となったとする説がある他、「限り」を意味する「切り」を語源とする説、更に、花札からという説もあるようです。
しかし、天正カルタでは各グループの終わりの12枚目を「キリ」と称していることから「十字架(クルス)」の「十」が語源とは考えにくく「限り」を意味する「切り」が有力とされています。

・天正カルタです(ネットより)


天正カルタがもたらされた16世紀(室町時代後期から安土桃山時代)には、「ピンからキリまで」という慣用句はありませんでしたが、江戸時代になって慣用句が使用されるようになると、ピンは、 最初 →1番 →最高となり、キリは、最後 →最低となって、ピンのほうが価値が高くなったようです。
現在は、ピンが最高でキリが最低という意味で使われています。

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プロレスの日

2015-02-19 | 時事
年配の方は覚えておられると思いますが、力道山と言うプロレスラーがいました。
力道山は大相撲で関脇まで行った元力士ですが、その後プロレスに転向したレスラーです。
61年前の今日、木村政彦と組んでアメリカのシャープ兄弟と対戦し、日本初の本格的なプロレスの国際試合が開催されました。
そして、その2月19日がいつしか「プロレスの日」となったそうです。

プロレスは19世紀末から20世紀初めのアメリカで本格的に始まった格闘技です。
日本では、レスラーを目指して渡米した元力士の浜田庄吉が明治20年(1887年)に東京で開催した興行が始まりと言われています。

・力道山と木村がシャープ兄弟と対戦した試合です。(ネットより)


プロレスの本格的な幕開けは昭和29年(1954年)2月19日に、東京・蔵前国技館で力道山・木村組がシャープ兄弟と対戦した試合と言われています。
前年に始まったテレビで生中継され、外国人を叩きのめす力道山の姿は敗戦後の沈滞ムードを打破し、いつしか2月19日は「プロレスの日」として定着したようです。
当時、我が家にはテレビはなかったので、小学校まで観に行き、歓声を上げたものです。

力道山が活躍することで、プロレスの一大ブームが起き、昭和38年(1963年)には力道山対デストロイヤーの試合の視聴率は64.0%で、全分野の歴代4位を記録したそうです。因みにこの年の1位はNHK紅白歌合戦で、81.4%だったそうです。

その後、プロレスはジャイアント馬場とアントニオ猪木が活躍する時代へと進んでいきました。

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